【ネタバレ】『血の轍』解説・考察:反抗期の抑圧と居場所を求める母性

〇はじめに

 みなさんこんにちは。ナガと申します。

 今回はですね珍しくマンガの記事です。前回マンガの記事を書いたのは、おそらく志村貴子さんの「淡島百景」の時だったと思います。

 今回扱う作品は押見修造さんの『血の轍』という作品です。押見修造さんの作品はいつも過激な作風なのですが、今回はいつもにも増して攻めた作風となっております。 

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 本記事ではそんな『血の轍』という作品の解説や考察をしていけたらと考えております。記事の都合上作品のネタバレになるような内容に踏み込むことがあると思いますので、作品を未鑑賞の方はご注意ください。

 良かったら最後までお付き合いください。

〇目次

〇あらすじ・概要

 著者の押見修造さんは今や有名になりましたね。

 私が初めて読んだ作品は『スイートプールサイド』でした。毛が薄いことに悩む少年と毛が濃いことに悩む少女の思春期独特の悩みと心の奥底に孕んだ狂気の表出を鮮烈に描き出したこの作品は初めて読んだときに度肝を向かれたのを覚えています。


 そしてその次に読んだのが『惡の華』でしたかね。この作品がおそらく彼の著書の中で一番有名でしょう。恋心と地方都市の閉塞感、性徴、自己認識、アイデンティティ・・・。思春期に誰もが経験するイニシエーションのような感情たちを詰め込み、それらを狂気で味付けした何とも押見さんらしい作品です。



 最近の作品では「ぼくは麻里のなか」なんかが話題になっていましたね。実はまだラストまで読めていないんですが、この作品も入れ替わりものと見せかけておいて、実は自我がテーマの作品なんですよね。



 さてでは話を戻しまして『血の轍』のあらすじや概要を書いていこうと思います。



 この作品の主人公は中学2年生の長部静一という少年です。彼は母親の静子から周囲からは「過保護」と評されるほどの寵愛を受けていました。父がいて、母がいて、友達がいて、淡い恋心を寄せる女の子がいて。そんなごく普通の生活を送る静一の日常は一瞬にして崩壊します。ある夏の日、静一の家族は父方の親族と共にハイキングに向かいます夏の入り口は悲劇の始まり。押見修造が描く彷徨える自我の物語が新しいフェーズへと突入します。

 1巻の後半で既にもう放心状態になり、第3巻まではあっという間に読み進めてしまいました。いやはや恐ろしい作品です。押見修造さんの作品は人を選びますが、ハマる人はとことんハマってしまう狂気的な魅力があります。これまでの作品もそうだったのですが、今回はまたとんでもないことになっています。

 ぜひぜひチェックして見て欲しい作品です。

*ここからネタバレになるような内容に言及することがあります。




*ここからネタバレになるような内容に言及することがあります。

〇解説・考察:押見修造の『血の轍』を読み解く5つの視点

 さて今回は数多くの視点で捉える事ができる『血の轍』という作品を5つの視点に絞って考えてみようと思います。作品を読んだ方といろいろと語りたくなる作品ですし、本記事を読んで、皆さんのご意見等をコメント欄で聞かせていただけると嬉しいですね。

①静子による反抗期の抑圧


 静子は本作で周囲から静一に対して「過保護」すぎるという評価を受けています。それも当然で、べたべたと抱きついたり、頬にキスをしたり、ハイキングでも常にべったりくっついていました。

 さて子供が発達していく上で反抗期というものが存在しています。この反抗期というものは大体2回に分けてやって来ます。1度目は幼児期で2~3歳ごろに始まるのが一般的とも言われています。そして2度目がちょうど本作の主人公静一と同い年ぐらいで、ほとんどの子が中学生時代に経験すると言われています。

 では反抗期が人間の発達においてどんな意味を持っているのかと言いますと、それは自我の獲得なんです。つまり親からの精神的な自立を図ろうとする心理的な発達の兆候が表出する時期を反抗期と呼ぶわけです。子供はこの時期にそれまで精神的に依存しきっていた両親(とりわけ母親)と自分の関係性を改めて考えるようになり、反抗するという形で再構築しようとするんですね。一方的に保護される存在ではなく、1人の独立した存在として両親との関係を結び直そうとしているのです。

