【ネタバレあり】『プーと大人になった僕』感想・考察:クリストファーロビンが「自分」を肯定するまでの物語!

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はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『プーと大人になった僕』についてお話していこうと思います。

この記事はネタバレになる内容を含む感想と考察、解説記事になります。

そのため作品を未鑑賞の方はお気をつけくださいますようよろしくお願いいたします。

良かったら最後までお付き合いください。

 

『プーと大人になった僕』

あらすじ

10歳のクリストファーロビンは、寄宿学校に入学することとなり、プーやコブタたちと過ごした100エーカーの森から旅立たなければなりませんでした。

彼はプーに『何にもしないこと』の大切さを伝え、そしてお互いに絶対に忘れないことを誓って別れます。

そんな『プー横丁にたった家』のラストから10数年が経過して再びクリストファーロビンの物語が始まります。

クリストファーはイヴリンという女性と結婚しており、娘のマデリーンを自分の母校である寄宿学校に入学させようとしていました。

夏休みが終わる前の最後の休暇。彼は家族で彼の生まれ育ったサセックスのコテージに遊びに行く予定だったのですが、彼は勤め先の会社が危機に陥り、その対応に追われていました。

休日返上で働くことが決まり、コテージでの休暇にも参加できなくなったクリストファー。家族との亀裂。

そんな彼の前に突然プーが現れるのでした。

 

スタッフ・キャスト

監督を務めるのは、『007 慰めの報酬』『ワールドウォーZ』や『かごの中の瞳』などの作品で知られるマーク・フォスターですね。

これまでのフィルモグラフィーからは『プーと大人になった僕』のようなタイプの映画の監督を務めるイメージが湧かない印象はありますが、あまり冒険せずに小品として作り上げた作品という印象が強かったです。

そしてやはり今作において注目なのが脚本を担当したトム・マッカーシーですね。2016年に公開された映画『スポットライト』にて彼はアカデミー賞作品賞と脚本賞を受賞しました。彼が加わっていたこともあってか、本作の脚本も非常に安定していたと思います。

また本作で注目したいのは、プーたちの「ぬいぐるみ感」ですよね。これ実は本当にぬいぐるみを使って撮影しているんですよ。アニメイテッド・エキストラズの「クリーチャー・ビジュアル・エフェクト・チーム」がぬいぐるみを作成して、それを使って撮影を敢行したんですね。

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最近はCG合成で作られる映画がほとんどなんですが、クリストファーロビンとテディベアのぬいぐるみから始まった物語である『クマのプーさん』を実写化するに当たって、本来のぬいぐるみらしい質感を大切にしようとしたのも素晴らしかったと思います。

またキャスト陣も目の前にぬいぐるみがある状態で演技をしたことで、プーやコブタたちとクリストファー一家の会話の掛け合いも生き生きとしていて、非常に良い空気感が作品を通底していました。

クリストファーロビン役を務めたのは『スターウォーズ』シリーズなどでお馴染みのユアン・マクレガーですね。

『人生はビギナーズ』を見た時に、「苦悩する中年」役が彼以上に似合う俳優はいないんじゃないか?と思ったんですが、私の眼に狂いはありませんでした。

そしてクリストファーの妻イブリン役を務めたのが、MCUドラマシリーズの『エージェントカーター』でお馴染みのヘイリー・アトウェルです。

『プーと大人になった僕』ではお世辞にも出番が多いとは言えないイブリンを演じたのですが、少ない出番の中でしっかりと存在感を発揮していて印象に残りました。

ナガ
ぜひぜひ劇場でご覧ください!!

