©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/青ブタ Project
目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですねアニメ『青春ブタ野郎』シリーズの話題についてお話していこうと思います。
本記事はアニメ・原作のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となります。
良かったら最後までお付き合いください。
『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』
あらすじ
思春期症候群。それは思春期特有の不安定な精神状態が引き起こす不思議な現象。
インターネット上では、そんな都市伝説が噂になっていた。
高校2年生の梓川咲太は、江ノ島から近い高校に通っていて、そこで「思春期症候群」の事例に直面することとなります。
街の図書館に現れた野性のバーニーガール:桜島麻衣
周囲の顔色を窺って生きることしかできない八方美人:古賀 朋絵
大好きな異性への片思いに悩む理系少女:双葉 理央
彼女たちとの関わりを通じて、咲太は自分の過去と、そして妹の身に起こった思春期症候群に向き合うことになるのでした。
スタッフ・キャスト
原作を著したのは鴨志田一さんですね。
『さくら荘のペットな彼女』の原作者と知られていますし、その後岡田磨里さんのアニメ作品の脚本を担当されるようになりました。
『selector spread WIXOSS』や『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』、『Just Because!』の脚本を岡田磨里さんと共著しています。
監督を務めたのは、増井壮一さんですね。当ブログ管理人もお気に入りの『サクラクエスト』の監督でもあります。
町興しアニメという「舞台」を活かした作品を丁寧に紡いだ増井監督であれば、『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』という藤沢や江ノ島を舞台にした作品を上手く描けるのではないでしょうか。
シリーズ構成を担当されたのは、横谷昌宏さんです。この方は増井監督と『サクラクエスト』でもタッグを組んでいます。
近年の作品としては、『Re:ゼロから始める異世界生活』のシリーズ構成を担当し、高い評価を獲得しています。
また音響監督に『ガールズ&パンツァー』で注目を集めた岩浪美和さんが参加されています。
アニメーション制作は『ペルソナ5』のテレビアニメシリーズで高クオリティのアニメーションを贈りだしたCloverWorksです。
主人公の梓川咲太を演じるのが石川界人さんですね。
当ブログ管理人としては『凪のあすから』の木原紡役で認識したんですが、今となっては人気声優の1人ですね。
ヒロインの桜島麻衣を演じるのが、瀬戸麻沙美さんですね。
美声ながらも、一本芯が通ったような凛としたボイスアクトをされる方なので、本作の麻衣のキャラクターにピッタリだと思います。
咲太の妹である梓川 かえでを演じているのが久保ユリカさんです。ラブライブで大ブレイクした女性声優ですね。
他にも『響けユーフォニアム』シリーズのみぞれ役で知られる種﨑敦美さんや、女性声優人気TOP5に入るであろう東山奈央さんと水瀬いのりさんも参加されており、豪華キャスト終結という具合になっております。
より詳しい作品情報を知りたい方は公式サイトへどうぞ!
参考:アニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』公式サイト
主題歌(OP&ED)
OPを担当されたのは、新進気鋭のロックバンドであるthe peggiesですね。
曲目は「君のせい」です。
疾走感あふれるロックチューンが心地よく、今期アニメのOPテーマの中でもトップクラスで好きな曲です。
EDを担当しているのは、劇中キャラクターが歌う「不可思議のカルテ」ですね。
詳しくは伏せますが、ヒロインたちの身に起こる「思春期症候群」に関連する内容が歌詞に込められています。
話数を重ねるごとに印象が変化する曲だと思いますよ!
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アニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』
©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/青ブタ Project
そもそもアニメは原作のどこまで描かれるの?
