【ネタバレ】映画「パーティで女の子に話しかけるには」感想・解説:新たに紡がれた「愛の起源」とは何だったのか?

アイキャッチ画像:(C)COLONY FILMS LIMITED 2016 映画「パーティで女の子に話しかけるには」予告編より引用

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね、映画「パーティで女の子に話しかけるには」についてお話していこうと思います。

良かったら最後までお付き合いください。

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あらすじ・概要

 「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のジョン・キャメロン・ミッチェル監督が、「20センチュリー・ウーマン」のエル・ファニングとトニー賞受賞の若手実力派アレックス・シャープを主演に迎え、遠い惑星からやって来た美少女と内気なパンク少年の恋の逃避行を描いた青春音楽ラブストーリー。1977年、ロンドン郊外。大好きなパンクロックだけを救いに生きる冴えない少年エンは、偶然もぐり込んだパーティで、不思議な魅力を持つ美少女ザンと出会う。エンは好きな音楽やファッションの話に共感してくれるザンと一瞬で恋に落ちるが、2人に許された時間は48時間だけだった。2人は大人たちが決めたルールに反旗を翻すべく、大胆な逃避行に出る。オスカー女優ニコール・キッドマンが、パンクロッカーたちを束ねるボス的存在の女性を演じる。(映画com.より引用)

予告編

感想:エルファニングがやばすぎてやばすぎて・・・

エルファニングというともう子役時代から数々の作品で活躍している女優ですが、ここにきて彼女のこれまでの作品の中で最もやばい役がきたかもしれません。

エルファニングがキスの最中にゲロを吐いちゃうシーン

ナガ
激しい運動をした後のキンキンに冷えたポカリくらいの勢いで飲みたいです!!(変態)

エルファニングの腋プレイ

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(C)COLONY FILMS LIMITED 2016 映画「パーティで女の子に話しかけるには」予告編より引用

ナガ
秒給1万円払うので、30秒くらいお願いします!!

エルファニングによるペニス批評

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(C)COLONY FILMS LIMITED 2016 映画「パーティで女の子に話しかけるには」予告編より引用

ナガ
副作用でペニス千切れるとかでも良いのでお願いいたします!!

エルファニングの足プレイ


ナガ
あの・・・もういっそのこと踏んでください!!

エルファニングの顔舐め

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(C)COLONY FILMS LIMITED 2016 映画「パーティで女の子に話しかけるには」予告編より引用

ナガ
副作用でその直後に顔が溶けるとかでも良いんで、お願いします!!

口と口を近づけての至近距離での発声練習

ナガ
エンすげえな・・・。俺多分緊張して声でねえよ・・・。

ポッキーゲームトマトバージョン

ナガ
俺、君のために世界一のトマト農園を作るよ!!

(そういえば、「ヘドウィグアンドアングリーインチ」でも母親がヘドウィグに茹でトマトをぶん投げるシーンがありましたね。ジョン・キャメロン・ミッチェル監督はトマト好きなんですかね?)

こんな感じで映画館で叫びたくなる思いを必死に押し殺しながら映画を見ておりました。

 一つだけ言えるのはこの映画のエルファニングは本当にやばいです。

男性に限った話であれば、果物ナイフとかよりは殺傷能力高いと思います。

とりあえず、世の男性は見てください。

解説:原作の短編”How to talk to girls at the parties”について



本作「パーティで女の子に話しかけるには」は、Neil Gaimanという作家の短編が原作になっております。この原作については全文を彼のサイトで読む事ができますので、チェックしてみてください。以下にリンクを掲載しておきます。

http://www.neilgaiman.com/p/Cool_Stuff/Short_Stories/How_To_Talk_To_Girls_At_Parties/How_To_Talk_To_Girls_At_Parties_(Text)

全文英語ですので、圧倒されてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、非常に短い文章で平易な文章ですので、ぜひ読んでみてください。

この原作について簡単に解説しておきますと、映画版の最初のパーティの描写にフォーカスしています。というよりも原作はあくまでも「パーティで女の子に話しかけるには」なんですよね。映画版がそのパーティ以後に多くの展開と物語を追加しているために、原作とは大きく異なる映画版へとコンバートされています。

原作はあのパーティから30年後のEnnがあの一夜の出来事を回想する形で始まります。EnnとVicは親友で、Ennは女性と話すのが苦手な一方で、Vicは女性と関わるのが得意で何人もの女性と関係を持ってきたという設定です。そんな2人がある夜にパーティに赴きます。

そこでEnnは3人の女性に出会います。Wain’s Wainを名乗る女性とスパイキーな黒髪の女性、そしてTrioletを名乗る女性です。一方のVicはStellaという女性を見初め、彼女と一夜の愛を深めていきます。

