『スノーピアサー』ネタバレ解説・考察:Netflixドラマ版は列車ミステリ?格差社会を描くSF作品!

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『スノーピアサー』についてお話していこうと思います。

ナガ
『パラサイト 半地下の家族』でアカデミー賞を受賞したポン・ジュノのハリウッド初挑戦作だね!

今作は、ポン・ジュノがハリウッド映画界の撮影スタイルへの適応に苦しみ、プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタイン氏と当時対立していたことでも有名です。

なぜ、こんなにも対立が強まるのかと言いますと、ハリウッドではファイナルカットの権利、つまり劇場で上映するバージョンの作品の編集権をスタジオ側が持っているなんてケースが多いのです。

しかし、日本の是枝裕和監督もそうですが、基本的に編集まで自分でやりたいという監督は多くて、ポン・ジュノもその1人です。

それ故に、自分のディレクターズカット版を公開してくれと懇願し、上映時間を短くするべくカットを要求していたハーヴェイ・ワインスタイン氏と対立を深めたわけです。

当時の話し合いに面白いエピソードがありますね!

皆さんは劇中で最後尾の革命軍と体制側の傭兵たちが衝突するその開戦の直前に、体制側の兵たちが斧で魚の内臓を抉って血を出しているシーンがあったのを覚えていますか。

このシーンについてワインスタイン氏は気に入らず、カットを要求したそうです。ただポン・ジュノは当然、このシーンを削りたくはありません。

そのため、彼は「私の父が漁師であり、このシーンは父に捧げたものである。」と答えたそうです。この言葉により、魚のシーンはカットを免れたのだとか…。

しかし、そんなハリウッドの洗礼を受けた彼が、数年後に『パラサイト 半地下の家族』で鮮烈なリベンジをかますわけですから、何だか爽快です。

今回はそんな映画『スノーピアサー』について感じたことや考えたことを書いていきます。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『スノーピアサー』

あらすじ

イントロ

2014年に世界は、地球温暖化によって上昇した気温を抑えるべく、CW-7と呼ばれる薬品が上空に散布した。

しかし、この薬品があまりにも気温を下げる方向へと働いてしまい、地球は一気に氷河期のような気候状態へと突入し、人間は外では暮らせないほどになってしまう。

そんな中で、ウィルフォード産業は自社で開発した「スノーピアサー」と呼ばれる地球全体を1年で1周する列車列車に生き残った人間を乗せて、稼働を始める。

ただ、この列車に乗り込んだ人の中には、高級な乗車券を購入した富裕層と、無賃で乗り込んだ貧困層がおり、彼らは車両を隔てられていた。

 

革命勃発

「スノーピアサー」に無賃で乗車した貧困層の人間たちは、1か月間食料も水も与えられず、閉じ込められ、空腹と疲労の極致の最中、弱者を殺害して食べるようになる。

1か月が経過し、何とか生き残った人たちはプロテインバーを与えられ、後方車両での生活を開始するも、暗く不衛生な場所で、浮浪者のような生活を強いられていた。

それから17年の月日が流れ、2031年。

後方車両の人間たちは何度か反乱を起こして、前方車両の富裕層に反発するも、制圧されてしまっていた。

それでも、理不尽な支配に立ち向かうべく、カーティスが中心となり、再び革命を起こすことを企てていた。

革命直前に、列車の長であるウィルフォードが部下のメイソンを最後尾に遣わし、2人の子どもを連れ去っていく。

この件で激高した最後尾の人たちは、立ち上がり、最後尾から次の車両へと続く道を破ることに成功する。

 

新たな仲間

次の車両は、囚人が収容されている車両であり、そこでカーティスはエンジニアのミンスとその娘ヨナを解放する。

カーティスは2人と交渉し、扉を1つ開けるごとにクロノールと呼ばれる麻薬を2欠片手渡す契約を交わす。

ミンスのテクニックもあり、前方車両へと続く扉を1つずつ開けていき、順調に進軍するも、突然ウィルフォード傘下の傭兵が現れ、交戦状態に突入する。

(C)2013 SNOWPIERCER LTD.CO. ALL RIGHTS RESERVED

圧倒的な武力と、トンネルと暗視スコープを組み合わせた戦術により、最後尾の革命軍はバタバタと倒されていくが、それでも松明を持って反撃し、敵の要人であるメイソンを拘束した。

