『スパイダーマン ノーウェイホーム』ネタバレ解説・考察:マルチバースの幕開けとMCUからの解放

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『スパイダーマン ノーウェイホーム』についてお話していきます。

ナガ
待ちに待ったMCUスパイダーマン最新作がついに公開ですね!

海外では既に公開されており、週末3日間の最新の興行収入は2億6013万ドル(約297億円)で『アベンジャーズ エンドゲーム』に次ぐオープニングを記録しました。

その一方で、日本では『マトリックス レザレクションズ』とのバッティングで公開が大幅に遅れ、公開が年をまたぐというファンにとってはヤキモキする日々が続きましたね。

当ブログ管理人も、何とか深夜の最速上映に潜り込むことができ、ようやくネタバレに怯える日々から解放され、安堵しております。

今回の『スパイダーマン ノーウェイホーム』は、MCU版スパイダーマントリロジーの完結編にあたる作品であり、またMCUにおけるマルチバースの幕開けを象徴する作品でもあります。

『ワンダヴィジョン』で20世紀フォックスの手掛けた『X-MEN』シリーズのクイックシルバーが登場したことも大きな注目を集めましたが、今作はさらに豪華です。

というのも、サム・ライミ監督版の『スパイダーマン』トリロジーマーク・ウェブ監督の『アメイジングスパイダーマン』2部作までもがリンクするんですよ!

ドクターオクトパスやエレクトロといった往年のヴィランたちが1つの世界線に集結するというとんでもない構想によって制作された本作は、ファンとしては興奮が止まらない内容ですよね。

MCU版のスパイダーマンシリーズは、MCUを形成する作品としての側面が色濃く反映されながらも、トム・ホランド演じる青きピーター・パーカーの物語と向き合ってきました。

どうしても「マルチバース」のインパクトが強い作品だとは思いますが、それ以上にトム・ホランド演じるピーター・パーカーの物語の1つの節目にこの上なくふさわしい作品なんだと個人的には感じています。

日本では、やはりスパイダーマン人気が凄まじいので、『アベンジャーズ エンドゲーム』を興行収入で上回る可能性もあると思っておりますが、どこまで数字を伸ばせるか…。

今回の記事では、そんな『スパイダーマン ノーウェイホーム』について個人的に感じたことや考えたことをお話していきます。

作品のネタバレになるような内容を含みますので、作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『スパイダーマン ノーウェイホーム』

あらすじ

ナガ
物語は前作『スパイダーマン ノーウェイホーム』の続きから始まります!

前作でホログラム技術を武器に操るミステリオを倒したピーターだったが、ミステリオが残した映像をタブロイド紙の「デイリー・ビューグル」が世界に公開したことでミステリオ殺害の容疑がかけられてしまったうえ、正体も暴かれてしまう。マスコミに騒ぎ立てられ、ピーターの生活は一変。身近な大切な人にも危険が及ぶことを恐れたピーターは、共にサノスと闘ったドクター・ストレンジに助力を求め、魔術の力で自分がスパイダーマンだと知られていない世界にしてほしいと頼むが…。

映画comより引用)

 

スタッフ

スタッフ
  • 監督:ジョン・ワッツ
  • 製作:ケビン・ファイギ エイミー・パスカル
  • 脚本:クリス・マッケンナ エリック・ソマーズ
  • 撮影:マウロ・フィオーレ
  • 美術:ダーレン・ギルフォード
  • 衣装:サーニャ・ミルコビック・ヘイズ
  • 編集:リー・フォルソム・ボイド ジェフリー・フォード
  • 音楽:マイケル・ジアッキノ
ナガ
ジョン・ワッツ監督が続投ということで、安心感がありますよね…。

これまでのMCU版スパイダーマン2作品や『COP CAR コップカー』の監督を務めたことで知られるジョン・ワッツが今作でも引き続き監督を担当します。

そして、脚本にも引き続きエリック・ソマーズクリス・マッケンナのタッグが起用されていますよね。

この2人は『アントマン&ワスプ』『ジュマンジ ウェルカムトゥザジャングル』なども手掛けたゴールデンタッグであり、コメディ要素とアクション要素を組み合わせたプロットを作らせたら最強です。