Ennは1人目の女性と会話をするのですが、水を取りに行っている間に彼女はどこかへと消え去ってしまいます。2人目の女性とも会話を弾ませますが、Vicの邪魔が入ってしまい上手くいきません。そして3人目の女性Trioletと会話を始めます。Ennは彼女とキスをします。そして、彼女はEnnの耳元で未知の言語によって構成されたポエムを囁きます。そのポエムは不思議な響きで、彼をトランス状態に陥らせます。

そんな時、上の階でStellaと共にいたはずのVicが降りてきて、このパーティはやばいということでEnnを連れて会場から脱出します。それ以来EnnはTrioletの姿を見ていません。そして耳元でささやかれたあの詩は二度と思い出さないようにしました。

これだけです。原作の短編が描いているのはまさにこのパーティの部分だけなんです。これを読むと「パーティで女の子に話しかけるには」というタイトルがしっくりきますよね。映画版はかなり展開と物語が足されているので、このタイトルにはいまいち合致しない内容になってしまったかもしれません。

ただこの原作にどんな内容が加えられたかを見ることで、ジョン・キャメロン・ミッチェル監督の作家性を明らかにしていけるわけですから、これを知っておくことが重要ですね。

一番重要なポイントとしては、原作における最重要モチーフであるポエムが映画版ではパンクロックにコンバートされた点ですね。



「詩」の何たるかを定義づけることは難しいです。ただ一つ言えるのは、自然や人事から得た瞬間瞬間の興奮や感動を一定の形式とリズムを持つ言語形式で表した文学作品であるということです。これは間違いないでしょう。

一方で「パンクロック」とは何でしょうか?これは1970年代中期にイギリスで全盛期を築いた音楽ジャンルです。これはロックからできるだけ無駄な音を排除してメロディをミニマル化して、歌詞に反体制・反社会的なメッセージ性を付与した音楽が発端と言われています。

どちらも明確に定義づけることは難しいのですが、どちらも一定の形式とリズムの下にその時々の自分の感情を乗せて表現する芸術ですから「詩」と「パンクロック」には共通点が多いと思うんですね。

原作においてあの夜にTrioletと名乗る女性から囁かれた謎の言語で構成された詩は彼にとって「パーティで女の子に初めて話しかけた思い出」であり「初恋の淡い記憶」なのかもしれません。でもそれ以上にパーティから脱出したVicが号泣していたように、あくまでも奇妙な一夜だったわけです。つまりこれはある種の思い出してはいけない禁忌になってしまったのです。あのままTrioletのなすがままを受け入れていたら、自分はVicと同じ目に遭っていたかもしれないと考えると、あの詩はそのトリガーなのかもしれないわけです。だからこそ、Ennは初恋の記憶として永遠に留めておきたい美しい詩ではありましたが、苦渋を飲んでそれを踏み潰すかのように記憶から削除したのです。

「パーティで女の子に話しかける」という行為はすごく勇気の必要な行為です。そしてどんなにそれ長けていても常に上手くいくとは限らずに、時に苦い思いをすることもあります。Vicは「パーティで女の子に話しかける」行為を得意そうにしていましたが、この夜ばかりは苦い経験をしたと言わざるを得ません。

逆にEnnは「パーティで女の子に話しかける」行為を通して、美しい詩と甘い初恋の経験を獲得しました。しかし、最終的には少しほろ苦い結末にはなってしまいました。

勇気を出して飛び込んでみなければ得られない経験もあるし、逆にそれによって失敗もするかもしれません。

映画「パーティで女の子に話しかけるには」の原作短編が伝えたかったのは、そんな人生のほろ苦さをも噛みしめる味わいと勇気を出して飛び込むことの重要性だったのではないかと解釈しています。

感想・解説:原作を大きく改変したジョン・キャメロン・ミッチェル監督が生み出した新たな味わい

本作の監督ジョン・キャメロン・ミッチェル監督というと「ヘドウィグアンドアングリーインチ」という奇作で知られています。彼はその作品で監督だけでなく主演も務めているんです。

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そんな彼が「ショートバス」や「ラビットホール」を経て、そして世に送り出した最新作が今回の「パーティで女の子に話しかけるには」という作品になっています。

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そして本作は先ほども述べたように原作からかなりの部分が改変されていて、彼の作家性を読み解いていくには格好の作品だと思います。今回は、ジョン・キャメロン・ミッチェル監督が「パーティで女の子に話しかけるには」という作品にどのような味わいを付与したのかを徹底的に解説していこうと思います。

