【ネタバレ感想】「シェイプオブウォーター」解説・考察:ギレルモデルトロ監督の巧さが光る秀作だ!

アイキャッチ画像:(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「シェイプオブウォーター」予告編より引用

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画「シェイプオブウォーター」についてお話していこうと思います。

あのギレルモ・デル・トロ監督最新作!!!

米批評家レビューサイト”Rotten Tomatoes”で90%以上の批評家の支持を獲得!!!

ゴールデングローブ賞7部門ノミネート!!!

ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞!!!

アカデミー賞最多13部門ノミネート!!! 

こんなの期待しない人いますかね??(笑)

どうしても期待値が上がってしまいますよね。

ただ期待値を上げすぎたためか、この「シェイプオブウォーター」という作品、あまり自分の琴線には触れませんでした。

この映画がとんでもない作品だということは何となく分かるんです。作品を細かく見ていくとギレルモ・デル・トロ監督の「巧さ」が随所で光っていて、ここが批評家に高く評価される理由なんだろうなということは察しがつきます。ただ単純に退屈で、話に全く惹きこまれないんです。

これは完全に私の好みの問題ですね(笑)。昨年「ララランド」を見た時に全く同じ感想を抱いたのを思い出しました。映画批評的には素晴らしいんですが、だからと言って全然好きになれないんです。

そのため私個人の意見としましては、絶賛はしません。むしろこの映画は相当好みが分かれるのではないかと考えております。日本でも昨年の「ララランド」以上に賛否を巻き起こすことは間違いないでしょう。

今回は作品のモチーフの解説や詳しい考察なんかをしようと考えておりますので、ネタバレになるような内容を含んでいます。ラストシーンについての考察も最後に書いてみようと思いますので、その際は改めて明記します。

良かったら最後までお付き合いください。

スポンサードリンク




あらすじ・概要

 「パンズ・ラビリンス」のギレルモ・デル・トロが監督・脚本・製作を手がけ、2017年・第74回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したファンタジーラブストーリー。1962年、冷戦下のアメリカ。政府の極秘研究所で清掃員として働く女性イライザは、研究所内に密かに運び込まれた不思議な生き物を目撃する。イライザはアマゾンで神のように崇拝されていたという“彼”にすっかり心を奪われ、こっそり会いに行くように。幼少期のトラウマで声が出せないイライザだったが、“彼”とのコミュニケーションに言葉は不要で、2人は少しずつ心を通わせていく。そんな矢先、イライザは“彼”が実験の犠牲になることを知る。「ブルージャスミン」のサリー・ホーキンスがイライザ役で主演を務め、イライザを支える友人役に「ドリーム」のオクタビア・スペンサーと「扉をたたく人」のリチャード・ジェンキンス、イライザと“彼”を追い詰める軍人ストリックランド役に「マン・オブ・スティール」のマイケル・シャノン。(映画com.より引用)

予告編

解説:作品を彩る60年代の音楽とミュージカルたち

映画「シェイプオブウォーター」は60年代の冷戦期アメリカを舞台にしております。そのため、作中には60年代を彩った音楽やミュージカルが多く登場しています。

フランスのシャンソンアーティストであるゼルジュ・ゲンズブールが1962年に発表した「ラ・ジャヴァネーズ」は本作の予告編でも印象的な一曲でした。

La Javanaise
Serge Gainsbourg
Polygram
1992-07-29

 



1954年に「グレンミラー物語」として映画化されたアーティストグレンミラーの”I know Why”はイライザがアセットのいるラボでレコードで聞いていた楽曲ですね。

I Know Why
Great Music
2011-09-16



カルメンミランダが1941年に発表した”Chica Chica Boom Chic”はイライザとジャイルズが眺めていたテレビから流れてきました。。

 

 



他にも映画「避暑地の出来事」の主題歌であった”A Summer Place”のアンディ・ウィリアムズカバーも登場していました。

 

 



