【ネタバレ解説】「パターソン」感想:進化を続けるジム・ジャームッシュ作品の1つの到達点

アイキャッチ画像:©2016 Injekt Inc. 映画「パターソン」予告編より引用

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

ついにジム・ジャームッシュ監督の最新作「パターソン」が公開されました。私自身も公開を心待ちにしていた作品でしたので、朝一の回で早々に鑑賞してきました。

今回はそんな映画「パターソン」の解説をしていきたいと考えています。新作映画の記事には毎度注意として書かせていただいていることではありますが、本記事は作品を鑑賞した方向けの内容になっております。そのため作品を未鑑賞の方にはネタバレになる内容を含む可能性があります。その点は自己責任で読み進めていただきますようよろしくお願いいたします。

まず、今回の記事を読んでいただく前に、私がジムジャームッシュ監督初期三部作の「パーマネント・バケーション」「ストレンジャー・ザン・パラダイス」「ダウン・バイ・ロー」から彼の作品の魅力について考えたこちらの記事を読んでいただくことをおすすめします。今回の記事は以下の内容を前提として進めていきます。

参考:【感想・解説】ジム・ジャームッシュ監督初期3部作に見る映画観・物語観・人物観を読み解く

良かったら最後までお付き合いください。

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ジム・ジャームッシュ監督作品は「変わらない」?

ジム・ジャームッシュ監督作品のレビューを読んでいますとしばしば「変わらない」という表現を目にするんですよね。彼の作品の「変わらない」ところが良いというわけです。

 私はこの「変わらない」という表現は半分正解で半分誤りであるという風に考えています。

確かに彼の作品の特徴である独特の画作りや作品に流れるオフ・スピード感はデビュー作「パーマネント・バケーション」から最新作「パターソン」まで一貫しています。これは彼の作品において変わらない部分です。

加えて彼の作品で描かれる主題は基本的に一貫しているんですね。彼がデビュー作から最新作まで一貫して描き続けているのは、「『ここにはない何か』を求める人々」の姿なのです。先ほどリンクを貼った記事の中でもご説明している通り、それが色濃く反映されているのが、初期三部作やそれに続く「ミステリートレイン」という作品であるわけなのですが、それ以降の作品でもその人物観にブレはありません。

 じゃあ結局のところ何が変わったんだ?という話になりますよね。私が考えている彼の作品の「変化」は、時代に合わせて「『ここにはない何か』を求める人々」の描き方を「変化」させているということだと思うのです。

初期三部作~「デッド・マン」:アメリカ暗黒期における「ここにはない何か」

ジムジャームッシュ監督の比較的初期の作品「パーマネント・バケーション」「ストレンジャー・ザン・パラダイス」「ダウン・バイ・ロー」「ミステリートレイン」「デッドマン」においては比較的似たような人物像を描き出しています。



80年代~90年代初頭にかけてのアメリカはいわゆる経済暗黒期でした。軍拡によって財政は深刻な赤字状態になり、社会福祉予算はどんどんと削られました。加えて日本との貿易摩擦に苦しみ、貿易赤字が拡大し、国内の工場が次々に倒産し、失業者が溢れました。

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©1980 Cinesthesia Productions Inc. 映画「パーマネント・バケーション」より引用

このようにアメリカという国そのものが大きく傾いていた時期がジムジャームッシュ監督がこの5作品を製作していた時期に一致しています。

よってこの5作品には経済的に苦しい人々であったり、失業している人々が多く登場しています。そしてそういった人々が「ここではない何か」を求める姿を描いています。

この初期の5作品で描き出されている「ここではない何か」というのは端的に言えば、物理的な「新天地」のことです。つまり自分がいま経済的に行き詰っているのも、職にありつけないのも全て自分がいま身を置いている環境のせいであり、どこかほかの場所に行けば自分は必ず成功できると信じてやまない人々を描いているわけです。

