【ネタバレあり】映画『ハンソロ』感想・解説:私の中に”スターウォーズ”が帰ってきた日

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『ハンソロ』の感想を書いていこうと思います。

出来るだけネタバレになるような内容を避けてい書いていくつもりですが、内容の都合上どうしても作品の内容に触れる点がございます。その点をご了承いただいた上で読み進めていただければと思います。

良かったら最後までお付き合いください。

『ハンソロ』

「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」に続く「スター・ウォーズ」シリーズの知られざる物語を明らかにするアナザーストーリー第2弾!!

ハリソン・フォードが演じたシリーズ屈指の人気キャラクター、ハン・ソロの若き日の姿を描くSFアドベンチャー。

シリーズ第1作「スター・ウォーズ 新たなる希望」でルークやレイアと出会う前のハン・ソロが、アウトローながら内に秘めた正義感で数々の試練に立ち向かっていく姿を描く。

若き日のハン・ソロに扮したのは、「ヘイル、シーザー!」で注目された新星オールデン・エアエンライク。同じく若き日の悪友ランド・カルリジアンをドナルド・グローバーが演じ、エミリア・クラークウッディ・ハレルソンらが共演。

ハン・ソロの無二の相棒となるチューバッカも登場する。「ダ・ヴィンチ・コード」などで知られるベテランのロン・ハワード監督がメガホンをとった。

映画comより引用)

ナガ
ロン・ハワード監督なんだね・・・。

フィル・ロード&クリス・ミラー監督が担当していたんですが、途中降板になってしまったんだよね・・・。

ちなみにフィル・ロード監督は、本作に降板し、その後『スパイダーマン:スパイダーバース』の監督を務めました。

見終わってから思うのは、このコンビのバージョンも見てみたかったよね・・・ってことですね。

ロン・ハワード監督は安定してはいますが、割と作風が守りに入っている印象が強いんですよね。

ナガ
まあ面白かったのでOKなんですけどね(笑)

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『ハンソロ』感想:私の中にスターウォーズが帰ってきた日

私は幼少の頃から『スターウォーズ』シリーズが大好きでした。というよりも父親の影響でして、気がついたときにはもう好きになっていました。

おそらく自分が最初に好きになった映画は間違いなくこのシリーズです。

だからこそ私にとってこのシリーズというのは、もはや映画ではなかったんですよね。

なぜなら映画と言う言葉を知るよりも前に、この作品に触れていたからです。『スターウォーズ』は映画ではなくて、”スターウォーズ”だったんです。

自分にとっては他の映画とは同列に語れない不思議な力がこのシリーズには備わっていました。

祖父母の家の和室で、親戚とライトセーバーを持って戦い、障子に穴を開けて叱られたこと。あまりにも熱中しすぎて、気がつくと手の皮が捲れてしまっていたこと。もう他の映画とは同列に語れないだけの思い出がこの映画にはあるんです。

『スターウォーズ:フォースの覚醒』の公開が発表され、全世界のファンと同様に公開を待ちわびた日々。

しかし、この作品を見た時に、私は絶望しました。『スターウォーズ』がスターウォーズじゃなくなってしまった、普通に面白いただの映画になってしまったと、はた気がつかされました。

そして『ローグワン』『スターウォーズ:最後のジェダイ』と作品を見ていくうちに、どんどんと自分の中からこのシリーズに対する特別な思いが消えていくのが分かりました。

このシリーズに感じていた、あの無限の高揚感と興奮はもうこれからどれだけ新作を世に送り出そうと戻ってくることはないんだろうなと悲観してしまいました。

だからこそ『スターウォーズ:最後のジェダイ』を見終わった時に、自分の中でこのシリーズに対する思いがプツッと音を立てて切れたのを今でも忘れません。『スターウォーズ』というのは、普通に面白い映画なんだという妥協混じりの喜びで心を満たした空虚な劇場からの帰り道。

そんな経験をしたからこそ映画『ハンソロ』の公開を前に、もう「楽しみだ!」と思う気力すら残っていませんでした。動

画サイトに予告編を見にいくことすらせず、海外の興行や評価がどうとかなんて一切気にもならない、公開1週間前になっても、何の気持ちの高ぶりもないという状態でした。

もう自分が心を躍らせた”スターウォーズ”がどこかに行ってしまったんだと、自分に言い聞かせ、『ハンソロ』が普通に面白い映画であることを期待して劇場へと足を運びました。

