【ネタバレ感想・解説】実写映画「亜人」:原作との違い・笑撃のラストについて徹底解説

アイキャッチ画像:(C)2017映画「亜人」製作委員会 (C)桜井画門/講談社 映画「亜人」予告編より引用

はじめに

みなさまこんにちは。ナガと申します。

今回はですね、試写会で見させていただきました実写映画版 「亜人」について語っていきたいと思います。

 解説記事がメインになりますので、途中からネタバレを含みます。作品をご覧になった後で、読んでいただくことを推奨しております。

良かったら最後までお付き合いください。

あらすじ・概要

 2015~16年に劇場3部作とテレビシリーズ2期でアニメ化もされた桜井画門の大ヒットコミック「亜人」を、「るろうに剣心」シリーズの佐藤健と「踊る大捜査線」シリーズの本広克行監督が初タッグを組み実写映画化。2017年、東京。研修医の永井圭は、交通事故で死亡した直後に生き返ったのをきっかけに、絶対に死なない新人類「亜人」であることが発覚する。亜人研究施設に監禁されて非人道的な実験のモルモットにされた圭は、同じく亜人の男・佐藤によって救われるが、佐藤は国家転覆を狙い大量虐殺を繰り返すテロリストだった。同じ亜人として佐藤の思想に共感できない圭は、亜人と人類の壮絶な戦いに身を投じていく。不死身のテロリスト・佐藤役を綾野剛、厚生労働省の亜人担当職員・戸崎役を玉山鉄二がそれぞれ演じる。(
映画com.より引用)

予告編

本広克行監督について

映画が好きでよく見ている方はこの監督の名前を聞くと、少し不安になりませんか?

続編が作られるたびに劣化していった「踊る大捜査線」シリーズ。

 

 


観光ムービーなのか?人間ドラマを描きたいのか?もう2時間のうどん紹介ムービーで良かっただろう映画「UDON」。

ユースケ・サンタマリア
2014-06-18

 

 


少林サッカーの100分の1くらいは面白い。バカも休み休みにしてほしい映画「少林少女」。

 


→当ブログの「少林少女」のレビュー記事はこちらから

参考:人類には早すぎた映画。それが『少林少女』だ!

確かに撮影や演出なんかはすごく勢いがあって良いのですが、いろいろとよく分からない作品をお作りになられている監督さんです。

ですので、今回も映画「亜人」を見に行くに当たって、「本広克行」という名前がすごく引っかかっていたんですよ・・・。

皆さんは、この「本広克行」監督にどのようなイメージをお持ちでしょうか?

感想:期待値を上回る上々の出来

原作に関しては、読んだことが無かったので、映画を鑑賞する前に2度ほど通しで読んでから映画版を見に行きました。

正直言って全然期待せずに見に行ったのですが、上々の出来だったと思います。

予告編でもその片鱗は見ることができますが、何といってもアクションがすごいです。この辺りは本広克行監督の真骨頂なのかなあと思いました。ダイナミックな演出や画作り、観客のボルテージを上げるような劇伴音楽などなど本当にアクションシーンは見応えがありました。

2017-09-26-08-50-25

(C)2017映画「亜人」製作委員会 (C)桜井画門/講談社 映画「亜人」予告編より引用

また「黒い幽霊」(IBM)のCG、VFXに関してもしっかりと作られていて、安っぽさはあまり感じさせませんでしたし、かなり動き回っていて、原作を上手く再現できているように思いました。

加えて、脚本やストーリー構成は非常に上手かったと思います。個人的に「亜人」の原作を読んでいて、これを原作未完結の状態でしかも2時間弱の尺の中で、映画として完結させるのは非常に難しいのではないか?と感じておりました。しかし、原作の展開や設定、セリフを生かしつつ、新設定や新展開も織り交ぜながら、上手く物語として再構成されていたように思います。

アクションシーンの迫力も十分で、何より音響の良いスクリーンで見るとより一層映えるタイプの作品だと感じたので、IMAX版を見れるチャンスがある方は、IMAXで見てみるのもありかもしれません。

