【ネタバレあり】『リズと青い鳥』感想・考察:あまりにも美しくそして残酷な青春の地獄

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画「リズと青い鳥」についてお話していこうと思います。

ナガ
アニメ界に衝撃が走りましたね…。

アニメでありながら、実写のような映像を追求し、それでいてアニメにしかできない映像表現となっている恐ろしい作品です。

他の作品に追随を許さないような、映像と音響、演出の出来栄えは間違いなく10年代を代表する作品の風格だと思います。

そんな本作について今回は徹底的に語っていきますよ。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想。考察記事となっております。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『リズと青い鳥』

あらすじ・概要

 映画『聲の形』が高い評価を受けた山田尚子監督が手がける、京都アニメーション制作のテレビアニメ「響け!ユーフォニアム」の完全新作劇場版。

吹奏楽に青春をかける高校生たちを描いた武田綾乃の小説「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章」を原作に、テレビアニメ第2期に登場した、鎧塚みぞれと傘木希美の2人の少女が織り成す物語を描く。

北宇治高等学校吹奏楽部でオーボエを担当する鎧塚みぞれと、フルートを担当する傘木希美は、ともに3年生となり、最後となるコンクールを控えていた。

コンクールの自由曲に選ばれた「リズと青い鳥」にはオーボエとフルートが掛け合うソロパートがあったが、親友同士の2人の掛け合いはなぜかうまくかみ合わず……。

映画com.より引用)

 

予告編

ナガ
この圧倒的な映像と音響は、ぜひ環境の良い劇場で体感して欲しいですね…。

 

『リズと青い鳥』感想・解説・考察(ネタバレあり)

「響け!ユーフォニアム」という作品に馴染みがない方に向けて

本作は「リズと青い鳥」というタイトルで確かに「響け!ユーフォニアム」というシリーズからは外れているようにも思えますが、そんなことはありません。

というよりもかなりの部分でこれまでのシリーズを見ているというベースを持っている前提で話が進んでいきます。

ですので、今からテレビシリーズ全話見るのは厳しいという方、何とか劇場版総集編の2作だけでもチェックしてみてください。

第1シーズン総集編劇場版↓

第2シーズン総集編劇場版↓

ナガ
おそらくこの2本を見ておけば、十分内容にはついていけると思います!

 

「響け!ユーフォニアム:北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章」の映画版として

本作はそもそも小説「響け!ユーフォニアム北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章」の映画版という位置づけで公開されています。

それを前編後篇という形ではなくて、山田尚子監督が希美とみぞれの物語、石原監督が久美子の物語を担当する形で劇場アニメ化しているというわけです。

今回の「リズと青い鳥」は希美とみぞれの物語ということで、その2人に極端なまでにフォーカスしています。

そのため時系列的には齟齬が出ないようにしているものの、久美子の物語の方で描かれるであろうアートは矮小化され、2人の物語の背景と化しているのです。

ナガ
特にその改変されたポイントが印象的なんですよね!

本作の一番目立った原作からの改変点はみぞれの衝撃的なオーボエを聞かされた後の希美のフォローに向かうのは原作では久美子だったんです。映画「リズと青い鳥」で登場する終盤の希美とみぞれのやり取りは原作では関西大会の合奏練習で行われたものです。

つまり今回の映画版というのは極端なまでに「響け!ユーフォニアム北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章」という原作をミニマル化して、さらに脱久美子化しているんですね。

基本的に「響け!ユーフォニアム」シリーズの1人称視点は久美子にあります。

久美子というキャラクターは北宇治高校吹奏楽部の様々な問題に偶然か必然か関係していて、そのどれもで重要な役割を果たしてきたんです。

香里と麗奈のトランペットソロ問題、希美とみぞれの問題、あすかの退部問題などこれまで北宇治高校吹奏楽部の中で大きな問題として表出した事案に関しては、必ず久美子という存在が少なからず関与しています。

もちろんそれは今回の第二楽章でも変わっていません。

ただ本作はそんな「響け!ユーフォニアム」という久美子の物語から希美とみぞれという2人のキャラクターの物語を隔離させています。それにより本作は独特の閉塞感を孕み、一見「響け!ユーフォニアム」という作品から断絶された物語であるかのような空気感を孕んでいます。

