『劇場』ネタバレ感想・解説:理想と現実、演劇と人生の狭間でもがく男のメタフィクション

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね又吉直樹さんの『劇場』についてお話していこうと思います。

ナガ
この作品は物語を愛する人にとってはたまらない内容だよね…。

小説の方を既に読破しましたが、内容的にはそれほど革新性があるものではないですね。ただ、構成の面で趣向が凝らされていて、メタ的に楽しめる1冊となっています。

そのため、映画というメディアに落とし込んだときに、この構造的な魅力をどれくらい引き継ぐことができるかが行定監督の腕の見せ所になってくるでしょう。

物語的には大きな展開があるわけでもなく、とりわけ役者の魅力で見せるタイプのプロットという側面も強いので、主演の2人、特に沙希役の松岡茉優さんの演技には要注目でしょうか。

そして、映画版に関して言うなれば、全国の映画館での大規模ロードショーからAmazon Primeとミニシアター公開の2つの柱で公開される運びとなりました。

「『劇場』というタイトルなので、映画館で見たい!」という声もありましたが、この作品は別に劇場という場が重要な作品ではないんですよ。

むしろ人生が演劇に浸食され、同化していくことによって、自分という存在が1つの「劇場」の中で生きているかのように錯覚させるという意味合いでつけられたタイトルなのです。

ですので、あえてAmazon Primeというたくさんの方が見られるメディアで配信するという選択も個人的には肯定的に捉えておりますし、ミニシアターのみの劇場公開に絞ることで、苦しい劇場への支援を試みている姿勢も好感が持てます。

アフターコロナの映画業界を考えた時に、もはや新作を公開すれば儲かるというビジネスモデルは成立し得なくなっていくのではないかと思っております。

つまるところ、劇場での鑑賞は作品そのものの価値だけではもうダメで、そこでしかできない体験にもっと付加価値を見出せる場にしていかないと先は暗いのではないかと感じております。

先日も『泣きたい私は猫をかぶる』というアニメ映画が劇場公開からNetflix独占配信に切り替えたことで話題になりました。

アメリカでも劇場公開から配信に切り替えた作品がコロナ禍の最中で大ヒットしたことで、劇場で映画を見るという行為に対しての風向きが大きく変わりつつあります。

私はこういうブログをやっている人間ですので、もちろん映画館という空間にはそこでしか味わえない感覚や経験があると実感しています。

しかし、こういった変化は時代や技術の変容につきものですし、それに対応できないものは淘汰されて然るべきだとも思っています。

これまでただ新作が上映されているからという理由で足を運んでいた層が、配信に吸収されるようになっていった時に、映画館はどんな「価値」を訴求できるのかについては考えていく必要があるでしょう。

そういう意味でも『劇場』が邦画実写映画の中で初となるAmazon Primeでの配信を主軸とした上映モデルに切り替えたという事実はいろいろと思うところがありますね。

さて、少し話が逸れましたが、今回はそんな『劇場』という作品について個人的に感じたことや考えたことを綴っていきます。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『劇場』

あらすじ

永田という男は『おろか』という小さな劇団を学生時代の同級生と立ち上げ、脚本家として創作活動に励んでいた。

しかし、彼の劇団の作品は「前衛的」の意味をはき違えているとしばしば批判されており、公演の動員も伸び悩み、金銭的にも苦しい状況が続いていた。

浮浪者のような出で立ちをして居る彼は、ある日街で見かけた1人の女性に強烈な引力を感じ、思わず声をかけてしまう。

永田の風貌に当初は恐れおののいている様子だったが、沙希という名前のその女性と喫茶店に入り、そして夜ご飯を一緒に食べて解散した。

しばらく会うことがなかった2人だったが、永田の頭の片隅にはいつも彼女の存在があり、メールや電話で何度か連絡を取ろうとしたものの思いとどまっていた。

ある日、彼の劇団に所属している演者3人が、劇団から脱退したいと申し出てきた。タイミングが悪く、駅前での少し大きめの規模での公演が決まっていたこともあり、永田は自分の脚本に起用する役者選びに苦心する。

そんな時、女優を目指していると語っていた沙希の存在が頭をよぎり、彼は彼女に出演をオファーした。

かくして、彼女は永田の手掛けた作品に出演することとなり、その作品は彼女の演技の凄みも相まって高い評価を受けることとなる。

その一件を経て、2人は恋人同然の関係となり、同居生活を始めるのだが…。

 