 もし反抗期を抑圧されてしまうとどうなるのでしょうか。反抗期という子供の発達に重要な時期を母親が抑えつけて、喪失させてしまったならば・・・。

 それこそが本作『血の轍』が描こうとしている主題です。静子は静一を幼児のように扱っている傾向があります。それはつまりいつまでも第2次反抗期を迎えない、自分に依存したままの息子に仕立て上げようという意志の介在が伺えます。

 中学校の友達とのコミュニティ、淡い恋心を寄せる吹石との関係。静一は確かに家庭の外にコミュニティを作り正常な発達を遂げています。しかし母親の静子がそれをぶち壊してしまいます。彼をそういった家庭の外部にあるコミュニティから遠ざけようと画策し、吹石からのラブレターを破り捨ててしまいます。

 そんな人並みの反抗期と精神的独立を妨害された静一はまるで母親に自我を吸い取られたかのように、吃音になり、精神を母親に支配され、母親への依存を強めていきます。

 本作も押見修造さんがこれまでの作品で描いてきたように自我が作品の大きな主題となっているのですが、今回は揺れ動く自我と言うよりも、自我の芽生えを謀殺されてしまった子供はどうなってしまうのかというところにフォーカスがあります。

②居場所を求める母性


 さて①において母親が息子の自我の発達を妨害しているという旨をお話してきましたが、ここからはなぜ静子が自分の息子を自分の支配下に(保護下に)置こうとするのかを考えてみようと思います。

 本作の第1巻で特に印象的なのですが、母の静子は父方の親族とあまり上手くいっていないのではないかという描写が散見されます。もちろん表象的には彼女も笑顔で取り繕ってはいるのですが、時折見せる影のある表情や何よりしげるを崖から突き落とすという行為がそれを物語っています。

 ハイキングのシーンで滑りそうになった静一を思わず抱きしめた静子を見て、父方の親族たちが見せる押見修造独特の不気味な笑いの1コマは彼らが静子に対して発している異様な雰囲気を可視化しています。

 そして第3巻で静子と父がけんかをするシーンがあるのですが、このシーンのセリフが印象的です。

「会いたくないの!あんな人たちに!」(あんな人たちは父方の親族のこと)

「私は静一が生まれてからずーっと1人ぼっち」

「消えたい。消えたいわ。静一がいるから、まだいるだけ。」

 やはりこの口ぶりからも彼女が父方の親族に何らかの因縁があることは確定的でしょう。

 そして何より印象的なのが静一に関する言葉です。彼が生まれてからずっと1人ぼっちという記述がなかなか解釈が難しいところです。これに関して彼がしげると仲が良いことなんかを見ると、彼らが幼少の頃からの付き合いであることが何となく分かります。

 つまり父は妻と息子を連れてしばしば自分の親族の元に行っていた、もしくは父は自分の息子をしげるらの下へ連れて行って、母親を一人ぼっちにしていたのではないかと推測しました。

 そして3つ目の「静一がいるから、まだいるだけ。」というセリフが静子の母性を強く表現していますよね。彼女は自分の家庭に静一の母親としてのみ居場所を見出せたんですよ。だからこそ幼稚園にもついていって一日中彼を見ているんです。

 では彼女が居場所を確保し続けるためにはどうすればいいのかというと、静一に対する母性の発揮が必要です。そのためには静一が反抗期を経験して親離れしていっては困るんです。いつまでも母親に依存した存在であってくれなければ困るのです。

 静子がいつまでも静一を「こども」扱いするのは、彼女が母親であることで自分の居場所を確保しようとする心理の表れなんだと思います。

③肉まんとあんまん

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(「血の轍」押見修造:第1巻15ページより引用)

 本作の中で印象的なのが肉まんとあんまんという2つの食べ物です。

 これは母静子が静一に毎朝する朝食に関する質問に関係しています、彼女は毎朝「朝はん、肉まんとあんまんどっちがいいん?」という質問を静一に投げかけています。

 彼はこの質問に決まってこう答えるんですよ。「肉まん。」と。

 この質問は彼がまだ小さい頃からずっと繰り返されているルーティンなのではないかと思われます。そして彼が「肉まん。」と答えるのも決まっているのではないかと思います。肉まん、あんまんという朝食自体が既に子供染みていて、静子が静一をずっと子ども扱いしているという様子が伺えます。

