映画『ハニーレモンソーダ』解説・考察:「自立」を獲得するための恋愛を描いた傑作だ!(ネタバレ)

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『ハニーレモンソーダ』についてお話していこうと思います。

ナガ
当ブログ管理人が選ぶ2021年ベスト映画戦線のダークホース枠でございます!

映画ファン界隈では、この時期になると毎年「年間ベスト映画TOP10」なるものを決める風潮があり、当ブログ管理人も毎年記事にしておりました。

そんな中で、2021年の映画を締めくくるにあたって、ぜひとも見ていただきたい1本があるということで、最後の最後に書かせていただいております。

この記事で扱う『ハニーレモンソーダ』は、村田真優さんの人気少女コミックの実写版で、監督を『ピーチガール』『honey』で知られる神徳幸治さんが務めた作品です。

神徳幸治さんは、『モテキ』で知られる大根監督作品で、副監督を務めてきた経験があり、そこから少女マンガ実写映画を手がけるようになりました。

個人的に『ピーチガール』『honey』は、それほど良いとは思えなかったのですが、続く『ハニーレモンソーダ』は別格の出来栄えだと思っています。

主人公の三浦界役をSnow Manのラウールさん、ヒロインの羽花役を『のぼる小寺さん』吉川愛さんが演じた本作は、予告編だけだと、ごく普通の「よくある少女マンガ実写」という印象を受けるかもしれません。

しかし、本作は紛れもないポスト山戸結希監督作品としての少女マンガ実写であり、少年少女が恋愛を経て主体性を獲得する物語を描いています。

映画ファンにも、そして少女マンガ実写はこれまで見てこなかったという人にも、ぜひとも見ていただきたい1本ですし、1人でも多くの人に届いてほしい作品です。

今回の記事では、そんな映画『ハニーレモンソーダ』の魅力を大きく2つの観点からお話ししていこうと思います。

良かったら最後までお付き合いください。




『ハニーレモンソーダ』解説・考察(ネタバレ)

役者ラウールが魅せる未熟と成熟のあわい、その境地

©2021「ハニーレモンソーダ」製作委員会 ©村田真優/集英社

少女マンガ実写映画は若手女優、俳優の見本市的な側面が強く、5年後に主演級の役者に成長するような面々が名を連ねています。

例えば、2011年に公開された『高校デビュー』には菅田将暉さんが出演しており、彼は数年後に『共喰い』『そこのみにて光輝く』が高く評価されて、一気に人気俳優へと成長していきました。

他にも2014年公開の『アオハライド』には、まだまだ人気俳優の地位を確立していなかった吉沢亮さんが比較的端役で出演しており、今見返すと驚きがあります。

ただ、先ほども申し上げたように、少女マンガ実写のキャストは完成された俳優を起用するというよりは、「5年後のスター」を出演させる傾向が強いんですね。

そのため、どうしても「演技」という物差しで測ろうとすると、粗削りな印象が否めないケースが多く、そこが映画ファンからの評価がイマイチ上がらないポイントにもなっています。

では、今作『ハニーレモンソーダ』で主人公を演じたラウールさんの「演技」はどうなのかについてですが、これまでに数多くの少女マンガ実写を見てきましたが、その中でも際立って未完で、粗削りだと感じました。

表現のバリエーションは決して多くなく、感情表現がそれほど優れているとは思いませんでしたし、役者としての発声もまだまだ発展途上で、セリフの声の粒が揃っておらず聞き取りづらい印象も受けます。

ですので、単純に「演技」という尺度や型にはめて評価するのであれば、当然高く評価するのは難しいでしょう。

ただ、『ハニーレモンソーダ』は、そんなラウールさんの「演じようとしている」感が垣間見える未熟さが、三浦界というキャラクターのアイデンティティを確立するうえで欠かせないものになっているのです。

まず、三浦界というキャラクターは、「同級生よりも早く大人になることを強いられた子ども」なんですよね。

両親が蒸発してしまい、たった1人で暮らしている彼は、生計を立てるために、学校が終わった後にバーでバイトをしています。

つまり「学生である」という自分の「子ども」の部分を守るために、夜の世界で1人の「大人」として「仕事をする」必要があるという歪な環境に置かれているんですね。

本心では、まだ「子ども」のままで同級生たちと青春を謳歌したい、誰かに頼りたいと考えていながら、それを環境や境遇が許してくれない。

こうした「歪み」が三浦界というキャラクターのバックグラウンドにはあって、だからこそ彼は未熟と成熟のあわいで葛藤しているような不安定さを内包しているのです。

そして、ラウールさんは、この繊細な感覚をすくい取ることができる唯一無二の役者だったと言えるのではないでしょうか。

物語の前半部分における三浦界は、いわゆる少女マンガの実写の王道とも言える「王子様」キャラですし、周囲の友人からは「保護者」のようだとも言われています。

でも、「王子様」「保護者」というのは彼が生きていくための「仮面」なのであって、1人の子どもが未熟さを抱えながらも、懸命に「成熟した大人」を生きようとしていることの表れなのです。

