【ネタバレあり】『エヴォリューション』解説・考察:本作が問うた進化の意味とは?

(C)LES FILMS DU WORSO・ NOODLES PRODUCTION・VOLCANO FILMS・EVO FILMS A.I.E. ・SCOPE PICTURES・LEFT FIELD VENTURES / DEPOT LEGAL 2015

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『エヴォリューション』についてお話していこうと思います。

本記事は一部作品のネタバレになるような要素を含む作品の解説・考察記事になります。作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

公開当時、かなり難解に感じられて考察を保留にしていたんですが、今回一念発起して本気で書いてみようと思います。

ナガ
お得意のこじつけ満載ってわけ?

そういうことです(笑)

まあ「こんな見方もあるのかな?」くらいの感じで読んでいただけると幸いです。

良かったら最後までお付き合いください。

『エヴォリューション』徹底解説

作品を鑑賞した方に向けての記事と銘打たせていただいておりますので、いきなり本論から進めさせていただきます。

未鑑賞の方は、まずはネットフリックス等で映画『エヴォリューション』を鑑賞してから読んでいただけると幸いです。

水と羊水、見上げる行為と見下ろす行為

映画『エヴォリューション』のファーストカットは水中のシーンです。

日の光によって黄色や赤色に輝く美しいサンゴ礁の海で少年ニコラがお腹にヒトデを有した「人間」の死体を発見するところから物語が動き始めます。

水というモチーフが、生殖を題材に扱った本作において「羊水」のように機能する点は想像に容易いでしょうか。

羊水とは、人間の生殖のプロセスにおいて胎児が外の世界に出るまでを過ごす液体を指すわけですが、本作の中で少年たちはそんな「羊水」の中に閉じ込められています。

それを印象付けるのが、本作における「見下ろす」「見上げる」という2つの行為です。

まず、「見下ろす」という行為が登場するのは、まさしく冒頭の海でヒトデを有した死体をニコラが発見するシーンですよね。

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太陽に照らされたニコラが「見下ろし」ているのは、水中にある赤いヒトデであり少年の死体です。

一方で、それを死体の視点から見るのであれば、死体が「見上げて」いるのは、水の向こうに輝く太陽の輝きであり、泳ぐニコラの姿です。

また、本作『エヴォリューション』のパンフレットにて監督のルシール・アザリロヴィックが次のように述べています。

11歳の頃に虫垂炎で入院した時、初めて知らない大人に自分の体を触られ、開腹されました。思春期だったこともあり、とても奇妙で強烈な経験として自分の中に響きました。それがこの作品の一番のアイデアの原点だと思います。

(映画『エヴォリューション』パンフレットより引用)

つまり「見下ろす」という行為は看護師を初めとする「大人」の視線を表していて、それは「安全」や「生」を表象したものと考えられます。

一方の「見上げる」という行為はどうでしょうか。

「見上げる」という視線のダイレクションは、まさしく病室でベッドに横たわる患者の視線でもあります。

よってその行為が孕むのは、「危険」や「死」といった意味合いになってくるわけです。

少年たちは島の「女性」たちによって性的に搾取され、その「羊水」の中で生殖行為の外部器官として機能させられています。

ベッドに横たわる少年ニコラの虚ろな目。培養液に漬けられ、その液体の中に閉じ込められ、命を落とした名も無き少年。

冒頭でヒトデを「見下ろし」ていたニコラが徐々に、手術台に横たえられ、ベッドに寝かしつけられ、そして培養液に身体の大半を漬け込んだ状態で天井を「見上げる」ようになる。

この一連のプロセスが徐々に少年が「生」から「死」へと近づいていっていることを明確にしています。

ルシール・アザリロヴィック監督は本作の制作過程で影響を受けたアーティストの1人にダリを挙げています。

ダリの描いた作品の中で「水」が印象的に登場する作品は多くあります。

ナガ
例えばこの「海の影の中で眠る犬を見るために、海の皮膚を持ち上げる少女である6歳のダリ」はどうでしょう?

