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目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回は映画『メリーポピンズ リターンズ』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『メリーポピンズ リターンズ』
あらすじ
そもそも『メリーポピンズ』というのは、1964年に公開された映画作品です。
実写とアニメーションが融合した斬新な映像が高い評価を獲得し、その年のアカデミー賞で13部門にノミネートする快挙を見せました。
その舞台となったのは、1910年のロンドンです。
まさに第1次世界大戦の寸前で、イギリス帝国主義の繁栄がまだ仄かに残っている時代ですね。
メリーポピンズはこの時代にとある家族の下を訪れています。
- ジョージ・バンクス:厳しく気難しい銀行家
- ウィニフレッド:女性参政権運動に没頭
- 二人の子供:姉のジェーン&弟のマイケル
その通りです。
ちなみにナニーというのは、19世紀頃から第二次世界大戦前まで、イギリスの中流階級以上の家庭で雇われていた子供の養育係の女性でした。
メリーポピンズはバンクスの家でジェーンとマイケルのナニーとして働き、彼らに「不思議な世界」を見せ、そして厳格なバンクス氏をも変えました。
そうして彼女は自分の役目が終わったと感じ、去っていったのでした。
そして舞台を世界恐慌期のロンドン(1930年頃)に移したのが『メリーポピンズ リターンズ』ということになります。
物語は前作では子供だったジェーンとマイケルが大人になった家にメリーポピンズが再びやって来るところから始まります。
その頃、バンクス家は裕福とはいいがたい状況になっていて、さらには銀行の融資が切れて、家があと5日で差し押さえになるという危機に瀕してしまいます。
再び家族の危機を迎えるバンクス家を「あらゆる点で完璧(practically perfect in every way)」なメリーポピンズは救うことはできるのか・・・?
キャスト・スタッフ
- 監督:ロブ・マーシャル
- 脚本:デビッド・マギー
個人的には、ここ最近の作品に良い印象がなかったのが、ロブ・マーシャル監督ですね。
彼は「パイレーツオブカリビアン」シリーズの中でもちょっと格が落ちる『パイレーツオブカリビアン 生命の泉』やディズニー実写の中でも出来がイマイチな『イントゥ・ザ・ウッズ』の監督です。
ただ、やはりロブ・マーシャル監督と言えば『シカゴ』ということになるでしょう。
ミュージカル映画界に革命を起こした名作にて、監督を務め、アカデミー賞にて作品賞、助演女優賞、美術賞、衣装デザイン賞、音響賞、編集賞など多数の賞を受賞しました。
また、脚本・原案を担当しているのは、『ライフオブパイ』のデビッド・マギーですね。
個人的に『ライフオブパイ』が非常に好きな映画だったということもあり、これは非常に嬉しいですね。
- 美術:ジョン・マイヤー
- 衣装:サンディ・パウエル
- 音楽:マーク・シェイマン
視覚効果賞なんかにもノミネートしてくるかなと思いましたが、ノミネートできずでした。
ただ誰もが見ていて素晴らしいと感じる衣装や美術に関してはしっかりとノミネートしていますね。
当時のイギリスを衣装や美術で再現しつつも、メリーポピンズがもたらす「想像」の世界を華やかに彩りました。
- エミリー・ブラント:メリー・ポピンズ
- ベン・ウィショー:マイケル・バンクス
- エミリー・モーティ:マージェーン・バンクス
- コリン・ファース:ウィリアム・ウェザーオール・ウィルキンズ
最近『ボーダーライン』や『クワイエットプレイス』などに出演し、注目を集めている女優ですよね。
メリーポピンズの凛とした立ち振る舞いと、優雅な所作が板についている様子で、ダンスや踊りも完璧だったので、エミリー・ブラントのことをさらに好きになってしまいました。
そして、マイケル・バンクスを演じるのはベン・ウィショーですよね。
彼はやはり何と言っても近年の『007』にQ役として出演してることで有名ですよね。
ちなみに彼は当ブログ管理人が一番好きな男性外国人俳優です!!
今回はサンディ・パウエルの衣装が素晴らしかったこともあり、より彼の魅力が引き立っていたように感じました。
ちなみに英国を代表する俳優であるコリン・ファースも出演しています。
より詳しい作品情報を知りたい方は映画公式サイトへどうぞ!
