【ネタバレあり】『ロケットマン』感想・解説:「回想」が可能にした実話ベースのファンタジー!

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『ロケットマン』についてお話していこうと思います。

ナガ
昨年の『ボヘミアンラプソディ』に続いて大物ミュージシャンの自伝映画が公開だね!

今作のメインキャラクターとなったのが世界的ロックスターのエルトン・ジョンですね。

最近は表立った活動をあまりしていないので、日本では知名度がかなり下がってきているんじゃないかとは思います。

私も一番最近姿を見たのは、『キングスマン ゴールデンサークル』で敵の基地でピアノを弾きながら暴れまわっていたエルトンですね(笑)

あと、これが意外と知られていないんですが、現在公開中の『ライオンキング』のサントラを手掛けたのは、他でもないエルトンです。

このサントラの作曲活動は、彼のキャリアでも比較的後半に当たるんですが、アカデミー賞歌曲賞を受賞するなど非常に高い評価を獲得しています。

そんな彼の人生は栄光だけではなく、同性愛、買い物依存症、アルコール依存症、処方薬依存症、ドラッグ依存症、セックス依存症など様々な暗い影の部分を孕んでいます。

今回は彼のサクセスストーリーであると共に、その深い影の部分と彼がどう向き合ってきたのかという物語にもなっています。

では早速そんな『ロケットマン』について余すところなく語っていきたいと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『ロケットマン』

あらすじ

イギリス郊外の町で生まれた少年レジナルド(レジー)・ドワイトは空軍に勤めていた父が家庭に持ち込んだ軍隊式の教育に覚えていた。

両親からの愛を感じることなく育った彼だが、空軍でトランペット奏者としても活躍した父スタンリー譲りの音楽の才能に恵まれており、祖母の計らいでピアノのレッスンを受け始めた。

そして彼が15歳の時に両親が離婚してしまい、代わりにフレッドという男が一緒に暮らすようになる。

フレッドに音楽的才能を見出されたレジーは、彼の計らいでホテルのラウンジで週末の夜だけアルバイトで演奏することとなった。

その後、ブルーソロジーというバンドを結成し、そこで徐々に活躍の場を広げていくが、レジーは、自分で自由に音楽活動がしたいと望むようになり、偶然『ニューミュージカルエクスプレス』紙の広告を目にし、オーディションに向かう。

オーディションでは合格できなかったが、その時に作詞家バーニー・トーピンと運命的な出会いを果たす。

2人は文字通り「コーヒー1杯」のうちに意気投合し、コンビを組むことになった。

2人で楽曲制作活動を続けるうちに、レコード会社のDJMから専属契約を申し出られ、2人はソングライターとして生計を立てるようになる。

そして、いよいよレジーは、「エルトン・ジョン」という歌い手として世に出ることとなる。

それは、栄光の始まりでもあり、同時に辛く苦しい人生の幕開けでもあった。

 

スタッフ・キャスト

スタッフ
  • 監督:デクスター・フレッチャー
  • 製作総指揮:エルトン・ジョンクローディア・ボーン
  • 脚本:リー・ホール
  • 撮影:ジョージ・リッチモンド
  • 編集:クリス・ディケンズ
  • 音楽:マシュー・マージソン
ナガ
『ボヘミアンラプソディ』の監督の最新作がいよいよ公開だ!

昨年、日本でも大ヒットした映画『ボヘミアンラプソディ』ですが、監督にはブライアン・シンガーがクレジットされています。

しかし、ブライアン・シンガーは撮影途中で監督を降板させられていて、結果的にその後を引き継いだのが今作の監督でもあるデクスター・フレッチャーだったのです。

名匠の後を引き継ぎ、あれほど見事な映画を世に送り出したという点でも、やはりその才能に疑いの余地はないでしょう。

脚本には来年公開の『キャッツ』の映画版の脚本を任され、劇作家としても活躍しているリー・ホールが起用されました。

ミュージカルやオペラの脚本も手掛けている作家であるという点で、『ロケットマン』のミュージカルチックな作品を作り上げる上ではキーマンになっていたと思います。

撮影・音楽にはそれぞれ『キングスマン』シリーズでおなじみのジョージ・リッチモンドマシュー・マージソンが参加しました。

編集には『レ・ミゼラブル』の映画版などミュージカル映画に定評があるクリス・ディケンズが加わりました。

また、製作にエルトン・ジョン自身がクレジットされていますが、彼も撮影現場にやって来て、作品に対してアドバイスをするなどしていたことがメイキングから伺えます。

キャスト
  • エルトン・ジョン:タロン・エガートン
  • バーニー・トーピン:ジェイミー・ベル
  • シーラ・アイリーン:ブライス・ダラス・ハワード
  • ジョン・リード: リチャード・マッデン
  • ウィルソン:ジェイソン・ペニークック
  • レイ・ウィリアムズ:チャーリー・ロウ
  • アイヴィ:ジェマ・ジョーンズ
  • スタンリー:スティーヴン・マッキントッシュ
ナガ
タロン・エガートンは口パクじゃなくて実際に歌っているみたいだね!