そして最も印象的だったのが、”You’ll never knows”ですよね。この楽曲はまさにイライザの心情と呼応する形で本編最大の盛り上がりとなるシーンで登場しました。

 

 



音楽ももちろん素晴らしかったのですが、ミュージカル映画も数多く登場し、作品に華を添えていました。

日本では知名度が低い”The Little Colonel”のタップダンス、”That night in Rio”の歌唱シーン、”Royal Wedding”などがイライザらが暮らしている部屋のテレビに映し出されていたのは印象的でした。

ただ最も印象的だったのはやはり「艦隊を追って」をオマージュしたとあるシーンですね。作品の一番の盛り上がりとも言えるシーンで登場しますので、要注目です。

他にも美しい音楽や60年代アメリカミュージカルの数々が作品に登場し、我々を楽しませてくれます。ぜひぜひ注目して見てください。

感想・解説:映画「シェイプオブウォーター」が凄い7の理由

様々な映画作品への言及

本作はギレルモ・デル・トロ監督自身の過去作品だけでなく、多くの過去の映画作品に言及しそれをオマージュという形であったり、それに対するアンチテーゼという形で取り込んでいます。今回は本作に関連性があるであろう映画をいくつかご紹介しようと思います。

「美女と野獣」

 



ギレルモ・デル・トロ監督はワーナーが主導していた実写版「美女と野獣」の監督を降板した過去があるんですね。そして自身も「美女と野獣」が嫌いだと明言しているんです。というのも彼は、野獣が最後に変身してしまっては、ただの美男美女のロマンスではないかという点を指摘しています。

そのため本作「シェイプオブウォーター」は彼がかつて実写版「美女と野獣」でやろうとしていたデルトロ流異類婚姻譚を見せてくれたように思います。

「大アマゾンの半魚人」

大アマゾンの半魚人 (2D/3D) [Blu-ray]
リチャード・カールソン
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2016-08-24

 



これはオマージュというよりほとんどそのまま設定を踏襲しているレベルですよね。まず本作に登場する魚人のアセットの造形は、この「大アマゾンの半魚人」のそれに酷似しています。また本作中でもアセットを南アメリカから連れてきたという旨が明かされていましたので、「シェイプオブウォーター」と「大アマゾンの半魚人」は非常にリンクが強いと思います。

The Space Between Us

2015年に公開されたSFショートフィルムなのですが、見れば見るほど「シェイプオブウォーター」に酷似していて、本国でもパクリなのではないかという指摘が相次ぎ、ギレルモ・デル・トロ監督自身も火消しの発言をしています。製作期間の違いなどがアリバイのようですが、ここまで似ていると疑いたくなってしまいますよね。

「シュレック」



これがどういった形でオマージュになっているのかは皆さんの目で確かめてみてください。まちがいなく影響を受けた作品の1つだと断言できます。

「マイフェアレディ」

マイ・フェア・レディ [Blu-ray]
オードリー・ヘプバーン
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2011-12-16



主人公の名前イライザは間違いなく、映画「マイフェアレディ」の主人公から取ったものですね。「シェイプオブウォーター」のテーマ性を考えても、これは非常に納得がいきます。

「砂漠の女王」

砂漠の女王 [DVD]
スチュアート・ホイットマン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2011-10-26

 



これは予告編でも登場するイライザとアセットが劇場にいるシーンでスクリーンに映し出されている映画です。ヘブライ聖書に登場するルツ記を元にして作られた映画といわれています。実はルツ記というのは異民族婚姻に関するお話なんです。この点については後ほど詳しく考えてみたいと思います。

「ヘルボーイ」

ヘルボーイ [Blu-ray]
ロン・パールマン
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2013-04-12

 



これはギレルモ・デル・トロ監督自身の作品です。本作のエリザベスとヘルボーイの関係性が本作のイライザとアセットの関係性に非常に似ていますし、なにより「ヘルボーイ」に登場するサイコメトリー使いの魚人は本作のアセットの設定に影響を与えているように思いますね。

