【ネタバレ】『鬼滅の刃 無限列車編』解説・考察:鬼と人間。永遠と継承を巡る戦いの結末に涙する

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね『鬼滅の刃 無限列車編』についてお話していこうと思います。

ナガ
『鬼滅の刃』シリーズを侮っていましたが、ドハマりした人間です(笑)

流行っていることは知っていましたが、連載当時は全く見向きもせず、アニメが話題になりネットフリックスの上位に君臨しているのを知っていても、全く手を出さなかった当ブログ管理人。

しかし、映画が公開されるということ、そして映画の公開日と同日に本作のパロディAVが発売されるということ、また友人の勧めもあったことで鑑賞するに至りました。

ナガ
パロディAV!?

それについては別記事でじっくりとお話させていただきますので、そちらをお待ちください。

『鬼詰のオメコ 無限発射編』感想:「水の呼吸 陸拾玖ノ型 潮吹き!」とか言いそうな主人公

2020年10月16日

当ブログ管理人は、この記事を書いている今も『鬼滅の刃』のストーリーを追いかけていっている状態でございます。

アニメを全編鑑賞して、第7巻からマンガの方に移行して現在14巻付近まで到達したところなのですが、ここまでくるともう読み進める手が止まりませんね。

ナガ
ちなみに今回の「無限列車編」もちょうど7巻~のエピソードだよ!

正直、この作品序盤は盛り上がりに欠けますし、それを気にしてなのか展開に関してもあまりにもハイペースすぎて、描写がすごく雑に感じるんですよ。

例えば、本作の序盤にある鬼殺隊への選抜試験に至るまでの時間の経過って、もうとんでもない速さなんですよ。

ナガ
アニメの12分程度のAパートだけで約1年半の歳月が経過するというぶっ飛ばしっぷりでしたからね…(笑)

しかも、鬼殺隊に入隊するための最終試験編なんて、本来であれば、もっと尺を取ってかつ同期の鬼狩りたちのキャラクター紹介も出来たと思うんですよ。

ただ、主人公が巨大な鬼を1体倒したところで、一気に試験終了までジャンプし、それで終わりという賭け足展開なのです。

『NARUTO』の中忍試験編だって、「死の森編」をかなりじっくりと描いてくれましたし、そこで作品の展開における重要なターニングポイントである大蛇丸がサスケに呪印を刻むという事件も起きました。

ナガ
おそらくまだ早期連載修了もチラついていた頃だろうから、早くメインパートに進める必要があったんじゃないかな…。

という具合に、序盤はそれほど面白くなくて、私も「こんな作品が何で流行っているんだよ…」と半信半疑の状態でした。

しかし、那田蜘蛛山編に入ると、作品のテンポ感やバトル性が格段に上がり、そして十二鬼月と呼ばれる『NARUTO』で言うところの「暁」的な存在との邂逅が描かれることにより一気に熱が増していきます。

ナガ
そしてアニメ第19話ですよね!

もうここでこの作品を最後まで追いかけるんだ!と固く決意しましたよ。

とにかく最後の主人公とその妹である禰豆子の覚醒、そして2人の合わせ技で十二鬼月の1人に繰り出す渾身の一撃に痺れました。

ここはufotableの超絶作画が炸裂した瞬間でもあったと思いましたし、人物作画とエフェクト、ボイスアクト、劇伴音楽のシナジーで鳥肌が立ちましたね。

そして、今回の映画版で描かれる「無限列車編」は、さらに勢いが増し、そして涙なしには見られない物語があります。

テレビアニメだけを見て、『鬼滅の刃』シリーズにハマらなかったと言っている人は、この「無限列車編」まではとりあえず見て欲しいんですよね。

なぜなら、ここからがこのシリーズの本領発揮と言っても過言ではないからです。

テレビアニメシリーズのクライマックスであった「那田蜘蛛山編」は面白いですが、まだまだ前座というところで、本当に面白いのはこの「無限列車編」からです。

そして、原作のマンガの方について言うなれば、この「無限列車編」以降、もう3段階くらい面白さのギアが上がります。

と、ここまでは『鬼滅の刃』初心者の自分がどこでハマったか、スイッチが入ったかという話をさせていただきました。

ここからは今回の記事のメインである『鬼滅の刃 無限列車編』の方に話を移していこうと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『鬼滅の刃 無限列車編』

