【ネタバレ感想】映画「ハルチカ」市井昌秀監督が贈る全ての若者へのメッセージを読みとく

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回は表題のとおり、本日3月4日より公開となりました映画「ハルチカ」について語っていきたいと思います。

本記事は作品を見た方に向けた内容にはなりますので、未見の方はネタバレ等に関しては自己責任でお願いいたします。

良かったら最後までお付き合いください。

 

イントロ

まず、本作「ハルチカ」は初野晴さんの小説が原作となっております。原作自体は青春ミステリー小説とされています。そこに吹奏楽部という要素と、ハルタ、チカそして草壁先生の不思議な三角関

係という要素が加わって展開されております。

映画版はそんな原作から大胆に方向転換し、ハルタとチカの恋愛と吹奏楽部をメインにおいて展開されました。

この原作改変に際しての原作者の初野さんや市井監督のコメントは先ほどのリンクから飛べる記事内で紹介しておりますので、ご覧ください。

 

「ハルチカ」という作品の本質って?

原作の「ハルチカ」はあくまで青春ミステリー小説であるということを述べましたが、そもそもミステリー小説ないし探偵小説の起源ってどこにあるんだろ?と考えたことはありませんか?

そう考えて辿っていくと、ヴァルターベンヤミンの「パサージュ論」にその答えの一つが書かれているんですね。

その著書中では、探偵ないし探偵小説の起源は資本主義社会の発達によって都市や群衆が出現したことで個人の足跡が消失したことにあるということが述べられています。

なるほど。そしてその黎明期にはエドガー・アラン・ポーの「群衆の人」なんて作品が登場し、徐々に探偵小説としてのジャンルを確立していったんですね。

つまるところ、探偵小説ないしミステリー小説というのは、そんな「都市」に消えた個々人の足跡を辿る物語として登場したわけです。そして、現代。そんな個々人の行方というものは実に複雑化かつ多様化しております。

ここで、話を「ハルチカ」という作品に戻したいのですが、ハルチカという作品は高校を舞台にしているわけですが、まさにそんな現代の学生、個々人の足跡ないし「居場所」の喪失を背景としているんですね。

もはや友人や先生ですら知り得ない、辿り得ない足跡を主人公のハルタを中心とした人物たちが探偵役となって辿っていくというのが、ハルチカのミステリー小説としてのスタンスであるわけです。

そして原作の多くのエピソードで、そんなミステリー要素の解決が、吹奏楽というもう一つの要素に繋がって来るという構成になっています。

つまりこの「ハルチカ」という作品の本質は、あくまでミステリーは媒体として、吹奏楽ないし音楽にさまざまな理由で「居場所」を失ってしまった少年少女が苦しみや痛みを乗り越えて、再び音楽に「居場所」を見つける物語なんですね。

よって「ハルチカ」という作品はミステリー小説とはされているものの、その本質を見たときにそこにあるのは、「居場所」の喪失と獲得の物語であるわけです。

映画版では、ミステリー部分や奇妙な三角関係要素が改変されて、大きな非難を浴びました。しかし、原作を映画化する際に一番大切なことというのは、原作を忠実に再現することではないのです。原作の本質・核の部分を見抜いて、それを継承できるかどうかにあると思うのです。

その点、市井昌秀監督はしっかりとこの作品の本質をとらえていらっしゃいました。だから、これだけ原作の多くの要素が改変されたにもかかわらず、この作品は「ハルチカ」であると間違いなく言える映画版に仕上がっていたわけです。




原作からの改変について

本作は青春×ミステリー×吹奏楽という三拍子で非常に人気の高い初野晴原作の小説シリーズ「ハルチカ」の実写映画版です。

この映画の詳細はちょうど、「ジョジョの奇妙な冒険」の実写化発表と同時期に行われたため、あまり話題に上ることもありませんでした。

しかし、この原作を知る人からすると、この映画版の詳細発表は大きな驚きを伴うものとなっていました。なんとミステリー小説だった原作を大きく改変し、恋愛映画へと変えてしまったからです。

これは端的に言えば、シャーロックホームズをホームズとワトソンの恋愛モノにしてしまうほどの大改変というわけです。言い過ぎではないか?と思う方もいらっしゃると思うので、簡単に「ハルチカ」の小説シリーズを解説をしていこうと思います。