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大人にもそして子供にも見て欲しい映画

『クマのプーさん』には関連書籍が4冊あり、それらは当時の児童向け作品の歴史を塗り替える異例の大ヒットとなっていました。

しかし、子供だけに親しまれていたのでは、今日の全世界的な名声はあり得なかったと言えるでしょう。

『クマのプーさん』シリーズがここまで受け入れられ、有名になったのは、大人にも子供にも読み親しまれたからです。

子供たちはきっとプーとクリストファーロビンにそれぞれ「今の自分」と「将来なりたい自分」を見出していたんだと思います。プーは「おつむの小さい」などと言われていますが、あまり後先考えずに行動してしまうのんびり屋です。

一方でクリストファーロビンは、そんなプーの仲間たちが起こしたトラブルに駆け付け、必ず解決してくれます。一方で大人たちはこの物語を読みながら、自分の過去を思い出していたことでしょう。

こういった子供が自分の将来を思い浮かべながら読むことができ、一方で大人は自分の過去を振り返りながら読むことが着るという双方向性と普遍性が『クマのプーさん』があらゆる世代に受け入れられた魅力ということができるのです。

そして今回の映画『プーと大人になった僕』は「現在」の時間軸がクリストファーロビンの成長に伴って子供から大人へとシフトするとともに、物語構造が『クマのプーさん』やそれに関連する作品とは反転しているんですね。

ナガ
プーたちがクリストファーロビンを助ける構図になっているってことだね!!

そうなんです。基本的に100エーカーの森で暮らしているプーたちに生じた問題をクリストファーロビンが解決するというのが物語の基本構造なんですが、『プーと大人になった僕』ではクリストファーロビンが現在の時点で抱えている問題をプーたちが解決に導いてくれるという構造になっています。

クリストファーロビンの「現在」が大人へと移っていることで、本作はより大人が感情移入しやすい物語となっています。

『クマのプーさん』が持っていた、大人が過去を顧みるという視点は据え置きで、大人が忘れていた大切なものを取り戻して前に進むという未来への視点も獲得しています。

また子供にとっても本作は非常に魅力的な物語になっているはずです。私が個人的に興味深く感じたのは、今の子供たちは「何もしない」ことができなくなっているんじゃないかという視点がこの映画に伺えたところです。

クリストファーのいないコテージでイブリンは、娘のマデリーンに外で思いっきり遊んできなさいと告げるんですが、彼女は何をすればよいか分からないと返答しました。

何気ないワンシーンかもしれませんが、このマデリーンの返答が忘れられません。今の子供って、大人からいろいろなものを与えられすぎて、「何もしない」ことを忘れてしまっているようにすら思えます。

劇中で登場した勉強だってそうです。近年は学習の低年齢化が日本でも進んでいますが、それって子供が本当にしたいことなのかどうかと聞かれると返答に困ります。結局、大人が勝手に子供の将来を憂慮して勉強を押し付けている感じすら伺えます。

マデリーンが読んで欲しい本があるのに、言い出せずにクリストファーは良かれと思い、歴史の本を読み始めるシーンだってそうです。大人がこの本が有益だからと勝手に判断し、子供の意志を無視して押しつけているんです。

そういう風に何もかもが与えられ、常に大人によって「何かをしなければならない」環境に置かれていると、子供はそれが与えられなくなった時に、ふと自分は何をすれば良いのか分からなくなってしまいます。

今の子供たちが外遊びをしなくなったことや、想像力の低下が指摘される状況はまさに本作で描かれたような、大人の望む「幸せ」に子供が閉じ込められてしまっている現状が関係しているように感じました。

だからこそ『プーと大人になった僕』の中でマデリーンが達した、「読み聞かせの絵本は自分に選ばせてね」という結論に子供たちは幾ばくか共感できるんじゃないかと考えています。

「何もしない」を全力でできる時期は人生のほんの一瞬です。子供たちはその時間を子供らしく謳歌してほしいと思いますし、大人もその時間を捨て去ってしまう必要はありません。

やはりプーとクリストファーロビンの物語は大人にも子供にも大切な何かを思い出させてくれる作品でした。

 

未来と現在のどちらを大切にするか?