あらすじ

那田蜘蛛山での死闘を経て、 「虫柱」である胡蝶しのぶの屋敷で治療を受けていた炭治郎善逸伊之助

機能回復訓練を経て、3人は「全集中の呼吸」を1日中続けられるレベルにまで成長し、次の任務へと向かう。

次の任務は、既に多くの鬼殺隊の隊員が行方知れずとなっている謎の列車の調査であった。その任務に3人と共に参加するのは「炎柱」の煉獄杏寿郎である。

4人はつかの間の列車旅を楽しんでいたが、乗務員から切符を切られた瞬間を境に、不思議な夢の世界へと誘われてしまう。

4人はそれぞれが自分の望む理想の世界の夢を魅せられ、その甘美な世界に心を奪われてしまうのだが、それは列車に潜む十二鬼月である魘夢(下弦の壱)による攻撃だった。

彼の狙いは炭治郎らに夢を見せている間に、自分の手下に彼らの意識の内部へと進入させ、その無意識化にある「精神の核」を破壊することである。

「精神の核」を破壊された人間は廃人となってしまうため、炭治郎たちにはもう時間が遺されていない。

死んだはずの自分の家族が生きているという幸せな夢に浸る炭治郎だったが、湖畔に映る自分の像から「起きろ!攻撃を受けている!」と警告を受ける。

そして、夢の世界から脱出すべく、その方法を模索し始めるのだが…。

 

スタッフ

スタッフ
  • 監督:外崎春雄
  • 原作:吾峠呼世晴
  • 脚本制作:ufotable
  • キャラクターデザイン:松島晃
  • 総作画監督:松島晃
  • 撮影監督:寺尾優一
  • 3D監督:西脇一樹
  • 色彩設計:大前祐子
  • 編集:神野学
  • 音楽:梶浦由記 椎名豪
  • 主題歌:LiSA『炎』
  • アニメーション制作:ufotable
ナガ
やっぱり『鬼滅の刃』というシリーズを覚醒させたのはufotableのアニメーションだよね!

アニメ化されてから一気に原作の発行部数が伸びたという実績からも分かりますが、このシリーズの大ヒットをufotableの功績抜きに語るのは難しいでしょう。

これまでにも『空の境界』シリーズ『fate』シリーズなどを製作してきたことで知られるufotableですが、その特徴は圧倒的な人物作画と背景美術でしょう。

特に『Fate/stay night Heaven’s Feel』シリーズは今の日本アニメ界の最高峰とも言われる出来栄えであり、そのクオリティは多くのアニメファンが認めるところです。

『鬼滅の刃』のテレビアニメもアクション作画が優れているのはもちろんとして、世界観を緻密に再現する背景描写の細やかさ、そして浮世絵をベースにしたとも言われる鬼狩りたちの技のエフェクトにも目を惹かれます。

そんな本作の監督を務めるのは、テレビシリーズから引き続き外崎春雄さんです。

彼は『テイルズオブゼスティリア』のテレビアニメの監督などでも知られています。

また、本作に関しては総作画監督の松島晃さんの役割も非常に重要でした。

均等な太さではない漫画のような「トメ・ハライ」のある線をアニメーションで表現するために、彼が全体の原画の調整を行っていったそうですね。

3D監督として名を連ねる西脇一樹さんは、本作の序盤の目玉でもある「水の呼吸」を見事にアニメーションで表現した立役者です。

原作の葛飾北斎の浮世絵のような描写をアニメーションで再現するために試行錯誤を重ね、水のうねりを作画で、白波をCGで表現してみせました。

劇伴音楽には、アニメファンにはお馴染みの『魔法少女まどかマギカ』『fate』シリーズ梶浦由記さんが起用され、民謡のテイストを取り入れた素晴らしい楽曲を完成させました。

一方で戦闘シーンの劇伴なんかは椎名豪さんが多く手掛けており、今回の映画版でもそうなのだとか。(梶浦さんのツイートより)

また、今回の映画版の主題歌にはLiSAさんの『炎』が起用されていますね。

ナガ
この曲の歌詞って、そういうことだよね…(泣)

これについては後程詳しくお話していきましょうか。

ということで、『鬼滅の刃 無限列車編』はテレビシリーズから引き続き素晴らしいスタッフに支えられた作品であり、これで期待ができないわけがないんですよね。



キャラクター・キャスト

さて、ここからは今回の映画版で知っておきたいキャラクターを数人、そのキャストと共にピックアップしてご紹介しようと思います。

竈門 炭治郎(CV:花江夏樹)

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

額左側の痕と、日輪が描かれた花札風の耳飾りが特徴的な少年。

嗅覚が非常に優れており、戦闘時には敵の位置情報や気配を読むことができる。訓練を経て、「隙の糸」と呼ばれる敵の弱点を見抜けるようになった。

鱗滝の元で2年間の訓練を積み、その結果として「水」の呼吸法を身につけ、鬼殺隊の最終試験に合格する。

優しい心を持ち、自分の家族を鬼に皆殺しにされたという悲しい過去を持ちながらも、死にゆく鬼たちの悲しい心に寄り添い、手を握ろうと試みる。

那田蜘蛛山編では、ついに十二鬼月に対峙し、追い込まれ死を覚悟するが、幼少期の父との日々の走馬灯を見て、父が踊っていた「ヒノカミ神楽」を剣技に変換し、敵の首を落とす。

 

竈門 禰豆子(CV:鬼頭明里)