「パンズラビリンス」

パンズ・ラビリンス [Blu-ray]
イバナ・バケロ
アミューズソフトエンタテインメント
2013-05-22

 



これもギレルモ・デル・トロ監督作品です。この「パンズラビリンス」に関しては、ファンタジーと現実(戦争時代が背景)の調和という観点で、非常に近似している作品です。ぜひとも「シェイプオブウォーター」と合わせて見ておきたい作品です。

時間と水、有限と無限の対比

これは非常に面白い演出だったと思います。本作のタイトルにも含まれている水と言うと、悠久なる時に流れ、永遠性を孕んだモチーフであることがしばしば指摘されます。

「シェイプオブウォーター」の作中ではこの時間を意識させる演出がすごく多いんですよね。例えば、主人公であるイライザの生活というのは、極端なまでにスケジュール化されています。起きる時間、そこからの朝のルーティーンはすべて時間に管理されているのです。茹で卵を何分茹でるのか。風呂場での自慰行為は何分なのか。

会社に設置されているタイムカードを切るシーンは何度も登場します。他にもイライザとジャイルズが時計を合わせるシーンも印象的でしたし、ストリックランドやホフテストラーはしきりに上司から「時間」を突きつけられます(詳しくは展開の重大なネタバレになるので避けます)。

しかし、ここに変化をもたらすのがアセットという存在なのです。彼に心惹かれるイライザの生活は徐々に時間から解放されていきます。アセットとの出会いが彼女の生活を少しづつ変化させていくのです。毎日のゆで卵の数がいつもより多めになったり、バスに乗る彼女の表情が和らいだりと細かな機微に彼女の恋心の高まりが反映されています。

そして彼女が日々のルーティーンから解放される瞬間が訪れます。それはイライザが心を完全にアセットに許した瞬間でもあります。カチカチと定刻を刻む時計のスイッチを止めると、彼女はアセットのところへと向かいました。

このように人間という存在に「時間」という概念を付き纏わせることで、無限、悠久のモチーフたる水を司るアセットとのコントラストを明確にし、「時間」からの解放でもってイライザの彼への思いを上手く表現しているのです。

この演出は非常に見事でしたね。素晴らしかったと思います。

“dry for wet”で撮影された水中のシーン

IMG_0521
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「シェイプオブウォーター」予告編より引用

dry for wetという日本の初代ゴジラの映画でも使われた撮影手法が、本作「シェイプオブウォーター」でも用いられたことが話題になっています。

これが印象的に用いられたのが、本作のオープニングシークエンスです。水で満たされたイライザのアパートの部屋が映し出されるシーンなのですが、これは実際の水の中で撮影したわけではありませんし、全てCGで再現したというわけでもありません。

スモークと風、そして光の演出によってまるで水の中にいるかのような光景を作り上げ、それをカメラに収めた上で、編集段階でエフェクトを加えて、本物の水の中のような質感を演出しているわけです。

CGで作り出した水とはまた一味感触の違った、包み込むような温かみを孕んだ質感が出ていて、本作の主題である「水」の演出としてはこの上ないものになっていると感じました。

常識を打ち破る異類婚姻譚

IMG_0518
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「シェイプオブウォーター」予告編より引用

まずそもそも異類婚姻譚とは人間と人間とは異種の存在が結婚する(恋愛関係になる)物語のジャンルを総称する言葉です。映画「シェイプオブウォーター」ももちろんこのジャンルに分類されます。

異類婚姻譚において大きな問題は人間と異類が結婚(または恋愛)をするということに関してです。そのため婚姻が破綻するケースが非常に多いのです。その原因は、察しの通りで一方が「異類だから」です。それが発覚することで恋愛関係や結婚関係が破綻に向かうケースが非常に多いのです。

例えばフランスの伝承である蛇女メリュジーヌの伝説は非常に悲劇的です。彼女は異類であるがために結婚生活が立ち行かなくなってしまいます。ドイツの「ウンディーネ」もまた同じくで、水の精ウンディーネは自身が異類であったためにフルトブラントとの結婚生活が徐々に上手くいかなくなります。日本の説話である「蛙女房」なんかもこのケースに当てはまります。嫁に来た蛙の正体が蛙であったがために夫は彼女を拒否してしまいます。

