アイキャッチ画像:(C)2017「泥棒役者」製作委員会
目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね、映画「泥棒役者」についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
「泥棒役者」
あらすじ・概要
「関ジャニ∞」の丸山隆平が映画単独初主演を務めたコメディ。
NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」、人気アニメ「TIGER & BUNNY」などで知られる脚本家の西田征史が2006年に作・演出を手がけた同名作品を映画用にリライトし、自身の2作目となる監督作品としてメガホンを取った。
かつて金庫破りとして泥棒稼業に足を踏み込んでいた大貫はじめ。今では足を洗い小さな町工場で真面目に働き、恋人の美沙と幸せな同棲生活を送っていた。
しかし、刑務所から出所したばかりのかつての泥棒仲間だった畠山則男に「美沙に泥棒だった過去をバラす」と脅されたはじめは、則男とともに泣く泣くある豪邸に泥棒に入る。
忍び込んだ豪邸で「豪邸の主人」「絵本作家」「編集者」と次々と別人に間違えられるはじめは、泥棒であることがバレたくない一心で間違えられた役柄を必死に演じることとなるが……。
はじめ役を丸山隆平、恋人の美沙役を高畑充希が演じるほか、市村正親、ユースケ・サンタマリアらが顔をそろえる。
(映画com.より引用)
予告編
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「泥棒役者」感想・解説
人生のヒントは思わぬところに
(C)2017「泥棒役者」製作委員会
子供の頃好きだったものというのは、忘れられないものである。
好きだった映画やアニメ、本、キャラクター、おもちゃ、その他どんなものであっても、子供の頃に大好きだったものは、大人になってからも絶対に記憶の片隅に残留し続けている。
それが自分の人生の分岐点や行き止まりへの直面に際して、ふと表層意識へと浮上して我々にヒントを与えてくれることがあるというものだ。
我々は、小学校に入学する時、中学校に、はたまた高校に入学する時に、社会人になる時に、人生の節目節目でそういった子供の頃に好きだったものを少しづつ「卒業」という形で切り捨てていく。
もしくは緩やかに忘却の彼方へと追いやっていく。それがある種の大人になるためのイニシエーションともなっている。大部分の人の趣味や嗜好は、年齢と共に大きく変化していくため、それは当たり前のことである。
本作「泥棒役者」で印象的なモチーフとして登場した「絵本」というものはまさにその中でも顕著な例と言えるだろう。
子供の頃は絵本を読んでいた人も、年齢を重ねるにつれて少しづつ活字主体の書籍を読むようになる。大人になって絵本を読んでいる人は少ないだろう。
そうして人は大人になるにつれて子供時代の趣味や嗜好を意識の深層へと追いやっていくのである。
しかし、そうした意識の深層にある子供の頃の記憶が時に、表層へと浮上してきて、苦悩し葛藤する大人になった我々に手を差し伸べてくれることがある。
それは、子供の頃に好きだったものというのは、自分の人格形成や発達に大きな影響を与えているものであるからに他ならない。
特に本作「泥棒役者」に登場した「絵本」というものは誰しもが幼少期に慣れ親しんだメディアであり、自分の価値観、考え方、倫理観、道徳観の形成に多大な影響を与えている可能性が高い。
そして幼少期の頃のことであるがために、それを我々はほとんど覚えていないのだ。だがそれらは、間違いなく大人になった我々の基幹を担っている。
だからこそ、不意に表出した童心は、我々に「自分の原点」を教えてくれるのである。
自分らしさとは何か?を考えさせてくれ、もう一度我々を原点へと還らせてくれる。
原点に立ち返った我々は、そこから再び人生を歩み始める。それは人生の第2章、つまり続編だ。人生を再スタートするのに遅いも早いも無い。いつだって原点に戻り、そこから始める事ができる。
「絵本」というのは、我々を人生の続編へと導いてくれるある種のトリガーなのである。
一歩の大きさは人それぞれで良い
(C)2017「泥棒役者」製作委員会
映画はいわばフィクションである。
実はを元にした物語やドキュメンタリーと言ったジャンルも存在するが、それらも結局はフィクションでしかない。全ては創作物である。
映画に限った話ではないが、フィクションでは「脚色」と言う行為が可能になる。
つまり鑑賞する人々に強烈なインパクトを与えるために映像そのものや展開を派手に「脚色」することができるのである。これは、映画を初めとするフィクションを扱うメディアの特権でもある。
だが、この「脚色」によって作品が「出来すぎて」しまうというのが、大きな悩みの種でもある。
特にそれが感じられるのが、物語を通して登場人物たちの考え方や価値観、行動に過剰過ぎる変化を強要する「脚色」である。
人は、はっきり言って簡単にその生き方を変えられる生き物ではない。人の内面に起きる変化というものは、総じて緩やかなものである。長い年月をかけて形作られたものは、長い年月をかけなければ変える事ができない。
だが、フィクションでは短い時間で、与えられた単位時間で鑑賞する側に最大限のカタルシスを提供しようとするために、登場人物を大きく変化させようと試みる。
映画としてはそれで良いのかもしれないが、そういう作品を見ると、無性に心苦しくなる。「優しさ」が感じられないとでも言うべきだろうか?
