【ネタバレ解説・考察】『X エックス』シンボルの破壊、老いに抗うものとしてのフィルム

みなさんこんにちは。ナガと申します。

突然ですが、みなさんはホラー映画において、キャラクターが最後まで生き残るための条件って何だと思いますか?

名作『スクリーム』に登場するホラー映画オタクのランディは、次の3つの条件を挙げていました。

①You can never have sex.
②You can never drink or do drugs.
③Never, ever, ever under any circumstances say, “I’ll be right back.” Because you won’t be back.

1つ目が「性行為をしない」、2つ目が「薬をやらない」、3つ目が「『戻ってくるよ。』と言わない」となっていますね。

多くの古典ホラーにおいて、ファイナルガールになり得ないキャラクターたちには上記のような行動的特徴があったようで、ランディはそれを分析して、上記の3つをメタなセリフとして発したのでしょう。

つまり、端的に言うと、ホラー映画で生き残るためには「いい子」でいなければならないのです。

『X エックス』における主人公であるマキシンという女性は、冒頭からこの3つのルールの全てに違反しています。

しかし、彼女はそうしたホラー映画というフレームに、生き残るために自分らしさを否定しようとする枠組みに立ち向かうのです。

「私らしくない人生は受け入れない。」

例え、上記の3つのルールに反することになっても、それが「私らしさ」なのであれば、それを貫いたうえで、生きてみせるのだと。

本作は『悪魔のいけにえ』『サスペリア』などの70年代のホラー映画たちへのリスペクトに満ちており、それでいて、そこから「ファイナルガール」を新しい意味づけでもって解放していくような作品となっています。

また、映画は観客を楽しませるためのものというのは大前提ですが、今作は監督であるタイ・ウェストが全力で「映画で遊んだ」作品でもありました。

作り手が純粋に楽しんでいることが映像から伝わってくる本作を見ていると、こちらまで自然と楽しくなってくる、そんな好循環が生まれているんですね。

映画館で必ず、とまでは言いませんが、ぜひご覧になっていただきたい作品です。

今回はそんな『X エックス』について、自分なりに感じたことや考えたことをお話させていただきます。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含みますので、作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『X エックス』解説・考察(ネタバレあり)

『サイコ』への革命、RJを真っ先に退場させるワケ

©2022 Over The Hill Pictures LLC All Rights Reserved.

本作のタイトルは『X』となっているわけですが、これにどんな意味があるのだろうかと考えたくなりますよね。

劇中では、RJが「未知の性質=X」として語っており、とりわけ主人公のマキシンに内包された可能性を指していました。

ただ、想像をめぐらせる上では、ポルノ映画を表す記号の「XXX」から取ったのではないか、なんて考えてみるのも良いでしょう。

ナガ
一方で、こういう見方もできます。

本作『X エックス』は女性についての映画なのだから、このXというのは、女性を生物学的に女性たらしめる1本多い「X遺伝子」のことを指しているのではないかと。

アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』が1960年に公開され、世界中に強烈なインパクトを残して以来、ホラー映画あるいはスラッシャー映画における性に奔放な女性というのは、概して残酷な結末を迎える傾向が顕著になりました。

そのため、いわゆる「ファイナルガール」に選ばれるためには、純粋無垢な「いい子」である必要があり、現にそういう女性が生き残ってきたのです。

本作は物語の空気が一変する中盤のターニングポイントで、『サイコ』の一幕を大胆に改変を施して提供していますが、これは偶然ではありません。

『X エックス』『サイコ』が作り出したホラー映画あるいはスラッシャー映画の潮流に逆らうという意志表示になっているわけです。

このシーンでシャワーを浴びているのは、男性の映画監督(RJ)です。

(C)2022 Over The Hill Pictures LLC All Rights Reserved.

とりわけ彼は保守的な考え方をしており、自分のガールフレンドであるロレインがポルノ映画に出演することに強い抵抗を示していました。

加えて彼はハワードに対して「彼女は『いい子』なんだ」と発言しており、この発言から『X エックス』におけるRJが、ジャンル映画において「いい子」が生存する枠組みを再生産し続けてきた存在として描かれていることが分かります。

ポルノ映画を高尚なシネマだと主張するRJは、女性が性に奔放であることに対して否定的であり、女性に「いい子」であることを求めているのです。

だからこそ、そうしたジャンル映画のフレームを破壊するために、あるいは破壊していくことを示すために、本作はRJという「監督」を真っ先に退場させます。

そして、そんなRJを殺害するのが、パールという老女であることも指摘しておく必要がありますね。

彼女は明確には描かれこそしませんが、その言動から察するに、若い頃に「いい子」であることを強いられ、性に奔放になりたいという欲求を抑圧されてきた女性なのでしょう。

映画のポストクレジットシーンとして、彼女のオリジンを描く『Pearl』という映画の予告編が流れていました。

彼女は『Pearl』という映画における「ファイナルガール」なのであり、その中で生還したということは、やはり「いい子」だったわけですよ。

つまり、パールという女性はホラー映画あるいはスラッシャー映画における「ファイナルガール」に課せられた「いい子」という檻に閉じ込められ、自身の欲求を抑圧され続けた女性の成れの果てとして描かれているのです。

だからこそ、彼女が真っ先に退場させるのは、女性に「いい子」であることを求めるRJでなければならないのであり、これがジャンル映画の枠組みを破壊する革命の第一歩となり得るわけですね。

そして、本作のファイナルガールとなるのは、厳格なキリスト教集団を離脱し、性に奔放でかつドラッグにも手を出している「悪い子」、つまりマキシンでした。

これまで、ホラー映画において観客に性的な刺激と悲鳴だけを残して残酷に退場させられるだけだった「悪い子」が生き残ることで、ジャンル映画の構造を根本からひっくり返したのです。

このように『X エックス』『サイコ』的な物語の転調と有名なバスタブのシーンをオマージュしつつ、それが作り出したホラー映画における女性の描かれに対する枠組みを破壊しました。

過去の名作へのラブレターでありつつも、それを壊していくような本作は、古典的であり、同時に進歩的であると言えます。



映画作りへの敬意、あるいは「老い」に抗うものとして

©2022 Over The Hill Pictures LLC All Rights Reserved.