そして映画を見終えて、こうしてブログを書こうと必死なのですが、映画を見ている間のことが正直ほとんど思い出されないのです。

何と言うか映画の、いや”スターウォーズ”の世界に飲み込まれている自分、幼少の頃と全く変わらない眼差しでスクリーンに食いつくかのように没頭していた自分だけがいたんだと思います。

1つとて同じものがない次々に繰り出される戦闘シーンの豊かなバリエーション、様々な惑星を巡る広大な世界観と映像の多様性、魅力的すぎるキャラクターたち。

ヴィジュアル面ではクラシカルな『スターウォーズ』を思わせつつも、物語性の面でこれまでとは全く異なる展開を魅せる革新性。

まさにこれぞ『スターウォーズ』!!

そんな圧倒的な高揚感とワクワク感だけをひたすらに体感した2時間強の濃密な時間。本編が終わり、エンドロールが流れ始めた瞬間に、ふと我に返りました。そして気がつきました。心の中にぽっかりと空いていた穴が無意識のうちに埋まっていたことにです。

その時、込み上げてきたのは、多幸感と小さな和室でジェダイとして戦ったあの頃の懐かしい記憶でした。

普通に面白い映画としての『スターウォーズ』ではなくて、他の映画とは一線を画する”スターウォーズ”という『スターウォーズ』が自分の中に帰ってきたんですよ。

自分の中に帰ってきた名前も付けられないような、でも愛着のあるその懐かしい感情に「おかえり。」と静かに告げた瞬間に、もう涙が止まりませんでした。本編中では一切泣きませんでした。でもエンドロールが始まった瞬間に、せき止めていたダムが決壊したかの如く、涙が溢れて止まらなくなったんです。

だからこそ629日は、私にとってスターウォーズとしての『スターウォーズ』が帰ってきた日です。映画『スターウォーズ』ではありません。スターウォーズ『スターウォーズ』が帰ってきたんです。

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『ハンソロ』解説

一見保守的な『ハンソロ』が秘めた革新性と「帰れない」アウトローの物語

(C)2018 Lucasfilm Ltd. All Rights reserved

ここからネタバレになるような内容を含みますので、ご注意ください。

確かに本作は時系列的にもEp3とEp4の間ですし、『クローンウォーズ』『反乱者たち』といったスピンオフとも整合性を取りながら作られていますから、内容的には保守的に見えるかもしれません。

ただそれはすごく表層的な部分の話でして、この映画が描いたものと言うのはこれまでの『スターウォーズ』が描かなかったパートなんです。

ナンバリング作品は基本的に何者にもなれない主人公が、旅立ち、成長し、そして英雄となって故郷へと帰還するというギリシャ神話の『オデュッセイア』になぞらえた英雄譚です。

そしてこの物語のマザータイプとも言える英雄譚の形式において、「帰る」ことが英雄になるための最後のイニシエーションなんです。だからこそルークはEp6で英雄としての帰還を果たすわけです。

一方の映画『ハンソロ』はどうでしょうか?一見ハンソロという名も無き青年の英雄譚の始まりを描いた作品のようではありますが、実はそうではありません。なぜならハンソロは英雄ではなく、アウトローなんですよ。

そのため本作『ハンソロ』において重要なのは「故郷に帰れない者」たちの物語であるという側面です。

主人公のハンソロはコレリアという惑星出身です。ここで彼はパイロットになり、この惑星を飛び出したいと考えていました。

そんなことを考えながらキーラと共に生活をしていたわけです。しかし、いざ故郷を脱出する算段になった時に、彼はキーラと悲劇的な別れをすることとなりました。

そうして彼のパイロットになるための目標がコレリアに戻り、キーラを迎えることへと変わっていきました。

彼にとっての「故郷に帰る」ことのイニシエーションは、彼女の下に帰ることだったわけです。しかし、キーラはクリムゾンドーンの人間になっており、もはやダースモールの呪縛からの逃れることは叶わない身。だからこそソロはキーラという「故郷」にはもう帰れないんです。