大切にするべきは今なのか?未来なのか?ってもう永遠のテーマですよね。

このテーマに関して面白かったのが「C」というアニメでして、非常に面白いので良かったらご覧になって欲しいです。

話を戻しますが、日本人ってすごく貯蓄の意識が高いですよね。近年は年金がもう望み薄では?という懸念も大きくなりその傾向に拍車がかかっていると言えます。

一方で、イギリスの国民性は貯蓄よりも、今を豊かに過ごすことでして、そのため老後はかなり質素な暮らしをしている方も多いようです。

こういう国民性の違いはもちろん国の制度によるところも大きいとは思いますが、一般に日本人は老後を豊かにすることを望み、イギリス人は今を豊かにすることを望むと言うことはできるかと思います。

『プーと大人になった僕』では、そういった将来のことばかり気にして、今を軽んじてしまうクリストファーの姿が印象的で、「今日」を大切にするプーと対比されていました。

このクリストファーの人格は実は『クマのプー』の著者であるA・A・ミルンからの引用だと思います。先ほどイギリス人は今を大切にする傾向にあると言いましたが、ミルンはすごく倹約家だったと言います。

皆さんはA・A・ミルンの作品というと『クマのプー』関連作品以外はあまり親しみがないと思うんですが、彼は非常に多作の作家でして、小説や児童文学だけでなく、演劇なども手掛けています。

そのためもう経済的には、申し分ない程に豊かでした。ただ、そんな状況になっても彼は、いつ仕事がなくなって貯金を食いつぶす生活になるか分からないからと貯金や将来のための投資をしていたそうです。

ナガ
プーと真逆の考え方だったんだね!!

これが意外と面白い話ですよね。

結局、今か?未来か?なんて選びようもないんですが、まずはプーの言うように「今」を大切にしていきたいですね。

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『プーと大人になった僕』は実話なのか?

今回の映画『プーと大人になった僕』を見た多くの方がこの映画は実はなのかフィクションなのかという点で疑問を感じたのではないかと思います。

ナガ
クリストファーロビンは実在しているしね。

そうなんです。これ意外と知らない人もいると思うんですが、クリストファーロビンという人物その人は、実在していたんですよ。

『クマのプーさん』シリーズの作者であるA・A・ミルンの実の息子に当たる人物が同名で、彼が作品を書く時のイメージの源になっていました。

この事実を知ると、余計に『プーと大人になった僕』で描かれていた内容な実話なんじゃないかと思えてきますよね。

ナガ
で、実際のところどうなの?実話?フィクション?

この質問に対する答えは半分が「はい」で、半分が「いいえ」になります。

つまり実話に基づいてい要る部分もありつつも作品自体はフィクションであるということですね。

 

クリストファーロビンの幼少年期

クリストファーロビンの父親は言わずも知れた有名な作家のA・A・ミルンなのですが、幼年期の関係性はそれほど悪いものではありませんでした。というよりもミルンはクリストファーを溺愛していたとまで言われています。

しかし、そんな関係性に亀裂が入り始めるのが『プーと大人になった僕』にも登場していた寄宿学校です。ここでクリストファーは「いじめ」を受けることになります。というのも、彼の名前は『クマのプーさん』の大ヒットにより知れ渡ってしまっていました。

その頃から少しずつ、社会の中に『クマのプーさん』のクリストファーロビンという存在が如何に充満しているのかを悟り、それを疎ましく感じるようになります。ミルンはそんな彼にクリケットや勉学を押し付け、期待をかけるのですが、彼はそんな重圧に押しつぶされてしまいました。

映画『プーと大人になった僕』の序盤は、『プーと横丁にたった家』でのプーとクリストファーの別れから始まり、彼の暗い幼少年期の回想が挟まれています。

この部分に関してはほとんどが実話ということになるでしょう。ただ彼の物語を描くに当たって欠かせない父ミルンの存在が矮小化されているので、必ずしも実像を映し出したとは言えず、クリストファーの物語を構築するために再構成してあるという印象です。

 

クリストファーロビンと戦争

『プーと大人になった僕』という映画を見に行ったのに、開始早々に第2次世界大戦の描写が登場したことで驚いた方も少なくないのではないでしょうか。

ナガ
すごくびっくりした!!これって実話なの??

