【ネタバレ無感想】マンガ「アルテ」:社会に負けない一人の少女の成長物語とその魅力を解説!!

アイキャッチ画像:©大久保圭/NORTH STARS PICTURES INC. マンガ「アルテ」第1巻より引用

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

突然ですが今回は、とあるマンガを紹介したいと思っています。

実は当ブログでマンガ作品の記事を書くのは初めてなんですね。というのも私、マンガを読むのが苦手なんですよ。普段から紙媒体の書籍は読んでいるのですが、どうしても小説、評論、新聞が中心でなかなかマンガを読む機会が無いのです。加えてマンガを読むこと自体をあまり得意とはしていないんです。

そんな自分なんですが、先日TSUTAYAで映画のDVDをレンタルしてみますと、レンタルコミック5冊無料券というものを頂きまして、せっかくならマンガを読んでみようかと、店内をうろうろしていました。

5冊まで無料なので、既巻が5巻前後の作品にしようと狙いを定めて探していたところ、今回紹介する「アルテ」という作品に出会いました。

パラパラとめくった印象では、「ARIA」っぽいなあという感じでした。「ARIA」のアニメ版は大好きでしたし、それに似た雰囲気を感じたので、これをレンタルしようと決断しました。

そして、家に戻って来て早速読み進めてみたのですが、これが面白い面白い!正直「ARIA」に似てるのは舞台設定や少女の成長物語という基軸くらいのもので、もっと社会性や現代の諸問題にも関連するような深みのある作品になっていました。

気がつくと借りてきていた6冊をあっという間に読破していました。


今回は、この「アルテ」というマンガ作品を一人でも多くの方に知ってもらえたらと思いまして、紹介記事を書かせていただこうという考えに至りました。

あくまで紹介記事なので、ネタバレは無しで作品の概要や魅力を伝えていけたらと思います。

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あらすじ

 16世紀初頭のルネサンス期。フィレンツェの裕福でない貴族の娘であるアルテは絵を描くことにのめり込んでいた。父が亡くなり、男に気に入られて結婚し「まともな生活」を送ることを望む母と反発し、アルテは家を飛び出す。画家となるべく画家工房を回るが、アルテが女であるというだけで相手にもされない。唯一、自分の絵を見てくれたレオの工房に引き取られるが、レオは貴族娘の我儘と思い、弟子にするつもりもなく「テンペラ画の地塗りを一晩で20枚作る」という無理な課題を命じる。翌朝、課題を仕上げたアルテにレオは画家を目指す動機をたずねたところ、職人(画家)になるのが目標ではなく、自分自身で生きる道筋をみつけたいと答えた。レオは自身が物乞い出身であったことから似たような動機で画家を目指したことから、アルテの弟子入りを許す。

Wikipediaより引用)

登場人物

アルテ

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©大久保圭/NORTH STARS PICTURES INC. マンガ「アルテ」第1巻19ページより引用

本作の主人公。裕福ではないが貴族の家出身で、幼少期から絵を描くことが大好きな少女でした。しかし、父親の死をきっかけに家の没落が迫り、母親は彼女に結婚を迫ります。しかし、彼女は結婚して子供を産んで・・・という男性に尽くすだけの将来を受け入れられず、家を飛び出してレオの工房に弟子入りします。

「女性だから」という言葉で自分の可能性を否定されることをすごく嫌っていて、当時は男性しか受け入れられなかった画家の世界へと飛び込んでいきます。時に悩んだりもしますが、前向きで明るく、積極的な性格を生かして立ちはだかる困難にも立ち向かっていきます。

そんな実直な姿が、彼女に向けられる視線や評価を変えていきます。社会や制度そして常識までもを覆して、前へと突き進む彼女の姿を見ると応援せざるを得ません。

また、恋愛経験のないアルテが、恋に戸惑う姿も必見です。

レオ

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©大久保圭/NORTH STARS PICTURES INC. マンガ「アルテ」第1巻19ページより引用

本作のメインキャラクターの1人。これまで工房で弟子を取った事は無く、当初はアルテを弟子に取ることにも否定的でしたが、アルテの実直な姿に、かつての物乞い・徒弟時代の自分を重ね合わせて、彼女を弟子にすることを決断しました。

不愛想で高圧的な印象も与えますが、アルテのことを心から思っており、彼女がトラブルに直面した際には、絶対に見捨てず、支えようとする包容力を見せてくれます。

ヴェロニカ

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©大久保圭/NORTH STARS PICTURES INC. マンガ「アルテ」第1巻178ページより引用

