映画『思い、思われ、ふり、ふられ』ネタバレ感想・解説:劇伴音楽と光の使い方のディテールに惚れた

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『思い、思われ、ふり、ふられ』についてお話していこうと思います。

ナガ
三木監督の青春映画はやっぱりいいなぁ…。

今年1番期待していた映画の1つなのですが、期待に違わず素晴らしい作品でした。

原作は残念ながら未読なのですが、咲坂伊緒さんの原作は『アオハライド』『ストロボエッジ』の方は読んだことがありますし、好きでした。

今回はメディアミックスということで、実写映画版とアニメ映画版が同時期に公開されるという試みのようです。

ただ、当ブログ管理人個人としては、浜辺美波さんと北村匠海さんが出演しているということもあり、実写版の方を楽しみにしておりました。

ナガ
キミスイの2人だよね!

特に予告編を見た時に、浜辺美波さんの光を失ったような表情には思わず吸い込まれそうになりました。

これまでは透明感のある清純派女優の域を出ていなかったようにも思いますが、徐々にその演技に凄みのようなものが出てきたように感じます。

そんな彼女の演技も素晴らしかったのですが、本作は劇伴音楽や照明といった映画的要素が傑出した出来栄えでした。

今回はそんな本作について自分なりに感じたことや考えたことを綴っていきます。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




映画『思い、思われ、ふり、ふられ』

あらすじ

中学生の頃、理央は同級生で好意を寄せていた朱里に告白をしようと、公園に呼び出す。

しかし、その日朱里の母親と理央の父親が再婚を決断したことを告げられ、2人は義理の兄弟となることとなった。

朱里はこの時、家族を失わないために彼からの告白の予感に気がつかなかったふりをし、理央は伝えようとしていた思いを胸にしまう。

高校生になった2人は、母親に心配をかけないためにも何とか「普通の兄弟」として振舞おうとしていた。

ただ理央は、あの時伝えられなかった好意を何とか伝えたいと考えていて、雨の日の帰り道に思わずキスをしてしまう。

動揺した朱里は明確な言葉で彼を拒絶し、彼は自分がフラれたという事実を受け入れる。

そんな彼に好意を寄せる恋愛に奥手な由奈

彼女の幼馴染で映画監督になることを夢見ている和臣

それぞれが悩みを抱え、言いたいことを、伝えたい思いを表に出せない中で、もがきながらそれぞれの未来を選択していく…。

 

スタッフ・キャスト

スタッフ
  • 監督:三木孝浩
  • 原作:咲坂伊緒
  • 脚本:米内山陽子 三木孝浩
  • 撮影:柳田裕男
  • 照明:宮尾康史
  • 編集:坂東直哉
  • 音楽:伊藤ゴロー
  • 劇中音楽:小瀬村晶
  • 主題歌:Official髭男dism
ナガ
三木孝浩監督は日本青春映画の旗手と言っても過言ではないですね!

『先生!』『坂道のアポロン』など毎年のようにマンガの実写化映画を担当し、素晴らしい青春映画を作り出している三木孝浩監督の最新作となります。

脚本を三木孝浩と共同で米内山陽子さんが手掛けていますね。

撮影・照明には映画『ちはやふる』シリーズ『君の膵臓をたべたい』でも知られる柳田裕男さん、照明には宮尾康史さんの2人が起用されています。

編集には、『青空エール』『君は月夜に光輝く』のさんがクレジットされました。

劇伴音楽を手掛けたのは、伊藤ゴローさんと小瀬村晶さんで、彼らが本当に素晴らしい仕事をしてくれています。

ちなみに主題歌は、Official髭男dismの『115万キロのフィルム』となっていますね。

キャスト
  • 山本朱里:浜辺美波
  • 山本理央:北村匠海
  • 市原由奈:福本莉子
  • 乾和臣:赤楚衛二
  • 我妻暖人:上村海成
  • 亮介:三船海斗
  • 乾聡太:古川雄輝
  • 朱里の母親:戸田菜穂
ナガ
やっぱり北村匠海さんの演技は大好きですよ…。

北村匠海さんの陰のある表情が素晴らしくて、今作のような内面に葛藤を抱えているキャラクターを演じると抜群に巧いですよね。

また、冒頭にも書きましたが、浜辺美波さんの演技はこれまでとは異質に感じられましたし、一気に凄みが出た印象を受けました。

2人以外のキャストでも福本莉子さんや赤楚衛二さんなど、若手の気鋭の面々が目立ちますね。

ナガ
ぜひぜひ劇場でご覧ください!



