【ネタバレあり】『BLEACH ブリーチ』感想:原作と実写版の違いを徹底比較!

アイキャッチ画像:(C)久保帯人/集英社 (C)2018 映画「BLEACH」製作委員会

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね実写版の映画『BLEACH ブリーチ』についてお話していこうと思います。記事の趣旨としましては、原作と比較をしていく中でこの映画版の魅力を見出していこうというものです。

そのため実写映画版の内容と原作7巻までの内容に言及していきます。作品を未鑑賞の方はネタバレになるような内容を含みますので、ご注意ください。

良かったら最後までお付き合いください。

あらすじ・概要

「週刊少年ジャンプ」で連載され、アニメ版も人気を博した久保帯人原作の大ヒットコミック「BLEACH」を、福士蒼汰主演で実写映画化。幽霊が見えてしまう高校生・黒崎一護は、ある日突然、人の魂を喰らう巨大な悪霊「虚(ホロウ)」に遭遇する。

命を狙われる一護と家族の前に死神を名乗る謎の少女・朽木ルキアが現われ虚に立ち向かうが、重傷を負ってしまう。窮地に追い込まれたルキアは最後の手段として、本来は人間に与えてはならない死神の力の一部を一護に渡す。

それ以来、一護は高校生活を送りながら死神代行として戦いの日々に身を投じていく。

死神の少女ルキアを「湯を沸かすほどの熱い愛」の杉咲花、一護のクラスメイトで「滅却師(クインシー)」の生き残りである石田雨竜を「ママレード・ボーイ」の吉沢亮が演じる。監督は「アイアムアヒーロー」「いぬやしき」の佐藤信介。

映画com.より引用)

佐藤信介監督と下村勇二監督

さて今回の実写映画版『BLEACH ブリーチ』に携わっている監督とそしてアクション監督について最初にご紹介しておきたいと思います。この2人に関してはぜひとも名前を覚えていって欲しいです。

まず佐藤信介監督に関しては、おそらく彼が監督した作品を見たことがあるという方は多いと思います。『GANTZ』シリーズですとか『図書館戦争』シリーズ、また近年では『アイアムアヒーロー』や『いぬやしき』の実写版を手掛けて大きな話題を呼びました。

『GANTZ』や『図書館戦争』の頃はまだ粗削り感があるとは思っていましたが、『デスノート Light Up The New World』の頃には監督として洗練された印象を持ちました。この映画自体はかなり酷評されているんですが、個人的には高く評価していて、冒頭のロシアパートや東京でのデスノートを使った無差別虐殺のシーンは視覚的なスペクタクルに富んでいて、素晴らしかったと思います。

そして『アイアムアヒーロー』は漫画の実写化映画の中でも5本の指に入るであろう屈指の名作になったと言えます。圧倒的なアクション、ゾンビ映画としての完成度の高さ、エキストラを使った街がパニックに陥っていく様の撮影、全てにおいて邦画トップクラスの内容で、多くの人を驚かせました。

今年の4月に公開された『いぬやしき』でもそんな過去作の経験が活きていて、東京で獅子神が登場した際に大きなパニックが巻き起こる様を、邦画としては大規模なエキストラを動員し、撮影することでよりリアルな質感をもって描けていました。

今、日本の限定的な予算や人員の中でハリウッドのブロックバスターに対抗できる映画を撮れるとしたら、個人的には佐藤信介監督しかいないんじゃないだろうかというくらいに高く評価しています。『デスノート Light Up The New World』の冒頭ロシアパートを見て以来、その確信は変わっておりません。

そしてもう1人ご紹介しておきたいのが、本作のアクション監督を務めた下村勇二監督です。彼が大きな注目を集めたのは、『RE:BORN』という作品です。

実は当ブログ管理人はアクション映画には疎いんですが、この作品は一目見ただけで「すごいアクションだ!」と驚かされました。ナイフや体術を用いた近接格闘で1人の男が多勢を次々に倒していく「無双シリーズ」式のアクションシーンが大迫力で、視覚的な快感が尋常ではありません。