カーティスミンスら少数の仲間を連れて、メイソンの手引きで前方車両へと進入していくのだが、そこには富裕層の暮らす煌びやかな世界が広がっていた。

 

一転してピンチに…

富裕層の暮らす前方車両で、豊かな植物園や安定した海産物や食肉の生産を可能にする施設などを見学し、寿司を食べる一行。

そんな彼らが次に進んだのが、子どもたちが教育を受けている学校のある車両だった。

カーティスは貧困層から連れ去られた男児のティミーらがここにいないかと探すのが、生徒の中にはいなかった。

すると突然、学校の先生が銃を持って反撃に転じ、さらには後方車両でもウィルフォード傘下の傭兵が無抵抗の人々を虐殺し始める。

窮地に陥ったカーティスらは、なんとかその場を逃れるが、今度は後方車両からの敵の追撃に遭う。

追撃してくる刺客との一進一退の攻防を繰り広げながら、少しずつ前進していき、彼らは何とか「聖なるエンジン」がある先頭車両の扉の前に辿り着く。

 

選択とエンジンの正体

(C)2013 SNOWPIERCER LTD.CO. ALL RIGHTS RESERVED

いよいよ最前列の車両を目前に控えたが、そこでミンスはここまでに集めたクロノールの爆発しやすい性質を活かして、外へと続く扉を爆破することを提案する。

彼は、電車の窓から外を覗きながら、徐々に気温が上昇し始めているサインに気がついていたのだ。

しかし、最前列の車両から現れたウィルフォードの秘書の女性により、ミンスは撃たれてしまい、その場にうずくまる。

彼女から最前列の車両内に招かれたカーティスはそこでウィルフォード本人と出会う。

彼は、この「スノーピアサー」は世界そのものであり、世界には富裕層もいれば貧困層もいて、それこそがあるべき姿なのだと言葉巧みにカーティスを誘惑します。

しかし、彼はそこで後方車両からさらわれたティミーら「聖なるエンジン」の欠けた部品を埋めるためにある種の「人柱」にされている現場を目撃し、激高。

何とかして、ティミーらを助けようと試みる。

 

物語の結末へ

意識を取り戻したミンスは後方車両からの追手と交戦を開始する。

その最中に娘のヨナにクロノールを用いて、外へと続く扉を爆破するように指示を出す。

そうして、何とか扉の爆破に成功し、「スノーピアサー」は崩壊し、雪原へと投げ出される。

カーティスミンスは命を落としたが、彼らが身を挺して守ったことで、ヨナとティミーは一命をとりとめる。

大破した列車から臨む雪山の頂にはシロクマが歩いており、そんな微かな希望を頼りに2人は外の世界へと踏み出していくのだった…。



スタッフ・キャスト

スタッフ
  • 監督:ポン・ジュノ
  • 製作:パク・チャヌクイ・テフン
  • 原作:ジャン=マルク・ロシェットベンジャミン・ルグラン&ジャック・ロブ
  • 脚本:ポン・ジュノケリー・マスターソン
  • 撮影:ホン・ギョンピョ
  • 編集:スティーブ・M・チョー
  • 音楽:マルコ・ベルトラミ
ナガ
ポン・ジュノの他作品と比べると、ちょっと残念な内容ではありますよね…。

監督は『グエムル 漢江の怪物』『母なる証明』など数多くの名作を世に送り出してきたポン・ジュノです。

やはり彼の作品は、他がどれも傑出した出来で、イマイチな作品を見つける方が難しいくらいなので、それだけにこの『スノーピアサー』は見劣りします。

脚本的にも、物語の緊張感が1点に持続せず、力点が分散されているような印象も受け、それほど乗り切れません。

設定的には、面白い作品ではありますが、脚本や演出次第で、「傑作」に分類される作品になれる可能性があっただけに少し勿体なく感じられます。

まあ制作時にごたついた映画はどうしても上手くいかないものですよ…。

脚本には、ポン・ジュノと共に『その土曜日、7時58分』ケリー・マスターソンが共同脚本として参加しました。

本作の原作は、ジャック・ロブバンジャマン・ルグランジャン=マルク・ロシェットらによって著されたグラフィックノベル『Le Transperceneige』とのことです。

撮影にはポン・ジュノ作品だけでなく、ナ・ホンジン監督作品などにも携わってきた韓国を代表する撮影監督ホン・ギョンピョですね。

音楽には『ローガン』『フォードVSフェラーリ』の劇伴も担当したマルコ・ベルトラミが起用されました。

キャスト
  • カーティス:クリス・エヴァンス
  • ナムグン・ミンス:ソン・ガンホ
  • メイソン:ティルダ・スウィントン
  • エドガー:ジェイミー・ベル
  • ターニャ:オクタビア・スペンサー
  • アンドリュー:ユエン・ブレムナー
  • ギリアム:ジョン・ハート
  • ウィルフォード:エド・ハリス
ナガ
やっぱりポン・ジュノ作品にソン・ガンホはセットなんだね!