映画『思い、思われ、ふり、ふられ』感想・解説(ネタバレあり)

劇伴音楽の使い方の巧さ

(C)2020映画「思い、思われ、ふり、ふられ」製作委員会 (C)咲坂伊緒/集英社

まず、本作の最大の魅力の1つはその劇伴音楽の使い方ではないでしょうか。

トラック表を以下に引用してみますね。

1 メインタイトル 1:32
2 思い、思われ、ふり、ふられ “恋愛論 ピアノver.” 1:29
3 第1結晶化 1:11
4 理央の秘密 1:36
5 四者四様 1:54
6 降り出した雨 0:53
7 由奈の告白 1:37
8 出来なかった告白 ~ 理央 2:04
9 落ちてく携帯 0:21
10 出来なかった告白 ~ 朱里 2:55
11 第2章 図書室 2:58
12 夏祭り 1:40
13 夏祭り 朱里 1:37
14 朱里 ありがとう 2:04
15 思い、思われ、ふり、ふられ もう一度。 1:39
16 思い、思われ、ふり、ふられ テーマ スロー 2:03
17 クリスマス 0:43
18 同士だね 4:27
19 和臣の現実 0:39
20 いつも周りに気を遣う 2:27
21 友情 3:13
22 朱里からのプレゼント 1:14
23 思い、思われ、ふり、ふられ “Region 4.0” 2:20
24 思い、思われ、ふり、ふられ メインテーマ

(『思い、思われ、ふり、ふられ』オリジナルサウンドトラック)

ナガ
上記のオレンジ色に着色したトラックに要注目です!

これらはトラック名が同じになっていて、それぞれが同じ旋律で、別アレンジの劇伴音楽なんですよね。

映画をご覧になられた方はお分かりいただけると思いますが、今作はシーンによって同じ旋律で異なるトーン、アレンジの劇伴を使い分けているのです。

登場人物たちが悩樹や葛藤を抱え、踏み出せないでいる状態の時には、抑え目なトーンのものを使用しているのですが、一方で物語が動き出すと微妙にアレンジが異なるものに変化します。

例えば、由奈理央に告白した付近のシーンでは、明確にそれまでに使われていたメインテーマよりも明るい印象を与える劇伴に変化しました。

また文化祭で2人の思いが通じ合ったシーンや、終盤に朱里和臣に本心を告げることができたシーンでは、ストリングスも含む壮大さを孕んだ劇伴になっており物語の山場であることが強調されていたと言えます。

劇伴音楽は物語を彩る上で重要なものですが、このように同じ旋律のメロディを少し印象を変えて反芻させることで、閉塞感とそしてその打破を見事に表現していました。

 

照明と自然光が作り出した靄ががった映像

今作『思い、思われ、ふり、ふられ』の映像は、基本的に白色光と自然光によって支えられているのですが、その淡さが映像全体に靄をかけているようでした。

その映像が作り出すのは、柔らかく明るい印象であると共に、周囲の形式が霞み、登場人物たちが自分の行くべき場所を見失っているかのような閉塞感でもあります。

ナガ
三木監督の作品では『先生!』なんかでもこの淡い照明の使い方が特徴的でしたね!

晴れの日の昼間のシーンでは白色系の光が映像を支配し、雨の日には映像のトーンが1段階暗くなり、そしてその他のシーンは夜の闇が画面全体を包み込みます。

天候や時間帯を自由自在に操ることで、登場人物の置かれている状況や感情を見事に表現していますし、語らずとも可視化することに成功していました。

また、登場人物の目に映る光という視点で見ても、象徴的なシーンがたくさんありましたね。

予告編でも登場した朱里和臣にカメラを向けられたシーンでの、彼女の目を見てみると、その光が失われていることに気がつきます。

(C)2020映画「思い、思われ、ふり、ふられ」製作委員会 (C)咲坂伊緒/集英社

その一方で、終盤に朱里が心からの本心で告白する際には彼女の目には光が戻っており、その目は自分の本心を伝えられたことの喜びと未来への期待に満ちているように感じられました。