「海の影の中で眠る犬を見るために、海の皮膚を持ち上げる少女である6歳のダリ」

そしてもう1つ類似の作品で構図と視点を変化させたものがあります。

「海の皮膚を引きあげるヘラクレスがクピドをめざめさせようとするヴィーナスにもう少し待って欲しいと頼む」

この2つのダリの作品において、海は「羊水」のメタファー的に機能していて、ダリの胎盤への回帰願望を表現していると見られることが多いと言います。

映画『エヴォリューション』の冒頭の海の上からヒトデを「見下ろす」カットが前者の絵画のクピドに、物語の中でニコラを初めとする少年たちが後者の絵画のクピドに酷似している点は興味深いポイントと言えます。

また、2つ目の絵画において眠っているクピド(子供)を起こそうとしているのは、ヴィーナスつまり「母」です。

映画『エヴォリューション』のラストでは、文字通り海から脱出が描かれ、少年「ニコラ」が「羊水」から脱出し、新しく「生」まれたことが表現されています。

また絵画の中でクピドを目覚めさせようとしているのがヴィーナス(母)であるという点も重要でしょう。

後に考察していきますが、私の個人的な見解では本作は「母性」を巡る寓話という側面を有しているように思えるからです。

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ヒトデと五芒星、ステラの存在

映画『エヴォリューション』において最も印象的なのは、やはりヒトデという生物でしょう。

ヒトデという生命体の生殖方法は極めて独特です。

  1. メスが産卵、オスが放精することによる雌雄異体受精
  2. 1匹で雌雄の役割を果たし、自家受精する雌雄同体受精
  3. オスのみでも未受精卵から新個体が出来るようにする単為生殖
  4. 分裂・自切による無性生殖

先ほど、冒頭のカットが少年ニコラがヒトデを「見下ろす」構図になっていることを指摘しましたが、その時に太陽の光に重なるニコラのシルエットが「ヒトデ」の形になっているんです。

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そして水中にある赤いヒトデの視点で見ると、水中から海の向こうの光を見つめているという構図になるわけですが、それがほとんどそのまま手術室のシーンにトレースされています。

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手術台で天井を見つめるニコラの目には、ヒトデのイメージを連想させる形の照明が当てられ、彼の目にはそんな星の形の光が映し出されています。

ここでニコラがヒトデ(星のモチーフ)を「見下ろす」構図から、「見上げる」構図へと変化している点も面白いですよね。

ニコラが置かれている立場が水中の「ヒトデ」に重なるという点がこの変化で明らかにされているのです。

また本作のヒトデというモチーフはキリスト教的な五芒星を想起させる点も指摘しておく必要があるでしょう。

キリスト教における五芒星はイエスが十字架に架けられた際に負った5つの傷を指示していると言われています。

思い出して頂きたいのが、ニコラが水中を遊泳している際に手を怪我するシーンです。

これってイエスの受難を表現しているのではないかと連想してしまいました。

19世紀のメキシコの画家Mano Poderosaの作品にこんなものがあります。

The All-Powerful Hand by Mano Poderosa

中央に置かれた手はキリストの受難であり、その手から流れ落ちる血を羊(人間の象徴)が飲んでいます。つまり彼の受難が羊(人間)の原罪を贖ったことを表しているわけです。

その後のシーンでニコラはヒトデの5つの腕1つを石で断ち切ってしまいます。

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先ほど指摘したように、ヒトデは自分の身体を分裂・自切することで個体を増やす無性生殖をすることも可能ですから、これが生殖を引き起こす行為であることは明白です。

これにより、ニコラの手の怪我とヒトデの自切による無性生殖が1つに繋がり、彼の流した血は「生理血」のような意味合いも孕んでいきます。

加えてこのヒトデの腕の1つを断ち切るシーンというのは、五芒星の「5」を「4」という数字へと変換する作業でもあります。

「5」はキリスト教においてイエスの受難を指し示す数字であります。

一方で、「4」という数字は聖書的なイメージではバイブルコード等の発見も相まって、天と地つまり世界を表しているのではないかと言われています。

キリスト教の世界観では、アダムとイブの原罪、人類の堕落、イエスによる原罪の贖罪、イエスの復活と世界の再創造が1つの円環を為していると言われています。

そう思うと、「5」から「4」への変換というのは、受難から世界の再創造へのステップを表しているのではないかと深読みしてしまいます。

お腹の中から生命体を抜き取られた少年たちは命を落としていますが、ニコラはある種「復活」を遂げる形で意識を取り戻しました。

また、考察の部分で触れていますが、彼はある種のメシア的な描かれ方をしています。

そんなニコラの前に現れ、結果的に彼を救い出すことになるのがステラという女性です。

実はステラという女性はこの映画において「隠された星のモチーフ」なんです。

ステラ(Stella)というのは、ラテン語由来の言葉で「星」を意味する言葉です。

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ただただ生殖とそれに伴う死を待つだけのニコラの前に現れたのは、ステラという「星」を名前に冠した女性で、彼女がニコラを島から脱出させます。

