みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『新解釈 三國志』についてお話ししていこうと思います。
正直『ヲタクに恋は難しい。』を見た時に、この人の作品にお金を払うことはもうないと心に決めていましたし、今年の夏に公開された『今日から俺は』の劇場版についてもスルーしました。
ただ、今回はどうしてもスルーできない要因がありました。
それは、当ブログ管理人が子どもの頃から大好きだった『三國志』をベースに作られた作品だからという理由です。
『三國志演義』、北方謙三版(小説)、横山光輝版(マンガ)、『三国無双』シリーズ(ゲーム)であったり、関連する映画や人形劇であったりといったものまで、これまで幅広く摂取してきたという事情もあり、いくら苦手な監督の映画と言えどタイトルに「三國志」と書いてある以上は見ざるを得ないわけですよ。
しかし、案の定、映画館に足を運ぶと、そのあまりにも醜悪な「三國志」の名を冠した何かに落胆し、絶望的な気分で帰途につくこととなりました。
この映画の何がヤバいのかを端的に申し上げておきます。
それは、本作は「三國志」をベースとして作られているため、基本的に「三國志」を知らないと全くもって面白くないのですが、一方で「三國志」を知っているとこの上なくつまらないという本来なら成立し得ないような矛盾を抱えているという点です。
詳しくは後程お話しますが、基本的に「三國志」を知っている前提のネタが満載なので、知らずに行くと、渡辺直美さんのダンスくらいしか笑いどころがないという状況に陥ります。
そういう作品の事情もあってか、当ブログ管理人が鑑賞した回はそこそこ人も埋まっていたのですが、ほとんど笑い声が聞こえてこないという状況であり、「本当にコメディ映画を見に来ているんだよね…」と疑心暗鬼になるほどでした。
ちなみに当ブログ管理人も、ほとんど笑うことはなかったのですが、唯一笑ったのは、橋本環奈さんのヒラリークリントンの画像大喜利パロディですね。
なかなかに酷い映画ではありますが、とりあえず
- 「三國志」を好きな人にはおすすめしない
- 「三國志」を知らない人にはおすすめしない
という具合に全方位におすすめできない作品になっていることは事実です。
それでも「好きなキャストが出演している」「福田監督の作品とノリが大好き」という方は、見に行っても損はないと思います。
ここからは、「合わない側」の人間の戯言が続いていきますので、その点はご了承ください。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『新解釈 三國志』
あらすじ
歴史学者の蘇我宗光は、「三國志」の歴史について調べており、その中で様々な言い伝えや伝承に触れ、そこから自分独自の解釈を見出した。
今回の映画では、そんな彼なりの解釈に基づく「三國志」の知られざる姿が語られていく。
「三國志演義」が「漢王朝の血を引く高潔な正義の士」としての劉備と「帝を手玉に取り、王朝を支配し専横を振るう」曹操というイメージを作り上げたことで、人々を憂い、人望も厚い人物として知られる劉備。
しかし、蘇我宗光によると、彼自身は基本的に何もせず、周りに任せているだけの人間で、酒を飲むと気持ちが大きくなるだけのお調子者だったのではないかと語られる。
「桃園の誓い」においては「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん。」という誓いの内容に難色を示し、義勇軍に参加することを渋る。
また、董卓を討伐するための連合軍が結成された際には、お腹が痛いと仮病を使い、戦線に立つことから逃れたのであった。
しかし、そんな劉備も曹操の策略により、朝廷から「朝敵」として狙われてしまい、徐々に追い詰められていく。
そんな彼の起死回生の一手は、軍師の諸葛亮(字:孔明)が目をつけた孫権が統治する呉の国との連携であった。
呉の要所である赤壁に殺到する80万の曹操軍。それに対抗する僅か3万の連合軍。
果たして、この窮地を劉備とそして呉の兵士たちは如何にして乗り切ったのか…?