レオの画を気に入っていて、良く仕事を依頼してくる高級娼婦の女性。アルテのことを気に入り、何かと目をかけてくれるようになります。

アルテには時に優しく時に厳しく、世の中のことや仕事のことそして人との関わり方などを教えています。一方で男性を楽しませるために書籍を読み漁るなど努力家の一面や自分の収入で家族を養っているといった苦労家な一面も見せてくれます。

アルテのよき理解者であり、魅力的なキャラクターです。

アンジェロ

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©大久保圭/NORTH STARS PICTURES INC. マンガ「アルテ」第1巻92ページより引用

ダニロという師匠の工房で弟子として働く青年。姉妹の多い家庭で育ったため、女性の扱いに慣れており、女性はか弱い生き物であり優しく、親切に扱わなければならないと無意識に自負しています。

しかし、そんな自分がこれまで見てきた女性の型にハマらないアルテの姿に心を打たれ、自分の考えを見直すようになります。

本作の時代・舞台

本作の舞台は16世紀初頭のフィレンツェとヴェネツィアです。特に今回の舞台の中心となるフィレンツェは14世紀以来、毛織物業や銀行業で栄えていて経済的に反映している都市でした。そのためこの時期に起こった古典文化の復興を目指すルネサンス運動の中心となっていました。

ルネサンスの三大巨匠と呼ばれるレオナルドダヴィンチやミケランジェロ、ラファエロたちが活躍したのも15世紀末から16世紀初頭に当たる時期です。

この時期のフィレンツェはと言いますと、かの有名なメディチ家の追放と復権という大きな出来事がありました。メディチ家は芸術活動の奨励に積極的でした。そのためフィレンツェは芸術で栄えました。しかし、15世紀末にはメディチ家の支配が強まりすぎたことを危惧したサヴォナーラが市民の支持を得て立ち上がり、メディチ家をフィレンツェから追放しようとしました。そのためフィレンツェの芸術は衰退へと向かいました。しかし16世紀に入ると再びメディチ家の力が強まり、1527年のローマ略奪を契機としてフィレンツェは再び芸術の街として栄えることになります。

徒弟制度について

本作の舞台は16世紀初頭ですので、時期的に言えば中世末期と言えるでしょう。中世のヨーロッパ社会を語る上で欠かせないのがこの徒弟制度です。本作「アルテ」でもこの徒弟制度が重要な要素となっています。

徒弟制度というのは、中世ヨーロッパで普及していた商工業者組合(ギルド)における養成制度のことです。本作では、その中でも画家のギルドにスポットが当たります。ギルドでは、10~16歳の徒弟が親方に弟子入りして、親方の下で修業を積みます。徒弟として技量を磨いて、職人となりその後の試験に合格することができれば、晴れて自分の工房を持つ事ができるというシステムになっていました。

本作ではこのギルド社会は男性のみによって構成されているという風に描かれていました。しかし、そもそもギルドには女性が普通に参加していたんですよ。女性だけのギルドも存在していたなんてことも言われています。

ただ、16世紀初頭になるとその状況が大きく変わってきます。その頃から「男性は仕事、女性は家庭」というような主張が強まってくるんですね。それはその頃からギルドが防衛組織的な側面を帯びてきたことに起因します。結果的に武装できる男性のみがギルドに参加できるように社会が変化していってしまいます。

政治や職業的な場から排除された女性は、男性に尽くす立場になるのみとなり、高い持参金を払って妻となり、子供を産むことを求められるようになりました。また持参金を払えない貧しい家庭の女性が娼婦に身を落とすケースも増えてくるのでした。

 本作「アルテ」はそんな16世紀初頭の社会状況を反映させた内容になっています。その点にもぜひ注目して見てください。

マンガ「アルテ」の3つの魅力

ジェンダー(社会的性)問題を反映させたストーリー

先ほどの徒弟制度の説明でも述べましたが、今作「アルテ」の舞台となっている16世紀初頭のヨーロッパは、男女の社会的な役割が明確に区別されていました。

そのため、女性は「女性らしく」生きていくことが求められます。貴族の家では、幼少期から「花嫁修業」として多くのことを学ばされ、適齢期になると持参金を持って男性の家に嫁いでいくのが定例でした。そして本作の主人公アルテも同じ道を辿るはずでした。