また今回は撮影に『マグニフィセントセブン』『サウスポー』などで知られるマウロ・フィオーレが加わっています。

編集を担当したのは、これまでも数多くのMCU作品を手掛けてきたリー・フォルソム・ボイドジェフリー・フォードの2人です。

そして、MCU版スパイダーマン2作品だけでなく『ジョジョラビット』『インサイドヘッド』などに素晴らしい映画音楽を提供してきたマイケル・ジアッキノが今回も劇伴を担当します。

これまでのスタッフが再集結すると共に、新しい撮影監督を迎えるなどし、シリーズの新しい一面を見せようと試みたわけですね。

 

キャスト

キャスト
  • ピーター・パーカー:トム・ホランド
  • MJ:ゼンデイヤ
  • ドクター・ストレンジ:ベネディクト・カンバーバッチ
  • ネッド:ジェイコブ・バタロン
  • ドクター・オットー・オクタビアス:アルフレッド・モリーナ
  • ハッピー・ホーガン:ジョン・ファブロー
  • エレクトロ:ジェイミー・フォックス
  • ノーマン・オズボーン/グリーン・ゴブリン:ウィレム・デフォー
  • ウォン:ベネディクト・ウォン
  • メイおばさん:マリサ・トメイ
  • フラッシュ・トンプソン:トニー・レボロリ
  • J・ジョナ・ジェイムソン:J・K・シモンズ
ナガ
キャスト一覧を見ただけで胸が熱くなりますよね…。

トム・ホランドゼンデイヤジェイコブ・バタロンといったお馴染みの面々に加えて『ドクターストレンジ』シリーズベネディクト・カンバーバッチベネディクト・ウォンも共演します。

それだけでなく、記事の冒頭でも書いたように本作には、過去の『スパイダーマン』映画のヴィランたちが再集結します。

そのため、サム・ライミ版のヴィランを演じたウィレム・デフォーアルフレッド・モリーナらが再出演することになりました。

加えて、マーク・ウェブ版の『アメイジングスパイダーマン2』のメインヴィランであるエレクトロを演じたジェイミー・フォックスも再出演の運びとなっています。

こうした懐かしい面々が再集結したMCU版『スパイダーマン』シリーズ最新作にして、完結編である『スパイダーマン ノーウェイホーム』をぜひご覧ください。



『スパイダーマン ノーウェイホーム』解説・考察(ネタバレあり)

最も顔が知られたヒーローだからこその物語

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みなさんはアメリカで最も人気のあるマーベルコミックスのヒーローはどのキャラクターだと思いますか?

やはり、アメリカだからキャプテンアメリカじゃないか?と思う方もいるかもしれませんし、アイアンマンやソーの名前を挙げる方もいるでしょう。

しかし、断トツの知名度と人気を誇るのが、実はスパイダーマンなのです。

アメリカの主要なメディアの人気ヒーローランキングでは、おおよそスパイダーマン、スーパーマン、バットマンの3人がTOP3を分け合っており、スパイダーマンはしばしばその首位に君臨するほどでした。

つまり、マーベル作品のヒーローという観点で見た時に、スパイダーマンは「地球上で最もその顔(マスク)が認知されたヒーロー」であると形容することができるでしょう。

一方で、そんなヒーローの正体がピーターパーカーという1人の青年であるという事実はサム・ライミ版でも、マーク・ウェブ版でも大衆に明かされることはありませんでした。

同作のパンフレットにアメコミ・ライターの小池顕久氏による寄稿があり、その中でコミックス版のスパイダーマンの正体を巡る経緯にも言及が為されています。

コミックスでも幾度となく正体発覚の危機に晒されながらも、何かと都合をつけて、その正体が守られてきたピーターパーカーは、2006年に始まった「シビルウォー」の一連の物語の中でようやくその正体を世界に開示するに至ったのだとか。