その知られざる舞台裏が語られる。
スタッフ・キャスト
- 監督:福田雄一
- 脚本:福田雄一
- 撮影:鈴木靖之
- 照明:藤田貴路
- VFXスーパーバイザー:小坂一順
- 編集:臼杵恵理
- 音楽:瀬川英史
- 主題歌:福山雅治
さて、今回の『新解釈 三國志』の監督・脚本を務めたのは福田雄一さんです。
もう映画ファンの間では、さんざん言われてきたことではありますが、正直映画館で見るコンテンツとしては、かなり厳しいですね。
『銀魂』や『斉木楠雄のψ難』の実写版の時は、映画館の観客がゲラゲラと笑いながら見ていたので、個人的にはそれでも良いと思えていましたが、今回に至っては観客がほとんど笑っていないという惨状で、悲しくなりました。
「笑いをとる」という1点突破で映画的なクオリティを無視してきた彼の作品が、ついに「笑い」すら失ってしまった感があり、こんなものをなぜ自分は映画館で見せられているのかという虚無の感情に苛まれます。
その他のスタッフもこれまでの福田組を支えてきた面々が目立ちます。
撮影には鈴木靖之さんが起用されています…が、今回の映画の映像は「手ブレ」感があまりにも酷すぎて、「どんな手抜き撮影をしたんだよ…」なレベルでした。
編集にも『ヲタクに恋は難しい』『今日から俺は』などにも参加してきた臼杵恵理さんが起用されていますね。
劇伴音楽を、独特な福田監督作品をこれまでも支えてきた瀬川英史さんが手掛けました。
主題歌には、福山雅治さんの『革命』が選ばれました。なんかせっかくの福山さんの楽曲なのに、この映画のエンドロールで聞くと、この上なくダサく聞こえるという妙を感じましたね(笑)
- 劉備玄徳:大泉洋
- 周瑜:賀来賢人
- 黄夫人:橋本環奈
- 小喬:山本美月
- 孫権:岡田健史
- 関羽:橋本さとし
- 張飛:高橋努
- 趙雲:岩田剛典
- 貂蝉:渡辺直美
- 黄蓋:矢本悠馬
- 夏侯惇:阿部進之介
- 諸葛亮孔明:ムロツヨシ
- 呂布:城田優
- 董卓:佐藤二朗
- 蘇我宗光:西田敏行
- 曹操:小栗旬
福田組常連のムロツヨシさんや佐藤二朗さんはもちろんとして、準レギュラー扱いになってきている賀来賢人さん、橋本環奈さんも出演しており、まさしくオールスター集結的な映画になっています。
ただ、今作は先ほども申し上げたように、全体的にギャグがすべり散らかしていて、見ていていたたまれない気持ちになってきました。
正直、明確に観客から笑いをとっていたのは、渡辺直美さんのダンスくらいのもので、それって映画の力というより、彼女の芸人としての力では?と思ってしまいましたね。
個人的には、後程語りますが、城田優さんの呂布が最高でした。それ以外は、うん…。
あとは、作品の序盤に超意外なシークレットキャストが1名出演されています。
最近、某映画でコメディも行けるということを存分に見せてくれた女優さんでもあるので、登場したときにはワクワクしました。
『新解釈 三國志』感想・解説(ネタバレあり)
「三國志」を知らないと面白くないけど…
(C)2020「新解釈・三國志」製作委員会
さて、今回お話していく『新解釈 三國志』ですが、基本的には「三國志」のコンテンツに触れたことがない人からすると、ネタの意味が分からないという状況に陥ると思います。
しかし、「三國志」を知っている、好きな人間からすると、もう何回も何十回も見てきた物語を醜悪なコメディ風味で味付けされた低品質な内容で享受せざるを得なくなり、これまたつまらないというジレンマを抱えているのです。
今作で扱われている「三國志」の要素を一通り挙げていくと
- 桃園の誓い
- 黄巾賊討伐
- 虎牢関の戦い(陽人の戦い)
- 離間の計
- 三顧の礼
- 長坂の戦い
- 赤壁の戦い
という具合になります。
簡単に言うと「三國志(演義)」の前半部分をダイジェスト的に見せていくという内容になっているわけですね。
ただ、これらの「知られざる背景や真相」をコメディテイストで語っていくということは、あくまでも「元ネタ」を知っていることが前提の作りなんですよ。
一番、それが前面に出ていたような気がするのは、「三顧の礼」の場面だと思いますが、いくら有名なシーンとは言え、今の若い世代にはもう知られていないのではないかと危惧されてしまいます。
