【ネタバレあり】『麻雀放浪記2020』感想・解説:ベッキーとピエール瀧に注目せよ!

(C)2019「麻雀放浪記2020」製作委員会

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『麻雀放浪記2020』についてお話していこうと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。

 

『麻雀放浪記2020』

あらすじ

1945年11月のある日、戦後日本の焼け野原の中で坊や哲は一世一代の麻雀勝負に挑むこととなる。

極限状態の中で、追い詰められた哲は最難関の役とも言える九蓮宝燈(チューレンポウトウ)を完成させる。

「ツモ」を宣言しようとしたその瞬間、空から雷が落ち、は意識を失ってしまう。

九蓮宝燈(チューレンポウトウ)を揃えると「死ぬ」という言い伝えが有名になったのは、阿佐田哲也さんの原作『麻雀放浪記』ないし1984年の同名の映画にてこの役を揃えた登場人物が死ぬということがきっかけだったとも言われている。

が目を覚ますと、そこは新たな世界大戦の勃発し、日本が敗戦国となったことでオリンピックが中止となった2020年の東京だった。

人口は大幅に減少し、AI開発が盛んに行われ、労働をAIに取って代わられた結果、街は失業者と老人だらけになっていた。

は偶然出会ったアイドルのドテ子とそのマネージャーであるクソ丸と共に生活する中で、1945年に戻る方法を模索するようになる。

その中で、彼は真剣な麻雀勝負の場でもう一度、九蓮宝燈(チューレンポウトウ)を揃えることができれば、再びタイムスリップ出来るのではないかと考えた。

一方で、日本では最強の麻雀AIが開発され、そのプロモーションとしての「麻雀オリンピック」が企画されていたのだった・・・。

 

スタッフ・キャスト

  • 監督:白石和彌
  • 原案:阿佐田哲也
  • 脚本:佐藤佐吉&渡部亮平&白石和彌
  • 撮影:馬場元
  • 照明:鳥羽宏文
  • 録音:浦田和治
  • 美術:今村力
  • 編集:加藤ひとみ
  • 音楽:牛尾憲輔
ナガ
あの白石監督の最新作がいよいよ公開だね!!

監督を務めたのは、白石和彌監督ですね。

彼は『日本で一番悪い奴ら』『孤狼の血』といった作品を監督し、東映暴力映画復活の狼煙を上げてきた方です。

今回も東映配給となった白石監督の新作ですが、現代に対して非常に挑戦的な作劇になっており、意欲的な映画となっていると言えるでしょう。

そして原案にクレジットされており、そもそもの『麻雀放浪記』の原作を著したのが、阿佐田哲也さんです。

ナガ
同名の映画が1984年に公開されているね!

今回はそんな原作を脚色し、2020年にタイムスリップするという設定で、物語を展開していきました。

そして脚本を担当したのが佐藤佐吉さん、渡部亮平さん、白石和彌さんの3人となっております。

個人的に注目していたのが、佐藤佐吉さんでして、彼は『東京闇虫パンドラ』『蠱毒ミートボールマシン』といったぶっ飛んだフィルモグラフィの持ち主です。

とりわけドテ子のキャラクター設定であったり2020年の廃れた東京の描写なんかは彼らしさが感じられる部分でもあります。

そんな暴走列車的な存在を制御する存在として実写『三月のライオン』のような作品を手堅く纏めてきた渡部亮平さんが参加しているのも作品のバランスを取る上で重要だったと言えるでしょう。

  • 斎藤工:坊や哲
  • もも:ドテ子
  • ベッキー:八代ゆき
  • 的場浩司:ドサ健
  • 小松政夫:出目徳
  • 竹中直人:クソ丸
  • ピエール瀧
ナガ
なんか不穏な空気を感じさせるキャストが何人か・・・(笑)

まず主演を務めるのは、最近映画監督としても活躍の幅を広げている俳優の斎藤工さんですね。

2017年末の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」でのサンシャイン池崎芸もそうですが、彼はこういう「おふざけ」を大真面目に演じるのが似合う俳優ですよね。