映画で言うと、サム・ライミ版の『スパイダーマン2』で一度彼の素顔は電車の乗客に開示されましたが、彼らがその正体を秘匿する形で事なきを得ました。

このように、「スパイダーマン」というアイコンが現実世界でも、フィクション内でも世界的な知名度を誇る一方で、ピーターパーカーという青年の顔は誰にも知られていないわけです。

そして、このヒーローと1人の青年の歪なまでに乖離した知名度こそが、「スパイダーマン」を形作る重要なアイデンティティでもあります。

だからこそ、前作の『スパイダーマン ファーフロムホーム』の際にミステリオによって、その正体が全世界に開示されるというのは驚きの展開でした。

なぜなら、「スパイダーマン=ピーターパーカー」という図式を世界の共通認識にする行為であり、「スパイダーマン」というヒーローを取り巻く歪な均衡を崩壊させることに他ならなかったからです。

そして今回の『スパイダーマン ノーウェイホーム』は、ピーターパーカーが「世界で最も有名な青年」になった世界で物語が始まります。

『スパイダーマン ホームカミング』『スパイダーマン ファーフロムホーム』でも確かにピーターが自分自身の人生とヒーローとしての生き方の間で葛藤する様が描かれました。

しかし、今作では「スパイダーマンであること」が、ピーターパーカーとしての人生を完全に浸食し、崩壊させ、さらには彼の周囲の人の人生にまで影響を与え始めます。

世界で最も有名なヒーローと世界で最も有名な青年。スパイダーマンとピーターパーカー。

決して交わってはいけなかった2つのものが混ざり合い、1つに融合してしまったことで、彼の人生のバランスが崩れていくのです。

そして、この構図は奇しくもマルチバースにより、複数の世界線からヴィランやヒーローがやって来て1つの世界に集結することによってカオスがもたらされる作品全体の構造に一致しています。

 

サム・ライミ版『スパイダーマン』はなぜ傑作だったのか?

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エンジンをかけて本論に入る前に、少しだけサム・ライミ監督版『スパイダーマン』トリロジーの話をさせてください。

多くの人が彼が監督を務めた『スパイダーマン』シリーズをヒーロー映画のマスターピースだと讃えていますが、何がそんなに素晴らしいのでしょうか。

もちろん様々な意見があると思いますが、私が素晴らしいと感じたのは、スパイダーマンとしての物語とピーターパーカーとしての物語のバランスと優劣のつけ方です。

多くのヒーロー映画は、そのオリジンやビギンズを描くにあたって、ヒーローとしての物語が大前提として存在していて、その内側に主人公個人の物語が従属する形を取ります。

つまり、ヒーローとしての物語の中に個人としての成長や変化が内包されるわけです。

しかし、サム・ライミ監督版の『スパイダーマン』シリーズってむしろ逆で、主人公の1人の人間としての物語が大前提として存在した上で、その内側に従属する形でスパイダーマンとしての物語が存在するという構造になっています。

そうした構造が顕著に垣間見えるのが『スパイダーマン2』でしょうか。

同作の中で、ピーターパーカーは大学で落第寸前になり、仕事はクビになり、家賃もまともに払えず、MJとの恋愛は全く上手くいかないといった具合に1人のどこにでもいる青年としての苦悩や葛藤を抱えています。

面白いのが、こうしたピーターパーカーとしての苦悩が、スパイダーウェブの能力に影響を与え、ヒーローの物語にも波及していく点です。

ヒーローとして上手くいかないから、個人の人生も上手くいかなくなるのではなく、あくまでも個人の人生が立ち行かないから、ヒーローとしても上手くいかないというベクトルなんですよね。

また、『スパイダーマン2』の中で、自分の人生を取り戻すべく、ピーターパーカーは一時的にスパイダーマンを引退します。

そんな彼がスパイダーマンに戻るきっかけになったのは、決定的な出来事で言うと、それはMJがドクター・オクに誘拐されたからということになるのでしょうが、その本質を辿ると彼自身の善性なんです。