原作が現在9巻まで刊行されている『青春ブタ野郎』しりーずですが、今回のアニメシリーズがどこまで描かれるのかにも注目したいですよね。
そうなんです。『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』というタイトルで2019年に劇場版が公開されることが決定しているんです。
ちなみに『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』というのは、原作第6巻のタイトルになっています。
ということはですよ。必然的にテレビシリーズで描かれるのは第5巻までの内容ということになるわけです。
それを紐解いていくには、アニメ版がどれくらいのスピードで原作を消化していっているのかに注目する必要があります。
まずは第1話『先輩はバニーガール』が原作第1巻をどれくらい消化したのかを考えてみましょう。
第1話はシュレディンガーの猫の話が出てきて、麻衣先輩が咲太の家の前で座っているところで幕切れだったわけですが、これで大体原作第1巻を30%ほど消化したということになります。
このペースで進めるのであれば、どう考えても1クール(12話)では消化しきれないのではないかと思います。
ということは1話を少し駆け足めに進めたというだけで、他はゆっくりめに進めるとして、やはり2クール編成になると予想するのが妥当なのではないでしょうか?
ただしBlu-ray情報を見ていると、1クールに思えてくるんですよ。
- 第1巻:3話収録
- 第2巻:3話収録
- 第3巻:2話収録
- 第4巻:2話収録
- 第5巻:3話収録
こういう具合になっているんですが、各巻が原作に対応していると考えると、実は原作5巻までをテレビシリーズで描くであろうことを鑑みてもぴったりなんですよ。
そうなると3・4巻の内容は各2話となり、かなり駆け足になってしまうことも予想されますね。
当ブログ管理人の希望としては2クールなんですが、なかなか厳しいですかね?
第1話:『先輩はバニーガール』
あらすじ
峰ヶ原高校の2年生・梓川咲太は、ある日、図書館でバニーガールと出会う。その正体は、咲太と同じ高校の3年生で活動休止中の国民的女優、桜島麻衣だった。周囲からひと際目立つ麻衣だが、何故か彼女の姿は周囲の人間には見えていなかった。
麻衣から金輪際、私に関わるなと言われるも気になった咲太は翌日、駅のホームで見かけた彼女に話しかける。そして咲太は、麻衣の身に起こっている不思議な現象について聞かされる。
感想と解説:イントロとしては最適な構成に!
原作とはかなり違う構成に仕上げてきた『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』ですが、原作1巻を読んだ自分としては、非常に巧い構成だなぁと感心している次第です。
原作の掴みは基本的に咲太が図書館でバニーガールの先輩に遭遇するというワンシーンに重きが置かれているんですが、アニメ版ではその後到来する「未来の展開」の一部を先に提示することで、見る人に想像を膨らませる構成に仕上げてきています。
こういう構成にすることで、物語は未来の咲太が書いた日記を回想する形で進行していっているのも面白いですよね。
それでいて未来の咲太が麻衣の記憶を失ってしまうことへと繋がることになるわけです。
また第1話では「シュレディンガーの猫」について触れられていましたね。
「シュレディンガーの猫」というのは劇中で少し解説がありましたが、蓋のついた箱の中に
- 「猫」
- 「1時間以内に50%の確率で崩壊する放射性原子」
- 「原子の崩壊を検出すると青酸ガスを出す装置」
を入れることで量子学的に半分死んでいて、半分生きている猫を作り出すという実験のことです。
そういうことになります。
見なければ生死を確定できないシュレディンガーの猫。少しずつ周りの人たちから「見えなく」なっていく麻衣。
この2者にいったいどんな因果関係があるというのでしょうか?
ぜひとも今後の展開を予想しながら第2話、第3話と見ていくと楽しめると思います。
第2話: 『初デートに波乱は付き物』
あらすじ
咲太は、思春期症候群を発症した麻衣の秘密を探り始めます。
母親に対する当てつけのように退いた芸能界。しかし彼女の本心は女優として活動したいというものでした。
そんな中で咲太と麻衣は初デートをすることとなります。
咲太は麻衣に自分に気を使う理由を聞かれ、かつて妹のことで悩んでいた時に自分を救ってくれた牧之原翔子という存在について語ります。
その後、海岸で麻衣は母親と再会する約束を取り付けていたのですが、何と母親は麻衣の姿が見えなくなっており、存在すら覚えていませんでした。
感想
「涼宮ハルヒの消失」を思い出させるような展開になってきましたね。
「誰からも認識されない存在になる」ということがどれだけ不安で、恐ろしいことなのか。
「私のこと見えてる?私の声聞こえてる?」
不安を払拭するかのように、夜の電車の中で恋人繋ぎをする咲太と麻衣。圧倒的なエモさでした。
インターネット上のデータのように脆くも喪失していく、「麻衣」の存在。
それを繋ぎとめるかのように肉体的接触を求め、安心する。
平気なようで、今すぐにでも泣きだしてしまいそうな麻衣が必死で虚勢を張っている姿に涙が出てきます。
「ねえ、咲太。キスしよっか。」
それは本心からの言葉なのか、不安から出た言葉なのか。
次週麻衣編完結ですね!