久美子という本作の絶対的主人公の物語からのフェードアウトが、希美とみぞれの物語の純度を高め2人の感情をより鮮烈に描き出しています。

それでいて本作は外部化された久美子の物語を希美とみぞれの視点から描いているんです。それが「リズと青い鳥」の第3楽章のフルート・オーボエパートを久美子と麗奈がユーフォ・トランペットでカバーしているシーンなんです。この点に関しては後ほど山田尚子監督流焦点化について解説していきます。

ただ本作は「リズと青い鳥」という「響け!ユーフォニアム」から隔絶され、独立した世界観の様相を呈しながら、背景として久美子や麗奈、優子らを登場させ、「響け!ユーフォニアム」の世界の一部であることも示しているんですね。

そのため本作「リズと青い鳥」は「響け!ユーフォニアム北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章」の映画版ではあるんですが、極めて異質で、それでいて世界観はきちんと受け継いでいるという何とも稀有な原作との関係性を構築しています。

ぜひ映画を見た後にでも原作の方をチェックしてみてください。

 

山田尚子監督流焦点化の極致へ

山田尚子監督の映画作品の1つの特徴として、登場人物や物語の焦点化があります。

例えば、映画『けいおん!』を思い出してみてください。あの映画は『けいおん!』という作品の、唯たちの3年間の卒業旅行という一瞬にフォーカスして、それ以外の要素を極限まで矮小化した作品です。

卒業旅行と「天使にふれたよ」誕生譚に焦点を当て、卒業式という一大イベントでさえもサラッと流して描いていましたからね。これが1つ山田尚子監督流の焦点化の始まりだったのかもしれません。

そしてその焦点化が登場人物へと及び、日本アニメシーンに革命を起こしたのが「たまこラブストーリー」でした。

テレビシリーズで描かれた「たまこマーケット」の世界観を極限まで縮小し、たまこともち蔵の恋物語というミニマルな世界観で2人の繊細な恋模様や青春の終わりを描きました。この作品でもって山田尚子監督の焦点化が1つ大成し、高い評価を獲得しました。

その後映画「聲の形」の監督を務め、ここでも原作の将也と硝子の物語に極限までフォーカスし、物語を構成しようとしました。しかし、私はこの「聲の形」は彼女の焦点化の弱点と脆さを露呈した失敗作だと思っております。

この作品の最大の誤算はそもそも焦点化をする上で必要な下地が無かったことだと思うんですよ。「聲の形」は原作という形では世界観が存在していますが、アニメとしては山田尚子監督の映画版が初の映像化だったんです。

それにも関わらず、作品全体の世界観や物語に登場するキャラクターの全容がほとんど見えていない状態で焦点化した物語を構築しようとしたがために、1つの映画としてただただ薄っぺらいだけになり全くもって完成度の低い作品に仕上がっていたように思います。

特に山田尚子監督は自分がフォーカスしていないキャラクターの描写を極限まで矮小化して描く傾向にあります。

ただ「けいおん!」や「たまこラブストーリー」はそれぞれテレビシリーズのキャラクター描写の下地があったためにそれが成立していました。

一方、それがない「聲の形」で同じフォーカスの仕方をしてしまうと、ただ単によく分からないキャラクターが作品内をうろうろしている状態が出来上がってしまいます。

「聲の形」はもともとかなりミニマルな物語で原作でも登場する人物はほとんどが物語の根幹に関わる重要キャラクターという扱いでしたから、やはりそんな重要キャラクターたちを背景の一部へと追いやり、将也と硝子の2人の物語に帰結させてしまった時点で作品として破綻してしまっているように感じました。

つまり「聲の形」は、山田尚子監督流焦点化が、世界観構築やキャラクター描写等のある程度の前提や下地に強く依存する手法であるという限界を露呈してしまった作品だと思うんです。

そして今作の「リズと青い鳥」です。この作品の位置づけは一見「けいおん!」「たまこラブストーリー」に近いですよね。

「響け!ユーフォニアム」という作品はこれまでテレビシリーズを2クール分、劇場アニメ版を2作品公開していますから、その分の下地がきちんと存在しています。

しかし、本作が「響け!ユーフォニアム北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章」を原作にしているということを忘れてはいけません。

