みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ジョンFドノヴァンの死と生』についてお話していこうと思います。
アメリカでは昨年の暮れにひっそりと公開されていた鬼才グザヴィエ・ドランの新作が日本でも公開になりました。
これまで『マイマザー』や『Mommy マミー』など母や家族との関わりを、自身の経験を交えながら独特の視点で描いてきた彼が今回初めて英語での撮影に挑みました。
物語の中心には依然として母と子の物語や家族の物語があり、そこに今回は監督の幼少期の個人的な経験が加えられて、1つの映画となりました。
というのも、今回の映画はドラン自身が子どもの頃に映画『タイタニック』の虜になり、主演のレオナルドディカプリオにファンレターを送っていた経験が下地になっているとされています。
そこに、ドラン少年のハリウッドへの憧憬が入り混じり、ハリウッド映画への愛に満ちた不思議な映画にしあがっています。
ただ、彼の作品の中では、比較的マイルドな作りで、過去作のような「尖った」映画ではなくなってしまったのかなという寂しさはあります。
今回はそんな映画『ジョンFドノヴァンの死と生』について語っていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ジョンFドノヴァンの死と生』
あらすじ
2006年にテレビで大人気だったジョンFドノヴァンが命を落とした。
彼の死因は分からず、自殺なのか他殺なのか、その真相は謎に包まれていた。
2016年に、売り出し中の若手俳優ルパート・ターナーが『若き俳優への手紙』と題した1冊の本を出版することとなった。
それは、彼が幼少期にジョンFドノヴァンと文通をしていた時の手紙の内容を反映したものであり、そこには彼の死の直前まで書いていた手紙も掲載されている。
ジャーナリストのオードリー・ニューハウスはルパートにインタビューをすることとなり、最初は生意気な若造と高を括っていたが、彼の耽美的で思慮深い話しぶりに引き込まれていく。
母に連れられてアメリカからイギリスへと渡った当時11歳のルパートは、母親との関係が上手くいかず、更には学校でも孤立し、孤独な人生を送っていた。
唯一自分が志していた役者の道も、アメリカを離れたことで遠ざかってしまう中で、彼はジョンFドノヴァンに傾倒する。
彼の出演しているTVショーやドラマを食い入るように眺めていたルパートは、思い切って彼にファンレターを送る。
すると、緑色のインクで綴られた直筆の手紙が彼の下に返送されてきたのだった。
アメリカとイギリス。華やかなテレビ業界で生きるスターと小さな子ども。
それでも、孤独を抱え、世界に生きる2人にとってその手紙は小さな希望となっていく…。
スタッフ・キャスト
- 監督:グザヴィエ・ドラン
- 原作:グザヴィエ・ドラン
- 脚本:グザヴィエ・ドラン&ジェイコブ・ティアニー
- 撮影:アンドレ・ターピン
- 編集:グザヴィエ・ドラン&マチュー・デニス
- 音楽:ガブリエル・ヤーレ
監督・脚本・原作を担当したのは、最初にも少しご紹介したグザヴィエ・ドランですね。
彼は映画の制作時に、撮影であったり、照明であったり、時には衣装にまで口を出すようで、映画のすべての要素をコントロールしようとする傾向があるようです。
ただ、その作品のクオリティを見ると、圧倒的で、今回の『ジョンFドノヴァンの死と生』もストーリー的にはかなり散らかった内容なのですが、統一された演出とディテールへのこだわりが見事に物語を編み上げていました。
撮影には、ドラン作品ではお馴染みのアンドレ・ターピンが加わり、今回はフィルム撮影にこだわっているようです。その独特の質感も劇場で体感しておきたいところですね。
音楽には、先日公開された『ジュディ 虹の彼方に』の劇伴も担当したガブリエル・ヤーレが起用され、主題歌にはザ・ヴァ―ヴの『Bitter Sweet Symphony』が使われました。
- ジョン・F・ドノヴァン:キット・ハリントン
- サム・ターナー:ナタリー・ポートマン
- グレース・ドノヴァン:スーザン・サランドン
- ルパート・ターナー(幼少期):ジェイコブ・トレンブレイ
- バーバラ・ハガーメーカー:キャシー・ベイツ
- オードリー・ニューハウス:タンディ・ニュートン
- ルパート・ターナー:ベン・シュネッツァー
主人公のジョンFドノヴァンですが、そもそもの設定は映画に出演する俳優だったということですが、そこから役者に合わせてTVスターに変更されました。