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第3話:『君だけがいない世界』
あらすじ
咲太は学校に戻りますが双葉を除くほとんどの生徒が麻衣のことを忘れてしまっていました。
そして双葉によると眠ることで、学校や社会を取り巻く「空気」に飲み込まれることを指摘します。
双葉すらも麻衣を忘れてしまった中で、咲太は徹夜を続け麻衣のために奮闘します。
そんな咲太の身を案じた麻衣は自ら睡眠薬で咲太を眠らせます。
翌朝、そこには誰か一人だけを覆い隠してしまったような平凡で違和感のある世界が広がっていました。
感想
忘れたくないなら消しても消せないくらいに刻み込め!
どうしても欲しいのならば叫んで叫んで手に入れろ!
現代を取り巻く我々の最大の敵は間違いなく「空気」です。
「空気」を読むとは、何とも楽な生き方です。もしかすると戦うだけ無駄なのかもしれません。
ただ「空気」を自分のものにできたなら、ほんの少しでも流れを変えられたなら・・・。
空気に流されているだけの無個性な自分。
変えたいと願ったならば、きっと変えられる。
「ま、でも、私たちの世界なんて、告白ひとつでがらっと変わってしまうくらいに、単純なのかもね。梓川が証明したようにさ。」
原作ではかなり泣いたんですが、アニメだと尺が短すぎて感情移入しづらかったです。
あとはやっぱり、せめてエピローグで1か月後の梓川の告白まで放送して来週に続くにして欲しかったと思います。
そうすれば来週は冒頭から次の思春期症候群のギミックをかけられますからね。
『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』に限った話であれば、構成は巧かったと思いますが、次のエピソードへのつなぎ方はイマイチ惹かれないなぁと。
個人的にはもう第5巻を丁寧にやってくれれば良いんですけどね(笑)
原作『青春ブタ野郎』シリーズ
ここからは当ブログ管理人が原作を読んで感じた感想や解説を書いていきます。
原作のネタバレになる要素を含みますので、ご注意いただければと思います。
第1巻:『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』
あらすじ(ネタバレ注意)
高校2年生の梓川咲太は図書館で野性のバニーガールに遭遇します。
その正体は、同じ学校の先輩で、元大人気子役の桜島麻衣でした。
しかし、おかしなことに美少女バニーガールの姿を捉えているのは、図書館の中で咲太ただ1人。
麻衣は他人から存在を認識されなくなるという「思春期症候群」に悩まされていたのでした。
最初は美人な先輩にお近づきになれるチャンスという不純な動機だったが、妹の事情もあり、彼は麻衣のために尽力します。
咲太は麻衣のために必死で原因究明に奔走するが、麻衣の症状は悪化していく一方でした
学校の生徒だけでなく、街の人々も、そして麻衣のマネージャーでもあった母親でさえも彼女の姿が認知できなくなっていました。
そうして咲太と双葉はある事実に辿り着きます。
それは当初麻衣が作り出していた「他人から認知されたくない」という空気が学校内外に伝染し、「彼女の姿を見ない空気」が蔓延してしまっているということでした。さらに眠ることで、自分の意識が弱まった時にその空気が人の志向を支配していくということも判明しました。
徐々に世界から麻衣の存在が失われていき、気がつけば咲太が麻衣を認知する最後の1人になってしまいました。
咲太は必死で眠るまいと抵抗を試みますが、麻衣は自ら彼に睡眠導入剤を盛り、彼に「もう私のことを忘れて、楽になって欲しい」と告げます。
目が覚めると、世界から、そして咲太の中からも麻衣の存在は抹消されていました。
果たして、咲太は麻衣を取り戻すことができるのか?