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『メリーポピンズリターンズ』感想
圧倒的に魅力的な映像
いやはや何と言っても『メリーポピンズリターンズ』を見た時に衝撃だったのは、その映像ですよね。
1964年に公開された『メリーポピンズ』でもアニメーションと実写の融合が取り入れられ、注目を集めました。
ただその頃よりも映像的な技術が飛躍的に進化しているということもあり、映像は前作とは比較できないほどになっています。
まず、何と言ってもそのアニメーションと実写の究極の融合ですよね。
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2Dのアニメーションの部分に実物のスカーフが結び付けられているんですよ。
いやはやこんなのどうやって撮るんだよって感じなんですが、今やグリーンバックを使えば映像の可能性は無限大なんですね。
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グリーンバックで馬車を作ってしまって、そこで俳優陣に演技をしてもらい、その後でアニメーション映像を足し込んで行ったわけです。
ただそれにしても近年はディズニーは3Dアニメーションに力を入れていて、2Dアニメはご無沙汰していた印象を受けるので、『メリーポピンズリターンズ』のアニメーションには懐かしさを感じました。
グリーンバックで撮影をし、その後に手描きのアニメーションを映像に精巧にはめ込んでいくという作業には本当に驚かされました。
前作『メリーポピンズ』のアニメーションはただ、アニメーションが実写の背景にあるだけという印象も強いですよね。
ただ、CGの技術が発達した現代においては登場人物とアニメーションが一緒に踊るなんてことも可能になったわけで、特に「A Cover Is Not A Book」を踊るシーンは圧巻でした。
また2Dと3Dの融合ということで欠かせなかったのが、衣装という要素です。
アカデミー賞の衣装賞にノミネートしたサンディ・パウエルの作り上げた衣装をご覧ください!!
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そうなんですよ。『メリーポピンズ リターンズ』の不思議な世界で使われている衣装はどれもアニメーション特有の輪郭線や平面感が反映されていて、だからこそあの世界にぴったりと馴染みます。
この衣装は本当に計算して作られているんだなと感心してしまいましたね。
で、ここまで読んでくると、『メリーポピンズ リターンズ』って結局グリーンバックばっかりじゃないか!!と思う方もいらっしゃると思うんです。
ただ、この映画は「セットを作る」ことの醍醐味も大切にしている映画です。
このメイキングを見てください!!
何でもかんでもCGに頼り切ってしまうのではなく、こういった部分でクラシカルな映画撮影の要素を取り入れている点も本作の映像的な魅力なのではないかと思います。
とにかく2019年必見の圧巻の映像美であることは間違いありません!!
これはぜひぜひ劇場で堪能してほしいと思います。
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続編は必要だった?
近年ハリウッド映画界はよほどネタ切れなのか、続編、リブート、スピンオフ、リメイク映画を頻発しています。
まあその中には、もちろん手放しで絶賛できるレベルのきちんと意義を感じられる続編もあるわけですが、如何せん玉石混交で金儲けに作っただろ・・・感満載の映画もあります。
個人的に『メリーポピンズ リターンズ』という作品には正直に言わせていただくと、続編としての魅力を感じませんでした。
そもそも『メリーポピンズ』という作品は、『ウォルトディズニーの約束』という映画を見ていただけると、分かりやすいのですが、バンクス氏(父)にフォーカスが当たる映画なんですよ。
ウォルトは著者のロバート・スティーヴンソンに「バンクス氏のような人を救おう!!」という言葉を投げかけて、映画の製作・公開へと踏み切りました。
そして『メリーポピンズ リターンズ』はと言うと、対照的に「子供」にスポットを当てた映画になっています。
時代設定を世界恐慌期に移したことで、子供たちですら「想像力」ではなく、現実を見て生きていくようになった時代。
まさに風船よりも食べ物を買うことを考えて生きていかなければならなくなった時代ですよ。
そんな時に、メリーポピンズは現れ、子供たちの想像力の扉を開きます。
現代においても、経済格差などを背景として子供が「現実」を見て、生きていかなければならない状況が生まれているわけですが、そんな時代にこそ「想像力」を大切にして生きて欲しいという願いがこの続編には込められています。
確かにこういう思いがあるからこそ、こんな時代だからこそメリーポピンズをリターンズさせなければならなかったんだという言い分は分かります。