この描写も実は完全に実話とは言えないんです。確かにクリストファーロビンは第2次世界大戦の時に出兵したという過去があるのは事実です。これは有名な話です。

ただ、クリストファーは戦争で負傷して途中で、負傷兵としてイギリスに帰国しています。

この時のエピソードで、「息子が重傷だ」と聞かされて、病院に駆け付けたミルンが、それほどの大怪我を負っていたわけでもない彼を見て、英国軍に憤慨したというものがあると言われています。

もっと言うなれば、クリストファーが戦争に出兵する前に結婚していたという時点で実話ではありません。彼が結婚したのは、戦争から帰還してしばらくが経過してからのことです。

 

クリストファーの妻イヴリン

クリストファーの妻はヘイリー・アトウェル演じるイヴリンというキャラクターでしたが、現実の彼が生涯を共にしたのはレズリーという女性です。

よって『プーと大人になった僕』における家族の設定も基本的にフィクションとなっています。

ちなみにクリストファーとイヴリンは共に本屋を経営していたと言われており、彼の自伝の邦題には『クリストファーロビンの本屋』というタイトルがつけられています。

ここまで3つのポイントに触れてみましたが、これで私が半分は実話だよ、と言っていた意味がお分かりいただけたかと思います。絶妙に実話とフィクションをミックスして作られたのが、『プーと大人になった僕』におけるクリストファーの物語なのです。

そのため、これを完全に実話なんだと思ってみると、事実と食い違っている部分が多々ありますよということを申し上げておきます。

 

実はたくさんある『クマのプーさん』のオマージュ

『クマのプーさん』と言えば、日本で有名なのはおそらくディズニーが製作したアニメーション版の方でしょうね。こちらの方が圧倒的に知名度が高いと思います。

ただ私、お恥ずかしながらアニメの方は見たことがなくてですね。本の方は関連書籍が4冊ある中で『クリストファーロビンのうた』(『ぼくたちがとても小さかったころ』)以外の3冊は読破しております。

そのため本の方をベースにしたオマージュ解説にはなるので、その点をご了承いただければと思います。

 

クリストファーが穴に詰まった!

これは『クマのプー』の第2章、「In Which Pooh Goes Visiting and Gets into a Tight Place」というプーがラビットの家を訪れて、その際に食べ過ぎてお腹が入り口の穴から抜けなくなってしまって、脱出するために1週間絶食するという何とも面白いエピソードからの引用ネタでした。

原作ではプーが抜けなくなる立場だったんですが、映画『プーと大人になった僕』では大人になったクリストファーが抜けなくなる側になっているという変化が、物語構造の変化を端的に表しているようで面白かったですね。

 

プーが自分の足跡を辿ってしまう!

100エーカーの森を訪れたクリストファーとプー。彼がプーに方位磁石を手渡して、これに基づいて北に進もうと提案するのですが、プーはひたすらに自分の足跡を追ってしまいました。

これ、実は原作に全く同じエピソードが登場します。

『クマのプー』第2章の「In Which Pooh and Piglet Go Hunting and Nearly Catch a Woozle」というエピソードなんですが、彼らがグッチャーリーという謎の生き物の足跡を発見して、そっれを追いかけるのですが、結局それはプー自身の足跡を辿っていただけだったというオチでした。

 

イーヨーの尻尾が着脱式?

ロバのイーヨーの尻尾がクリストファーのビジネスバッグの中に混入されていて、会議室の中でバッグの中から出てくるというシーンがありましたが、これは原作の『クマのプー』第4章で「In Which Eeyore Loses a Tail and Pooh Finds One」というエピソードからの引用です。

イーヨーが尻尾を無くして落ち込んでいて、それをクリストファーとプーが協力して発見し、最後はクリストファーが釘でイーヨーのお尻に尻尾を打ち付けるという何ともファンキーなエピソードです。

映画ではさすがに釘では打ち付けられないということで、普通にくっつけられていましたね。

 

クリストファーが穴に落ちた?