解説と考察:現代を取り巻く「空気」と闘う強さ
「空気」という言葉をよく聞くのは、「いじめ」の問題が話題に上がった時ではないでしょうか。
一部の生徒が特定の子をいじめるという事実が、そのクラスないし学年全体へと蔓延していき、その子をいじめるということが集団全体の「空気」になってしまうこと。これが現代の「いじめ」問題の正体であり、最も恐ろしい部分です。
直接「いじめ」に関与せずとも、それを肯定する空気感を作り出す大多数の存在によって「いじめられている子」は孤立と孤独のどん底に立たされることとなります。
だからこそ「いじめ」に対抗する手段もまた同じアプローチで取られるべきではないのか?ということは前々から言われています。
つまり、一部の生徒が「いじめ」に否定的な空気を作り出し、それを蔓延させることで空気に流されやすい大多数の立場を変えていくという手法です。
「いじめ」られている子を擁護することで、次は自分がその対象になってしまうかもしれないという恐怖感、自分は関係ないんだという無関心がために、自ら進んで「空気」に逆らおうとする人はなかなか出てきません。
「空気」が読めることが美徳とされる日本社会。それはよく言えば協調性があるとなるわけですが、逆にその協調性は時に暴力的に左右することもあるわけです。
協調性は人間最大の武器の1つでもあるわけですが、同時に歴史的に見ても虐殺や差別、迫害といった出来事にも繋がってきました。
「空気」が虐殺を生み、「空気」が差別を生み、「空気」が迫害を生む。
人間は誰しも何かに依存して生きたいという欲求を心のどこかに抱いている生き物です。
右に倣えの生き方は楽でいい。いいこと、悪いことの判断を全部自分でするのはカロリーを使うし、自分の意見を持つと、否定されたときに傷つくこととなる。その点「みんな」と一緒であれば、安心、安全でいられる。見たくもないものを見ずにいられる。考えたくもないことを考えずにいられる。全部他人事で済ませられる。
電撃文庫『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』鴨志田一より引用
これは実は日本だけの問題ではないんですよ。
我々がステレオタイプ的に個人主義だと認識しているアメリカの学校でもこんなデータが出てきました。
同調圧力の大きさを示す、あるアメリカの実験がある。あるカードに描かれた線分と同じ長さの線分の描かれたカードを探すというものである。その際に被験者の中にサクラを用意し、明らかに違う線分のカードを揃って選んでいく。
するとその後に選ぶ被験者の75%が、明らかに違っているカードを一旦選ぶという。自己主張や個性を尊ぶアメリカでさえこうなのである。アッシュの同調実験と呼ばれるこの実験は、同調圧力がいかに強い力を持つかを物語る。
現代の世界を取り巻く「空気」という強敵。
そして「空気」という強敵が自分の愛する人の存在を奪っていき、いつしか自分もその空気に支配されてしまう。
そんな中で咲太はどう行動すれば良いのか?どうやって「空気」に打ち勝てばよいのか?
きっとそれは彼自身が「最初のペンギン」になることなんですよね。
「空気」を変えるために、自らがそれを上回るだけの新しい「空気」を作り出すこと。
「ま、でも、私たちの世界なんて、告白ひとつでがらっと変わってしまうくらいに、単純なのかもね。梓川が証明したようにさ。」
電撃文庫『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』鴨志田一より引用
最近、話題になっているノーベル平和賞を受賞したムラドさんを見ていても、つくづくこの言葉は世界の本質を突いていると思います。
ムラドさんは「声を上げられない人々の声になる。正義を求める人々のために立つ」として、自らが遭った壮絶なレイプ被害のことを告発し、世界にその事実を伝えました。
少し前にハリウッド映画界を皮切りに巻き起こった「Metoo」運動も同じですよね。特定の誰かが現状の「空気」を打破するだけの新しい「空気」をもたらしたことで、世界にその「空気」が蔓延していったとただそれだけのメカニズムです。
世界を変えることと「空気」を変えること。
世界を敵に回しても、「空気」に逆らってでも、大好きな人への愛を叫べるかどうか?
