【ネタバレあり】『人間失格 太宰治と3人の女たち』感想・解説:太宰治が求めたのは聖母だった

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』についてお話していこうと思います。

ナガ
太宰治に関する正統な伝記映画と言って間違いない内容でしたね!

今回の映画は太宰治について詳しく知っている方にとっては幾分薄味に感じられるところはあるかもしれませんが、多くの太宰治を読んだことがないという人にとっても非常に見やすい入門編的位置づけになっていると思いました。

基本的には、史実や様々な人物の手記に忠実に作られた映画でして、ちょっとしたセリフにまでこだわって作っている印象を受けます。

強いて言うならば、『ヴィヨンの妻』『斜陽』『人間失格』の3作品については、読んだうえで鑑賞すると、作品の見え方が変わって来るとは思いますが、読まずとも十分に楽しめる内容です。

なぜこの3作品なのかと言うと端的にこういうことです。

  • 『ヴィヨンの妻』:妻の美知子をモデルにして完成させた作品
  • 『斜陽』太田静子の日記の大半を流用する形で完成させた太宰と静子をモチーフにした作品
  • 『人間失格』山崎富栄がいたからこそ書けた太宰の遺書的作品

このように今作のキーになる3人の女性が強く関係しているのが、この3つの作品だからです。

もちろん『斜陽』の中に山崎富栄と思われる女性が登場していたりもするので、今回の映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』を120%楽しみたいという方はぜひ予習してみてください。

さて、今回の記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『人間失格 太宰治と3人の女たち』

あらすじ

1946年に太宰治は妻子がありながら、自身に好意を寄せてくれていた太田静子と不倫関係になり、下曾我にある彼女の自宅にまで赴いてしまう。

太宰は手紙のやり取りなどから、彼女の文学的な才能を見出しており、彼女が密かに書いていたという日記に興味を持つ。

そして下曾我を訪れた際に、その日記を読み、彼女に共にこの日記と自分たちの物語を『斜陽』という作品にして世に送り出そうと提案する。

その一方で、彼は『ヴィヨンの妻』などの作品を執筆し、確実に文壇での存在感を強めていく。

しかし、太田静子との間に子供ができてしまうという不測の事態が起こる。

かくして、『斜陽』という作品は太宰治の作品として世に送り出されることとなる。

また、彼は自分の執筆には欠かせない人物だったとして静子に敬意を払い、不倫関係の最中にできた子供を認知し、名前をつけ、そして養育費を支払うことにも同意する。

『斜陽』は若い世代にも受け、爆発的なヒットを記録するが、文壇からは高い評価を得ることができなかった。

そこで太宰は自分自身の物語でかつ「傑作」を書かなければならないと思い至り、かねてより構想していた『人間失格』という作品を完成させようと執筆を始める。

しかし、彼はたばこと酒と荒んだ生活のために、患っていた結核を急激に悪化させており、余命が残りわずかであることを告げられていた。

そんな時に、彼の前に現れたのが、山崎富栄という女性だった。

彼女は、献身的に太宰の執筆を支えるのだったが、強く死の臭いがする女性でもあった。

 

スタッフ・キャスト

スタッフ
  • 監督:蜷川実花
  • 脚本:早船歌江子
  • 撮影:近藤龍人
  • 照明:藤井勇
  • 美術:Enzo
  • 編集:森下博昭
  • 音楽:三宅純
ナガ
蜷川実花監督作品としてはかなり薄味な印象でした・・・。

原色を映像の中にふんだんにあしらい、強烈なコントラストの映像で見る者を魅了する蜷川実花監督の映画作品ですが、今回の『人間失格 太宰治と3人の女たち』は、その点ではかなり控えめな内容でした。

今年の夏に公開された『ダイナー』ほど映像に強烈なインパクトがあるということもなく、『ヘルタースケルター』ほどのセクシズムを感じることもなく、普通に見やすい伝記映画になっていました。

ナガ
そのため悪くはないんですが、それほど心に深く刻まれることもないという何とも言えない出来なのが・・・。

脚本には『紙の月』でも知られる早船歌江子さんが抜擢されています。

王道の伝記映画ではあるんですが、ちょっとした太宰作品の組み込み方や、細かなセリフへのこだわりなど、かなり緻密に考証をしたうえで書き上げた脚本なんだと、作品を見ていて伝わってきました。

