【感想・解説】映画『何者』:劇伴音楽が奪った作品のリアリティと説得力

はじめに

先日公開の『何者』を見てきた。朝井リョウ作品に関して、個人的には小説で読みたい派なのでもちろん原作をチェックしてから見に行った。

常々、私は思うのだが、原作が存在する映画作品においてストーリーや展開のみをひたすら語るのはどうなのだろうか? それは映画の感想ではなく、ただの原作の感想じゃないか?

米国アカデミー賞にだってストーリーを評価する部門なんて存在しないし、脚本は単純にストーリーそのもののこととは違う。映画としてどう素晴らしいか?どうダメなのか?それだけが語られるべきだ。

と、普段からこういうスタンスなので、今回も「何者」のストーリーに関してはノータッチで行くこととする。

というのもストーリーは文句なしで面白い。

だがそれは朝井リョウさんの原作が素晴らしいからであってこの映画の評価ポイントとしては不適切に感じられる。

この作品は就活を舞台装置、SNSを媒介としながら人間模様と人間心理を描き出す群像劇である。

この作品を映画化する上で個人的に一番注目していたのは、語り手となる主人公拓人の心の声に当たる部分を映画でどのように表現するのかということだった。またSNSの描写をどのようにして映画になじませるかということにも注目していた。


劇伴音楽の功罪

この映画『何者』は主人公の心の声を表現するツールとして音楽を採用した。

この作品の音楽を担当したのは中田ヤスタカさん。テクノ調の現代音楽のイメージが強い彼はやはり今回も非常に完成度の高い劇伴音楽を用意してきた。しかしその完成度の高さが明らかに裏目に出ていた。

先日公開されたカンヌ映画祭ある視点部門で審査員賞を受賞した深田監督の「淵に立つ」は劇伴音楽の使用を最低限にとどめた非常に印象的な映画だった。

劇伴音楽を用いない代わりに日常の何気ない音を強調した。それ故に映画に非常に厚みが生まれ、説得力のあるリアルとして観客の前に現前した。

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©2016映画「淵に立つ」製作委員会 「淵に立つ」より引用

映画『何者』はその対極に当たる映画だった。音楽が流れていないシーンがどれくらいあっただろうかというくらいに作品を音楽まみれにした。これが明らかに失敗だった。

『何者』が描き出す人間模様というのはあくまで我々若者の一サンプルではあるが、非常にリアリティがある、いや究極のリアリティといっても過言ではないほどであると原作を読んで感じた。

しかし音楽というものは演出としてどうも強すぎるのである。

音楽を多用したことで映画の余白が失われ映画から厚みが失われただけでなく、原作に存在していたリアリティが完全に失われていた。中田ヤスタカさんの強い音楽が流れることによってそのシーンはどこか宙に浮き、現実感を失う。

また大根監督作品にあるようなハイレベルな編集技術もないのでいくら音楽を多用したことで作品にリズム感など全くもって生まれるはずがない。

大根監督作品がいかに精密なバランスの上に成り立っているかがよくわかった。ただただ音楽を多用しただけではただ作品が単調かつ冗長になるだけだ。

劇伴音楽はやはり諸刃の剣である。

この作品においてはそんな劇伴音楽の負の部分だけが悪目立ちしていた。

 

何の工夫もないSNS挿入

一方SNS描写はというと全く工夫もなくそのまま挿入されていた。本当に何の工夫もなくてがっかりした。

今年の春に公開された岩井俊二監督の「リップヴァンウィンクルの花嫁」でもSNS描写がある程度登場した。

この作品と『何者』ではSNSの捉え方が正反対である。

前者では、現代におけるSNSというものの不安定さ、不確実さもっというと幽霊性みたいなものを描き出していた。

だからこそ唐突に挿入され画面になじまないSNSの描写がむしろ良い味を出していた。SNSの描写が映画から浮いているのがむしろ作品にマッチしていた。

後者はSNSというものがいかに説得力とリアリティを獲得し、人間関係の深くに忍び込んでいたのかを描き出す作品である。

だからこそあんなただのテキストみたいな挿入方法をしてほしくなかった。映画におけるSNS描写は難しいのはわかるが、この作品の主題から考えてもあの演出は無い。あまりに稚拙である。

SNSが独立した何かではなく、その人間性を反映した分身であるということをもっと演出面で見せなければならなかった。


素晴らしいラストシーン

ここまで、批判点を並べてきたが、この作品は間違いなく映画化した価値があったと言える。

それはラストの演出が本当に素晴らしかったからである。演劇畑出身の三浦監督だからできたあの演出には思わず、息をのんだ。

これまで自分の目で冷静かつ利己的に世界を観察してきた主人公を一転して観察される側に回す、そして拓人とギンジの共通点。あの演出で、それらを完璧に表現して見せた。

この点は非常に評価したいポイントだ。このラストシーンだけでも見た価値があると思わせてくれる。

「10クローバーフィールドレーン」のようにラスト以外は最高な映画もあれば、『何者』のようにラストだけは最高な映画も存在する。

最後になるが、この作品は就活をあくまで舞台装置にしているだけで会って、そこは全くメインではない。

だからこの作品を見て、就活が云々という評価の仕方は全く持って的外れである。あくまで人生の中で人間の心理が表出しやすい転換期の例の一つとして取り上げられたに過ぎない。

この作品はあくまで人間の心理のその深くをつつく普遍的な人間ドラマなのである。

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©2016映画「何者」製作委員会 映画「何者」予告編より引用

批判点は多くあるが、見る価値は確かにある。映画「何者」!!

 

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実は今(2018年夏)に大きな話題を集めている映画『カメラを止めるな』はこの『何者』と非常に近いテーマ性をもった作品です。併せて見ておくと良いと思いますよ。

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