主人公のカーティスを『キャプテンアメリカ』シリーズでおなじみのクリス・エヴァンスが演じました。

彼は今作で、髭を生やした役を演じたわけですが、同時期に『アベンジャーズ』のポストクレジットシーンの撮影が入ったようで、こちらでは特殊メイクで髭を隠して参加したんだとか?

そして『殺人の追憶』『グエムル 漢江の怪物』でも監督とタッグを組んだソン・ガンホが、今作にも出演しており重要な役回りを務めました。

他にもティルダ・スウィントンや、オクタビア・スペンサーエド・ハリスら名優が顔を揃えました。

ナガ
より詳しい作品情報は以下のサイトからどうぞ!
映画com作品紹介ページ
ナガ
ぜひぜひご覧になってみてください!



『スノーピアサー』解説・考察(ネタバレあり)

資本主義を皮肉った作品

(C)2013 SNOWPIERCER LTD.CO. ALL RIGHTS RESERVED

本作『スノーピアサー』は、資本主義社会や階級社会に痛烈なアイロニーを叩きつけた作品でもあります。

この作品の中でしばしば言葉として登場するのが、「人類はそれぞれに自分の場所があり、それ相応に生きなければならない」というものです。

つまり、貧困層には彼らなりの居場所があり、一方で富裕層にも彼らなりの居場所があり、それを覆すことは許されないというわかえですよね。

しかし、アメリカないし日本そして世界中で、近年は世代間の所得階層は固定化する傾向が強まっており、自分の生まれた境遇や経済的状況を覆すことが難しい世界になりつつあります。

ナガ
これは、一部の富裕層や支配者層からすれば非常に都合が良い社会構造なんだよ…。

本作を見ていて、印象的なのは最後尾の人間たちは貧困な生活を強いられており、食料としては虫を原料にしたプロテインバーしか与えられていません。

加えて、そこで生まれた子供たちは教育を受けることは許されず、時折「聖なるエンジン」の人柱として駆り出されるという不遇な人生を送ることになります。

一方で、前方車両にいる子供たちは、何不自由ない生活を送り、学校できちんと教育まで受けていました。

ジョージ・オーウェルは自身の著書である『1984年』の中で階級社会を維持するために必要なのは、「貧困と無知」であると語っています。

貧困であれば、人間は自分たちの生活のことしか考えられなくなり、成り上がるための術を考える余裕すら奪われます。さらにまともな教育が受けられなければ、自分たちの社会の「歪み」を理解することすらしないまま人生を送るでしょう。

そうした「貧困と無知」が絶えず、階級社会を再生産し続け、緩やかに持続していくのであり、そんな円環が「スノーピアサー」の列車の中にも小さな規模で確かに存在しています。

そして劇中で、ウィルフォードが後方車両のギリアムと結託して、何度か戦争を起こしているという話がありましたよね。

先ほどご紹介した『1984年』の中にこんな一節があります。

現代に於ける戦争の第一の目的は(二重思考の諸原理に従えば、この目的は中枢の首脳部によって、認識されていると同時に認識されていないことになる)、全般的な生活水準を上げずに、機械による製造品を消費しつくすことである。

(ジョージ・オーウェル『1984年』より引用)

ナガ
『スノーピアサー』における「戦争」も実はこれなんだよね!