スタッフ・キャスト

スタッフ
  • 監督:行定勲
  • 原作:又吉直樹
  • 脚本:蓬莱竜太
  • 撮影:槇憲治
  • 照明:中村裕樹
  • 編集:今井剛
  • 音楽:曽我部恵一
ナガ
行定監督の作品は、個人的に合わないことが多いので、どうなるか…。

行定監督と言えば『世界の中心で、愛をさけぶ』が最も有名な気がしますが、最近も『ナラタージュ』といった男女の物語を数多く手掛けています。

ただ、かなりウェットな演出を特長にしている印象が強く、その点で好みを分けるのではないかなとは思いますね。

とりわけ直近の『ナラタージュ』『リバーズエッジ』に関して言うなれば、原作からの改悪も目立ちましたので、その点も心配ではあります。

一方で今回の脚本には蓬莱竜太さんが起用されていますが、彼は『ピンクとグレー』などの素晴らしい作品を手掛けていますので、非常に映画化が難しい題材だとは思いますが、期待しています。

撮影・照明には『リバーズエッジ』にも参加していた槇憲治さんと中村裕樹さんが、編集には『パラレルワールドラブストーリー』『AI崩壊』今井剛さんがクレジットされています。

今井剛さんの編集は、良くも悪くもダイジェスト感があり、個人的にはあまり好きではないので、今作のような少し特殊な構成で成立している作品をどうまとめるのか、不安もありますね。

スタッフ
  • 永田:山崎賢人
  • 沙希:松岡茉優
  • 野原:寛一郎
  • 青山:伊藤沙莉
  • 小峰:井口理
ナガ
キャスト陣も絶妙なメンバーを集めてきましたよね!

主人公の永田役の山崎賢人さんはちょっと原作のイメージからすると美形すぎるかなという印象は受けますが、彼は演技力も優れていますので、問題ないと思います。

そして誰よりもはまり役なのが、沙希を演じる松岡茉優さんでしょうね。

彼女の演じる役って、言わば男性が望む理想の女性的な部分があるのですが、そんな理想の裏で1人現実に生き、精神をすり減らしていくという辛い役回りでもあります。

ナガ
ただ、不思議な引力を持っているキャラクターでもあり、個人的には「全自動ダメ男製造機」みたいな側面も持ち合わせていると思っています(笑)

そういう全てを包み込んで、受け入れてくれるような、それでいて儚い不思議なオーラをまとったキャラクターに松岡茉優さんがピッタリすぎて、映画で彼女の演技を見たら正気を失ってしまう可能性があります…。

また、作品のキーパーソンの1人である青山の役には、こちらも唯一無二の存在感を出せる伊藤沙莉さんが起用されており、こちらも原作のイメージドンピシャです。

King Gnuの井口理さんが、永田の嫉妬している天才脚本家の役を演じていますが、こちらも想像がつかないので、どんな演技になるのか気になるところです。

映画com作品紹介ページ
ナガ
ぜひぜひ劇場でご覧になってみてください!



『劇場』感想・解説(ネタバレあり)

理想と現実、演劇と人生の間でもがき、見出す答え

(C)2020「劇場」製作委員会

まず、『劇場』という作品は、一見するとかなりありふれた物語でして、劇的な展開があるわけでもありません。

そのため、表面的な部分だけを追ってしまうと、保守的な内容だと感じるのも無理はないでしょう。

しかし、この作品の肝は、その特殊な構造にあるわけでして、劇中で主人公の永田が脚本を書いているわけですが、そもそもこの『劇場』という小説そのものが彼の語りで構築された1つの脚本の様であるために、メタ的になっているんですね。

それを象徴するのが、この作品の書き出しでもあります。

まぶたは薄い皮膚でしかないはずなのに、風景が透けて見えたことはまだない。もう少しで見えそうだと思ったりもするけど、眼を閉じた状態で見えているのは、まぶたの裏側の皮膚にすぎない。あきらめて、まぶたをあけると、あたりまえのことだけれど風景が見える。

(又吉直樹『劇場』より)

この書き出しは、主人公の永田の語りになっているわけですが、まずまぶたを上げるという行為そのものが、「目覚め」を意味しており、彼の人生の一幕が始まったことを表現しています。