この映画の最後でハンソロはそんなキーラという帰るべき「故郷」を失います。だからこそこの映画は英雄譚なんかではないんですよ。なぜならばハンソロは英雄になるための最後のピースを失ってしまったからです。映画『ハンソロ』が描いたのは、「帰ってくる英雄」の物語ではなくて、「帰る場所を無くしたアウトロー」の物語なんです。

この点が『ハンソロ』という作品がこれまでの『スターウォーズ』シリーズとは完全に一線を画するポイントです。

もちろんハンソロだけではありません。ベケットも故郷に帰りたいと願いながら最後までアウトローとして生き、死んでいった人間です。

キーラもうそうですよね。彼女はコレリアという故郷に帰ることは叶わないでしょうし、ましてや最愛のハンソロの下に帰ることは絶対に許されません。ダースモールに近い存在として生きるしか、彼女には道が残されていません。

(C)2018 Lucasfilm Ltd. All Rights reserved

そんな英雄になれない者たちの、英雄になる道を閉ざされた者たちの「生きる」物語こそが映画『ハンソロ』なんだと私は思っています。帝国軍と数々のシンジケートが覇権を争う銀河の中で、英雄になれずとも「生きていく」ためにもがく者たちの姿が心に深く刺さりました。

内容のわりに画面が暗いのがマッチしていないという声も見かけますが、この映画は英雄譚ではないのですから、むしろそれが適当だと私は思いました。

「帰れない者」たちの悲哀とその暗い世界の中でも輝いて見えるハンソロが対比的で素晴らしかったではないですか!

 

私たちの知る”ハンソロ”になり切らないハンソロ

私がこの映画で好きなところは、この映画だけでは我々が知っているEP4以降のハンソロにはなり切っていないところなんですよね。

というのもこの映画の中では、ハンがタトゥイーンに辿りついてからの物語は描かれていませんし、ジャバザハットととの顛末も描かれていません。

ただむしろそこがいいんですよね。我々の馴染み深いハリソンフォード演じるハンソロのキャラクター性の土台になる部分が描かれてはいるんです。

でもそのハンソロ像にはまだ少し隔たりがあるわけです。つまりこの映画が終わってからも、ルークと出会うまでに彼は多くの冒険をしていくんだろうという想像が無限に膨らむんです。

例えばこの映画で描かれたのは、EP4の冒頭で他人を信用しない少し冷たさを孕んだ人間性の下地になる部分です。映画『ハンソロ』にて描かれる若きハンソロはすごく人を信じやすいですし、信じようとする人間です。

ただ愛するキーラはその信頼に応えてくれず、師のように慕っていたベケットも自分を裏切りました。

そしてそんなベケットの死に際の「誰も信用するな。」という言葉が彼のその後の冷たい人間性の基礎になったんですよね。そう考えると、映画『ハンソロ』の終盤の展開は何とも感慨深いです。

またこの映画は『スターウォーズ 新たなる希望』の「ハンが先に撃った」問題への言及をしているんですよ。

冒頭のグリードとハンの西部劇を彷彿させる撃ち合いのシーンなんですが、劇場公開版、特別篇、DVD版で描写が異なり、どれが正統なのかということはファンの間でもたびたび議論されてきました。

1977年のオリジナル版はハンは先にグリードを撃っているんです。ただ1997年の特別篇では、なんとグリードが先に発砲して、それがハンに命中せず、反撃に転じたハンのブラスターがグリードに炸裂したという描写になっています。ちなみに2004年のDVD版では同時に発砲しています。

そして映画『ハンソロ』がどのバージョンをリスペクトしたかというと言うまでもなく、オリジナル版です。

これは最後のハンとベケットの早撃ち勝負を見れば一目瞭然ですよね。こういう顛末を経験したからこそ、ハンは自分が撃たれるより先にグリードにブラスターを放つんですよ。

他にもハンソロが『スターウォーズ 新たなる希望』の中で「俺の船はケッセルランを12パーセクで飛んだんだぜ。」と説明するシーンがあるんですが、それがまさしく映画『ハンソロ』で描かれたファルコンの一連のシーンですよね。

やはりこういったEP4のハンに繋がるエピソードや、彼の人間性の根底になる部分を仄めかす展開が描かれたことがすごく嬉しかったですし、それでいて完全に描き切るのではなく、余白を残すことで我々に想像の余地を残してくれたところが素晴らしいですね。

