〇はじめに


 みなさんこんにちは。ナガと申します。

 今回はですね映画『vision-ビジョン-』についてお話していこうと思います。


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(C)2018「Vision」LDH JAPAN, SLOT MACHINE, KUMIE INC.


 本記事は作品を内容を踏まえた上でのネタバレありの解説・考察記事になります。

 良かったら最後までお付き合いください。


〇目次





〇あらすじ・概要




河瀬直美監督が永瀬正敏とフランスの名女優ジュリエット・ビノシュを主演に迎え、生まれ故郷である奈良県でオールロケを敢行したヒューマンドラマ。フランスの女性エッセイストで、世界中をめぐり紀行文を執筆しているジャンヌは、あるリサーチのために奈良の吉野を訪れ、山間に暮らす山守の男・智と出会う。智は、山で自然とともに暮らす老女アキからジャンヌとの出会いを予言されていたが、その言葉通りに出会った2人は、文化や言葉の壁を超えて次第に心を通わせ、さらに山に生きる者たちとの運命が予期せぬ形で交錯していく。ジャンヌ役をビノシュ、山守の男・智役を永瀬が演じるほか、岩田剛典、美波、森山未來、田中泯、夏木マリらが出演。(映画comより引用)


〇予告編








〇解説:この作品は河瀨直美監督が作り出した現代版「古事記」だ


古事記 (岩波文庫)
倉野 憲司
岩波書店
1963-01-16



 みなさんは「古事記」って読んだことありますか?おそらく読んだことがない人の方が多いのではないかと思います。「古事記」とは何かと言うと単純に日本の神話です。神々がどうやって日本という国を作り上げたのかみたいな話が収録されていたり、日本の神々がどのようにして生まれたのかみたいなエピソードが綴られたりしています。

 今回の『vision-ビジョン-』という映画はもう「古事記」の影響が非常に強い映画でして、1つ1つのモチーフが「古事記」由来とも言えるんです。河瀨監督はこの映画を一体誰に伝えたかったんですかね。ここまで難解な作品だともうほとんど理解を得られないような気がします。正直私自身も完全には理解しきれておりません。

 まずは、ここが「古事記」からの引用なんじゃないかと思われるモチーフや展開をいくつかご紹介していこうと思います。


①トンネルを抜けて山へと向かう


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 本作においてトンネルが現世と黄泉の国を行き来するための通路のような役割を果たしていることは皆さんもお気づきのことと思います。特に白い犬やアキが自分の死の直前にトンネルをくぐっているということからも、この意味合いは非常に強まっています。

 古事記ではあまり取り入れられていないのですが、万葉集を紐解いていくと、日本古来の民俗信仰における「山」という土地が持つ意味合いが透けて見えてきます。というのも「山」という場所は元来死者の霊魂が集まる場所とされていました。つまり生者が暮らしている世界と横のつながりで死者の世界も存在しているという世界観だったわけです。

 古事記はそれを縦の繋がりへとコンバートしたんです。生者の世界の下に黄泉の国という概念を作り出し、死者はそこに向かうのであると定義しました。つまりこれは生死の境界の明確な設定でもあります。

 だからこそ古事記にはイザナミがやけどを負い、黄泉の国へと行ってしまい、それを嘆き悲しんだ
イザナギが黄泉の国へイザナミを取り戻すために向かうという物語が収録されているわけです。この2人が生者の国と死者の国に別れたことが、より生と死の境を明確にしました、

 本作『vision-ビジョン-』における主人公のジャンヌってそもそもは自分の過去に耐え難い苦しみを抱えており、その苦しみから解き放たれるために、過去を清算しようとトンネルを抜けて吉野の山奥へと向かったわけです。日本古来の思想において「山」が死者の国とされていたことから考えると、彼女の行動はイザナギがイザナミを救うためにとった行動に非常に似ているんですよ。ジャンヌがかつてその「山」で恋人の岳を亡くしたことも相まって、そのリンクは非常に強まっています。

 舞台挨拶で印象的な話だったんですが、冒頭の近鉄電車に乗ってジャンヌがトンネルを抜けるシーンで、彼女は涙を流しているんですよ。ただこの涙は脚本にはないもので、ジャンヌになりきったジュリエット・ビノシュが思わずキャラクターの心情で涙してしまったというのです。

 トンネルを抜ける、「山」へと向かうということはすなわち亡き恋人と同じ世界へと足を踏み入れるということにもなります。だからこそジャンヌはそれを感じ取って思わず涙したんだと思いますし、それをアドリブでやってしまったジュリエット・ビノシュという女優の底知れない才能を感じずにはいられないわけです。