しかし、彼女はニコラと共に文明社会に向かうことはありません。彼の安否を確認するや否や海へと飛び込んでしまいました。

ここで再び海の上からニコラは、海の中の「星型のモチーフ」を覗きこむこととなります。

つまりこの映画の冒頭のニコラがヒトデを見下ろすシーンを連想させているわけですが、彼が「見下ろす」立場になったということが「生」を強く感じさせます。

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ステラという聖母

ここまで星型のモチーフとしてのステラについては触れましたが、彼女の存在にもっと踏み込んでいきたいと思います。

ステラという女性が映画『エヴォリューション』において、聖母のような役割をはたしていることは明白です。

アンドレア・マンテーニャ『死せるキリスト』

意識を失ったニコラのいるベッドの傍らに佇み、彼を見つめるステラの姿は数々の宗教画で描かれたような十字架に架けられ絶命したイエスを見つめるマリアを思わせます。

ただそういったヴィジュアル的な側面に留まらず、本作におけるステラに課された役割が「母性」の獲得にあったことを想うと、一層理解が深まるように思います。

ステラは吸盤を持つ「ネオ人類」的な種族の1人であるわけで、生殖器を持っていません。よって彼女にとってニコラという存在は自分が腹を痛めて産んだ子供というわけでもありません。

しかし、彼女はニコラに対して愛情を抱き、そして自分の「子供」のように感じ始めます。

ステラともう1人の女性が検査室にいて、ニコラのお腹の中に宿る生命体について検査しているシーンで、その生命体にしか興味を示さない女性の傍らで、彼の身を案じるステラの姿は印象的です。

また、ステラがニコラを連れ出して、一度海の中に沈めようとしたシーンがありましたよね。

あの時、既に彼女はニコラを救う決断をしていたんだと思います。個人的には、彼がどれだけ水中で息をせずに耐えられるのかを検証したのではないかと考えています。

そうして「母」としてニコラを救ったステラは、外の世界に彼を自分の「子」として送り出し、そして去っていきます。

まさしく聖母マリアの処女懐胎を思わせる一連の流れですよね。

また、聖母マリアを指し示すモチーフは「暁の星(明けの明星)」であると言われています。

そう考えるとステラという星のイメージを名前に有した女性が、聖母マリアの様な役割を作中で果たしているのも偶然ではないのかもしれません。

緑色の壁紙が孕んだ狂気

本作『エヴォリューション』は、やはりルシール・アザリロヴィック監督の作品のこれまでのコンテクストから考えても、女性に主眼を当てた映画だろうと思います。

そしてその映画の中で印象的な色は「緑色」です。

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ルシール・アザリロヴィック監督の『エコール』という作品を思い出してみましょう。

思えば、この作品もまた緑色の自然が取り囲む閉鎖空間での少女たちの物語であったわけですが、その色のイメージを『エヴォリューション』はそのまま踏襲しているようにも思えます。

緑色のパスタ、薬品そんな嫌悪感に満ちたモチーフが、物語後半の緑色の壁紙の一層際立たせます。

「緑色」という色は本来は調和を想起させる美しい色であるわけですが、ルシール・アザリロヴィック監督が用いるそれは狂気と嫌悪感を孕んだ気味が悪い色に思えます。

アメリカの作家シャーロット・パーキンズ・ギルマンの著した『黄色い壁紙』という小説があります。

竹村和子氏はこの作品を次のように評しています。

1892年にシャーロット・パーキンズ・ギルマンが発表した「黄色い壁紙」は、規範的な妻や母であることを強要する性体制がいかに女を苛み、さらにその〈治療〉がいかに女を狂気にまで仕立てあげるかを迫力に満ちて描いた小説

(竹村和子『フェミニズム(思考のフロンティア)』より引用)