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今の自分に深く刺さった映画

あまり映画ブログで自分語りをしたくはないんですが、今回はどうしても今の自分の思いをお話したいので、珍しく自分のお話をします。興味がないよと言う方はここで読むのを止めてもらって構いません。

先ほどもお話していた通りで、私は幼少期から父の影響で『スターウォーズ』シリーズが大好きでした。だからこそこの映画の主人公でもあるルークスカイウォーカーに並々ならぬ憧れを持っていたことは事実です。

それが無意識に自分の進むべき道を示していたんでしょうか、私は県外の大学に行って、勉強してその後は地元に戻って就職するんだ!!と心に決めていました。「帰る」という行為にすごく強い執着を持っていたんだと思います。

ただお恥ずかしながら、地元で自分のなりたい仕事につくための就職活動がどうしても上手くいきませんでした。ひとえに自分の力不足でしょう。そんな状況でしたが、ご縁があって秋ごろに自分のやりたい仕事に出会え、何とか就職することが出来ました。

しかしその決断というのは、同時に「故郷には戻らない」という選択でもありました。もちろん家族から反対されなかったわけではありません。それでも自分の意志を通して、その仕事に就くことを選びました。

ただ、自分の心の中にあった「帰ること」に対する強い気持ちが消えたわけではありませんでしたし、それが出来なかった自分は「ルークにはなれない」「英雄にはなれない」存在なんだと思い知らされたような気も同時にしていました。

そんなことを考えながら働いていると、何だか今の仕事もやりたいことのはずなのに、どこか気持ちが入りきらない部分がありました。

自分はルークが辿ったような王道を行くんだ、故郷に帰るんだという気持ちが拭いきれず、亡霊のように付き纏っていました。自宅に一人でいると、どうしようもなく自分が惨めで、苦しく感じられるときもありました。

だからこそこの映画『ハンソロ』にすごく救われた自分がいるのを今強く感じています。「帰る場所を失くしたアウトロー」であるハンソロは、もはや英雄になることは叶いません。それでも彼は後にルークやレイアと出会い、多くのことを成し遂げ、身に余るほどの幸せを手に入れていくわけです。

ルークになることだけが成功に至る道だという固定観念に囚われていた自分にとって、ハンソロの物語の始まりを描いた本作が衝撃的だったことは言うまでもありません。

私はハンソロのように「帰る場所」に別れを告げるほどの強さはありません。

これからもいつかは「故郷に帰る」んだという思いを捨てきることはできないでしょう。

それでもハンソロのように、「帰らない」という決断を私は一度はしたわけです。だったら、自分が納得できる何かを出来るまでは「故郷無きアウトロー」のような覚悟で今いる場所で全力を尽くすことが私の今するべきことです。

この映画を見た帰りに、自分を取り巻いていたモヤモヤ感が晴れたような思いがし、1人で涙を啜りながら夜道を歩きました。そして涙が止まった時には、いつもよりもしっかりと地面の感触が足に残るような感覚がしました。

人生を変える映画だ!!なんて言うと、大げさに聞こえるかもしれませんし、現時点で私がこの『ハンソロ』は私の人生を変えてくれた映画ですというのはすごくダサいことです。

これから自分が努力して、努力して何かを勝ち取った時に、今のことを振り返ってみて、「思えば私の人生を変えてくれたのはあの映画だった。」と言えるようにすることこそがこれから自分がするべきことです。

この素晴らしい映画を「自分の人生を変えた映画」にするために明日から頑張ろうと思えました。いや、「明日やろうは馬鹿野郎」でしたね。今から頑張ろうと思えた映画でした。

 

おわりに

映画の感想記事なのに、思わず自分語りを長々としてしまい申し訳ありません。ただそれくらい今日の映画体験が自分にとってすごく深く心に刺さる者だったということをお伝えしたかった次第です。

映画『ハンソロ』はまさに私にとって”スターウォーズ”の帰還の象徴です。それも古典的なアプローチではなく、全く新しい角度から攻めた、革新的な物語です。

海外でも低評価や興行の不調が騒がれていますが、そんなことでこの映画を敬遠してしまうのは勿体ない。ぜひぜひ劇場でこの感動を味わってほしいと思います。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

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