「三顧の礼」のシーンでは関羽が既にその世界で何が起きるのかを知っているかのようなメタ的な視点をもったキャラクターとして扱われ、劉備に対して「3回くらい尋ねれば軍師になってくれるでしょう」「昼寝と言うのは、方便ですから」といったネタ発言を繰り出していくのですが、これが面白いのは元ネタを知っている人だけですよね。
他にも、長坂の戦いのくだりが少しだけ使われていましたが、糜夫人が趙雲と阿斗が逃げるのに足手まといになると、自ら井戸に身を投げる名場面を「ギャグ」扱いしている描写なんかは、元ネタを知らないとギャグにすら見えないのですが、元ネタを知っているとその醜悪さ故に吐き気を禁じ得ないシーンです。
趙雲による阿斗救出劇は、「三國志」ファンの間でも語り継がれている屈指の名場面ですし、それに対して劉備が「こんな子どもの為に優秀な武将が一人命を落とすところだった…」という労いの言葉をかけたという逸話も相まって、本当に胸が熱くなるエピソードなのですよ。
それを、あんな形で扱われてしまっては、どうしたって受け入れ難いものがあります。何と言うか、いくらフィクションと言えど、ギャグにして良い「死」とそうではない「死」があると思いますし、間違いなく糜夫人の自死は後者でしょう。
メインパートである「赤壁の戦い」についても基本的に元ネタを知っていることが前提で、それを裏切る形で「笑い」を取ろうとしてきます。
とりわけ諸葛亮が妻である黄夫人(月英)に様々な知識を授かっているという裏設定も、正直、元ネタありきではあったりするんですよ。
というのも、諸葛亮の数々の発明品の中でも特に注目されている「木牛流馬」という農具のアイデアは彼女のものだったという逸話や、他にも黄夫人が才女であり、夫に様々な知識を授けていたという逸話は残っています。
こういったバックグラウンドありきだからこそ、天才として多くの人に知られている諸葛亮が妻の傀儡になっているという状況にユーモアが生まれるのではないでしょうか。
本作の「笑い」って元ネタを知らないと結局その面白さが伝わらないんですよね。
ただ、「三國志」のオリジナルと比較すると10000分の1以下の面白さもない作品になっているので、これまた厳しい。
コメディ映画の上映、そこそこの着席率という状態で、ほとんど笑い声の聞こえてこない劇場で本作を鑑賞しながら、そんなことを考えてしまいました。
この映画、原作は「三國無双」の方では?
本作『新解釈 三國志』を見ながら思ったのは、今回の映画版って「三國志演義」というよりは、「三国無双」の方に影響を受けた節が多く見られるということですね。
例えば、許褚というキャラクターですが、正史においては「身の丈八尺余り、腰回りは十囲もあって、容貌は雄々しく毅然として、武勇は絶倫であった」と書かれています。
そのため、確かに大男であることに間違いはないのですが、持っているあの武器!そしてあの性格!どう考えても『三国無双』シリーズの許褚のイメージでしょう。
(『三國無双』公式Twitterより引用)
ちなみに許褚は曹操軍の豪傑ではあるのですが、酒に酔って張飛に兵糧を奪われるという失態を犯したというエピソードもあり、こうしたところから着想を得て、映画版の疫病のくだりが形づくられたのだとは思います。
あの登場の仕方は、誰がどう見ても『三国無双』シリーズの虎牢関の戦いの呂布登場シーンを想起させます。
また、この呂布の登場シーンなのですが、城田優さんが1人だけ「リアル三国無双」を地で行く美しさを放っていたこともあり、個人的には数少ないお気に入りのシーンの1つになりました。
(C)2020「新解釈・三國志」製作委員会
全体的に美形の俳優を起用しているので、かなり「三国無双」寄りな空気感は出ていたのですが、やはりこのシリーズの名物でもある「呂布登場シーン」を完全実写化したという点は、ゲームファンとしては拍手を贈りたいところです。
ギャグのセンスが全体的にきつい
これまでの福田監督作品でも、もうギャグのセンスが絶望的に合わないということは、さんざん身に沁みて分かっていたのですが、今回それを改めて確認する結果となりました。
まず、今回の『新解釈 三國志』ですが、簡単に言うとこういう状況に陥る映画です。
始まってから1時間30分くらい経過して、内輪ノリで盛り上がり始めた、自分の知り合いが全くいない飲み会にシラフで放り込まれる。
