みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ショーシャンクの空に』についてお話していこうと思います。
とりあえず「おすすめ映画」という括りであれば、大体名前を連ねていると言っても過言ではないくらいの作品ですが、改めて見てみると、やっぱりすごい映画ですね。
よくよく考えると、2時間23分もある映画なんですが、全く「長さ」みたいなものを感じることなく、一気に見進められてしまいます。
公開されたのは、1994年ということで、内容や映像技術的に少し時代を感じる内容ではあるのですが、それでも物語や主題の不変性は色褪せることがありません。
今回はそんな映画『ショーシャンクの空に』について自分なりに感じたことや考えたことをお話させていただきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ショーシャンクの空に』
あらすじ
銀行副頭取を務める優秀な銀行員アンドリュー・デュフレーン(アンディ)は、妻とその愛人を射殺した罪に問われる。
彼は裁判で無実を訴えたが、そうした主張も虚しく終身刑の判決が下り、劣悪なショーシャンク刑務所への服役が決まる。
刑務所に入ると、アンディはそこで「調達屋」として暗躍するエリス・ボイド・レディング(レッド)と出会う。
アンディはレッドに鉱物採集の趣味のため小さなロックハンマーを「調達」してくれるように依頼し、そこから2人の関係が始まる。
彼は刑務所内で荒くれ者と知られるボッグズとその取り巻きに性的行為を強要されるなどの暴力を振るわれるも、それに耐え、過酷な刑務所生活を耐え忍んでいた。
そんなある日、彼はひょんなことから刑務所内でかつて銀行副頭取を務めていたことを知られ、刑務官たちに資産運用や税務申告の書類作成の手伝いやアドバイスを依頼されるようになる。
ショーシャンク刑務所のノートン所長は、アンディの手腕に目をつけ、自身が受け取った賄賂などの裏金の運用やマネーロンダリングを彼に依頼するようになるのだった。
そして、また新たな受刑者が刑務所へとやって来るのだが、その中にトミーというコソ泥の青年がいた。
彼は以前にも別の刑務所に服役していたのだが、そこでアンディの事件に関わる興味深い話を耳にしたと打ち明ける。
その事実を知ったアンディは酷く動揺するのだが…。
作品概要
本作『ショーシャンクの空に』はスティーブン・キングの中編小説『刑務所のリタ・ヘイワース』を原作として制作されました。
原作からは多くの点で変更が為されているのですが、この映画版は非常に良くまとまっているので、個人的には映画版の方がグッときました。
多くの人が感涙したであろうラストの海辺のシーンも、原作にはないもので、映画版で追加されたシーンと言うのも驚きの1つですね。
また『ショーシャンクの空に』という作品は、その年のアカデミー賞にて作品賞、主演男優賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、作曲賞、音響賞の7部門にノミネートしながら、1部門も受賞できませんでした。
その原因は明確で、同年に公開された『フォレストガンプ』が圧倒的だったからですね。
さて、そんな本作の監督を務めたのは、フランク・ダラボンです。
彼は『グリーンマイル』や『ミスト』などその他にも多くのスティーヴン・キング原作映画を手掛けたことで知られています。
そこに、ロジャー・ディーキンスの撮影、トーマス・ニューマンの劇伴音楽が見事に融合し、映画史に残る傑作が誕生しました。
主人公のアンディをティム・ロビンスが演じ、そして刑務所内で「運び屋」として暗躍するレッドをモーガン・フリーマンが演じました。
『ショーシャンクの空に』感想・解説(ネタバレあり)
ただ「希望」を求める普遍的な物語
『ショーシャンクの空に』という作品は、メインキャラクターたちが基本的に受刑者ということもあり、物語の内容には賛否あるかもしれません。
長い刑期を全うしてきて、深く反省しているとはいえ、終身刑になった人間が「仮釈放」され、規則を破って国境を越えてしまうというラストも、見方によっては受け入れ難いものと言えるでしょうか。
しかし、この映画は、そうした表層の部分でというよりもむしろ、その背後にある人間の希望へと向かう強い歩みや信念のようなものが多くの人に受け入れられているのではないかと感じます。
犯罪者や受刑者としてではなく、1人の人間としてただ希望を求めて生きようとするアンディやレッドの姿。
大きな物語としてみると、ショーシャンクの塀の向こう側の閉塞的な世界とラストの解放感に満ちた海のシーンが強烈なコントラストになっており、非常にエモーショナルな構成になっています。
「希望」を夢見続ければ、いつかそれを手に入れることができるという普遍的で力強いメッセージが、時代を超えて多くの人の心に刺さり続けているはずです。