ウィルフォードがなぜあの列車の中で、定期的に戦争を引き起こすのかと言えば、それは階級社会を維持するために他なりません。

戦争をすれば、ある程度の人口削減ができますよね。そしてそれぞれの階級からの人口の削減率は、もちろん武装の度合いに比例するでしょうから、貧困層が多く命を落とし、そこから徐々に富裕層になっていくにつれて死亡する割合が減少していきます。

そうして、ピラミッドを保ったままで、列車内の社会を維持できる適切な人口に落とし込んでいくという手法を取っていたわけです。

一方で、ウィルフォードが「戦争」をけしかけるのは、物資を消耗させるためのという意味合いもあるでしょう。

劇中で過去の2度にわたる革命によって、前方車両の兵士たちが「銃弾」をほとんど所持していないことが明らかになりましたよね。

ナガ
ただ、最前列にいるウィルフォードやその側近は当たり前のように銃を所持していたね…。

ここには、列車内のピラミッドの最上階にいるウィルフォードが貧困層のみならず、中流階級や富裕層たちにも冨や物資を消耗させ、反乱できないように適度に力を削ぐという目的があったように感じられます。

『1984年』には、「戦争は平和である 自由は屈従である 無知は力である」という有名な言葉はありますが、まさしく戦争は階級社会を維持していくために、欠かせないものだったわけです。

このように『スノーピアサー』には、階級社会や資本主義社会へのアイロニーがこれでもかと詰め込まれています。

同じ線路を1年間で1周する列車という設定は、変わることがなく同じようにグルグルと円環を続け、固定化される私たちの階級社会のメタファーでしょう。

しかし、ラストシーンでそんな「スノーピアサー」を脱線させ、1つの円環を終わらせることとなります。

小さな子供2人の前に広がる世界は雪に閉ざされており、厳しいものです。

それでも、2人から始まり、再び人類の繁栄が訪れるのではないかという微かな希望を持たせてくれるラストでもあります。



旧約聖書のノアの箱舟をモチーフに

(C)2013 SNOWPIERCER LTD.CO. ALL RIGHTS RESERVED

キリスト教を信仰する人々にとって、「自己犠牲」という言葉が想起させるのは、他でもないイエスが原罪を背負って十字架に架けられたことでしょう。

まず、本作の中で過去に無賃で列車に乗り込んだ人たちが倉庫のような場所に閉じ込められて、お互いに生き残るための殺し合いをしたということが明かされています。

そんな中で、ギリアムらは自分の身体を差し出して、弱者を守ろうとしました。

キリスト教的な価値観において、「自己犠牲=愛」であり、主人公のカーティスは、そんな彼らの行動から「愛」を学び、貧しい人たちの救世主として立ち上がろうと決意したわけです。

一方で、前方車両の人間たちが信仰しているのは、当然「スノーピアサー」の聖なるエンジンとやらを崇め奉るある種の宗教です。

子どもたちは、教育機関でその聖なるエンジンの偉大さを洗脳され、それを神のような存在だと認識して大人になっていくわけですよ。

そして、ウィルフォードらの考え方は「自己犠牲」とはまるで正反対であり、エンジンを守るために、列車内の階級社会を維持するために、「他者犠牲」を強いるのです。

ティミーのような小さな子供までもが、「聖なるエンジン」を維持するためだけの歯車として駆り出され、彼らは自分たち自身を犠牲にしようとなど微塵も考えていません。

革命軍と体制派が最初に衝突した場面で、記事の冒頭にも書きました魚の内臓を切り裂くシーンがありましたよね。

ナガ
これっておそらく「反キリスト」的なメッセージなんじゃないかな?

イクトゥスと呼ばれる魚を横から見た形に描いたシンボルがありまして、これが初期の頃キリスト教にシンボルとされていました。

ここから着想を得て、「聖なるエンジン」を信奉する異教徒たちが、「自己犠牲=愛」という考え方を持つキリスト教徒的な貧困層の人々を嘲るために魚を切り裂いたという見方ができるかもしれませんね。

ただ、そんなことを言いつつも、本作の全体像はあくまでも旧約聖書のノアの箱舟のエピソードを想起させるように作られています。

富裕層の車両にあった海洋生物たちの水槽や植物園といった空間が、外の氷に閉ざされた世界から抽出したサンプルという印象を与え、ノアの箱舟のような雰囲気を醸し出しています。

失楽園の後に増加した人類の堕落を見た神が洪水で滅ぼさんとし、その知らせを聞いたノアが箱舟を作り、自分たちの家族やすべての動物のつがいを乗せて、水か引くのを待ったわけです。