『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』にはそんなことを問われているような気がしました。
第2巻:『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』
あらすじ(ネタバレ注意)
麻衣先輩の「思春期症候群」をめぐるトラブルは収束し、晴れて咲太は麻衣と付き合うことに・・・なるはずだった。
しかし、咲太は突然麻衣先輩と付き合い始める6月27日を永遠に繰り返すことになるのでした。
その中心にいたのは、古賀 朋絵という同じ学校に通う1年生の少女でした。
彼女は自分が所属している友人グループのリーダー格的存在の少女が好意を寄せているバスケ部の先輩から好意を寄せられ、友人グループにいられなくなってしまうことを思い悩み、「思春期症候群」という形で同じ1日をループさせていたのでした。
咲太はその解決のために朋絵の「嘘彼氏」になることとなります。
その方法が上手くいき、順調に進み始める時計の針。
デートや一緒の帰り道など、恋人さながらの恋時間を過ごす咲太と朋絵。
ただ、2人は夏休み前の終業式の日に恋人関係を解消し、咲太は麻衣先輩と付き合い始めるということになっていたのでした。
しかし、その終業式の日。再び同じ1日がループし始めます。
一体何が起こっているのか?咲太は無事に麻衣先輩と付き合うことができるのか?
解説と考察:誰しも未来がどうしようもなく楽しみで、それでいて恐ろしい
かつて「ラプラスの魔女」という説をフランスの数学者・物理学者であるピエール=シモン・ラプラスが提唱しました。
彼は「決定論」という考え方を物理学の領域に持ち込みました。そうして宇宙空間の全ての原子の運動の様子が判明すれば、未来の事象を全て計算によって導き出す事ができるという説を導き出しました。
結局、この説は後に原子の運動に不確定要素が多いことなどから否定されることにはなるのですが、未来を知ることができるというのは果たして幸せなことなんでしょうか。
誰しもが自分の未来を不確定的にではありますが、予想し、シュミレーションしていると思います。もちろんそれが現在の自分の思考や行動に影響を与えることもあるでしょう。
『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』における朋絵という少女はとにかく自分がこういう行動をとったらどうなるのか?ということばかりが気になって、一歩踏み出すことができない少女です。
だからこそ自ら積極的に未来を選択することができないし、誰かが提示してくれる道についていくことで、能動的な決断を放棄しているわけです。
確かに未来を自らの選択で選び取るという行為はとても恐ろしいことでもあります。なぜならその責任は全て自分に降りかかって来るからです。他人の選択に追従していれば、自らが責任を感じることもありません。結局、これもまた人間の楽をしたいという根源的な欲求に起因する心理と言えます。
それでもたくさんある可能性の中から、自分の意志で未来を選び抜ていくことこそが大切なんだと、『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』という物語は教えてくれます。
物語を読んでいて思い出したのは『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』ですね。
この作品においては「夢」に閉じこもることで永遠に楽しい時間が続く状況が生まれて、その中で主人公あたるは「夢」を打破し、現実に戻ろうと決意するわけです。
そして、もっと直接的なオマージュも存在しています。
『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』の名セリフと言えば、やはりあれですよね。
これなんです。一方で『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』の終盤に、思春期症候群収束後に朋絵が咲太に告げたセリフがこれです。
「先輩、責任取ってよ?」
電撃文庫『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』鴨志田一より引用
こういったオマージュから考えても、2作品のテーマ性や作品性は似ているということが指摘できると思います。
周りに流されながら、「空気」に従いながら、自分の未来を選び取る決断を放棄してきた朋絵という少女が、最後に選び取る1つの未来。
その決断にすごく勇気をもらえたような気がしますね。
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第3巻:『青春ブタ野郎はロジカルウィッチの夢を見ない』
あらすじ(ネタバレ注意)