特にこの傾向は初期3部作において顕著ですし、「ミステリートレイン」は何かを探して旅する者たちが偶然同じホテルに会するという内容の群像劇です。

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また「デッドマン」も主人公が職と新天地を求めて西部の町にやって来るところから物語が始まります。

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このように当時の社会状況を反映させた人物像を描き出している点が当時の人々の共感を集めたのだと考えられます。

詳しくは、記事の最初にも掲載しましたが、初期3部作に関するレビューの方をお読みください。

参考:【感想・解説】ジム・ジャームッシュ監督初期3部作に見る映画観・物語観・人物観を読み解く

「ゴーストドッグ」~「オンリーラヴァーズレフトアライブ」:豊かなアメリカと「ここにはない何か」

ジム・ジャームッシュ監督が2000年頃以降に撮影した作品は、先ほど紹介した5作品とは人々の描き方が大きく変化しています。この時期に当たるのが「ゴーストドッグ」「コーヒー&シガレッツ」「ブロークンフラワーズ」「リミッツオブコントロール」「オンリーラヴァーズレフトアライブ」の5作品です。

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この時代に入るとアメリカはIT産業の興隆を契機として、一気に経済成長を遂げていきます。そのためアメリカにおける経済状況は大きく回復することとなります。つまり貧富の差の拡大といった問題を孕みつつも、人々がかつて「ここにはない何か」だった豊かさを獲得していった、獲得した時期に当たるのです。

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ジムジャームッシュ監督はそんな社会状況の変化を敏感に感じ取り、自身の作品に反映させていきます。その変化が明確に表れている作品を2つほど例として紹介しておきます。

・「ゴーストドッグ」

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映画「ゴーストドッグ」より引用

 殺し屋ゴースト・ドッグ。彼の座右の書は「武士道といふは、死ぬ ことと見つけたり」で有名な「葉隠」だ。ある日命の恩人、マフィアのヴーゴ・ファミリーの幹部ルーイから、ファミリーの一員フランクを殺すよう指令を受ける。ファミリーのボス、レイは溺愛する一人娘ルイーズにファミリーの全財産を託したが、彼女はフランクを愛してしまったのだ。彼女に父の指令と悟られないようフランクを消す。この完全犯罪の実行人に選ばれたのがゴースト・ドッグだった。(映画com.より引用)

本作は1999年に公開された作品です。本作で描かれているのは、日本の武士道の本「葉隠」を美徳とし、鳩を友人として生きてきた殺し屋ゴーストドッグの戦いです。本作の主人公ゴーストドッグはいわば「ここにはない何か」をもう手に入れてしまっているんですね。それは自身の心情たる武士道の精神であり、友人の鳩です。つまり「ここにはない何か」はもう「ここにあるもの」になっているわけです。そしてそれを守るために戦い、命をささげる男の物語が映画「ゴーストドッグ」なんです。

 つまり今作の主人公の設定は、当時の人々が80年代には「ここにはない何か」でしかなかった豊かさを手に入れてしまったことを仄めかしているんですね。つまり「ここにはない何か」を求める行為というものは「ここにあるもの」守る行為に変換されたんですね。この点がジムジャームッシュ監督のこの時期の作品のキーポイントであると考えています。

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・「オンリーラヴァーズレフトアライブ」

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©2013 Wrongway Inc. Recorded Picture Company Ltd. Pandora Film, Le Pacte&Faliro House Productions Ltd. 映画「オンリーラヴァーズレフトアライブ」予告編より引用

 吸血鬼でありながら、マルチミュージシャンとして活躍するアダムは、自己破滅的な人間たちの振る舞いを憂えていた。そんなある日、何世紀にもわたり愛し合ってきた恋人で、吸血鬼のイヴと久しぶりに再会。しかし、イヴの妹エヴァが2人のもとを訪れたことをきっかけに、3人の運命がゆっくりと変わっていく。(映画com.より引用)