タイウェスト監督のインタビューを読んでいると、こんな発言がありました。

I have a great reverence for the craft of cinema, and I find it to be endearing and charming. I’m impressed that 60 people go out into a pond with a fake alligator and try to do this stuff. I wanted to make a movie that really celebrated that energy.

Indiewireより引用)

簡単に翻訳しますと「自分は映画の技術に大きな経緯を抱いていますし、それを愛おしく魅力的なものとも思っています。私は60人もの人たちが偽物のワニと一緒に池に入ること、あるいはそんなことをしようとすることに感銘を受けました。私はそうしたエネルギーを讃えるような作品を作りたいのです。」となります。

記事の冒頭にも書きましたが、本作は作り手を楽しませる以上に、作り手が楽しんでいる空気が映像から伝わってくる作品です。

とりわけ今作でスラッシャー映画(ホラー映画)あるいはポルノ映画を題材にしたことについても監督は重要な意味があると語っています。

それは、この2つのジャンルが70年代においては、ハリウッドで大々的に作られるようなものではなく、個人が自主映画レベルで撮影したものが流布し、カルト的な人気を誇っていたジャンルだったことです。

ある人はアメリカンドリームを夢見て、ある人は純粋な芸術としての映画を追い求めて、時間と労力をかけて1つの作品を完成させる。

スラッシャー映画やポルノ映画は、娯楽として愛されつつも、観客から低俗であると唾棄されてきたジャンルです。

しかし、ミニマルではありますが、そこには純粋でかつ原初的な映画作りの在り方があったのではないかと捉え、それを讃える意味合いも込めて、タイウェスト監督は本作の中でスラッシャー映画とポルノ映画のジャンルミックスに挑んだのでしょう。

そして、ラストシーンにそうした視座が集約されているように感じました。

©2022 Over The Hill Pictures LLC All Rights Reserved.

農場にやってきた保安官は、事件の現場と残されたフィルムを見ながら「フィルムに焼きつけられた作品はホラー映画に違いないだろう。」と発言しています。

でも、皮肉なことに、あれだけの人間が血を流して、残されたのは「ホラー映画」ではなくて、未完成の「ポルノ映画」だけなんですよね。

映画として観客に届けられるのは、あくまでも作品としての部分だけであり、それ故に映像として残されたポルノ映画だけを見て、その背後でどんな事が起きていたのかなんて邪推する人はいません。

映し出された情事を娯楽として刹那的に享受し、見終わったのちには低俗であると唾棄するだけです。

しかし、そんな作品の背後にだって、アメリカンドリームを掴みたいというフロンティア精神と制作のために骨を折ったたくさんの人の存在があります。

このプロセスとアウトプットの差異を際立たせるためにも、本作がホラー映画の制作現場を描いた作品ではなく、ポルノ映画の制作現場を描いた作品である意味がありました。

また『X エックス』のテーマの1つが「老い」であることによっても、ラストシーンの持つ映画という媒体へのリスペクトが明らかにされているように思います。

人間という生き物は永遠に生き続けることはできませんし、永遠に同じ姿かたちを保つこともできません。

必ず老いによって身体的に衰えていき、最後には死を経験します。

しかし、フィルムに焼きつけられた映像に映るあなたは老いることがなく、半永久的にそこに残り続けるものです。

つまり、映画とは「老い」や「死」に対する人類のささやかな抵抗の1つと見ることができるんですね。

人間がいつか老いて性行為もできないような身体になってしまうのであれば、それができる華やかなひと時を映像に残し、その若さと快楽を永遠のものに転じさせるポルノ映画にもまた制作される意義があるのかもしれません。

だからこそ、本作のラストで、パールを否定したマキシンは「私は映画スターになるんだ!」と高らかに宣言します。

映画スターとしてフィルムに焼きつけられた自分の姿は老いることも、死ぬこともありません。

そんな存在になりたいという彼女の決意表明は、「あなたもいつかは私のように老いる」というパールの言葉への明確なアンチテーゼなのです。

ホラー映画における「いい子」ではなく「悪い子」に意義を見出す物語性は、ハリウッド映画から離れたところにあった「ポルノ映画」(あるいはそれらが作られた背景)に意義を見出すという主題性と見事に交わっています。

タイウェスト監督は、オマージュによってホラー映画への愛を表明しつつ、ポルノ映画の自主制作というシチュエーションを用いることによって、映画を作るという行為そのものへのリスペクトを明らかにしたのです。



おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『X エックス』についてお話してきました。

ナガ
とにかく最初から最後までオマージュが目白押しでしたね!

これだけ過去作のオマージュに溢れていると、展開が見えてしまって、かえって凡庸になる気もするんですが、この映画は「すかし」が巧いんですよ。

例えば、バスタブのシーンなんかは誰もが恐ろしい出来事が起こるシチュエーションだと覚悟するんですが、本作ではそこを微妙に外してくるんです。

そして、そうしたオマージュ要素が分からなくとも、スラッシャーホラーとして純粋に楽しめるのが本作の強みでもあります。

ナガ
夏の暑い日に、映画館でホラー映画はいかがですか?

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

関連記事