このレベルのアクション映画って実写版『亜人』なんかはかなり高い水準にあるとは思いましたが、正直邦画には前例がないように思いました。

そういう邦画界では規格外の才能を持つ2人が今回『BLEACH ブリーチ』という作品でタッグを組んだということで、これは見ないわけにはいかないぞということで公開日に見てきた次第です。

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原作と徹底比較することで見えてくる実写版一長一短

さてここからは脚本的な部分がメインのお話になりますかね。個人的にはあまりキャラクターが原作と似ているかどうかは気にしません。確かに井上織姫からは「巨〇」要素が完全に欠落していましたし、ルキアもビジュアル的には杉咲花ではイメージとは違います。

しかしですよ、織姫は映画では出番が少ないので何とも言えませんが、ルキア役の杉咲花は劇中で「朽木ルキア」というキャラクターを完全に自分のものにしていました。外見的なビハインドを、その演技と精神性の近似という点できちんとカバーできていましたし、ちゃんとルキアになっていました。

やはり映画的な外面云々はあまり気にならなくて、私がいつも実写版を見る時にフォーカスするのは原作の核をきちんと受け継げているかどうかと、それを踏まえて映画として1つの物語を語れているかどうかです。

そういう意味では今回実写版『BLEACH ブリーチ』が挑んだ「死神代行篇」ってかなり難易度が高かったと思うんです。なぜならこのパートは『BLEACH ブリーチ』という長きにわたって週刊少年ジャンプを支えた人気漫画の序章も序章だからです。つまりこのパートだけでは何の「完結」もしていないんです。

そうなると映画として1つの物語にするために大きな改変が必要になってきます。その点で今回は原作と映画を比較することで、本作がどのようなアプローチを取ったのかという点を考えてみたいと思います。

冒頭のオカルトチックな雰囲気→〇

これは原作にはなかった作品の雰囲気だと思いましたし、個人的には非常に面白いと思いました。というよりも予告編でこのオカルトチックな雰囲気をバンバンに出していたのが、劇場に足を運んだ1つのきっかけでもありました。

アメコミヒーロー映画の『X-MEN』シリーズも撮り直しになったので、もしかすると作風が変わるのかもしれませんが、『The New Mutants』という新作でかなりホラーとオカルトテイストが強めの映画を撮ろうとしていました。

『BLEACH ブリーチ』ってやっぱり少年誌特有の王道バトルもののイメージが強いんですが、幽霊であったり虚であったりと登場するモチーフ自体は極めてオカルトの類なんです。だからこそその要素を存分に活かした演出をしてきたんだと思いましたし、何なら全編ホラー・オカルトテイストの『BLEACH ブリーチ』も面白いんじゃないかと思えてきました。

茶渡、織姫、雨竜、竜貴らのエピソードカット→△

ナガ
見たかったけど尺的に仕方がないよね・・・。

これはもう死神代行篇を映画化すると決まった時点で、やむを得ない改変だと思います。2時間弱の映画の脚本へとコンバートしていく中で、一護とルキア以外のキャラクターを掘り下げ始めると、これはもうキリがありません。

確かに織姫のお兄さんとのエピソードなんかは自分も大好きで、感動した部分なので、見たかったのが本音ですし、雨竜の師匠との関係性や、死神に対する思いみたいなものもすごく重要なので、見た勝ったとは思います。

ただそれをやっていると映画として風呂敷が広がりすぎて、とても2時間では畳みきれませんし、この大幅カットは正解だったと思います。この辺りのキャラクターの個々のエピソードをもっと知りたいという方は原作を読んでみましょう。

コンに関しても全面カット→△

実写映画版で一護が死神になっている間、肉体はその場で放置という実にシュールな映像になっていましたが、原作にはコンというモッドソウルが存在していて、一護が死神になっている間はコンが代わりに肉体に憑依して活動してくれるという仕組みになっています。

確かにこの設定を取り除いてしまうと、肉体はその場で放置状態になるという何とも不可解すぎる事案が発生するのですが、死神代行篇のコンって、言ってしまえば「コメディ要員」みたいな役割を果たしている節があります。

ですので、コンを登場させてしまうと実写映画版のコンパクトかつタイトに作られた世界観が緩んでしまうという危険性があります。そう考えると、この設定のカットもやむなしかと思いました。

