【ネタバレあり】『淡島百景』感想・考察:志村貴子が描く罪と罰の物語に込められた意味

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回は映画のお話ではなくて、私が個人的に気に入っている作家さんのマンガ作品を紹介していこうと考えています。

タイトルは『淡島百景』で著者は志村貴子さんです。志村貴子さんは「青い花」や「放浪息子」といった作品でも有名です。

LGBTを作中で扱うことが多く、柔らかいタッチの絵風で、登場人物の繊細な感情を描き出すその作風が多くの人を虜にしています。

また、昨年は文芸誌の「ユリイカ」で彼女の特集が組まれるなど、批評性の高い作品を世に送り出している作家としても注目されています。

今回取り上げる『淡島百景』という作品は、そんな志村貴子さんの最新作です。

では前書きはこの辺りにして、本論へと移っていこうと思います。

良かったら最後までお付き合いください。




『淡島百景』感想・考察(ネタバレあり)

「場所」を主題に据える群像劇

一般にフィクションの世界においては「人物」にスポットを当てます。

「人物」が何を考え、どう行動し、どう生きるのか。ここに主題を設定するのがある種の定石です。

その一方で、特異的に「場所」にスポットを当てる作品が存在します。もちろん登場人物は存在するのですが、それは「場所」に付随する副次的な存在に過ぎません。あくまで人物は「場所」を描くためのフィルターなのです。

登場人物がその「場所」で何を考え、どう行動し、どう生きるのかを描くことによって、またその連続性によって「場所」の物語を表出させていきます。

「場所」を主題に据えた映画もちらほらと存在します。

例えば、ジムジャームッシュ監督のデビュー作「パーマネントバケーション」はニューヨークの裏街という「場所」が主役の映画です。

そこに生きる人の滑稽で、貧相で、異常な生き様を主人公の目を通して映し出します。そしてその人物の小さな物語の連続性が次第にニューヨークの裏街という「場所」の物語へと変質していきます。

本作は主人公が街からの旅立ちを決意するところで幕切れます。この帰結でもって80年代ニューヨークの裏街を支配していた閉塞感と異常性が明確になるのです。

他にもヴィムヴェンダース監督の「ベルリン・天使の詩」もベルリンという都市の物語として洗練されています。

当時のベルリンを生きた人々の姿、ベルリンの姿を天使という超人的な存在の視点から捉えることで、「場所」の物語として語られているわけです。

近年の作品でも、主題はあくまでも主人公の「人物」ですが、視点を変えることで「場所」の物語としても読み解けるものがあります。

その年のアカデミー賞作品賞を受賞した映画「ムーンライト」がそれに当たります。シャロンという男の物語を描いた作品ではありますが、マイアミという「場所」の物語とも捉えることができます。

このように「場所」という要素を主題に据えることで、物語を完成させてるいく手法は少ないですが、確かに存在しています。

本作『淡島百景』もまさに淡島歌劇学校という「場所」の物語です。淡島歌劇学校はいわゆる宝塚音楽学校のような学校です。本作では、そこに纏わる登場人物の物語を群像劇的に展開することで、淡島歌劇学校の姿が浮き彫りになっていきます。

そこに生徒として通う学生の視点、教師として勤務する者の視点、生徒の家族の視点、かつて学生として通った者の視点、その歌劇に魅了される者の視点。

様々な人々の捉える淡島歌劇学校の景色を多層的に折り重ねることで、その「場所」が孕む光と闇を可視化しているのです。

田畑若菜という新入生にとっては、憧れと期待に満ちた「場所」であります。

上田良子という少女にとっては、そこは憧れの「場所」であると同時に「恐怖」を孕んだ「場所」でした。自分への自信の無さと才ある者への眺望をフィルターにして淡島歌劇学校は彼女にとって遠ざけたい「場所」への変貌しました。

岡部絵美という女性にとっては、淡島歌劇学校は夢と共に許すことのできない過去を孕んだ「場所」として映っています。

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(太田出版「淡島百景1」志村貴子 より引用)

人間関係に苦しみ、歌劇スターを夢見ながらもそこからドロップアウトせざるを得なかった彼女にとって淡島歌劇学校は負の「場所」です。

また、柏木拓人という少年にとっては、淡島歌劇学校の生徒たちは、ファンとして声援を贈る対象です。学校の外にいる者という立場から、混じり気の無い純粋に美しく輝いている「場所」として淡島歌劇学校を捉えています。

他にも数々の登場人物のエピソードがオムニバス的に描かれ、そのどれもが淡島歌劇学校の姿を完成させ1つのピースとしての役割を果たしています。

そんな様々な登場人物のフィルター越しに映し出された淡島歌劇学校という「場所」の光景が群像劇的に綴られたのが本作『淡島百景』なのです。


伊吹桂子という人物が背負う淡島と人生

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(太田出版「淡島百景1」志村貴子 より引用)

本作には、数多くの人物が登場します。その中でも誰に焦点を当てて読み解くかが悩ましいポイントです。

もちろん誰に焦点を当てても読み解くことはできますし、そこに文字通り百通りの解釈が用意されています。それが本作の面白さであります。

ただ記事にするに当たっては、ある程度の焦点化が必要です。そこで今回は、本作において淡島歌劇学校の暗い部分を背負う人物として伊吹桂子にフォーカスしてみようと思います。