その点で今回の『麻雀放浪記2020』の配役は非常に適役だったと言えるでしょう。

また、『麻雀放浪記』にも登場したドサ健、出目徳といったキャラクターを的場浩司小松政夫が演じています。

そして何よりベッキーピエール瀧など、不穏な空気が一瞬漂うようなキャスティングを断行しており、今の日本映画界のコンプラの風潮に一石を投じんとする作品にもなっています。

ナガ
より詳しい作品情報を知りたい方は公式サイトへどうぞ!!
公式サイト

 

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『麻雀放浪記2020』感想・解説(ネタバレあり)

ピエール瀧出演のまま公開に踏み切った気概

(C)2019「麻雀放浪記2020」製作委員会

今回の映画公開に当たり東映は以下のような声明を出しました。

「あってはならない罪を犯したひとりの出演者のために、作品を待ちわびているお客さまに、既に完成した作品を公開しないという選択肢は取らないという結論に至ったということでございます。現状、ほとんどの映画は劇場公開からスタート致します。劇場での上映は有料であり、かつ観賞の意志を持ったお客さまが来場し観賞するというクローズドなメディアでありますので、テレビ放映またはCMとは性質が異なります

映画comより引用)

ナガ
もちろん、この決断には安否あるだろうね・・・。

こういう問題って日本に限ったことではなくて、ハリウッド映画界でも起こっていることです。

昨年日本でも公開されたリドリー・スコット監督の『ゲティ家の身代金』という作品では、公開前にケヴィン・スペイシーのスキャンダルが発覚し、急遽クリストファー・プラマーで撮り直しになりました。

今回のピエール瀧騒動でも、映画『居眠り磐音』なんかが出演シーンの削除等の対応に追われていますが、非常にデリケートで難しい問題です。

ただ当ブログ管理人としては「劇場での上映は有料であり、かつ観賞の意志を持ったお客さまが来場し観賞するというクローズドなメディアでありますので、テレビ放映またはCMとは性質が異なります」という点には賛同します。

仮に『麻雀放浪記2020』がテレビ放映されるとなると、やはりピエール瀧さんの出演シーンはカットされるべきだと思います。

作品に罪はないとかそういう話ではなくて、単純にテレビだと彼が出演していることを知らずに、偶発的に見てしまう人がいるわけで、それで不快に感じる人が少なからずいるだろうからです。

一方で、映画館で公開するとなれば、話は別で、見る人がピエール瀧さんが出演しているという情報を知った上で見るかどうかを選択できるんです。

その点で『麻雀放浪記2020』を公開に踏み切った東映の姿勢には賛同を示したいと思います。

さらに瀧被告の出演シーンをカットせずに公開へと至った点に触れ「『麻雀放浪記2020』が出したひとつの特殊なケースの答えかもしれませんが、ピエールさんの関わっているドラマや映画の製作者など、映像にまつわる人々の希望となることを願っております」と打ち明けた。

映画comより引用)

このタイプの問題には、いろいろな解釈があると思いますが、東映という大手が1つの基準を示したのは良かったですね。

ナガ
それにしてもピエール瀧の演じた役がまた面白いんだよ・・・(笑)

AI企業の会長で、ベッキー演じる麻雀ロボットに〇ックス機能はあるのか?と尋ねてみたりね(笑)

薬物で逮捕されたというニュースが頭に入っているからか、余計に悪そうに見えるんですよね。

そして何より、別にカットしたところで何の問題もないキャラクターなんだよ!!(笑)

それにも関わらず、公開に際して彼の出演シーンをカット・差し替えしなかったというのが、痛烈なメッセージなのかもしれません。

そしてもう1人、ベッキーもとんでもない役で出演していましたよね。

ナガ
まさかの麻雀AI役だったね(笑)

研究員に足を舐めさせているシーンとか、服を脱がされて「大事な部分」を見られているシーンとかもうぶっ飛んだシーンだらけで笑わせていただきました。

 