見終わった後に、「変わらなければならない」「前に進まなければならない」と脅迫されているようにすら感じられるのだ。
だからこそ、私が求めているのはそういった脅迫まがいのフィクション的なカタルシスではなくて、現実に寄り添うようなノンフィクション的な「優しさ」なのだ。
2016年にアメリカで公開され、2017年に日本でも公開になった「マンチェスターバイザジー」という作品は、その「優しさ」が顕著に表れた作品であるといえる。
フィクション的なカタルシスを放棄し、徹底的に現実志向へと傾倒した。その結果としてもたらされたのは、「変わらなくても良いという優しさ」だったように思う。
「すぐに変われなくても良い、無理に前を向かなくても良い。自分のペースで。」という我々に寄り添い、そして我々を包み込むような作品の包容力に涙が溢れた。
そして、本作「泥棒役者」にも同様の優しさと包容力が感じられた。序盤から一貫してフィクション的なある種の「ご都合主義的な」展開で進行していった物語が、終盤になると急激にその色を変える。
泥棒役者は、恋人に自分の過去を打ち明け、そして受け入れられた。
落ち目の絵本作家はようやく亡き妻と一緒に作り上げた絵本の続編を出版した。
悩む編集者は、自分らしさを取り戻した。
売れないセールスマンはやっと画材を1つ売ることに成功した。
伸びないユーチューバ―は少しだけ再生数が伸びた。
刑務所から出てきた泥棒は着ぐるみのバイトを始めた。
変化したようで、変化していない。でも少しだけ前に進んでいる。大きな一歩。小さな一歩。登場人物が踏み出した一歩はそれぞれ歩幅は異なる。
「自分らしい、自分なりの一歩で良い」という地味で、フィクション映えしないありふれたようなメッセージ性が「優しさ」を帯びて、映画「泥棒役者」の終盤にギュッと込められているのだ。
だからこそ、私はエンドロールに入ってから無性に泣けた。涙がとめどなく溢れた。
無性に「泥棒役者」という映画の優しさに甘えたくなった。
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高畑充希演じる美沙が全男性理想の彼女過ぎる件について
本作を見終えた男性は、まず間違いなく同じ感想を抱いていることだろうと思います。
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人の善も悪も包み込んで、「赦し」を与える圧倒的包容力。
その姿はもはや聖母マリア。
この章では、美沙が全男性理想の彼女過ぎる件についてお話していきましょう。
かわいい
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特筆すべきことはありません。かわいい。かわいいです。
料理上手すぎる。
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いつの時代も料理上手の女性というものは、男性からの好感度が高くなります。女性の社会進出が進んできた現代でも、結局女性に料理上手を求める風潮って変わらないと思うんです。
天ぷらを揚げたり、カニクリームコロッケを作ったりするシーンがありましたが、自分も働いているのに、同棲している彼氏のはじめのために料理を丹精込めて作る姿は全男性の理想と言っても過言ではないのです。
天性の明るい性格
もともと主人公のはじめは暗い性格で、コミュ障気味だったと言います。そんな彼を変えてくれたのが天性の明るさを持つ美沙の存在でした。自分から積極的に話しかけ、口下手なはじめを苦にする様子もありません。
連絡はマメにしてきますが、それでいて束縛しているわけでもありません。こういう根っからの明るい性格を持っている女性を嫌う男性はまずいないでしょう。
誕生日の約束をすっぽかされてあの対応!?
誕生日の前日に、はじめは誕生日プレゼントを買えていないと告げます。そんなはじめに、美沙は「一緒に居てくれるだけで嬉しいよ。」と一言。
はじめが今作において事件に巻き込まれたのは、奇しくも美沙の誕生日でした。はじめは美沙をデートに誘っていましたが、則男の登場でその約束をすっぽかしてしまいます。はじめは仕事だからと連絡を入れます。
自分の誕生日の大事なデートをすっぽかされた美沙。しかし、彼女はそんなはじめに「仕事頑張ってね。」と激励メッセージ。さらには、自分の誕生日なのに料理を作ったり、ケーキを買ったりしてはじめの帰宅を待っています。
遅くにはじめが帰宅しても、少し拗ねているような仕草は見せるものの怒ったり、文句の1つも言いません。
さすがにここまで滅私奉公気質の女性がいたら驚きですが、世の中の男性はこんな女性を夢見てしまうものです。男性の理想をそのまま具現化したような女性ですね(笑)。
今の自分を見てくれる
はじめは、作品の終盤に自分が少年院に入っていた過去があることを美沙に告げます。
そんな美沙は知っていたとケロッとしています。はじめの過去がどうだったかなんて気にしていなかったのです。現在のはじめを見て、そして好きになったのだと告げる美沙。
まるで絵本のような世界
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本作に登場するキャラクターは全員がすごく個性的ですよね。キャラが濃い人たちばかりです。
そしてさらに言うと、前園さんの屋敷の舞台装置もまるで絵本の中のように、カラフルで現実離れした絵画のような装飾が施されています。
このように本作は、作中に絵本が重要なモチーフとして登場することに起因して、映画そのものが絵本のような映像と物語になっているんですね。
そのため、この映画を見ているとすごく懐かしい気持ちになります。子供の頃に絵本を読んでいた時のような感覚を味わう事ができます。
作中で前園さんが言っていましたよね。
絵本は、暗い話ではなくて明るい話でないといけない。
本作は、一貫して暗い物語にはシフトしないんですよね。徹底的に映画の中の彩度と明度を保っています。時に笑えて、時に涙して、そのままハッピーエンドへとひた走ります。
映画と言う視覚志向のメディアの特性を生かした上手い映像作品になっていた点は高評価したいですね。
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おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画『泥棒役者』についてお話してきました。
正直なところ、あまり期待値は高くなかった本作ですが、予想を大きく裏切ってくれる良作に仕上がっていたように思います。
本編を見ているときは、ひたすらに笑っていたんですが、エンドロールに入ると無性に泣けてきて、涙が止まらなくなりました。
ワンシチュエーションムービーという、演劇的な映画でしたが、映像メディアならではの特性も上手く生かしつつ「絵本映画」として素晴らしい完成度でした。
あとこの映画の高畑充希可愛すぎました。好きになっちゃいますよ、こんなの(笑)。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。