咲太の友人である国見佑真に好意を寄せている少女の双葉 理央。
ある日咲太は不可解な現象を目撃する。いつも通りなようでどこか雰囲気の違う理央。
咲太は麻衣と共にそんな理央を追跡する。彼女が向かったのは街のネットカフェ。
何とそこには、双葉 理央が2人いたのでした。
理央は無自覚のうちに思春期症候群を発症し、異なる意志を持つ2人の自分を作り出してしまったのです。
咲太は彼女の問題を解決するために奔走します。すると浮かび上がってきたのは、1つのSNSアカウント。
そこには、地味で控えめな普段の理央の姿からは想像もつかないようなき際どい自撮り写真が投稿されていました。
そのアカウントこそが理央の分裂の発端となり、積極的な人格と消極的な人格を生んでいたのでした。
そして明らかになる理央を取り巻く孤独。学校、家族。誰にも認められない少女の心の闇。そして承認欲求を満たすためだけに投下される際どい写真の数々。
そんな自分を嫌悪しながらも、そうすることでしか心の安定を保てない彼女。
果たして理央はもう1人の自分を受け入れることができるのか?
解説と考察:一番難しいのは、自分で自分を認めること
我々が生きる社会において個人というものは代替可能な存在になりつつあります。
AI技術の進歩はその傾向に拍車をかけているかもしれません。
人間が「たった一人の自分」として認められることが、今の時代においては途方もなく難しいことになっているのです。
双葉 理央という少女はまさしく現代を生きる多くの人たちの代弁者と言えます。
とにかく誰かに承認されたい、認められたい、愛されたい。
そんな承認欲求が暴走を極め、ついに彼女の人格は2つの別個体へと分裂してしまいます。
しかし、現代社会は便利なもので、自分が「リアル」で認められずとも、インターネットという世界に自分とは異なる人格を作り出し、そこで承認欲求を満たすことができてしまうのです。
危険と隣り合わせの快感に身を落としていく理央。
それでも、仮初めの快楽が与えてくれるのは一時的な心の充足感でしかなく、すぐに空虚な思いが心を支配してしまいます。
だからこそ彼女に必要だったのは、ある種の「諦め」だったのかもしれません。
無理やり嫌いなものを好きになんてなれない。好きになろうとすればそこに摩擦とか圧力とか、何らかの無理が生じる。それが自分を苦しめるだけなら、前向きに諦めてみるのも一つの手だ。それで救われるものがあることを咲太は二年前に学んだ。
電撃文庫『青春ブタ野郎はロジカルウィッチの夢を見ない』鴨志田一より引用
きっと現代を生きる我々は肩に力が入りすぎてしまっているんだと思います。
誰かに認められることに固執しすぎて、自分の嫌いな部分を諦めきれないようになっています。
『青春ブタ野郎はロジカルウィッチの夢を見ない』という作品が我々に教えてくれるのは、「諦め」ることの重要性でもあります。
自分の嫌いな部分を好きになろうとすること。自分の嫌いな部分を必死で克服し、誰かに認められようとすること。
そうではなくて、自分の嫌いな部分を好きなろうとせず、それも自分の一部だよねくらいに捉え、図太く生きていくことが現代人が承認欲求というバケモノと闘っていく上で大切なことなのかもしれませんね。
昔『ブレイブストーリー』というアニメ映画を見た時に、終盤に主人公がもう1人の自分と対決するという展開がありました。
主人公はもう1人の自分と向き合うに当たって、それもまた自分なんだと受け入れる決断をしました。その姿が時を超えて、本作の双葉の姿に重なったような気がしました。
打倒するのでもなく、克服するのでもなく、ただ諦めて受け入れること。
その美徳に、胸を打たれ、この本を読む前よりも自分という存在を受け入れられたような気がしました。
第4巻『青春ブタ野郎はシスコンアイドルの夢を見ない』
あらすじ(ネタバレ注意)
ある日咲太の目の前に金髪の女子高生が現れる。
その正体は何と麻衣の妹でアイドル活動をしているのどかでした。
しかし、麻衣さんの様子がおかしい。その理由を尋ねると何と麻衣とまどかの精神が入れ替わっていることが判明します。
またしても咲太は思春期症候群に遭遇することとなったのです。
しかし今回のケースに関しては入れ替わりの原因が明確でした。
国民的女優の姉と売れないアイドルの妹。そしてそんな母が妹にかけている重圧。
2人はどうしようもないので入れ替わり生活を続けることとなります。
麻衣はダンスと歌唱を懸命に練習し、一方でのどかは麻衣を演じるために懸命に努力します。
そんな麻衣に憧れるのどかが知ったのは、麻衣という女優にかかる周囲の期待と重圧でした。
耐えきれなくなったのどか。咲太の励ましもあり、再び麻衣としての生活に戻るのどかですが、今度は麻衣が演じる自分以上の自分(のどか)を見せつけられ絶望の淵へと追いやられます。
どうして自分がどれだけ頑張っても出来ないことが麻衣には簡単にできてしまうのか?
