【ネタバレ】『式日』解説・考察:エヴァとのリンクから紐解く庵野監督の「現実と虚構」観

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『式日』についてお話していこうと思います。

ナガ
みなさんはもう『シンエヴァンゲリオン』をご覧になられましたか?

『シンエヴァンゲリオン』の情報が解禁され、線路を大胆にあしらったポスターがお披露目されると、庵野監督ファンの間でこんな話題で持ちきりになったのは、記憶に新しいですね。

ナガ
これ、どう見ても『式日』じゃん。

はい、ポスターのデザインが完全に一致していますよね。

そして。映画が公開されると、『シンエヴァンゲリオン』にも登場した宇部新川駅が『式日』にも登場したものであるということで、そのリンクが一層話題になりました。

ただ『式日』とエヴァンゲリオンシリーズのリンクは、この宇部新川駅だけではありません。

今回はそんな映画『式日』『エヴァンゲリオン』シリーズのリンクについて主に5つの観点からお話してみようと思います。

本記事は映画『式日』と『エヴァンゲリオン』シリーズのネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『式日』解説・考察(ネタバレあり)

①カントクと庵野秀明

(映画『式日』より引用)

本作の主人公であるカントクを演じているのは、映画監督の岩井俊二さん。

『花とアリス』『リップヴァンウィンクルの花嫁』『ラストレター』などで知られる日本を代表する映像作家の1人ですね。

ちなみに本作に岩井俊二さんが起用された経緯がインタビューなどでも明かされていました。

最初、庵野さんが自分でやられるみたいな話しになっていて、でも、さすがに両方現場を演出しながら、監督の役をやるっていうのは難しいって。俳優っていうのは本当の監督にやってほしいからっていう、まあ要するに、代役というか」

THE GUESTより)

また『ラストレター』では岩井俊二監督の映画に、逆に庵野さんがキャストとして出演するという逆転現象が起きていたのは、面白かったです。

そして、『式日』におけるカントクは次のような設定になっています。

  • 山口県宇部市が地元である
  • 映像作家として活動するもスランプに陥り、休暇を取って地元に戻った
ナガ
うん、これもう庵野監督本人ですね(笑)

『式日』の舞台でもある山口県宇部市は庵野監督の故郷です。

そして、映像作家としてスランプという設定は、「新世紀エヴァンゲリオン」の制作し終えた当時の庵野監督の精神状態にも重なります。

彼は鬱状態に陥り、後にこの頃の自分自身の状態を振り返って「壊れた」と表現していて、自殺を考えたこともあったそうです。

カントクが他でもない庵野監督の分身のようなキャラクターであることから、『式日』という作品は彼の自己セラピー的な側面も強くなっていると言えますね。

一時期アニメーションから離れていた庵野監督の分身であるカントクが、「虚構」の世界で頑なに生きようとする彼女に興味を引かれ、再び映像を撮ることへの熱を再燃させていくというのが『式日』の1つの大きな物語の軸でもあります。

ジブリのセカンドレーベル「スタジオカジノ」の第1号作品として、鈴木敏夫さんから声をかけられてエヴァでボロボロになった庵野監督が撮った実写映画ということで、カントクと庵野監督が重なるのは無理もないですね。

まあ、当初は自分で演じると言っていたくらいですから、間違いなく主人公は監督自身の投影なのでしょう。



②彼女とアスカ、赤い靴と赤い傘

そして、もう1人のメインキャラクターが「彼女」です。

彼女には、とあるバックグラウンドがあります。

それは家族との関係のこじれです。

  • 父親を失ったことからくる喪失感
  • 自分を捨てた母親への憎しみ
  • 比較の対象にされてきた姉への嫉妬
ナガ
その中でも特に重要なのが、母親との関係です。

彼女はいつもヒステリックになった母親の声が吹き込まれた留守電の音声を繰り返し繰り返し赤い固定電話で再生しています。

しかし、彼女が「戻って来てほしい」と切望する母親に自ら会いに行くことはありません。

母親から愛されない、両親の喪失により抱えた孤独、誰かと比べられることからくる強い劣等感を抱えながら生きていて、さらに身につけている衣服や靴、傘は総じて、赤色。

ナガ
うん、これもうユーロ空軍のエース式波・アスカ・ラングレー大尉ですね(笑)

(『式日』より引用)