そして、物語はクライマックスへと向かい、突如として画面を包んでいた靄が晴れることとなります。

淡い色が支配していた映像に突如として赤々と輝く朝日が顔を出し、そして画面全体がくっきりと見えるようになるのです。

こうした光の使い方の巧さが、本作の映像的な魅力にも繋がっていたと言えるでしょう。



何気ない風景を輝かせる

(C)2020映画「思い、思われ、ふり、ふられ」製作委員会 (C)咲坂伊緒/集英社

公式サイト等を読んでいると、本作のロケ地が神戸であることが明かされています。

ただ、ハーバーランドやポートタワーといったいわゆる「観光地」は登場しないし、どこにでもあるような街や公園の風景が連続するのです。

これについて本作の制作陣は次のように語ったそうです。

神戸らしい観光地は登場せず、ロケ地は市営地下鉄西神・山手線の沿線や地元の人しか知らないような公園など、一味違う場所ばかり。関係者は「何でもない風景がまるで違って見える映画のマジックを感じてほしい」と語る。

神戸新聞より引用)

良い映画作品って、その映像の中に映る風景が「どこでもない場所」であっても魅力的に見せてくれるものだと思っています。

とりわけ今回の『思い、思われ、ふり、ふられ』はそうした何気ない日常の風景の描写の仕方が抜群に巧いのです。

例えば、由奈理央に思いを告げた、路地裏のレンガ造りの一角なんて普通に歩いていると何でもないような場所なのでしょうが、映画というフィルター越しに見るとキラキラとしていて、何だか特別な場所に見えてくるんですよ。

作品の中盤のお祭りのシーンにしても、普通であれば花火を見せたりするのが定番だと思いますし、そういった視覚的に映えるシーンに物語の局面を配置するのが鉄則でしょう。

しかし、今作のお祭りのシーンで物語が動くのは、誰もいない屋台の裏の神社の御手水のある場所であり、本当に何でもない場所なのですが、それすらも魅力的に見せてしまうのです。

また本作において重要な場所であり、ラストシーンにも選ばれた公園も作品を見ると、「行ってみたい」と思わせてくれるものですよね。

ナガ
そう思わせてくれるのは、あの1つの場所のいろいろな表情をこの映画が内包しているからかもね!

例えば、冒頭の理央が告白のためのメールを朱里に送ったシーンでは雨が降っていました。

一方で朱里和臣と語らうシーンでは、あの公園は夜であることが多く、その一方でラストシーンでは朝焼けの時間帯が採用されています。

このように1つの「空間」を違った表情で繰り返し観客に提示していくことにより、何気ないその風景がすごく魅力的に見えるのでしょう。

 

なぜ、『マットマックス 怒りのデスロード』なのか?

作中で、和臣がレンタルビデオショップでDVDを借りてきてそれを理央と一緒に鑑賞するシーンがあります。

その作品こそが映画ファンでは名作と名高い『マッドマックス 怒りのデスロード』なんですよね。

作品を表面的に見ると、監督やスタッフの趣味かな?と思われがちですが、実はこの作品のチョイスにも重要な意味が隠されています。

というのも、『マッドマックス 怒りのデスロード』「行って帰って来る」物語なんです。

イモータン・ジョーという絶対的な支配者のテリトリーで抑圧された生活を強いられている者たちが、どこか自分たちが幸せに暮らせる場所があるだろうと、「ここではないどこか」を求めて飛び出します。

しかし、旅の中で「ここではないどこか」はどこか遠くにあるものではなく、自分たちが元々暮らしていたあの場所にこそあるのだと気がつき、イモータン・ジョーと戦いながら帰還し、そこで新しいくらいを手に入れるのです。

このプロットラインが実は、『思い、思われ、ふり、ふられ』にすごく通じていると思います。

いつも「ここではないどこか」を遠くの世界に夢見ながら、そんなものは存在しないと諦めかけていた彼らが、紆余曲折を経て、今自分たちが立っているこの場所にも「ここではないどこか」があるのだと気がつく物語だからです。