 またこの質問に対して吃音になってしまった静一が「あんまん。」と答えようとしたシーンがあるんですよね。しかし彼の口からはその言葉は出ることは無く、結果的に口から出たのは「肉まん。」という言葉でした。

 つまりこの肉まんとあんまんは静子の静一に対する支配を端的に表現しているモチーフなんだと思います。肉まんを選択することは、彼が母親の支配下にあることを含意しています。一方であんまんを選択することは、彼が母親の支配から脱することを意味しているのではないでしょうか。

 彼は吃音になりながらも必死で「あんまん。」と告げようとしましたが、それができないのです。

 ちなみに第25話では静子が「朝はん、肉まんね。」と決めつけるかのように静一に告げるシーンがあります。




④静一の部屋とそこに踏み込む人間たち


 本作において重要なモチーフだと考えられるものの中に静一の部屋があります。そしてこの部屋に入ったことが明確になっているのが、単純に本作では3人います。

 1人目が母親の静子に崖から突き落とされることとなるしげるですね。彼は静一の部屋で彼と一緒にテレビゲームをしていました。

 2人目が吹石ですね。彼女もまた静一に好意を寄せていて、告白ないしラブレターを渡すために彼の家を訪れました。その際に彼女は静一の部屋に行くことにこだわりました。

 3人目が言うまでもなく母親の静子です。彼女は朝になると無断で彼の部屋に入ってきますし、彼が吹石の告白を受けた際も無断で部屋に入って来て、ラブレターをビリビリに破り捨てました。

 つまり本作で明確になっているのは、彼の部屋という空間が彼の精神領域になっているんですね。そこに自由に出入りできる母静子という存在は、静一の精神を支配する存在なんです。そして彼女は自分が静一を独占するためにしげるを殺そうとしたとも考えられます。

 さてそうなってくると本作において静一を救える存在が誰かと言うのも自ずと明らかになってきますね。そうです吹石です。吹石は外部の人間で唯一静一の部屋に出入りした存在です。だからこそ彼女には彼の精神を母親の支配から解放できる可能性が備わっているんです。

 第24話で静一は一度母を拒絶するんですよね。その描写を受けてなのかもしれませんが、第25話では母は朝、いつもなら無断で部屋に入って来るのに、ドアの前に立って朝食の話をして去っていくんですよね。つまり母という存在が静一の精神領域を支配しきれなくなっていることが視覚的に仄めかされているのです。

 空間に意味を持たせるという演出はポール・トーマス・アンダーソン監督が「ザ・マスター」という映画で印象的に活用した演出でもありますね。

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⑤母親の表情と2つの死


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(「血の轍」押見修造:第2巻109ページより引用)

 本作では2つの死が描かれています。1つ目は白い猫の死。もう1つは親類のしげるの死(正確には死んではいない)です。

 非常に面白いのがこれらの2つの死がそれぞれ静一の第1反抗期、第2反抗期に当たる時期に起こっていることです。白い猫の死は3歳の時、そしてしげるの一件は14歳の時ですから時期的にはピッタリと一致します。

 もう1つ面白いのが第2巻の静一が幻覚で見た母親の表情です。目が真っ黒な空洞になっている静子の表情です。実はこの表情の母親がもう1つ登場している場所があります。それが第3巻のカバーの裏表紙なんです。

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 幼少の静一が描いたものと思われる母親の似顔絵なのですが、そこには瞳がきちんと描かれている似顔絵と目が空洞になっている似顔絵があります。

 これが意味するところというのは、つまり母親はかつて白い猫が死んだときに(もしくは殺したとき
に)その表情を静一に見せているのではないかという仮説ですよね。

 今後3歳の当時に何が起こっていたのかについても明らかになるとは思いますが、非常に気になるところですね。

〇おわりに


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(「血の轍」押見修造:第3巻81ページより引用)

 まだ第3巻までしか刊行されておりませんので、これからどんどんと物語が展開していくのだと思います。その中でも特に注目していきたいのはやはり吹石ですよね。

 押見修造作品において父親は基本的に重要な役割を果たさない、物語に干渉しないと相場が決まっています。しかも第3巻までの描写を見ていても、この父親が静一を救い出すメシアになるとは考えにくいです。

 今後母親と吹石の対決の構図になって来るとは思いますが、そうなった時に静一はどちらを選ぶんでしょうか。

 今後も単行本を購入してチェックしていきたいと思います。

 今回も読んでくださった方ありがとうございました。




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