まず、主人公であるハルタとチカだが、そもそもお互いに好意を持っているという設定が存在しないのです。

ハルタは男性でありながら男性が好き、いわゆるホモセクシャルのキャラクターであり、吹奏楽部の顧問である草壁先生に恋愛感情を持っています。一方チカもこの吹奏楽部の顧問草壁先生に恋愛感情を持っている。

つまりハルタとチカは友人であり、恋のライバル関係にあるのです。

つまるところ、この2人が恋愛関係になる可能性は全くもってありえない話ということです。

そして、この小説シリーズの主眼はあくまでミステリーにあります。さまざまな高校で起こる事件の解決が、吹奏楽のメンバーを増やしていくことや人間関係の変化に繋がっていくストーリー性からも分かる通りで、あくまで物語はミステリー中心で動いているのです。

簡単な説明にはなってしまいましたが、実写映画版「ハルチカ」がいかに原作を大きく改変したかが分かっていただけたでしょう。

私自身も最初にこの映画の詳細を読んだ時に怒りのあまり震えたのを覚えています。原作を蔑ろにするのもいいかげんにしてくれと。

しかし、原作者と監督のコメント、そして同市井昌秀監督の作品「箱入り息子の恋」を見てこの映画「ハルチカ」に対する印象が大きく変化しました。

原作者のコメントを引用させていただきました。どうやらこの映画版の大改変は作者の希望ありきだったようです。

確かに原作をかいつまんで2時間の尺で、適当な映画を作るよりも、作品のキャラクターやテーマ性を意識した2時間の新作映画にしてしまうというのはある意味では英断なのかもしれません。

映画の興行的な問題も絡んではいるのだろうが、これは映画と小説というメディアの違いをよく理解した作者だからこそできた提案なのです。

次に市井昌秀監督のコメントを引用させていただきました。

このコメントを読んで気がついたのは、監督は間違いなくこの「ハルチカ」という小説シリーズの核の何たるかを見抜けているということです。

ハルチカシリーズは吹奏楽からさまざまな理由で離れてしまった少年少女が、その苦しみや葛藤、痛みを乗り越えて、再び吹奏楽に居場所を見つける物語なのです。そのための媒体としてミステリーという手法が取られています。

だから物語はミステリー中心であるゆえ、ジャンル的にはミステリー小説になるのだが、その根幹にあるのは、市井監督が仰っているように「痛み」と「居場所」というわけです。

このコメントを読んで、私は非常に安心すると共に映画版「ハルチカ」への期待が一気に高まりました。

原作の核の何たるかを見抜けている監督が製作してくれるというだけで心強い。

最近話題になっている「この世界の片隅に」の片渕監督もインタビューやコメントから伺えるように、こうのさんの原作を熟知しているからこそ、あのクオリティの映画版が生み出すことができました。

つまり恋愛モノに舵を切るという大改変であっても、作品の核を殺さなければ、原作ファンも納得させられると、市井昌秀監督は考えているに違いないと確信しました。

また、恋愛モノ、というよりは微妙な男女の距離感を描く作品に市井昌秀監督は長けているのである。

同監督の「箱入り息子の恋」という星野源、夏帆主演の邦画を先日鑑賞したのだが、これが実に素晴らしかった。

35歳童貞で女性や他人に無関心な男性と両親に守られて育った盲目の女性の恋の物語なのですが、実に描写が細かいのですメガネ、ピアノ、牛丼といった一見不揃いな小道具を心情の変化を表す道具に使う繊細な描写に驚かされます。

また、2人がお互いにお互いを理解していく過程が非常に素晴らしい。星野源演じる主人公は松葉杖を使う不便な生活をして初めて、盲目であることの不便さを悟る。愛の力なんてものではなく、もっとリアリティと説得力のある理論的な手法で2人の想いを通じさせる点に非常に感動しました。

その上で、なぜこの2人が恋に落ちるのか、つまりボーイミーツガールのミーツの部分に非常に理論的なのも素晴らしい。主人公の性格とヒロインのバックグラウンドが2人のミーツに妥当性を与えています。この脚本構築には脱帽です。