それと同時に、この「まぶた」というモチーフは演劇における「幕」を想起させるようになっており、劇場で幕が上がって演劇がスタートするという光景を重ねているのです。

この書き出しが、本作が永田の人生と現実に向き合ったものであると同時に、作品全体が1つの演劇のようになっているという構造を明示しているんですね。

さて、この作品が大きく展開していくのは、永田沙希の出会いがきっかけです。

沙希という女性の本作における意義については後程詳細にお話する予定ですが、彼らが恋人関係になる契機となったのは、他でもない「演劇」でしたよね。

女優を目指して上京してきた沙希に、永田は自分の書いた脚本に登場するヒロインを演じて欲しいと依頼し、彼女はそれを引き受けました。役者が不足していたという都合もあり、彼自身もこの作品に出演しました。

つまり、彼らの恋愛関係は確かに現実ないし2人の人生というレイヤーで始まったのですが、同時に理想と演劇というレイヤーでも彼らの関係は始まっていたのです。

その後、2人は良好な関係を築いていきますが、永田は常に心のどこかで彼女に対して「理想」を押しつけている節があります。

基本的に2人の生活費の大半は、彼女の方が負担しているわけですが、お金が苦しいので助けて欲しいといった現実的な話を持ち出すと、永田はすぐに話を逸らそうとします。

この行動というのは、彼が思い描いている理想ないしプロットを維持しようとするものであり、それを崩壊させ、現実をまざまざと突きつけるような言葉や展開を避けようとしているとも取れますよね。

作品の中で、印象的だったセリフの1つに「ここが一番安全な場所だよ。」というものがあります。

これは、沙希が部屋で2人きりでいる時に、永田に対して告げた言葉なのですが、これがすごく気持ちが悪いんです(笑)

この言葉は、現実のレイヤーで沙希が発した言葉に思えて、同時に理想や演劇のレイヤーで永田が彼女に言わせた言葉という風にも解釈できると思います。

現実や人生を直視せずに、理想やプロットの中に閉じこもっていれば、いつまでも辛い思いをせずに生きていけるという甘い言葉なのであり、永田の心がそんな言葉を彼女に言わせているのだとすると、不気味なシーンですよね。

ただ、そこで考えたいのが、本作の『劇場』というタイトルです。

劇場というのは、演劇を上演する「場」であるわけですよね。プロットは自分の頭の中から出さない限りは理想や空想上の産物でしかなく、現実に市民権を持ち得ません。

しかし、そのプロットを演劇として劇場で上演するということは、作り手と演者と、そして観客が1つの場を共有することによって演劇を現実のレイヤーに落とし込むという工程でもあります。

永田は、いろいろと頭の中にプロットや脚本、理想をたくさん持っているのですが、なかなかそれを巧く表現することができていません。

(C)2020「劇場」製作委員会

同世代の天才として作中に登場する小峰という劇作家は、自分の理想を確かに持ちつつも、それを現実ないし劇場という場に落とし込む術に長けているという点で、永田よりも優れています。

ナガ
だからこそ彼は小峰に強いジェラシーを抱くんだよ!

そういった彼の演劇に対する姿勢が、沙希への向き合い方にもリンクしているわけで、彼は頑なに自分の頭の中に思い描いている理想の中に彼女を閉じ込めようとしています。

永田のプロットの中では、いつもニコニコとしていて温かく迎え入れてくれる沙希ですが、彼女は彼の作り上げる理想とそして現実の境界で苦しんでいる人物です。

彼の望む自分で痛いと思いつつも、金銭的にも、肉体的にも、精神的にも現実に生きようとする中で消耗していき、心を病んでいきます。

そうして生まれたギャップは塞がることを知らずに広がり続け、結果的に破局へと向かって行きました。

ナガ
ただ、何よりも重要なのはこの作品の終盤の演出ですよね!