*ここからの内容はネタバレを含みますのでご注意ください。




衝撃?笑劇?のラストに腹筋崩壊

2017-09-26-08-53-07
(C)2017映画「亜人」製作委員会 (C)桜井画門/講談社 映画「亜人」予告編より引用

先ほど略感で、高評価の旨を書かせていただきました。それは嘘ではありません。

この映画「亜人」は非常によくできた作品です。ただしラスト10秒を除きます。私の中ではラスト10秒までは70~80点ぐらいの出来だったのですが、ラスト10秒でマイナス1000点くらいしたい衝動に駆られました。

なんなんですか?あれ・・・(笑)

先ほどの略感でも書かせていただいたのですが、本作はCGもかなり力が入っていて、「黒い幽霊」の戦闘シーンは非常に臨場感と迫力のある仕上がりになっていました。

しかし、あの最後のシーンのCGは一体全体何があったんでしょうか?予算が足りなくなったんでしょうか?急にC級映画のようなクオリティの映像になりませんでしたか?(笑)

個人的には、映画版の終盤の怒涛のオリジナル展開には高評価をあげたいと考えています。というのも映画として「1つの完結」を描かねばならないとなった時に、原作は未完結ですので、当然映画用にオリジナル展開が必要になります。ですので、あの展開自体は、原作を読んでいる私でも全く違和感なく見ることができました。

でも何ですか?圭がビルの窓ガラスを破って高層ビルの屋上から飛び降りるシーン。一体全体何が起こっているんでしょう?しかもなぜあそこだけあんなにCGが安っぽいのでしょう?考えれば考えるほどに意味が分かりません。

確かに、圭と佐藤が凍結されて粉々になって一件落着という終わり方はもってのほかです。これをやっていたら間違いなく低評価をつけていました。というのもそれでは、計算高い戦略家たる圭のキャラクター性が損なわれますし、原作で最大の敵として君臨している佐藤がそんなにあっさりと始末できてしまうのもがっかり感が強くなります。

 ですので、今回の映画「亜人」のラストは、戸崎や対亜のメンバーがあの格納ヘリポートから去って行った後に、ひっそりと圭の手から、彼の身体が復活する。そして、意味深に佐藤の帽子を映し出す。これで良かったと思うんですよ。個人的には断然このラストのほうが良かったです。

正直、私はあのラスト10秒で思いっきり大爆笑してしまいました。

劇中の佐藤のセリフにこんなものがあったのを覚えていますか?


「『しょうげき』に備えろ」

原作では、「衝戟」という風に表記されています。この言葉の意味は、「身体と身体がぶつかること」や「何か悪いものが起こるときあなたが抱く苦悩と不信感」と定義されています。おそらく「亜人」で登場したのは後者の意味ですよね。佐藤が引き起こす大事件によって引き起こされる苦悩と不信感に備えろ!ということです。

でも映画版のこのセリフは、「笑撃に備えろ」だったと思うんですよ(笑)。

おそらくですが、ご丁寧にあのラストの笑いが止まらない10秒間の珍事の存在を仄めかしてくれていたんでしょうね。いやはや、最後まで見てみてようやくあのセリフの意味が分かりましたよ・・・(笑)。

原作との違いを解説

キャラクターの設定

キャラクターの設定はいろいろと変更されています。

まず、主人公の佐藤健演じる圭ですが、原作では医学部進学を志す高校生だったのに対し、映画版では、研修医という初期設定に変わっています。

2017-09-26-08-51-09
(C)2017映画「亜人」製作委員会 (C)桜井画門/講談社 映画「亜人」予告編より引用

他には、佐藤は原作ではアメリカ軍としてベトナム戦争などに参加してきた経歴を持つとされていますが、映画版では20年間の間厚生労働省に拘束され、被検体として過ごしてきたという設定に変更されています。また原作よりもかなり年齢的に若い印象を与えますね。

2017-09-26-08-50-08
(C)2017映画「亜人」製作委員会 (C)桜井画門/講談社 映画「亜人」予告編より引用

また2時間弱の映画ということもあり、原作の主要な登場人物が何人かカットされています。

圭の幼少期からの友人で、原作では、物語の序盤に亜人だと発覚した圭と一緒に逃避行をした海斗。

2017-09-26-08-56-38
(C)桜井画門/講談社/亜人管理委員会 アニメ「亜人」予告編より引用

圭の最大の仲間となる中野。

2017-09-26-08-56-47
(C)桜井画門/講談社/亜人管理委員会 アニメ「亜人」予告編より引用

そして、亜人対策チームないし圭たちの陣営のブレインであるオグラ・イクヤ。

2017-09-26-08-57-01
(C)桜井画門/講談社/亜人管理委員会 アニメ「亜人」予告編より引用

この他にも原作に登場していたキャラクターの何人かがカットされていて、登場しません。しかし、登場人物をばっさり切って、少数に絞った判断は個人的には英断だったと思います。キャラクターを絞ったことで、物語が非常に纏まっていましたし、それでいてキャラクターを抹消したことによる矛盾なんかも起きていませんでした。