②子供を放棄する


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 本作においてジャンヌは過去に岳との間にできたであろう子供を背負いきれずに放棄しているんですよ。その子供がアキの手にわたり、そして偶然にも岳の両親の元にわたり、そこで育てられることとなりました。

 では「子供を放棄する」という行為を古事記に参照してみますと、実はヒルコという神に行きつきます。ヒルコという神が何者なのかと言うと、これはイザナギとイザナミがいわゆる「国産み」をしようと試みた際に最初に生んだ神なんですよ。

 ただこのヒルコという神はどうやらイザナギ達が望んだようには生まれてこなかったんでしょうね。何と船に乗せられて、そのままどこかの島へと捨てられてしまうんです。

 ジャンヌと岳の関係性にイザナミとイザナギのモチーフが感じられることからも、この「子供を棄てる」という行為にも古事記的な意味合いが隠されているように思いました。


③なぜvisionには火が必要だったのか?


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 そもそも古事記においてイザナミがなぜやけどしたのかを考えると、そこには「火」というモチーフの存在が欠かせないわけです。イザナミは火の神であるカグツチを生みだしたんですが、その際にイザナミは大やけどを負ってしまうんですね。

 ただこの時にイザナミは苦しみの余りに嘔吐したり、排泄物をまき散らしたりするんです。それが金属の神や土器の神といった農耕神を生み出すんですよ。そう考えると、我々の文明を築くために「火」というモチーフが如何に欠かせないものであるかは明白ですよね。「火」の登場が我々の農耕文化の発端となったわけですから。

 そしてもっと言うなれば、自然界に存在する「火」というものは人間にはコントロールできません。ただ人間がそれをコントロールできるようになった時に、初めて文明や文化というものが始まるわけですよ。

 そう考えると本作のラストシーンは非常に印象的です。まさに「火」というモチーフをコントロールし、消し止めたわけです。これはまさしく古事記的な「火」のモチーフであり、新たな「始まり」を予感させるシーンとも言えます。


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④白い犬の秘密


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 本作『vision-ビジョン-』には白い犬が登場します。これは智の飼い犬ですね。彼はこの白い犬と共に山の中を散策していました。

 古事記を参照すると、これまた非常に面白い形で白い犬が登場するんです。雄略天皇のエピソードなのですが、彼が河内に行った時に、鰹魚木を屋根に設置している家があったそうなんです。それを見た雄略はそれは自分の屋敷の真似事だと大激怒し、その家主に言いがかりをつけました。

 もちろん家主も相手が雄略天皇でしたから、頭を下げて謝るしかありません。ただ雄略もそれでは怒りが収まらず、従者に銘じてこの家を焼いてしまおうとするんです。どうしようもなくなった家主は献上品でもって許しを乞おうとします。

 その献上品だったのが、美しい白い犬でした。雄略天皇はその犬が気に入って、それと引き換えに家主を赦したわけです。

 つまり古事記における白い犬というのは、「火」を止めた重要なキャラクターなんです。本作『vision-ビジョン-』でも最後に「火」のモチーフが登場し、鈴を焼き尽くそうとします。しかしその「火」から彼を守ったのは、もしかすると先に死んでしまっていたあの白い犬だったのかもしれません。


⑤イニシエーションとしての生と死



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 古事記の中にオオナムチという不死身の神が存在します。この神が何を司っているのかと言うとイニシエーション、つまり通過儀礼を司っているんですね。通過儀礼を司ることと、不死身であることにどんな関係があるのかが疑問に思いますよね。

 これに関してですが、日本古来のイニシエーションというのは「終わりとはじまり」の同居を含意していたんです。子供として死に、そして大人として蘇ること。これが古事記にも記されている旧来日本の成人のイニシエーションでした。

 そのためかつては適齢期の子供を集めて親元から離れさせたうえで、死と隣り合わせの厳しい試練を課し、それに合格することが出来た者だけが親元に帰ることが出来るという制度が取られていました。これは親の視点から見ると、自分の子が子供として死に、大人として蘇るという構造になっていたわけです。

 つまりイニシエーションというのは、古来「死んで蘇ること」だったんです。だからこそオオナムチという神は不死身という特性を付与されているのです。

 この点を踏まえて考えると、本作における子供の頃の鈴がジャンヌの手から離れ、そして最後の最後で大人として彼が蘇るという一連の物語は極めて日本古来のイニシエーションを想起させるものとなっています。彼は子供として死に、そして大人として蘇ったんです。


 他にも古事記的な要素はいくつか見受けられましたが、挙げていくときりがないのでこの辺りにして置きます。他にも神道の考え方である八百万の神やアニミズム的な思想も色濃く反映されていました。


〇考察:河瀨直美監督はなぜ今「古事記」をリブートさせたのか?