こういう状況を想像していただけると、いかに本作を見るという行為が「地獄」のように感じられるかをご理解いただけるかと思います。
福田監督のいつものやり口ですが、キャストが笑ってしまっているカットも平気で使われていて、現場は何だか面白いことをやっているという空気を出しているのですが、それを見ているこちらにはその面白さが分からないという状態が2時間くらい続くのです。
というか、「飲み会」のノリと言うのは、本当にそうで、キャスト陣が話している内容が、どことなく演じている俳優の「リアルエピソード」に聞こえてくるので、出演者が撮影中から「打ち上げ」を初めて、それを収録した副産物を見せられているような気分になるんですよね。
例えば、曹操を演じた小栗旬さんをいじるネタとしては「女好きで乱世を生き抜くためにエッチを楽しんでいる」「酒好き」「飲み会の時、意中の女性の手を机の下でそっと握る」というものがありましたが、これ小栗旬さんの「リアルエピソード」じゃないの?とか思ってしまいました。
飲み会中に小栗は酔いにまかせて若手女優の肩を抱いたり、もたれかかったりとちょっかいを出す。そして、若手女優と一緒に女子トイレに入り10分以上出てこなかったという。店に居合わせた客の「他の女性客が何度もトイレをノックしてようやく出てきた」
こんなエピソードが山田優さんと結婚する以前にフライデーを通じて報道されたこともあり、今回の『新解釈 三國志』におけるいじりが本当にフィクションなのかどうかを疑ってしまうほどでした。
こういう化石のような、前時代的なギャグセンスにも辟易します。(極めて差別的ですし)
こうしたキャラクターではなく、それを演じる俳優をネタにするような描写やセリフが数多く作中に登場することも、本作の「撮影終わり打ち上げ」感を増長していたと思います。
こういうノリが好きだという人にはたまらないでしょうが、当ブログ管理人は残念ながら飲み会が苦手なので…(笑)
ちょっとごめんなさい。
バラエティー番組風にするという「逃げ」
(C)2020「新解釈・三國志」製作委員会
福田監督の作品は、その多くが瞬間瞬間の「笑い」にフォーカスする傾向が強いので、全体としてみると、1本の物語として成立していない作品が多いんですよね。
ただ、『銀魂』のように原作の時点で、バトルシリアスとギャグが同居するような構造になっている作品であれば、福田監督のアプローチはある程度ハマります。
しかし、その一方で、『斉木楠雄のψ難』の実写版では物語の本筋不在の状況で、ひたすらキャスト陣がわちゃわちゃとコントを続けているという状況が前面に出てきてしまい、彼の弱点が浮き彫りになっていました。
当ブログ管理人が福田監督作品をもう見ないと一度は決心する決め手となった『ヲタクに恋は難しい』という作品も、同様の構成的な欠陥を抱えていて、それを誤魔化すためにミュージカルという要素を足し込んでありましたね。
瞬間瞬間の「笑い」を重視してしまうと、どうしても1つの大きな物語の糸を保つことができなくなってしまい、それを度々断ち切ってしまうため、最終的に「この映画は何の話だったの?」という感想を抱かざるを得ないのです。
刹那的な、その瞬間の面白さを追求し、全体的な物語の面白さを放棄するという福田監督のアプローチは今の若い世代には、もしかすると受けているのかもしれません。
しかし、今回の作品はそこに「三國志」という今の若い世代には馴染みの薄いコンテンツが入ってきたことにより、肝心のターゲット層にそのギャグや「笑い」が刺さらなくなってしまうという大きな問題を引き起こしています。
そして、もう1つ面白いのは、福田監督は自分が物語を作れないという欠点を予見してなのか、最初から今作は「バラエティー番組」ですよと言う体でプロットを作り上げているんですよね。
西田敏行さんが解説をし、その流れで三國志のエピソードを振り返っていくという構成は何と言うか『笑ってはいけない』シリーズを始めとした多くのバラエティー番組のフォーマットです。
この構成を選択することによって、物語を描かないことへの「免罪符」を得たと考えたのかどうかは分かりませんが、今回の『新解釈 三國志』はいつにも増して、中身がすっからかんでした。