本作は2013年に公開された作品です。環境問題に警鐘を鳴らすために作られたとも言われている本作ですが、本作も「ここにあるもの」を守ろうとする人々、いや吸血鬼の物語になっています。主人公のアダムとその恋人イヴは何世紀にもわたって変わらず愛し合ってきたんですね。故にその生活を守っていきたいわけです。しかし、自己破壊的な人々や突然やって来たイヴの妹エヴァの所業によって2人の生活は脅かされていきます。だからこそ「ここにあるもの」守ろうとするわけです。

初期の5作品の中では登場人物が喉から手が出るほどに欲していた「自分のよき理解者」であったり「経済的にも安定した生活」という「ここにはない何か」を本作の主人公は「ここにあるもの」として保持しているわけです。故にそれを求めるという行為の変換としてそれを守ろうとします。

このように豊かになったアメリカの社会状況を反映させる形で、ジムジャームッシュ監督が描いてきた「『ここにはない何か』を求める行為」は「『ここにあるもの』を守る」という行為に変換され同等の意味を持ち続けたのです。 

 

「パターソン」:今日の我々と「ここにはない何か」

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©2016 Injekt Inc. 映画「パターソン」予告編より引用

ここからが今回のメインである「パターソン」の解説になります。前作の「オンリーラヴァーズレフトアライブ」から3年しか経っていません。そのため社会状況が大きく変わったわけではありません。そして同時にこの変わっていないという点がキーになってくるわけです。

2010年代に入り、技術革新がどんどんと進み我々の生活はどんどんと便利になっていきます。しかし、我々は豊かさを手に入れ、それに麻痺してしまっているがために、今の豊かな生活を「ここにはない何か」でも「ここにあるもの」でもなく、「あって然るべきもの」として享受しているのです。

そうなってしまった時に、人々の「ここにはない何か」はどこに行ってしまったんだろうか?という問いが必然的に生じてくるのです。豊かで安定した生活が「あって然るべきもの」となってしまった社会状況をいかにしてジムジャームッシュ監督が作品に反映させていくのか?これが私が今回「パターソン」において注目した最大のポイントでした。ではここから詳しく解説していきます。

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あらすじ

 ニュージャージー州パターソン市で暮らすバス運転手のパターソン。朝起きると妻ローラにキスをしてからバスを走らせ、帰宅後には愛犬マービンと散歩へ行ってバーで1杯だけビールを飲む。単調な毎日に見えるが、詩人でもある彼の目にはありふれた日常のすべてが美しく見え、周囲の人々との交流はかけがえのない時間だ。そんな彼が過ごす7日間を、ジャームッシュ監督ならではの絶妙な間と飄々とした語り口で描く。(映画com.より引用)

 

2つの矢印から読み解く「パターソン」

この作品を語っていく上で重要なのは、「内向きの矢印」と「外向きの矢印」です。

まず「内向きの矢印」というのは、今ある生活を大切にし変化を求めることなく、毎日を過ごすことを目指す矢印です。次に「外向きの矢印」というのは、どこか他の場所に行きたい、成功したい、夢を叶えたいといった願望を表す矢印です。つまり前者は現実に、後者は理想に向かう矢印であるということです。

そして「パターソン」以前のジム・ジャームッシュ監督作品で強調されてきたのは間違いなく後者です。初期5作品では、理想を追い求める人々を描いてきましたし、その後の5作品では理想を手に入れた人々が理想を守ろうとする姿を描いてきました。