この原作はこれまでの「響け!ユーフォニアム」シリーズでメインキャラクターだったあすかたちの世代が卒業し、新入生が吹奏楽部に入部した後の物語ですから、これまでのシリーズの世界観やキャラクター配置とは一線を画しているんです。

よって本作「リズと青い鳥」「響け!ユーフォニアム」シリーズの下地がある程度ありつつも、新1年生や吹奏楽部新体制に入ってからの物語ということで下地がない部分も多く存在しているという2つの側面を持っているわけです。

そして山田尚子監督は「聲の形」で露呈した自身の焦点化の弱点を本作でしっかりと修正してきています。下地が無い部分を放置することなく、最低限の描写でもって表現し、それでいてこれまでの作品以上の倍率で希美とみぞれの物語に焦点を当てています。

私が特に高く評価したいのは剣崎梨々花をきちんと登場させてくれたことなんです。彼女はみぞれの直属の後輩にあたるわけですが、このキャラクターはこれまでの「響け!ユーフォニアム」シリーズにはまだ登場していない新キャラクターです。ただ彼女は希美とみぞれの物語のキーパーソンでもあるんです。

映画「リズと青い鳥」を見る前に、「聲の形」の手法を山田尚子監督がそのまま流用するとしたら、梨々花はほとんど描かれないのではないかという懸念を持ってしました。しかしそれは杞憂に終わっています。

「リズと青い鳥」という作品では梨々花が先輩との関わりに悩む姿を描いており、そのサイドストーリーがきちんと希美とみぞれの物語に還元される構造になっているんです。さらに梨々花を初めとした背景的位置づけの後輩の描写が説明せずとも、「響け!ユーフォニアム」の世界が次の世代に移行したことを仄めかしています。

これまで山田尚子監督はある程度のベースがある作品の一部分にフォーカスすることを強みとしていました。しかし「聲の形」ではそのベースが無い状態で、同じ手法にチャレンジし、弱点を露呈しました。

そして「リズと青い鳥」ではベースが無いものを背景として描いて放置するのではなくて、ベースが無い部分を最低限のサイドストーリーで補強し、さらに希美とみぞれの物語の背景にある事象までも2人の物語として取り込んでいるんです。

そのため「聲の形」では背景から将也と硝子の物語が浮いていた一方で、「リズと青い鳥」では希美とみぞれの2人の物語がしっかりと背景に馴染んでいて、きちんと成立しています。

それでいて希美とみぞれの物語としてフォーカスの倍率が高く、より純度の高い仕上がりになっているのは、描かないことが焦点化を強めるのではなく、描くことが焦点化をより強めるのだという山田尚子監督の気づきではないでしょうか?

1つの物語をフォーカスするために、その周りに存在しているエピソードやキャラクターをきちんと描いておく必要があるという彼女の気づきが、「リズと青い鳥」という作品において彼女の焦点化の手法を1つ高い次元へと引き上げたように思いました。




山田尚子監督の描く足

山田尚子監督は常々「動く足には心情が宿る」というコメントを残しているんです。

してそれが彼女の撮る作品においていつも印象的に足のカットが登場する所以でもあります。

やはり忘れられないのは「けいおん!」の映画のラストシーンの足のカットです。

f:id:los_endos:20120718231547j:image

(映画『けいおん』より引用)

高校生という青春を終える者たちの抱える未来への希望と不安の入り交じった心情がこの足のカットを見るだけでも伝わってくる設計になっているんです。

もちろんこの演出は「たまこラブストーリー」「聲の形」でも使われています。登場人物の心情を映し出す鏡のようなものとして彼女は足のカットを多用するんです。

本作「リズと青い鳥」でも足のカットが凄く印象的に使われています。特に冒頭のカットなんかは山田尚子監督の臭いがプンプンする演出の仕方ですよね。門に入ってくる人の足だけを映し出して、希美を待っているみぞれのシーンを演出しています。

また2人の歩く時の足、立っている時の足、演奏している時の足。それぞれに注目して見ると、2人の感情の動きや関係性の変化が浮き彫りになります。

ぜひぜひ注目して見て欲しいところですね。

 