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

竈門 炭治郎の妹で、第1話で自宅を鬼に襲撃された際に、傷口に鬼の血が混入し、自身も鬼になってしまい、炭治郎に襲い掛かる。

それでも、自分の兄を襲ってはいけないと理性を取り戻し、傷を負った炭治郎をかばうなど、他の鬼とは違う行動を見せる。

鬼は人の血を摂取しなければ生きながらえることができないが、禰豆子はそれを長時間の睡眠でカバーしている。

那田蜘蛛山編では、死んだ母親と深層意識で出会ったことがきっかけで、血が燃えて爆ぜる血鬼術「爆血」を身につける。

「爆血」は、彼女の血を浴びることで鬼がその肌が焼けるような痛みに苦しむというものである。

 

我妻 善逸(CV:下野紘)

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

炭治郎の同期にあたる鬼殺隊剣士。

非常に憶病な性格であり、初登場時は鬼を前にして、一般人の子どもを盾にして自分は助かろうとするようなヘタレっぷりを披露していた。

実力を持ちながらも、自分が強いはずがないという劣等感に苛まれており、常に自分に自信を持つことができない。

それでも、そんな自分を信じ続け、鍛錬を続けてくれた師匠への恩に報いるべく、自分を振り絶たせようと奮闘する。

緊張が極限に達すると、意識を失い、突然別人のようなオーラを放つ。

「雷」六つの型のうち、「壱ノ型 霹靂一閃」しか会得できなかったが、それのみを鍛え上げ、那田蜘蛛山編では、その一点突破で敵の蜘蛛たちの内の1体を打倒した。

 

嘴平 伊之助(CV:松岡禎丞)

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

炭治郎の同期にあたる鬼殺隊剣士。

初登場時は「猪突猛進」と口走り、とにかく見境もなく敵に向かって突っ込んでいくような剣士であった。

お調子者で、好戦的だが、落ち込みやすい側面もある。

那田蜘蛛山編では、敵の蜘蛛の家族の父と対峙し、その圧倒的な力を前に窮地に陥るも加勢としてやって来た水柱の冨岡に命を救われる。

戦いを終えると、負けが続いたことで落ち込むも、修行に励む炭治郎の姿を見て、感化され、再び訓練に励むようになる。

 

煉獄 杏寿郎(CV:日野聡)

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

今回の『鬼滅の刃 無限列車編』のメインキャラクターです。

鬼狩りとしての腕を磨いていたが、突如剣を捨て無気力となった父より罵倒されるようになり、失意の中で鍛錬を積み、「炎柱」にまで上り詰めた。

母には、「強い者が強く生まれたのは、弱いものを救うためである」と幼いころから言われ続けてきたため、それを常に実践している。

他の柱も一目を置く圧倒的な実力であり、今回の映画版で、彼のことを大好きになる人が続出することは間違いないでしょう。



『鬼滅の刃 無限列車編』解説・考察(ネタバレあり)

今回の予告編は巧妙に作られている?

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

さて、今回の『鬼滅の刃 無限列車編』ですが、おそらく映画の尺的に考えても、メインとなって来るのは、「VS魘夢」ではないでしょうね。

まず、上映時間が既に「117分」であることが判明しています。これはアニメ1話が「23分」程度と考えると大体5話分の尺になります。

では、『鬼滅の刃』のテレビシリーズが原作をどれくらい消化しているのかを考えてみますと、それは第1巻~第7巻の冒頭部分ということになります。

テレビアニメシリーズが全部で26話ありましたから、単純に計算すると1巻あたりアニメ4話分程度のペースで消化していることが分かります。

では、今回の映画版で扱われる「無限列車編」が原作でどれくらいの尺で描かれているのかと言いますと、それは次のようになっていました。

  • 第7巻(うち約80%):VS魘夢
  • 第8巻(うち約50%):煉獄VS上弦ノ参・猗窩座
ナガ
なるほど、これらを合わせると、大体1巻分を少しオーバーするくらいの尺になるわけだ!

つまり、アニメと同じ1巻あたり4話(23分×4)のペースで物語を展開していくのであれば、当然「煉獄VS上弦ノ参・猗窩座」が今回の映画版の最大の盛り上がりになることでしょう。

ただ、今回の『鬼滅の刃 無限列車編』は予告編を実に巧妙に作ってあるんですよね。

というのも、予告編の中で上弦ノ参・猗窩座の登場を一切匂わせていないんですよ。それどころか全てを第7巻の序盤~中盤にかけてくらいのシーンで構成してあります。

予告編がこうした構成になっているため、ファンの間でも当然「煉獄VS上弦ノ参・猗窩座」まで進むのかという議論が勃発しているわけですが、映画の盛り上がりを考えても、先ほど分析した尺の都合を考えても当然やるでしょう。

ただ、ここまで徹底して情報をシャットアウトする姿勢に製作陣の本気度が伺えます。

もちろん原作を読んでいる人はストーリーそのものは知っているわけですが、おそらく制作側が今回見る側に事前に漏らしたくないのは、アニメーションそのものでしょう。

実際、テレビシリーズではまだ煉獄の炎の呼吸による戦闘は描かれていません。加えて上弦の十二鬼月もまだ登場していません。

よって、この「煉獄VS上弦ノ参・猗窩座」は、これまでに私たちが体感したことがないようなufotableの総力を結集したとんでもないアニメーションが展開されることは間違いありません。