一方で男性が異類の立場にある説話だと、結婚(恋愛)が上手くいくケースが多いのです。というのも男性のケースでは初めから異類の姿であることがしばしばです。先ほど紹介した「美女と野獣」ももちろんその一つです。アルバニアの「蛇婿」、日本の「たにし息子」、韓国の「蟾息子」のような説話は総じて男性が初めから異類の姿でありながら、嫁を娶るという何とも奇妙なストーリーとなっています。さらには、この3作品は総じて異類が人間の姿になるという展開が待っているのも面白い点です。

これらの作品で、女性が異類である男性のところに嫁に行くという展開は極めて説得力や根拠に乏しいんですよね。理由が描かれていなかったり、描かれていたとしても「神のお告げ」ですとか「神のご意志」といった曖昧な観念的な理由で片づけようとしています。

では「美女と野獣」はどうなのか?と言いますと、この作品は確かにベルが野獣に惹かれる理由を明示してはいますが、野獣の側には利害が存在しています。その点で純粋とは言い難い上に、野獣が元の姿に戻ると結局は美男なんですよね。その点で異類婚姻譚としても弱いと考えています。

では、ギレルモ・デル・トロ監督の「シェイプオブウォーター」に話を戻しましょう。この作品は異類婚姻譚としては極めて様式美的ではあるのですが、その根底に強いアンチテーゼが込められています。

言葉が話せず、容姿的にも際立った美人というわけではなく、比較的地味な見た目の主人公イライザ。人間の視点で言うなれば「醜い」容姿であり、最後まで人間の姿に変身したりはしない魚人のアセット。さらに2人の間で通じる言語はごく限定的なものです。

つまりこの2人が恋愛感情に惹きこまれていくのは、まさに「水」のように形の無い愛ゆえなんですよね。2人の間には利害関係が存在していません。容姿の美醜も関係ありません。コミュニケーションが明確に取れているわけでもありません。

そんなイライザとアセットの間に生まれた愛は言語化することはできないでしょう。しかし、ギレルモ・デル・トロ監督はそれを本作において可視化することに成功しています。「シェイプオブウォーター」が描き出したのは、これまでの異類婚姻譚への壮大なアンチテーゼたる究極の「愛」だったのです。

ヘブライ聖書ルツ記との関連

IMG_0511
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「シェイプオブウォーター」予告編より引用

ルツ記の概要は以下の通りです。

 ユダのベツレヘム出身者であるエリメレクは、妻であるナオミと二人の息子を伴ってモアブの地に移り住んだ。二人の息子はその地の娘達と結婚するが、やがてエリメレクはその妻ナオミを、二人の息子達もそれぞれの妻オルパとルツを残したまま死んでしまう。そこでナオミは夫の故郷ユダに帰ることを決意し、息子達の寡婦となった二人に対し、それぞれの故郷に帰るようすすめる。しかし、ルツだけはナオミのそばにいることを望み、こうして二人はエリメレクの故郷、ベツレヘムへと帰郷した。
Wikipediaより引用)

言うまでもなく、ルツはモアブ人です。一方のエリメリクはイスラエル人であり、当然彼女の故郷であるベツレヘムもイスラエルの国にあります。つまりルツがイスラエルに行く理由はそもそも存在していないわけです。さらにルツはモアブ人でありながら、イスラエルの婚礼の制度たるレビラト婚に従ってイスラエル人のボアズと結婚します。

ただ「シェイプオブウォーター」で取り上げられているのは、とりわけルツと義母のナオミの関係性です。ルツはイスラエルに行けば「異種」の存在になってしまいます。しかし、彼女はそれでもナオミと共にベツヘレムへ行きたいと願ったのです。これも一種の愛だと思います。