グランドフィッシャーに関して→×

グランドフィッシャー戦は言わば本作の要になる部分だったと思うんです。原作ではグランドフィッシャーは中の上クラスの虚で、最強というわけでもないんですが、実写版では虚界最強みたいな扱いへと変わっています。これに関してはこの映画においてグランドフィッシャーが一護の過去の清算と超えるべき壁として君臨していたことから考えても悪くない改変だと思います。

個人的に気になったのが、グランドフィッシャーが母親の幻影を使うシーンなんですよ。実写版のグランドフィッシャーって割と戦い初めてすぐに幻影を出してしまったイメージなんですが、ここはもっと溜めて欲しかったですね。というのも今回は一護が母親を守れなかったという過去と向き合う話を中心に据えました。そうであれば、母親の幻影はグランドフィッシャーの奥の手的な立ち位置であってほしかったと思ってしまいます。

そしてあの原作の倒し方を出来れば踏襲してほしかったですね。母親を切れないだろうと挑発された一護は、その母親の幻影は斬らずして、背後のグランドフィッシャーを斬るんです。ここが凄く視覚的にも印象的なシーンだったので、実写版でも再現してほしかったなぁとは思いますね。

ちなみに原作だとグランドフィッシャーは一護には倒されずに逃亡していきます。ただ映画版でしっかりと決着をつけたのは英断だったと思いますね。

修行パートの変化→×

ナガ
修行パートに関してはさすがに擁護しきれないかなぁ~

この修行パートの改変が個人的には、無理があるかなぁと感じたポイントの1つでした。基本的に原作『BLEACH』の一護の修行って実践ベースなんですよ。虚と戦って、戦ってその中で自分を鍛え上げていくみたいな成長プロセスになっているんです。

まあこれは少年マンガにありがちな主人公の成長プロセスなので、実写映画にする際にそのまま踏襲してほしいとは言いません。ただ、タイヤ引き、チャンバラ、ガラス瓶割りといった部活動の延長線かよみたいな修行風景をダイジェストで延々と見せるくらいだったら、その間に同じくダイジェストでいいので、一護が虚と戦うシーンをいくつか忍ばせておいて欲しかったと思いますね。

そうでないとグランドフィッシャーと戦えるに至るまでの一護の成長譚としてあまりにもお粗末で中身が無さすぎます。

原作の印象的なセリフやカットの再現→〇

DCコミックスの実写映画化で『ウォッチメン』や『バットマンVSスーパーマン』などの監督をしているザックスナイダーという監督がいるんですが、この監督ってコミックの1コマを丸ごとそのまま映画にコンバートしてしまうような画作りが特徴的で、すごく愛されている監督です。

映画『BLEACH ブリーチ』も原作とは大きく展開や時系列、キャラクター設定が変わっているにもかかわらず、原作のセリフやコマ割りを活かしたシーンが散見されました。

いくつか例を挙げていきましょう。

まず一護と雨竜がなりゆきながらも共闘してグランドフィッシャーと戦うシーンですよね。実写映画版では、ほとんどカットされてしまった雨竜が撒き餌を撒いたがために空座町に虚が大挙して集まって来るというパートでこんなカットがあるんです。

(C)久保帯人/集英社

これはもう原作を読んだことがある人なら必ず覚えているであろう名シーンです。実写映画版ではこのコマ割りを活かしたカットがきちんと使われています。こういうワンシーンの画作りにも原作へのリスペクトが感じられるのが素晴らしかったですね。

もう1つ挙げるとすると一護が恋次と戦う時のこの1コマですね。福士蒼汰さんがビジュアル的に一護そのものなので、それも相まってこの1コマを再現したであろうカットが登場した時は、思わずガッツポーズでした。

(C)久保帯人/集英社

他にも一護の「これは俺の戦いだ。」というセリフですとか、一心のあの名セリフが映画の終盤にしっかりと使われていた点も胸熱でした。

「・・・しっかり生きろよ一護、しっかり生きて、しっかり年喰って、しっかりハゲて、そんで俺より後に死ね。そんで、できれば笑って死ね。でなきゃ、俺が真咲に合わせる顔がねぇ。」

(『BLEACHブリーチ』コミックス第3巻より)

こういう形で原作への敬意が見られたのは、個人的にはすごく嬉しかったですね。

あとは、冒頭の一護のプロフィールテロップなんかも原作へのリスペクト要素だったりしますね。

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ラストの改変→〇

ナガ
私はこの映画のラスト好きだよ!!