だからこそ、そうした圧倒的なアニメーションの初見は映画館で!という思いがあるのではないでしょうか。

ナガ
ちなみに特報第1弾の映像を見返すと、原作第8巻のあのセリフが登場してるんだよね…。

「俺は俺の責務を全うする!ここにいる者は誰も死なせない!」ってやつです。これがあったので、猗窩座登場はほぼ間違いないでしょうね。

また、今作の主題歌となっているLiSAさんの『炎』は明らかに煉獄という男が戦いの果てに向かえる結末を意識して書かれた歌詞だと思います。

正直、彼のあの壮絶な展開を見せられた後で、この曲を聴いたら、涙が止まらなくなることはもう間違いないですね。

手を伸ばし抱き止めた激しい光の束
輝いて消えてった 未来のために
託された幸せと 約束を超えて行く
振り返らずに進むから
前だけ向いて叫ぶから
心に炎を灯して
遠い未来まで

(LiSA『炎』より引用)

ナガ
どう考えても、この曲って煉獄さんへの手向けの曲ですよね…。

彼の意志を背負って、強くなって再び鬼へと立ち向かっていく、全ての鬼殺隊員の思いを代弁するかのような歌詞に、思わず胸が熱くなりました。

ここまで徹底的に、「無限列車編」の盛り上がりを前情報として出してこないのは、驚きでしたが、それを出さずとも客を呼べるという自信の表れとも言えますね。



煉獄 杏寿郎という男の生きざまに惚れる

やはり『鬼滅の刃 無限列車編』において何よりも注目すべきは煉獄 杏寿郎という男の生きざまでしょう。

正直、彼の初登場って、それほど良い印象を持てないんですよね。大声で正論を吐くバカっぽい雰囲気の男であり、禰豆子炭治郎の処刑にも大賛成する始末で、何だか頼りないなと正直思いました。

「無限列車編」に入ってからも、いきなり列車の中で弁当を大食いし始める始末であり、こんな人間に魅力を感じることはないだろうと高を括っていました。

ナガ
しかし、そんな印象があっさりと覆されてしまうんですよね…。

まずは、魘夢戦において、その圧倒的なスピードとパワーで1人で5両分の乗客の安全を確保してしまうという超人的な能力を披露します。

加えて、魘夢が絶命して、列車が脱線したときには技を繰り出して、その衝撃を吸収し、200人を超える乗客を1人も死なせることがありませんでした。

この時点で既に手のひらクルーしかかっていたのですが、ここから手首を引きちぎる勢いで、煉獄さんの株が上がり続けます。

上弦ノ参・猗窩座と対峙した際に、彼は猗窩座から「君は強いのだから、その強さを永遠のものにするために鬼にならないか」という勧誘を受けます。

『鬼滅の刃』第8巻より引用 (C)吾峠呼世晴/集英社

しかし、煉獄はその誘いを少しの迷いもなく拒絶しました。

この対立に現れているのは、「強さ」というものに対する考え方の違いなんですよね。

猗窩座は、強さをひたすらに鍛え上げて、上へ上へと上っていくことが自分の使命であり、目標であると考えています。彼は強さをどこまでも自分のためのものと考えているのです。

一方で、幼少の頃から母に「強く生まれたのは、弱い人たちを助けるためだ」と言われてきた煉獄は、強さは人を守るためのものだと考えています。

弱き人を助けることは
強く生まれた者の責務です
責任をもって果たさなければならない
使命なのです

(『鬼滅の刃』第8巻より引用)

ここが決定的に対立しているからこそ、両者は相まみえることになるわけです。

2人は全くの互角ですが、首を切られない限り絶命しないと猗窩座と煉獄では、やはりどうしても差が出てしまいます。

結果的に、煉獄は腕を胸に突き刺されるという致命傷を負ってしまいます。それでも諦めず夜明けが近いことを利用し、猗窩座を日の光で焼き殺そうと試みました。

最後は、猗窩座が自分の腕を引きちぎって森の中へと逃げ込んでしまうという幕切れになりましたが、炭治郎が叫んだように、確かに彼は「勝った」のだと私は思います。

ナガ
さて、ここからが重要です。

というのも、煉獄 杏寿郎という男は『NARUTO』で言うところの三代目火影的な立ち位置なんですよね。

胸に腕が貫通するというシチュエーションがVS大蛇丸の屍鬼封尽にどこか重なりましたね…。

煉獄は死闘の末に、自らの命を失うことは覚悟した上で、決死の思いで猗窩座を道連れにしようとするわけです。

そして猗窩座が逃げてしまった後は、炭治郎たちに自分の思いや生き様を継承します。

「己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと、心を燃やせ」
「歯を食いしばって前を向け」
「君が足を止めても蹲っても時間の流れは止まってくれない」
「柱ならば後輩の盾になるのは当然だ」
「今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ」