しかし、どうしても許せないのがこの映画はコリン・ファース演じるウィリアム・ウェザーオール・ウィルキンズには「救い」を示さなかったんですよ。
なぜなら先ほども書きましたように『メリーポピンズ』という作品のそもそもは「想像力を失った大人」に救いの手を差し伸べる物語だったからです。
それにも関わらず、『メリーポピンズ リターンズ』は原作者やウォルトの考え方でいくと、一番救われるべき人間であるはずのウィリアム・ウェザーオール・ウィルキンズには「救い」提示しません。
それどころか彼は、ラストシーンで風船を売っている女性に「あんたには無理なようね・・・。」みたいな小言を言われる始末ですよ。
これは正直に言って、『メリーポピンズ』の続編としてはあってはならないことだと感じました。
他にも、クラシカルなミュージカルを蘇らせたいという気持ちが先行していて、ミュージカルとしての目新しさに欠け、非常に保守的な内容に仕上がっている点も気になります。
加えて、個人的に思ったのは『プーと大人になった僕』を公開した直後にこんな映画作るかね?ということです。
『プーと大人になった僕』という作品は、クリストファーロビンというアイコンが確立されていたからこそ、彼が大人になった物語を描く意義がありました。
しかし、『メリーポピンズ』においてそもそも作者のパメラ・L・トラヴァースが反映させたのは、自身の父親への思いでした。
つまりこの作品のアイコン足るキャラクターはベン・ウィショー演じるマイケルではなくて、あくまでも彼の父親であるジョージ・バンクス氏なんですよね。
だからこそそのアイコン足る存在が不在となった物語を、わざわざ彼の息子の物語として、しかも世界恐慌期を舞台にして語る必要性が薄いんですよね。
まああまり深く考えることなく、楽しむべき作品かとは思いますので、小言ばかり言って申し訳ないのですが、個人的にはどうしても続編を作る意義は薄かったような気がします。
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『メリーポピンズ リターンズ』解説
前作から懐かしいキャラクターたちがリターンズ
本作には、1964年に公開された『メリーポピンズ』に登場していたキャラクターも多数登場しています。
- ハトの餌を売る老女
- ブーム海軍大将
- 家政婦エレン
- 貧しい老婆が売る鳩の餌に小遣いの2ペンスを使おうとする
- 凧
- ペンギンのアニメーション
- ミスター・ドース・ジュニア
まず、冒頭のジャックが歌いながらロンドンの街を自転車で走っているシーンで、セント・ポール大聖堂が映し出されていました。
その時に、前作にも印象的に登場したハトの餌を売る老女が出演しています。
ブーム海軍大将については言うまでもなくですよね。
今回も時報を大砲で鳴らし、隣のバンクスの家を揺らし、陶器類を危機に陥れていました(笑)
そして今回の物語の1つのキーになった「貧しい老婆が売る鳩の餌に小遣いの2ペンスを使おうとする」という前作での行動ですね。
ジェーンとマイケルは寺院を訪れた際に持っていた2ペンスを貧しい老婆が売っているハトの餌を買うために使おうとします。
その後、物語の終盤で子供たちからジョージ・バンクス氏に2ペンスが渡り、彼はそのお金を銀行に預けていたということが今回の『メリーポピンズ リターンズ』で判明しました。
あとは、凧ですよね。
前作の終盤に家族の大切さに気がついたジョージ・バンクスが家族で凧揚げをしている描写があるんです。
つまり『メリーポピンズ』における凧というモチーフは「家族の大切さ」を象徴するものでもあるわけです。
その点を踏まえて考えると、本作において冒頭にマイケルが凧を捨てようとするシーンにも深い意味が見えてきますよね。
加えて彼ら家族を救うきっかけになったのが同じく凧だったという点も重要ですよね。
最後にミスター・ドース・ジュニアについてですね。
実は前作のヴィランであるミスター・ドース・シニアを演じていたのがディック・ヴァン・ダイクという俳優なんですが、今作で、ミスター・ドース・ジュニアを演じているのもまたディック・ヴァン・ダイクなんです(笑)
他にも当ブログ管理人はまだ読めていないんですが、書籍『帰ってきたメリーポピンズ』からの引用もあるようです。
こちらも機会があれば読んでみたいと思います。
ミュージカル=虚構という定理を突き崩す
ケンダル・ウォルトンという方がこんな言説を書いています。
森を散策している時に、エリックがグレゴリーに向かって「切り株がクマだということにしよう」と提案したとしよう。グレゴリーが同意して、切り株をクマに見立てるごっこ遊びが始まる。
これ以後全ての切り株が、そのごっこ遊びの中ではクマと見なされることになる。グレゴリーが「ほら、あそこにクマがいる」とエリックに言う。
