【ネタバレ考察】『バケモノの子』の前半が細田守最高傑作である5つの理由を解説

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね7月に細田守監督の最新作である『未来のミライ』が公開されるということで、彼の前作である『バケモノの子』についてお話していけたらと思います。

よくよく考えたら、私が初めて映画館で2回見た作品って『サマーウォーズ』なんですよ。

当時中学生だったんですが、なけなしのお小遣いで映画館に足を運びました。ですので、細田守監督の作品にはすごく思い入れが強いんですよね。

そして今回紹介する『バケモノの子』は前半部分に関しては、他の追随を許さないレベルで彼の最高傑作だと思っています。後半に関しては脚本が空中分解してしまっていますが・・・(笑)

あらすじ・概要

「おおかみこどもの雨と雪」細田守監督が同作以来3年ぶりに送り出すオリジナル長編アニメーション。

渋谷の街とバケモノたちが住まう「渋天街(じゅうてんがい)」という2つの世界を交錯させながら、バケモノと少年の奇妙な師弟関係や親子の絆を描く。

脚本も細田監督が自ら手がけ、声優には、渋天街のバケモノ・熊徹に役所広司、人間界の渋谷から渋天街に迷い込み、熊徹の弟子となって九太という名前を授けられる主人公の少年に宮崎あおい(少年期)と染谷将太(青年期)、ヒロインとなる少女・楓に広瀬すずと豪華キャストが集結している。

第39回日本アカデミー賞の最優秀アニメーション作品賞を受賞。

映画comより引用)

『バケモノの子』の前半部分が素晴らしすぎる5つの理由

さてここからは映画『バケモノの子』の前半部分がなぜ映画として素晴らしいのかということを5つのポイントに分けてお話していけたらと思います。

最高のビースト・ミーツ・ボーイ

(C)2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS

こういう「出会い」が物語をスタートさせるきっかけとなる作品において如何にしてそのシーンを魅力的に演出するのかという点は非常に大切です。

ただ、『バケモノの子』に関してはその辺りが完璧です。親族からは「跡取り」としか見られず、そして1人彷徨う大都会の喧騒の中でも誰にも顧みられず、世界から隔絶されているかのようにポツンと佇んでいます。

そんな人間の世界で顧みられない1人ぼっちの存在の九太が、バケモノの世界のはぐれ者と出会うあのシーンがやっぱり何度見ても素晴らしいですね。まさに1人ぼっちが1人ぼっちと出会う最高のビースト・ミーツ・ボーイです。

家族になるまでのイニシエーション

私が本作『バケモノの子』の中でも特に大好きなのは、九太と熊徹が家族になるまでの一連のシークエンスなんですよね。短い時間でありながら、このプロセスを非常にスムーズに描いている点がこの映画のアドバンテージです。

まず、大切なのは猪王山が熊徹と戦っている時に、熊徹を応援してくれる人がいないことです。それを見て、九太は彼が自分と同じ境遇に置かれていることを悟るんですよね。

だからこそ九太はそんな熊徹に自分を重ねて思わず応援してしまう。ここで初めて2人の物語が交錯します。この瞬間の演出がやっぱり上手いですよね。

そしてさらに上手いのが、その後の九太が熊徹の弟子になることを決めるシーンです。九太は「こんなもの食べられない」と断言していた卵かけごはんを頬張ります。

細田守監督は『サマーウォーズ』でも食事のシーンを「家族」と結び付けて印象的に演出していました。

そして今回もそれが活きてますよね。「同じ釜の飯を食う」ことが彼らが「家族」になるイニシエーションになるわけです。

不器用な父親の背中

この家族観は少し古臭いと言えば、古臭いんですが、それでも「家族」の映画としてこういう絆の深め方は良いですね。

映画は基本的に視覚志向のメディアです。だからこそ映像で九太と熊徹の親子関係とその絆の強まりに説得力を持たせる必要があります。

それを実現したのが、不器用な熊徹の設定と、彼の背中を見て学ぶ九太の姿ですよね。言葉にするのではなく「見る」ことが親から子に何かを伝えていきます。

熊徹はこれまで弟子も子供もいなかったために、何も教えてあげられることがないんですよ。そして戦い方を教えようにもどうやって教えたら良いかも分かっていません。

ただその背中を見て、確かに九太を育っていきます。そしてその親子関係を映し出した映像には不思議な説得力があります。彼らが言葉を超えた何かで親子として繋がっていくのが心の深くまで伝わってきます。