昨年大ヒットした『ボヘミアンラプソディ』では、主演のラミ・マレックの口パクにフレディの実際の歌声を重ねるという手法を取りました。

一方で今作『ロケットマン』ではタロン・エガートンが実際に歌っています。

ナガ
この動画を見れば、彼の歌声が本物であることが分かります!

エルトンの盟友であるバーニー・トーピン役には、『ファンタスティックフォー』『スノーピアサー』などで知られるジェイミー・ベルが起用されました。

『ボヘミアンラプソディ』にも登場した敏腕ながらお金に強欲なマネージャー、ジョン・リード役には実写版『シンデレラ』の王子様役でも知られるリチャード・マッデンが加わりました。

より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!!

ナガ
ぜひぜひ劇場でご覧ください!!



『ロケットマン』感想・解説(ネタバレあり)

事実や史実との違い

   

(C)2018 Paramount Pictures. All rights reserved.

『ボヘミアンラプソディ』が公開された時も、フレディ・マーキュリーの人生の時系列がかなり映画向けに入れ替えられていて、その点が話題になっていました。

今回の『ロケットマン』についても、製作にエルトン・ジョン本人が携わりながら時系列や微妙な描写については改変しつつ映画として完成させています。

一番わかりやすいところで言うと、本作のラストは完全に時系列が入れ替えられていますね。

エルトンがアルコール依存症やコカイン依存症を断ち切るために、シカゴのパークサイド・ルター病院に入院したのは、1991年の初めごろでした。

一方で、ラストでPVが流れた『I’m Still Standing』は1983年に発売された 「Too Low for Zero」に収録されていた楽曲で、MVを撮影したのは、ビデオ全盛の当時にエルトンが販促用に目をつけたためでした。

ただ厚生施設からの独白という構造で物語を展開していくことと、ラストで彼の復活を印象付ける曲を採用したかったということでこのあたりは映画として「嘘」をついていますね。

もちろん映画は史実通りに必ずしも作る必要はないわけで、本作はその辺りで史実ベースのファンタジーといったところでしょう。

他にも挙げていくと、バーニー・トーピンが休暇を申し出て、エルトンがその間に必死に音楽業界の第一線で足掻き続けたという描写がありました。

2人が過労とプレッシャーから逃れようとして、一度コンビを解消したのが1976年の出来事とされていて、1983年の「トゥー・ロー・フォー・ゼロ」でコンビ復活という形を取りました。

つまりパークサイド・ルター病院での出来事が1991年なので、ここも時系列的にはイマイチ繋がっていないような気はします。

映画の演出的に、1991年のパークサイド・ルター病院での治療中のエルトンに1976~1983年ごろまで距離を置いていたバーニー・トーピンが1983年発表の『I’m Still Standing』を手渡して作曲させているという流れになっているので、ここは映画として1つの物語を作るために改変してあります。

新しい方から辿っていくと、エルトンリナートの結婚についてはかなりざっくりと描かれていた印象ですね。

2人が結婚したのは、1984年なので、これがそもそも『I’m Still Standing』のリリースよりも後です。

そして2人の結婚は、『ロケットマン』の中だとすぐに破局に至ったかのような描かれ方ですが、実は3年続いています。

さらに言うと、2人が離婚に至った経緯も映画だと「同性愛者であることが彼女に伝わってしまったから」のような描かれ方をしていますが、それは事実ベースで言うとありえません。

というのもエルトンは1977年に「ローリングストーン」紙に自分がバイセクシャルであることを明かして、アメリカ中から誹謗中傷の嵐に晒されました。

2人の結婚は、それより後の出来事なので、バイセクシャルであることが原因で2人が別れるというのは、いささか考えにくいです。

離婚の原因としてしばしば指摘されるのは、当時イギリスのタブロイド紙「サン」が執拗にエルトンに対する誹謗中傷の記事を書き続け夫婦に計り知れない心労を与えていたということと、2人のライフスタイルが大きく異なっていたことという2つでしょうか。

ナガ
ちなみに後にエルトンが「サン」に対して名誉棄損訴訟を起こして、多額の賠償金を勝ち取っています!