そして市井昌秀監督は光の演出も非常に上手いです。ひたすら会社と自宅の行き来わ日常としていた主人公のシーンと対比的に、2人のデートシーンに柔らかい光の演出を加えることで作品の印象がガラッと変わります。

この閉塞感からの解放的な光の用い方は橋口亮輔監督が「恋人たち」の鶏を追いかけるシーンで用いた演出に類似している。光の演出も用い方次第で非常に効果的なものになるのです。市井監督も非常にこの点を心得ているのです。

このように市井昌秀監督という人物が非常に恋愛映画を撮るのに長けた人物であることは自明です。

原作を改変すると、原作ファンから容赦ない批判が飛んでくる。これは原作ありきの映画宿命である。しかし、それにもかかわらず、あえて原作の大改変に踏み切った。

その英断をむしろ私は評価したいと思っています。

原作の大ファンである私だが、この映画「ハルチカ」はニュートラルな視点で鑑賞したいと考えています。




市井監督が散りばめた原作のピース

市井監督は原作者の意向もあって、原作を大幅に改変して映画版を作り上げたわけですが、よくよく見てみると原作の要素というのはしっかりと残してくれているんですね。それが感じられた点をいくつか解説しておきたいと思います。

FMはごろも

映画の中でパーカッションを担当していた檜山界雄がパーソナリティを務めていたラジオ番組「FMはごろも」は原作でも登場した要素の一つでまさか映画にも登場するとは思っていなかったので、その名称が登場した時は思わず笑ってしまいました。

映画の中では、FMはごろも自体はあまり重要な要素とは言えませんでしたが、原作ではこれが非常に重要な要素として登場するエピソードがありますのでぜひ読んでみてください。

原作第2巻の初恋ソムリエに収録の「周波数は77.4MHz」という短編に登場します。

 

芹澤さんの補聴器エピソード

クラリネットを吹いていた少女芹澤直子が補聴器を教室で落としてしまったというエピソードが半ば強引に映画版にも登場しましたが、これも原作にあるエピソードから抜粋されて挿入されたものですね。

原作の方ではもう少し、芹澤直子というキャラクター自体の掘り下げが深かったり、補聴器を探すに至るまでの謎解きもしっかり描かれているのでこちらも気になる方は原作をご参照ください。

こちらも同じく原作第2巻初恋ソムリエ収録の「スプリングラフィ」という短編に登場します。

 

芹澤さんはそう簡単には入部しない??

映画版でも芹澤さんは吹奏楽部に協力的なキャラクターとしては描かれていましたが、吹奏楽部に入部という形には結局ならなかったですよね。

映画版で芹澤さんというキャラクターを安易に入部に持ち込まなかった点には、個人的にすごく好感が持てるんですよ。というのも原作でも芹澤さんは2巻の最初に登場して、4巻の冒頭でようやく吹奏楽部に加入するキャラクターなんですね。

原作第2巻初恋ソムリエに収録の「スプリングラフィ」に彼女が吹奏楽部への入部をすぐには決断できなかった理由が書かれているのですが、紹介しておきます。

「もうどうしていいかわからなくて、吹奏楽部でもいいから居場所を見つけようと思った時があったの。でもそれって、まじめに頑張っているあなたたちの人格に失礼だよね。私は、私が決めた道を、自分が納得できるまで前に進むしかないの。」

(「初恋ソムリエ」初野晴 角川文庫より引用)

これがその芹澤さんのセリフであるわけですが、彼女が吹奏楽部への入部をすぐにしなかったのは、あくまで自分が自分の意志に基づいて誠実に入部を決断できるようになるまでは、入部を決断できない、それは吹奏楽部のメンバーに失礼であるという彼女なりの敬意もあったわけです。

直接言及はされませんでしたが、このような原作の筋書きを踏まえたうえで、芹澤さんというキャラクターを映画版で誠実に描いてくださったことに感謝しております。

 

映画版でもハルタの草壁先生への恋愛フラグ立ってないか??