山田尚子監督流フォーカス演出

IMG_0944
(C)大今良時・講談社/映画「聲の形」製作委員会

山田尚子監督がもう1つ作品で多用する演出がフォーカスを用いたぼかしの演出なんですよね。これっていわば実写に近い演出です。

アニメは絵を動かしているわけですから、一般的に画面全体が鮮明に描かれます。しかし山田尚子監督の作るアニメは画面の中でも登場人物だけにフォーカスし、背景をぼやかすという手法を取るんですね。

例えば映画「聲の形」の終盤のシーンなんかは印象的ですよね。将也と硝子の2人のピントが合い、背景は次第に形を失い有象無象と化していきます。

この演出を「リズと青い鳥」ではさらに進化させた形で用いているんです。みぞれがオーボエの才能を開花させる瞬間をあんな演出の仕方で切り取るとは思ってもみませんでした。

ナガ
あのシーンを見た時に山田尚子監督は天才だと確信しましたよ!

みぞれの視点からのカメラだとひたすらに希美にフォーカスがあたり、その背景は完全にぼやけてしまっています。

つまりみぞれが希美だけを見ているという事実が強調されています。

一方で希美からの視点に切り替わると、みぞれを見つめているんですが、次第にのぞみにも焦点が合わなくなり、視界の全てがぼんやりとし、レンズフレアのようなものまで画面に浮かび上がります。

これが希美が泣いているということを演出しているんだから驚きですよね。

これまでアニメを数多く見てきましたが、こんな手法で登場人物の涙を演出しようとする人は初めて見ました。




2つの世界と2つの音楽

今作「リズと青い鳥」において注目していただきたいのが、劇伴音楽なんですよ。

「リズと青い鳥」という作品では、作品内で絵本の世界と現実の世界がクロスオーバーしています。そのため絵本の世界と現実の世界で別々のアーティストさんが音楽を手掛けています。

まず絵本の世界の音楽を手掛けているのが松田彬人さんです。彼はこれまでも「響け!ユーフォニアム」シリーズの劇伴製作を担当されてきた方です。

一方の希美とみぞれの日常パートを担当したのは映画「聲の形」で劇伴音楽を担当された牛尾憲輔さんなんです。彼は実際に北宇治高校のモデルとなった府立莵道高等学校を訪れて、教室や廊下で音源を録音したそうです。

日常に溢れる何気ない音がメロディと化し、希美とみぞれの物語を彩ります。

ぜひそんな音楽的な対比にも注目してみてください。

 

あまりにも美しくそして残酷な青春の地獄

IMG_0947
(C)武田綾乃・宝島社/「響け!」製作委員会

青春とは輝かしいものばかりではありません。

そんなことはこれまで多くの青春劇が語り継いできたことです。

しかし、本作「リズと青い鳥」が描くのはひたすらに美しい世界です。

ひたすらに美しい希美とみぞれの友情とそして愛を描き出している作品であることに疑いの余地はありません。

それが京都アニメ―ション史上最も美しく、最も純度の高い映像に裏打ちされているわけですから、本作はある意味で理想的な青春とその美しさを映像化しているわけです。

ただその美しい映像とは裏腹にどす黒い感情が渦巻いているわけです。執着、依存、嫉妬、軽蔑・・・。

表象的に見ると、幸せそのものの希美とみぞれの関係性にそんなどす黒い感情の渦巻きを見出すことは誰にもできません。それは久美子にも、優子にも、夏紀にも、梨々花にもできないのです。

梨々花は希美とみぞれの関係性を評して「仲が良い」と付け加えました。2人の世界の外部にいる人間から見るとそうとしか見えないのも無理はないでしょう。

しかし2人の世界の実情はもっとドロドロとしていてとても美しいとは思えません。

原作の中で久美子が希美の本音を知り、希美とみぞれのことを評してこんな風に考えるシーンがあります。

みぞれの顔が見たい。無性にそう思った。サンタクロースの存在を信じる無垢な子供にその正体を告げるみたいに、みぞれの抱え込んだもろい崇拝心を粉々に打ち砕いてしまいたい。いつか誰かによって不用意に地雷が踏み抜かれるくらいなら、今久美子自身の手でリセットしたい。壊れてしまう瞬間の到来を恐れ続けるぐらいなら、強硬手段を取るのもみぞれのためではないか。

希美とみぞれが作り出す美しい物語も「リズと青い鳥」のあの美しい映像ももはや我々が投影している、我々が妄信的にかつ純粋な気持ちで思い描いている2人の関係性なんです。2人の間に渦巻いている様々な感情の渦は我々に見ることは叶わなかったわけです。

そんなこれまでの「響け!ユーフォニアム」シリーズで我々が作り上げてきたサンタクロースのような幻想を「リズと青い鳥」は粉々に打ち砕きます。

2人の生きる世界。そこは紛れもなく青春の地獄だということを我々は突きつけられるのです。美しい世界の仮面をかぶったその裏に想像を絶する地獄が広がっていることを誰が想像したというのでしょうか?