クリストファーが100エーカーの森の中で穴の中に落ちてしまって脱出できなくなってしまったシーンがありますよね。この穴は、『クマのプー』第5章の「In Which Piglet Meets a Heffalump」というエピソードからの引用かと思われます。

このエピソードではプーとコブタがアブリガドーという怪物をクリストファーから聞いて、捕獲しようとするんです。その際に彼らは深い穴を掘って、その中にハチミツが入った壺を罠として仕込んでおくという作戦を取ります。

すると罠を仕掛けた夜に、空腹に耐えられなくなったプーが自分で罠にかかってしまうというオチでした。

ちなみで『プーと大人になった僕』の中でクリストファーの家を訪れたプーが蓄音機にぶつかってホーンが頭を覆い隠してしまったシーンがあったように思いますが、これも実はこのアブリガドーのエピソードからの引用です。

原作ではプーがハチミツの壺が頭から抜けなくなり、その姿を見たコブタがプーをアブリガドーとだと勘違いしてしまうという設定です。

 

「北」に行け!!

映画『プーと大人になった僕』の中でしきりに「北」という方角が強調されていたので、何か意味があるんだろうかと勘ぐった方もいらっしゃることでしょう。実はこれも原作からの引用なんですよ。

『クマのプー』第8章の「In Which Christopher Robin Leads an Expotition to the North Pole」で、プーやクリストファーたちは「北極(ノースポール)」を探しに行くんですね。

実際に発見されたのは本当にボールというか長い木の棒でしかなかったのですが、この冒険のことや自分が「ノースポール」を発見したことをプーはすごく誇りに思っていて、その後のエピソードでも何度か言及しています。

ただ一方のクリストファーが原作の中で「北極(ノースポール)」の冒険を忘れてしまったと言及する場面があるのですが、これが少し切なかったです。

2人が初めて経験した大冒険だったんですが、クリストファーの成長と共にそんな鮮やかな記憶も少しずつ風化していくんだという感触がありました。

だからこそ『プーと大人になった僕』における「北」を目指すという行為は、すごく意味があると思いました。

「北」には絶対にその方角を変えない北極星があります。きっとプーとクリストファーも時間や距離を隔ててしまいましたが、これからもずっと同じ方角に歩いていくんだなぁと感じさせられましたし、「北極」を目指した大冒険の頃と何も変わっていないんだなぁと感傷に浸ってしまいました。

 

オウルの家

映画の中で登場したオウルの家ですが、これは『プー横丁にたった家』に登場する「In Which Eeyore Finds the Wolery and Owl Moves Into It」というエピソードに関連しています。

大嵐が来て、木の上に作られていたオウルの家が破壊されてしまい、住む場所がなくなったオウルのためにクリストファーたちが家を探してあげるというエピソードなんですが、この時にイーヨーが発見したのが映画の中でも出てきたあの家ですね。

 

川を流れていくイーヨー

映画の中で逆さまになって川を流れていくイーヨーをクリストファーが助けてあげるシーンがあったと思いますが、これは『プー横丁にたった家』の第6章「In Which Pooh Invents a New Game and Eeyore Joins In」からの引用かと思われます。

このエピソードでは、かの有名な「プー棒遊び」を彼らが発明した際に、イーヨーが川に流されてしまい、助けるためにプーたちは大きな岩を川に落下させて、川の流れを変えてイーヨーを助けようとするんです。

ただ、イーヨーは岩が落とされると、それをかわして自力で陸に上がってきてしまうというオチです。

映画の中でイーヨーが川を流れる時に岩に当たっているカットがありましたが、もしかするとそれすらも原作を意識したオマージュだったのかもしれません。

 

風船に隠された意味を考察

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『クマのプーさん』に風船のイメージを持っている方は多いと思いますし、とりわけ赤色の風船のイメージは強いのではないかと思います。

しかし原作『クマのプー』に最初に登場したのは、実は赤色の風船ではないんですよ。

ナガ
えっ?それ本当に??何色だったの?

