【ネタバレあり】『アナと雪の女王2』感想・解説・考察:スランプを脱したディズニーが描く未知の領域

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『アナと雪の女王2』についてお話していこうと思います。

ナガ
ディズニーが「プリンセス映画革命」を起こしたあの作品の続編を・・・。

それまでのプリンスセス映画というディズニーが自ら生み出したジャンルの停滞感を打破するエポックメーキングな作品に仕上がっていた前作『アナと雪の女王』は、日本でも大ヒットを記録しました。

しかし、その後のディズニーはと言うと、スランプにも陥ったかのように『アナと雪の女王』の亡霊に縋り、過去の名作の実写化ばかり手掛け、露骨に停滞感を漂わせました。

だからこそ、今のディズニーが続編を作るということには、ただただ不安しかありませんでした。

ここ最近の映画は、いわゆるポリティカルコレクトネスを取り入れた作品の意義ばかりを重視するような内容が多く、物語そのもののは明らかに保守的だったり、メッセージ性に依存していたりと残念な有様でした。

ナガ
そんな中で作られた本作ですが、個人的には予想を大きく裏切る快作だったと思います!

もちろん前作と比較するのは酷な話ですが、少なくともディズニーが1つのスランプを乗り越えたのではないかと感じさせてくれる作品でした。

今回はそんな本作についてネタバレありで感想や解説、考察を書いていきたいと思います。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『アナと雪の女王2』

あらすじ

固い絆で結ばれた姉エルサと妹アナは、アレンデール王国で幸せな毎日を過ごしていた。

街では、毎日のように豊かで平和な生活が続き、エルサアナもこの暮らしが永遠のものであることを願っていた。

しかし、ある時エルサはどこからか聞こえてくる不思議な歌声に悩まされるようになる。

それは、彼女たちが幼い頃、両親にベッドタイムストーリーとして聞かされていた「魔法の森」に関係していた。

エルサはその声に怯えていたが、何か重要な謎が隠されていると確信し、精霊を永い眠りから目覚めさせ、「未知の世界」へと足を踏み入れる決断をする。

彼女たちは、再び危機に陥ったアレンデール王国を救うために「魔法の森」に隠された過去の真実を見つけ出す必要があった。

冒険の中で少しずつ明らかになっていく真相は、王国に隠された哀しい歴史の数々だった・・・。

 

スタッフ・キャスト

スタッフ
  • 監督:クリス・バック ジェニファー・リー
  • 原案:ハンス・クリスチャン・アンデルセン
  • 脚本:ジェニファー・リー
  • 編集:ジェフ・ドラヘイム
  • 音楽:クリストフ・ベック
ナガ
基本的に前作の黄金メンバーそのままに挑んできましたね!

監督・脚本には、クリス・バックジェニファー・リーのコンビが引き続き起用されています。

ジェニファー・リー『アナと雪の女王』『シュガーラッシュ』というディズニーを代表する傑作を手掛けた名匠ですし、個人的にも全幅の信頼を置いていました。

ナガ
ただ作品末の『シュガーラッシュ オンライン』がね・・・(笑)

とにかくメッセージ性とポリティカルコレクトネスありきの作劇が目立ちすぎて、ストーリーとキャラクターを殺してしまった典型的な近年のディズニーのダメさが出た作品だったと思います。

ですので、期待はもちろんありますが、不安もあったというのが正直なところです。

編集には、短編アニメで経験を積み、『アナと雪の女王』の短編に大抜擢されたジェフ・ドラヘイムが起用されました。

オラフの使い方というか、物語への関与のさせ方の独特さは、この短編から継承された内容にも思えるので、そういう意味では今作の彼の編集は効果的に機能していたと思います。

そして注目の音楽は、前作から引き続きクリストフ・ベックが担当しました。

ナガ
音楽は明らかに前作から劣化してたよね・・・。

前作の楽曲はそのどれもが一度耳にしたら、忘れられない楽曲ばかりだったんですが、『アナと雪の女王2』のものは表題曲の『Into the Unknown』を除くと、どれも平凡な楽曲ばかりで、特に印象に残りませんでした。

作品の出来そのものは良かっただけに、音楽面で大きくパワーダウンしたのが悔やまれますね。

ただ、物語そのものがダークに転調したうえに、今作は「個々の物語」がすごく際立っていたので、そこに当てがったソロ曲を作るという関係でこういう音楽の構成になったとも考えられます。

そのため、前作は王道のミュージカルナンバーが多めでしたが、今回は80年代のラブソングを思わせるようなクリストフのソロ曲のような少し変わり種も用意されていたりしました。

ナガ
あれは『ボヘミアンラプソディ』のパロディなのかな・・・?(笑)

全体的に前作ほどキャッチーな曲に恵まれなかった印象は受けますが、映画を見終わってから聞きこんでみると、意外と好きになる楽曲も多かったりします。

キャスト
  • エルサ:イディナ・メンゼル
  • アナ:クリステン・ベル
  • オラフ:ジョシュ・ギャッド
  • クリストフ:ジョナサン・グロフ
  • イドゥナ:エバン・レイチェル・ウッド
  • マティアス少尉:スターリング・K・ブラウン
ナガ
クリストフ役のジョナサン・グロフの歌声が1つ印象的でしたね!

ブロードウェイミュージカル仕込みの圧倒的な歌声を披露したジョナサン・グロフは前作以上に印象的でした。

特に『恋の迷い子』と邦題がつけられた切ない恋心を歌った1曲は心を揺さぶる内容でしたね。

また、ダークなテイストの作品の中で1人ピエロを演じ続けたオラフ演じるジョシュ・ギャッドの重要性も光りましたね。

新キャラクターのマティアス少尉役には、『ブラックパンサー』にも出演していたスターリング・K・ブラウンが起用されました。

より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!

ナガ
ぜひぜひ劇場でご覧ください!



『アナと雪の女王2』感想・解説・考察(ネタバレあり)

近年停滞感を露呈していたディズニー

ディズニー映画は『アナと雪の女王』を皮切りに1つの黄金期を迎えていたと言えるのではないでしょうか。

『ベイマックス』『ズートピア』と言った作品は非常に優れていましたし、特に後者は近年のディズニー最高傑作と言って間違いないでしょう。

その一方で、実写版は低調で保守的な内容が目立ち、アニメーション映画でも『モアナと伝説の海』は並みの出来で、その後の『シュガーラッシュ オンライン』は恐ろしいほどのダメダメ映画でした。

実写版でも『ダンボ』『メリーポピンズ リターンズ』は残念な内容でしたし、『アラジン』『ライオンキング』は興行的にこそ成功しましたが、その内容は保守的で特に見どころもないという状態でした。

最近のディズニーの停滞と保守性を顕著にしていたのは、物語をおざなりにし、メッセージ性や作品の意義、ポリティカルコレクトネスに傾倒しすぎていたことでしょう。

実写版では『ダンボ』で生物多様性・生物愛護の観点に傾倒しすぎて物語を破綻させましたし、『アラジン』『モアナと伝説の海』『シュガーラッシュオンライン』など、女性の自立や社会進出を扱った作品ばかりを手掛け、「強い女性」の演出に固執しました。

そういったメッセージ的な部分が、明らかに映画を先行した結果、凡庸な作品が目立ち、どの映画を見ても同じことをやっているようにしか見えなくなっていたのが、最近のディズニー映画です。

そんな中で生まれた今回の『アナと雪の女王2』は近年のどの作品と比べても、きちんと物語に向き合おうという意思が感じられる内容になっていました。

とりわけ最近の中でも個人的に失敗作の臭いが強かった『シュガーラッシュオンライン』『マレフィセント2』そして実写版『ダンボ』のダメだったポイントを盛り込みつつも、それを良い方向に左右させることは出来ていたと思いました。

まず、『シュガーラッシュオンライン』がしでかしたミスは、1作目でタブーとされていたやり方で「自分らしく」いられる場所をヴァネロペに無理矢理追求させた点ですね。

次に『マレフィセント2』ですが、この作品では、人類が他者や他民族を虐げて反映してきた歴史、間違った歴史や過去の伝承が流布することの恐ろしさを描いていましたが、明らかに作劇が雑で、ラストは戦場で結婚式というトンデモ展開が描かれました。

最後に『ダンボ』ですが、人間のエゴでゾウたちは自然に帰ることができたほうが幸せだろうという価値観を押しつけて、オリジナル版のラストを半ば否定しまったことでしょう。

こういった失敗の歴史を無にすることなく、むしろ『アナと雪の女王2』は積極的に盛り込み、その上で物語の中できちんと機能させることに成功しています。

そういう意味でも近年の作品に見られた失敗は、無駄ではなかったと感じさせてくれる非常に気合の入った作品だったと思います。

 

複雑な物語構造とストーリーテーリングの成熟

(C)2019 Disney. All Rights Reserved.

基本的に前作『アナと雪の女王』はワンテーマ・ワンストーリーの分かりやすい作劇でした。

というよりは、これまでのディズニープリンセス映画に対する意匠返しのような物語構成に仕上げていて、その点で驚きや革新性に満ちていました。

一方で、『アナと雪の女王2』の物語構造は非常に複雑ですし、テーマも明らかに1つに絞られていないので、ぼんやりとしている印象を受ける方も多いと思いました。

まず、前半はとにかくキャラクターを掘り下げる情報を次々に提示していきます。

エルサアナの過去のベッドタイムストーリーで幕を開けると、「魔法の森」や「精霊」「ノーサルドラ」といった新情報が次々に開示されていき、物語は前作とは全く違った方向へと進んでいきました。

そしてメインキャラクターとなる4人は、それぞれに独立した物語を抱えています。

エルサは自分の力に秘められた意味を知りたいと思っていますし、どんどんと「未知の世界」へと足を運んでいきます。

一方で、アナは彼女のことを大切に思っており、常にそばにいて、死なせたくないと切に願っていました。

クリストフは、アナにプロポーズをしようとしていますが、常に空回りをしてしまい、どんどんと先に進んでいく彼女とどのように接すればよいのかを見失っていきます。

オラフは、雪だるまという季節性の物体にも関わらずエルサの力で様々な季節の移り変わりを体験しつつ、今の幸せな暮らしがずっと変わらないで欲しいと願っています。

ただ、『アナと雪の女王2』が非常に特徴的なのは、これらの各人物の物語が序盤から中盤にかけて交わることなく独立して描かれていくというところでしょう。

彼らは4人で共に旅を始めたのにも関わらず、気がつくと離れ離れになっており、それぞれが大きな壁に直面し、別々の場所でその葛藤とブレイクスルーが描かれるのです。

エルサは単身でアートハランへと乗り込み、ワクワクするような「未知の世界」を楽しみますが、そこで王国に隠された暗い過去を突きつけられます。

アナは暗い洞窟の中で、エルサに突き放されてしまったことや自分が何でもない「凡人」なのだということに打ちひしがれており、更にオラフまで失ったことで意気消沈していました。

もちろんオラフクリストフも、葛藤を強いられており、またこの4人のキャラクターたちにはそれぞれ楽曲が与えられていたことも印象的でした。

このように縦に走っている物語をそのまま読み進めていくのではなく、縦に走っている複数の物語軸を行き来しながら横方向に読み進めていくかのような展開が非常にトリッキーだったわけです。

そして、終盤に入ると、物理的にも心理的にも離れていた4人の物語が一気にリンクし始めます。

アナが暗い洞窟を抜け、ダムを壊すというミッションを見出すと、そこにクリストフの物語と彼なりの葛藤の打破が重なり、更には2人が起こした行動がエルサを目覚めさせます。

書くキャラクターたちが自分たちの物語軸の中で苦悩と葛藤を重ね、それを打破しようと動き出したことが、『アナと雪の女王2』の物語の大きな枠組みを動かしていき、そして大きなカタルシスへと繋がっていったのです。

群像劇的と言えば群像劇的なのですが、本作が見事なのは異なるテーマや課題を抱えた各キャラクターの物語を、最終的には大きな1つのメインラインに還元し、昇華させていったことではないでしょうか?

クリストフの決断がアナを助け、そしてアナの思いがエルサを目覚めさせ、エルサの愛が街を救いました。

バラバラになった4人のメインキャラクターたちの物語が、ラストに向けて収束していき、そしてエルサオラフを復活させたことで、再び彼らは1つの空間を共有します。

こういった「個」と「全体」の行き来と、分断と結合のさせ方が実にお見事で、複雑な物語をシンプルに見えるようにサラリとまとめ上げてしまうところにディズニーのストーリーテーリングの円熟味を感じました。

ストーリーテーリングの部分でもう1つ見事だと思ったのは、むやみに回想シーンを使わなかったことですね。

今作『アナと雪の女王2』は現在と過去を行き来する物語なので、本来であれば回想を多用することになりそうなのですが、実は巧い演出で、それを避けているんです。

1つ挙げられるのは、オラフの寸劇ですね。

ダークファンタジーテイストが強まった今回の作品において、オラフの重要度は明らかに高まっていて、作品にユーモアを添えてくれました。

彼が前作『アナと雪の女王』で起きた出来事の経緯を1人寸劇で演じて、「魔法の森」に閉じ込められていた人たちに聞かせるシーンがあったんですが、ここも本来なら回想を使う局面でしょう。

しかし、あえてオラフというピエロ的な存在がいることを活かして、深夜アニメの「前回のあらすじ」風にサラッとことの経緯を説明して見せたのは、面白かったと思います。

また、本作では過去の出来事が判明した時には、エルサの作り出す雪によって過去の出来事が蘇る(雪像化される)という映像的なアプローチを用いました。

単純に過去のシーンを回想すれば済むところで、『アナと雪の女王2』はきちんとキャラクターたちの特性や設定を活かして、単調にならないように配慮してあるのです。

今回の作品は、一見するとシンプルな作りなんですが、その実はかなり複雑でぼんやりとしたテーマや物語を、成熟したストーリーテーリング力でカバーし、1つの作品に仕上げているんですね。



悪役の不在性に見るディズニーの進化

『アナと雪の女王2』の革新性を1つ挙げるとするならば、それは「悪役の不在性」でしょうね。

前作の『アナと雪の女王』では、王子様が悪役という「一度きりの大技」を使って観客を大いに裏切ってくれたという点で衝撃的でした。

ただ、近年のディズニー映画は、とにかく悪役の描き方が下手で、時代遅れな印象を受けていました。

『メリーポピンズ リターンズ』では、救われるべきヴィランに「仲間外れ」をして突き放すような仕打ちをしていましたし、『プーと大人になった僕』『ダンボ』あたりの作品も悪役の処理があからさまに雑でした。

何というか、絶対悪とは言えない不幸や悲劇の連続が生んだ悪役を単純な勧善懲悪で処理してしまう描写が目立つようになっていて、近年のディズニー映画は悪役を描くのが下手というのが自分の中での印象です。

ナガ
もっと言うなれば『インクレディブルファミリー』や『リメンバーミー』も悪役の処理はへたくそだったね・・・。

そんな中で、『アナと雪の女王2』はこれまでプリンセス映画ないしディズニー映画では当たり前のように登場していた悪役(ヴィラン)を登場させないというこれまでにない手法を披露しました。

正確に言うと、エルサアナの祖父がヴィランだったということにはなるのでしょうが、かと言って彼を倒すことが、この物語の至上命題となることはありません。

今まさに自分の目の前にいる「悪」を打倒するのではなくて、遠い過去に起きてしまった「悪」をエルサアナたちが打破し、乗り越えようとするという作劇にした点は非常に見事です。

というのも今の子供たちに見て欲しいのは、単純に暴力で悪役をねじ伏せてしまうだけの「勧善懲悪」ではなく、「悪」と向き合った時にどうすべきかを深く考えさせてくれるような作品だと思っているからなんです。

ナガ
どちらかと言うと、今回の作品はポストモダン的なんだよね!

ポールオースター『幽霊たち』において探偵が調査対象の人物の観察を続けるうちに、どうやらその対象が自分自身であるかのように気がつくが如く、エルサアナは自分たちが秘めた「悪」に気がつかされていきます。

「誰が悪なのか?」を突き詰めた先に会った答えが、「自分たち自身が悪なのだ。」だった時に、どうすれば良いのか。

『アナと雪の女王2』は、そこをじっくりと考えさせてくれる作品でもあるわけです。

そしてその答えというのが、まさに「今できる正しいことをする。」なんだと思いました。

 

クリストフの描写について

今回の続編の中で、割と酷評が集まっているように見受けられるのは、クリストフのパートでしょうか。

恋人であるアナへのプロポーズや今の関係性が変化してしまうことに悩んでいる彼の葛藤がストーリーの主軸の1つとして描かれます。

ただエルサアナが主体的に自分の道を決めていった一方で、クリストフはそうではないんですよね。

それは彼のソロ曲でもある『Lost in the Woods』の中でも記されています。

But I’ll wait

For a sign (for a sign)

That I’m your path

’Cause you are mine (you are mine)

Until then

I’m lost in the woods

(『Lost in the Woods』より引用)

彼は自ら主体的に決断するというよりは、また君が自分の前に現れてくれるのであれば、その時は「変化」を望むだろうと歌っています。

つまり、自分の踏み出す1歩を他者に依存してしまっている状態なんですよ。

ここが彼のパートに批判が集まる1つの主要な要因ではないかと個人的には解釈しています。

でも、個人的にはそれがクリストフらしいとも思いますし、むしろ誰しもが自ら勇気をもって「未知の世界」に1歩を踏み出す強さを持ち合わせていないからこそ、本作における彼の存在は重要だと思っています。

前作の『アナと雪の女王』でもクリストフアナを助けるために1歩を踏み出す決断をしたのは、王国の異変に気がついたことがきっかけですよね。

きっと自ら変化に立ち向かっていくことができる強い人もいれば、変化がようやく目の前に差し迫った時に、ようやく行動を起こせる人だっているはずなんです。

しかし、後者が「弱い人」なのかと言われたら、決してそうではありません。

彼は、目の前にアナが現れると、危険を顧みることなく迷わず行動を起こし、「変化」を受け入れました。

「変化」との向き合い方にだって多様性がありますし、誰しもが主体的な一歩を踏み出せるとは限らず、受け身的に状況や他者によって踏み出す1歩もあるでしょう。

クリストフの一連の描写は、それでも「変化」を選ぶことができたならば、どんな形であれ、それはあなたの「1歩」なんだよという優しい思いの結晶なんですよ。

だからこそ、私はエルサアナと対照的なキャラクターとして、本作における彼の存在は重要だと感じています。



前作とは比較にならないほどに進化した映像美

何と言っても『アナと雪の女王2』という作品を称賛したくなるのは、前作の栄光に縋らない全く新しい映像が故でしょう。

まず、大きなことから言うと、このシリーズが短編も含めて、これまで描いてきたのは冬の映像とそして夏の映像です。

特に前作は手触りや温度感がスクリーンを越えて伝わって来るかのようなリアリティ溢れる雪の映像に多くの人が魅了されたことと思います。

しかし、今作はそんな前作の美しい冬の映像はそのままに、情緒あふれる秋の映像に力を入れています。

(C)2019 Disney. All Rights Reserved.

赤く色づいた木の葉がひらひらと舞い散る「魔法の森」のビビッドな映像は、非常に美しくビジュアル的には全く別の作品を見ているかのように錯覚させられるほどです。

描く季節を前作からガラリと変えるというのは、作品の映像的なコンセプトを揺るがしかねない大きな変更点ですよね。

しかし、エルサのアートハランへの冒険は、前作に近い雪と氷の世界で描かれているので、その点でバランスがとられてもいます。

そして、映像面で語っていくときに、更に言及したいのは今作のキーにもなった「水」のアニメーションを使い分けですよね。

同じ水のアニメーションでも、そのどれもが微妙にタッチが違っていて、きちんとそれぞれが際立っているんです。

例えば、劇中でエルサアナがびしょ濡れになるシーンがそれぞれに描かれていましたが、それらのシーンにおける顔の肌の濡れ方と、彼らが涙を流した時の肌の濡れ方は微妙に異なっていましたよね。

また、エルサが水の中で、水でできた白馬に出会うシーンは圧巻でした・・・。

ナガ
その色やタッチの使い分けは東山 魁夷『白馬の森』を思わせました!

東山 魁夷『白馬の森』

海の水、雪、氷、そして水でできた馬と性質は違えど、ことなる状態で現前する水を1つのスクリーンの中で同時に描くというかつてない映像に挑戦していたのですよ。

そしてその描き分けに成功しているだけではなく、見事に青っぽい同系色たちの中で、エルサと馬の存在を際だたせることに成功しているのです。

細かな雪の結晶となり、オラフが雪の結晶と化していくシーンの映像や、水の粒のアニメーションのレベルも前作とは日にならないほどに繊細で美しく、見る者をうっとりさせてくれました。

また、何と言っても『アナと雪の女王2』の大きな特徴は、アクションシーンが目白押しであることです。

予告編でも印象的登場していたエルサの波に向かって走るシーンであったり、雪の階段を駆け下りるシーンはやはり大きなスクリーンで見ると、一層見事でした。

(C)2019 Disney. All Rights Reserved.

何と言っても、人間のしなやかな筋肉の動きや体重に対してかかる重力がきちんと感じられる映像になっている点が素晴らしいのだと思います。

ファンタジックな世界観と、人間を超越した行動を描いてはいますが、エルサの身体性については人間らしく描くことで、映像的なバランスが維持されているのです。

アクションシーンのシチュエーションも、追い詰めてくる人間を打倒するという旧来的なディズニー映画のアクションではなく、ある種の能力バトル的なものから、オラフとゲイル(風の精霊)の戯れをアクションカメラで捉えたようなダイナミックなもの、水の中でのアクションなど多様性に溢れていました。

映像作品において、ビジュアルの印象を変更するのは、ストーリーを変える以上に大きな決断とも言えます。

『アナと雪の女王2』は、とにかく前作とは映像のタッチやテイストを変えており、作品が与える印象もガラリと変わりました。

しかし、前作の遺産に依存しない、ディズニーの心意気と決意が感じられたのも事実であり、あくまでも「アニメーション」にこだわるディズニーの本気が見られたと思っています。

 

本作のノーサルドラのモデルはサーミ人

そもそも前作の『アナと雪の女王』の時点で、映画の冒頭に流れる楽曲もそうですし、クリストフというキャラクターもそうなのですが、「サーミ人」の要素は作品に取り入れられていました。

「サーミ人」たちは、スカンジナビア半島北部ラップランドなどの地域に住んでいる先住民族たちのことです。

しかし、前作が公開された時に、この民族を題材に据えたことが論争を呼ぶことになってしまったのを皆様はご存知でしょうか。

というのも、ディズニーはクリストフという「サーミ人」のキャラクターを扱ったり、彼らの民族音楽を劇中で登場させたにもかかわらず、アドバイザーをつけていなかったというのです。

この一件があったため、ディズニーは『アナと雪の女王2』を製作するにあたって「サーミ人」の指導者に協力を仰ぎ、アドバイスを受け、更には「サーミ語」版の本編も作成することを決めました。

そのため劇中に登場するノーサルドラという民族は専ら「サーミ」の民族を下地にして作られています。

私自身も彼らのことについてそれほど詳しいというわけではないのですが、『サーミの血』という映画を鑑賞したのが、非常に印象に残っています。

ナガ
凄まじい差別や迫害とそれに必死に立ち向かって生きようとする少女の物語でしたね・・・。

サーミ人たちが受けてきた凄惨な差別もそうですし、1人の少女が自由に生きるための出自や家族までもを捨て、居場所を失っていく様を見ていて、本当に心が抉られました。

1800年後半には同化政策に晒され、1930年代に入ると、分離政策が取られるようになり、迫害され、差別されながら生きていくこととなってしまったのです。

そんな民族の姿を『アナと雪の女王2』では、真摯に描こうと努めていたように思います。

サーミ人たちの宗教は、かつて森羅万象に宿っているさまざまな精霊を信じる精霊信仰だったと言われています。

その点で、本作において精霊という存在が大きなキーになるのは、彼らの信仰を反映させているからでもありますね。

また、王国が魔法を操ると噂の彼らを虐げ、迫害しようとした歴史というのは、まさに身体的特徴などの理由でサーミ人たちを劣等人種だとして分離し、迫害しようとした歴史に重なります。

こういった現実の世界で起きた負の歴史を作品の中に組み込み、そんな過ちを経て、今を生きる私たちはどう生きるべきなのか?と考えさせられますよね。

文化が違う、宗教が違う、価値観や信条が違う、ライフスタイルが違う、身体的特徴が異なる。

いつの時代でもこれらは差別を生んできましたし、現に現代社会においてもイスラム教を信仰しているというだけで、地域コミュニティで拒絶されるような事例だって少なくありません。

自分たちと異なるものを受け入れることはいつだって「怖い」ものですし、人は恐怖や不安を感じるものを力で制圧して、安心感を得ようとする生き物です。

それでもノーサルドラやサーミ人たちのような差別や迫害を生まないために「違い」を認め、共生していく必要があるはずだと思います。

『アナと雪の女王2』は過去の悲劇を現代へと結び、今の我々にどう生きるのかを問う作品だったと言えるでしょう。

 

本作の楽曲に見るポストhappily ever afterの世界観

(C)2019 Disney. All Rights Reserved.

今回の続編『アナと雪の女王2』の根底には、「ポストhappily ever after」の考え方があります。

というのも、前作『アナと雪の女王』エルサアナの物語は「めでたしめでたし」を迎えたわけで、おとぎ話の暗黙の了解では、彼らは王国で何1つ不自由することなく平和に暮らしていくのでしょう。

しかし、ディズニーは大胆にも、そんな自分たちが描いてきたプリンセスの物語のお決まりであった「happily ever after」を切り崩しにかかりました。

それが色濃く反映されたのが今作の楽曲たちだと思います。

ナガ
ズバリ本作の楽曲のキーワードは「change」と「lost」でしょう!

まず冒頭で披露された「Something Never Change(ずっと変わらないもの)」は要注目ですね。

この楽曲はやはり何度も繰り返される「Some things never change」のフレーズが特徴的な楽曲です。

Some things never change
Turn around and the time has flown

Some things stay the same
Though the future remains unknown

「Something Never Change」より

つまり時が移り変わって、季節や街の景色は少しずつ変わっていくけれども、自分たちの関係性は変わらないだろうという、極めて従来的な「happily ever after」の考え方に裏打ちされた楽曲なのです。

その一方で「This will all make sense when I am older」の歌い出しで始まるオラフが歌う「When I Am Older(おとなになったら)」は強く「change」を感じさせる楽曲です。

大人になると見える世界や価値観、感じ方が大きく変わっていくのだということを示唆している楽曲だからです。

そして次のクリストフのソロ曲である「Lost In the Woods(恋の迷い子)」は、彼のへの思いを歌った1曲ではありますが、曲名にもあるように「lost」を強く意識させる楽曲なんですね。

全てのものは移り変わり、そして失われていってしまうわけで、例え「happily ever after」の結末を迎えたとしても、その後の人生で何も変わらず、何も失わないなんてことは決してないのだということを強く意識させるわけです。

そしてエルサと彼女の母親のデュエット曲にもなる「Show Yourself(みせて、あなたを)」はこれまた彼女の「change」を強く感じさせる楽曲です。

Show yourself

Step into the power

Grow yourself

Into something new

You are the one you’ve been waiting for

「Show Yourself(みせて、あなたを)」より

彼女が今までとは違う「何か新しい存在」になるのだということを歌詞の中でも明確に打ち出していますよね。

そして最後に本作のテーマを一手に引き受けたとも言えるアナのソロ曲である「The Next Right Thing(わたしにできること)」です。

まず印象的なフレーズは楽曲の最初に登場する「Hello darkness, I’m ready to succumb」でしょう。

ナガ
直訳すると、「暗闇よこんにちは。もう私は屈する準備は出来ているわ。」だね。

これは、まさにすべてが変化し失われてしまった暗い洞窟の底で、1人悲しみに暮れるアナの心情を表現したものです。

しかし、彼女は立ち上がることを決心し、そして楽曲の盛り上がりと連動して歌詞も変調していきます。

I won’t look too far ahead

It’s too much for me to take

But break it down to this next breath

This next step

This next choice is one that I can make

「The Next Right Thing(わたしにできること)」より

どんなに打ちひしがれたとしても、次の一歩、次の選択は自分自身の手に委ねられているのだということを自覚し、彼女は力強く立ち上がります。

「ポストhappily ever after」の世界の中でアナは懸命に立ち上がり、そして世界を救う大きな選択をするわけです。

それは本来「happily ever after」の暮らしが続くはずだった王国を破壊するという決断でした。

それでも立ち向かい、決断し、「ポストhappily ever after」の世界でどんなことが起こったとしても力強く生きていくんだという覚悟を見せたこの楽曲は本作の中でも屈指のものだったと思います。

ただ、最後にエルサの行動で本作の真のテーマがもたらされます。

それは本作の冒頭の楽曲の中で綴られていた「Some things never change」の精神です。

どんなものも変わってしまうし、失われてしまう。

それでも変わらない者もあると信じたい、いやむしろ変わらないものもあるのだと彼らは強く確信しています。

ナガ
だからこそのオラフの復活だよね!

受動的にただ享受される「happily ever after」ではなく、自らの選択と決断で「happily ever after」を掴み取っていくのだという姿勢をエルサアナに体現させた点は、ディズニープリンセス映画の中でも革命的な視点と言えるのではないでしょうか。



今向き合うべき新しい「フロンティア精神」

ディズニー映画がここ最近の作品で力をフォーカスし始めていたのは、アメリカという国が先住民たちの血を流して出来上がった国であるというコンテクストです。

特に、それが顕著にみられたのは今年の10月に公開された『マレフィセント2』でしょうね。

人間という生き物が、他者の世界を侵略し、そこに自分たちの繁栄を築いてきたのだという歴史と向き合おうとする1作になっていました。

ナガ
ただ、描写があまりにも雑過ぎたよね(笑)

戦争終戦直後に戦場で結婚式をおっぱじめるなど、あまりにもキテレツすぎるストーリー展開が目立ち、先住民たちへの主題の掘り下げも上手くいっていなかったように思います。

『アナと雪の女王2』が注目していたのも、まさしくアメリカ人が「フロンティア精神」の名のもとに、侵略し、虐げて、土地や暮らし、命までもを略奪してきたインディアンの歴史でしょう。

そして勝者は歴史を正当化できるわけで、自分たちが暴力でもって彼らに対抗せざるを得なかったのは、「正当防衛」だったのだと主張するだけです。

「目に見える過去が全てではない。」というのはまさにこのことです。

このことは、日本にも言えると思っていて、日本人は「太平洋戦争」という暗い過去を背負って生きていると言えます。

今の若い世代は、戦争の記憶がどんどんと色褪せつつある時代に生まれたわけですが、それでもドラマや小説、映画の題材として扱われることで、世代を超えて語り継がれています。

私たちは自分たち自身が起こしたものでなくとも、生まれついた国が犯した罪やもっと大きなスパンで言うと人間という生き物が犯した数えきれないほどの罪の上に生きています。

ディズニーだってもちろんそうで、ウォルトディズニー自身は「人種差別主義者」「男女差別主義者」だと揶揄されることもしばしばでした。

初期の作品は、現代の価値観や考え方には明らかにそぐわない描写が登場していて、それは「過ち」と言えるものだったかもしれません。

しかし、近年のディズニーは、そういった自分たちの「過去」の否定に執心しすぎていたように思いました。

過ちを認めるというよりは、それを新しく塗り替えていくことで、「過去」をなかったことにしようとするかのようなアプローチを取っていたのです。

特に過去に人種差別的な面や、生物愛護の観点で批判も大きかった『ダンボ』については実写版が製作されるにあたり、大きく改変が施されました。

ただ、どれだけ「過去」を否定し、なかったものにしようとしたところで、「記憶」は変えられないわけで、それは無益なのです。

変えられないものとしての「過去」を受け入れて、真っ直ぐに向き合った上で、今の自分たちがどうするかこそが本当に考えるべき大切ことなんですよ。

アメリカではサービスがスタートしたディズニー・プラスでは、過去の作品の一部にこんな注意書きが表示されているようです。

「ご視聴される作品は当時のものです。当時の社会でありふれていた民族的や人種的な偏見描写が描かれていることもあります。これらの描写は当時でも現在でも誤ったものです。これらの作品は今日の社会を反映していない一方、当時の描写を映し出さないことは、その偏見が存在しなかったこととするのと同様になってしまうため、製作された当時のままにしています。

もちろんこの注意書きには賛否あるとは思いますが、当ブログ管理人は支持します。

ディズニーが自分たちの「過去」を払拭しようとするのではなく、きちんと現前させたうえで、その上で新しい私たちを見せていくんだという意志を見せてくれた言葉だと感じられるからです。

そして『アナと雪の女王2』が描こうとしていたのも、まさにそんなメッセージです。

本作においては、ルナード国王が建設した大きなダムが先住民征服のモチーフとして登場しました。

ダムというのは、水をせき止める装置であり、本作において「水には記憶がある」とたびたび言われていたことから意味を付加するなれば、「過去の負の歴史を留めおくための舞台装置」とも言えます。

エルサアナは自分たちの王国に隠された暗い過去と向き合い、そしてその過去から目を逸らさないという決心をしたのです。

だからこそ、これまでせき止められ、隠されてきた負の記憶を孕んだ水を、ダムを破壊するという形で解放しようとしたわけですね。

ただ『アナと雪の女王2』は、そこからもう1歩深いテーマに踏み込むことに成功しています。

それは過去の人間たちが積み重ねてきた罪のツケを、現在を生きる私たちが払わなければならないのかという大きな主題です。

アナが迷いながらも、ダムの破壊を決断したわけですが、彼女を怯えさせたのは、他でもなくダムを壊せば、アレンデール王国が沈むことも明白だったということでしょう。

つまり過去の自分たちの王国の罪を清算するために、今の自分たちの豊かで平和な暮らしを壊さなければならないという岐路に立たされたわけです。

しかし、本作においては覚醒したエルサがその力でもって王国を救います。

この一連の描写を見ていて、ディズニーが描きたかった「今できる正しいことをする。」という言葉の意味は、過去の罪の報いを今の私たちが受けることではなく、変わらない過去を受け止めて、今の私たちが未来に向けてどう行動するのかを問うものなのだったと確信しました。

ディズニーの「時代錯誤な」映画が消えてなくなることがないように、私たち人間がこれまでの歴史上で犯してきた罪の記憶だって消えることはありません。

そして「過去」に起きたことは、変えることもできません。それはただ事実として現前しているに過ぎません。

しかし、そこから目を逸らすのではなく、向き合う決断をするならば、きっと「未来」は変えられるはずです。

かつてインディアンを征服し、自分たちの土地を拡大していくという意味合いで用いられた「フロンティア精神」という言葉。

ナガ
今の私たちが、そんな悲しい過去を見つめて取るべき行動は何なのか?