ここが原作ファンの間でも一番賛否が分かれるポイントだと思います。原作ではルキアは死神の力を取り戻すことなく、処刑の運命を定められてソウルソサエティへと連れ戻されます。だからこそ一護がルキアを助けるために立ち上がるという今後の展開があるんですけどね。

ただ実写映画版では、危険を冒してまで自分の家族を守ってくれたルキアという存在に一護が、幼少の頃に身を挺して自分を守って死んだ母親の姿を重ねているという側面が強くフィーチャーされています。つまりルキアを「守れなかった」で映画を完結させてしまうと、全くもってこの映画は何がしたかったのか分からない作品になってしまいます。

だとすると一護がかつて自分の目の前で死んでいった母親を守る、守ろうとすることで成長していく物語の結末としては、まがいなりにも何かを守れたという事実は必要だと思うんです。そう考えた時に、母親の面影が重なるルキアという存在が処刑対象として連れ戻されるというラストでは、続編はスムーズに作れるかもしれませんが、1つの映画としては致命的な欠陥となります。

その点でこの実写映画『BLEACH ブリーチ』は一護がルキアを守ることで、過去の自分を払しょくし、成長していくヒーロービギンズとしてはこの上なくコンパクトな作りになっていたと思いました。

一護は、誰かを守れるヒーローとしてたくましく成長していくんですが、それでもまだ高校生で、誰かの助けなしには生きていけませんし、これからも誰かに守られながら成長を続けて行くんだと思います。それでもいつもより少しだけ「大きく」見えた彼の姿に、彼の人間的な成長が垣間見られるラストシーン。

やっぱりこの形にラストを改変したことで映画としては1つのテーマの下できちんと完結していますよね。

一護が誰かを守れるようになるまでの物語を描いたというよりは、そのための第1歩を踏み出した映画だと思うんですね。だからこそルキアを完全に守れたわけでもありません。しかし、原作のルキアが連れ去られるシーンと実写版では全くニュアンスが違っていて、絶望感や悲壮感は漂っていません。一護が必死に足掻いたことで少しでも風向きを変えられたということが大切だと思っていて、だからこそこの実写版は、これからもまだ高校生で、父親を初めとする周囲の人から支えられ、守られる存在の一護が将来的に誰かを守れる強い存在になるための決意をするまでを描いた作品だと思っています。言わば「プレ・ヒーロービギンズ」といったところでしょうか。ヒーロービギンズのさらに前日譚みたいな物語だったと個人的には受け止めました。

おわりに

やはり原作ファンが多い作品なので、賛否が分かれるのも当然だとは思います、ただ原作を神格化してこの実写版を鼻から否定する心づもりで見るのはいかがなものかと。

そもそも原作と映画は別物ですから、原作からその作品のアイデンティティとなり得る核の部分だけをきちんと吸い上げてさえいれば、細かいストーリーや表象的なビジュアルの部分は大きく改変したってさして問題ではないと思うんです。

実写映画版『BLEACH ブリーチ』はその点で、原作の中から一護の母親への思いという部分にフォーカスして新しい物語としてきちんとタイトに再構築されていましたし、1つの映画として完結していました。

「もう一声・・・。」と思わず口にしてしまいたくなるシーンもありましたが、総評としては悪くない脚本だと思いましたし、それを補って余りあるアクションシーンの魅力がありました。

誰かに守られる存在から誰かを守る存在への成長が「大人になる」ということなら、この映画で一護はまだ「大人」にはなり切れなかったのかもしれません。まだまだ高校生ですから。

しかし、過去の後悔と自責から解放され、それを覚悟に変えて、誰かを守れる存在になるための一歩を彼は踏み出したわけです。そんな一護のミニマルな成長物語という新しい『BLEACH ブリーチ』が見れたような気がして嬉しかったですね。

原作も好きですが、実写版も私は好きです。

参考:『BLEACH』の興行収入情報はこちらから!!

劇伴音楽かっこよかったですね。私もサントラの購入を検討中です。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

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