キャラクター関連の変更はかなり上手くいっていたのではないでしょうか?

物語展開の違い

物語の展開等も、2時間弱の尺の中で描くということで大幅に変更されていたように思います。

簡単にではありますが、チャートを描いてみました。

2017-09-26-08-46-56

まず原作第1巻の内容はほとんどすべてカットされています。残っているのは、圭が車に撥ねられるシーンぐらいでしょう。代わりに第2巻の圭が厚生労働省に拘束されているパートから物語が進行していました。

そこに佐藤が助けに来る展開なんかは原作同様でしたね。ですが1巻の内容がカットされていたので、圭は佐藤との戦闘の最中で初めて自分の「黒い幽霊」と邂逅するという展開になっていました。その辺りで、他に変更されていたのは「亜人の死」の下りが完全にカットされていましたね。これについては後で詳しく解説します。

その後は、圭が田舎町に逃げ込むのは原作通りです。ただこのパートでも、妹がさらわれる事件の時系列が原作とは前後していて、映画版ではこのパートで起きます。また、圭が病院に行って妹を連れ出してきて、田舎のお婆さんの家で一緒に身を隠すという展開は映画オリジナルでした。

その後に、圭と戸崎が手を組む展開になっていきますが、原作にはこの時点で登場していた中野は登場しません。そして、原作同様フォージビル襲撃編に突入するのですが、佐藤たちの襲撃の目的が原作から変更されています。原作ではフォージ社の社長である甲斐を暗殺するために、佐藤たちはフォージビルを襲撃します。一方で映画版は、佐藤の最終目的がウイルスを使って東京を壊滅させ、亜人たちのための特別区を作ることに変更されていますので、フォージビルに隠されているウイルス兵器を奪うために潜入することになっています。

終盤の格納ヘリポートでの圭と佐藤の戦闘シーンは完全映画オリジナルですし、それに続く亜人を瞬間冷凍して粉々にして回収するという流れもオリジナルです。もちろん先ほど散々に書いた「笑撃のラスト」も同様に映画オリジナルです。

スポンサードリンク





原作未読の方に映画版の不明瞭なポイントを補完します。

亜人の頭部を切断する意味

映画版では、「亜人の死」に関しての一切がカットされてしまったので、登場人物、とりわけ佐藤の行動の意味が分からない方もいらっしゃったのではないかと思います。

まず、佐藤が圭を助けに来た冒頭のパートで、佐藤は逃げていく圭を太刀のような武器で攻撃しているんですよね。なぜ銃を使わないのか?という風に疑問を持たれた方も多いのではないでしょうか?

これは佐藤が、圭の頭部を切断するために用いていたんですね。

他にも、佐藤が協力者を自分たちの隠れ家に招集した時に、賛同しなかった亜人たちの頭部を切り取ってドラム缶に詰めていましたよね。

(ご指摘があったのですが、映画版のこのシーンちょっと矛盾が生じている可能性があります。原作では身体ごとドラム缶に入れて監禁していたのですが、ある方のご指摘によると、映画版ではドラム缶の外に胴体があってかつドラム缶の中から音がしているという描写になっていたようです。これは「亜人の死」ルールと一番大きい肉片を媒介にして再生するルールを合わせて考えると非常に不可解ではないでしょうか?切り取った頭部がドラム缶の外に置かれているなら意味は分かりますが、胴体を外に置くのはちょっと意味が分からないです。この点は後の、佐藤のフォージビル侵入のギミックと合わせて考えると、重大な矛盾を生じさせている可能性があります。原作に詳しい方、どう思われますか?良かったらコメント欄等でご意見をください。)

なぜ、亜人の頭部を切断することにこれほどこだわっていたのかと言いますと、頭部の切断が「亜人の死」を意味するからです。

ちょっとこれに関しては説明するのが非常に難しいですし、私も100%理解できているわけではないです。とりあえずは図を書いて説明してみようと思います。

2017-09-26-08-47-30

まず亜人の頭部を切断します。そして映画の中でも説明があったように、亜人は一番大きな肉片を元にして再生することができます。つまり頭部を胴体から切り離した状態ということですと、胴体の方が大きな肉片ということになりますよね。

それでいて、頭部をその胴体から一定距離遠ざけたとしましょう。そうするとどうなると思いますか?