IMG_0946
(C)武田綾乃・宝島社/「響け!」製作委員会

「リズと青い鳥」という作品が美しいからこそ、本作が内包する青春の地獄が一層残酷さを増し、2人の閉塞した世界をユートピアからディストピアへと転落させるのです。

その残酷さのあまりに私は思わず息が詰まり、窒息しそうになりました。




山田尚子監督と岡田磨里監督、それぞれの道へ

2018年。山田尚子監督と岡田磨里監督という2人の女流アニメクリエイターがそれぞれ自身の集大成とも言える作品を世に送り出しました。

前者は「リズと青い鳥」を、後者は「さよならの朝に約束の花をかざろう」をそれぞれ作り上げました。

この2人を比較してみると、非常に面白いことが見えてきそうなので、今回は2人のこれまでの作品を踏まえつつ、その最新作の性質を徹底的に比較し、2人が追求するアニメのマスターピースとは何ぞやと言うところに迫っていこうと思います。

まず岡田磨里監督も山田尚子監督も人物の繊細な感情を描くことを得意としているという点で、作風自体はかなり近いものがあると思います。

ただその表現の仕方が全く違うんです。

岡田磨里監督の人物描写は確かに繊細でかつ丁寧で非常にリアリティがあります。ただそれはあくまでアニメの世界でのリアリティなんです。

彼女の代表作ともなっている「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」という作品は元々は岡田磨里さんが脚本を務めたテレビアニメなんですが、これが実写ドラマ化されたものが存在しています。

ナガ
このドラマを見ていると、すごく違和感がありますね…。

かなりアニメに忠実に作っていたにもかかわらずです。それはなぜかというとアニメに忠実に作ったからなんですよ。

岡田磨里さんの作る脚本は確かにリアルなんですが、それはアニメの世界だからこそのリアルです。それをそのまま実写にコンバートすると違和感が生まれるのはそのためだと思います。

「心が叫びたがってるんだ。」の実写版が違和感に満ちているのもそのためです。岡田磨里さんが作り出したアニメだからこそできた要素の数々をそのままコンバートしてしまったがために実写に作品を落とし込めていません。

岡田磨里監督が追い求めているのは、確かに繊細で緻密な人物描写ですが、彼女がそれを表現する手法は極めてアニメ的なものなんです。

「さよならの朝に約束の花を飾ろう」の舞台挨拶で彼女は現代劇や実写で表現すると、きつくなってしまうような感情や物語をファンタジーの世界に落とし込むことで表現できるのではないかと考えたと仰っていました。

つまり彼女が追求するのはどこまでもアニメ的リアリズムなんだと思います。ネタバレになるので言及を避けますが、「さよ朝」のラストシーンなんて実写でやったら絶対にダメな演出を施してます。ただアニメだからこそ映えるし、リアルに思えるんです。

一方の山田尚子監督が追求しているのは実写に近いリアリティなんだと思います。

彼女がフォーカスやピント、ぼかし、レンズフレア等の効果を用いて、実写の映像にアニメ映像を近づけようと試みていることもそれを裏付ける1つ重要な要因です。

まだ粗削りな部分はあったので、完全にとは言いませんが彼女が手掛けた「たまこラブストーリー」や「聲の形」というアニメ映画はおそらくそのまま実写にコンバートしてもほとんど違和感なく見れると思うんです。

セリフ回し、演出、撮影、作品のあらゆる要素のどれをとっても彼女の作品は極めて実写志向なんです。そしてその試みが1つの完成を迎えたのが今回の「リズと青い鳥」だと思います。