そこには明確にギャップがあり、だからこそ三浦界というキャラクターの「王子様」「保護者」という仮面は不安定でかつ未完でなければなりません。

こうしたある種の「演じている」感をラウールさんは完璧に出せたと言っても過言ではなくて、だからこそ「役者」としては粗削りなのですが、三浦界の演者としては100点に近いものを見せてくれていたと思っています。

ただ、単に役者として粗削りだから、この役を演じられたというわけでもありません。

ラウールさんは撮影当時17歳で、まさにリアル高校生の年齢でありながら、Snow Manという日本を代表するアイドルグループのメンバーでもあります。

私はそれほど彼のグループでの活動に詳しくないのですが、その魅力として漏れ聞こえてくるのは「アンニュイな表情」「大人びた雰囲気」「セクシーさ」といった17歳の青年に対する評とは思えないフレーズばかりなのです。

しかし、『ハニーレモンソーダ』のメイキング映像を見ていると、ほんとに「ごく普通の17歳」の顔をちゃんと持っていることに気づかされます。

(映画『ハニーレモンソーダ』メイキング映像より)

無茶ぶりを求められて照れる仕草や、ふとした時に漏れ出すクシャっとした笑顔には、等身大の17歳の素が垣間見えるんですよね。

つまり、ラウールさんは、今回の映画に限らず、日常的に「未熟」と「成熟」を行き来しているのだと思います。

そして、その経験が『ハニーレモンソーダ』の三浦界というキャラクターに見事なまでに還元されているのではないでしょうか。

そう思うと、私たちが彼の演技に受ける粗削り感や未完成さすらも、ラウールさんが意図的に作り出したものに思えてきますし、だとすると「演じている感」を演じられるとんでもないポテンシャルを秘めた俳優なのではないかとすら思わされます。

1人の「俳優」ないし「役者」というよりは、ラウールさんは「ラウール」であると言わんばかりの異質な存在感と空気を纏った存在であり、目をひきつけてやまない何かを感じさせるニューウェーブの登場に立ち会ったような気がしました。



「自立」を獲得するための恋愛を描く

©2021「ハニーレモンソーダ」製作委員会 ©村田真優/集英社

『ハニーレモンソーダ』という作品は、前半と後半が「鏡像」の関係になっており、物語が綺麗に反転するような構成になっています。

前半は「王子様主人公」が「内気なヒロイン」を変えていき、そして2人は恋に落ちていくという少女マンガの王道も王道な内容です。

しかし、後半に入ると、物語が反転し、今度はそんな「王子様主人公」の暗いバックグラウンドが明らかになり、「内気だったヒロイン」が「孤独な王子様主人公」を変えていくという内容が描かれます。

連載漫画を1本の映画にするとどうしても1話完結エピソードを繋ぎ合わせた感が拭いきれないケースが散見されるのですが、『ハニーレモンソーダ』はその縫い目がほとんど見えず、それでいて1本の映画として1つの物語へと綺麗に再構築できていました。

また、本作が素晴らしいのは、恋愛を「ゴール」ないし「目標」としてではなく、自分を確立していく上での「手段」として描くという、ポスト山戸結希作品のコンテクストを内在していることだと思います。

『溺れるナイフ』『ホットギミック』などの少女マンガの実写版を手がけたことで知られる山戸結希監督がTwitterでこんな発信を過去にしていました。

自分自身の主体性を奪われる恋ではなくて、自分自身の主体性を知るための恋が、もしもこの世にあるのなら、そのようなものをこそ今、新しく生まれる青春映画に映し出してみたいという念願がありました。

(山戸結希監督のTwitterより引用)

「自分自身の主体性を知るための恋」を模索するという彼女の理念が前述の『溺れるナイフ』『ホットギミック』の実写版には確かに反映されており、恋愛を通じて登場人物が自分を確立していく物語が描かれています。

『ハニーレモンソーダ』は、恋愛を通じて、ヒロインの羽花が変わり、成長していく物語である一方で、主人公の界もまた変わり、成長していく物語になっていました。

そんな本作のテーマは「自立」という言葉に集約されると思います。

ナガ
皆さんは「自立」という言葉を聞くと、どんなイメージを思い浮かべますか?