しかし、アルテはそんな「女性らしい」生き方を否定し、「自分らしく」生きる道を模索します。画家の世界という典型的な男性社会の中に、アルテは一人飛び込んでいくのですが、やはり「女性だから」ということで多くの困難に直面します。

それでも自分の夢を実現したい、「自分らしく」生きたいと強く願うアルテの姿がレオやアンジェロを初めとする周囲の男性たちの彼女に対する視線や評価を変えていきます。

 社会や制度、常識に囚われず、「自分らしく」生きることの尊さを感じずにはいられないのです。

そしてそれは時代が変わっても同じです。16世紀初頭も21世紀もこの尊さは同じ重みを帯びています。社会のせいにして自分の夢を諦めるのではなく、そんな逆境を跳ね除けてでも「自分らしく」生きようとするアルテの姿には純粋な共感を感じるのです。そして自分もこうありたいと感じてしまうのです。

ジェンダー問題が日々取り沙汰される今日を生きる人にこそ見て欲しい内容になっていると思います。




ハンデを克服するために努力する

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©大久保圭/NORTH STARS PICTURES INC. マンガ「アルテ」第1巻178ページより引用

皆さんは「ヒルビリー」という言葉を知っていますでしょうか?アメリカでトランプが大統領選挙に勝利した際にこの言葉が話題になりました。

「ヒルビリー」というのはアメリカにおける白人労働者階級のことです。もっと言うなれば、アパラチア山脈周辺の地域に住んでいる「スコットアイリッシュ」のことを指しています。

この「ヒルビリー」と呼ばれる人たちは、アメリカの繁栄から取り残された人々と言われています。また彼らにとって貧困は伝統なのです。「ヒルビリー」の間で子供の世代が親の世代より経済的に成功している割合は何と約5割です。そのため、貧困が世代を超えて受け継がれていってしまっている状態です。

こういった悲観的で、将来の展望も見えない「ヒルビリー」たちは白人エリート層に強い敵意と猜疑心を持っています。そして自分たちが貧困であるのを社会のせいにしてしまうのです。「職さえあれば・・・。仕事が無いのが悪いんだ・・・。」と自らの状況を社会に責任転嫁し、何の行動も起こそうとしません。つまるところ「努力の仕方」を知らない人が多いのです。こういった気質が世代を超えて受け継がれてしまう悪循環に歯止めがかからないのです。

そんな「ヒルビリー」たちのヒーローになったのがあのドナルド・トランプだと言われています。「悪いのは君たちではない、イスラム教徒、移民、黒人・・・である。」と「ヒルビリー」たちの一件を代弁するような姿勢を見せたのです。そのためドナルドトランプは、「ヒルビリー」たちの拡声器的役割を果たしたわけです。

この一件から考えて見て欲しいのです。自分が抱えたハンデを克服できないからと言って、それを他人のせいにして、他人までも貶めるような行動に果たして何の意味があるのでしょうか?

現に、「ヒルビリー」たちの中にも、自ら努力して貧困を脱出していく人がいます。しかし、大多数の人たちが他人に責任転嫁することで、何の努力もすることなく、自らのプライドを守るのです。

<参照>

http://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2016/11/post-26.php

以前に、ウーマンラッシュアワーの村本がAbemaTVで担当している「村本大輔の土曜The NIGHT」という番組にNPO法人マイフェイス・マイスタイルに所属している「見た目」に症状を抱えている人たちが出演した回がありました。この組織は、アザ、やけど、キズ、瞼下垂、アルビノ、白斑などのさまざまな症状で「見た目」に症状を抱える人たちのNPOです。

この時に、出演していた女性がすごく興味深いことを仰っていたんですね。

 「ハンデを抱えている人は、普通の人以上に努力しないと認めてもらえない。」

ハンデを抱えている人が、そうでない人と同じ努力をしてもどうしても認めてもらえなくて、認めてもらうには「普通の人」以上に努力する必要があるわけです。つまり「普通の人」が無意識的に、そういった「ハンデを抱える人たち」に対して優越感を持っているということを指摘しているわけです。

このお話の時に、「僕と世界の方程式」という映画を挙げていたのが印象的でした。自閉症を抱えた主人公が努力に努力を重ねて、数学オリンピックのイギリス代表に選ばれて・・・・という物語なのですが、この映画にはそんな「普通の人が持つ無意識の優越感」が感じられると言います。