彼女にとって淡島歌劇学校は後悔と苦しみが詰まった「場所」です。かつて学生だった頃、彼女はいわゆるボス的な存在でした。取り巻きを従え、気に入らない生徒には圧力をかけ弾圧しました。

そして学生時代に自分と同期でかつ圧倒的な才能を発揮していた岡部絵美に眺望の念を持っていました。それがために伊吹桂子は岡部絵美を取り巻きと共に追い詰め、孤独の淵へと追いやり、最終的には彼女を退学させてしまいます。

伊吹桂子は岡部絵美を退学に追いやった主犯格として、学校で虐められる側に回ることになります。反旗を翻した取り巻きたちにも白い目で見られることになります。

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(太田出版「淡島百景1」志村貴子 より引用)

さらには、桂子は幼少の頃から憎み続けてきた死に瀕した祖母に対して「そんな大層な人間でもないでしょうに とっとと苦しみながら死ね」と吐き捨てたのです。その後、2人は和解することはなく、しばらくして祖母は亡くなりました。

彼女は、最終的に歌劇スターになるという夢に挫折してしまい、淡島歌劇学校の教師になります。

ここまで書いてきたように伊吹桂子という人物にとって淡島歌劇学校という「場所」は後悔と苦しみの吹き溜まりなのです。捨て去りたい過去であり、忘れてしまいたい「場所」なのです。

それでも彼女は淡島歌劇学校を離れることはできません。どれだけ離れようとしても離れられません。

祖母の見開いた瞳が忘れられない

岡部絵美が私を睨みつける強い眼差しが焼きついて離れない

反旗を翻したとりまきたちの表情

いい加減自分の人生から降りてしまいたいと思う

(太田出版「淡島百景1」志村貴子:125頁より引用)

離れようとすると、過去が自分を睨みつけてきます。それはある種の呪縛です。

彼女は淡島歌劇学校に携わる人生を投げ捨てて、自分の人生を送りたいという心を持っています。

しかし、彼女はそこで岡部絵美に対する贖罪をしなければなりません。

既にこの世にはいない、謝罪をしたところでその声すら届かない岡部絵美との過去の清算をしなければなりません。

淡島歌劇学校で二度と岡部絵美のような孤独の淵で夢に挫折してしまう少女を生み出さないことが彼女のできる唯一の償いであり、その職務から逃れることを彼女自身が許せないのです。

また、彼女は祖母を「殺した」自分の正当性を信じ続けました。他人を虐げ、その人生を壊しながらも自分だけは幸せを享受する祖母を彼女は許せませんでした。

だからこそ伊吹桂子は結婚もしないし、苦痛に苛まれながらも淡島歌劇学校に留まるのです。岡部絵美の人生を壊した自分が幸せになることは、つまり自分が否定した祖母の生き方を肯定することになってしまうからです。

自分の幸せを遠ざけて生きることはそのまま自身がかつて祖母の生き方を否定したことの正当性の保証になっているわけです。

伊吹桂子という人物は岡部絵美そして祖母という2人の故人の十字架を背負って、淡島歌劇学校という不幸と苦しみの渦中で生き続けるのです。

しかし私は考えることをやめるわけにはいかない

考え続けなければならない

私を恐れながらも慕う生徒に甘えてはならない

(太田出版「淡島百景1」志村貴子:126頁より引用)

ただ伊吹桂子という人物が自ら望んで不幸と苦しみを引き受けたのかというと、私はそうではないと考えています。

罪を犯したとして、その罰を自ら課して生きることは私は楽な選択だと思います。本当に苦しいのは、罪の意識を抱えながら罰を逃れて、幸せに生きることだと思うのです。

つまり伊吹桂子は、楽になりたくて苦しみと不幸を背負ったのです。だからこそ自分を慕う生徒に甘え、幸せを享受してしまうことこそ彼女にとっては最大の苦痛なのでしょう。

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(太田出版「淡島百景2」志村貴子 より引用)

淡島歌劇学校という「場所」で罪を犯し、そしてそこで生きることで自らに罰を課す伊吹桂子という人物には、一体どんな光景が見えているのでしょうか。

この複雑で繊細な感情を描き出せたのは、間違いなく志村貴子さんの手腕あってのものでしょう。

淡島歌劇学校の闇を背負う彼女を描いたところに本当の根幹が見え隠れしているように感じました。


おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は『淡島百景』についてお話してきました。

現在単行本では2巻まで発売されている本作ですが、既に圧倒的な完成度を誇っています。

志村貴子さんがこれまでのキャリアで培ってきたものが、本作にギュッと凝縮されている印象すら見受けられます。

彼女が描く繊細な人間模様の糸が紡がれていき、やがてそれが1つの織り物のようになり、淡島歌劇学校という「場所」の物語へと繋がっていきます。

志村貴子さんが描く時に甘く、時にほろ苦い青春群像劇『淡島百景』をぜひぜひチェックしてみてください。

きっとあなたの心にストンと落ちる大切な何かを見出せることと思います。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

 

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