解説:SF的側面の強調と退廃的世界観の魅力

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(C)COLONY FILMS LIMITED 2016 映画「パーティで女の子に話しかけるには」予告編より引用

宇宙人が地球へと飛来してきて・・・みたいな映画ってもうド定番ですよね。ハリウッド映画には特にそういった宇宙人襲来を題材にした作品が数多く存在しています。

宇宙人襲来モノとして多いのが、宇宙人たちが地球を侵略してくるというタイプの作品ですね。有名どころですと「インディペンデンスデイ」ですとか「宇宙戦争」あたりが挙げられます。

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もう一つ多いのが宇宙人が地球人に何らかの技術や知識、思想を付与しに来るというタイプの作品ですね。「未知との遭遇」や「メッセージ」はここに分類されるタイプの作品ですね。

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そして映画「パーティで女の子に話しかけるには」も実はかなりSF色が強くなっています。エルファニング演じるザンたちは、独自のコロニーを持つ宇宙人でたまたま地球に飛来していました。しかしこの作品は先ほど挙げた2つのタイプには全く当てはまらないんですね。

 この作品は、宇宙人が地球人にパンクロックという思想を授けてもらうという、一般的な宇宙人モノとは全く逆の構図で描いているんです。

種族が衰退し、絶滅の危機に瀕している宇宙人の一種族が地球人から教えてもらった思想とそしてパンク音楽で再び活気を取り戻すまでを描いていますからね。

この点で極めて異色の作品ではあるのですが、映画「パーティで女の子に話しかけるには」はあくまでもSF映画だと思うんです。そしてこのSF的な要素というのは、原作の時点ではそれほど感じられなかったものです。

さらにこの作品が面白いのはその退廃的な世界観です。本作の世界観は絶滅寸前の非人間的種族が登場するという設定も相まってジム・ジャームッシュ監督の「オンリーラヴァーズレフトアライブ」という作品と非常に似ています。

 

この作品は、アダムとイヴという吸血鬼カップルが主人公になっています。舞台は21世紀の地球ですが、2人は400年以上生きています。近年人間の血液が汚染されているために2人は血液の調達に苦労していました。その結果として2人は、知り合いの医者から清潔な血液を購入していたのでした。そこにイヴの妹のエヴァがやって来て、事件が巻き起こります。最終的に2人は全財産と汚染されていない血液のストックを失って途方にくれ、衰弱していきます。そんな2人の前にキスに夢中なカップルが現れます。空腹な2人はその人間から血を吸うことを決意して歩き出したのでした。

この「オンリーラヴァーズレフトアライブ」と「パーティで女の子に話しかけるには」を比べてみて興味深いのは、前者の吸血鬼と後者の宇宙人はほとんど同じような状況に置かれているにもかかわらず、全く逆の結末を迎えるんですよね。

前者は吸血鬼がこれからは人間の血液を直接吸っていかねば生きていけない・・・という帰結です。一方の後者は、これからは共喰いの文化を改めて新しい種の存続方法を模索していかなければならないという結末を迎えています。

ジム・ジャームッシュ監督とジョン・キャメロン・ミッチェル監督という2人の独特の作家性を持つ監督がそれぞれに自分なりの退廃的世界観と終末観を描き出した作品なだけにこの帰結の違いはすごく興味深いのです。

では、なぜこんなにも結末が正反対になったのかと言いますと、それは監督の作家性の違いであり、パンクロックであると思います。

まず、「オンリーラヴァーズレフトアライブ」とジムジャームッシュ監督について言及していきます。ジムジャームッシュ監督について詳しく言及した当ブログの「パターソン」の記事も良かったら参考にしてみてください。

参考:『パターソン』が描き出したジムジャームッシュ監督の到達点!

ここでも述べていることなんですが、私はジムジャームッシュ監督を「ここにはない何か」を求める人物を描く映画監督だと思っています。そして社会情勢の変化に合わせて、その描き方を大きく変化させてきました。そして「オンリーラヴァーズレフトアライブ」は2013年の作品です。

私はこの作品に関して、「ここにはない何か」を求める行為を「ここにある何か」を守る行為にコンバートして描き出した作品であると講評しました。ジムジャームッシュ監督がキャリアをスタートさせた1980年代のアメリカは、経済暗黒期で物質的窮乏に満ちていました。そんな社会背景が彼に「ここにはない何か」を求める人物を描かせました。

そして2010年代。今やアメリカは豊かな国へと成長しました。そして80年代には人々にとって「ここにはない何か」だったものが今や「ここにある何か」へと変貌してしまったのです。だからこそジムジャームッシュ監督は、それを保持していくことに、現代的な「ここにはない何か」を求める人物像を見出したわけです。これは今年日本で公開された「パターソン」にも共通して言える特徴です。