つまり、超人的な力があるから誰かを助けるということ以上に、ピーターパーカーという青年に元来備わっている善性や献身性、利他性こそが彼がスパイダーマンたる原動力なのであるという関係で描写してあるんですよね。

こうしたバランスと優劣のつけ方で、ピーターパーカーとスパイダーマンの関係性を形作ったことにより、1人の青年の物語としての側面が際立ちましたし、何より等身大のヒーロー像を確立することに成功していたと思います。

まず、個人の物語があって、それからヒーローとしての物語がある。

それがサム・ライミ『スパイダーマン』トリロジーの根幹を為す構造だとして、実はその真逆を突き進んできたのがMCU版の『スパイダーマン』シリーズだったのだと今回の『スパイダーマン ノーウェイホーム』を見て、改めて感じさせられました。



オリジン不在が際立ったMCU版「ホーム」トリロジー

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前章でサム・ライミ監督版『スパイダーマン』シリーズの構造について解説しましたが、ここからはそれを反転させたとも言えるMCU版「ホーム」トリロジーについて解説していきます。

まず、『スパイダーマン ホームカミング』『スパイダーマン ファーフロムホーム』などをご覧いただけると分かりますが、「ホーム」トリロジーはあくまでもMCUの作品群の中の1作品です。

特に、『スパイダーマン ホームカミング』は異例中の異例ともいえる作品で、MCUとしては初のスパイダーマン映画にも関わらず、ヒーローオリジンについてはごそっと省略されています。

「シビルウォー」直後から物語が始まる都合もあって、そもそも最初からピーターパーカーは「スパイダーマン」なんですよね。

これは、サム・ライミ監督版、そしてマーク・ウェブ監督版との大きな違いです。

一方の『スパイダーマン ファーフロムホーム』では、ポスト「エンドゲーム」の世界で、アイアンマンの後継者としてのスパイダーマンの物語が描かれました。

アイアンマン亡き世界で、彼の後継者として、彼の遺志を継ぐヒーローとして、「ミステリオ=MCU全体の否定者」と対峙するという構図は、「スパイダーマン」単独作という印象を弱めています。

つまり、MCUの大きな物語ありきでスパイダーマンやピーターパーカーの物語が動かされており、物語が明確に独立していない点が伺えます。

ナガ
オリジンが省略され、彼がただの「ピーターパーカー」だった頃が描かれていない点が何よりも大きいんだよ!

作品の物語内でもピーターパーカーの未熟さはスパイダーマンとしての活動を通じて描写され、そこからの脱却や成長もヒーローとしての活動の中で描かれました。

例えば、『スパイダーマン ホームカミング』で彼は超人的な力を手にし、それを使って活躍することが自分の学校での地位を高めることにもつながるのではないかという重大な勘違いをしたまま、無謀なヒーロー活動に従事します。

また、トニースタークに目をつけられたことを自慢気にしているのもそうで、ヒーローとしての彼が認められていくことが、ピーターパーカーという人間が認められることだと勘違いしている節もあるんですよね。

『スパイダーマン ファーフロムホーム』では、トニーの遺産をミステリオに渡してしまい、一時はヒーローとしての責任を放棄して逃げ出そうとしました。

そんな彼をスパイダーマンの道に引き戻し、大切な人を守る原動力を取り戻させたのは、亡きトニーからの信頼と言葉でしたよね。

このようにスパイダーマンとしての未熟さや成長が、ピーターパーカー自身の青春やロマンスにも反映され、彼の物語に影響を与えていく構図を常に取ってきたのがMCU版「ホーム」トリロジーなのです。

そのため、MCU版「ホーム」トリロジーにおけるピーターパーカーは、彼自身の物語が起点になって、周囲の人間や他のヒーロー、物語そのものを動かしているというよりは、むしろそれらに彼自身が動かされているような印象を与えます。

つまり、スパイダーマンとしての物語があまりにも先行しており、そこに1人の青年の物語がぶら下がっているようにすら見えるんです。

こうしたピーターパーカー自身の物語の主体性の無さ、そしてMCUという大きな物語に対する「スパイダーマン」単独作品としての主導権の喪失は、これまでの2作品でも論じられてきました。