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TCエンタテインメント
2017-07-05



結局「ハンデを抱える人たち」は、人並み以上の努力をすることでしか、自分に向けられる視線を変える事ができないのです。そんな状況を変えたいとマイフェイス・マイスタイルに所属する人たちは語っていました。

話を戻すのですが、マンガ「アルテ」で主人公のアルテや師匠のレオが置かれていた立場、置かれている立場というのはいわば「ハンデを抱えている人」なわけです。

門地や身分、性別によって彼らは「ハンデ」を負っています。アルテは女性であること、レオは貧しい生まれであること、物乞いであったことを自分の「ハンデ」として背負っているのです。

だからこそ、それを克服するために人並み以上の努力を惜しみません。その結果としてレオは親方の地位にたどり着きましたし、アルテも自分の置かれた状況を少しづつポジティブな方向へと変えていきます。

そして、そんなアルテの姿が、周りにも影響を与えていき、女性への見方が少しづつではありますが変化していきます。

 自分の置かれた状況を嘆くだけでは、それを変えることはできません。自分の状況を他人に責任転嫁していても、それを変えることはできません。自分の置かれた状況を打開することができるのは、自分の努力だけなのです。

 そしてそれを体現するアルテの姿は我々にとってもすごく眩しく見えます。彼女の姿を見て、自分ももう少しだけ努力してみようと思わされるのです。

他人の「幸せ」を思うこと

皆さんは良かれと思って他人にしてあげたことが裏目に出たなんて経験はありませんか?

これってつまり自分は、この行為が相手の「幸せ」に繋がるだろうと考えて実行したのに、それが実は相手にとっては「幸せ」ではなかったということであるわけです。

相手にとって何が「幸せ」なのか?これを考えることは難しいことですし、正確に把握することは不可能に近いでしょう。

私は、相手の「幸せ」を思うということは、今ではなく未来志向であるべきだと思うんですよ。

私は、教育の現場に携わらせていただいた際に、このことを痛感しました。あるクラスで孤立していた生徒がいました。私は、自分が遊び相手になればそれを解決できるだろうと安直な発想に至りました。しかし、途中で気がついたのです。これはその子の「幸せ」にはつながらないということにです。なぜなら、私が見ていたのは「今」だけだったからです。

今、その子が私と遊んで、楽しんでいても、いつまでもそれが続くわけではありません。つまり、私がいなくなれば、その子はまた元通り孤立してしまう可能性があるのです。

大事なのは、その生徒の「今」ではなく「未来」を見てあげることだと気がつきました。以来、私はその生徒が他の生徒たちと関わる「架け橋」的な存在になれるように努めました。結果的にその生徒は、孤立から脱却して友人も増えていきました。

こういう経験をしたこともあって、私は相手の「幸せ」を思うということはつまり、相手の「未来」を思うことなんだと考えています。

そしてその考え方がこの「アルテ」という作品には色濃く反映されています。例えば、レオはアルテが女性だからと言って決して特別扱いしません。厳しい指導をしますし、男性と同じように力仕事も任せます。でも、こういった行動は全てアルテの「幸せ」つまり「未来」を思ってのことなんですよね。今、女性だからと言ってアルテを特別扱いすれば、将来的に彼女は間違いなく壁に直面します。それを思ってレオはアルテに接しているわけです。

 このように誰かが誰かの「幸せ」を、「未来」を思う幸福の連鎖がこの作品には溢れています。そして私はこの作品に描かれているものこそが、真に「他人の幸せを思う」ということなんだと思いました。

おわりに

「アルテ」という作品を紹介しようと考えて書き始めたのですが、途中で自分の思いが溢れすぎて、話が脱線してしまったことをお詫び申し上げます。

 ただ、普段マンガをほとんど読まない自分がこれほど熱く語ってしまう作品であるということはお伝えできたかと思います。

少し主題性やテーマ性にフォーカスしたので、難しく考えてしまった方もいらっしゃるかもしれません。しかし、単純に1人の少女の成長物語としてこの「アルテ」という作品は非常に魅力的です。

困難に直面しながらも、自分の置かれた状況を変えるために、「自分らしく」生きるために前進を続けるアルテの姿を一人でも多くの方にご覧になってほしいと思い、今回の記事を書かせていただきました。

興味を持っていただけた方がいらっしゃいましたら、ぜひ1巻だけでもお手に取ってみて欲しいと思います。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

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