一方のジョン・キャメロン・ミッチェル監督は、既存の何かをぶっ壊してやろうという作家性を強く見せています。彼の映画作品である「ヘドヴィグアンドアングリ―インチ」が公開されたのは2001年です。

いまほどLGBTと言われるマイノリティの人たちに理解の無かった時代に、そういった人たちの魅力と可能性を全面的に押し出した作品をつくるという行為には、先見性と時代への反骨心が強く伺えます。その後の「ショートバス」という作品も過激な映像で映画界に衝撃を与えた作品です。

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つまりジョン・キャメロン・ミッチェル監督というのは、「ここにはない何か」を求めるというよりもとりあえず「ここにある何か」をぶっ壊してしまおうというスタンスで人物を描く監督なんですね。

そんな作風が反映された象徴的なモチーフが、本作におけるパンクロックですよね。まさに彼の反体制的な思想の結晶とも言えるでしょう。

このように2人の奇才はまさしく正反対の作風の作品を撮っているのです。

だからこそ、退廃的な世界というシチュエーションを舞台にしたときにその作家性の違いが如実に表れたわけです。

ジムジャームッシュ監督は、退廃的な世界で吸血鬼が何とか今まで通りの暮らしを維持していくところに結末を見出しました。

一方のジョン・キャメロン・ミッチェル監督は、退廃的な世界と終末観、閉塞感を宇宙人たちがぶち破って大きな変革に至るところに結末を見出したのです。

従属ではなくて、個性だ!!Individualityだ!と言っているわけです。

他にもこのような世紀末、退廃的世界、終末世界を描いた作品はたくさんあります。映画「マッドマックス」なんかもこのジャンルですよね。異なる監督の同一シチュエーションの映画を比較しながら考察していくとその監督の作家性のようなものが明確になるので、非常に興味深いですね。

参考:『パンク、侍斬られて候』は町田康による文学パンクだ!!

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感想・批評:新たに紡がれた「愛の起源」とは何だったのか?

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(C)COLONY FILMS LIMITED 2016 映画「パーティで女の子に話しかけるには」予告編より引用

それは地球が平らだった頃の話

人々には 腕が2組 足が2組
大きな頭に顔が2つあった
ものを読みながら話すこともできた
けど愛のことなんて何も知らなかった
それはまだ愛が生まれる前のこと
愛の起源

 

人には3つ性があった
男と男が背中合わせの太陽の子
女と女が背中合わせの地球の子
そして太陽と地球 娘と息子の中間
それが月の子

 

そんな人々の力を恐れた神々は
人々を真っ二つに引き裂いた
そして私たちが払った代償を忘れないようにと
傷口を縫い合わせ
お腹のあたりで糸を結んだ
激しいハリケーンや雨風で
人々はバラバラに散りばめられた
もし教えを破れば
再び引き裂かれ
一本足で飛び跳ね
一つ目で見るハメに

 

最後に君を見たのは
互いが二つに切り裂かれた時
君は私を見てたね
私も君を見てたよ
見慣れた君の仕草
だけど私は気づかなかった
顔には血がついてたし
私の目にも血がにじんでいたから
でも誓って言える
君が感じた痛みは 私の痛みと同じだと
心の底まで 貫くその痛み それが“愛”
だからふたりは堅く抱き合い
元に戻ろうとした
それがセックス メイク・ラブ
昔々の冷たく暗い夜のこと
天の支配者によって
人は寂しい2本足の生き物に
それは悲しい物語
愛の起源の物語
愛の起源
こうして
愛はうまれたよ

https://ameblo.jp/ginnnikki/entry-10785941412.htmlより引用)

この楽曲はアリストテレスの「饗宴」を元にして作られた「ヘドウィグアンドアングリーインチ」に登場する楽曲です。

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この「ヘドウィグアンドアングリ―インチ」という作品は、先ほどLGBTのヘドウィグを主人公に据えて、性的マイノリティの可能性を描いているという指摘をしました。

そしてこの「愛の起源」という楽曲は、ヘドヴィグの母親が彼女に対して伝えた歌として劇中に登場します。愛というのは、異なる性の人間が2人合わさることで、異なる性の2人の人間が人間本来の姿を目指そうとする過程で生まれるものだとして、母親はヘドウィグにこの歌を伝えます。母親が結婚を決めた彼女に性転換手術を受けさせようとしたのもこのためでしょう。