先ほど2人が恋人関係になるきっかけが演劇作品だったと書きましたが、その時の脚本が彼女の部屋にまだ残っており、終盤に2人で読み合わせをするシーンがあります。

この演出があることで、『劇場』という作品そのものが、永田の書いた失恋を題材にした劇中劇と強くリンクする構造になっていました。

しかし、彼らはその本に書かれている通りにセリフを読み進めるのではなく、どんどんとアドリブでその内容を変換していきます。

これは、永田が自分の書いたプロット=理想を壊す選択をしたことの表出でもありますよね。

理想に囚われてしまうのではなく、現実に目を向けなければならなかったと悟った彼の決心が感じられる行動でもあるのですが、『劇場』はここにもう一ひねり加えています。

というのも、この作品は、理想や演劇、フィクションを否定するというよりは、むしろその力をそれでも信じようとするような思いが強く感じられる幕切れになっているのです。

ナガ
著者の又吉直樹さんの思いなのかもしれないね…。

本作を象徴するとも言える著者の思いが綴られた一節があるので、引用します。

演劇は実験であると同時に発見でもある。演劇で実現できたことは現実でも再現できる可能性がある。

(又吉直樹『劇場』より)

つまり、演劇というものが理想や空想であることを認めたうえで、それが現実と切り離されて存在しているものではなく、地続きのものとして存在していると言っているのです。

だからこそ、クライマックスのシーンで、永田は現実に直面しながらも、それでも彼女との未来の理想の話をひたすらにし続けます。

それは単なる現実逃避や青写真などではなく、彼が現実にするんだと強い決意を持って語っているものです。

演劇で実現できたことは現実でも再現できるからこそ、彼は自分の頭の中にある理想を自分の力で実現してみせるのだと、沙希に語っているんですね。

しかし、沙希はそんな理想にも疲弊しきっており、ただただ「ごめんね」と繰り返すばかりです。

そんな彼女に対して永田「沙希ちゃん、セリフ間違えてるよ。」と告げるわけですが、この言葉には彼がそれでもなお2人の未来を望む、自分の思い描く理想を現実にした時に、彼女に一緒にいて欲しいという強い願いを感じます。

『劇場』という作品の最後は、こんな一節で締めくくられています。

沙希は観念したように、ようやく泣きながら笑った。

(又吉直樹『劇場』より)

理想と現実の境界で打ちひしがれながらも、それでも理想や演劇というものが持つ力を信じるのだと、そしてその力が人を動かすのだという著者の強い信念を感じる作品であるわけですが、この一節はその微かな力を具現化しています。

別れの物語でありながら、いつか2人が再会し、幸せな未来を実現させるのではないかという仄かな期待を漂わせつつ、余韻と共に物語はフェードアウトしました。

このようにメタ的な構造を作り、現実と理想、演劇と人生というレイヤーを見事に表現したことで、本作はフィナーレを傑出したものとしています。



沙希という女性の存在について

(C)2020「劇場」製作委員会

さて、本作の中で特に印象的なのは、何と言っても沙希という女性だと思います。

何と言うか、不思議な引力がある女性ですし、語弊を恐れずに言うのであれば、「男性の理想の投影」だと思うんですよね。

自分のやることなすことをすべて肯定してくれて、金銭的にも支えてくれて、こんな女性いるわけないじゃんと思うわけですが、その現実感のなさこそが、重要な意味を持っていると思います。

先ほどの章でもある程度言及はしてしまったのですが、沙希永田の作り出す理想ないし演劇のプロットの中に生きるキャラクターであり、同時に現実を生きる生身の人間です。

物語の中盤付近までは、その2つのレイヤーに存在する彼女にそれほど距離がなかったために、問題が顕在化することはありませんでした。

しかし、大学を卒業し親からの仕送りが止まり、働かざるを得なくなった彼女は経済的にも苦しくなり、肉体的にも疲弊していく中で、永田の理想の中で生きることに疲弊していきます。

生活が苦しくなり、光熱費を払って欲しいとお願いをしても、彼は言い訳を作って逃れてしまうわけですが、そんな彼に対して沙希は笑顔で納得するかのように振舞うのです。

そうして理想に生きようとすればするほど、現実で疲弊し、現実で生き抜こうと苦心するほどに、理想から遠ざかっていくというジレンマを彼女は1人で抱えていました。

沙希が血の通った人間でありながら、演劇のプロット上の1キャラクターにしか思えなくなるのは、きっと永田の理想に合わせようと言動に気を使っているからなのだと思いました。

先ほども少し触れた「ここが一番安全な場所だよ。」というセリフは、現実的に考えると不気味であり、彼女が生身の人間であるという事実を一瞬忘れさせるような冷たさを感じます。