シャーロット・パーキンズ・ギルマンはステレオタイプ的な女性像に苦しめられる女性をこの作品の主人公に据え、黄色い壁紙の中に自己を投影しつつ、徐々に気が狂っていく姿を描きました。

一方でルシール・アザリロヴィック監督が『エヴォリューション』という作品にて用いた「緑色の壁紙」というモチーフもまた女性の解放を表現しています。

本作における成人男性の不在と、女性に生殖器が備わっていないという設定はまさしく彼女たちが「出産」「母」「妻」という典型的な女性の役割から解き放たれていることを明示しています。

そしてそんな彼女たちが作り出す「緑色」の狂気は、自分たちの役割を外部化していくという方向に働いています。

壁紙という点に関連して見ていくと、2つの作品は作品の深層で繋がっているようにも思えました。

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映画『エヴォリューション』考察

では、結局のところ映画『エヴォリューション』は何を描こうとしていたのでしょうか?

おそらく意図されていたであろう子供の成長譚として

ルシール・アザリロヴィック監督はパンフレットの中で次のように作品を評しています。

この映画はおとぎ話であり、子供たちのイマジネーションと成長の物語です。

(『エヴォリューション』パンフレットより引用)

監督が意図したところに基づいて、考察するならば、『エコール』同様に「思春期」の物語であるという側面が強いのだと思います。

『エコール』という作品は、思春期の少女が性的に成熟し、初潮を迎えるまでの物語をじめじめとしたタッチで寓話的に描いた映画でした。

『エコール』においても一定の年齢以上の女性は閉鎖空間から消えていき、自分が成長した先にある「未来」がブラックボックスになっていましたが、『エヴォリューション』も同様です。

あの島には、成年男性が存在していないわけで、自分が成長したらどんな姿になるのだろうかという「未来」が明示されていません。

少年たちは「死」と「性」を突きつけられる中で、成長を続けていくわけでその中で感じる嫌悪感や恐怖といった感情が本作では上手く表現されています。

ルシール・アザリロヴィック監督は『エヴォリューション』という作品をハッピーエンドにはしていないと仄めかしています。

ラストシーンでニコラが直面する都市の灯りというのは、彼が経験しなければならない新たな「試練」であるという点を監督は強調しています。

つまり映画『エヴォリューション』が描き出したのは、子供が成長していく過程で知覚する「感覚」を可視化した光景なのではないでしょうか?

人間は常に「死」へと向かう存在であるわけで、成長を続けていく中で「死」に対する恐怖感や不安感は強まっていきます。また自身の身体的な変化や性的な成熟に対する戸惑いや嫌悪感もまた子供が成長する過程で経験するものです。

そういった戸惑いや不安、恐怖、嫌悪感といった感覚を経験する中で、少しずつ「大人」に近づいていくというプロセスを描いた点はルシール・アザリロヴィック監督らしいですし、『エコール』にも通ずる点でしょう。

生殖と母性の喪失は人類の「エヴォリューション」か?

ナガ
では、ここからは解説で指摘してきたヒントを元に当ブログ管理人の独自解釈を書いていくよ。

この作品を最初に見た時に強く連想したのは1枚の絵画でした。

ポール・ゴーギャン『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』

この作品はゴーギャンが少年時代に受けた神学校での教えに強く影響を受けていると言われています。

タヒチの海辺の風景や人の肌に「黄色」を用いるゴーギャンの絵画の風景は映画『エヴォリューション』のシーンを想起させます。

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さて、『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』という作品は、まず中央に禁断の果実を握りしめた人物が描かれており、これが旧約聖書の失楽園を思わせます。

また、本作はキリスト教の教理問答における以下の3つの問いをベースにしていると言われています。

  • 「人間はどこから来たのか?」
  • 「人間はどこへ向かうのか?」
  • 「人間はどのように進歩するのか?」

絵画の右側を見ていると、生まれたばかりの赤子が描かれている一方で、絵画の左側には老いた老人の姿が描かれていて、1つの絵の中に時間の流れが存在していることが分かります。