今作の脚本については称賛に値すると思っています。

そして注目なのが、撮影に起用されている近藤龍人さんですよね。

今、邦画界で撮影のトップランナーが彼であることは間違いないと思いますし、近年も『万引き家族』をはじめとした是枝監督作品の撮影を担当し、評価を高めています。

今回の『人間失格 太宰治と3人の女たち』は、とにかく小栗旬さんを初めとする役者の魅力を余すところなく映像に詰め込んだところに凄みを感じさせるんですが、それはひとえに撮影監督の彼の尽力あってのものでしょう。

その他にも蜷川実花監督作品ではお馴染みのスタッフが集結していますね。

キャスト
  • 太宰治:小栗旬
  • 津島美知子:宮沢りえ
  • 山崎富栄:二階堂ふみ
  • 太田静子:沢尻エリカ
  • 佐倉潤一:成田凌
  • 太田薫:千葉雄大
  • 三島由紀夫:高良健吾
  • 坂口安吾:藤原竜也
ナガ
まさに超豪華キャスト集結って感じですね!!

何と言っても本作で主人公の太宰治を演じた小栗旬さんはもう本当に憑依させたかのような演技を見せますよね。

表情やちょっとした動作に至るまで何かに憑かれたかのように狂っていて、それでいて女性に対する純粋なまなざしだけは健在なんです。

そして彼を取り巻く3人の女性陣ですが、なぜか二階堂ふみさんは脱ぐのに、沢尻エリカさんは脱がないという・・・。

演技としてましては、やはり宮沢りえが圧倒的で、夫のために自分を犠牲にする献身的な妻でありながらも、時折太宰がいないときに歯を食いしばるように泣く姿が印象的でした。

メインどころ以外で行くと、高良健吾さん演じる三島由紀夫は素晴らしかったと思います。

より詳しい情報を知りたいという方は、映画comもチェックしてみてください!

ナガ
ぜひぜひ劇場でご覧ください!!



『人間失格 太宰治と3人の女たち』感想・解説(ネタバレあり)

キャスト陣の魅力が炸裂した映像美

(C)2019「人間失格」製作委員会

蜷川実花監督作品で注目するのは、やはりその映像ですよね。

今回もいつものように赤を基調にした原色をふんだんにあしらった世界観は健在で、冒頭から赤い彼岸花が咲き誇る美しい風景の中で幸せな太宰一家が歩いていくシーンが印象的でした。

ナガ
ただ何と言っても今作の魅力はそのキャスト陣の120%を映像の中に閉じ込めたことですよね!

その中でも圧倒的な存在感を放っていたのが、小栗旬さんですよね。

太宰治って言ってしまえば、「子供」みたいな人格を持っていて、とにかく聖母的に自分を支えてくれて、すべてを受け入れてくれるような女性を求めているんです。

それは本作の劇中にしきりに聖母マリアが登場したことでも仄めかされているんですが、彼の小説を読んでみると、それが嫌と言うほどに伝わってきます。

ナガ
とりわけ『ヴィヨンの妻』には彼が求める女性像が如実に反映されているよね!

太宰治は女性に対して「純潔」を強く求めたと言います。

それは『ヴィヨンの妻』にも投影されていますし、当然のように『人間失格』にも投影されています。

これはやはり、彼が最初に心中しようとした女性に、死に際に他の男の名前を呼ばれたことや、最初の妻が不倫をし、他の男性と一緒に暮らそうとしたことなどが深く影響しているのだと思います。

彼は女性に言い寄られることはしばしばだったと思われますが、幾度となく痛い目を見てきました。

嘘をつかれていたり、何らかの思惑を持って近づかれたり、さらには不貞行為で他の男と関係を結ばれたりと、とにかく女性というものから常に裏切られてきたのです。

それでもなお、太宰治『ヴィヨンの妻』に描かれた女性のような「聖母」的な女性を描くことを止めませんでした。

この作品の最後の一節なんて、心の底から女性のことを愛していないと、女性の聖母性を信じていないと書けない言葉だと思います。

私は格別うれしくもなく、

「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。」

と言いました。

(『ヴィヨンの妻』)

この作品は徹底的に、妻の一人称で語られる小説です。

このことからも太宰治という男が、他の男に襲われながらも、そのことを1人で抱え込み、自分にだけは優しく献身的に接してくれる聖母性を女性の中に見出そうとしていたことは明らかです。

彼は山崎富栄に愛を囁く際に、自分のことを「キリスト」だと言っていたとされますが、そう思うと、彼は本当に本作にも登場する聖母画のように聖母マリアに抱かれるイエス・キリストになりたかったのかもしれません。

