目次
はじめに
みなさんは京都アニメーション×山田尚子監督のゴールデンコンビ製作の新作アニメ映画「聲の形」をもうご覧になりましたか?
映画「聲の形」に関して簡単に講評しておくと、「聲の形」としては落第点の出来でしたが、山田尚子監督作品としてはまた新たな扉を一つ開く、レベルの高い作品だったと思いました。
この作品が初の山田尚子監督作品になった方も多いのではないのでしょうか。ということで簡単に彼女の来歴を説明したいと思います。彼女は京都アニメーション作品で絵コンテや演出を担当しながら徐々に頭角を現し、アニメ「けいおん」で監督に大抜擢されました。
そして以降同アニメの続編、映画、オリジナルアニメである「たまこまーけっと」、同映画「たまこラブストーリー」でその地位を確固たるものとしています。そして満を持して臨んだのが今回の新作アニメ「聲の形」となるわけです。
「聲の形」は耳の不自由な少女硝子と、そんな彼女に罪の意識を抱える将也とそしてその友人たちの苦悩と葛藤、成長を描いた青春群像劇です。
いわずもしれた大人気コミック原作。全7巻のコミックスがあるこの作品をわずか2時間の映画にまとめるという非常に困難な試みであったことは否めません。しかし、この作品は紛れもない山田尚子監督作品でありました。原作者の手から独立したまさに彼女の作品だったのです。
山田尚子監督が製作してきた作品では常に一環とした主眼が置かれています。それはなんでしょうか。
それこそが、今回私が論じたい「青春の『終わり』」なのです。
「終わり」というのは文学、映画、音楽や絵画など様々な分野で扱われてきたテーマです。
例えば、映画であれば、私の敬愛する「ノッキン・オンヘブンズドア」なんかはその典型です。この作品はまさに人生の「終わり」に際した2人の男が、真に生きるとは何かを知る物語です。
また別の例を挙げるなら、BUMP OF CHICKENが作る音楽なんかも当てはまるでしょう。私の好きな「supernova」という曲。スーパーノヴァ、つまり超新星とは寿命を迎える寸前の星のことです。この曲では、その超新星を人間にあてはめながら、「終わり」がもたらす生きることの意義が歌われています。つまり「終わり」が輝かしてくれるものが多くあるということを歌っているのです。
人生という長いスパンで見たならば、死という終わりの存在がその生きることを輝かせてくれます。恋愛という観点から見るならば、別れという終わりがその思い出を一層輝かせt\ることもあります。そして青春。青春には必ず終わりがあります。終わりがあるからこその青春。だからこそその刹那的な輝きはとても眩いのです。
そんな青春の眩さとそして「終わり」をフィルムに収めるのが山田尚子監督だということです。
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「けいおん」
©1995-2017 Tokyo Broadcasting System Television, Inc. 映画 「けいおん」より引用
まずは彼女の出世作となった「けいおん」シリーズから考えていきましょう。
「けいおん」という作品はその原作の形態からしても、いわゆる日常モノというジャンルに分類される作品です。日常モノと言われるジャンルには基本的にあまり時間の流れというものが存在しません。いわゆるサザエさん方式ですね。ということはすなわち作ろうと思えばいくらでも続きが作れるのです。
これだけの大ヒットアニメなのだから、続編を作れば人気は続くでしょう。しかしこの「けいおん」シリーズには明確な時間の流れが存在するのです。第1期では初期メンバー4人(唯、澪、律、紬)が2年生の文化祭を終えるところまで、そして第2期では初期メンバー4人が卒業するまでを描いています。
つまりこの「けいおん」という作品には明確に青春の「終わり」が存在するのです。
山田尚子監督らしさが特に表れていたと思うのが、第2期20話、そしてそこから卒業までの部分です。第2期20話は「けいおん」という作品に「終わり」の三文字が明確に突き付けられた瞬間だったと思います。
放課後ティータイム(劇中のバンド名)は最後の文化祭を終え、部室に戻り、そこで来年の展望を語る。 しかし3年生のメンバー4人にはもう高校での来年は存在しない。そんな唐突な「終わり」の宣告にメンバー5人は涙するのです。そしてこのシーンで視聴者にも確実にこの作品の「終わり」を意識させました。
そこからは山田尚子監督の独壇場であります。将来や別れへの不安や苦悩、そして希望。残された青春をひた走るメンバーたちの複雑な感情を繊細に描き出して見せました。そして、最終回。卒業式を終えたメンバーは唯一の後輩である梓に曲を披露するのです。
そこで梓はこれまで抱えてきた、「終わり」への不安と苦悩をストレートに表現します。まさにせき止めたダムにじわじわと水がたまり、最後にあふれだすかのようです。まさにここにこそ、山田尚子監督の原点が存在しています。
山田尚子監督が魅せる3つの演出
では繊細な心情表現がどのようなところからうかがえるのかを解説していきたいと思います。「けいおん」において彼女が心情表現に用いてきたのは、光の演出、登場人物たちの足、そして独特のフォーカス技法です。
光の演出
©1995-2017 Tokyo Broadcasting System Television, Inc. 「けいおん」より引用
まず1つ目の光の演出です。これが彼女の作品に繊細な空気感を与えていると言えるでしょう。柔らかく差し込む光は、まさに登場人物たちの青春の眩さを表現しているともいえます。