そしてこのゴーギャンの絵画の主題性は『エヴォリューション』という作品に強くリンクしてくるのではないかと個人的に感じました。

なぜならこの作品が描いたのはまさしく先ほど挙げたキリスト教の教理問答で示されている3つの問いなのです。

まず、生殖という主題を据えている点が「人類はどこから来たのか?」という問いかけにも繋がっていると考えられます。

そして「人間はどこへ向かうのか?」そして「人間はどのように進歩するのか?」という2つの問いがタイトルでもある『エヴォリューション』に関連しています。

映画『エヴォリューション』においてネオ人類的な種族の女性たちが実験しているのは、「母性」と「生殖」の外部化です。

島の女性たちは「子育て」をしているわけではなく、実験行為のために少年たちを飼育、培養していると言えます。そうして生殖器を持たない彼女たちは、少年に「生殖」の機能を委託することで種を存続させようとしています。

そのために少年たちはネオ人類たちの「母性」と「生殖」の外部器官として搾取され、用が済めば命を奪われていきます。

ナガ
皆さんはこれからの人類はどうなっていくと思いますか?

カズオイシグロは人類に臓器提供をするためだけに生み出されるクローン人間の生涯を描いたSF小説である『わたしを離さないで』を著しました。

既にクローン技術や体外受精の技術は進歩していますが、人類は科学技術の発展の先に繁殖をするために「生殖」行為を必要としなくなる未来を創造するかもしれません。

『エヴォリューション』で描かれた女性たち(女性器を持っていないため女性と定義してよいのかも不明瞭)は、快楽行為としてだけの「セックス」を習慣として残しているように見えましたし、単純に「母性」と「生殖」だけを外部化して種を存続させようとしていました。

では、それが実現できたとして人間は生物として本当に「進化」したと言えるのでしょうか?

確かに個体数の管理や個体の情報に至るまで全てが管理下に置かれ、安定して「種の存続」を実現できる可能性はあるでしょう。

しかし、それでは人間は生物として「退化」しているのではないかとすら思えるのです。

映画『エヴォリューション』において、ステラというネオ人類の女性は、あの島の中で唯一「母性」に目覚め、「羊水」の中からニコラを放出します。

つまり「母性」と「生殖」の外部化を進める、島の方針とは逆行する行動を取ったわけです。

そして救い出されたニコラ(Nicolas)という少年の名前ですが、これはミラのニコラオス(仏語:Nicolas)に着想を得ているのではないでしょうか?

ミラのニコラオスは、数々の子供を救ったという逸話と共に語り継がれ、子供の守護天使として構成に名を残していますし、サンタクロースの伝承の始まりではないかという説も存在しています。

そんなあまねく子供に手を差し伸べる普遍的な「母性」と「愛」(を表象するニコラ)が、人間の世界に「生」を受けたというのが私の捉えた本作のラストシーンの意味です。

人類の生物としての「進化」とは、一体どこにあるのでしょうか?人類はどこへ向かうのでしょうか?

その答えは誰にもわかりません。

しかし、『エヴォリューション』という「進化」をタイトルに関した本作は、我々に「進化とは何なのか?」と問いかける寓話とも言えます。

映画『エコール』にて、女性の性的な成熟を寓話化したルシール・アザリロヴィック監督。

そんな彼女の作品だからこそ、本作は『エコール』のその先を描いた作品なのではないかと私は推察した次第です。

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おわりに

いかがだったでしょうか?

今回も当ブログ管理人のこじつけ満載考察にお付き合いいだきまして、本当にありがとうございます。

ナガ
監督がパンフレットでこういう意図を込めたと表明しているのに、それとは全く違う解釈を書いてしまったよね(笑)

まあ、監督や製作陣が意図した内容でしか映画を解釈してはいけないなんて考えは個人的には面白くないですし、映画が公開された時点でそれをどう解釈するかは見る側に委ねられていると思います。

ですので、今回私が書いた解釈というのは、あくまでも「こういう見方もありなんじゃないか?」という1つの可能性くらいに思っていただけると嬉しいです。

本作『エヴォリューション』という作品は、かなり不明瞭な部分が多く、監督自身も見る人の「感性」に委ねたいと述べておられます。

レビューサイトを見ていると、「分からない」という意見を多く拝見しますが、ぜひぜひ皆さん自身がこの映画を見て、感じたことを大切にしてください。

ナガ
正解がないからこそ映画考察は面白いんです。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

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2 件のコメント

  • 自分も最近観た映画です。僕の様なダメブロガーには、全然意味が分からなかったんですが、なるほど!
    勉強になりました。素晴らしい考察だと思います。

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