あとは、トゥルバドゥーア・クラブでのアメリカファーストライブのシーンですね。これは1971年の出来事です。

まず、ファーストライブで、エルトンが歌い始めても最初の2曲くらいは観客のだれも見向きもしてくれなかったというのは比較的有名な話です。

ただその観客の様子を見た彼が、怒りを爆発させてそれを楽曲に乗せたことで観客が彼のパフォーマンスにくぎ付けになり、熱狂しました。

ここについては、ライブで彼が歌った楽曲も1973年に発売されたアルバムに収録の『Crocodile Rock』になっていましたね。

その後、『ボヘミアンラプソディ』にもあったように、彼の活躍のシーンが次々に流れていきます。

  • 1976年のキキ・ディーとのデュエット曲『Don’t go breaking my heart』
  • 1975年のドジャースタジアムでのピアノの上に絨毯を敷いて、そこに立つパフォーマンス

このあたりは映画の時系列は実際のものと逆になっていたりしますし、あとはエルトンの服装についてもかなり時系列的に見ると前後している様子が見受けられました。

その他、デビュー前の描写については、もう使われている楽曲と時系列が混線しているので、全く史実通りではありません。

 

これは自伝というよりもファンタジーだ!

今作『ロケットマン』エルトン自身が製作として参加しているからこそできたという側面もあると思いますが、かなり事実から改変が多く、どちらかと言うと事実をベースにしたファンタジーのようなテイストです。

それについては、この作品が1991年のパークサイド・ルター病院治療中の彼が自分の人生を振り返りながら語るという手法で展開されていることからも明らかでしょう。

つまり、今作『ロケットマン』というのは、あくまでも1991年のエルトンが過去を回想している、その頭の中を覗いているかのような映画であるわけです。

だからこそ、時系列が入れ替わっていたり、事実とは微妙に違った描写があったり、といった映画として施した改変も、それは彼が自分の中で思い出しながら語っているために起きた「齟齬」であるという説明がつくのです。

この手法は2017年公開の『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』の構成に非常に似ていますね。

あくまでも現在時間軸の自分が、今欲しい情報を自分の過去の中から引っ張り出しているのであって、それが故に出てくる情報は不正確でかるエルトン自身の解釈が入っています。

とりわけ自分がデビューした後に出した楽曲をデビュー前の時間軸で使用しているのも、その回想している主体が1991年のエルトンだからという一言で説明がつきます。

例えば、冒頭にまだ子供の頃のエルトンがラウンジで週末に演奏をしているシーンが登場しました。

この時に彼が歌ったのが、1973年に発表した『Saturday Night’s Alright for Fighting』でした。

『ロケットマン』の中では、この歌を週末の夜にラウンジでピアノに対してのエルトン自身の感情を歌ったかのように使用していますが、実際はもちろんそうではありません。

作詞家のバーニー・トーピンは、基本的にエルトンの人生を歌詞にすることが多いのですが、この曲の詞については彼自身の青年時代の経験をもとに書いています。

ただ、そういう時期をすべて経た1991年のエルトン自身の回想の中では、『Saturday Night’s Alright for Fighting』を自分がかつて週末にピアノを弾いて楽しんでいた時間のBGMにすることだって可能です。

こういった風に、彼自身の回想というストーリー構成を取ったことで、柔軟なストーリーテーリングを可能にしたという点がまず素晴らしいと個人的には思いました。



レジーとエルトンジョン

「エルトンジョン」という我々が知っている名前というのは、実は芸名でして、本名はレジナルド・ドワイトなんですよ。

劇中で彼が、自身の楽曲を持ち込むにあたって咄嗟に「江戸川コナン」式に「エルトンジョン」と名乗ったシーンがありますが、あれもおそらく微妙に事実とは異なります。

もともとこの名前は彼が所属していたバンド「ブルーソロジー」のメンバーだったエルトン・ディーンとロング・ジョン・ボルドリーの2人から取ったものです。

そして彼がこの名前を使用したのは、最初のオーディションではなく、彼がDJM社に作曲家として契約が決まった瞬間でもなく、彼がシンガーとしてデビューするにあたってつけた名前です。