原作や1984年版へのオマージュも込めた演出

今作『麻雀放浪記2020』は、阿佐田哲也さんの『麻雀放浪記』を原作としたうえで制作されています。

ただ、その随所に原作や1984年版の映画版を想起させるような演出が散りばめてあり、知っている方にはニヤッとできるものになっています。

まずは、出目徳ドサ健といったキャラクターたちはにも『麻雀放浪記』登場しています。

ちなみに演じているのはそれぞれ高品格さんと鹿賀丈史さんです。

鹿賀丈史さんの演じたドサ健の風貌や雰囲気を的場浩司さんはそっくりそのまま継承しているようで、懐かしさを感じさせてくれます。

彼がタバコを吸っているカットなんかは、白石監督が1984年版をそっくりそのまま再現しているかのようで、ゾクッとしました。

その他にもいろいろとオマージュが感じられる演出が散りばめられています。

細かいシーンで言うと、坊や哲がドテ子の部屋で蛾を見た時に驚いて、その蛾を彼女がうちわで叩き潰したシーンがありましたよね。

あれは、1984年の『麻雀放浪記』でも全く同じシーンがあるんです。

ただ1984年版では蛾に驚くのは、ドサ健で、彼の彼女が叩き潰すようになっていました。

そして原作や1984年版と比較していく中で最も大きな変更点は「女性の扱い方」だと思います。

1984年版ではドサ健は、自分の彼女を抵当に入れて、借金をして一世一代の大博打に臨みます。

これってまあ1945年の日本の価値観で考えるならば、それほど違和感がない行動だったのかもしれません。

ただ現代の日本の価値観で言うと、もはや考えられないようなことだと思います。

一方の『麻雀放浪記2020』の中でも賭けるものが無くなった坊や哲に「ドテ子を賭けるかどうか」という決断が迫られます。

そこで彼は、ドテ子を賭けないという選択をするんですね。

これは時代性を意識したというよりも、ある種の1984年版に対するアンサーでもあるのかもしれませんね。

「博打打ち」とは、自分のすべてを賭けて戦う生き物なのであって、自分以外の誰かをかけて戦うものではないのだと。

そんな自分の全てを賭ける「博打打ち」の末路として本作には自分の身体を売り飛ばしてまで博打を続けた老人が登場しました。

その点で『麻雀放浪記』におけるドサ健のような価値観を否定し、自分が生きるために、自分の血を滾らせるために戦い続ける存在として賭博が違法となった時代に「博打打ち」という1つの生き方を再定義したのです。

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コメディ映画に宿る血の滾る熱気

今作『麻雀放浪記2020』を見ていて、思い出した作品が個人的には2つありました。

  • 『銀魂』(実写版ではなくマンガの)
  • 『テレクラキャノンボール2013』
ナガ
なんでこの2作品だったんだろう?

まず『銀魂』についてですが、これはコメディとシリアスのバランスという側面で見た時に、非常に近いなと感じさせられました。

このシリーズって基本的に万事屋のドタバタ劇をコメディタッチで描いているんですが、そこに本筋のシリアスパートが絡んでくるという真逆のテイストの物語が同居する稀有な作品となっています。

ただ、そのスイッチの切り替えが絶妙に巧くて、コメディパートで大爆笑させられていたのもつかの間、本筋の手に汗握る熱い展開に興奮が止まらなくなったりもし、時に涙がこぼれます。

『麻雀放浪記2020』はそういった、コメディとシリアスのバランスが完全にカオス状態になっているんですが、それでいてきちんと住み分けができているんですよね。

序盤は2020年にやって来た哲のキテレツで、時代外れの行動に違和感を感じ、そこが観客の「笑い」を誘うフックになっているんですが、後半になると徐々にそれが変化していきます。