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 古事記という書物は日本最古の歴史書であり、いわゆるイザナギとイザナミによる日本の「国産み」について著した書物でもあります。つまり日本の起源を記した物語というわけです。

 では、一体河瀨直美監督はこの古事記から多くのモチーフを引用し、そのプロットをもいくつかの部分で踏襲した映画『vision-ビジョン-』の中で一体何を語ろうとしたのでしょうか?

 舞台挨拶での彼女のコメントにそのヒントがあると私は考えました。彼女は是枝監督の『万引き家族』に言及しながら、あの作品は「これからの日本がどういった形で次なる1歩を踏み出せば良いのかをよりリアリスティックに描いた映画」だと評していました。

 そして一方の『vision-ビジョン-』を指して「この作品も同じく日本がこれから踏み出すべき1歩について神話的にかつスピリチュアルな側面から考察した作品です。」という趣旨の内容をお話されていました。

 そう考えると河瀨直美監督版「古事記」とも言えるこの作品はまさに日本の「死と再生」のイニシエーションに言及した映画とも言えますし、それ以上に新たなる「国産み」を描いた映画とも考えられるわけです。
 
 では、一体河瀨監督は、一体何が日本の次なる一歩を踏み出すためのキーポイントになると考えたのでしょうか?と考えてみると、おそらくそれこそが「人と人との繋がり」なんだと思います。

 現代社会というのは、極めてコミュニケーションが発達した時代です。いつ、どこで、誰とでもコミュニケーションが取れるようになり、我々は非常に多くの人と繋がるチャンスを獲得しました。今や顔も知らない人とインターネット上でやり取りが出来てしまう時代です。

 しかしそんなコミュニケーションの可能性の拡大にもかかわらず、人と人とのつながりがどんどんと軽薄化していっているのが問題です。地域コミュニティの力は20年前とは比べものにならないくらい弱まってしまいましたし、家族はどんどんと解体され、日本では結婚する人の割合も下がってきています。人と人とのライトな繋がりが拡大する一方で、強い結びつきというものが無くなってきているんですよね。

 河瀨監督が捉えた現代日本の問題点はまさにそこなのではないかと考えています。彼女の前回が昨年の5月に世に送り出した「光」という作品もまさにコミュニケーションの映画でした。


光
永瀬正敏
2017-11-22



 つまり河瀨監督の論点は「コミュニケーション」にあると十分に考えられるわけです。そして本作『vision-ビジョン-』でも不思議な人と人とのつながりを描いていました。

 人はどうしても孤独には生きられないのです。人と人は繋がって生きていくしかないですし、どうしようもなく人と繋がりたいと心の底で願う生き物です。だからこそそんな人間社会の根幹である「繋がり」が軽薄化している現代日本に河瀨監督は危機感を覚えているのではないでしょうか?

 何度も申し上げていますが、古事記は「国産み」を描いた書物です。そしてそれらはイザナギとイザナミという神々による神話となっていました。

 一方で河瀨監督が描いた『vision-ビジョン-』は、人と人が関わり合いながら、古事記的なプロットを踏襲する映画となっています。

 つまりこの作品は監督が、これから新しい日本を作っていくために、より良い日本を作っていくために何が重要なのか?何が必要なのかを神話的、原初的な在り方で問うた映画なのです。そして彼女がそれに対して出した答えこそが本作でも描かれたような人と人との「愛」に裏付けられた強い「結びつき」なんだと思います。


〇おわりに



 おそらくこの作品に登場しているモチーフの大半が古事記からの引用であり、本作の思想の大部分が神道に裏付けられているという認識がないと、もはやただの癒し系映画になってしまうのではないかと言うほどに極めて教養主義的な映画だったと思いました。


古事記 (岩波文庫)
倉野 憲司
岩波書店
1963-01-16



 レビューサイトを見ていても、訳が分からなかった、理解不能、眠くなったとの声が多数見られますが、無理もありありません。この映画はあまりにも難解すぎます。私も理解したつもりにはなっていますが、まだまだ分からないことだらけです。

 ただ「分からない」ということは無限に考える余地があるということでもあります。ぜひとも吉野の森に迷い込んだように、本作の難解さに立ち向かい、自分なりの答えを模索してみてはいかがでしょうか。「分からない」で終わってしまうのは非常に勿体ないですよ。

 今回も読んでくださった方ありがとうございました。

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