この映画を見て多くの人が「太宰はやっぱりクズ」だと感じることと思いますが、彼の女性へのまなざしはむしろ純粋なんですよ。

彼自身はすごく弱くて、脆いので、それ故に自分を包み込んで、純粋な気持ちで支えてくれるような聖母を世の女性の中に探し求めていたのでしょう。

女性に裏切られる経験をしながらも、それほどまでに女性というものを信じようとし、すがろうとした太宰治という男は、心の底から女性というものを愛していたのです。

今回小栗旬さんが太宰を演じたことで、そういう彼の女性に対する思いの純粋さがきちんと映像に反映されていたと感じました。

例えば、妻の美知子が彼に対して、傑作を書くために家族を壊しなさいと告げるシーンがありました。

このシーンで涙を流している小栗旬さん演じる太宰治の表情が非常に素晴らしかったと思います。

彼はこの時、自分のことを犠牲にしてでも「傑作」を書けと言ってくれている妻の中に聖母を見たのだと思いますし、そんな理想を妻の中に見たからこそ、涙が止まらなくなったのだと思います。

小栗旬さんが見せたのは、「人間失格」な太宰というよりは、子供な自分を受け入れて抱きしめてくれる存在を求める弱々しい太宰だったと思います。

また逆に純粋な恋愛感情を表に纏いながらその裏で何かを企んでいる太宰のいうところの「鉄面皮」を被った女性こそが沢尻エリカさん演じる静子でした。

静子は純粋に彼に恋心を抱く素振りを見せてはいるのですが、その一方で子種が欲しいと言ってみたり、あわよくばかつて自分が挫折した文学者になるという夢をもう一度・・・といった思惑をちらつかせていました。

太宰が彼女に小説の著者に連名で自分の名前を掲載するように求められた際に激高したのは、そういう「鉄面皮」の裏側が見えるようになってきたからです。

沢尻エリカさんはそんな内心に強い野望を持ちながらも、恋心の皮を被り、太宰治に好意を向ける静子という女性を見事に演じ切っていたと思います。

こういったキャスト陣の圧倒的な演技を見事に映像の中に落とし込み、太宰や彼を取り巻く女性の微妙な感情を映像だけで表現しきっていたのは圧巻でした。

 

本編中で分かりにくかったと思われるいくつかの描写

今回の映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』は、基本的には史実ベースできちんと説明も加えてくれているんですが、いくつかサラッと流されてしまった部分もあります。

ですので、その辺りについていくつか解説を加えておこうと思います。

 

冒頭の女性との入水自殺シーン

本作の1番最初のシーンは、太宰が1人の女性と手に赤い紐を結び、入水自殺しようとするところです。

この出来事は実際にあったことで、とりわけその後の彼の女性に対する視線に大きな影響を与えたと言われています。

その女性というのは、田部あつみという方でした。

この女性との心中については、『虚構の春』『葉』『道化の華』など様々な作品で触れられています。

満月の宵。光っては崩れ、うねっては崩れ、逆巻き、のた打つ浪のなかで互いに離れまいとつないだ手を苦しまぎれに俺がわざと振り切ったとき女は忽ち浪に呑まれて、たかく名を呼んだ。俺の名ではなかった。

(『葉』より引用)

太宰にとって心中という行為は、ある種の究極の愛だったと思うんですが、その場面に際して相手の女性が自分ではなく、夫の名前を叫んだという事実は大きな悲しみを生んだのだと推察します。

こうして田部あつみは絶命し、彼だけが生き残ることとなったわけです。

 

太宰治の長男正樹について

本作に登場した津島家の長男、正樹は少し普通ではない様子でしたよね。

というのも、正樹はダウン症を患っていたとされているんです。

『ヴィヨンの妻』『桜桃』などの作品の中でも、彼についての記述があります。

しかし、四歳の長男は、痩せこけていて、まだ立てない。言葉は、アアとかダアとか言うきりで一語も話せず、また人の言葉を聞きわける事も出来ない。這って歩いていて、ウンコもオシッコも教えない。それでいて、ごはんは実にたくさん食べる。けれども、いつも痩せて小さく、髪の毛も薄く、少しも成長しない。

父も母も、この長男について、深く話し合うことを避ける。白痴、唖おし、……それを一言でも口に出して言って、二人で肯定し合うのは、あまりに悲惨だからである。母は時々、この子を固く抱きしめる。父はしばしば発作的に、この子を抱いて川に飛び込み死んでしまいたく思う。

(『桜桃』)

彼が発達障害を抱えて生まれてきたとき、太宰治は自分が荒れた生活をしていたツケが返ってきてしまったと、自身の行動を深く恥じたと言われています。

だからこそ自分が酒を飲み、遊び呆けている最中に、妻が必死にそんな息子の面倒をみてくれているということに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったのです。