こういうことをサラッとやってしまうのが細田守監督の凄みでもありますね。

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季節を飛び越えるモンタージュの魅力

(C)2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS

ナガ
何度見てもこのモンタージュが心に突き刺さりますね。

この映画においてこのシーンが登場するのは、開始から40分とかそれくらいです。そしてこのシーンで一気に九太の年齢が9歳から17歳までジャンプアップしていきます。

稽古をしながら、徐々に熊徹の姿は老いていき、九太は歳をとっていきます。そして背景の季節はどんどんと移り変わっていきます。

短い時間で、一気に登場人物の時計の針を進めてしまうと、物語がどうしても薄っぺらくなってしまうんですが、この『バケモノの子』においてはむしろ物語に厚みが生まれていますよね。

それは熊徹と九太の関わりを冒頭から印象的に描いてきたからこそ、彼らが空白の8年間にどうやって暮らしていたのかが無限に想像できるんです。17歳になって九太が無事に成長し、強くなり、そして親に反抗するようになっています。その姿を見ただけで、2人がすごく良い親子関係を築いてきたことは明白です。

このように明白に描写しないことで、かえって見る人に様々な含みを持たせたこの演出が私は非常に好きなんですよね。

親離れと子離れ

そして物語の前半部の最後の最後で九太は熊徹から距離を取り始めます。そして人間の世界へと、楓という存在へと傾倒していくこととなります。これって極めて自然な子の親離れなんですよね。

それまでは親の庇護下で暮らしてきた子が、ある日突然親や家族というコミュニティを飛び出し、自分のコミュニティを持ち始める。そして親との関係を再構築していきます。

そんな自分の下から子供が離れていくことに嬉しさを感じながらも、寂しさをにじませる熊徹の姿が良いですよね。まさに2人が本当の親子のようになったことの証明でもあります。

普通の親子関係に起こる当たり前の様な関係性の変化を、極めて普通に熊徹と九太の間に介在させているのが、もうこれは巧い!!と言わざるを得ないわけです。

おわりに

いかがだったでしょうか?

これだけ『バケモノの子』の前半部分をべた褒めしましたが、それにしてもなぜこの傑作の予感しかしない前半からあのグダグダの後半が生まれてしまったんですかね(笑)

前半での世界観の説明や展開の仕方も最高に上手かったですし、伏線の仕込ませ方も巧妙でした。

ただそれを全然消化できなかったですよね。九太と熊徹の成長譚というそれだけで映画が作れてしまいそうなボリュームの内容をわずか1時間で濃密に描いたにも関わらず、後半1時間はまるでスカスカで、オチのつけ方もこの上なく雑です。もう過不足がありまくりで頭を抱えます。

しかし、『バケモノの子』の前半で見せた内容は細田守監督の1つの集大成であったと思いますし、彼がどんどんとアニメ監督として高みへと昇っていく姿が予感できるものでした。

だからこそ『未来のミライ』には期待してしまうんですよね。今作の前半レベルの内容を全編続けることが出来たなら、日本アニメ史に刻まれる名作になるはずです。

皆さんも7月は映画館で細田守監督最新作の『未来のミライ』を見ましょう。そして合わせて『バケモノの子』も金曜ロードショーで放送してくれるみたいなので、ご覧になってみてください。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

関連記事

また『未来のミライ』をネタバレありで徹底考察した記事も書いておりますので、良かったら読んで行ってくださいね。

本作『バケモノの子』に脚本協力として参加している奥寺佐渡子さんが脚本として参加された映画『コーヒーが冷めないうちに』の感想・解説もお読みいただけます。

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