とりわけ、それと正反対の構造で作られたサム・ライミ『スパイダーマン』がヒーロー映画のマスターピースだと評されている現状もあり、余計に評価されづらい風潮があったと思います。

しかし、今回の『スパイダーマン ノーウェイホーム』は、そうした弱点を見事に昇華させた一度きりの大技だったと思いますし、見事な反転攻勢でした。

 

ピーターパーカーとしての主導権と主体性を求めて

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前章では、『スパイダーマン ホームカミング』『スパイダーマン ファーフロムホーム』におけるピーターパーカーの物語の主体性の無さについて論じてきました。

『スパイダーマン ホームカミング』でトニーに認められ、『スパイダーマン ファーフロムホーム』ではトニーの後継者としての役割を託された彼は、どこか与えられた物語の中で与えられた役割をこなす優等生のように見えました。

しかし、常にそうした外的な要因によって突き動かされてきたピーターパーカーは、自分個人としての物語を主体的に動かすということをしてこなかったんです。

『スパイダーマン ノーウェイホーム』の冒頭で、ピーターは第一志望だったMITから不合格通知を受け取ります。

そんな彼がとった行動は、不合格を受け入れつつも、ダメもとでドクターストレンジの魔法に頼るというものでした。

これはまだまだ未熟な彼自身と、それとは不釣り合いに大きくなってしまったヒーローとしての自分の乖離を示す重要なシーンです。

彼は自分自身の人生の難局を迎えた時に、ピーターパーカーとして何かをするのではなく、スパイダーマンとして何とかしようとしてしまうわけですよ。

だからこそ、ドクターストレンジは「まずは大学に電話をして掛け合うべきだ」とヒーローではない彼自身の行動の重要性を説きます。

未熟さ故に、自分のアイデンティティの多くをスパイダーマンというヒーローに依存しているのが、まさしく「ホーム」シリーズのピーターパーカーなのです。

そして、『スパイダーマン ノーウェイホーム』では、そんなピーターのアイデンティティがスパイダーマンと「=イコール」で結ばれてしまう事件が起こります。

なぜ、この出来事がそれほどまでに悲劇なのかと言うと、スパイダーマンという確立されたアイコンによって、ピーターパーカーのアイデンティティが完全に上書きされてしまうからです。

つまり、これからの先の人生のあらゆる局面において、ピーターパーカーは「スパイダーマン」を生きなければならなくなり、そこに自分自身の独立した物語が入り込む隙間を失ってしまったわけですよ。

ただ、劇中でMJが彼に対してこんなことを言っていました。

「スパイダーマンであることが明るみに出て、ちょっとホッとしてる?」と。

これは、正体が明るみに出る恐怖から解放されたからというよりは、「スパイダーマン」という強烈なアイデンティティに依存することを正当化されたが故の安堵なのかもしれません。

ところが「スパイダーマン」というアイデンティティはピーターパーカーの人生を幸せなものにはしてくれませんでした。

彼はプライベートを奪われ、家族の平穏な生活を奪われ、当たり前の学校生活を奪われ、そして大学に進学するという未来まで奪われてしまいます。

まさしくこれは「キャラクターという檻」とも呼ぶべきものであり、そこからの解放がピーターにとっての何よりの願いとなり、それが彼をドクターストレンジの下へと走らせたわけです。



キャラクターという檻、そこからの解放

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そして、本作のメインイベントとも言えるマルチバースの開幕が描かれるわけですが、それに際して過去の『スパイダーマン』映画のヴィランたちが集結します。

ドクターストレンジは、そうしたヴィランたちを捕えて、もとの世界へと送り返すことが世界の安定を保つために重要だと語り、ピーターに指令を出しました。

しかし、ピーターは「スパイダーマン」という自分に与えられたキャラクターがある種の「檻」であり、人生の多くの可能性を奪うものであることを知っています。

だからこそ、彼は往年のヴィランであるノーマン・オズボーンやドクター・オットー・オクタビアスたちに自分自身を重ね、彼らを救うことを決断するのです。

彼らはあくまでも「キャラクターの檻」に囚われているに過ぎず、そこから解放してあげれば、ヴィランとしてではない、1人の人間としての人生を歩めるはずだと考えるわけです。