死が迫る中で、彼が遺す言葉の1つ1つがすごく重いのです。

そして、最後に彼は禰豆子が紛れもない鬼殺隊の一員だと認めました。ここで私ももう涙が止まらなくなりましたし、同時にクルーした手首が引きちぎれました。

MCUの人気ヒーローであるキャプテンアメリカは超人的な能力を持っていますが、元々は虚弱体質の人間です。それ故に彼のヒーローとしての強みは人の弱さに寄り添い、理解できることでもありました。

煉獄 杏寿郎という男には、それに通じるものを感じました。彼は人の弱さを理解しているし、だからこそそんな弱さを自分の強さで包み込み、守ろうとするのです。

彼が死ぬ間際に武才に恵まれなかった弟に残した言葉は「好きなように生きろ」でした。

それは、誰しもが強くなれるわけではないことを知っていて、それでもその人なりに前に進む方法があるのだと悟っている彼だからかけられる言葉だと思いました。

「無限列車編」は、意志の継承の物語です。

煉獄 杏寿郎という男の生きざまを炭治郎たちに見せつけ、そして彼らが成長していくための糧となる。

そしてそうした物語を実現する上で、この列車というモチーフが非常に重要でした。



列車は脱線する。その先に広がるのは無限の未来だ

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

列車というモチーフは、映画や小説の中でしばしば用いられます。

当ブログ管理人が個人的に印象に残っているのは、ハインリヒ・ベル『汽車は遅れなかった』というドイツ文学作品です。

この作品では、主人公のアンドレアスは列車で戦地に向かうことが運命づけられているのですが、戦争とはまさしく死地であり、彼は列車と死のイメージを強く結びつけます。

そういう意味で列車というモチーフは、定められ、変えようがない運命の表象として捉えることができます。

『汽車は遅れなかった』というタイトルもまた、「運命を変えることができなかった」と読み替えられるわけで、戦場で死ぬという運命が避けがたいものであったことが印象づけられているのではないでしょうか。

列車は他の乗り物違って、レールによって出発点と到着点が定められています。こうした構造も「定まった運命」というコンテクストを内包する1つの要因でしょう。

さて、本作『鬼滅の刃 無限列車編』において列車というモチーフが使われているわけですが、これが何を象徴しているのかと考えた時に、私が思ったのは炭治郎たちの運命の表象なのだろうということです。

基本的に『鬼滅の刃』シリーズにおいて、ここまでのエピソードでは、炭治郎たちは言われるがままに修業をし、戦い、任務をこなしというある種の敷かれたレールの上を走ってきたキャラクターだったんですよ。

そして今回の「無限列車編」も言い渡された任務だったわけですが、ここで明確に彼らが乗っていた列車は「脱線」します。つまり、彼らの運命を1本道で定めていた列車が消失してしまったわけですよ。

そうして、炭治郎たちは死が迫る煉獄さんから話を聞き、これから自分たちがどう成長していかなければならないのかを考えさせられます。

きっと彼らには、ここで初めて自分の目指すべきものを、誰かに定められるのではなく、自分自身で決めていかなければならないのだという意識が生じたはずなんですよ。

それが、明確に表れているのが、映画版では描かれませんが、宇髄天元と次の任務へと向かう描写です。

ここで、炭治郎たちはカラスから命令を受けるのでもなく、自分たちの意志で彼の任務に同行することを宣言しました。

列車が脱線し、開けた道。もう定められたレールの上を走る必要はありません。彼らは自分なりに自分の道を模索していかなければならないのです。

そんな彼らの支えになるのが、やはり煉獄さんの言葉なのだと思います。

遊郭編で上弦の鬼と対峙した炭治郎がピンチの中で煉獄の残した言葉を思い出すシーンがありました。

『鬼滅の刃』第9巻より引用 (C)吾峠呼世晴/集英社

この「無限列車編」はそういう意味でも、『鬼滅の刃』という作品における重要なターニングポイントであり、彼らの未来への無限の運命が開かれる瞬間を描いた「おわりのはじまり」なのだと思います。

振り返らずに進むから

前だけ向いて叫ぶから

心に炎を灯して

遠い未来まで…。

 

まさしく炭治郎の「柱」となった煉獄

さて、最後にこの「無限列車編」以降の炭治郎煉獄の関わりについてお話させていただきます。

ナガ
ここからはシリーズのネタバレになるような内容を一部含みます!