実はそれを実行すると、胴体の方に新たに頭部が生成されるんですよ。そうすると、元の頭部に宿っていた今の「自分」という存在は一度死んでしまうことになるんですよ。これがすなわち「亜人の死」を意味しているのです。

ただ、新しい頭部には全く同じ記憶や人格、心が作られるんですよね。だったら、全然死んでいないじゃないか?と思いますよね。私もそう思います(笑)。

正直この「亜人の死」に関する設定は自分も100%理解できていないんです。

ただ、原作の説明では、意識だけは新しい頭部に移る事は無いと書いてありました。要は、元の頭部に宿っていた自分自身に対する認識や自我といったものが新しい体に移動することは無いということが言いたいのだと思います。

これを踏まえて考えると、映画の中盤過ぎに登場したシーンで、佐藤が木材のシュレッダーに粉砕されて、フォージビルに置いてあった手を元に体を再構成した時には、佐藤の「亜人としての死」が一度起こっているんですよね。

やはり「亜人の死」に関する設定は非常に難しいです・・・。

下村泉が戸崎に尽くす理由とは?

2017-09-26-08-51-35

(C)2017映画「亜人」製作委員会 (C)桜井画門/講談社 映画「亜人」予告編より引用

映画版では、川栄李奈が演じている戸崎の側近の下村泉ですが、劇中では、ほとんどその素性が語られませんでしたよね。分かったのは、彼女が亜人であることと、戸崎に絶対の忠誠を誓っていることくらいです。

これに関してですが、原作の第6巻で戸崎と下村泉の過去篇が描かれています。ざっくりと説明しますと、クズな父親と普通の母親の下で育った下村ですが、とあることがきっかけで父親に自分が亜人であることを知られてしまいます。

父親は亜人を売れば金になると見込んで、娘を身売りしようとします。それを母親が止めようとしたことで、殺し合いに発展し、両親は死亡。援交で金を稼ぎながら、街を放浪していたところを戸崎に保護されたのでした。

ですので、こういう経緯があって、下村泉は戸崎のことを半ば父親のように思っているのだと思います。そして、自分を救ってくれた恩返しとして、彼に忠誠を誓っているのです。

「黒い幽霊」(IBM)について

2017-09-26-08-49-31
(C)2017映画「亜人」製作委員会 (C)桜井画門/講談社 映画「亜人」予告編より引用

皆さんは「黒い幽霊」についてこの映画版でどのような認識を持たれたでしょうか?

おそらく「黒い幽霊」というのは亜人の意志でもってコントロールしているという風に捉えた方が多いのではないかと思います。実はそれは半分正解なんですが、半分は間違いです。

終盤の格納ヘリポートでの戦闘シーンで、圭が佐藤を麻酔で昏睡状態に陥らせて、戦いは終わったと思っていたら、突如として佐藤の「黒い幽霊」が佐藤を殺したという場面がありました。あの場面で佐藤は麻酔にかかっているので意識はありませんよね。

ではなぜ「黒い幽霊」が独りでに佐藤を殺して生き返らせるという判断をしたのでしょうか?