しかし、「パターソン」においてはその2つの矢印が混在する形で描かれているのです。

まず、「内向きの矢印」の最たるものは主人公パターソンの設定です。リンクを貼りつけている初期3部作の記事でも触れた点ですが、重要なので再度書かせていただきます。実は、ジムジャームッシュ監督の人物観を考えるうえで、非常に重要なセリフが彼のデビュー作である「パーマネント・バケーション」に登場しています。それが「どの人間も住んでいる部屋に似ていて、定着したら終わりだ。」というセリフです。このセリフを踏まえて考えると、パターソンという街に暮らすパターソンという男の設定は間違いなく、彼がその土地に生まれ、その土地で育ち、その土地になじんでしまっていることを象徴しているのです。つまり彼はパターソンの街という現実に常に矢印を向けて生きてきたわけです。

また、劇中に登場するマッチも本作における「内向きの矢印」を象徴するものとして登場します。皆さんはパターソンが愛用していたマッチの銘柄を覚えていますでしょうか?そうです「オハイオブルーチップ」。これは実は重要な要素なんですね。

ジム・ジャームッシュ監督は実はオハイオ州出身のヨーロッパ系アメリカ人なんですね。そして、シカゴやニューヨーク、パリで学生生活を過ごし、最終的にはニューヨークに戻ってきて映画制作の仕事を始めました。つまりオハイオというのはジムジャームッシュ監督自身のルーツであり、原点であるわけです。よって劇中でパターソンが「オハイオブルーチップ」を好んで使うという行為には、彼の故郷志向という「内向きの矢印」が表れていると考える事ができます。

では、「外向きの矢印」は?というと、それは妻ローラが見る夢であり、詩であり、バーであるわけです。

まず、妻ローラが見ていた夢に関してですが、内容は2人が双子を設けているというものであったり、パターソンが象に乗っているというものであったりととりとめのないものではあります。しかし、ここには確かに「ここにはない何か」を求めている「外向きの矢印」がありますよね。

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©2016 Injekt Inc. 映画「パターソン」予告編より引用

次に、詩についてです。劇中でパターソンで詩人となり、世に出ていったという人が何人か紹介され、パターソン自身もその詩人のファンであることが明かされていました。このことから考えて、パターソンはそういった街の外に出ていって活躍している詩人に憧れているという風に考えられるのです。加えて、詩の世界というのは書き手の想像の世界であり、理想もあります。つまり詩を書くという行為は「外向きの矢印」であるわけです。

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©2016 Injekt Inc. 映画「パターソン」予告編より引用

そしてバーについてですよね。パターソンは毎日必ずバーに通っていました。バーの中に殿堂の壁というものがあったのをみなさんは覚えていらっしゃいますか?この殿堂の壁には、パターソンを巣立って行った偉人達の写真が飾られています。パターソンはバーに来ると、決まってこの殿堂の壁の正面に当たるカウンター席に座り、それを眺めています。これは、パターソンの成功への憧れであり、まさしく「外向きの矢印」であるわけです。

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©2016 Injekt Inc. 映画「パターソン」予告編より引用

これまでの作品では、「外向きの矢印」にスポットを当ててきたジムジャームッシュ監督が最新作「パターソン」の中では「内向きの矢印」も描くようになり、結果的に作品の中に2つの矢印が混在している状況が出来上がったのです。

しかしこうなってきますと、これまで「内向きの矢印」に否定的だったジムジャームッシュ監督がここにきてなぜ作品の中に取り入れたのか?という大きな疑問が私の中に浮かぶわけです。

そしてその疑問に自分なりに答えを出しました。

 それは、現実と理想は隔てられたものではないということ、つまり「外向きの矢印」と「内向きの矢印」は分けて考えるものではなく、一続きであるということを描きたかったのではないかと思うのです。

1つ目の理由としましては、詩や夢の内容が現実に反映されているという点です。例えば、本作では作中のいたるところで双子が出てきましたよね。これはローラが見た夢の内容が現実にも反映されているのです。またパターソンが出会った女の子の詩で登場した「ウォーターフォール」つまり滝も作中で何度も登場しました。このように理想として描いたものが、現実にも登場しているわけです。これはまさしく現実と理想の境界が曖昧であることを表現しています。