まず初めにですが、原作での恋愛模様というのはハルタとチカがお互いに草壁先生に好意を持っているという構図になっています。

後に触れるので、ここでは手短に挙げるが、過労で倒れたハルタが保健室に運ばれるシーンが映画版にありますよね。そして保健室でハルタと草壁先生は2人きりになります。

そして草壁先生がハルタに言葉をかけるわけですが、その言葉を聞いたハルタの表情って、ちょっと意味ありげではなかったですか?また今作のフィナーレに当たる演奏シーンで屋上で指揮をする草壁先生とハルタとチカがまるでトライアングルのように配置されていましたよね。

このトライアングルってまさに原作における恋愛模様を表しているといってもいいわけです。

つまりですよ。もしかすると、この映画の本編以降ハルタは結局チカではなくて、草壁先生のことを好きになっちゃうんじゃないか?という未来もちょっと想像できてしまう演出だったんですね(笑)

 

フィナーレの演出

フィナーレの演出というのはもちろんオールキャストのミュージカル風演奏シーンのことを指しているのですが、このシーンって実は原作に元ネタがあるんですよ。

市井監督が原作を読んだときにそのシーンに感銘を受けて、映画版のラストをこういった演出にしようというところに行きついたということがパンフレットのインタビュー欄に掲載されていました。

こちらもぜひ原作を読んでみてください。掲載されているのは、原作第2巻初恋ソムリエ収録の「スプリングラフィ」という短編です。




グランドフィナーレと監督が若者たちへ伝えたかったメッセージ

この映画版「ハルチカ」は終盤特に輝きを秘めていました。特にコンクール前夜~グランドフィナーレまでのシークエンスはもはや圧巻としか言えない出来に仕上がっていました。

ここに触れる前にやはり言及しておかなければならないのが、保健室で草壁先生がハルタにかけた言葉でしょう。

「君たちがこれから経験する世界は美しい。しかし同時にさまざまな問題に直面するし、不条理にも満ちている。そんなときには顔を上げて見て欲しい。君は一人じゃないんだって分かってほしい。」

すみません。1回見ただけでさすがにセリフは覚えきれなかったので、だいたいではありますが、このような趣旨のセリフが草壁先生からハルタに贈られます。

このセリフってまさにハルチカの原作の根底にあるものだと思いますし、同時に市井昌秀監督が現代を生きる若者たちにむけたメッセージだと思うんですね。ちなみにこのセリフは原作で登場したセリフに市井監督がアレンジを加えたものになっています。

今年話題になった「この世界の片隅に」でもこれに似たメッセージ性を持つセリフが登場します。

「だれでも、この世界でそうそう居場所はのうなりゃせんよ。」

(「この世界の片隅に」こうの史代 双葉社 より引用)

今回の映画「ハルチカ」を通して市井昌秀監督が伝えたかったメッセージというのはまさにこのことに直結しているんですね。

現代を生きる、自分の「居場所」を見つけ出せない若者たち、自分を見つけ出そうと必死に自分の「足跡」を探す若者たち。そんな若者たちに、顔を上げたら仲間がいるんだよってことを知ってもらいたいという切なる願いが強く作品に染み込んでいるんですね。

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©2017 「ハルチカ」製作委員会 映画「ハルチカ」予告編より引用

このようなメッセージ性が映画版で原作よりも特化したのは、またあのようなグランドフィナーレが用意されたのは、市井昌秀監督自身の経験も関係しているように思います。小学校時代にトランペットを習いながら、結局誰とも音を合わせることなく、自己完結させてしまったのです。

そんな経験が、ラストシーンの学校が音楽に包まれ、キャスト勢ぞろいでの大団円という演出に繋がっているのです。自分一人で完結させてしまった音楽、でも誰かと、いや仲間と一緒に音楽を奏でてみたかったという市井監督の切なる願いが反映されているのです。

そしてこの作品はそんな「居場所」のリレーのような構成になっているのです。まずは物語の前半部分で、チカがハルタやほかの部員たちに吹奏楽部という「居場所」を取り戻しました。

また、草壁先生が指導するという形で、吹奏楽部にコンクールという「居場所」を与えました。一方で、後半部分では、部員たちが指揮者の夢をあきらめざるを得なかった草壁先生に音楽という「居場所」を取り戻させ、そして、チカに再び「居場所」としての吹奏楽部を取り戻させたのです。

この構成は圧巻と言えると思います。そしてこんなストーリー構成と監督のメッセージ性も相まって映画「ハルチカ」のグランドフィナーレは邦画史に残る名シーンとなり得たのです。