エリックはうなずく。だが、近くにいたスーザンは、このやり取りを聞いて怖くなってしまう。グレゴリーとエリックは、スーザンに「クマがいるのは、ごっこ遊びの中でなのだ」と教えてあげなくてはならない。
「あそこにクマがいる」というグレゴリーの発話は、現実世界の中での観察報告として成り立っているのではなく、そのごっこ遊びで想像される世界の中で成り立っているのである。
(Walton 1990)
これをミュージカル映画に置き換えると、ミュージカル映画における歌唱シーンはあくまでも当事者の心象風景を映し出すある種の「虚構」であり、同時に別視点で見ると、彼らが歌って踊っていない「現実」が存在するという話になるわけです。
そういった「ミュージカルの虚構性」は長らく指摘されてきた点で、それを巧く使ったのが2017年に日本でも公開された『ララランド』という作品でしょう。
この作品はミュージカル演出を徹底的に1組の男女だけが共有する「ビジョン(=虚構)」として用いることで、2人だけの世界を演出してみせました。
一方の『メリーポピンズ リターンズ』という作品は、ミュージカル演出を徹底的に物語の推進力の1つとして用いる現代的なミュージカル映画ではありません。
ミュージカル演出はミュージカル演出として徹底的に分断されており、物語の推進力としては、あまりウエイトが重くありません。
そしてそのミュージカルが有している「虚構性」というものを逆手に取って脱構築しているのが『メリーポピンズ』であり、『メリーポピンズ リターンズ』ということになります。
人は大人になると、物事の分別がつくようになり、虚構と現実の区別がつくようになっていき、次第に虚構に目を向けることが少なくなっていきます。
この性質を利用したのがまさしく『ララランド』というミュージカル映画であります。
一方で『メリーポピンズ リターンズ』が打ち出すのは、虚構と現実が1つの世界の中に同時に存在しており、どちらも「真」なのだという世界観です。
それは2Dアニメーションと実写映像が同時に1つのカットに収まる映像的な側面から見ても明らかですし、メリーポピンズはしきりに「想像の世界=現実」なのだということを説いています。
この作品はミュージカルという演出が有している虚構性を非常に巧く用い、作品の主題に落とし込んでいると言えるでしょう。
第2次世界大戦と隣人の大砲の意味
この映画を見ていて、皆さんが1つ疑問に感じたであろうポイントはブーム海軍大将の大砲が「時報代わり」になっているんですが、ビッグベンの指し示す時間とずれているというところでしょう。
その謎を解くカギは、終盤にありました。
終盤にメリーポピンズがビッグベンの時計を「5分」遅らせて、それによってバンクス一家は無事に家を守ることに成功するわけです。
するとビッグベンを遅らせたことで、ブーム海軍大将の大砲による「時報」が時計の鐘のタイミングと一致します。
この描写にこそあの大砲の意味が隠されていると思いました。
『メリーポピンズリターンズ』の時代設定は1930年頃で、つまりは第1次世界大戦と第2次世界大戦の狭間に位置する時代です。
つまり徐々に時代が戦争へと向かっていった時代だったわけです。
その中でメリーポピンズがビッグベンの時計を巻き戻すという行為は、もしかしたら戦争は止められないかも知れないけれども、彼女ならば、それを少しだけ遅らせることができるという意味にも捉えられます。
そしてその猶予が人に考えさせる時間を与え、起きてしまう筈だった悲劇を防ぐことに繋がるかもしれません。
そして終盤にブーム海軍大将の大砲がビッグベンの「時報」と一致しました。
つまりこういうことだと思います。
- ビッグベンとずれた大砲の音:ただの武器としての大砲の行使
- ビッグベンの「時報」と一致した大砲の音:時を知らせるためのもの
大砲というアイテムは当然、戦争で用いられ、武器として活躍します。
しかし、見方を変えれば、それは「時報」として平和的な機能として用いることだってできるはずです。
そしてその見方の転換が、メリーポピンズが時間を遅らせたことで生じたという点も特筆すべき点でしょう。
そう考えると、メリーポピンズがビッグベンの時計の針を遅らせるという行為と、1930年代という時代背景、大砲という戦争を想起させるアイテムは1つの線で繋がっているように思えますね。
おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画『メリーポピンズ リターンズ』についてお話してきました。
『メリーポピンズ』の続編としては正直不満も残る内容であったことは否めませんが、視覚的な快感が凄まじく、見ていて非常に幸せな気持ちになれる映画でしたね。
こういう映像的な魅力が際立っている作品は、映画館で見てこそだと思いますので、ぜひぜひ映画館に足を運んでみてください。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。