ここでもう1つ挙げていた『テレクラキャノンボール2013』の要素が絡んできます。

なぜ哲の行動に対する我々の目線が、序盤の嘲笑的なものから、ヒーローを見つめるような眼差しへと変化していくのかというと、それは彼が常に本気だからですよ。

『テレクラキャノンボール2013』はAV監督が、テレクラで出会った女性にどこまでできるのかというバカな検証を本気でやるというAV企画初のトンデモ映画です。

しかし、そんな馬鹿なことに本気に取り込む大人たちの姿に圧倒され、見ている我々がその戦いに次第にのめり込んでいくという構造になっています。

『麻雀放浪記2020』はタイトルに麻雀とあるにも関わらず、麻雀の描写も割と適当ですし、その他様々な展開や設定、演出がコメディ映画志向です。

しかし、斎藤工演じる哲の本気の熱量が次第に映画を飲み込んでいき、さらにはそれを見ている我々すらも飲み込んでいき、血の滾るような熱量を感じさせる「スポ根」として確立されていくのです。

そのバランスを視覚的な表現の中でしっかりと魅せた白石監督の手腕はさすがと言えるでしょう。

 

本作が現代に問う「博打打ち」という生き方

今回の映画は『麻雀放浪記』という原案があり、そこに2020年へのタイムスリップ要素を加えて、アレンジした作品となっております。

近年人類はどんどんとテクノロジーを発展させ、その固有の身体機能を外部化していっています。

その中で本作にも印象的に登場したVRのような仮想空間技術の登場に顕著ですが、人類は「感覚」すらも外部化していこうとしているのかもしれません。

確かに他人と面と向かって関わることは非常に不安を感じることでもありますし、そこから逃れて、AIやロボットの技術がそれをある種の外部機関として代替してくれるとなれば、便利な側面もあるでしょう。

しかし、どんどんと人間が「感覚」を自分の身体の外へと追いやり、無感覚になっていく未来には一体何が待っているのでしょうか?

伊藤計劃氏は自身の著書『ハーモニー』の中で、人間が思考と感覚を外部機関に委ねることで、世界に「究極の調和」をもたらすことができるというディストピアを描きました。

しかし、そんな世界で生きる人間に果たして存在意義があると言えるのでしょうか?

『麻雀放浪記2020』は、そんな技術がなかった頃に自分のすべてを賭して生きていた「博打打ち」が、現代にやって来るというIFの下で物語が展開します。

その中でが現代人に突きつけるのは、「博打打ち」という生き方でもあります。

確かに今の世の中で賭博という行為は違法であり、罰せられる対象となっています。

しかし、自分の感覚を誰かや何かに委ねるのではなく、己の感覚を信じ、その感覚を高ぶらせるために戦い続ける「博打打ち」という生き方には、見習うべきところがあるのかもしれません。

それは先端技術を開発し、人間の感覚を外部化していく流れを止めるべきだ!!ということではありません。

そうではなくて、そんな世の中になっても「人間らしさ」を忘れないことが大切だということです。

本作のラストでベッキーが演じた麻雀AIが「人間らしさ」に目覚め、そして2020年から1945年にタイムスリップするというシーンが描かれました。

ナガ
これは哲が2020年にやって来るという設定の反転でもあるよね。

『麻雀放浪記2020』は、どこまでも人間臭く、根っからの「博打打ち」的な生き方を続けるという男が、現代を生きる人々や映画を見ている我々ないしはAIという存在にまで問いかけ、感化していくような構造で作られていました。

『ボーッと生きてんじゃねえよ!ニッポン!』

このキャッチフレーズが何とも印象的な映画ではあります。

「博打打ち」になることは当然犯罪になるわけですが、「博打打ち」の生き方に考えさせられる部分は大いにあったのではないでしょうか。

 

おわりに

いかがだったでしょうか?

今回は映画『麻雀放浪記2020』についてお話してきました。

ナガ
とにかくぶっ飛んだ映画だった!!というのが正直な感想だね。

ただ単にコメディ映画を作りましたというわけではなく、『麻雀放浪記』という作品のエッセンスも取り入れつつ、きちんと現代版のテーマにアップデートされていて、非常に意欲的な作品でした。

東映は最近、かなりチャレンジングな映画が増えてきていて、非常に好感が持てますね。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

 

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