【ネタバレ】映画「中二病でも恋がしたい!Take On Me」感想・解説:変化を受容する勇太の決断の物語

アイキャッチ画像:(C)虎虎/京都アニメーション/中二病でも製作委員会 映画「中二病でも恋がしたい Take On Me」より引用

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画「中二病でも恋がしたい Take On Me」について語っていこうと思います。

いやはやしかし、この映画を見る際にオンライン予約を使わなかったのは、間違いでした。

「中二病でも恋がしたい Take On Me」というタイトルを、有人カウンターの女性スタッフに言うのはいささか気が引ける次第です(笑)

というのも”Take On Me”って要は「わたしを受け止めて」という意味じゃないですか?A-Haの名曲”Take On Me”でご存知の方も多いと思います。

つまるところですよ、女性スタッフに対して男性の私が「中二病でも恋がしたい Take On Me」と高らかに宣告することはですよ、チケットをくださいというよりももはや「わ、わい中二病。あ、あなたと恋がしたいんです・・・デュフ・・・。ぼ、ぼきのことを受け入れてくれませんか、か、か、コポォ」みたいな意味になりかねないわけですよ(ならない)。

ナガ
この映画のタイトルを有人チケットカウンターで女性スタッフに告げるという、チケットを買うだけのプロセスで、意中の相手に告白するかのような緊張感を味わってしまったわけですよ(笑)

こんなことならオンライン予約からの自動発券にしておくべきでした。

まあ私のコミュ障ぶりが十二分に発揮されてしまったエピソードは置いておいて、本作のタイトルにある”Take On Me”というフレーズは作品を読み解く上で非常に重要なキーワードです。

本稿では、テレビシリーズ第1期、第2期の内容に触れながら、今回の劇場版が描いたものの本質に迫っていきたいと考えています。

良かったら最後までお付き合いください。

 

「中二病でも恋がしたい Take On Me」

あらすじ・概要

京都アニメーション制作による「中二病でも恋がしたい!」の劇場版。

重度の「中二病」患者であるヒロインの小鳥遊六花と、かつて痛い発言を繰り返していた黒歴史を持つ少年・富樫勇太の恋愛模様を描く人気シリーズの劇場版。

テレビ第1期「中二病でも恋がしたい!」、劇場版第1弾「小鳥遊六花・改 劇場版 中二病でも恋がしたい!」、テレビ第2期「中二病でも恋がしたい!戀」に続く、完全新作の物語が展開される。

18歳になり、卒業や大学受験も見えてきた高校3年生の春。富樫勇太と小鳥遊六花は変わらず共同生活を続けていた。そんなある日、六花の姉・十花が、仕事も安定したので家族でイタリアに移住すると言い出す。

このままでは六花と引き離されてしまうことに焦った勇太は、友人たちに「駆け落ち」を提案され……。監督の石原立也、脚本の花田十輝をはじめ、メインスタッフ&キャストが続投。

映画com.より引用)

予告編

ナガ
やっぱり京アニの映画は安定してるね!!

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「中二病でも恋がしたい Take On Me」感想・解説

京都アニメーション聖地巡礼映画

今作「中二病でも恋がしたい Take On Me」は京都アニメーション作品を今まで見てきた人にとってはニヤニヤが止まらない仕上がりになっていたと思います。

日本の各地を勇太と六花が旅するというロードムービーなのですが、その場所の選択は間違いなく意図していたと思います。

京都編:たまこまーけっと(けいおんetc…)

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アニメ『たまこまーけっと』より引用

京都は京都アニメーションのホームタウンですから無論さまざまな作品に登場しているわけですが、本作では「たまこまーけっと」のうさぎ山商店街が登場しましたね。

予告編でも登場していましたが、たまこの実家である餅屋「たまや」も映り込んでいて、勇太と六花が豆大福を頬張る一幕もありました。

「けいおん」の修学旅行編や「響け!ユーフォニアム」なんかで登場したお馴染みの京都タワーは今回も登場しましたね。

ちなみに東京のゲームセンターでクレーンゲームをしていた際に登場したトリのぬいぐるみは「たまこまーけっと」のデラちゃんでしたね。

 

兵庫編(西宮):涼宮ハルヒの憂鬱(涼宮ハルヒの消失)