自分の作品の弱点を理解して、それを埋めるためのフォーマットやアプローチを選択するというのは、決して悪いことだとは思いません。
しかし、このある種のダイジェスト形式を選択したことと、『三國志』という題材が絶妙に相性が悪かったと感じているのは自分だけでしょうか。
とりわけ、本作は横山光輝版のマンガ『三國志』で言うなら、全60巻の内の1巻~25巻くらいまでの内容を2時間で追っていくという内容になっています。
ただ、今の若い世代に『三國志』というコンテンツそのものの認知度がそれほど高くないであろう状況で、このダイジェスト感はかなり厳しいと思います。
西田敏行さんの語りで、雑に「三國志」の物語は語られてはいくのですが、それもインスタントなものでしかなく、何も知らない観客が本編の成り行きについていけるほどのものではありません。
そのため、今回の映画で取り上げられた
- 桃園の誓い
- 黄巾賊討伐
- 虎牢関の戦い(陽人の戦い)
- 離間の計
- 三顧の礼
- 長坂の戦い
- 赤壁の戦い
上記のエピソードたちが、一体どのようにリンクしているのかが非常に分かりにくいと思います。
というよりも福田監督は、これらを「1つの物語のライン」で見せることは、これっぽっちも想定していないのだと感じましたね。
「1つの物語のライン」をしっかりと出したいのであれば、「赤壁の戦い」に焦点を絞るなりすれば良いわけじゃないですか。
ただ、豪華キャスト共演のコント番組を作ろうと思ったら、できるだけ多くのキャラクターを登場させなければなりません。
そうなると「赤壁の戦い」に焦点を絞るというのは、福田監督のアプローチの足かせになる可能性があります。
だからこそ、適当にエピソードを掻い摘んで、刹那的に消費していくという、今回の醜悪なストーリーテーリングの仕組みが生まれたのではないでしょうか。
映画の最後に西田敏行さんの語りで「本作を見て『三國志』に興味を持った方はぜひ文献などを漁ってみてください」というセリフがインサートされましたが、断言しますが今作は『三國志』の面白さを伝えようとしている作品ではありません。
『三國志』という物語、コンテンツを適当に掻い摘み、キャストのコントのシチュエーションとして刹那的に消費しているに過ぎません。
だからこそ、この記事の冒頭でも書いたように、本作は「三國志」をベースとして作られているため、基本的に「三國志」を知らないと全くもって面白くないのですが、一方で「三國志」を知っているとこの上なくつまらないという本来なら成立し得ないような矛盾を抱えているわけです。
「物語」を描くことを放棄するという潔さは評価しますが、『三國志』というコンテンツとのかみ合わせが如何せん悪すぎたような印象を強く受けました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『新解釈 三國志』についてお話ししてきました。
「三國志」を人質に取られてしまったので、やむを得ず映画館に足を運びましたが、もう映画館でお金を払ってまで、こんな気持ちになるのはこりごりです。
もちろんキャストが好きな方、福田監督のノリが好きな方には、楽しめる映画にはなっているのだと思います。
ただ、純粋に面白い映画を求めている人、そして「三國志」が好きだから今作も見てみようなんて考えている方、少し立ち止まって考えてみてください。
福田監督の作品は、自分のノリには合わないからという極めて、主観的な理由で、あくまでも個人的に評価が低いというだけに過ぎなかったのですが、今回の『新解釈 三國志』は劇場がシーンとしていたんですよね…。
まあギャグが基本的に「三國志」を知っている前提のものばかりと言うのが、少し厳しかったような気はします。
あと、『ハンサムスーツ』かよと思わずツッコミたくなる演出や、渡辺直美さんの「美醜いじり」で笑いをとろうとする一幕がありましたが、福田監督って「化石」みたいな笑いの取り方をしてきますよね。
女性の「美醜」で笑いを取るような「化石」のようなコメディ描写が令和になってもこうして再生産されてしまっていることに強い嫌悪感を抱きました。
もうこれ以上福田監督作品を楽しんでいる人の邪魔はできないので、もう見ません。ごめんなさい。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。