【感想・考察】「小林さんちのメイドラゴン」を通じて京アニが伝えたいこととは?

アイキャッチ画像:©クール教信者・双葉社/ドラゴン生活向上委員会 「小林さんちのメイドラゴン」OP映像より引用

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回は、少し映画の話からは少し逸れますが、現在絶賛放送中のテレビアニメーション「小林さんちのメイドラゴン」について語っていきたいと思います。

良かったら最後までお付き合いください。

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『小林さんちのメイドラゴン』の紹介

まず簡単にではありますが、この作品を知らないという方のために、この作品の概要を説明しておきたいと思います。「小林さんちのメイドラゴン」はクール教信者さんによって月間アクションというマンガ雑誌に連載している作品です。

そして今回、「涼宮ハルヒシリーズ」「けいおん」「聲の形」などの人気アニメ作品を数多く世に送り出してきた京都アニメーションによってテレビアニメ化の運びとなりました。また監督には同京都アニメーションの「フルメタル・パニック」や「氷菓」で高い評価を得てきた武本康弘さんが起用されております。

この作品は主人公で人間の小林さんの家に、ひょんなことからトールというドラゴンがやって来るところから物語が始まります。そしてトールは人間の姿になって、小林さんの家で一緒に暮らしていくことになるのですが、さまざまな問題に直面していきます。

しかし、決してシリアスには描かれておらず、作品自体は非常にギャグテイストが強く、また小林さんとトール以外にも魅力的なキャラクターが登場するので、非常に気軽な気持ちで見ていただけるライトなアニメ作品になっていると思います。

私は、この作品がアニメ化されると聞いた時、さらに言えば、京都アニメーションがこの作品をアニメ化すると聞いた時、非常に疑問に思いました。京都アニメーションは確かに「けいおん」のような作品も手掛けてきたわけですが、ここまでキャラクター萌えに特化したいわゆる日常モノを作るというイメージがあまりないのです。

特に最近は「聲の形」や「響け!ユーフォニアム」といった比較的硬派な作品の印象が強いです。そのため、急にキャラ萌え要素の強い日常モノに舵を切ったことに大きな違和感を感じたのです。しかし、いざ放送が始まってこの作品を第3話まで鑑賞しましたが、この「小林さんちのメイドラゴン」という作品が私が思っていたよりも数段意義深い作品であると言う事がわかってきました。

京都アニメーションが描くコミュニケーションの物語

京都アニメーションは、昨年「聲の形」というマンガ作品のアニメ映画化を手掛けました。この作品はご覧になった方も多いと思うのですが、過去に深い後悔を抱えた少年の将也とろう者の少女の硝子、そしてその仲間たちの崩壊と再生のドラマを描く物語でした。

この作品では、言うまでもなく「コミュニケーション」というのが一つの大きな主題となっておりました。コミュニケーションというと単純に、のどの振動によって生まれる音という手段と言語という媒体でもって、つまり「こえ」でもって、他人に何かを伝える行為を指すのが一般的だと思います。

しかしコミュニケーションの手段というのは、それだけではなくて、例えば手話もそうであるし、表情や行動など、さまざまな方法があるのです。「こえ」の形は本当に多種多様で、そして「こえ」を他人に伝えわかり合うと言う事がいかに難しいことなのかをこの作品は我々に痛感させてくれました。

そして、「響け!ユーフォニアム」の続編を秋クールに挟んで、2017年の1月よりアニメ「小林さんちのメイドラゴン」が放送スタートしました。

私は、先ほど話題に挙げた「聲の形」と「小林さんちのメイドラゴン」は非常に主題が近いところにあるのではないかと思いました。ずばり「コミュニケーション」です。この作品のEDテーマのタイトルは「イシュカン・コミュニケーション」ですが、まさに異種間のコミュニケーションを通じて、「コミュニケーション」の何たるかを改めて考えさせてくれるような作品なのです。

第1話:価値観(衛生観念)

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©クール教信者・双葉社/ドラゴン生活向上委員会 「小林さんちのメイドラゴン」予告編より引用

まず、人間の小林さんとドラゴンのトールが一緒に暮らすようになって、直面する問題が、この「価値観」、もっと言うならば「衛生観念」という問題でした。「価値観」というのは人と人とが関わっていく上で、最も重要でそして難しい問題の一つです。

そして衛生観念というのは人によって微妙にズレがあるもので、些細な違いが人間関係に大きな影響を与える可能性すらあります。衛生観念が非常に強い潔癖と呼ばれる人たちもいる一方で、そのあたりに非常に無頓着な人もいます。しかし、それほど大きなずれがなくともこの「衛生観念」のズレは人と人とのかかわりにおいて非常に重要な地位を占めるのです。

作中では、ドラゴンのトールは口から汚れを溶かせる唾液が出せると言う事で、小林さんの洗濯物を自身の口の中で洗おうとします。確かに人間の立場からしたら、これはあり得ない行動です。(フィクションなので現実にもあり得ませんが)しかし、ドラゴンの立場からするとこれは至極当たり前の行動だったのです。ここに大きな価値観ないし衛生観念の違いがあったのです。小林さんとトールはその違いを明確にし、きちんと話し合いでもって解決します。

確かに価値観というものは、生まれてから徐々に自分に染みついてきたものであるゆえに、あまり他人に口出ししづらいという性質はあります。しかし、他人と時間や空間を共有する上で、価値観をすり合わせていく、妥協点を見出していくというのは非常に重要なことです。決して両者が我慢している状況で、正常な人間関係は成立しません。

