みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』についてお話していこうと思います。
もう結論から言いますね。
今回の映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』は、1998年公開の「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」を3DCGにしただけです。
ここまで全く同じものを「EVOLUTION」というタイトルと共に大々的に公開しようとする製作陣の意図が不明瞭すぎるんですよね。

まあそうと言えばそうなんですけどね。
だからと言って、その言い訳を盾にしてオリジナル版を3DCGで焼き直しただけの映画を大々的に公開するのは、いくら何でも手抜き過ぎると思うんですよ・・・。
言わば、今作映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』は「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」のクローンであって、「 誰が生めと頼んだ! 誰が造ってくれと願った・・・!」状態なのです。
はっきり言ってしまうと、今作に対する評価は0点というか、もはや採点不可の領域なのですが、映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』を見た後に、これを否定することはできません。
なぜなら、「ミュウツーの逆襲」のテーマって「いるんだからいるんだよ」という全ての存在を肯定する存在論なんですよね。
だからこそ映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』に対して、「こんなものはオリジナル版のコピーだ!存在しない方がいい!」なんてことは口が裂けても言えないわけですよ(笑)

オリジナル版のファンは特に、こういう言葉にならないジレンマを抱えながら帰途につくことになると思います。
ということで、映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』に関して今回の記事で書くことは、もはやほとんどありません。
ですので、本記事は「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」って何が凄かったのか?という話がメインになると思います。
作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』
あらすじ
フジ博士は遺跡でミュウのDNAを手に入れると、最強のポケモンを作るべく研究に没頭する。
かくしてミュウの遺伝子からミュウツーと呼ばれる最強のポケモンが作られるが、自身の存在理由に戸惑った彼は研究施設を破壊する。
そこにロケット団のボスであるサカキが現れ、彼をポケモンを捕獲するための兵器として活用するようになる。
兵器として人間に仕えることに絶望した彼は、自身の力を制御するアーマーを破壊し姿を消す。
その頃、ポケモンマスターを目指して旅をしていたサトシの下に1通の手紙が届けられる。
手紙には、ニューアイランド島で世界一のポケモンマスターと対戦する機会が与えられると書かれていた。
それを見たサトシはカスミ、タケシたちと共に島へと向かうことを決意した。
スタッフ・キャスト
- 監督:湯山邦彦&榊原幹典
- 原案:田尻智
- 脚本:首藤剛志

基本的に監督と脚本のコンビはオリジナル版と全く同じで、3DCGとして仕上げるにあたって榊原幹典さんが加わっているという状態です。
まあストーリーラインも何もかもが基本的にオリジナル版と同じなので、当然といえば当然です。
今作は、ポケモン映画の功労者である湯山邦彦監督へのご褒美みたいなものかな?とも思うんですが、それにしてもここまで「進化」がないとは驚きです。
- 松本梨香:サトシ
- 大谷育江:ピカチュウ
- 林原めぐみ:ムサシ
- 三木眞一郎:コジロウ
- 犬山イヌコ:ニャース
- 市村正親:ミュウツー
- 小林幸子:ボイジャー
- 山寺宏一:ミュウ
基本的にはオリジナル版と同じメンバーでしかも、ゲスト声優までもが同じですね。
やはり市村正親さんのミュウツーのボイスアクトは聞いていて痺れます。

小林幸子さんのボイジャーも懐かしすぎて、思わず泣きそうになりました。
オリジナル版を見たことがある人たちにとっては、とにかく懐かしい香りのする映画に仕上がっているように思います。
より詳しい作品情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!!

『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』感想・解説
オリジナル版から削除されたアイの存在
「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」より引用
基本的にこの記事の冒頭でも書いたように 『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』はオリジナル版とほとんど同じです。
しかし、その中でも改変された要素として特に目立つのがフジ博士の娘であるアイの存在でしょう。

オリジナル版では、冒頭のフジ博士の研究のシーンで、彼がDNAからクローンを作る研究に没頭した原因が描かれていました。
それが亡き娘のアイの存在でした。
ただ、この部分が『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』では描かれず、フジ博士の研究の動機は最強のポケモンを作ることとなっています。(これはオリジナル版の劇場公開版と同様)
一見すると、それほど重要ではない改変に思えるかもしれませんが、これは意外と大きな損失だったりします。
というのも本作のテーマは「いるんだからいるんだよ」という存在の肯定です。
そしてミュウツーが自身の存在について疑問を持ち、そしてそれを証明するために戦うまでの心情の変化には、このアイ(アイツー)の存在が強く関わってくるのです。
オリジナルのコピーとして生み出されたアイツーは生まれたばかりのミュウツーに様々なことを教えます。
とりわけ重要だったのは、彼女が「生きているって楽しいことだから」という言葉を最期に遺したことでしょう。
ミュウツーは「誰が産めと頼んだ、誰が作ってくれと願った」という言葉を冒頭に吐き捨てましたが、そんなことを言いながらも彼が生きることを諦められないのは、きっとアイツーのあの言葉があったからです。
また、アイツーは本作の終盤の「涙」の描写にも密接に関わるセリフを残しています。
「涙。生き物は体が痛いとき以外は涙を流さないって。悲しみで涙を流すのは人間だけだって。」
(『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』より引用)