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©2016 Injekt Inc. 映画「パターソン」予告編より引用

2つ目の理由としては、歩くカットについてです。ジムジャームッシュ監督作品では横から映したウォーキングカットが多く登場します。特に初期3部作ではそれが印象的でした。さらに言うなれば、このウォーキングのカットはかなり高い確率で人物が画面の右から左へと移動します。しかし今回は左から右へ歩くカットと、右から左へ歩くカットが混在していました。

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©2016 Injekt Inc. 映画「パターソン」予告編より引用

私はこのジムジャームッシュ監督特有の右から左へのウォーキングカットこそが「ここにはない何か」を求める行為の象徴であり、「外向きの矢印」の象徴であると考えていました。つまり本作で多く登場した画面の左から右へ移動するカットは逆の意味、「内向きの矢印」を表していると考えられますよね。

例えば、家に帰ってくるときは必ず画面左から右への移動でしたし、逆にバーに行くときは必ず右から左への移動でした。家が現実、バー(殿堂の壁)が理想と考えるならば、この歩くという行為には2つの矢印がそれぞれ関係していると考えられます。また、歩くという一続きの行為を2つの撮り方で撮影することにより、2つの矢印が一続きであるということを暗にほのめかしているようにも考えられます。

ジム・ジャームッシュ監督の到達点とは?

ジム・ジャームッシュ監督は時代に合わせて描き方を変えながらも常に「ここにはない何か」を求める人々を描いてきたという点を指摘しました。それはここまでも散々述べてきた通りで、変わっていません。

そしてそれは、今作「パターソン」においても変わっていないんだと思います。今を生きる人々はジム・ジャームッシュ監督がこれまであまり肯定的ではなかった「内向きの矢印」志向になってきています。それは良くも悪くも安定した社会、環境、生活が続いているからです。故に今までのような物質的・経済的な豊かさといったものへの憧れや欲求が弱まってきています。

そんな良くも悪くも安定していて、変わらない日々を過ごす中で、どうすれば人々は「外向きの矢印」を獲得できるのか?と考えた時にそれが詩であり夢であり、バーであるわけです。

 詩を書く、夢を見る、バーで殿堂の壁を眺めるという行為は、変わらない毎日を過ごすという「内向きの矢印」志向な生活を送りながらも、「外向きの矢印」という欲求を充足させる手段なのです。

ジム・ジャームッシュ監督の伝えたいメッセージはおそらくデビュー作である「パーマネント・バケーション」から変わっていないのです。

「どの人間も住んでいる部屋に似ていて、定着したら終わりだ。」

この一言に彼の伝えたい思いが詰まっています。そしてそれはどんなに時代や社会が変化しようとぶれる事は無いのだと思います。

ただ、これを伝えるために社会状況に合わせて自身の作品を柔軟に変化させているのです。

 変わらないための変化を続ける。これがジム・ジャームッシュ監督の最も偉大な才能です。

我々は、結局のところ「安定」してしまってはダメなんです。だから彼は、「安定」が当然の時代にあっても、常に理想を追い続けろと我々に映画を通してメッセージを送り続けるのです。

 「現実」と「理想」は一続きである。「理想」を追い求めることが「現実」を豊かにする。

これこそがジム・ジャームッシュ監督が長年をかけて到達した一つの「答え」なのではないでしょうか?

おわりに

記事がかなり長くなってしまったことを先にお詫び申し上げます。作品を見終えてすぐに書いたので、自分でもまだいろいろと固まっていない部分が多くありますので、少し散らかった文章になっていたことと思います。

また作品を2度3度と見返して、解釈を深めていきたいと思います。

本作の殿堂の壁のくだりで登場しましたバンドのストゥージズを題材にした「ギミー・デンジャー」というドキュメンタリー映画が来月9月2日より公開となります。なんとこの作品もジムジャームッシュ監督作品です。ぜひチェックしてみてください。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。




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