「涼宮ハルヒの憂鬱」でSOS団の集合場所となっていたことでお馴染の西北公園も登場しましたね。

ナガ
この公園を見ると、エンドレスエイトの悪夢が蘇ってきますね(笑)
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「涼宮ハルヒの憂鬱」より引用

他にも「涼宮ハルヒの消失」でも登場したファミレスも登場し、そこで勇太と六花が十花と対峙するという一幕もありました。

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「涼宮ハルヒの消失」より引用

 

和歌山編:Air

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『Air』より引用

「Air」は幾分作品を見たのがかなり前で、その後見返していないので記憶が曖昧ではあるのですが、勇太と六花が和歌山に訪れた際に、廃線跡を彷彿させる場所が登場したように思います。

他にも和歌山編で聖地が登場していたのかもしれませんが、記憶がうっすらで判別できませんでした。

 

青森:CLANNAD After Story(以下クラナド)

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『CLANNAD After Story』より引用

主人公の朋也と汐が旅行をした「大地の果て」で登場したのが青森県でしたね。

終盤のシーンは完全に「クラナド」の聖地で、朋也が祖母と再会して父親との絆に思いを馳せる名シーンが思い出されます。

ここで勇太と六花の物語のエンドロールを描こうとしたのは監督も意図するところがあったのかもしれません。

 

他にも・・・?

北海道を訪れた際にも他作品のオマージュネタがあったのかもしれませんが、勉強不足で分かりませんでした。

またエンドクレジットで「境界の彼方」「無彩限のファントムワールド」「Free」の製作委員会が協力していることが判明したのですが、どのような登場の仕方をしていたのかは掴めませんでした。

「境界の彼方」が奈良県、「無彩限のファントムワールド」が湘南・江の島、「Free」が鳥取県でしたかね?

今回はその舞台は登場しなかったように思うので、聖地巡礼以外の方法で絡んできているのかもしれません。

良かったらコメント欄等で教えてください。

テレビシリーズ第1期:六花にとっての「中二病」の在り方を変質させた物語

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(C)虎虎/京都アニメーション/中二病でも製作委員会

六花というキャラクターは、自分の父親の死が受け入れられませんでした。

そんな時に落ち込んでいた六花を変えたのが、当時ダークフレイムマスターとして中二病真っ盛りだった勇太でした。勇太の存在が六花を勇気づけ、そして彼女もまた中二病を発症したのでした。

当初の六花にとっては、中二病というのは父親の死から目を背けるための隠れ蓑のようなものだったのです。

中二病であることで自分の憧れる勇太に接近することができ、そしてそれがためにあまりにもショックだった父親の死を忘れることができるわけです。

しかし、次第に勇太に惹かれていき、さらには自分の父親ともきちんと向き合い別れを告げなければいけない時が迫っていました。

そのために、まず彼女は勇太に自分の思いを伝えます。その好意を勇太も受け入れます。こうして中二病の在り方が変化し始めます。

さらには、不可視境界線に直面した際には、自らの意志で父親への別れを告げ、これまでの自分の中二病の在り方に決着をつけました。

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(C)虎虎/京都アニメーション/中二病でも製作委員会

その結果として六花は、新たに自分と勇太を結ぶものとして、自分のアイデンティティとして「中二病」を再解釈し、自らのものとしました。

これが個人的に考えるテレビシリーズ第1期が描いたものです。

つまり、ここで描かれたのは六花というキャラクターとそして彼女が持つ中二病の在り方の変質だったわけです。

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テレビシリーズ第2期:中二病と恋の「連関天則」の在り方を変質させた物語

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(C)虎虎/京都アニメーション/中二病でも製作委員会

「連関天則」というのは、第2期から登場した新キャラクターである智音が用いている言葉ですね。

はっきりと意味を述べることが難しいですが、ざっくり解釈すると「自分が中二病であり続けるために守らなければならない規則」のようなことだと思います。

智音というキャラクターは非常に六花と共通点の多いキャラクターであるわけです。彼女もまた六花同様中二病であり、かつて勇太に恋をしていた人物です。

しかし、彼女が選んだ道は六花とは異なります。彼女は、勇太への恋心が自分の中二病を曇らせていくことに気がついてしまったのです。

それは、中二病の世界よりも勇太に恋をする一人の乙女として生きる現実の世界の方が輝いて見えるからです。

そのため智音は自分自身に2択の決断を課しました。そして、彼女は恋を捨てて中二病を貫く道を選びました。変わらないことこそが自らに安定と調和をもたらすのだと、それこそが「連関天則」なのだと確信したわけです。