彼は「レジナルド・ドワイト」というスター性を感じられない名前を捨てて、「エルトンジョン」として華々しくデビューしたのです。

クリス・チャールズワースがエルトンジョンについてこう述べています。

エルトンは内気な性格をかなぐり捨てて、派手な衣装を身にまとうようになった。星を散りばめたブーツ、ジャンプ・スーツ、特大の目だつ帽子。しだいに、あざやかな色や奇抜な形がはばをきかせるようになった。だが、なぜか、わざとらしさはなかった。エルトン自身が自分の仕事を楽しみ、その楽しみを聴衆にもつたえようとしているかのようだ。自分自身を笑いものにして、おもしろがっているようにも見える。

(クリス・チャールズワース『エルトンジョン』)

劇中でライブ前にエルトンが鏡の前で、奇抜な衣装を着て、奇抜なメガネを装着して必死に笑顔を作ろうとしている一幕がありました。

(C)2018 Paramount Pictures. All rights reserved.

これって「レジー」という純粋な少年が必死に「エルトンジョン」という道化の仮面をかぶろうと葛藤している様子にも見えます。

そして彼は完全に「エルトンジョン」になりきって、スターダムを一気に駆け上がったために、見る人にとってはそれが至極自然でそこに「わざとらしさ」のようなものが見えなかったということなのかもしれません。

ナガ
というよりも薬物やアルコールで必死に「レジー」の存在を掻き消そうとしていたのかもしれません・・・。

だからこそ彼が、レナートという女性に惹かれる決め手になった言葉が印象的です。

彼女は、エルトンが仮面をかぶって必死に「エルトンジョン」を演じようとしていたことを見抜いていて、それでいて純粋な「レジー」が持っている雰囲気やセンスに惹かれていたのです。

そしてパークサイド・ルター病院に向かう前のライブで、再び彼は自分の顔と鏡を前にして向き合うことになります。

この時の彼は、まさに「エルトンジョン」の仮面をかぶっていない、ありのままの「レジー」です。

彼はライブ会場から逃げ出し、そして自らの依存症を断ち切るべく入院することになります。

そこで彼は自分自身のこれまでの人生と向き合い、そして自分が確かに誰かに愛されていたんだと思い知り、そして幼少期の自分を抱きしめました。

このシーンはまさに「エルトンジョン」が「レジー」を抱きしめ、受け入れた瞬間を描いています。

彼はインタビューで自分がかつて父親に愛されず拒絶され続けてきた経験からくる寂しさや愛への渇望がドラッグへと走らせたんだと語っていました。

「父には、愛していると言われたことがない。抱きしめてもらえなかったし、演奏を観てもらったこともないんだ。」
「父にこう教え込まれていたんだ。愛には限りがあるとね。人前で愛情を示してはならない、プライベートな空間でもだ。そして息子が自分とは違うタイプの子なら、愛せない。言葉での愛情表現すら無しさ。」

エルトン・ジョン「亡き父に拒絶され飲酒とドラッグに走った」

つまり、彼の人生にとって愛されなかった幼少期、そして自分を受け入れてくれない家族の存在というのは、実に大きな影を落としているのです。

しかし、両親が死去し、母親とも何とか関係の改善に成功していた今だからこそ、彼は自分は確かに愛されていたんだと思うことができたのかもしれません。

(C)2018 Paramount Pictures. All rights reserved.

そんな愛されなかった自分の象徴ともいえる「レジー」という存在を必死に抱きしめて、受け入れようとするエルトンの姿にもう涙が止まりませんでしたね。

エルトンは1988年に『Reg Strikes Back』というアルバムをリリースしています。

これは「レジの逆襲」という意味のタイトルで、これまで押し殺してきた本当の自分を表に出していこうという彼自身の決意の表れでもありました。

その後、彼は「レジ」として生きるために、自分がこれまで買い物依存症であるが故に買い漁ってきた大量のコレクションをオークションで売却し、1991年に今作でも描かれたパークサイド・ルター病院へと繋がります。

そういうこれまでの自分を見直す中で、エンドロールにもあったエイズの人々を支援する活動にも取り組むようになりました。(きっかけはライアン・ホワイトという血友病の少年だが)

愛されたいと願うエゴが増大させたエゴのような存在ともいえる「エルトンジョン」。

しかし、自分が愛されていたと知り、そしてありのままの自分で愛されたいと願ったからこそ純粋な「レジー」を受け入れることができたのです。

エルトン・ジョンがスーパースターの座にのぼりつめたのは、かなりの音楽的才能とすさまじい野心を持っていたからです。その基礎は、劣等感に苛まれたレジナルド・ドワイト時代につちかわれました。レジナルド少年は、奇抜で、独創的で、けばけばしいエルトン・ジョンへと変貌し、精力的かつ情熱的にステージに襲いかかります。