煉獄は、この「無限列車編」にて命を落としてしまうこととなるわけですが、その意志は確かに炭治郎へと受け継がれます。

とりわけ『鬼滅の刃』シリーズにおける数々の強敵との戦闘において、炭治郎にとっての煉獄さんは文字通り精神的な「柱」なんですよね。

まず、第9巻から始まる「遊郭編」では、仲間や音柱の宇髄天元が命を落としそうになっている時、上弦の鬼を前にして自分が何もできずに、目の前で煉獄さんが殺されてしまったことを思い出し、何とかして仲間を守ろうと覚醒を遂げます。

そして、最終決戦直前の修行編でも、炭治郎の心には、常に彼の存在があります。

『鬼滅の刃』第15巻より引用 (C)吾峠呼世晴/集英社

過酷な修行で心が折れそうになりながらも、強くなるために、煉獄さんとの約束を守るために、炭治郎は彼の言葉を思い出し、自分を奮い立たせます。

そして、何と言っても炭治郎の中にある煉獄への思いとして特に重要なのが、これですね。

『鬼滅の刃』第15巻より引用 (C)吾峠呼世晴/集英社

ナガ
自分ではなくて、煉獄さんが生き残った方が良かったのではないか…という問いだね。

それでも、生き残ったのは自分なのだから、煉獄さんの思いも背負って、自分が無惨を倒さなければならないのだと炭治郎は自分を奮い立たせます。

そうして、シリーズのクライマックスへと突入すると、待ちに待った猗窩座とのリベンジマッチが待っています。

ナガ
原作第17巻だね!

ここで、特に印象的だったのが、この言葉ですね。

『鬼滅の刃』第15巻より引用 (C)吾峠呼世晴/集英社

猗窩座と、煉獄炭治郎の考え方ってとにかくズレているんですよね。

というのも、この場面で猗窩座は煉獄が身を挺して炭治郎を生かしたことを「肯定」しているのですが、これは炭治郎にとっての「肯定」にはなり得ません。

彼にとっての煉獄の死の「肯定」は、彼の意志を受け継ぎ戦い続けることでしか実現し得ないのです。

それにも関わらず、安易に猗窩座は煉獄の死が君が強くなるために必要だったと語り、炭治郎の気持ちを逆撫でしてきます。

そしてついに、煉獄の刀の鍔を自分のものにつけた状態で、炭治郎は猗窩座を打倒することに成功しました。

ナガ
まさしく煉獄の意志を背負って、復讐を果たしたと言えるのではないでしょうか。

このように、煉獄という男の存在は確かに多くの人に影響を与えましたし、特に今シリーズにおける炭治郎を語る上では欠かせない人物となります。

ぜひ、そんな主人公にとっての精神的な「柱」になる、煉獄の最期が描かれる「無限列車編」をぜひご覧いただきたいですね。



とんでもない出来に仕上がった映画版の持つパワー

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

早速、映画版の『鬼滅の刃 無限列車編』を鑑賞してきたわけですが、もう言葉を失いますね。

原作ももちろん素晴らしいんですよ。ただアニメはその10倍の熱さとエモーションが込められていて、単純にその圧倒的なまでのパワーにあっけにとられました。

今回の映画版のクライマックスは煉獄さんだと覚悟して見に行ったにも関わらず、原作の同パートを何度も読み返していたにも関わらず、溢れた涙が止まらない…。

近年、これに比肩するパワーを持ったアニメ映画があっただろうか?と思い返しても見当たらないほどの圧倒的な「力業」にねじ伏せられます。

そんな映画版の『鬼滅の刃 無限列車編』について、個人的に素晴らしかったと感じたポイントをお話させていただきます。

 

「継承」と「永遠」の物語として洗練された脚本

今回の『鬼滅の刃 無限列車編』はおおむね原作通りですし、展開や描写の面で大きなサプライズはなかったように思います。

ナガ
ただ、その構成の仕方は抜群に巧かったですね!

『鬼滅の刃』というシリーズを通底するのは、個人的に「永遠」と「継承」というキーワードだと思っています。

これは人間と鬼のどちらにも通底するキーワードなんですよね。

鬼の方に関して言うなれば、無惨から血を継承することで生きながらえたり、力を増強させたりしています。加えて、彼らは文字通り半「永久」的に生きることができるわけですよ。

一方で、人間はどうでしょうか。人間は「永遠」に生きることはできません。

しかし、人間はその信念や思いや希望を継承することで、「永遠」に変えることができます。

例え、1人の鬼狩りが死んだとしても、その思いが他の鬼狩りに受け継がれていくことによって、それが消えることは無くなるのです。

そうして、脈々と信念や思いや考えを継承し、長きにわたって鬼と対峙してきたのが、鬼殺隊ですよね。

今回の『鬼滅の刃 無限列車編』には、冒頭にお館様が、これまでに命を落としてきた鬼狩りたちの慰問をするシーンがあります。

確かに彼らの命は終わってしまいました。それでも、彼らが命を賭して残してくれた思いや信念、知識や情報は消えることなく受け継がれ、生き続けています。

それこそが鬼殺隊にとっての「永遠」であり、「継承」なのです。

ナガ
だからこそ、今作のファーストシーンがお館様の慰問だったのは、本作の構成において極めて重要な点なんだよ!