一方で、ヴィランたちとヴィランとしての役割から解放することは、世界の調和とバランスを乱す行為に他なりません。

彼らがいたもとの世界の運命が書き換えられてしまうことで、予測不可能な現象を世界にもたらしてしまうことは想像に難くありません。

キャラクターないし役割からの解放と世界の運命を天秤にかけるという構図は、これまでのMCUと「ホーム」シリーズの関係を投影したメタ的な演出でもあります。

先ほどまでもお話してきましたが、MCU版「ホーム」シリーズは、MCUの大きな物語を構成する1つの要素としての役割を強いられ、スパイダーマン単独作としての色があまり強くありませんでした。

しかし、そんな「ホーム」シリーズの最新作である『スパイダーマン ノーウェイホーム』はマルチバースを開くことによって、これまでのMCUの世界線の均衡を崩壊させようとしています。

スパイダーマンとしての、そして何よりピーターパーカーとしての物語を奪還するために、MCUの全体のバランスをも大きく揺るがそうとするのが、今作の作品性であり、それが物語そのものにも投影されているのが分かりますよね。

ピーターは往年のヴィランたちと対立しながらも、1人また1人と「キャラクターという檻」から解放し、彼らを1人の人間としての人生へと帰していきました。

そして、フィクション内存在である彼らにも与えられた役割や物語に縛られない人生があるはずだというメタ的なメッセージは翻って、ピーターの物語へと還元されます。

この物語の最後に解放されるのは、他でもないピーターパーカー自身なのです。

思えば、『スパイダーマン ホームカミング』で「スパイダーマン」ではなかった頃のピーターパーカーを描かなかったのは、全て今作のラストに繋がっていたのかもしれません。

MCU版の「ホーム」シリーズでは、私たち観客が観測できる領域において、ピーターは少なくとも物語の最初から「スパイダーマン」という檻に囚われた存在でした。

彼自身の「スパイダーマン」とは独立した物語はまだ描かれていなかったのです。

だからこそ『スパイダーマン ノーウェイホーム』のラストが意図したのは、彼に「ピーターパーカー」に「スパイダーマン」としてではない時間や人生を今一度取り戻させることだったのではないでしょうか。

 

世界で最も有名なヒーローと世界で誰も知らない青年

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ピーターパーカーが「スパイダーマン」というアイデンティティを背負っていることそのものが世界を危機に陥れているとしたら。

ドクターストレンジは何とかして開いてしまったマルチバースを閉じようと試みるのですが、ピーターパーカーという存在がたくさんのヴィランやヒーローたちを多元宇宙から引き寄せていることが発覚します。

それを食い止めるためには、融合してしまった「スパイダーマン」と「ピーターパーカー」を切り離し、それぞれが独立した存在へと戻すしかありません。

マルチバースによってもたらされる複数の世界線の融合と、主人公の中で起きた「スパイダーマン」と「ピーターパーカー」の融合がリンクし、それらを切りはなすトリガーが一致しているという構造も何とも面白いですね。

結果的に、ピーターパーカーは自分自身の名前を「スパイダーマン」から切り離し、さらには自分の存在を全ての人の記憶から消し去ることを決断しました。

つまり、彼は「世界で最も有名な青年」から、「世界でまだ誰も知らない青年」へと変わる決意をするのです。

しかし、それは最愛のMJや親友のネッドといった彼にとっての大切な人の記憶からも「ピーターパーカー」をデリートする決断でもあります。

そうして『スパイダーマン ノーウェイホーム』のクライマックスで描かれたのは、スパイダーマンが依然として有名な一方で、その正体であるピーターパーカーは誰にも知られていない世界線です。