そうなんです。この言葉って本当に重要で、ミュウツーがなぜ終盤にサトシのために涙を流すポケモンたちを見て、心変わりしたのかを明確にしています。
ミュウツーは、オリジナル版も、そしてクローンも同じようにサトシという1人の少年のために涙を流す姿を見て、アイツーの言葉を思い出し、そして心変わりします。
というよりもその涙を見て、コピーもオリジナルも同様にこの世界に存在している生き物だということを悟ったのです。
オリジナル版の完全版にて追加された要素だったので、『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』では無論追加されるものだと思っていたんですが、描かれることはありませんでしたね。
わざわざリメイクするなら、ここはきちんと描いておいて欲しかったですね。
ミュウツーが引き起こした自己の存在を巡る争い
この作品は脚本の首藤さんも意図されている通りで「自己存在とその証明」を1つの大きな主題に据えています。
ミュウツーは幻のポケモンであるミュウのコピーとして作られ、そして自分の存在に疑念を抱いています。
だからこそ自分の存在を証明するために、コピーがオリジナルよりも優れた存在であることを証明するために、ポケモントレーナーたちを集め、彼らのポケモンのコピーを作り、戦いを引き起こします。
つまり、彼らの中では優れたほうが生き残り、そして唯一無二の存在として自己の存在を確立することができるのだという思考になっているわけですね。
劇中でもジョーイさんの口からこんなセリフが出てきました。
「生き物は、同じ種類の生き物に、同じ縄張りを渡そうとはしません。相手を追い出すまで戦います、それが生き物です。」
(『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』より引用)
自分の居場所を守るために、彼らはそれを妨げる存在を徹底的に叩きます。

実はそうではありません。
劇中で常にぽわぽわとしていたミュウが突然ミュウツーに対する敵意をむき出しにするシーンがありました。
「本物は本物だ。技など使わずに体と体でぶつかれば、本物はコピーに負けない。」
(『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』より引用)
これはニャースがミュウの言葉を翻訳したセリフではあるんですが、これってまさしくオリジナルであるミュウがコピーに対する嫌悪感をむき出しにした瞬間です。
つまり『ミュウツーの逆襲』という作品は一方的にミュウツーを「悪」として描いているのではなくて、オリジナルであるポケモンたち側にも「非」を課しています。
その争いの果てに本作が見出す答えこそが「いるんだからいる」という存在論です。
争って、どちらが存在するにふさわしいのかを決めるまでもなく、オリジナルもコピーも同様に存在しているのだから存在しているのだという単純な結論を本作は提示します。

それは「コピー」が存在しているという記憶があれば、いつか必ず今回のような争いが起こってしまうからです。
コピーたちが「オリジナル」として自己存在を保ち続けるためには、彼らが「コピー」であるという事実が消えて、幻になってしまう必要があるわけですね。
だからこそミュウツーは自分が作り出したコピーたちの「自己存在」を保証するために、記憶を消去するという方法をとったわけです。
ニャースとピカチュウの行動
「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」より引用
本作の中でもとりわけ多くのファンの心を惹きつけたのは、ニャースとピカチュウのとった行動でしょう。

ニャースはコピーの自分と戦おうとして、爪を尖らせるのですが、これを相手に突き立てたら痛いだろうなあと想像してしまい、戦いを止めます。
ここに人間の言葉を話すことができ、人間に近い感情を持っているニャースだからこその「想像力」が内包されています。
彼は相手の痛みを「想像」することができるからこそ、争うことを止めるのです。
また次のセリフは非常に有名ですよね。
今夜の月は丸いだろうって?
そうだニャー。きっと満月だろニャー。
おみゃーこんな時にお月さまのことなんて、
風流で、哲学してるニャー。
(『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』より引用)
日本ならではの「わびさび」を感じさせるニャースの名言ですが、この風流を解する心こそが争いを止めさせるという描写が何とも憎いですね。
そして多くの人を号泣させたのが、ピカチュウのコピーに対する行動ですよね。
彼は、自分のコピーと戦うのではなく、無抵抗という姿勢を見せます。
ピカチュウの行動というのは、争うことに対する疑念と、誰かにこの戦いを止めて欲しいと願う叫びに裏打ちされています。
脚本の首藤さんがこれについて実に面白い見解を述べられていました。
自分が不確かゆえに、コピーへの反撃ができない。したくない。サトシのピカチュウがコピーのピカチュウに抵抗しないのは、サトシのピカチュウが持つ性格のやさしさだけではない。自己存在の不確かさもあるのだ。コピーのポケモンも、無抵抗なサトシのポケモンに不確かなものを感じる。
それは、自身の存在の不確かさでもある。「なぜ、戦ってくれないのか?」コピーのピカチュウは、何度も何度も、サトシのポケモンを殴る。しかし、サトシのピカチュウは応戦しない。ただ、殴られるままだ。
やがて、コピーのピカチュウは殴り続ける自己の不確かな存在が悲しくなってくる。不確かなものと不確かなものの戦いに意味があるのか?
(第179回 『ミュウツーの逆襲』クライマックスより引用)