『クマのプー』の第1章「In Which We Are Introduced to Winnie the Pooh and Some Bees and the Stories Begin」で、プーが木の上のハチの巣からハチミツを採取しようとして、いろいろと試行錯誤するんですが、この時にプーはクリストファーに風船をもらえないか?と尋ねます。

その時にクリストファーがプーに提示したのが緑色と青色の風船だったんです。プーはそれを見て、緑色の風船なら木に擬態できるし、青色の風船なら空と同じ色だなんて考えていました。結局プーが選んだのは青色の風船でした。

そしてもう1つ風船が出てくるエピソードがありまして、こちらでは赤色の風船が登場します。それが『クマのプー』第5章の「In Which Eeyore has a Birthday and Gets Two Presents」です。

このお話ではプーとコブタがそれぞれイーヨーに誕生日プレゼントを準備する話です。

この時にコブタが用意していたのが赤色の風船だったんですね。この風船はコブタがイーヨーのところに持っていく際に誤って割ってしまうんですが、イーヨーはその割れた赤い風船のプレゼントに大喜びするんです。

ここから映画『プーと大人になった僕』における赤い風船の意味を推察していきましょう。大切なのは、以下の2つのポイントだと私は考えております。

  1. 風船は最初のエピソードでクリストファーからプーに手渡されたもの
  2. 赤い風船は親愛の感情の表象

まず、風船が「赤」でなけらばならなかったのは、やはり劇中で風船が「愛情」のメタファー的に登場していたからですよね。それがプーからクリストファーへと手渡され、そしてマデリーンへとプレゼントされていました。

また原作がクリストファーからプーへと風船が手渡されて始まったのに対して、映画ではプーからクリストファーに手渡されたという変化も非常に重要です。

時や世代を超えて、赤い風船は彼らの絆と愛を繋いでくれたんでしょうね。

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クリストファーロビンが「自分」を肯定するまでの物語

先ほども少しだけクリストファーロビンの人生について触れましたが、ここからの考察では本格的に彼の人生について言及していくこととなります。

クリストファーの人生の最大の困難は間違いなく自分の名前を冠した「クリストファーロビン」という聖像の存在と、その著者である父の名声でした。少年時代から少しずつ彼はその空気感を感じ始め、偉大な父を持った息子としての重圧や自分と同名のキャラクターの聖像的な姿と現実の自分とのギャップにどれだけ苦しんだのかは計り知れません。

彼はその当時のことを「『クリストファーロビン』が現れだし、やがて、癒すことができないような深い傷になりつつあった」と述べています。名声の期待の影で少しずつ絶望の淵に追いやられていった彼の心情が如実に反映された言葉だと思います。

そして『プーと大人になった僕』でも登場した第2次世界大戦での経験についてですが、これに関してクリストファー自身もこの兵士として戦った期間が父からの逃避として機能し、ようやく自分らしく生きる術を見出すのに役立ったと言われています。

『クリストファーロビン』という存在から逃れようとしたこと、その著者である父親への嫌悪、さらに彼が従妹のレズリーと結婚したことで彼と父のミルンとの隔絶は明確になりました。『クマのプー』という親が子に読み聞かせ、絆を深めるための本の著者が皮肉にも、それを著したことによって自分の息子との絆を喪失してしまう羽目になったのです。

1951年に彼は妻のレズリーと共に自分の本屋を開店します。その時になって、ようやく彼は自分の父の作家としての偉大さと『クマのプー』という作品の素晴らしさに気がついたと言います。クリストファーは自分らしい生き方と自分なりの幸せを手にして、ようやく嫌悪し続けてきた自分の父親を肯定することができました。