しかし、中二病も恋も両方を手に入れようとする、それを可能にする気配を見せる六花を見て彼女は動揺します。自分もその道を選べたのではないかと後悔の念に駆られてしまいます。

それでも彼女は自身が追い求めてきた「暗炎龍」との戦いを終えて、新たな安定の境地へと辿りつきます。

それは「変化を受け入れる」という決断でした。自分がずっと変わらないために、変化を続けていくと言うところに彼女は新たな「連関天則」を見出したわけです。

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(C)虎虎/京都アニメーション/中二病でも製作委員会

これが個人的に考えるテレビシリーズ第2期が描いたものです。

つまり、ここで描かれたのは「連関天則」の在り方の変質であり、中二病と恋の関係性の新たな活路だったわけです。

 

本劇場版が描いたのは「勇太」の物語であった

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(C)虎虎/京都アニメーション/中二病でも製作委員会 映画「中二病でも恋がしたい Take On Me」より引用

「中二病でも恋がしたい」という作品は、基本的に六花とそして智花というキャラクターが主軸に据えられてきました。

2人の勇太のヒロイン的ポジションに当たるキャラクターがどのように変化していくのかという点がテレビシリーズを通して描かれてきたわけです。

一方で今回の映画「中二病でも恋がしたい Take On Me」が描いているのは、そうした六花の変化を勇太がどう受け入れるのか?という点に主軸が置かれているように感じました。

これは”Take On Me”というタイトルが暗示する通りですよね。

その際に関係してくるのが、第1期で描かれた新たな「中二病」像と第2期で描かれた新たな「連関天則」でした。

この2つの要素が絡み合いながら、六花にこれから更なる変化が起こることを示唆し、それを受け入れるのかどうかという問いを勇太に突き付けるのでした。

本作で、六花は智音の言う「連関天則」に直面することになります。勇太とこのまま変わらずに恋人関係であるためには、中二病から脱却するという変化が必要なのかもしれない。

中二病であり続けるということは、勇太と恋人としての関係性を発展させていけないかもしれない。彼女は変わらないために、変化を求められるわけです。

一方の勇太は、これまで六花や智音の変化を見てきましたが、ここにきて六花が再び大きな決断を迫られていることに気がつきます。

中二病をを捨てて普通の女の子として自分の恋人になるのか、それとも恋人であることを捨てて、中二病であり続けようとするのか。そしてその六花の決断と変化を自分はどう受け入れてあげればよいのか戸惑います。

勇太には六花の変化に対する恐れみたいな感情があったと思います。幼少の頃に育てていたさなぎのエピソードは1つ興味深いポイントですよね。傷ついたさなぎの状態であれば、その蝶はずっと自分の下にいてくれるかもしれません。それでもさなぎは脱皮していびつな翅を羽ばたかせて空へと舞っていきました。

六花には自分が変化してしまうことで、中二病を捨てることで、勇太が離れていってしまうかもしれないという危惧があります。

一方で、勇太にも六花が変化してしまうことで、自分の下から去っていくのではないかという危惧があります。2人はお互いに自分が、相手が変わることを恐れているのです。

2人がずっと同棲していたにもかかわらず、上位契約(キス)に踏み切れなかったのは、お互いが変わることを恐れたからです。それがために十花は2人が変わらない生活を続けていることに苛立ちを覚えていました。

六花は勇太と変わらない関係でいるために変わっていく必要がありました。いや自発的に変わるとは言わないまでも変わりゆく可能性を示唆していました。しかし、勇太はその変化を望んでいるようで恐れていたのです。彼が思い描いた将来の六花との家族ビジョンでは、六花が中二病のままでした。

ただそれでも六花は勇太と変わらない関係でいるために変わることを決断しました。そしてそれでも私を受け入れてくれるのか?(”Take On Me?”)という問いを投げかけます。

勇太はそれを受け入れます。六花が変化していくことを、そしていつまでも添い遂げることを誓います。一度は拒まれた蝶の指輪は、勇太の決意の表れとして再び六花の薬指に収まりました。