 

太宰治の税金問題について

太宰治は元々育ちが良く、金銭感覚に疎かったと言われています。

本作『人間失格 太宰治と3人の女たち』の劇中でも酒を飲み歩き、かなり羽振りの良い様子を見せていましたが、基本的には浪費家で、特に『斜陽』のヒットでそれに拍車をかけました。

そして当然、『斜陽』が大ヒットして収入が増えたことで、所得税の金額も大幅に上がることになるわけですが、彼は税金のことに疎く、所得金額を申告しなかったのです。

それにより、とんでもない額の課税を吹っ掛けられることとなります。

所得額を二十一万円と決定したという通知書と、それにかかる所得税額十一万七千余円、納期限三月二十五日限という告知書が届いたのである。二十一万の所得に対して半分以上の税額とはひどいが、申告しなかったために出た数字であろうか。

(津島美知子『回想の太宰治』)

この時代は、公務員の初任給が540円であり、1万円あれば1年間は豊かな生活ができるとまで言われていた頃なので、この税額の凄まじさが伺えます。

本作の劇中で、彼が納税通知書を見て、号泣するシーンがありましたが、あれも完全に実話のようです(笑)

タバコと酒で他の人よりも多く税金を払っている自分がなぜこれだけの税金を払わなければならないんだというようなことも言っていたりもしたんだとか。

ただ結局、この税金関係の処理をする羽目になったのは、妻の美知子でして、彼女が税務署を訪れて、明細書を書いたりなどしている間に、太宰静子に子供を産ませたりしていたわけですから、とんでもないですね。

 

静子の『斜陽日記』について

本作のエンドロール付近で、静子『斜陽日記』という書籍を出版する運びになったことが仄めかされるシーンがありました。

これは言わば、彼女自身がかつて文学者として大成することを夢見ていたからこそ、どうしても自分の名前を世に知らしめたかったが故に出版されたある種の暴露本です。

太宰の死後、彼女は太宰の名誉を傷つけるような行動を取らないように誓約書を書かされ、さらには『斜陽』の印税の一部を手渡されることとなるのです。

ただ、静子は何とかして文学者としての名誉が欲しくなり、その制約を破って『斜陽日記』という言わば「これが『斜陽』のオリジナル版だ!」とも言うべき本を出版します。

当時は、大スキャンダルであり、静子が書いた方が「死人に口なし」ということで捏造されたものだというバッシングも多かったようですが、現在は太宰が彼女の日記に多大な影響を受けていたことが分かっています。

 

山崎富栄のノート

この映画の中で太宰治山崎富栄の書いた日記を読んでいるシーンがありました。

実は、彼は女性からの手紙や女性の日記をベースにした作品を多く世に送り出しているんです。

『女生徒』『パンドラの匣』『トカトントン』と言った作品が手紙をベースにした文学に当たり、『斜陽』静子の日記を基にした作品です。

何とも面白いのが、彼は山崎富栄を愛してはいましたが、静子のように文学的な才能を見出していたわけではありませんでした。

先生の心なんかわからない。

わかるもんか!

馬鹿。わかるもんか!

頭が混沌としてしまって空廻りだ。

女。唯それだけのもの。飽和状態の私。

(山崎富栄『太宰治との愛と死のノート』)

劇中で富栄の日記を読んでいる、太宰がピンと来ていない表情をしていたのはこのように彼女には文学的才能はなかったからなんですね。

彼女は言わば「看護婦」的な立ち位置の人間で、貯金していた20万円ほどのお金を太宰の看病に充ててくれたのです。

奮発して毛ガニを購入するシーンなどがありましたが、これも全て彼女が自分の貯金を切り崩して購入していたものだったというわけです。

ちなみに太宰が彼女を口説く際に「死ぬ気で恋愛してみないか?」「君は僕を好きだよ。」と囁いたのは事実だそうで、さらには自分のことをキリストだなんて言っていたんだとか(笑)



赦しを求めていた太宰治とラストシーンの意味

(C)2019「人間失格」製作委員会

映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』では、心中に積極的だったのは富栄の方だったというようなニュアンスで描かれていたように思います。

ただ彼女は心中する前の月まで太宰の子供が欲しいと言っていたわけで、むしろ生きる気持ちは持っていたのではないかということが推察されるのです。

どうしても子供を産みたい。欲しい。

きっと産んでみせる。貴方と私の子供を。

(山崎富栄『太宰治との愛と死のノート』)