不確かな自分の存在を証明するために相手を攻撃しているのに、攻撃すればするほどに自分の不確かさがかえって際立っていくような感触をコピーは感じています。
一方でサトシのピカチュウもまた自己の存在に確かさを見出すことができていないために「無抵抗」という姿勢に終始することしかできません。
だからこそ彼は心の底から叫んでいます。もはやこの争いを自分たちにはどうすることもできないと悟ったからです。
そしてそれを救うのがサトシという青年の1つの行動でした。
サトシという青年が孕む矛盾と未熟さ
もはや語ることが無くなったので、このあたりからはひたすらに『ミュウツーの逆襲』という作品の良さを改めて語っていくことになりそうです。
本作を一緒に見に行ったオリジナル版を見たことがない子が、サトシはポケモンバトルをして自分の夢を追いかけているのに、ミュウとミュウツーのバトルを止めに入るのは、行動として矛盾していると指摘していました。

サトシの行動は間違いなく矛盾していますし、そして彼の行動は「ポケットモンスター」というシリーズそのものに対する否定にも繋がりかねないものです。
それでも私は、彼のこの行動にはすごく意義があると思いました。
というのも『ポケットモンスター』の映画シリーズの最初の2作品は「サトシが幼く未熟な少年である」というポイントにすごく重点を置いています。
2作目の『ポケットモンスター ルギア爆誕』では、世界を救った彼の下に母親がやって来て、こんなセリフを投げかける一幕があります。
「世界を救う?命がけですること?サトシがいなくなったらサトシの世界はもうないの。私の息子はもういないの。あなたがいるから世界があるの。サトシ、あなたはこの世界で何をしたかったの?・・・(中略)・・・だったら無理せず、それ(ポケモンマスター)を目指しなさい。」
(『ポケットモンスター ルギア爆誕』より引用)
世界を救ったヒーローである彼を、本作では称賛せず、むしろ戒めるんですね。
サトシは今やシリーズも続き、かなり頼れる青年になってきているわけですが(歳は取っていませんが)、シリーズ初期の映画版ではむしろその「未熟さ」が際立っていました。
『ミュウツーの逆襲』でもまさしく、そんな彼の「未熟さ」と「幼さ」が印象的に描かれています。
この作品では、冒頭にわざわざサトシが楽しげにポケモンバトルをしているシーンを持ってきました。
冒頭のバトルシーンの意図は、まさしく終盤のオリジナルとコピーのポケモンたちの戦いと対比させるためです。
サトシはポケモントレーナーとしてポケモン同士で戦わせている人間の1人です。
そんな彼が、目の前でポケモンたちが戦い傷ついていく様を見せつけられるわけですが、彼にはそれを止める資格など本来はないはずです。
しかし、彼はそんな「自己矛盾」を意に介する素振りも見せず、ミュウとミュウツーの間に飛び込んでいきました。

その理由こそが彼が幼なかったからであり、未熟だったからというところにあります。
つまり彼は理屈で考えるよりも、今目の前で起きている出来事に対して直感的に「悲しい」ことであると感じ、そして本能のままに行動を起こしたのです。
脚本の首藤さんは自身の記事の中で、なぜサトシの矛盾に満ちた行動がミュウツーの心を動かせたのかについて以下のように言及しています。
サトシは子供であり、意識的に戦いを止めようとしたのかどうかも分からない。ミュウツーは、自分を作りだした人間を信じてはいない。ただ、サトシのような人間のいる希望は持てる。
彼は本作の冒頭で、サカキのように自分を利用し、争いを引き起こそうとする人間の存在に絶望しました。
しかし、終盤にサトシというあまりにも純粋で、それでいて真っ直ぐな「バトルを否定」しようとする行動に触れ、人間に希望を取り戻すことができたのです。
初期ポケモン映画シリーズのサトシの描き方には、実はテーマに通ずるすごく重要な意義があるんですね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』についてお話してきました。
正直に申し上げて、今作はオリジナル版のコピーなので、評価不可能です。というよりも今作単体で評価できるところが3DCGの映像以外にないので何とも言えません。
ただ今の世代の子供たちに『ミュウツーの逆襲』という素晴らしい作品を鑑賞する機会が与えられ、そしてそれを見て考えさせられる経験ができるというのは、非常に価値のあることだと思います。
そういう作品の意義もあるだけに、オリジナル版にこの上なく忠実に作ったことも否定できません。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。
アイのくだりは削除されたのではなくてミュウツーの逆襲が放映された当初は元々なかったですよ。
後に完全版として出たときに追加されていた部分になるのでオリジナル版に合わせての形という事なら何も間違えていないかと。
とんさんコメントありがとうございます。
一応完全版と書いてるつもりですが、語弊があったようで申し訳ありません。
完全版でわざわざアイツーのくだりを足したのに、リメイクではなくなっていたので、「完全版とは…」となった次第です。