しかし、愛と言う概念はもっと包括的なものなんです。誰もが自分の片割れを探しながら生きていて、それは異性だなんて決まっていません。

それを追求することも愛。

一方でヘドウィグのように男にも女にもなれない存在として一人生きていくのもまた愛なのかもしれません。

どんなに強く抱き合っても1つには戻れません。でも強く抱き合えばそこには愛があります。一方で誰も求めず一人で生きていくそれもまた愛なのかもしれません。失われた片割れに固執することが愛ではないのです。

そして本作「パーティで女の子に話しかけるには」は、そんなジョン・キャメロン・ミッチェル監督の新たな「愛の起源」として描かれた作品なのかもしれません。

宇宙人のザンと地球人のエンが地球で共に暮らすという願いは最終的には叶いませんでした。しかし、彼らは確かにあの48時間で愛を紡ぎました。それはどんな形で紡がれたのか?

その答えの一つはもちろん子供です。これは男女の交わりの帰結としての愛としては当然考えうるものです。ただそれ以上に2人が生み出した愛というのは音楽として帰結しているんですよね。

宇宙人と地球人と言う通常成立しえない2人の「愛の起源」は紛れもなくパンクロックでした。道理も常識も何もかもを覆す壮大な愛とその起源をジョン・キャメロン・ミッチェル監督は本作を通して描き切って見せたのです。

本作は「ヘドウィグアンドアングリ―インチ」に続いてジョン・キャメロン・ミッチェル監督が送る新たな「愛の起源」の物語だったのです。

考察:パンクと宇宙人のプロパガンダ

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(C)COLONY FILMS LIMITED 2016 映画「パーティで女の子に話しかけるには」予告編より引用

本作に登場するカラフルな宇宙人たちは結局正体を明かされることはありません。ですので、多くの方がこの宇宙人たちは一体何だったんだろうと頭を抱えながら劇場を出たことと思います

私なりにこの宇宙人について今回は考察してみたいと思います。

それを考えていく上で1970年代という時代性が重要なポイントになります。1970年代は先ほども述べたようにパンクロックの全盛期です。一方で、宇宙人が地球に侵略してくるSF映画が一気に興隆したのもこの時期なのです。数多くの作品が作られましたがその中でも70年代に作られた「エイリアン」と「未知との遭遇」は印象的です。

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そしてそれらの映画は69年にアポロ計画での月への人類到達を発表され、宇宙への無限の可能性に湧く人類に対して、宇宙人への恐怖を植え付ける一種のプロパガンダであるという見方もされてきました。アメリカは宇宙人の存在を隠しているという説も少なくありません。

つまり、本作「パーティで女の子に話しかけるには」において宇宙人がイギリス人たちの間で「アメリカ人」という認識を受けていたのは偶然ではないのです。70年代における「宇宙人」というモチーフはアメリカによるある種のプロパガンダの象徴だったわけです。そしてパンクロックというのは、反体制・反政府的な音楽であり、これに対抗するものです。さらに言うとパンクロックは70年代にイギリスで繁栄した音楽です。

つまりアメリカ的プロパガンダの「宇宙人」とイギリス的反プロパガンダの「パンクロック」は相反するものであったわけです。

そしてその完全に相反する水と油のような存在である「宇宙人」と「パンク」を融合させて「音楽」という一つの帰結を導き出し、そして従属や支配でなく”Individuality”を追求するところに物語を落とし込んでいるわけです。


本作は70年代のイギリス音楽シーン、アメリカ映画シーンを席巻した2つのモチーフを組み合わせることで「愛」という答えを導き出したジョン・キャメロン・ミッチェル監督の「愛の起源」だったんでしょうね。

おわりに

ジョン・キャメロン・ミッチェル監督の作品を見たことが無い方は、本作の無いように大きな戸惑いを感じたかもしれません。しかしこれが彼の平常運転です(笑)。

訳の分からない作品だと切り捨ててしまうのではなくて、ぜひ皆さんなりの解釈を考えてみてください。

映画の解釈もIndividualityが大切です。

本作でジョン・キャメロン・ミッチェル監督の作品に興味を持った方はまず、「ヘドウィグアンドアングリーインチ」をチェックしてみてください。これはもう語るまでもなく素晴らしい作品ですので。そしてジムジャームッシュ監督の「オンリーラヴァーズレフトアライブ」も本作との比較対象として非常におすすめです。

また、パンクロック全盛の70年代にイギリスが制作したSF映画に地球に落ちて来た男という映画があります。この映画の主演はデヴィッドボウィです。設定的にも本作に通ずる部分がありますので、良かったらこちらもチェックしてみてください。

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今回も読んでくださった方ありがとうございました。




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