そんな世界で、彼は再びMJとネッドに声をかけ、彼らに記憶を取り戻させようと試みかけて、それを止めました。

彼の視界に入ったのは、MJの額に貼られた絆創膏です。

自分が彼らと深く知り合えば、いつか自分がスパイダーマンであることも知られ、巡り巡ってまた彼らを巻き込み、傷つけてしまうかもしれません。

しかしピーターは、自分が「スパイダーマン」であるが故に、その周囲で苦しんでいる2人の姿を目に焼きつけてきました。

だからこそ、彼はもう同じ運命を選ぶことはありません、いやできません。

ここで、MJとネッドが「スパイダーマンのガールフレンド」「スパイダーマンの親友」というキャラクターないし役割から解放されます。

そして、ピーターは物語の最後に一人暮らしを始めました。

彼の荷物を収めた段ボールの中には高卒認定試験の問題集もちらついていましたね。

彼はこれからも「スパイダーマン」としての物語を歩みます。しかし、それとは独立した「ピーターパーカー」の物語をも歩み続けていきます。

『スパイダーマン ノーウェイホーム』が描いたのは、キャラクターという檻からの解放であり、その極致は「スパイダーマン」からの「ピーターパーカー」の解放だったのだと思いました。

彼の存在を誰も知らない。誰にも名前を知られていない。誰とも人間関係を結んでいない。

「スパイダーマン」という強烈な色で上書きされた彼の人生のキャンバスがリセットされ、ここからまた真っ白なキャンバスに自分の人生を描いていく。

『スパイダーマン ノーウェイホーム』は、自分の人生を物語る主導権をピーターパーカーに返すために作られた作品と言っても過言ではないでしょう。

ナガ
トニーから与えられたスーツではなく、自作のスーツを身に纏うピーターの姿はその証左なんだよ!

劇中で、ある人物が「自分たちだけの関係性を見つけること」の大切さを説いていたのが印象に残りました。

関係性と聞くと、人間と人間の間に生まれるものを想像しがちですが、これは人とキャラクターの間にも言えることなのかもしれません。

今シリーズのピーターは、アイアンマンないしアベンジャーズとの関わりもあり、自分の意志や選択を超えた力に突き動かされて「スパイダーマン」としての活動に取り組む必要性に駆られてきました。

つまり、今作のラストはピーターの物語の終わりなどではなく、むしろピーターが自分なりの「スパイダーマン」との関係性を見つけるための新たな人生の始まりなのです。

「ピーターパーカー」の人生があって、「スパイダーマン」というヒーローの物語がある。

彼のオリジンを描かずに始まったシリーズだからこそ、そのラストにオリジンを持ってくることで何者でもないピーターパーカーの新たな人生の門出を描くというはあまりにも完璧な構成だったように思います。

ここから「スパイダーマン」の、そして「ピーターパーカー」の物語がまた始まるんだ!



おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『スパイダーマン ノーウェイホーム』についてお話してきました。

ナガ
いろんな意味で一度きりの大技だし、逆転満塁サヨナラホームランみたいな作品だよね…。

個人的にMCU版「ホーム」シリーズはあまり好みではなかったんですよ。

理由はまさしくこの記事でも書いた通りで、物語そのものの主導権がMCUに握られていること、そしてピーターパーカーの主体性に乏しいことでした。

しかし、そのウィークポイントを『スパイダーマン ノーウェイホーム』は意図的なものであると言わんばかりに利用し、見事に3部作トータルで見た時に機能するストロングポイントへと変えてみせたのです。

また、公開前から話題になっていた「マルチバース」が単なるMCUの都合ではなく、ピーターパーカーないしスパイダーマン自身の物語と構造的にリンクするものとして物語に持ち込まれていた点には唸りました。

「マルチバース」や往年のヴィランたちで客引きをしつつ、その軸にはあくまでもトム・ホランド演じるピーターパーカーの物語としての完結編を据えたことが本作が上手くいった最大の理由ではないでしょうか。

ナガ
今後、類似の映画を作ることすら叶わない、ヒーロー映画史に残る傑作だったと思います。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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