お姉ちゃんが憎い・・・?でも本当は・・・?
そして麻衣がのどかに対して秘めている思いとは?
麻衣とのどかが迎えるフィナーレや如何に?
解説と考察:姉妹、母子の微妙な距離感を切り取る
血の繋がっている人間との距離感ってすごく不思議ですよね。
身体の中を流れている自分の血を拒むことはできませんし、家族というのは切っても切り離せない関係です。
では好きなのか?と聞かれると微妙なんですよね。嫌いではありません。
好きだからと言って、四六時中一緒にいたいわけでもないし、嫌いだからと言っても、家に帰ればいたりする。距離が近くて、関わり合いが深い分、いろいろな面を見る機会も多い。いいところも悪いところも、自然と目に入ってくる。
そこに生じる感情は、短い言葉で簡潔に表現できるものではないのだと思う。いくつもの要素がぐちゃぐちゃに混ざっているのだ。
(『青春ブタ野郎はシスコンアイドルの夢を見ない』より引用)
まさに言い当て妙な表現だと思いました。
自分にも兄弟がいますが、本当にこういう距離感なんですよね。簡潔な言葉では表現できません。
でも、やっぱり失いたくない。いるから当たり前になっているけれど、とても大切な存在です。
ただ、それを伝えることが難しいんですよね。思っていることを素直に伝えるのが難しい距離感なんです。
厳しく、突き放すような態度をとっていてもそこにはちゃんと愛が宿っています。
こういう関係性が成立するのは家族という特殊な枠組みを除いて他にはありえません。
そんな「家族」だからこそ伝えたくても伝えにくかった思いがそれぞれに表出していくことで思春期症候群の解決に向かうところが非常に面白かったと思います。
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第5巻:『青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない』
あらすじ
咲太の妹であるかえでは思い立ったように外に出るために目標を立て、それを実行すると言い始めた。
まずは玄関に立つところから、そして玄関から1歩踏み出すところから。
そんな妹の小さな一歩を温かく見守る咲太。
彼女を咲太のガールフレンドである麻衣もまた共に支えようとします。
目標は少しずつ達成されていき、ついにかえでは学校を目指すこととなります。
しかし、学校を目指そうとする中で再び再発する思春期症候群。
彼女は学校に近づけば近づくほどに身体に痣が増え、立ちすくんで動けなくなるのでした。
無理はしなくて良いと告げる咲太に対して、何かに焦りを感じているかのように外に出ることにこだわるかえで。
そこには涙なしには読めない衝撃の理由があったのでした。
ネオ記憶喪失モノとしての素晴らしさ
記憶喪失を題材にしたフィクションはこの世の中に数え切れないほどあると思います。
そしてその大半が「元の記憶を取り戻すこと」を100%善のように描いていることでしょう。
確かに記憶を失った直後の話であれば、元の記憶や人格を取り戻すということは当然大切になるでしょう。
しかし、忘れてはいけないのが「記憶を失ってから生まれた新しい人格」の存在です。
記憶を失った後の人格には、きちんとその人格なりの自我があって、それは必ずしも元の人格とは一致しないという可能性が当然鑑みられなければならないはずです。
本作『青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない』では、記憶を失う前の人格を「花楓」、記憶を失った後の人格を「けで」として、主に「かえで」の葛藤をベースにして物語を進行させます。
「かえで」はもうすぐ自分の自我が消失して「花楓」が戻って来ることを悟っていて、だからこそ咲太を「かえでにとっての良いお兄ちゃん」にするために残り少ない時間に焦りを感じつつも、奮闘するんですよね。
かえでが『かえで』であることを誰も望んでいない。両親も、医者も『かえで』を見ながら、『花楓』のことを考えている。そう感じたのだと思う。咲太でさえ、周囲の大人の言動からそう感じていた。その度に嫌な気持ちになった。