些細なことでも対話を通じて、わかり合っていかなければならない。そんなことを感じさせてくれる第1話でした。

第2話:信じなくてもいい、信じられるようになればいい

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©クール教信者・双葉社/ドラゴン生活向上委員会 「小林さんちのメイドラゴン」第2話より引用

第2話では、トールの仲間であるカンナというドラゴンが小林家にやってきます。彼女はとある事情から、ドラゴンの世界から追放されてしまい、居場所をなくしてしまったのです。そして、そんなカンナに小林さんは家にいても良いと告げます。以下はそれに続くシーンです。

小林さん「カンナちゃん、行くとこないならうちくる?」

カンナ「に、人間なんて信じない。何か企んでる。利用しようとしてる!」

小林さん「知らない世界で誰も信じられない。当たり前だと思う。私だって信じない。誰かを信じるなんてさ、友達になったり、恋人になったりした後のことなんだよ。カンナちゃん、友達になろうなんて言わないよ。一緒にいよう。そんだけ。」

カンナ「う、うん。」(涙交じりに)

このシーンは本当に素晴らしいと感じました。現代社会は非常に他人への不信感が高まっている社会ともいえます。さまざまな犯罪が起こり、人と人とのつながりは希薄化しつつあります。でも、このセリフはそんな不信感をやさしく肯定してくれます。他人を信じようとすることは本当に難しいことだから、いきなり100%信じてやろうなんて思わなくてもいいのです。一緒に時間や空間を共有する中で、徐々に信じられるようになっていけばいいのです。

そんな他人への不信感と信頼の渇望に満ちた現代社会に優しく寄り添うこのセリフは非常に私の心に響きました。

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第3話:迷惑をかけあうこと、寛容であること

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©クール教信者・双葉社/ドラゴン生活向上委員会 「小林さんちのメイドラゴン」第3話より引用

第3話では3人で暮らすようになり、家が手狭になったと言う事で、小林さんはもう少し広い家へと引っ越すことを決断します。そしていざ引っ越してみると、両隣にとんでもない騒音を立てながら料理をする女性とデスボイス系のバンドのボーカルが、上の階にはドリルを使って木彫りを作っているおじさんが住んでいました。

その騒音に二日酔いの小林さんは悩まされ、一度は注意をしますが、ある日その3人が通路で互いの騒音を巡って口論をしていました。そこで小林さんは、お互いに騒音を立てられたくない時間を把握してその時間帯はほかの人への配慮に心がけるということを提案し、3人はそれを受け入れました。やはり、ここでも「コミュニケーション」というのは非常に重要なことなのです。

現代社会で、よく目にするのは、保育園や幼稚園を建てようとするときに近隣住民ともめ事になるというニュースです。このニュースに対して、「大人も昔は子供だったんだから、保育園や幼稚園の騒音にクレームをつけるのはおかしい」という意見を見かけるが、こんなことを言う人は、他人の考えや心情を推察できていないのです。騒音を嫌がるのにはいろいろな事情があります。ゆえにクレームをつける側の人に批判をするようなことは間違いでしかないのです。

このニュースが良く話題に挙がることで問題視されるべきなのは、、双方がきちんとコミュニケーションを取れてないままに、施設が出来上がってしまったり、工事が始まってしまったりということが起こっていることです。まずは、何事も議論を尽くさねばなりません。そして、出来上がってからも新たに生じた問題にも、これまた議論を尽くさなければなりません。

些細なことで人間関係というものには亀裂が入ってしまいます。物事に対する感じ方は人によっても大きく違うのです。この第3話には印象的なセリフが登場します。以下はその場面です。

トール「私はうるさいですか?」

小林さん「そう感じるときもあるかなあ」

トール「迷惑ですか?」

小林さん「うーん。それを正確に答えることは難しいかな。」

本当に人間が何かを知覚するその感じ取り方のニュアンスというものは非常に繊細なものなのです。しかし、コミュニケーションを通じて、人はそこに妥協点を見いだせるのです。

これからの時代に求められているのは、「謝罪」ではなく「和解」なのです。そんな現代社会にも通じるメッセージをこの第3話は与えてくれました。

おわりに

ここまで具体的に各話で描かれた「小林さんちのメイドラゴン」が内包する「コミュニケーション」に関するメッセージ性を考察してきました。まだ第3話と言う事で、これからどのように描かれていくのかにも注目が集まります。

京都アニメーションは、やはり「聲の形」と「小林さんちのメイドラゴン」を続けてアニメ作品として世に送り出すことで、「コミュニケーション」というものを見つめなおす機会を我々に与えてくれているような気がします。

この作品は萌え要素の強い日常モノという枠には決してとどまらない、非常にメッセージ性の強い京都アニメーションの意欲作であると言う事を皆様にお伝えしたいとともに、まだご覧になっていない方にはぜひともチェックしていただきたい限りであります。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

2件のコメント

非常に共感しながら読ませていただきました。
私はメイドラゴン原作のクール教信者先生のファンなのですが、先生は貴方のおっしゃる通りコミュニケーションや人と人の関係について掘り下げる作品をいくつも書いていらっしゃいます。
もし興味があれば、他作品の「サビ抜きカノジョ」なども読んでみると面白いと思います。
駄文失礼しました。

名無しさんコメントありがとうございます!!クール教信者さんの他の作品はまだ読めていないので、この機会に読んでみたいと思います!(^ ^)

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