彼女とその母親の関係性は、『エヴァンゲリオン』シリーズのアスカと母親の関係に多くの点で似ています。

そして、2人のリンクを明確にするのが、彼女が身につけている赤い靴と赤い傘でしょう。

映画の終盤で、この2つについて

「お母さんと2人で買い物に行った時、買ってもらったの。初めてお姉ちゃんのお下がりじゃないもの。お母さんのお揃いの靴。」

と彼女が語っています。

このことから、赤い靴と赤い傘は彼女にとって手放しがたい母親との繋がりを表すアイテムであると分かります。

『エヴァンゲリオン』シリーズで言うと、テレビシリーズに登場するアスカのパペットがまさしく本作の赤い靴と傘に重なるアイテムです。

精神汚染のためにパペットを実の娘であると思い込み、アスカのことを全く見てくれなくなった母親を何とか振り向かせようと、アスカはエヴァに乗る努力を重ねていました。

しかし、ある日母親がパペットと共に心中してしまい、そのことがアスカの心に暗い影を落とすこととなります。

「ママをやめないで!」
「私を殺さないで!」
「私はママの人形じゃない!」

アスカがこんなことを叫んでいましたが、アスカの母親がぬいぐるみを殺したように、『式日』における彼女の母親も「お揃いの赤い靴」を捨ててしまいます。

彼女は、その後継を見た時に、母親から「捨てられるのではないか?」と不安を感じるようになりました。

こうした母と娘の関係性の描写が『式日』『新世紀エヴァンゲリオン』ではリンクしていることが分かりますね。

アスカは孤独を抱えて生きており、それ故に親代わりのような存在を求めてきました。

そんな彼女を受け入れてくれるのが、『シンエヴァンゲリオン』のラストでも描かれたようにケンケンでした。

一方で、『式日』において彼女を親のように受け入れてくれたのは、カントクです。「君のことが好きなんだ。」と言葉にするシーンは、グッときましたね。

 

③バスタブと胎内、羊水

『式日』の中で、彼女が生活をしているのは、ビルの地下1階なのですが、そこには赤い祭壇があります。

さらには、赤い傘が大量に飾られており、部屋の中心にはバスタブが置かれていました。

また地下1階は彼女の意向で常に床が水浸しになっています。

そんな空間で彼女は毎晩、バスタブの中で睡眠をとっていました。

この時の体勢が、人間が母親のお腹の中に胎児としていた頃を想起させるものになっている点は要注目です。

(『式日』より引用)

先ほども述べたように、彼女は自分を捨てた母親に対して強い憎しみを抱きながらも、同じくらいの質量の愛情をも持っています。

そう考えると、彼女の母親と一緒にいたいという強い願望が、彼女を「胎児」に帰しているという見方もできますね。

バスタブは子宮であり、地下に満たされている水は羊水です。

そして、これらのモチーフを『エヴァンゲリオン』シリーズで考えると、バスタブがエントリープラグ、地下に満たされている水がLCLということになるでしょう。

シンジやアスカがLCLの中で母親との繋がりを感じていたように、『式日』における彼女もまた、あの地下のバスタブの中で母親の存在を感じていたのかもしれません。

また、彼女が常に自分が生きているのは、「誕生日の前日だ。」と言い張っている点も、このバスタブの演出に関係していると言えます。

彼女は「虚構」の世界に閉じこもっており、まだ「現実」に生まれていないという意味での「胎児」なのです。

だからこそ、物語の終盤に彼女が祭壇を破壊し、地下のあの空間を自らで破壊するという行為が、そして何より「今日が私の誕生日」と宣言する描写が、彼女の「生誕」となっているわけですね。

ちなみに赤い傘について彼女は「私を守ってくれるもの」と表現しており、これがどことなくATフィールドを思わせるアイテムなのも要注目です。



④線路と運命

『式日』には、駅や線路、電車が幾度となく印象的に映し出されます。

 

(映画『式日』より引用)

彼女が「儀式」を行っている場所が、決まって線路の上なのですが、彼女はレールについて「自分で道を選ばなくても良いから」「2本で1つだから」と述べていました。

ナガ
とりわけ前者の理由は重要な意味を持っているように感じられます。

彼女は、決まってカントクに「明日は何の日か分かる?」と尋ね、彼が「明日は君の誕生日」と答えると、満足げにしています。

つまり、彼女は毎日「誕生日の前日」という特定の時間を生きており、そこから脱することを強く拒み続けているわけです。

そう考えると、『式日』における電車ないし線路というモチーフには、同じところをグルグルと行ったり来たりするもの、そして自分で選ばずとも道が決められているものという2つの意味合いが込められていると考えられます。

彼女の言う「儀式」とは、同じ1日を繰り返し、新しい日を生きなくて良くするためのものとも捉えられるでしょう。要は「現実」からの逃避です。

『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビシリーズの序盤にシンジが初号機に乗ることから逃げた際に、ひたすら電車で行く当てもないままに彷徨うという描写がありました。