原作者の又吉直樹さんがあとがきの中で、恋愛と演劇は共通しているということを語っています。

演劇には構想があり、脚本があり、それを実現させるための演出がある。恋愛にもやはり構想があり、筋道があり、それを達成するための演出がある。

(『劇場』あとがきより)

だからこそ、演劇が破綻するが如く、恋愛においても自分が思っていた構想通りにいかず、筋道が逸れていき、思っていたところとは全く違うところに着地してしまうという現象が起きるわけです。

おそらく成熟した2人であれば、どちらか一方の理想や構想に基づいて進行していくのではなく、2人が共通認識としてお互いに納得したプロットの上で関係性を進展させていくことができるでしょう。

しかし、今作に登場する永田沙希のような未熟な2人だと、どうしても上手くいかないことがあります。

とりわけ2人の関係が静かに終わりへと向かって行ってしまうのは、永田が脚本家であり、沙希が役者であるという関係性が最初に出来上がってしまっていたからです。

そのため永田は必死に、そのプロットに固執したわけで、一方で沙希は与えられた役を演じることに徹することとなってしまいました。

ただ、彼らは恋愛という名の演劇を演じていく一方で、もちろん現実ないし人生を歩んでいかなければならないわけで、理想に逃げ込み続けることはできません。

いつかは理想と現実の折り合いをつけて、彼らなりの道を選択しなければならなかったわけですが、2人とりわけ永田がそれを何年もの間避け続けてしまいました。

結果的に、沙希が与えられた役を演じ切れなくなり、壊れてしまうわけです。

2人の関係性ないし、彼にとっての沙希という存在を言い表した一節があるので引用します。

世界のすべてに否定されるなら、すべてを憎むことができる。それは僕の特技でもあった。沙希の存在のせいで僕はセカイを呪う方法を失った。沙希が破れ目になったのだ。

(又吉直樹『劇場』より)

これは、永田視点の彼女の存在に関する解釈となっているわけですが、つまりは彼が自分を赦して、受け入れてくれる場としての存在を彼女に押しつけたんですよね。

劇中で沙希が彼からの頼みや提案を一切断らないのが、実に気持ち悪いのですが、思えばこの作品そのものが1つのプロットのようであり、彼女がそのキャラクターなのだとすると、それらが永田の理想の産物でしかないことも浮き彫りになります。

ただ、彼女の問題が表面化するにつれて、彼も彼女が生身の人間であるということを改めて感じ取るようになり、少しずつ関係性を変化させていきます。

それと同時に、彼にとっての演劇というものの価値観が大きく変化していくのも印象的でした。

永田は周囲から前衛的の意味をはき違えているなどと厳しい批判にさらされてきたわけですが、観客を引き込むというよりは、とにかく自分のやりたいことを、理想を追求するのだという姿勢が強かったんですよね。

ナガ
それが皮肉にも恋愛にも表れていたんだよね…。

彼に足りなくて、劇中に登場した劇作家の小峰にはあったものは、劇場という場において、自分だけでなく演者、スタッフ、そして観客に自分のプロットを共有し、現実のレイヤーに落とし込む技量です。

永田は沙希との関係性の変化を通じて、初めて演劇というものが現実や人生と地続きのレイヤーに存在しているものだと悟ったのだと思います。

そういう意味でも、本作は恋愛関係の変化を通じて、主人公の演劇人としての在り方や価値観を変容させていくような物語であり、そう考えると、そのきっかけとなる沙希という女性はますます特異な存在に思えます。

現実に苦しんでいながらも、どこか現実からは切り離された存在に思えるそんな不思議なヒロインの存在が『劇場』という作品において大きな役割を果たしているのです。



おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は『劇場』についてお話してきました。

この作品は、構造的な部分に目を向けないと、すごく地味でありきたりに思えてしまうので、映画化はかなり難しいチャレンジになると思います。

ナガ
本作のメタ的な構造を巧く引き継ぐことができなければ、ありがちな男女の物語にしかならないんですよね…。

そこをどう行定監督がクリアしてくるのかも含めて、映画版も非常に楽しみです。

また、何と言っても松岡茉優さんが沙希を演じているというのが、個人的には完璧なキャスティングだと思っていて、予告編の時点であの特異な役どころを完全に捉えているんですよ。

ぜひ、映画とそして原作を合わせて鑑賞してみてくださいね。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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