一見、作品には関係のない小ネタ的なモチーフに思える『マッドマックス 怒りのデスロード』が実は今作のプロットに大きく関係しているんですね。

 

「大人のふり」を止める選択をする青春譚

基本的に青春映画の結末というものは、ある種の「子ども時代」の終わりが強烈に印象づけられることが多いのです。

しかし、今作『思い、思われ、ふり、ふられ』はむしろ「大人のふり」をして青春を達観していた子どもたちが、青春の真っただ中にいる「子ども」としての自分を受け入れる物語と言えるのかもしれません。

その中心にいたのは、朱里和臣でしょうか。

朱里はいつだって自分の意志よりも、家族の関係性が存続することを強く願っており、自分の本心を他人に伝えることができずにいます。

また、恋愛においても自分と同じ思いを相手が抱いていないと分かると、本心を隠して、今まで通りに振舞おうとするようなところがありますよね。

彼女は、自分を傷つけないために、そして周囲の人間関係を変えないために、自分が犠牲になろうとするわけです。

和臣は、映画監督になりたいという夢を持っていますが、兄が役者を志したことで両親がぎくしゃくしているのを間近で見てきており、それが原因で自分の夢を隠しています。

また、彼も恋愛において、朱里理央の関係性を壊さないために、自分の思いを犠牲にするという選択をしました。

この2人はいつだって、誰も傷つけないために、自分が傷つく選択をしてきたわけです。

そうやって妙に「大人びた」2人は、まだ自分が「子ども」であるにもかかわらず、達観しており、大人の都合というものを自分を殺して受け入れています。

そんな「大人のふり」からの卒業というのが朱里和臣の物語の中心にあるものなのでしょう。

 

王子様への憧れからの脱却と成長

(C)2020映画「思い、思われ、ふり、ふられ」製作委員会 (C)咲坂伊緒/集英社

一方で由奈理央の物語は、王子様への憧れからの脱却という印象が強いものとなっています。

由奈『眠りの森の美女』のようなストーリーに憧れており、そこに登場する王子様にそっくりな理央に好意を寄せるようになるわけです。

奥手な彼女は、自ら告白するというビジョンを持つことができず、行動を起こすことができません。

それでも、理央に促され、自分の思いを表に出すことができました。

そんな行動をきっかけに彼女は、何かを「待っている」だけの存在から、自ら行動を起こし、他者に働きかけられるような人間へと成長していきます。

象徴的だったのは、彼女に好意を持ち、自ら告白をしてきてくれた同級生を「ふった」ことでしょうか。

消極的で、受け身的な彼女であれば、何となくその好意を受け入れていたかもしれません。

しかし、理央に対する思いを明確に自覚している彼女は、その意志を強く持って明確に断りを入れるわけです。

「待つ」ことを止めて、自ら彼を探した由奈は、『眠りの森の美女』の再現化のようなシチュエーションで再会を果たします。

ナガ
ただ、その場面に込められたコンテクストは大きく異なりますよね!