どんなに苦しんでも、どんなに痛くても、顔を上げれば仲間がいる。支えてくれる仲間がいる。ありふれているけど今の若者にとって何よりも励みになるメッセージだと思いました。

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©2017 「ハルチカ」製作委員会 映画「ハルチカ」予告編より引用

この映画を見て、一人でも多くの若者にこの市井監督が込めたメッセージが届けばいいなと願うばかりであります。

 

余談

完全に余談にはなりますが、「居場所」という観点に着目して、私がオススメしたい原作の短編を2つほど紹介させていただきます。

退出ゲーム

この短編のメインキャラクターは映画版には登場しないマレン・セイというサックス奏者のキャラクターです。

彼は両親に捨てられたという経験をしており、また生き別れた弟の事情もあってサックスを吹くことを辞めてしまいます。そして演劇部に加入していたのですが、ハルタやチカの計らいで、吹奏楽部と演劇部で「退出ゲーム」で勝負して、勝利したほうがマレンの所属権を獲得することになります。

というあらすじなのですが、このエピソードは、「居場所」という観点から見ても、感動のエピソードですし、叙述トリックを使った面白いミステリー短編に仕上がっております。短編「退出ゲーム」は、原作第1巻の退出ゲームに収録されています。

 

十の秘密

この短編は、ハルタやチカが所属する高校ではなくて、コンクールに登場し、優勝候補と目される通称「ギャルバン(ギャル・ブラスバンド)」と呼ばれる清水南高校の吹奏楽部の不思議な事情とコンクール当日に起こった大騒動を描いたものになります。

ちょっと本筋からは外れてしまうのですが、「居場所」という観点から見ると、非常に感動のエピソードですので、ぜひ読んでいただきたく思います。短編「十の秘密」は原作第3巻の空想オルガンに収録されています。

 

箱入り息子の恋

また、市井監督の他の作品として、「箱入り息子の恋」もおすすめさせていただきます。主演は逃げ恥でも話題になった星野源さん。

互いに社会に、家庭に、会社に「居場所」のない35歳童貞サラリーマンと盲目の少女の恋物語を鮮烈に描き出した素晴らしい作品です。

ナガ
ぜひぜひご覧になって見てください!

4件のコメント

焼却炉の件ですが、学校で働いてるのでどうしてもそういうところが気になってしまいます。どうしても学校関連だとそういうところが気になってしまうんです。吹奏楽関連の疑問もそういうところからです。
馬鹿にしたようにツイートされたので腹は立っています。もちろん、この作品がリアルな学校生活を描こうとしてるとは思ってないです。ラストのミュージカル風の演出は、リアルとは程遠いがすごく好きです。
人によってフィクションラインは違います。作品にどこまでリアルを求めるかは人によって違います。学校の描写に関して自分が気にしすぎてしまうだけです。感じ方は人それぞれなはずなのに、否定され笑いものにされ腹が立ちました。

2式さんコメントありがとうございます。すみません。あのツイートだけだと説明不足だった点については先に謝罪させていただきます。
その後のツイートで補足は既にさせていただいたのですが、私はそういった焼却炉のリアリティにこだわる姿勢を馬鹿にしたいわけではなく、こういうところに目をつける方もいるのが面白いなあということと映画に求める「リアリティ」にはいろいろな見方があるんだなという点が興味深く思ったので、2式さんの焼却炉の例を挙げさせていただきました。
不快な気持ちにさせてしまったことは事実ですので、この点に関しては本当に申し訳ありません。
該当ツイートが拡散されて誤解が広まってしまうのを防ぐため、ツイートも消させていただきます。
ご理解の方よろしくお願いします。

わざわざ返信ありがとうございます。
学校現場を知っているからでる違和感なので、他の人から見たらどうでもいいことだし、重箱の隅をすみをつく嫌な奴だと思います。特にこの映画が好きな人からしたらなおさらだと思います。「はるちか」に関しては、「ラストすごく良かったけどそれ以外はつまらない」という感想の否定派なのでより細かいところが気になってしまいました。
感想として別にいらない内容で、好きな人にとってはいらっとくる文章なのであれは消します。

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