さて、『プーと大人になった僕』に話を戻していきましょう。

この映画の面白いところは、クリストファーが自分が幼少期に経験したことを自分の娘にも押しつけようとしているところですよね。

彼自身は父ミルンに期待をかけられ、勉学やクリケット、音楽などで何でも成功することを望まれていたようですが、そんな自分が苦しんできたであろう期待を同じように自分の娘にもかけているんです。それがために娘のマデリーンは苦悩しています。まさに負のサイクルが繰り返されようとしています。

そんな劇中のクリストファーの姿はまるで『クマのプー』に登場する「クリストファーロビン」を否定し続けているようにも見えますよね。「何もしないことは何も生まない」という言葉もそうですが、あまり100エーカーの森を訪れることに積極的でない様子や、娘に勉強を押し付けている様もそうです。彼は必死に『クマのプー』とそれに伴う「クリストファーロビン」の影を払拭しようとしています。

そう考えていくと、物語の終盤に彼がマデリーンの寄宿学校行きを取りやめ、彼女に「遊び」を認めるのは、彼の幼少期の美しい記憶の肯定であり、『クマのプー』という作品を彼がようやく認めることが出来たという事実に強くリンクしているように思えます。

クリストファーロビンが「クリストファーロビン」を許し、受け入れたように、彼はマデリーンにを肯定したのです。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

ここまで映画『プーと大人になった僕』についてお話してきました。完全に事実をベースにした作品ではないのですが、やはりクリストファーロビンや『クマのプー』、その著者であるA・A・ミルンについて知っておくと見方が広がる作品だとは思いました。

今回私が非常に参考になったと感じる書籍を3冊紹介しておきますので、良かったら読んでみてください。

・『グッバイ、クリストファーロビン』

これは素晴らしい内容でした。基本的には、A・A・ミルンの伝記的な内容なんですが、『クマのプー』という作品が如何にして世界中で受け入れられていったのかなどのプロセスや当時の時代の様子までもが深く理解できる内容になっております。

・『プー横丁にたった家』

プーとクリストファーロビンの別れを描いた『クマのプー』の続編となっています。10の短編が収録されていますが、その後半に差し掛かるにつれて、徐々に変化していく文体とクリストファーに忍び寄る「成長」というデッドラインがひしひしと感じられる内容となっています。

・『クリストファーロビン』の本屋

この本はもう絶版になってしまっていて、購入するのが難しくなってしまっています。私も中古で購入しました。

ただクリストファーロビンの伝記としてはやはりこれが好きですね。本屋を家族と経営するようになってようやく自分の『クリストファーロビン』としての宿命を受け入れて、自分の生き方を見つけた彼だからこその言葉に溢れていて、感動しました。

映画『プーと大人になった僕』はもちろん素晴らしい内容ですが、こういった関連書籍を読み漁って、より自分の中で作品の価値を高めていくと、もっと深く味わえるのではないかと思います。

大人にとっても、子供にとっても大切な何かを取り戻させてくれる『クマのプー』があの頃のまま帰ってきたという懐かしさと、自分自身が大人になったという経緯もあって、非常に感動しました。

この映画がたくさんの人に親しまれ、愛されることを祈っております。

Winnie the Pooh!!

We Need the Pooh!!

 

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2件のコメント

先ほど映画を観てきました。
あらすじでわからない部分がありここにきました。
質問ですが、幼少期のクリストファーロビンが寄宿学校に入った後、
授業中にいたずら書きして怒られた後のシーンで、「悲しいお知らせ」っていう感じで学校から出てきて母親が抱きしめるシーンがありましたが、
退学処分だったのですか?それとも次のシーンで階段で落ち込んでる彼に「あなたが家族を支えるのよ」みたいなセリフがあったので、あれは父親が亡くなったということでしょうか?

shinriyoさんコメントありがとうございます。

個人的な見解では、退学では無かったと思いますよ。イギリスの寄宿学校には休暇制度があって、その期間は家に帰ることができるので、家に戻っていたのはそういう事情なのかな?と感じました。

現実のロビンも寄宿学校を退学はしていませんし、一応卒業していたはずと思います。

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