物語の中盤で圭が「黒い幽霊」を自分の意志の下に行動させようと訓練しているシーンがありました。しかし、序盤で佐藤を前にした圭が初めて「黒い幽霊」を現前させた時は、どうだったでしょうか?圭の意志とは無関係に「黒い幽霊」は動いていましたよね。

「黒い幽霊」が100%亜人のコントロール下にあると考えるならば、これらのシーンは説明がつかないんですね。

実は「黒い幽霊」は自我を持つ事ができるのです。

自我を持つ条件等をお話しし始めると長くなってしまうので省略します。ただ原作では、農家をしていた亜人が、「黒い幽霊」に農作業を手伝わせていたところ、ある日「黒い幽霊」が命令無しに独りでに農作業をしていた例が目撃されたとのことです。

圭の幼少期の設定が描かれていないので、説明が難しいのですが、圭は幼少期に一度「黒い幽霊」を発現させていて、そこから一度も認識することが無かったので、長期間にわたって宿主と「黒い幽霊」のリンクが切れた状態になっていたんですね。そのため、圭の「黒い幽霊」は自我を持っていて、圭の意志にあまり関係なく行動しようとする節が見られます。

佐藤は原作では、フォージビル襲撃の前に、「黒い幽霊」を放置して「自我」を芽生えさせようとする訓練をしていました。そのため、彼の「黒い幽霊」を自我をもって行動するようになっているんですね。映画版の格納ヘリポートでの戦いで、麻酔にかかった佐藤を殺して生き返らせたのは、佐藤の意志ではなく、佐藤の「黒い幽霊」そのものの意志なのです。

亜人が生き返るメカニズム

2017-09-26-08-49-04
(C)2017映画「亜人」製作委員会 (C)桜井画門/講談社 映画「亜人」予告編より引用

亜人は仮にも不死身という性質を持っています。そのため肉体的な損傷がいくら起きても再生して生き返るようになっています。

原作では、亜人に備わっているIBM(黒い幽霊を形成している粒子)が散らばった肉体の破片や体の部位を回収して身体を再構成するというメカニズムで、亜人が生き返っているという風に説明されています。このあたりの話は原作の第3巻で登場します。

そして、IBMが回収出来ない距離に身体の破片や部位がある場合には、新たにその欠損部位を作り出して身体を再生するようになっています。

さらに、亜人は一番大きい肉片を核として再生するという旨を映画版の中でも佐藤が話していましたよね。そのギミックを使ったのが、佐藤の手だけをフォージビルの中に持ち込んで、木材粉砕機で佐藤自身の身体を粉々にして、佐藤の一番大きい肉片である手を媒介にして再生するという作戦だったわけです。

ただ、先ほども述べましたが、頭部が新たに生成されることはすなわち「亜人の死」を意味するんですよね。頭の切れる圭がその可能性を予測できなかった点に関して、原作では、自ら「亜人の死」の恐怖について語っていた佐藤が「死」を伴うこのギミックでの襲撃作戦を考案するとは思えなかった。、という風に説明されていました。

おわりに

実写映画版「亜人」に関してですが、個人的には概ね満足です。エモさを押し出そうとする人間ドラマなんかもほとんど描かれておらず、ひたすらアクションアクションアクション。本広克行監督の持ち味であるダイナミズムのある映像に仕上がっていたと思います。

また原作の再構成や取捨選択も非常に上手いと思いました。「亜人の死」や「自我」の下りを完全にカットしたので、一部原作を読んでいない人には、意図の伝わらない描写もありましたが、小難しい設定を極力排除してシンプルなアクション映画に落とし込んだ点は評価できると思います。

 ただ、あのラスト10秒だけは許せないです。あれですべてを台無しにしたといっても過言ではないくらいに許せないです。いくらなんでも無茶苦茶すぎますし、CGが安っぽすぎて別の映画に切り替わったのかと錯覚するほどでした。 総評としましては、及第点と言ったところでしょうか?ラスト10秒を除けば比較的良作の部類に入ると思います。
終わり良ければすべて良しなんて言葉がありますが、逆もまた然りなのだとこの映画を見て痛感した次第です。

この記事で言いたかったことを最後に一言でまとめておこうと思います。

 「浜辺美波可愛すぎません??」

2017-09-26-08-48-40
(C)2017映画「亜人」製作委員会 (C)桜井画門/講談社 映画「亜人」予告編より引用

ちなみに浜辺美波が可愛すぎるのに出番が少なすぎるという切実な問題が発生した『となりの怪物くん』という実写映画の記事も当ブログでは扱っております。良かったら読んでみてください。

参考:映画『となりの怪物くん』は浜辺美波が報われなさ過ぎて泣ける!!

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

関連記事

佐藤健の怪演が光る大人気コミックスの映画版『いぬやしき』のレビューは以下のリンクからどうぞ!