なぜならこの映画は鬼と人間による「永遠」を巡る戦いを描いているからです。

その中心にあるのは、もちろん煉獄VS上弦ノ参・猗窩座」ですよね。加えて、煉獄の父に関するエピソードも重要です。

煉獄の父は、柱にまでなりながら、突然鬼殺隊から抜け、怠惰な生活を送るようになり、息子たちを訓練することもやめてしまいました。

彼はきっと鬼の目に見える「永遠」と対峙して、人間には「永遠」が存在し得ないことを悟り、そして自分の子どもたちの命を失うことを恐れたんですよ。

ひとたび失われてしまったら、もう戻ることはない。それを回避するためには、失わないようにするしかない。彼なりのアンサーだったのでしょう。

しかし、煉獄はそんな父に否定されながらも、成長を遂げ、ついには炎柱にまで辿り着きました。

彼の心の支えとなったのは、もちろん母親から「継承」されたあの言葉です。「強く生まれた者の責務」を彼は果たさなければならなかったのです。

そして、映画のクライマックスで、彼は上弦ノ参・猗窩座と対峙します。

猗窩座煉獄に突きつけるのは、鬼の「永遠」です。文字通り半ば「永遠」に生き、自分の武芸を誰にも継承することもなく、淡々と自分の中で磨き続けることができるのだと語っていました。

しかし、それに対して煉獄は人間なりの「継承」と「永遠」で対抗するのです。

自分の命が失われてしまうことが終わりではなく、自分の思いが炭治郎ら後輩に伝わっていくことで、それは「永遠」になるのだと。

煉獄VS上弦ノ参・猗窩座」の闘いの結末は劇的です。

煉獄は鬼の「永遠」を明確に否定し、日の光の下で絶命し、その思いを「永遠」に託します。

一方の上弦ノ参・猗窩座は森の中へと逃げていき、自分の命の「永遠」を継続する道を選択します。

煉獄の思いは、カラスによって他の柱たちにも伝えられ、確かに「継承」されていきました。

ナガ
そして、このラストがまさしく映画のファーストシーンと呼応しているわけだ!

鬼と戦って命を落としていった者たちの戦いは無駄だったのか?

決してそうではなく、死しても確かに続いていくものがある。それが人間の「永遠」なのだと確かに告げています。

最終的に、今シリーズのラスボスである無惨を追い詰めるのも、そんな人間の「継承」と「永遠」です。

そして、それを見事に1つの映画の中で凝縮し、1つの物語としても纏め上げた今回の映画版の脚本は称賛に値するでしょう。

 

劇伴音楽の使い方とボイスアクトのトーン

さて、ここからは演出・演技面の話題に移っていこうと思います。

まず、個人的に圧倒されたのは、梶浦由記さん、椎名豪さんらが手掛ける劇伴音楽ですね。

ナガ
今回の映画版は椎名豪さんがメインなんだそうです!

『鬼滅の刃』はテレビアニメシリーズにおいても、劇伴音楽のクオリティが際立っており、数々の名シーンを彩ってくれました。

しかし、今回の『鬼滅の刃 無限列車編』はさらにその上を行く圧倒的なクオリティでした。

基本的に、このシリーズにおいてはキャラクターごとにテーマとなる劇伴が用意されている印象を受けます。

例えば、我妻 善逸が技を繰り出す算段になると、エレクトロな音楽が使われ、映像のトーンや空気が明確に変化しますよね。

他のキャラクターについてもそうなのですが、今作では特に煉獄猗窩座の劇伴が際立っていました。

まず、前者はストリングス主体の王道で、壮大な劇伴音楽が印象的に使われています。これにより、煉獄の正義感の強さや王道を行く戦闘スタイルが強調されています。

一方の猗窩座の登場シーンでは、ロック調のかなりハードめな劇伴音楽が使われていました。

こうした劇伴音楽は、他のキャラクターには使われていないため、明白にこれまでの物語のトーンが変調します。流れている空気が明確に変わるのです。

そして、2人の戦闘シーンではそうしたストリングス調の劇伴と、ロック調のハードな劇伴がぶつかり、せめぎ合うようなめまぐるしいメロディへと転調します。

このように、劇伴音楽でもって映画のトーンを変化させ、観客が明確に「空気の変化」を感じられるように演出してあるのは、素晴らしいと思いましたね。

また、アニメ版では個人的に少し苦手だった演技面の難点がかなり解消された印象を受けました。

少年漫画あるあるではありますが、『鬼滅の刃』は主人公が状況や心情をとにかく言語化し、大声で叫ぶような演技も目立つ作品です。

ナガ
ここは好みが分かれる部分ではあるよね…。

しかし、今回の映画版ではすごくエモーションの力点の置き方が計算されているように感じられましたね。

『鬼滅の刃 無限列車編』でエモーションを強く演出してあるのは、家族のネガティブな夢を見せられたことに対して炭治郎が憤りを隠せなくなるシーンと、クライマックスの煉獄の最期のシーンでしょう。