経済的に親や周囲の人の援助を受けていないことでしょうか、1人暮らしをして生活を成立させていることでしょうか、それとも社会人になって定職に就くことでしょうか。

当ブログ管理人は、「自立」という言葉について考えるときに、鷲田清一さんのこの言葉を大切にしています。

私が思うに、自立とは、自分のことはできる限り自分でするが、助けが必要になった時に電話をかける相手がいるということです。つまり、いざという時に助け合う相互依存のネットワークをいつでも起動できること。その準備が日頃からできている状態が自立なのです。

(鷲田清一『真の自立とは』より)

この一節が言っているのは、「自立」は「何もかもを自分1人でできるようになる」という意味ではないのだということです。

そうではなくて、むしろ「誰かに頼ることができる相互依存のネットワークを持つこと」が「自立」なのではないかと彼は分析しています。

私たちは他人に頼るに際して、つい「相手に迷惑をかけるのではないか?」「むしろ私が消えてしまえば万事解決ではないか?」なんてネガティブなことを考えてしまうものです。

しかし、私たち人間は時に誰かに寄りかかり、時に誰かに迷惑をかけなければ生きて行けない生き物であり、それが自然なことなんですよね。

だからこそ鷲田清一さんは、他人に依存しない生き方よりも、むしろ互いに依存し合っている状態の方が「自立」なのではないかと考えているわけです。

そして、この考え方は、まさしく『ハニーレモンソーダ』の物語に密接に関わっています。

なぜなら、本作は主人公の界とヒロインの羽花が、まさしく「相互依存のネットワーク」としての「自立」を恋愛を通じて獲得する物語になっているからです。

羽花はネガティブな思考の持ち主で、物語の冒頭に界にレモンソーダをかけられた際にも、自分があの場所にいたことがいけないんだと自分を責めるような人物でした。

彼女は、誰かに頼ることを知らないし、自分のような人間が誰かに頼ってしまうと迷惑をかけてしまうと考えており、そういう意味で「自立」をまだ獲得できていません。

一方の界は友人関係も充実していますし、自分で仕事をして生活を成り立たせており、そういう意味では必要以上に自立した人間に見えますよね。

しかし、彼はどこかで友人や羽花と距離を取り、彼らに頼るという選択をできずに、毎日を過ごしています。その点で「自立」に至っていないわけです。

このように、羽花と界は「他人を頼る」ということを知らないがために「自立」していない人間として描かれているんですね。

そんな2人が出会い、物語の前半では羽花が界を「頼る」構図が描かれ、転じて後半で界が羽花を「頼る」構図が描かれます。

この双方向の矢印を物語の前半と後半に分けて描くことで、『ハニーレモンソーダ』はフィナーレで2人の間に「相互依存のネットワーク」をもたらしました。

また、劇中で、堀田真由さんが演じる菅野芹奈という界の元カノが登場するのですが、このキャラクターが実はこのフィナーレを描くにあたっては欠かせないキーになっています。

©2021「ハニーレモンソーダ」製作委員会 ©村田真優/集英社

彼女もまた、かつて羽花のような人間で、いじめを受け、誰にも頼ることのできない学生生活を送っていました。

そんな時に、界が現れ、彼女を救ってくれたわけですが、彼女と界の関係は言わば一方通行になってしまったんですよね。

「相互依存」ではなく、芹奈が界に依存するだけで、界は芹奈に「頼れない」という歪な関係になってしまい、それが破綻へと繋がりました。

この前提があるからこそ、界に手を差し伸べ、頼られる存在になった羽花のヒロイン性が際立ち、物語のフィナーレで界と結ばれる正当性が生まれているのです。

「誰かに手を差し伸べられること」は確かに大切ですが、それと同じくらい「誰かに手を差し伸べて欲しいと言えること」は大切であり、『ハニーレモンソーダ』の主眼は間違いなく後者にあります。

©2021「ハニーレモンソーダ」製作委員会 ©村田真優/集英社

「自立」とは何かを問い直し、少女マンガの王道を踏襲しながらも、それを脱構築し、そのフィナーレで新しい地平を切り開く、意欲的な「新しい青春映画」のカタチを見たような気がしました。



おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『ハニーレモンソーダ』についてお話してきました。

ナガ
正直、当ブログ管理人の独断と偏見ですが、今年の年間ベスト映画TOP10に入る出来栄えだと思います!

少女マンガの実写版と侮るなかれな挑戦的な内容ですし、山戸監督が世に送り出した『溺れるナイフ』『ホットギミック』の流れを受け継ぐ映画の1つと言えるでしょう。

連載漫画のエピソードを再構築して、前半と後半で「鏡像」になる構成に仕上げてきた脚本の力にも驚かされました。

また、前述したように、主演を務めたラウールさんのポテンシャルには何か計り知れないものを感じます。

あれだけ洗練された風貌と大人びた雰囲気を持っているのに、17歳ゆえの不完全さや未熟さを確かに併せ持っていて、その歪さを役に還元できているんですよね。

ナガ
完全であり不完全。成熟していて、未熟。唯一無二の存在感ですよね…。

Snow Manというグループでの彼については詳しくないですが、今後も映画やドラマに出演するのであれば、継続的に追いかけていきたい1人になりました。

ナガ
2021年のベスト映画を決める前に、『ハニーレモンソーダ』いかがでしょうか?

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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