参考:【ネタバレあり】『いぬやしき』感想:マンガ実写映画史上最高クラスのアクションシーンに心震える!!

佐藤健の影のある青年役が光る、ヒューマンドラマ『億男』の感想はこちらから!

参考:【ネタバレあり】『億男』感想・解説:佐藤健の演技力に思わず涙がこぼれる優しい映画!

スポンサードリンク




ナガの映画の果てまでfacebookアカウント

当ブログのfacebookアカウントをフォローしていただければ、いち早くブログの更新情報をお知らせします!

おすすめのサービス

現在当ブログ管理人も活用しているAmazonプライムビデオでは話題の映画が定額で見放題です。今なら30日間の無料体験ができます

14 件のコメント

  • 本日鑑賞してきたのでコメントさせていただきます。
    亜人の死についてなのですが物理的なものではなく、概念的なものです。
    判りにくいのですがドラム缶の中の頭と外の身体をあれ以上離してしまうと身体に新たな頭が作られます。
    この際、今まで生きてきた記憶や意識のある頭と全てを継承した頭を持つ身体が誕生します。
    その場合、主観として今までの自分は死に自分と全く同じな別人が自分に成り代わり生きていくということになります。
    これが亜人の死です、なのでドラム缶の横に身体を置いてある意味ギリギリ生かしておくというのは悪趣味ですが良い演出だと思いました。
    かなり長文になってしまい申し訳ありません、これからも楽しく読ませていただきたいと思います。

  • 名無しさんコメントありがとうございます。亜人の死については理解しております。
    ただドラム缶の中でガタガタと揺れるような描写があったので、首だけの中に入れている場合、それは起こり得ないような気がします。
    原作9巻では障害物がある場合にはIBMが障害物を分解してでも再生する特性が登場していました。
    この原作の設定は映画版には登場していないにせよ、やはりこのシーンは胴体をドラム缶の中に入れるか全身をドラム缶に入れれば良かったように思います。
    映画版では、亜人の死については完全カットになっていたので、断頭をあえて扱う必要はないですし。

  • 原作を読んでいない人間ですが、映画を観てきたのでコメントさせていただきます
    原作を読んでいない人間からすると、亜人の頭部を切断することに特別な意味があるとは全く思いませんでした
    演出上、亜人の残酷な部分を強調したかったからだと考えました
    問題のシーンですが、自分は動くドラム缶の横に倒れていた人の足が1人分しか見えなかったと記憶しています
    そのため、自らを亜人であると名乗りながら佐藤の作戦に乗らなかった者たちの中に実は人間がいて、頭部を切断したときに死んでしまった死体が転がされていたのだと解釈しました

  • 自分も見てきましたよー
    映画はどうしても尺が限られてしまうので、細かい設定やストーリーをざっくりとカットして、アクション全振りにしたのはいい改変だったと思います(笑戟の10秒は謎ですが)
    なのでストーリーについてはもう何も言いません。言ってもしょうがない
    ただアクションで1つ思ったのが、拳銃の音うるさすぎません?あんな「バシューン!」みたいなダサい音が大音量の銃撃戦は始めてみました。
    あとドラム缶は本当に謎でしたね。原作では普通にドラム缶に入れて蓋をしてしまえば自分では出られないって話だったんですが、首切ってその首だけドラム缶に入れてどうするんでしょうね。
    ちなみに原作にも穴があると思ってまして、あの時ドラム缶に詰められた中にIBM使える人が一人でもいればすぐに出られるはずです。
    あと最後に永井が復活できた(腕が遠くにあった)のは偶然だと思います。結構前に砂糖のIBMに切断されただけでしたからね
    でもアクションは最高だった!

  • はじめまして。
    私も最近観てきまして、通りすがりなんですけど面白い記事を書かれていたので拝見させていただきました。
    私も断頭については扱いがどうなのか気になってたんですけど、私の印象では断頭という設定そのものをカットしてんのかな?て気がしてます。
    ナガさんも書かれている通り、断頭は亜人の自我、人格の死だと思います。
    で、それを全く恐れないというところが佐藤のアブナイところの一つってことだったと思うんです。
    でも、それではラストシーンでそれを永井圭が選択するのか?てのが私的に疑問なんですよね。
    ラストのダイブのシーンは私的にあまり気にならなかった...と言うよりも永井圭がアレをやっちまったことの方が気になって映像のクオリティとかあんまり憶えてなくて(笑)
    ただ、仰るように腕から再生していくところでエンドロールって方がカッコイイ締めだったんじゃないかと私も思います。
    色々気になるところはありましたが、綾野版佐藤がオモシロ過ぎたのでそれだけで私は満足してしまいました。
    私的にはガイ・リッチーのシャーロック・ホームズ以来の素敵解釈だったと思います(笑)
    突然長々と失礼しました。