一方で「シェイプオブウォーター」のアセットも自分が人間の世界では異種であることを悟りながらも、愛するイライザと共にラボから出たいと望みました。そしてイライザはそれを受け入れ、共にラボから逃げ出しました。さらにここでは言及を避けますが、このルツ的な愛とナオミ的な受容の関係が成立しているシーンがもう1つ登場します。

ルツ記を元にして作られた「砂漠の女王」がイライザの家の下の映画館で上映されていたこと、それをアセットが見ていたこと。本作を見終えると、これが実は非常に重要なキーポイントだということに気がつかされると思います。

ギレルモ・デル・トロ監督十八番たるファンタジーと現実の融合

IMG_0512
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「シェイプオブウォーター」予告編より引用

ギレルモ・デル・トロ監督の代表作と言いますか、一番好きな作品と聞かれると個人的には「パンズラビリンス」を真っ先に挙げますね。

 

 



この作品はスペイン内戦時代を舞台にしていて、現実で悲劇的な生涯を遂げる1人の少女と彼女が空想の世界に救いを求める姿を描いた名作中の名作といえます。

この作品で特に傑出しているのが彼のファンタジーと現実を1つの作品の中で融合させてしまう技術なんですね。ファンタジーの要素と現実世界での展開が密接に関わり合っていて、どちらが欠いても成立しない作品になっていますし、なにより終盤に現実がファンタジー世界に、ファンタジー世界が現実に干渉を強めていき、物語が終局に向かう様もギレルモ・デル・トロ監督にしかできない業でしょう。

そして迎えるエンディング。ファンタジー世界からの視点で見るのか、現実世界からの視点で見るのか。どちらの視点から見るのか次第で解釈がぱっくり割れる結末を導き出しています。作品内でファンタジー世界と現実世界が互いに依存していながら、独立しているという奇妙な矛盾を孕んだ状況を矛盾なく成立させるというまさに神業と言える手腕を如何なく発揮しています。

そんな「パンズラビリンス」で魅せたファンタジーと現実の融合を彼は「シェイプオブウォーター」でも如何なく発揮しています。この点についてはネタバレ有で後ほど詳しく解説を加えますが、まさにギレルモ・デル・トロ監督にしかできない世界観と物語だったと思います。

ぜひ「シェイプオブウォーター」と合わせて、「パンズラビリンス」を鑑賞していただきたいですね。

*ここから本編の展開に関わるネタバレを含みます。




*ここから本編の展開に関わるネタバレを含みます。

緑色と赤色。それぞれの色が演出した真実と欺瞞。

本作を見ていて、誰もが目に留めるのが緑色と赤色の演出かと思います。それぞれの色のモチーフは作中に数多く登場しています。

ではまずそれぞれの色のモチーフをリスト化してみようと思います。

<緑色のモチーフ>


(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「シェイプオブウォーター」予告編より引用

  1. イライザの服(アセットへと性行為を経験するまで)
  2. キーライムパイ
  3. ジャイルズが描いた修正後のポスター
  4. ストリックランドが幼少のころから愛しているキャンディー
  5. ストリックランドの壊死した指
  6. ストリックランドのキャデラック(ティール)
  7. アセット

<赤色のモチーフ>

IMG_0519
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「シェイプオブウォーター」予告編より引用

  1. イライザの服(アセットとの性行為後)
  2. ストロベリーパイ
  3. ジャイルズが最初に描いたポスター

代表的なものを挙げるとこのようになっていると思います。本作中で緑色に関する言及があったのを覚えていますか?ジャイルズがポスターの持ち込みをした際に取引先の人から「緑色は未来の色なんだ。だからポスターの家族の服の色を緑色にしてくれ。」と言われていましたよね。結果的に緑色のポスターが採用されることはありませんでした。

さらにストリックランドがキャデラックを購入する際に店員から「緑色(ティール)は成功した人を象徴する色」なんて言われていましたよね。しかしですよ、車の塗装の色が成功を示すなんて、所詮は空虚な欺瞞に過ぎません。