そして起用されたのが、『ゲームオブスローンズ』シリーズでおなじみのキット・ハリントンだったんですね。
舞台に少し出演経験がありながらも、2011年に『ゲームオブスローンズ』シリーズのメインキャラクターに抜擢され、一躍有名俳優の仲間入りを果たします。
しかもキット・ハリントンは同シリーズの撮影後に、「個人的な問題」を解決するためということで、治療を受けていたことと報道されており、その点でジョンFドノヴァンを想起させる部分があります。
劇中で、彼がアメコミヒーロー映画のキャラクターに抜擢されるされないという話がありましたが、キット・ハリントンはMCUの新作『エターナルズ』のメインキャラクターに抜擢されています。
このように、役者とキャラクターが強くリンクしているという点も、本作の独特な魅力の1つなのでしょう。
脇を固める役者陣も非常に豪華で、ナタリー・ポートマンやキャシー・ベイツなどの名優が目立ちます。
そして、その中でもひときわ存在感を放つのが、子役のジェイコブ・トレンブレイですね。
13歳という年齢でありながら、この演技ができてしまう才能に据え恐ろしさすら感じさせてしまいます。
ただ可愛らしいとか、子どもらしいとかそういう次元ではもうなくて、大人の俳優を平気で飲み込んでしまうようなそういう役者ですよ、彼は。
『ジョンFドノヴァンの死と生』解説・考察(ネタバレあり)
大切な人の「死」を解釈して「生」かすこと
(C)THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD.
本作『ジョンFドノヴァンの死と生』は、まさにジョンFドノヴァンの死の瞬間から物語がスタートするわけですが、重要なのは、この映画は一度たりとも彼が死した瞬間を映し出していない点です。
というのも、本作はあくまでもルパート・ターナーという少年が彼と文通のやり取りをした内容、さらには彼の家族から聞いた情報などを基にした「想像」を映像にしたものなので、ルパート視点で知り得ない部分については描かれません。
ジョンFドノヴァンの死の瞬間から物語が始まるにも関わらず、肝心の彼の死については明確な描写がなく、彼の部屋に入った女性が亡骸を見つけたというような描写もありません。
ハリウッドスターや有名ミュージシャン、日本で言えば文豪の「死」のニュースは時折報じられることがありますが、私たちにとって、そういった人たちは元々遠い世界に生きているように感じられるので、同じ世界に生きているという感覚があまりないんですよね。
劇中の言葉を借りるのであれば、彼らは「違う惑星からやって来た」ようであり、その「生」にも「死」にも現実感がないのです。
メディアで彼らの「死」について報道されていても、私たちは彼らが出演した作品や作り出した楽曲を鑑賞している時、その「生」を確かに実感し続けることができます。
ルパートは文通をしていたわけですから、他の人たちよりもずっとジョンFドノヴァンのことを知っていたでしょうし、強い結びつきを感じていたと思いますが、それでも彼の「死」を知ったのは、他でもないテレビニュースです。
結局のところ、ジョンFドノヴァンの本当の苦悩や葛藤、そして希望、そして死を理解できるのは、本人だけであり、メディアを通じてそれを知る私たちがいくら考察や推測を重ねても、そこに迫ることはできません。
おそらくテレビニュースだと彼の死は、キャリアに思い悩み自殺の道を選んだという解釈になるのだと思います。
しかし、誰にも知り得ないのであれば、そして自分なりの解釈が許されるのではないでしょうか。
だからこそ、ルパートは彼自身が最後に受け取った手紙の中に、彼の「希望」を見出しました。
彼は、ただ華やかなメディアの世界から退くことを選んだだけで、どこかでひっそりと生き続けているのではないだろうかと信じているはずです。
最後の夜に、これまでずっとわだかまりを抱え続けてきた母との関係を修復し、家族で楽しいひと時を過ごした彼が、本当に「死」を選んだのでしょうか。
その真相を知る術はもはやありませんが、ルパートの解釈次第で、そして『若き俳優への手紙』という書籍を読んだ人の解釈次第で、ジョンFドノヴァンは「生」を獲得しうるのです。
手紙や彼の言葉を1冊の本にしたという点で、『若き俳優への手紙』が聖書さながらの機能を果たしていることは言うまでもないでしょうか。
ジョンFドノヴァンはイエスキリストが如く、死して、そして「解釈」によって復活するのです。
大切な人が選べなかった「生」を生きるということ
(C)THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD.