  • はじめまして。
    ナガさま、コメント失礼いたします。
    映画、亜人を観に行った後でエンドロールが終わったのちに、あー…、面白くなかったと感じてしまい、その面白くなかった理由を上手く説明出来なくてこちらにたどりつきました。
    私は映画も好きですが大体レンタルになってから観るのでそんなに頻繁に映画館に観に行くことはないのですが、今回は原作ファンで観に行きました。
    小説でも漫画でも実写化すると大抵質が下がるので、原作と映画は別物と肝に命じて観に行くようにはしてるんです。
    原作を期待してはいけない、原作とは違う、これは原作の派生くらいに思い込んで行くので、原作と色々と違うところがあるのは納得しましたし、アクションに関してはケチのつけどころもなかったんですね。
    特に戦闘シーンでラストに2人が凍結されてしまう瞬間は見惚れるくらい綺麗でした。
    なのに何が面白くなかったんだろうと考えていたんですが、ナガさまのおっしゃる通り、ラストがイマイチでした。
    あのアメコミみたいなラストは何?これまでのアクションを秒殺してしまうようなあのラストは…って感じですね。
    個人的には足の悪い亜人の奥山があのイケメン俳優さんである必要もないと思いますし、足が悪いゆえに本人が器用で機械の操作に秀でているというのが理解しにくかったとも思います。
    佐藤が凍結して粉々になり、圭が生き延びたというラストは良いとして、佐藤に与してた亜人はどうなったのかも微妙に気になりますが、ラストはもう少し枠をのばせば何とかなったんじゃ…?と思えてしまいますね。
    あのラストなのに評価が高いのに驚いてしまい、ついついコメントしてしまいました。

  • 名無しさんコメントありがとうございます。
    一応ドラム缶の中から音がしている演出があったので、あの中には亜人以外はいなかったような気がします。
    原作を読んでいない方にはどう見えたか?という意見は新鮮でした。非常に参考になりました!

  • 亜人4号さんコメントありがとうございます!
    アクションに全振りは良かったですよね!
    脚本はちょっとお粗末になってしまいましたが…。
    ドラム缶は完全に矛盾を引き起こしちゃってましたね(°_°)

  • deathmetaboさんコメントありがとうございます!
    亜人の死の下りは完全カットでしたが、にもかかわらず、原作のそれに関わる描写が残っていたので、謎でしたね。
    綾野剛の裸で「きちゃった♡」は笑いましたww

  • ラテさんコメントありがとうございます!
    ラストはまさに笑撃でしたね…笑
    アクションやVFXのレベルは近年の邦画でもトップクラスに高かっただけに、中途半端な脚本とラストの締め方はもったいなかったですね。

  • ドラム缶のシーンは単純に人を一人、ドラム缶に詰める労力を割くより頭だけにして突っ込んで復活させた方が楽だからじゃないのですかね。
    あくまで精神の土台は頭なので「遠く離れ」なければ身体のパーツが大きい方から再生するルールは適用されないでしょうし。

  • はじめまして。
    原作は読んでたので、映画の綾野剛に違和感が最初あったんですが、ホントにアクションがすごくて最後の圭と佐藤の戦いはとても楽しめました。
    でも、なんかうーんって思ってたんですけどラスト10秒この笑撃に備えろってブログタイトルがGoogle検索で、出てきて納得いたしました!
    スッキリしました。ありがとうございました(笑)

  • 名無しさんコメントありがとうございます。
    このあたりの設定は原作でも曖昧なので、無理に映画版で扱う必要も無かった気はするんですよね。映画の制作陣があえてこんな描写を取り入れた意味も不可解だなあと感じました。

  • きみこさんコメントありがとうございます!
    まさにあのラストは笑撃でしたよね笑
    共感していただけて嬉しいです(^ ^)

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です