(『青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない』より引用)
まさに本作は、自分の認識と他人からの認識のずれという観点を記憶喪失をデバイスとして描いているわけですよ。
その点で、この『青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない』は思春期特有の感情の揺れ動きを上手く表現できています。
自分はこう認識されたい、これが自分なんだという意識がありつつも、周囲から見られている自分の像はそれとは異なるというある種の「ギャップ」は誰しもが感じているものです。
そして本作はその苦しみの中で自分の存在の在り方にどう折り合いをつけていくのかという物語でもあるわけです。
ぜひぜひ本作は読んでおいて欲しいですね。
聖地である江ノ島(藤沢)の写真を一部ご紹介!
先日江ノ島に偶然行っていたので、その際に撮影した写真を一部公開しておこうかなと思います。
このブログを書くために撮ったものではないので、アニメシーンのアングルに合わせて撮影しているものではありませんが。
・江ノ島電鉄車窓より
住宅街を抜けると、いきなり湘南の海が車窓いっぱいに広がっていました。
あまりきれいに撮れておらず、申し訳ないのですが、海が見えた瞬間の迫力は圧倒的です。
こんな素晴らしい景色を堪能できる電車も日本に数えるほどしかないのではないでしょうか?
・弁天橋
江ノ島まで続く長い橋ですね。打ち寄せる波の音が心地よくロケーションは最高です。
第2巻の『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』にて登場するので注目ですね!
・新江ノ島水族館
蒼く、美しく輝く新江ノ島水族館の大水槽の写真です。
視界が水槽に覆われる圧倒的な光景で、その美しさに魅了されました。
非常に展示の仕方が凝っていて、ショーやイベントも多彩なので、非常に楽しめる水族館でした。
ちなみにこちらも第2巻の『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』で登場します。
・江ノ島神社
江ノ島にある江島神社の鳥居の写真です。
これも原作第2巻の『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』にて咲太と朋絵が訪れることとなります。
ちなみに江島神社は縁結びの神社として有名だそうです。
境内にはたくさんの絵馬が飾られていました。
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おわりに
いかがだったでしょうか。
まだアニメ放送も始まったばかりですし、当ブログ管理人は原作を読み進めている最中です。
そのためアニメに関しては放送され次第、原作に関しては当ブログ管理人が読み次第、随時記事を更新していくつもりです。
参考:【ネタバレあり】『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』感想と解説:ただ涙が止まらない傑作。
また当ブログ管理人が実際に訪れて撮影した写真撮影の才能の欠片も無いような写真たちを一部公開させていただいております。
江ノ島を舞台にした作品ということで、当ブログ管理人的には『TARI TARI』が思い出されるのですが、本当にきれいな場所です。
ぜひぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか?
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
アニメのロジカルウィッチ編は中学生翔子の登場を前倒しするつもりなんじゃないかな。
2話までに最低限必要な伏線は張ったので、おそらく3話ラストで子猫を拾うシーンが出てくると予想しています。
置き猫さんコメントありがとうございます!
確かに第3巻は、双葉の話だけなら2話でいける感じしますよね。
第2話をまだ見れてないので、早めに確認しますね〜!