本作『ジョンFドノヴァンの死と生』を見ていて、もう1つ感銘を受けたのは、ルパートが選択した生き方についてです。
タイトルには「死と生」という言葉がありますが、ジョンFドノヴァンはメディアの世界で生きていくために、自分を殺してしまった人物です。殺されたとも言えるでしょうか。
同性愛者であるという性的なアイデンティティを否定し、誰しもに愛される理想の自分を作り上げようと苦心した末に、彼は本当の自分が「死」んでしまったことを確かに実感したのだと思います。
彼には、確かに自分の望む人生がありましたし、同性愛者である自分を受け入れて欲しい、そして家族とりわけ母に自分を受け入れて欲しいという強い願望がありました。
しかし、彼にはそういう生き方が許されませんでしたし、とにかくメディアの世界におけるイメージに忠実に生きることしかできなかったのです。
ジョンFドノヴァンの同性愛者スキャンダルやルパートとの文通のやり取りが流出した際も、それらを肯定するのではなく、ジョークにして笑い飛ばし、自分はマジョリティに属する人間なのだと誇示しようとしました。
しかし、そんな彼が傷つけていたのは、ルパートであり、そして自分自身でした。
きっと、彼にとって手紙の相手は誰でも良かったというわけではなくて、子役であり、母との関係に苦しみながら、孤独に生きる11歳の少年ルパートだからこそ相手に選んだのでしょう。
ルパートは自分の生きたかった人生を捨てて、メディアの世界で「死」した自分として亡霊のように彷徨うことを選ぶ前の純粋な「生」を持っていた頃のジョンFドノヴァンなのです。
だからこそ、彼は自分自身が生きたかった、偽ることのない本当の人生を生きて欲しいと、あの頃の自分に手紙を書き続けていたようなものなのでしょう。
それは、ジョンFドノヴァンが最後の手紙の中で、「君には自分のような生き方は選ばないで欲しい。」と綴っていたことからも明白です。
そうして10年後に注目の若手俳優となり、人気を博しているルパートがどんな生き方を選んだのかと言うと、それはまさしくジョンFドノヴァンが望んだものだったと言えます。
ラストシーンにルパートが同性の恋人とバイクに乗るシーンを使っていますが、これが『マイ・プライベート・アイダホ』へのオマージュになっているのが、また憎い演出です。
「リヴァー・フェニックスに捧ぐ」というテロップが透けて見えるようなあのラストシーンには、まさにルパートがジョンFドノヴァンの選べなかった「生」を生きる瞬間が凝縮されています。
大切な人が「死」んで、もしあなたがその人の分も生きようと思ったなら、その人ができなかったことをしようと思ったなら、きっとあなたはその大切な人を「生」かしているんだ。
当ブログ管理人は、本作からそんなメッセージを受け取りました。
だからこそ、あのラストシーンは紛れもなくルパートの「生」であり、同時にジョンFドノヴァンの「生」なのです。
そして、メタ的な側面から考えると、グザヴィエ・ドランが幼少期に憧れを抱いていた俳優リヴァー・フェニックスの「生」を自分の映画の中で描いたという見方もできるでしょう。
ドランからハリウッドへのラブレター
冒頭にも書きましたように、本作は監督のグザヴィエ・ドランが幼少期に、ハリウッド映画に憧れており、とりわけ『タイタニック』に並々ならぬ思い入れを持っていたようです。
そこからレオナルドディカプリオにファンレターを送るという行為に繋がったのだと思いますし、劇中で彼が演じた主人公を支えた女性を演じたキャシーベイツを本作『ジョンFドノヴァンの死と生』でマネージャー役として起用したのは偶然ではないでしょう。