こういうことを言っているからこそ、富栄静子が子供の認知を申し出てきたときに、大きなショックを受けたのだと思います。

そして自分が太宰にとって唯一無二の存在になるためには、彼の心中に付き合うほかないと悟っていたのかもしれません。

太宰治という人物は、常に罪の意識のようなものを背負っていたようにも思えます。

長男がダウン症のような症状を抱えて生まれてきたことや自分が肺疾患のために戦争に行かずに済み、その代わりに多くの友人が犠牲になったことなども含め、多くのことに罪の意識を感じているようでした。

だからこそキリストや聖母マリアと言った存在に強く惹かれていた彼は、「死」というものに救いを求め、さらには女性との心中に本物の愛を見ていたような気がします。

『パンドラの匣』という作品においてはこんなことを語っています。

よいものだと思った。人間は死に依って完成せられる。生きているうちは、みんな未完成だ。虫や小鳥は、生きてうごいているうちは完璧だが、死んだとたんに、ただの死骸だ。完成も未完成もない、ただの無に帰する。人間はそれに較べると、まるで逆である。人間は、死んでから一ばん人間らしくなる、というパラドックスも成立するようだ。

(『パンドラの匣』)

まさに「死」に強烈に惹かれる太宰の心情が反映されているようにも思えます。

一方で、聖母マリア的な女性を求め、富栄に対して自分はキリストなんだとまで言った太宰は、自分が死ぬことでその罪が赦されると考えるようになっていたのではないだろうか。

今作にも登場した『ヴィヨンの妻』ではこんな言葉が最後に綴られています。

私は格別うれしくもなく、

「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」

と言いました。

(『ヴィヨンの妻』)

先ほども申し上げたように、本作は妻の一人称で語られる作品なのですが、まさに妻が自分のことを肯定し、赦してくれるという一節を最後に書いているのです。

まさに強烈に自分の罪の意識を拭い去ってくれる、赦してくれる存在を求めているような、そんな叫びが感じられますよね。

そして、今回の映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』の最後に完成する彼の最高傑作である『人間失格』はこんな言葉で締めくくられます。

何気なさそうに、そう言った。

「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」

(『人間失格』)

様々な解釈があるこの作品ではあるんですが、私はこの最後の一節は何とも慈愛に満ちていて、優しい印象を受けるのです。

主人公の葉ちゃんが太宰自身の投影であることは間違いないのですが、彼は作品の中で自分を投影したキャラクターに「赦し」を与えようとしているようにも見えます。

そうでなければ「神様みたいないい子」なんて表現は出てこないでしょう。

本作が富栄との心中を決めた後に書かれた遺書的な位置づけであったことを考えても、生きている間に様々な罪の意識を背負った男がそんな「人間失格」な人生を自分で肯定し赦そうとしたというのが本音であっても驚きはありません。

そして注目すべきは、やはり今回の映画のラストシーンですよね。

劇中にも登場した坂口安吾が『不良少年とキリスト』という自身の作品の中で太宰の死について書いていて、そこにこんな一節があります。

太宰の遺書は、書体も文章も体をなしておらず、途方もない御酩酊に相違なく、これが自殺でなければ、アレ、ゆうべは、あんなことをやったか、と、フツカヨイの赤面逆上があるところだが、自殺とあっては、翌朝、目がさめないから、ダメである。

(『不良少年とキリスト』)

そう考えると、何だか面白くて、太宰は酔って眠っていただけで、水の中で酔いがさめて、ハタと目を覚まして生還するというそんなルートがあったのかもしれません。

ただ一方で、今作は徹底的に聖母画のイメージをインサートしてきていたので、やはり意識していたのは「キリストの復活」でしょうね。

太宰が自分の罪を背負って死に、そして「赦され」この世に復活したという風に解釈するのが、面白いのかもしれません。

そう思うと、この映画のラストもまた彼自身の著した『人間失格』同様に「太宰治」という人物に「赦し」を与えようとしていたのかもしれません。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』についてお話してきました。

本作はやはりキャストが素晴らしくて、その中でも圧倒的だったのは宮沢りえさんでしょうね。

死に向かって行く夫をけしかけ、何とかして彼の人生を代表するような傑作を書かせようとした悲壮な決意には血気迫るものがありました。

あまり蜷川監督らしさが前面に押し出されていた作品とは感じませんでしたが、その分見やすくなっており、脚本も太宰治入門編としてはかなり作りこまれていて好印象です。

もちろん太宰治の大ファンの方からすれば、「もうちょっとここは・・・」という点は多々あるとは思うのですが、この映画が作られたこと自体が感慨深いものはあると思います。

この映画をきっかけに多くの人が彼の小説を読んでくれると嬉しいです。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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