この時のシンジの思いも、きっと「自分で道を選ばなくても良いから」だったのだと思います。

そして『シン・エヴァンゲリオン』のラストでは、『式日』にも登場した宇部新川駅が登場し、マリとシンジは電車には乗らず、自分の足で駆け出し、駅から飛び出していきました。

『式日』の内容を踏まえて考えてみると、すごく感慨深いものがありますよね。

まさしく、決められた運命から解放され、自分の意志と選択でもって自由に生きていくのだという決意表明が為されたラストシーンだったと言えるでしょう。

 

⑤誕生日と「現実に帰れ」

『式日』という作品は、庵野監督の「現実と虚構」に対する考え方が如実に表れた作品の1つでもあります。

劇中にこんなモノローグがありました。

映像、特にアニメーションは個人や集団の妄想の具現化。情報の操作選別、虚構の構築で綴られている。存在をフレームで切り取る実写映像ですら現実を伴わない。既に現実が虚構に取り込まれ、価値を失っている。久しく言われる現実と虚構の逆転。既に私にはどうでもいいことだ。

映画の冒頭に、自分の部屋を紹介している彼女が、「ここには自分の好きなものしかない。」と語っていました。

実はこれと全く同じことを先日行われた『シン・エヴァンゲリオン』の舞台挨拶で庵野監督自身が言っています。

「アニメーションというのはフィクションなので、基本的に画も自分の好きなものでしか構成しないで済むんですよ。」

そう考えると、好きなものだけに囲まれている『式日』における彼女というキャラクターはアニメーションないし虚構の世界に生きる住人として描かれているのです。

自分の好きなものだけを集めた空間、つまり虚構の世界を「ぬるま湯」と劇中で表現しているように、この頃は虚構からの脱却が1つの大きな庵野監督にとってのテーマでした。

それは、1997年公開の『新世紀エヴァンゲリオン』の旧劇場版にて、庵野監督は「現実に帰れ」というメッセージを強く打ち出していましたことからも明らかです。

そして、『式日』では「現実に帰れ」というメッセージが次のように表現されていました。

本作において、彼女はいつも自分が今生きているのは、「誕生日の前の日」だと言い張っています。

しかし、母親との再会と対話を経たラストシーンにて、初めて彼女は「今日が私の誕生日だ。」と宣言し、長い長いループから脱するのです。

「誕生日」を迎えた。つまり彼女は、物語を経て、自分の「好きなもの」だけで作り上げた世界から脱し、新しい世界に「生まれ」ました。

それは、虚構の世界から脱し、現実に生まれたということを表しているとも言えます。

この点で、『新世紀エヴァンゲリオン』の旧劇場版と本作『式日』のラストには非常に近いものを感じます。つまり「現実に帰れ」なのです。

しかし、そこから長い時間を経て公開された『シンエヴァンゲリオン』では、虚構と現実の融合が描かれており、庵野監督自身の「虚構と現実」に対する向き合い方も微妙に変化してきたことが伺えます。

『シンエヴァンゲリオン』においては、むしろ現実と虚構の「融和」を「エヴァンゲリオンイマジナリー」というギミックを使って表現してくれました。

同じく舞台挨拶の中で、庵野監督が最後の宇部新川駅周辺の実写映像の中に、お金をかけて実際には存在しない「自分の好きなもの」を1つだけ紛れ込ませたと語っています。

ちなみに庵野監督が足したのは、既に取り壊された太陽家具宇部本店ビルだと言われていますね。

ナガ
この演出は、まさしく現実と虚構の融和を体現しているとも言えますよね。

実写映像だと「気に入らないもの」まで映像に映り込んでしまうと、庵野監督自身が発言していました。

つまり、現実を生きるということは、自分の「好きなもの」だけではない世界を生きるということでもあります。その一方で、私たちの現実の中には、確かに「好きなもの」も紛れ込んでいるわけです。

そうした相反するものが同居する世界、現実と虚構が混じり合う世界を生きるということこそが、『シンエヴァンゲリオン』の打ち出した答えなのだと『式日』や庵野監督の言葉を振り返りながら改めて思いました。

ぜひ、この機会に庵野監督の手掛けた実写映画『式日』についてもご覧になってみてください。



おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『式日』についてお話してきました。

単体の映画としてみると、正直庵野監督の特徴的な構図を楽しむだけの映画という印象ではあります。

ただ、『エヴァンゲリオン』シリーズを初めとする彼の作品群や、庵野監督の自身の人生やキャリアと重ね合わせながら考えてみると、実に面白い作品なのです。

特に『シンエヴァンゲリオン』と比較すると、彼の「現実と虚構」観の変化を感じられると思いますので、併せて鑑賞することをおすすめします。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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