『スノーピアサー』では、ヨナとティミーがまるでアダムとイヴが如く、外の世界へと旅立っていくラストが描かれました。

きっと再び人類はここから反映していくのだと予見させてくれると同時に、繁栄に伴って再び過ちを犯し、滅亡に至るのではないかという想像もよぎります。

人類は繁栄しては、堕落して滅亡し、そしてまた2人から始まって繁栄してという歴史を繰り返してきた生き物なのかもしれません。

ナガ
終わることのない、そんな円環をグルグルと繰り返し続けているのかもね…。

戦争だってそうですよね。多くの人が命を落とすことで、何度も反省してきたわけですが、結局私たちは懲りることもなく戦争を繰り返しています。

そういう人類という生き物が孕む「堕落の再生産」に本作『スノーピアサー』はメスを入れているようにも感じられました。



Netflixドラマ版『スノーピアサー』

(ドラマ版『スノーピアサー』より引用)

あらすじと映画版との違いについて

さて、まず基本設定としての気候変動が起きて、それを抑制するために大気中に気温を下げる薬品を散布し、結果的に地球が氷に閉ざされてしまうという前提は同じですね。

ただ、そこで「ノアの箱舟」的に登場する「スノーピアサー」の設定として、大きく変更されているのがドラマ版では何と「1001」両編成の列車になっているという点です。

ナガ
映画版では、せいぜい30車両くらいだったような気がするので、一気にとんでもない車両数になりましたね…。

映画版だと、車両数がかなり少ないのもあって、こんな車両数に乗り切れるほどの人間しか生きられなかったのか?という純粋な疑問は浮かびました。

ただ、映画の2時間尺で最後尾から最前列までを描き切らないといけないという都合上、列車のボリュームが小さくならざるを得なかったのは理解できます。

その点でも『スノーピアサー』という作品の世界観を拡張して、じっくりと描いていくドラマ版の展開は非常に楽しみです。

さて、映画版でもドラマ版でも主人公を中心に、革命の計画が練られていき、いよいよ革命が始まるというところまで推移していきます。

ナガ
ただここで、2つを決定的に隔てる展開が起こるんだよ!

というのも、ドラマ版では主人公のアンドレ・レイトンが、革命が始まるというその瞬間に、3号車両の方にしょっ引かれていって、殺人事件の捜査に協力させられるという展開になるんです。

映画版では、ここから戦いが始まって一気にアクション映画へと転じていくのですが、ドラマ版は『オリエント急行殺人事件』などを思わせるような列車ミステリへと転じていきました。

そのため、1話の後半から2話にかけては、レイトンが3号車両の中で、いろいろと調査を進め、殺人事件の犯人を追っていく模様が描かれています。

まあ常識的に考えて、1001も車両数があるわけですから、最後尾の人間がいきなり革命を始めたところで、すぐに鎮圧されるのはある程度目に見えていますよね。

そういう意味では、設定上この展開にせざるを得なかったのだと思いますし、レイトンが前方車両の事情に精通し、さらには協力者を作っていく事で、まずは革命への準備を整えていくというところからじっくり描いていくのでしょう。

ちなみにですが、映画版では最後尾車両の人間は子どもを作ることが許されていて、その子どもをエンジンを稼働させるための部品として搾取するという胸糞悪い展開がありましたが、ドラマ版ではこれは描かれなさそうです。

というのも、ドラマ版では最後尾車両の人間は出産が禁じられており、子どもが徴収されるということも特にありません。

ただ、職業技能実習生として定期的に人間を奪われていっているようなので、ここに何らかの闇があるんだろうなと何となくは想像がつきますね。

 

列車ミステリにしたことの面白さ

今回のNetflixドラマ版『スノーピアサー』は、先ほども書いたように「列車ミステリ」のような内容にコンバートされています。

ナガ
これによってかなり物語の展開の幅は広がったのかなと思いましたね!

というのも、最後尾車両の人間たちが革命を起こして、どんどんと前に進んでいくだけの物語にしてしまうと、どうしてもアクションで見せ場を作るしかなくなって、政治性や戦略性は薄くなると思うんですね。

なぜなら、あくまでも彼らが前方車両へと突き進んでいく事にスポットを当てざるを得ないので、そこからのサブプロットが派生させづらいからです。

ドラマシリーズとして、『スノーピアサー』の世界観を拡張し、より掘り下げていくためには、最後尾車両の人間が革命に伴う進軍以外の形で、前方車両に取り込まれて、そこで情報を手に入れていくという構図がまさしく必要だと思いました。

こうすることによって、前方車両において渦巻く陰謀や政治、またそこでの暮らしや経済といった部分にもフォーカスされていき、世界観が固まっていきます。

また第2話の中で、レイトンが何とかして自分の手に入れた情報を後方車両の人たちに流そうとしている一幕がありましたが、彼の刑事としての活動が、革命の準備にも繋がっていくという構図にもなっているんですよね。