徹底的にいわゆるアニメっぽさを排除し、実写志向を明確にしているのです。

例えば本作においてファンタジーパートに当たる「リズと青い鳥」の絵本の世界は極めてアニメ的に作られていますよね。青い髪の少女、現実離れした世界観、フィクション仕立てなセリフ回し、演出、撮影、劇伴音楽、声優(本田望結)。そのどれをとっても希美とみぞれのパートとは一線を画しています。

つまり「リズと青い鳥」の絵本パートがきわめてアニメ的に作られているのは、希美とみぞれの物語のリアリズムを際立たせるためだと思うんです。敢えて対照的な世界として描くことで希美とみぞれのパートに通底する山田尚子監督の実写志向が強調されていると感じました。

また本作のキャラクターデザインにも山田尚子監督の実写志向が見え透いています。注目したいのはその頭身です。ずんぐりむっくりとしたアニメ的なテレビシリーズ来の「響け!ユーフォニアム」のキャラクターデザインが本作では実写志向の頭身へと変更されています。

このように山田尚子監督は如何にして実写に近い情報量を持つアニメを作れるかと言うところを追求している方なんだと思います。

だからこそ本作のラストシーンはそんな山田監督の志向が反映されたもののようにも見えました。

空を舞うつがいの白い鳥。それは青い鳥とは異なる存在です。

「リズと青い鳥」の絵本では2人は永遠の別れを経験するわけですが、希美とみぞれの物語はそんな結末を迎えることはありません。

これからも2人は友人として人生を生きていくのでしょう。だからこそ横並びで飛んでいく白いつがいの鳥に希美とみぞれの姿を重ねます。

この絵本パートをなぞらえつつも現実パートに異なる結末を用意し、それを視覚的に表現したという事実は、山田尚子監督の従来のアニメ的アニメからの決別と、実写志向のアニメへの追求を反映したものではないかとも思いました。

アニメだから表現できるものの可能性を追求し続ける岡田磨里監督と、アニメによる実写に近い、実写を超える情報量を有する映像の実現を追求する山田尚子監督。日本のアニメ界の未来を作っていく2人の女流アニメクリエイターからこれからも目が離せません。




最後になぜリズと少女の声優は本田望結である必要があったのか?

IMG_1090
(C)武田綾乃・宝島社/「響け!」製作委員会

YouTubeの予告編のコメント欄を見ていると作品を見てもいないのに、本田望結のボイスアクトを批判する人が多くて辟易としますね。作品見てから言いなさいと。

この記事で何度も申し上げてきたように本作において山田尚子監督は2つの世界を徹底的に隔てた形で描こうとしています。そこに実写志向の彼女の意図が見え隠れしているという点は先ほどもお話した通りです。

だからこそ絵のトーンや劇伴音楽を別々のものにしたように、声優も別々のものにする必要があったのです。つまりアニメ声優を使わないことで、監督はその区別を明確にしようとしたわけです。

しばしばアニメの声優を俳優が担当すると声が合っていないと指摘されることがあります。それは皆さんがアニメの絵にアニメ声優特有のボイスアクトがついてまわる現状に慣れているからです。

だからこそ本作『リズと青い鳥』はそんな皆さんの”慣れ”を逆手にとって、女優本田望結を起用することで絵本の世界と希美&みぞれの世界を別々のものとして印象づけているわけです。

キャストの起用には監督や製作陣の何かしらの意図があることが大半です。批判するのは結構ですが、それは作品を見てからにして欲しいものです。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『リズと青い鳥』についてお話してきました。

「リズと青い鳥」を見た方にぜひとも読んでいただきたいのが「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽のホントの話」という短編集です。

これを読んでいただけると、希美とみぞれの卒業式のエピソードが描かれていて「リズと青い鳥」の後2人がどんな青春の結末を迎えるのか、これからどんな関係性を気づいていくのかが示唆的に描かれていて、非常に読み応えがあります。

山田尚子監督作品は大好きでこれまで追いかけて来ました。

「聲の形」では彼女の手法に疑問を感じざるを得ない部分も多くありましたが、その失敗をも糧にし、「リズと青い鳥」という作品でアニメの新時代の幕開けを演出した彼女に称賛を惜しむつもりもありません。

これは2018年のアニメ的事件です。

ぜひ劇場で目撃してください。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

 

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください