【ネタバレ考察】『スパイダーマン ノーウェイホーム』:孤悲と戀、結ぶヒーローの原動力とは?

※本記事は映画『スパイダーマン ノーウェイホーム』のネタバレになるような内容を含みます。作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

アメリカで最も人気があり、最も愛されているヒーローの1人であるスパイダーマン。

彼は、現実世界だけでなく、コミックスや映画の中の世界でも同様に愛されており、しばしばニューヨーク市民との関係性の中で「親愛なる隣人」としても親しまれるヒーローだ。

そして、そのマスクの裏に隠された素顔は、ピーター・パーカーという1人の青年である。

アイアンマンがトニー・スタークであるのは周知の事実であり、キャプテンアメリカがスティーブ・ロジャースであることもまた同様だ。

しかし、スパイダーマンがピーター・パーカーであるという情報はコミックスでも、そして映画でも基本的に劇中世界の市民には開示されてこなかった。

よって、スパイダーマンとピーター・パーカーは一心同体でありながら、それぞれに独立した存在であるとも言える。

加えて、ヒーローとしての活動がピーターの人生に、そしてピーターとしての人生がヒーローとしての活動に影響を与え合うという他にはない不思議な相関関係を内包しているのも興味深いポイントだ。

例えばサム・ライミ監督が手がけた『スパイダーマン2』では、仕事や学業、恋愛に対するピーターの苦悩が、スパイダーマンとしての能力に影響を与え、その活動に支障をきたす様が描かれる。

他のヒーローたち以上に「人間」と「ヒーロー」の間に明確な断絶があるにもかかわらず、他のどのヒーローよりも「人間」と「ヒーロー」の部分が呼応し合っている。

これがスパイダーマンというヒーローの魅力なのだと思う。

そして、『スパイダーマン』シリーズを紐解くにあたって欠かせないのが「MJとのロマンス」である。

サム・ライミ監督が手がけた映画シリーズでも、マーク・ウェブ監督の『アメイジングスパイダーマン』シリーズでも、そして今回の「ホーム」3部作でも「MJ」とのロマンスは必ず描かれてきた。

しかし、ピーター・パーカーと「MJ」のロマンスは映画シリーズに限った話をするのであれば、「悲恋」であり、結ばれない愛の象徴とも言えるものだ。

蜘蛛の糸で人と人を、壊れゆく世界を「結ぶ」のがスパイダーマンなのだが、そのマスクの裏には常に「結ばれない」思いに悩まされているピーター・パーカーがいる。

そう考えたときに、この相反するものの同居こそがスパイダーマンの力の原動力になっているのではないかと思った。

そこで、今回の記事ではこれまでの『スパイダーマン』映画作品を振り返りながら、最新作『スパイダーマン ノーウェイホーム』が描いた「スパイダーマンの何たるか」に個人的に迫っていく。

ナガ
別記事も書いているのでよかったら!




『スパイダーマン ノーウェイホーム』考察(ネタバレあり)

「結ぶ」ヒーローとしてのスパイダーマン

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これまでの『スパイダーマン』映画作品の中で、スパイダーマンが「結ぶ」ヒーローであることを明示する描写が反芻されてきたのは言うまでもない。

サム・ライミ監督版の『スパイダーマン2』では、意識を飛ばしながらも暴走する電車を止めようと奮闘する姿が描かれており、多くのファンに名シーンとして記憶されている。

この時、電車が走っていたのはどこにも「結ばれて」いない工事中の線路であり、スパイダーマンは、これを糸で文字通り「結び留め」、多くの市民の命を救った。

『スパイダーマン ホームカミング』では、このシチュエーションが場所を変えて繰り返される。ヴァルチャーの攻撃により、真っ二つに分断された船をスパイダーマンが糸で「結ぶ」のである。

また、『アメイジングスパイダーマン』『スパイダーマン ファーフロムホーム』では、戦いの舞台として橋が選ばれていた。

橋は川を隔ててこちら側と向こう側を「結ぶ」主題系の1つであり、スパイダーマンというヒーローを象徴する舞台と言っても過言ではない。

このようにスパイダーマンは、秘めたる超人的な力を用いて、糸でこの世界から離れゆく人の命や断絶する物体を物理的に「結び留め」てきたのだ。

ただ、スパイダーマンにとっての「結び」はこういった物理的な行為だけにはとどまらない。

「親愛なる隣人」という愛称で親しまれている彼は、ニューヨークの市民とも強い絆で「結ばれ」ている。

『スパイダーマン2』では、電車を止めるために力を使い果たし、意識を失ったスパイダーマンを電車乗っていた市民たちが担ぎ上げる。

また、『アメイジングスパイダーマン』では街を救おうとする彼のためにニューヨーク市民が「粋な計らい」としてクレーンで、彼の道を切り開いてくれる。

こうした市民との「結びつき」の強さもスパイダーマンというヒーローのアイデンティティであり、語る上では欠かせないものだ。

そんな「結び」を体現するヒーローのマスクを隔ててその内側にいるピーター・パーカーという青年は、その対極に位置する存在として描かれてきた。

 

「結ばれない」青年としてのピーター・パーカー

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スパイダーマンのオリジンにお馴染みの要素として「ベンおじさんの死(メイおばさん)の死」「MJとの悲恋」が挙げられる。

サム・ライミ監督版の『スパイダーマン』では、自分の選択が引き金となり、ベンおじさんが命を落とすという悲劇的な出来事が描かれた。

彼が強盗をエレベーターのところで止めていれば防げたはずの事件だったが、ピーターがその選択をしなかったがために、ベンおじさんの命をこの世に「結び留める」ことが叶わなかったのである。

『アメイジングスパイダーマン』でも、同様に自分が手を伸ばしていれば止められたはずの強盗に目の前でベンおじさんを殺害されるという悲劇に直面する。

「ホーム」シリーズでは、この「ベンおじさん」の役割がトニー・スタークとメイおばさんに割り当てられているが、やはりピーターは彼らを「結び留める」ことは叶わない。

とりわけ『スパイダーマン ノーウェイホーム』では、自身の選択がきっかけで暴走したグリーンゴブリンにメイおばさんの命を奪われてしまう。

このように、ピーター・パーカーは常に、自分自身の親に近い存在との決別を経験してきた。

しかも、そのどれもが彼らを「結び留める」選択をできる立場にあったピーターが、そうしなかったが故に起きてしまった悲劇なのである。

そして、「結ばれなさ」を象徴するもう1つの要素が「MJとの悲恋」だ。

サム・ライミ監督版の『スパイダーマン』では、MJと両思いであることが分かりながらも、スパイダーマンであるが故に「結ばれない」2人の切ない関係性が描かれる。

続編でも2人の恋愛はなかなか上手くいかず、『スパイダーマン3』ではプロポーズ寸前まで迫るも、結局恋人同士としては「結ばれない」ままで終わってしまう。

また、特に「悲恋」の色が濃いのは『アメイジングスパイダーマン2』で描かれるピーターとグウェン(MJ)との恋愛の顛末だ。

時計塔から転落していくグウェンにピーターは糸を伸ばし、何とかして「結び留め」ようとするが、結果的に失敗し、彼女は帰らぬ人となってしまう。

サム・ライミ監督版以上に決定的な断絶がピーターとグウェン(MJ)の間にもたらされ、2人が「結ばれる」ことはなくなってしまうのだ。

このように、たくさんの人の命を「結び留め」てきたヒーローの背後には、「結ばれない」ことの連続に苦悩するピーター・パーカーという青年がいる。

親代わりを失い、親友を失い、そして最愛の人を失う、あるいは結ばれない。

スパイダーマンがニューヨーク中の人と心を通わせ、「結ばれ」ているにも関わらず、その正体であるピーター・パーカーという青年は誰とも「結ばれ」ず、孤独を抱えている。

これまでのスパイダーマンにおいて、この対極の関係が重要なアイデンティティであったことは間違いない。

しかし、MCUに内包された「ホーム」シリーズは、これまでの『スパイダーマン』映画作品とは大きく異なる点があった。



「結ばれる」ピーター・パーカーと「結ばれない」スパイダーマン

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これまでの映画シリーズでは、たくさんのニューヨーク市民に愛されるスパイダーマンとしての顔と、孤独を抱えているピーター・パーカーという青年としての顔のギャップが打ち出されてきた。

しかし、『スパイダーマン ホームカミング』『スパイダーマン ファーフロムホーム』では、こうしたギャップは鳴りを潜めていたと言ってもよいだろう。

確かに『スパイダーマン ホームカミング』のラストでは、好意を寄せていた女性との別れが描かれ、『スパイダーマン ファーフロムホーム』ではトニー・スタークの死が大きな影を落とす。

ただ、リズはMJではないし、トニーの死はピーターにどうこうできたものではないわけだから、悲劇性は薄いと言える。

一方で、彼は親友のネッドと固い絆で「結ばれ」、さらには好意を寄せていたMJとも『スパイダーマン ファーフロムホーム』での物語を経て「結ばれる」。

加えて、親代わりのメイおばさんも健在で良好な関係を維持しているではないか。

このように「ホーム」シリーズにおけるピーターは、過去の映画におけるピーターたちと比較すると明確だが、孤独とは程遠いところにいる。

彼はピーター・パーカーとして多くの人と「結ばれて」おり、比較的充実した人生を謳歌しているのだ。

では、彼のスパイダーマンとしての顔はどうだろうか。

『スパイダーマン ホームカミング』では、切断された船を「結び留める」ことで、多くの人の命を救ったし、『スパイダーマン ファーフロムホーム』では、ミステリオの危機から世界を守った。

しかし、「ホーム」シリーズのスパイダーマンは市民との関わりの中で描かれることがこれまでの映画と比べても極端に少なく、「親愛なる隣人」としての色が薄いのである。

極めつけには、『スパイダーマン ファーフロムホーム』では、ミステリオによって彼の正体がピーターであることをリークされ、市民の半数からは「Public Enemy」として認知されてしまう始末である。

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つまり「結ぶ」という観点で見たときに、「ホーム」シリーズのスパイダーマンとピーター・パーカーの関係性は、これまでの映画作品の反転になっているのだ。

スパイダーマンとして愛されない代わりに、ピーター・パーカーとしては愛されている。

ただ、この異質な反転は、ミステリオによる正体のリークによって終わりを迎えることとなった。

彼がスパイダーマンであることが、彼の充実していた人間関係に亀裂を入れ始めるのである。

メイおばさんはこれまでの平穏な暮らしを失い、親友のネッドや最愛のMJには大学進学に際して多大な迷惑をかけてしまう。

ピーターはドクターストレンジの元へと駆け込み、「スパイダーマンの正体がピーターである」という記憶を世界中の人の脳内から削除して欲しいと頼み込む。

しかし、ピーターはMJやネッド、メイおばさんやハッピーといった自分の大切な人たちとの「結びつき」を諦めることができないのである。

彼らとの「結びつき」を維持した状態で、スパイダーマンとしても今まで通りに活動したいという彼の願望は何も犠牲を払っていない。

「大いなる力には大いなる責任が伴う」のであり、彼はドクターストレンジの大いなる力を行使する責任と代償を背負わなければならないはずである。

つまり、『スパイダーマン ノーウェイホーム』の冒頭時点でのピーター・パーカーは、まだスパイダーマンになり切れていないのだと思われる。

彼は「結びつき」を失う苦悩を知らないし、それを都合よく避けて通ろうとしているわけで、そうした未熟さはスパイダーマンの愛されなさ、市民との「結びつき」の欠如へと還元されていく。

『スパイダーマン ノーウェイホーム』は、そんな未熟なピーター・パーカーが真にスパイダーマンになるまでのプロセスを可視化している。

では、ピーター・パーカーをスパイダーマンたらしめるものとは一体何だったのだろうか。

 

「結びつき」の喪失譚としての「ノーウェイホーム」

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「ノーウェイホーム」は、「後戻りできない」という意味になるが、少し飛躍させると「家との結びつき(道)を失う」とも解釈できる。

そんなタイトルが象徴するように、本作はピーター・パーカーに降りかかる「結びつき」の喪失譚となっていた。

まずは、「メイおばさんの死」という彼の親代わりであり、最大の理解者との決別がグリーンゴブリンによってもたらされる。

トニーの死と違って、明確に彼の行動がもたらした「死」であり、彼が「結び留める」ことができなかった命である。

さらには、マルチバースの開幕により世界へと迫りくる危機を防ぐために、ピーターは冒頭にはできなかった決断を下す。

「ピーター・パーカーという存在をあらゆる生命体の記憶から抹消する」ことである。

しかし、その決断はドクターストレンジに縋ってでも守ろうとした最愛のMJや親友のネッドとの「結びつき」を断ち切ってしまうことを意味している。

ピーターは大いなる力に伴う責任として、それを受け入れたのだ。

人々の記憶からピーター・パーカーの記憶が消えた世界で、ピーターはMJやネッドたちと再会を果たす。

約束通り彼は、大切な友人と、そして恋人との関係性を「結び直し」に来たわけだ。

ただ、彼は口にしかけた「I love you.」を心の奥にそっとしまい、2人との関係性を「結び直す」ことなく、店を後にする。

彼にとっての最大の願いは、親友であるネッドと恋人であるMJの平穏と幸せだ。

しかし、ピーター・パーカーが彼らに関わるということは、彼らを「スパイダーマンの物語」に巻き込むことに他ならない。

そして、ピーターはマルチバースからやってきた2人のスパイダーマンとのやり取りの中で、「スパイダーマンの親友」「スパイダーマンにとってのMJ」が辿る運命を知っている。

だからこそ、ピーター・パーカーが「スパイダーマンとして」彼らのためにできることは彼らと「結ばれない」ことしかないのだ。

つまり、『スパイダーマン ノーウェイホーム』において、ピーター・パーカーは「ピーター・パーカーとして」ではなく、「スパイダーマンとして」彼らのための選択をしている。

ピーター・パーカーとして彼らと個人的に「結ばれる」ことではなく、スパイダーマンとして、彼らの平穏や幸せ、そして何より命が「結び留め」られることを願ったのだ。

この決断を下したとき、「ホーム」シリーズにおけるピーター・パーカーは本当の意味でスパイダーマンになれたのだと思う。



孤悲と戀、結ぶヒーローの原動力とは?

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これまでの『スパイダーマン』映画、そして「ホーム」シリーズ3部作をこうして辿ってくると、スパイダーマンというヒーローの原動力になっているものが見えてくる。

それを一言で言い表すとしたら「こい」なのかもしれない。

現代の言葉づかいでは「恋」という漢字を当てるのが基本的であり、「恋」と聞けば恋愛のイメージに結びつけられることが大半だろう。

ただ『万葉集』などの古い書物では「こい」に様々な漢字が当てられたと言われている。

その中でも今回取り上げたいのは、「孤悲」という当て字だ。

そもそも「こい」の意味を辞書などで調べてみると、「人、土地、植物、季節などを思い慕うこと。めでいつくしむこと。」「異性(時には同性)に特別の愛情を感じて思い慕うこと。」などといった意味が書かれている。

しかし、『日本国語大辞典』を紐解くとこんな注記が掲載されていた。

目の前にない対象を求め慕う心情をいうが、その気持の裏側には、求める対象と共にいないことの悲しさや一人でいることの寂しさがある。その点、『万葉』で多用された『孤悲』という表記は漢籍の影響も指摘されてはいるが、当時の解釈をよく表わしている。

(『日本国語大辞典』より)

注目したいのは、「求める対象と共にいないことの悲しさや一人でいることの寂しさ」という部分だろうか。

つまり「こい」という言葉の背後には、元来、孤独やそこから生じる悲しみ、他者への希求といった意味合いがあることが分かる。

これを踏まえて、『スパイダーマン ノーウェイホーム』は「恋」を「孤悲」に変え、ピーター・パーカーを真のスパイダーマンへと変える物語だったと定義できないだろうか。

『スパイダーマン ノーウェイホーム』の中で、ピーターはたくさんの人との「結び」を喪失し、孤独へと転じた。

それに伴い最愛の人とのロマンスも終わりを迎え、まさしく「恋」は「孤悲」へと変わってしまったと言えるだろう。

だからこそ彼は小さなアパートの一室で、誰かと「結ばれる」ことに飢えている。孤独から解放されることに飢えている。

しかし、誰かと深く関わり合うことが、その人に何をもたらすのかを知ってしまった彼は、スパイダーマンとしてその選択をすることはできない。

それ故に彼にできるのは、「目の前にない対象を求め慕う」ことだけなのだと思う。

ピーター・パーカーは、MJと一緒にはいられない、親友と一緒にいることも許されない、そして最大の理解者であったメイおばさんももうこの世にはいない。

共にいない、共にいられない誰かを思う気持ちとしての「孤悲」。

私はこれこそがスパイダーマンというヒーローの原動力なのではないかと感じた。

マーベル作品には、キャプテンアメリカというヒーローがいるが、以前に発売された『ヒーローズジャーニー』という小説の中で、彼の強さの秘密についてこんな記述があった。

スティーヴは敗残者だった。ずっと虐げられてきたし、優越感を持った人とは折が合わなかった。スティーヴこそ、弱さの意味を知る、根っからの善人だった。

(『アベンジャーズ ヒーローズジャーニー』28ページより引用)

スティーヴの「強さ」の背後にあるのは、「弱さ」を知っていることだったと言っているわけだが、これはスパイダーマンにも当てはまるような気がしている。

ピーター・パーカーは誰かと「結ばれ」ないことに伴う悲しみ、つまり「孤悲」を誰よりも深く知っている。

だからこそ、彼はスパイダーマンとしてたくさんの人と「結ばれる」ことができ、そしてたくさんの人の命を「結び留める」ことができるのではないだろうか。

ピーター・パーカーの抱える孤独の強さ、他者との結びつきへの希求の高まりこそが、スパイダーマンとしての強さに変換されているのだ。

偶然にも「恋」の旧漢字は「戀」だったとされている。よく見ると「糸」が含まれているではないか。

つまり、ピーター・パーカーとしての「戀」を、「糸」に変えて、人を「結ぶ」のがスパイダーマンというヒーローだったわけだ。

『スパイダーマン ノーウェイホーム』は、これまでの映画シリーズとは異なる本質的な切り口からの「スパイダーマン」というヒーローのオリジンを描くことに成功したと言える。

「結ばれなさ」がもたらす「結ばれる」ことへの希求の抱懐こそが、人を「結ぶ」スパイダーマンになるためのオリジンなのだ。



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