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(C)虎虎/京都アニメーション/中二病でも製作委員会 映画「中二病でも恋がしたい Take On Me」より引用

変わらないために変わること。これはとても難しいことです。ただ智音のようにそれを自己完結させてしまえるならまだ楽です。六花のように変わらないための変化を誰かに受け入れてもらうことが必要なのだとしたら、これは一層難しいです。

そして六花の変化が、これから予見される緩やかな変化が、勇太にも変化を促しました。それはお互いがこれからも恋人として変わらずあり続けるための変化です。

誰かの変化が、誰かに変化を促すこと。くみん先輩が劇中でそんな変化の連鎖を「連関天則」だと言い表していましたよね。

まさしく今回の劇場版の主題は、「連関天則」の新たなる形の希求にありました。テレビシリーズ第2期で智音が到達した点のさらにその先というわけです。

そして今作のラストでは、勇太が六花の変化を受け入れるという「変化」でその新たなる「連関天則」を帰結させてみせました。今回の劇場版は、勇太が変化を受容するという決断をするための物語だったんですよね。

テレビシリーズで勇太のヒロイン的ポジションの変容を描き、劇場版でもそれを継続した一方で、最後の最後でようやくその変化を受け入れる側であった勇太の物語を動かした点は評価できるのではないかと思いました。

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凸サマー物語のラストってもしかして・・・?

本作でもう一つ印象的だったのが凸守と丹生谷の凸サマーコンビの勇太六花追走劇ですよね。

十花さんに弱みを握られた2人は自らの保身のために勇太と六花を追いかけます。

その中でお互いに嫌がるそぶりを見せながらも、本音では嫌いじゃないんだという関係性が表現されていて、とても素晴らしかったと思います。

ホテルのダブルベッドで、寝る前はあんなに嫌がっていたのに、朝になるとお互いに身を寄せ合って寝ている凸サマーはもうキマシタワ―!!という感じでしたね。

そして何より注目したいのが青森のシーンですよ。勇太の下へと駆け出して行った六花を見て、丹生谷は凸森に「本当は連れ戻す気なんてなかったでしょ?」と一言。

凸守もそれにまんざらでもない様子でした。2人と勇太六花との友情の深さが伺えるシーンとも言えるわけですが、このシーンは別の見方もできますよね。

というのも、2人は六花たちを捕まえなければ、キスシーンの隠し撮り写真を晒されてしまうわけですよ。

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(C)虎虎/京都アニメーション/中二病でも製作委員会 

ということはですよ・・・「本当は連れ戻す気なんてなかったでしょ?」という丹生谷のセリフは、「あの写真、別にネットに公開されても良かったでしょ?」という側面もあるんじゃないかと深読みしてしまうわけですよ。

さらにはそれに対してまんざらでもない様子の凸守は、丹生谷のその申し出を受け入れているわけですよ。

待てよ待てよ・・・ということはこのシーンって凸サマーカップル誕生の瞬間だったんじゃねえか?????と深読みしてしまった次第です。2人はキスショットが皆の知るところになっても構わない!!!!!ってことですよ!!!!!

ナガ
凸サマー百合大正義!!(大興奮)

おわりに

いかがだったでしょうか?

今回は映画「中二病でも恋がしたい Take On Me」についてお話してきました。

正直言って映画として完成度が高いかどうかと聞かれると、微妙と言わざるを得ないと思います。

ロードムービーとしても弱いですし、テレビシリーズ第2期で一度扱ったテーマをもう一度焼き直しているパートも多いので、グダグダと間延びしている印象もあります。

ただ、テレビシリーズより続いてきた「中二病でも恋がしたい」という一つの作品をきちんと完結させたという点では、評価できる作品ではあると思います。

2人のキスシーンとその後の「バニッシュメントディスワールド」のところでは思わず涙してしまいました。

また2人の旅が京都アニメーション作品の聖地巡礼になっているというギミックも面白かったですよね。映像の節々に懐かしさを覚えて、ニヤニヤしてしまいました。

最後に言いたいのは、皆さん、この作品を見に行くときはオンライン予約をしておいてください。そうしなければ、有人カウンターのスタッフに自分が中二病であることの表明さらには愛の告白をする羽目になるかもしれませんよ。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

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