憧れて待つだけだったヒロインが、自ら行動を起こし、恋愛を成就させるわけです。

咲坂伊緒さんの作品はいつだって登場人物を恋愛を通じて、人間としても成長させていく印象が強いですが、今作はその1つの完成形と言えるのかもしれませんね。



「ふられる」ことと好きを「やめる」ことの違い

今年鑑賞した今泉監督の『mellow』がまさしく片思いを題材にしていた作品でした。

この作品が描いたのは、片思いを打ちあけることなく、自分の中からふわっと消してしまったら、自分が一番悲しい思いをするということでした。

思いを告げた結果、それが受け入れられなかったという主体的な失恋と、思いを告げることを諦めた結果、成就しなかった受動的な失恋では、その性質が決定的に異なります。

本作『思い、思われ、ふり、ふられ』もそんな恋愛における受け身的な姿勢から主体的な姿勢への成長を描き、それが人間的な成長にも寄与するという構図をとっていました。

今作の4人のキャラクターたちはそれぞれの都合で、自分の本心を打ち明けることができずにいます。加えて意中の相手に思いを伝えられずにいるのです。

それは内気な性格によるものだったり、相手が他の人を好きだと分かっているという状況によるものだったり、様々な事柄に起因しています。

ただ、彼らは何となくそういった事柄に理由を求めることで、自分の「好き」をふわっと消してしまうことを正当化しようとするんですよ。

しかし、思いを表に出さないまま消してしまうと、自分の後悔が募るだけですし、いつまでもその思いを引きずって前に進めなくなってしまいます。

だからこそ、主体的に失恋する覚悟が必要なのだと思いますし、由奈のそのための選択がこの物語を動かす最初のきっかけになったのは必然でしょう。

忘れて欲しくなんてなかった。忘れたくなんてなかった。

好きを「やめる」ことは確かに誰かのためにはなるかもしれません。しかしそれはどこまでも自分のためにはなりません。

本作は、そうして2つの失恋の特性を対比的に描くことに成功していましたし、主体的な失恋が突き動かす物語になっていたのではないでしょうか。

 

「ここではないどこか」は確かに存在する

そして、2つの物語を繋ぐ結末として用意されたのが、「ここではないどこか」に彼らが辿り着く予感を漂わせるラストシーンでしょう。

(C)2020映画「思い、思われ、ふり、ふられ」製作委員会 (C)咲坂伊緒/集英社

先ほど、ロケ地の話をしていた時に、本作は同じ場所が天候や時間帯を変えながら反芻するように登場することを指摘しました。

また、照明の際に白色系の照明や自然光で靄がかかったような映像は、閉塞感を強調しているということもお話しましたよね。

そうした演出が、本作から「空間の広がり」を喪失させている点は注目すべきポイントです。

学校、同じような風景の街、自宅、公園と特定の空間がひたすらに反芻され、その限定された空間の中で物語が展開されることにより、本作はすごく「閉じた」印象を与えるんですね。

ナガ
ただ、それは登場人物たちの心情を風景に投影したものと言うこともできるでしょう。

由奈は、自分が意中の相手に告白しても迷惑なだけだ、言葉にしても無駄だと、「変化」を拒むような一面がありました。

一方の理央も自分の置かれた状況を「仕方ない」と諦念を持って受け入れ、朱里との関係の発展を諦めている節がありました。

朱里和臣も常に自分の望みよりも、場や関係を維持することに固執し、自分の本音から目を背けてきた人間です。

とりわけ和臣は夜の公園で朱里に「ここじゃないどこか」は存在していなかったという旨を伝えました。

それは2人にとって青写真や未来への希望的な観測を諦め、今自分が置かれている状況に適応して、自分を殺して生きるしかないという緩やかな絶望にも思えます。

そんなどこにも行くことができない4人が由奈の告白によって確かに変化していきます。

彼らは閉塞した現状を打破することを望み、それぞれに変化する道を選択していくのです。

そうして、彼らはラストシーンで朝日が昇る公園に立ち、街の風景を見下ろします。

このシーンで、一気に風景ないし空間が広がり、先にも指摘したように画面を包み込んでいた淡い靄が取り払われました。

どこにも行けないと思っていた彼らが、何者にもなれないと思っていた彼らが、確かにそんな不確かで、そして独善的な青い自分の願望をどこまでも信じてみたいと思えたのです。

だからこそ、今作はやはり青春真っただ中にいながら、「大人のふり」をする彼らにある種の「子どもらしさ」を取り戻させる物語と言えるでしょう。

彼らは「大人」になるには、まだ少しだけ早いのですから。



おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『思い、思われ、ふり、ふられ』についてお話してきました。

鑑賞する前は、『ハチミツとクローバー』のような全員片思い系の作品かと思っておりましたが、それとは少し雰囲気が違っていましたね。

物語の作りは比較的ありがちではありますし、脚本やストーリー構成は優れているとは言えません。

全体的にダイジェスト感が強く、物語のクライマックスが分散していることもあり、由奈理央が結ばれた後は顕著に失速しているように感じられました。

ただ、それでも映像面が非常に優れており、アッと言わせるような画が何度も登場したように思います。

とりわけ北村匠海さん演じる理央が、由奈に自分の好意のベクトルは秘密だぞ!と言わんばかりに人差し指を口元に充てるシーンの破壊力は尋常じゃなったですね。

(C)2020映画「思い、思われ、ふり、ふられ」製作委員会 (C)咲坂伊緒/集英社

キャストのファンは絶対に見ておいて損はない一本でしょう。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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