(スーザンクリンプ・パトリシアバースタイン『エルトンジョンのさまざまなライブ』)

そして忘れてはいけないのが、劇中でもレナートバーニー・トーピンが口にしていたように「エルトンジョン」に才能があったのではなく、「レジー」にこそ才能があったのだという点です。

彼は「エルトンジョン」だからこそ自分は愛されていたのだと語っていましたし、実際に「レジナルド・ドワイト」という名前にはスター性のかけらもないと自ら言ってしまっていたりします。

ただ、彼は確かに「エルトンジョン」として世界中の人々に愛され、そして「レジー」としても同様に愛されていたのです。

そういう献辞を込めて、ラストシーンに『I’m Still Standing』を少し違った時系列と解釈で持ってきたのは非常に巧かったと思います。



エルトンとバーニー

やはり今作の素晴らしさはエルトンバーニーの関係性の描き方に集約されるように思います。

そもそもエルトン・ジョンの初期の楽曲は基本的にバーニーが作詞を担当しています。

そしてバーニーの詞はもちろん自身のことを綴ったものもありますが、その多くがエルトンのことを意識し、彼の人生について書いたものが非常に多いです。

『ロケットマン』の中で、バーニー自身のことについて歌っていた歌と言えば、その代表は『Tiny Dancer』でしょう。

この曲の歌詞は彼が初めてLAを訪れた際に、後に妻となるマキシン・フェイベルマンと出会った時の感激を綴ったとされています。

本作の中で、まさにバーニーマキシンと逢瀬を楽しんでいるシーンで、エルトンがこの楽曲を歌っているというシーンがあります。

当然これは、バーニーの物語のBGM 的に機能しているんですが、同時にこの歌がエルトンの「回想」の中で歌われているということにより、彼の孤独感を浮き上がらせる効果をも有しています。

そして、この2人の関係性を絶妙に生かしたのが、やはり本作の冒頭にあった『Your Song』のシーンでしょうね。

特に素晴らしかったのが、この歌詞が歌われているところです。

My gift is my song, and this one’s for you

(『Your Song』より引用)

ナガ
「僕に僕の歌をあげるよ、君だけに贈る歌なんだよ」みたいなニュアンスだね!

このシーンで「this one’s for you」のところをタロン・エガートン演じるエルトンが歌ったところで、彼はバーニーの方を見るんです。

(C)2018 Paramount Pictures. All rights reserved.

少し不安そうに、自分の作った歌の感触を確かめるような表情で見つめていますよね。

それに対してバーニーはこんな表情で彼に応えます。

(C)2018 Paramount Pictures. All rights reserved.

ナガ
笑顔ですね・・・!!

まさに2人の間に生涯続く信頼が生まれた瞬間を見事に描いたといえるでしょう。

また『Your Song』の歌詞がそこに共鳴して、2人がお互いのための歌を作ったんだという意味になり、エモさが増しますね。

ちなみにバーニーが書いた歌詞にエルトンが数分でメロディをつけることがあったというのは、どうやら実話だそうです。

2人が2段ベッドの上と下で寝ていて、上で寝ているバーニーが歌詞を下段で寝ているエルトンに渡して、それを見たエルトンがピアノの前に移動して、サラッと曲をつけたんだとか。

それにしても、このシーンは『ロケットマン』の中でも特に素晴らしかったと思います。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『ロケットマン』についてお話してきました。

『ボヘミアンラプソディ』の方はフレディ・マーキュリーが既に亡くなっていることもあり、もはや「神話」のような領域の格式と出来栄えだったのですが、逆に『ロケットマン』は「民話」のような親しみやすさがあったのが良かったですね。

自分はそれほどエルトン・ジョンについて詳しいというわけでもないのですが、すごく今作でタロン・エガートンが演じたエルトン像に惹かれましたし、魅力を感じました。

1人の孤独で、ただ愛を求めていた少年の純粋な物語であり、そしてそれに基づいて「喪失感」と「孤独感」を基に楽曲を再解釈していくという試みも面白かったですね。

時系列的には無理がある楽曲のチョイスを可能にした「回想」という手法も非常に巧かったと思います。

ナガ
公開前からサントラは聞きまくりだったんですが、映画を見てからヘビロテに拍車がかかっています(笑)

映画を見て、サントラを聞いて、そしてもう1回映画に行く。このループをしてしまいそうなほどに魅力的な映画です。

ぜひぜひ劇場でご覧ください!!

 

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