ストリックランドがラボの部下にキャデラックを「緑色」だと言われた際に、「ティールだ」と弁解するシーンも色の持つ意味を考えた時に一層際立ちます。本作中で緑色には欺瞞が付き纏っています。つまり彼にとって「緑色」のキャデラックは仮初めの成功を意味していたのかもしれません。だからこそそれを否定したかったのでしょう。自分は真の成功者だと主張したかったのです。

このように本作では「緑色」には欺瞞、偽り、虚構といったイメージがついて回っています。対照的に「赤色」には真実、本心、心からの愛といったイメージが伺えます。

そう考えるとこの色の演出は腑に落ちる部分が多いと思います。(個人的に)

まずイライザに関してですよね。彼女はアセットとの性行為を経験するまで緑色の衣類を身につけていることが多かったです。しかし行為後は赤色の服を着ることが多くなりました。通勤時も赤色の服を着るようになりました。これは彼女にアセットに対する偽りない心からの愛が芽生えたことを示唆しているように思います。

そしてジャイルズに関してですよね。まず注目したいのが彼の描いたポスターです。当初は彼が思うがままに、自分が傑作だと感じる絵を追求し、赤色の服を着た幸せな家族を描きました。その後取引先からの要望で不本意ながら緑色の服を着たバージョンを描き直しました。つまり前者が彼の本当に描きたいものであり、後者は欺瞞なのです。

またジャイルズに関して言えば、彼がゲイであること、近所のパイショップの店員に思いを寄せていることが重要ですよね。彼の部屋の冷蔵庫に緑色のモチーフであるキーライムパイが大量に保存されていましたが、彼は自分自身の思いに正直になれずにいました。そしてパイショップでストロベリーパイという赤色のモチーフが登場した時、彼は自分の本心を店員に打ち明けました。

さらにストリックランドも印象的です。彼につきまとうのは、幼少の頃から愛している緑色の安物のキャンディ。緑色のキャデラック。壊死して緑色に偏食していく指です。これらは彼が所詮は成り上がりであり、仮初めの成功者であることを意味しています。

IMG_0513
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「シェイプオブウォーター」予告編より引用

しかし、彼は物語が終盤に近づくにつれてその本性を、剥き出しの本能を表出させていきます。緑色のキャデラックを破壊されたことも一つの契機でしょうか。ホフステトラ―を尋問する際には、緑色のキャンディーをかみ砕きます。さらにゼルダの家で壊死した指を引きちぎります。

そして彼に残ったのは指から滴る赤い血でした。つまりここでようやく彼は仮初めの名誉と地位に甘んじていた自分から脱皮し、剥き出しの本能で真の成功者となるために、イライザとアセットを殺す覚悟をしたのでしょう。

最後にアセットが緑色に近い体色をしていることについてです。かれが浸かっている水も緑色ですね。これはアセットが真実の愛を知らない存在だったということに関連しているのでは無いかと推測しています。

つまりラストシーンの赤い服を着たイライザを抱きしめ、まるで彼女と1つになるかのようなカットによってこの「シェイプオブウォーター」は締めくくられますが、これはまさしくイライザという生命帯に真の愛が芽生えた瞬間を表現しているんでしょう。

色に関する解釈はあくまで個人的な見解ですが、良かったらご参考程度に。

スポンサードリンク




解説・考察:本作のラストシーンが孕む2つのエンディング

先ほど本作が「パンズラビリンス」と似たファンタジーと現実の二層構造になっていることを指摘しました。特にエンディングではそれが顕著で、どちらの視点から見るのか次第で本作はハッピーエンドにもバッドエンドにも取ることができます。

ただこのやり口があまりにも「パンズラビリンス」と酷似していて、ギレルモ・デル・トロ監督にはこの終わらせ方しか無いのか・・・?なんて邪推してしまい、個人的にはイマイチハマりませんでした。