1人1人が考えながら、人と手を取り合う道を選び、「未知の世界」を切り開いていくという新しい「フロンティア精神」を本作『アナと雪の女王2』は描いていたように感じられました。



子どもたちにこそ見て欲しい「変化」というテーマ

(C)2019 Disney. All Rights Reserved.

『アナと雪の女王2』という作品は、個人的には子どもたちにこそ見て欲しいすごく大切なメッセージを秘めた作品だと思っています。

というのも、この作品が描くのは、「変わること」に対する不安と恐怖なのです。

人間は、子供の頃は自分の住んでいる家や家族が世界のすべてのように思って生きています。

しかし、成長するにつれて、少しずつ世界が広がっていき、最終的には社会という大きな世界に飛び出していくこととなります。

ただ、「変わること」は誰だって怖いもので、今自分が平穏に暮らしている毎日を守りたいと思うことでしょう。

変化は必然なのであって、変わらないものなどこの世界には無いのかもしれません。

それでもあなたが大切なものがそれによって消えてしまうことはありません。

「変化」を選び取って、未知の世界へと足を踏み出したとしても、家族や自分の大切な人たちはきっとあなたのそばにいてくれます。

勇気をもって、世界の広がり、自分自身に起きる変化を受け入れて、前に進もうという力強い思いが、『アナと雪の女王2』には溢れていました。

そしてもう1つディズニーは、この映画に「変わらないで欲しい。」という思いをも込めています。

冒頭にエルサアナが部屋で「魔法の森」を雪で作って遊んでいるシーンがありましたよね。

この寸劇では、最終的に全員が手を取り合ってハッピーエンドを迎えるという幸せな物語が描かれていました。

しかし、幻想とは対照的に、現実はそんなに綺麗なものではありません。

「魔法の森」ないしノーサルドラとの歴史に隠された真実は、残酷で、自分たちの王国の罪を炙り出すものでした。

『アナと雪の女王2』が物語を通じて、子どもたちに伝えようとしていたのは、「この世界は君たちが思っているよりも美しくはないことをいずれ知らされることになる」という点なのかもしれません。

子どもの頃は世界のすべてが輝いて見えたものですが、成長するにつれて、世界が広がり、そして見たくもない部分までもが見えてきて、純粋にその輝きを信じることはできなくなってしまいます。

ファンタジーやおとぎ話を信じるのではなく、現実を見据えて生きていくというのは、ある種「理想」を捨てて生きるということでもあるでしょうか。

それでもフィクションを通じて世界に発信し続けているディズニーは、子どもたちに「理想」を捨てないで欲しいと訴えているように思えます。

それは、エルサアナが部屋で遊んでいた「魔法の森」の寸劇のような、盲目的なハッピーエンドの存在を信じて欲しいということでもありますよね。

『ハリーポッター』の著者であるJ・K・ローリングはかつてハーバード大学の卒業式のスピーチでこんなことを述べていました。

世界を変えるのに魔法の力など必要ありません。必要な力は、みなさんに既に備わっています。その力とは、みなさんの想像力なのです。

私たちには、想像を形にする力が確かに備わっています。

どうか子どもの頃に純粋に思い描いていた、ファンタジーや理想、誰もが幸せになるハッピーエンドのイメージを、捨てないで欲しい。

例え、君たちが見ることになる世界が思っていたよりも美しくないと分かったとしても、君たちには、それを変えて「理想」を形にする力が込められている。

本作『アナと雪の女王2』が子どもたちに伝えたかったのは、まさしくこのことだと私は感じています。

だからこそ映画の物語は、まさしくエルサアナが部屋で遊んでいた「魔法の森」の寸劇のラストを再現しました。

「変わっていくこと」「変わらないで欲しいもの」この2つを、世界の広がり、未知の世界へと進入という子どもたちが経験するプロセスの中で描き切った本作は、非常に見事だったと思います。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『アナと雪の女王2』についてお話してきました。

ナガ
もちろん音楽的な部分のマイナスが大きいので、前作に比肩とは言えないけどね・・・。

それでも、久しぶりにアニメーションとそして物語に純粋に向き合おうとするディズニーの姿勢が見られましたし、何より「子ども向け」のコンテクストをきちんと取り戻せたことが大きいと思っています。

そういう意味でも、ディズニーの近年の停滞感を打破する重要な作品になれたのではないかと考えています。

また、近年描こうとしていたものの巧く描き切れていなかった、過去との向き合い方、アメリカ先住民史、フィクションが現実に対して何ができるのか?といった主題たちを、上手く物語に溶け込ませることができたのも大きな進歩ではないでしょうか。

ナガ
そんな映画を見た当ブログ管理人のツイートがこれです・・・。

一体、この映画を見て、何を学んだんだ!!(笑)

もう何も期待しなくなりつつあったディズニー映画ですが、今作を見て、彼らがこれから見せてくれようとしている「未知の世界」が少し楽しみに感じられました。

来年はピート・ドクター監督の『ソウル』の公開も控えているので、要注目です。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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