現在公開されている第2話まででは、基本的に1号、2号、3号、最後尾車両と区分けされている中での、3号車両と最後尾車両が物語の舞台です。

ここで注目したいのは、「3号」に属している人たちというのは、決して裕福な暮らしをしているわけではなくて、事件のキーにもなった人肉の牛麺を食べていたり、最後尾車両からの移住民がいたりと、それほど自分たちの暮らしに満足しているようには感じられない人たちである点です。

彼らは、自分たちよりも酷い暮らしを強いられている「最後尾車両」の人間がいることで、何とか今の暮らしに妥協しているのであり、満たされるでもなく欠くでもないそこそこの暮らしをしているので、「革命」という発想には至らないのです。

ナガ
これも社会の構造を巧く取り入れているように感じますね!

つまり、彼らは絶対的に見れば「貧困層」に当たる人たちのはずなのですが、相対的に見ればまだマシだという状況にほだされてしまっているわけですよ。

そう考えていくと、ドラマ版の『スノーピアサー』では、3号車両に乗り込んでいる人たちをも巻き込んで、革命のムーブメントを起こしていくという展開が予期されます。

人口ピラミッドの観点から考えても、3号車両の人間があの列車の最大母数ではないかと考えられますよね。いわゆる中流階級よりも少し下に位置するゾーンです。

そういった貧しい状況をひっくり返す力を絶妙に奪われている層をいかに動かしていくのかをキーにしていくということであれば、かなり面白い展開になっていくのではないかと思いますし、そうでないと1001両の車両の攻略は難しいでしょうね。

また、映画版では何気なく扱われていた囚人の設定も、ドラマ版では何やらキーになるようでして、こちらも非常に楽しみですね。



「パンとサーカス」を想起させる支配構造

(ドラマ版『スノーピアサー』より引用)

映画版もそうですが、基本的に『スノーピアサー』という作品は、人類の歴史や伝説から様々な引用が為されています。

代表的なものは『旧約聖書』ですが、古代ギリシアのモチーフが引用されていたりもしますね。

ナガ
映画版で斧を使った戦闘シーンがあるのは、間違いなくそうだろうね!

そして、今週公開された第3話ではいわゆる「剣闘士」の話題が挙がりました。

3号車の人間に闘わせるイベント「ファイトナイト」を開催し、優勝者を2号車へと格上げするというものでしたね。

このイベントが強く想起させるのは、古代ローマ時代の「剣闘士」であり、「パンとサーカス」です。

剣闘士たちというのは、戦争捕虜であったり、奴隷身分の人間であったりしたわけですが、彼らの闘いは富裕層の見世物となります。

ナガ
この構造は『スノーピアサー』と全く同じだね!

端的に「剣闘士」について知りたいという方は、映画『グラディエーター』を見るのが分かりやすいと思いますよ。

このイベントが古代ローマでは、支配者から民衆へのある種の「人気集め」のために使われました。

当時のローマは度重なる戦争により消耗しており、経済的にも食糧事情的にも苦しい状況に置かれており、そこから民衆の目を背けさせるための道具だったわけです。

『スノーピアサー』では、雪崩に伴うトラブルで列車の一部が破損し、牛が絶滅するという事態が起きました。

こういった失態により支配者階級は当然求心力を失うリスクを背負うわけですが、そこから目を逸らさせ、娯楽に埋没させるのが、まさしく古代ローマの「剣闘士」から引用された「ファイトナイト」なのでしょう。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『スノーピアサー』についてお話してきました。

ナガ
本作には、アメリカに批判的な側面があったとも言えるでしょうね!

列車のエンジンを動かすための人柱に黒人の子どもが選ばれているのは、偶然ではないように感じます。言わばアメリカが奴隷を自分たちの国の発展の犠牲にしてきたことを仄めかす描写でしょう。

また韓国系のポン・ジュノが監督をしているのももちろんありますが、ラストで生き残るのが、黒人の子どもと韓国系の少女というラストは何とも驚きです。

これも基本的に白人の男女のイメージで語られがちなアダムとイヴのイメージに対するある種のアンチテーゼですよね。

彼が韓国で製作した『グエムル 漢江の怪物』は紛れもなくドストレートなアメリカ批判映画でした。

ハリウッド制作の作品であっても、自分のスタンスは変えないというポン・ジュノの強い気持ちが伺える内容でもありましたね。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

関連記事