それでは、ここからラストシーンに関する2つの解釈を考えてみたいと思います。

現実視点:悲劇的結末

本作「シェイプオブウォーター」の結末をリアリスティックに捉えるのであれば、これは悲劇的な物語と締めくくるのが妥当かと思います。現実世界で、職場であまり受け入れてもらえず、さらに声を出せないというハンデを背負ったイライザは徐々に超現実的存在、人間とは異質な存在であるアセットに傾倒していきました。

そしてアセットをラボから連れ出して、彼を海に帰したいという思いから行動を起こしたことが最終的に死という結末を招いたわけです。現実世界で受け入れられず、アセットへの思いも半ばに幸せな妄想に浸りながら死んでいく彼女の姿はまさしく悲劇的です。

さらにアセットの視点から見ても、悲劇的な結末でしょう。劇中に登場する映画館が”Orpheum Cinemas”という名前ですが、これって実にギリシャ神話のオルフェウスに似ています。アセットとイライザの別れのシーンって、オルフェウスが妻を取り戻し、振り返ってはいけないという旨を伝えられていたにもかかわらず、冥界からの帰り道に思わず愛する妻を確認するために振り返ってしまい、妻を失ってしまったという伝説に非常に似ているんですね。

つまり、アセットが別れを惜しみイライザを顧みてしまったことが、彼が愛する女性を失う結果につながったのです。

やはり現実的な視点から見ると、本作は悲劇的という印象が強いですね。

ファンタジー視点:幸福な結末

IMG_0522
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「シェイプオブウォーター」予告編より引用

本作をファンタジー的視点から見ると、ハッピーエンドと言えるでしょう。

イライザは現実世界では命を落としましたが、アセットと共に水に潜ると、幼少の頃からの首の傷跡がえらのような器官へと変化し、水中で呼吸できるようになりました。そしてナレーションのように2人は永遠に愛し合ったということです。

さらには、ここでアセットが映画館で「砂漠の王女」を見ていたというシーンが関係してきます。アセットがイライザの亡骸を腕に抱えて、水に飛び込んだのはまさしくルツを受容するナオミの心情だったと思います。

水の中の世界に行きたい、アセットと共に生きたいというイライザの切なる願いに彼が応えた形になるわけです。

現実世界では不幸な結末を迎えましたが、ファンタジーの世界で救われたということでハッピーエンドと見なすこともできるでしょう。

というかこのやり口、やっぱり「パンズラビリンス」と一緒じゃないですか(笑)。

もう1つハッピーエンドの捉え方としてあのラストシーンはジャイルズが創作した幸せなフィクションであるという結びも考えられます。

冒頭のモノローグからも明らかなように本作の語り手は他でもないジャイルズです。

本作を思い出して見て欲しいのですが、実はイライザの物語が大きく展開し始めるのは、ジャイルズがパイショップの男性への恋に破れたところからなんですよね。冷静時代ですからLGBTにまだ理解がそんなにない時代です。

ジャイルズは自分が叶えられなかったある種の異類婚姻譚をイライザとアセットの2人に投影し、幸せな結末を用意したのではないでしょうか?

おわりに

ここまでかなり自分の考察も交えながら熱く語ってきたのですが、今回の記事の分量が示す通りで映画批評的に見ると語るポイントが山ほどあります。これが映画批評家たちに高く評価されている理由だと思います。

一方で私はあまり映画として面白いとは思いませんでした。というのも本作はあまりにもオマージュと言いますか、参考にしている作品が多く、オリジナリティという点ですごく乏しさを感じるんですよね。既存の材料にギレルモ・デル・トロ監督流の調理法が施されていると言えば、そうなんですが、その調理法でさえも「パンズラビリンス」で既に披露しているものですからね。

何というか新しさが無いんです。見ていてワクワクしないんです。そのため評価するなれば、高評価ということにはなるんですが、あまり個人的に好きにはなれず、絶賛はできないというもどかしい思いです。

ぜひ皆さんも映画をご覧になった後にいろいろと考えを深めて欲しいと思いますし、良かったら皆さんのご意見をコメント欄等でお聞かせください。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です