しかしそのはかなげな光はどこか不安な印象をも与えています。彼女は光を自由自在に操ることで、時に登場人物たちの青春を彩り、時にその心情に寄り添った空気感を作り出すのです。これができるアニメ監督はほとんど見たことありません。これはまさしく彼女の持ち味の一つです。。
最新作の『リズと青い鳥』でも希美とみぞれの関係性が大きく変化する終盤の合奏シーンでこの光の演出を使ってとんでもない芸当をやってのけました。そちらもぜひぜひご覧になって欲しいですね。
キャラクターの足に見える心情
©1995-2017 Tokyo Broadcasting System Television, Inc. 映画 「けいおん」より引用
次に登場人物たちの足です。彼女の取り入れる足のシーンは確かに男性にはたまらないフェチ描写であるが、ただそれだけではないのです。
彼女は動く足には心情が宿るといった趣旨のコメントを残しています。つまり彼女は心情描写のために確信犯的に足のみのカットを作品に取り入れているのです。
これは山田尚子監督作品の節々に出てくる描写なので、ぜひ注目していただきたいポイントでしょう。
実写ベースのフォーカス技法
(C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会
最後に独特のフォーカスです。独特というよりは実写に近いフォーカスというほうが正しいかもしれません。
一般的にアニメでは画面全体に均等にピントが合ったような映像となっています。しかし、山田尚子監督作品では、人物にピントをあてることで、背景をぼやかすというフォーカス技術が多用されているのです。
これはあえて画面中の情報を制限することで人物の心情にスポットを当てようとしていると考えられます。その実写さながらのフォーカス技術をアニメに用いるという大胆な手法はまさに山田尚子監督の伝家の宝刀と言えるでしょう。
この3つの要素が山田監督作品の空気感を作り出すものの正体であり、彼女の持ち味なのです。「けいおん」シリーズではこの要素たちが躍動していました。
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「たまこラブストーリー」
そして彼女はオリジナルアニメーション「たまこまーけっと」の監督を務めます。そして同作品の劇場版「たまこラブストーリー」が製作される運びとなります。
このたまこシリーズでもやはり、「青春の終わり」が描かれることとなります。 商店街で餅屋を営む幼馴染同士のたまこともち蔵の関係とその変化を描き出したのがこの劇場版となります
このシリーズでのターニングポイントは、映画の序盤で、川でもち蔵がたまこに思いを伝えるシーンです。このシーンでは彼らの幼馴染という関係性の「終わり」が明確に印象付けられます。
つまり永遠に続くと思っていた2人の幼馴染関係や商店街での日常に「終わり」の三文字を突きつけるのです。山田監督はそこから2人の繊細な関係の変化、恋愛感情の自覚、将来への不安と希望を描き出していきます。
変わらないものと思っていたものが変わる。終わらないと思っていたものが終わる。それを知ることがどれだけ不安なことなのか、そしてそれがどれだけ見える世界を変えるのか。
映画「たまこラブストーリー」には山田監督が描きたいことのすべてが詰まっています。「終わり」が見せる輝きはかくも我々を魅了するのです。
「聲の形」
©大今良時・講談社・映画聲の形製作委員会 「聲の形」予告編より引用
そして今回公開された「聲の形」に話を移したいと思います。
この作品は原作者の手を離れた、まさに山田尚子監督作品なのです。 それは先ほど挙げた3つの特徴がもれなく登場するからだけではありません。この作品は彼女が追い求めた「青春の終わり」を描く作品になっているからです。
それが顕著なのがラストシーンのチョイスだと私は思っています。
原作のラストシーンは、成人式で再会した将也と硝子が小学校の同窓会会場の扉を開けるシーンです。一方で、映画のラストシーンは将也が世界の声に、仲間の声に耳を傾ける決意をするシーンに変更されています。
原作のラストは、「はじまり」を印象付けるものと言えるでしょう。成長した2人が勇気をもって、改めて自分たちの過去に立ち向かう。その1歩は未来への1歩なのです。ここからまた新たな彼らの人生が始まるということが印象付けられます。
一方で映画のラストシーンは「終わり」を印象付けるものになっています。それは登場人物たちの苦悩や葛藤への「終わり」であり、将也の聲のない世界の「終わり」でした。
つまり、山田尚子監督がこのラストシーンで映画を締めくくったのは、あくまでその「終わり」を描きたかったからなのだと思うんです。「終わり」がその過程にあった苦悩や葛藤、暗い青春時代にさえカタルシスを与えてくれます。
あのラストシーンで締めくくったことこそ山田尚子監督らしいと言えると思いました。
まとめ
やはりまずは山田尚子監督作品の空気感を自身の目で確認してほしいと思います。
彼女はその空気感をさまざまな技法を持って演出していますが、その根底にあるのは常に「終わりがもたらす輝き」であることを忘れてはならなりません。
山田監督が贈る「終わる」物語 たちにこの記事を読んだ方が興味を持っていただけると幸いです。
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