今回は、この2つのシーンにエモーションの爆発を集約しており、だからこそそのパワーに思わず涙が止まらなくなるんですよね。

特に、終盤の煉獄の最期に際して、炭治郎猗窩座に向かって叫ぶシーンは、原作の数百倍のパワーを持っていました。

ナガ
花江夏樹さんのベストアクトの1つだろうね…。

逃げる猗窩座に対して、煉獄は勝ったのだと、自分に言い聞かせるかのように叫ぶその姿に鳥肌が立つと共に、涙腺がぶっ壊れました。

「過剰な演技」って個人的に、観客の感情が登場人物に乗りきらない、観客が想定できるよりも大袈裟に見えるときに出てくる言葉だと思うんですよ。もちろんこれが必ずしも悪いとは思いません。

ただ、炭治郎猗窩座に向かって叫ぶシーンのボイスアクトって、普通に考えたらオーバーアクトになり得るようなものですよ。

しかし、そう感じないのは、観客のボルテージがきちんとクライマックスに向けて高まっていて、自分もあの場所に居合わせたなら、負け惜しみでも強がりでも猗窩座に向かって叫んでやりたいと思わせてくれる、それだけの説得力があるからなんです。

当ブログ管理人がテレビアニメシリーズを見ていた時に、そうした「過剰さ」が鼻についたのは、きっと感情が乗り切っていなかったからでしょう。

そして、きちんと描写を積み重ねクライマックスでエモーションを爆発させてくれた本作では、自分も思わずその熱に飲み込まれていたと気がつきました。

だからこそ、この『鬼滅の刃 無限列車編』にはとてつもないパワーがあるのだと、確かにそう思いました。

 

際立っていた光の演出

さて、最後にもう1つ演出面で語っておきたいのが、光の使い方です。

『鬼滅の刃』シリーズでは、基本的に昼間は人間の時間、夜は鬼の時間であるという対比が明確になっています。

そのため、無限列車内のシーンでは、魘夢の計画が動き始めると、照明が点滅し、列車内が暗転するといった演出が施されているわけです。

そして、何と言ってもこの光の演出についてお話しておきたいのが、クライマックスの煉獄の最期のシーンです。

基本的に『鬼滅の刃』シリーズにおいて光に照らされて絶命するのは、鬼の役回りなんですよ。

ナガ
日の光が弱点なのだから当然だよね!

しかし、煉獄の最期のシーンにおいては、彼が朝日の陽光に照らされながら命を落とすという描写になっているのです。

私がここで重要だと感じたのは、煉獄が「人間として」日の光に照らされて絶命するというシチュエーションでした。

日の光に照らされて死ぬのは鬼であるという考えが頭の中にある状態で見せられるからこそ、このシーンは一層印象に残るのかもしれません。

猗窩座は鬼として「永遠」の命を持っていますが、日の光に当たることができません。だからこそ朝日が空に昇り始めると、森の闇の中へと逃げていくことしかできません。

しかし、鬼になることを拒絶した煉獄は日の光の下で、後輩に思いを託し、家族への遺言を残し、母に認められながら、笑顔で絶命することができたのです。

これはまさしく闇の中へと逃げていくことしかできなかった猗窩座と対比的に描く、煉獄の勝利と誇りなんですよね。

そして、本作のクライマックスの朝日は、彼が思いを託した後輩たちがいずれ世界に光を取り戻してくれるであろうという予感を感じさせてくれる演出でもあります。

彼の死もきっと無駄ではない。夜明けは近い。

ここまで映像で魅せてくれると、もう文句のつけようもございません。



おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は『鬼滅の刃 無限列車編』についてお話してきました。

ナガ
『鬼滅の刃』シリーズが一気に面白くなったのは、やっぱりここからだよね!

この「無限列車編」は本当に素晴らしくて、当ブログ管理人が『NARUTO』好きと言うこともあってすぐに例として挙げてしまうのですが、

  • 「カカシVSイタチ」(第1部):圧倒的な力を持つ暁との邂逅
  • 「三代目火影VS大蛇丸」:自らの命を賭した仲間を守るための戦い。火の意志の継承。

というシリーズ屈指の名シーンとして知られるこの2つの戦闘をミックスしたような趣があります。

上弦の月の圧倒的な実力を「柱の死」によって読者に印象づけたこと、そして煉獄という男の生きざまとその強い意志の継承でもって、主人公たちに新たな「はじまり」を予感させるというまさしくシリーズの「未来」を切り開く章になっているんですよね。

だからこそ、この「無限列車編」以降シリーズのボルテージが一気に上昇していくのは、もはや必然ということでしょう。

テレビアニメシリーズを見て、『鬼滅の刃』にハマらなかったという方を多く見かけます。

ナガ
しかし、そんな方にこそ、どうかこの「無限列車編」までは見て欲しいと思ってしまうのです。

ぜひ、この超絶テンポで展開される圧倒的なバトルの連続とそして煉獄という熱い男の生き様を見届けてください。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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