また劇中で『ジュマンジ』という映画のタイトルが、幼少期のルパートの口から飛び出していたりもしましたが、これは彼がいじめられていたという境遇を表現するために持ち出されています。
加えて、彼がテレビを見ながら「Oh my God!」と連呼するシーンがありましたが、これも90年代に大人気となった映画『ホームアローン』へのオマージュに見えますね。
そして極めつけには、先ほど少し触れたリヴァーフェニックスへのメッセージが垣間見えています。
23歳という年齢で、薬物の多量摂取が引き金となり命を落としてしまった彼が出演していた『マイ・プライベート・アイダホ』のワンシーンを見事に本作の中で再現して見せました。
これをラストシーンに持ってくるというところに、彼が幼少期に大好きだった俳優への強い思いが感じられます。
メディアの世界という狂気と混沌の中で、自分を見失い死ぬことでしか自分の「生」を見出せなかったのかもしれないリヴァーフェニックスをドランなりに解釈し、彼の人生に希望を見出そうとしたわけです。
その他影響が見られるのは『グッドナイト・ムーン』や『ミセス・ダウト』、『バットマン リターンズ』、『リトル・プリンセス』といった作品たちで、これらはドラン自身も影響を受けたと語っています。
『リトル・プリンセス』はいわゆる「小工女」ですが、主人公のルパートの境遇に通じるものがあります。
また、本作『ジョンFドノヴァンの死と生』でジョンの母親を演じたのが、スーザン・サランドンだったのは間違いなく『グッドナイト・ムーン』の影響でしょう。
そしてもう1つ影響を受けていないとは絶対に言いきれないであろう作品が、『地上より何処かで』でしょう。
今回の『ジョンFドノヴァンの死と生』でルパートとジョンのそれぞれの母親を演じた2人が親子の物語となっています。
とりわけ母親が娘を連れて強引に引っ越し、それに振り回される娘の葛藤が描かれているというプロットがそっくりで、間違いなく影響を受けているでしょう。
このように、作中に幼少期に彼が見ていた作品たちへのオマージュが散りばめられており、さながらドラン少年からハリウッドへのラブレターとなっているのが今作なのです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ジョンFドノヴァンの死と生』についてお話してきました。
グザヴィエ・ドラン作品が好きな人だと、今作が物足りないと感じる方は多いかもしれませんね。
やはり個人的には『マイマザー』と『わたしはロランス』が大好きで、そういった作品たちと比べると見劣りするのは事実です。
しかし、ミュージックビデオやTVコマーシャル、往年の名作ハリウッド映画のオマージュ的な映像を所狭しと並べたて、そこに珠玉の音楽たちを大胆にかけ合わせることで唯一無二の映画に仕上がっているのも事実です。
そして、ひたすらに登場人物の顔や表情にクローズアップし続け、そのカットを連続させていくという手法も特殊で、他の監督の映画ではまずなかなか見る機会がありません。
そういう意味でも、彼は映像作家として常に新しい表現を模索しているように感じますし、映像から野心をピリピリと感じます。
今後とも、彼の映像作品には注目したいですし、次回作では初期作のような棘と反骨心がむき出しになったドランを見たいなぁとも思います。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。