レッドは刑務所の中で希望を抱くこともできずに生きてきた人間ですが、アンディと出会えたことで、その人生が大きく変化することとなりました。
そんな自分に希望を与えてくれた友人のことを大切に、そして敬意を込めて語っていくレッドの穏やかな声が物語を一層輝かせていると思います。
こうした点が、今も尚多くの人に語り継がれ、「名作」と評価される続ける所以がなのだろうと思います。
物語やキャスト陣の演技の方に注目されがちで、意外と言及されないことが多いのですが、『ショーシャンクの空に』は1つ1つのカットが非常に美しく、それでいて作品を通しての積み重ねも見事なんですよね。
今回の記事では、劇中のいくつかのシーンを抽出して解説させていただきます。
ブルックスと「飛ぶ」
まず、印象的なのが老囚人ブルックスに関する一連の描写です。
彼は50年以上も服役した後に、突然「仮釈放」が決まり、社会に放り出されることとなりました。
出所前に彼は自分が可愛がっていたカラスの雛を監房の小さな窓から逃がしましたよね。
この時のカットは、暗い監房の中と、小窓から小さく差し込む光が映し出され、ブルックスが不安げにその光を見つめる表情が何とも印象的でした。
基本的に人間に育てられた生き物が、自然界に戻って、種のコミュニティに受け入れられるのは難しいなんてことも言われています。
そのため、あのカラスの雛が自然界に戻って、幸せな生活を送ることができたかどうかと言われると、それは難しかったのかもしれません。ブルックスはそんな雛鳥にこれから社会へと戻る自分の姿を重ねていました。
自分はまたあの鳥のように、自由に「飛ぶ」ことができるのだろうか。
(映画『ショーシャンクの空に』より引用)
刑務所から出たはずなのに、影を見ると、ブルックスの影はまだ檻の影に囚われたままになっているんですよね。
社会に戻ると、そこに待ち受けていたのは残酷な現実で、結局職場と官房と変わらないような小さなアパートの一室を往復するだけの生活を続けることしかできません。
社会のどこにも、もう彼が自由に「飛ぶ」ことのできる場所がないと分かり、絶望し、そしてブルックスは死に救いを求めます。
奇しくも首吊り自殺を選択したため、ブルックスの足がフワッと浮き上がるのですが、これをショットで捉えていたのも1つ憎い演出だと思いました。
(映画『ショーシャンクの空に』より引用)
彼が厳しい社会の中で、残された自由に「飛ぶ」ための手段が「自殺」しか残されていなかったということに涙が止まりません。
同じアングルのカットの反芻
そして、『ショーシャンクの空に』におけるショットを追っていく上で注目したいのは、やはり同じアングルの反芻です。
特に印象的なのは、カメラが暗い空間の内側に配置され、外に向けられているようなアングルが繰り返されている点でしょう。
まず、アンディが根気強く働きかけ続け、図書室への予算の分配が決まり、工事を開始したときのワンショット。
(映画『ショーシャンクの空に』より引用)
このシーンでは、舞台装置のより暗い位置にカメラをセットし、そこから「外」を覗くようなアングルが採用されています。
例えば、アンディが所長の金庫に帳簿を戻す時のシーンではこんなアングルが使われています。
(映画『ショーシャンクの空に』より引用)
金庫の内部にカメラが配置され、そこから内部を見ている所長とアンディの姿を映し出しているのが分かりますよね。
それは印象的に「光」がカットのどこかに配置されている点です。
前者であれば、窓から差し込む光が描かれており、後者であれば照明がアンディと所長の向こう側に映し出されています。
これは、アンディが暗闇に「光」を持たらす存在であることを印象づけているのではないでしょうか。
彼は、ショーシャンク刑務所で、図書室の整備や若者の教育などに力を入れ、多くの受刑者に希望を与えてきました。
そういうアンディの作品における立ち位置がこうしたショットの1つ1つにまで反映されていたのだとすると、驚くべき演出ですよね。
そして、最後に同じアングルが踏襲されているのが、有名な所長がポスターの向こう側に掘られた壁の穴に気がつくシーンです。
(映画『ショーシャンクの空に』より引用)
ここでは、先ほどの2つのシーンとは対照的に向こう側に「光」が映し出されていないんですよね。
同じアングルの踏襲と「光」の存在と喪失というギミックを組み合わせて、物語の展開をこの上なく巧みに表現した点は、流石ロジャー・ディーキンスと言えるでしょう。
アンディとレッドの関係
もう1つ個人的に大好きなのが、物語後半に独房から出たアンディとレッドが再会する場面です。
(映画『ショーシャンクの空に』より引用)
もちろん注目していただきたいのは、光と陰の使い方です。
2人は刑務所の建物の陰で「希望」について話しており、アンディは希望を捨てないことを決意し、その場を去っていきます。
彼の動線は、陰から光へと向かうようになっており、それがアンディのその後の行動の暗示になっていることは言うまでもないでしょう。
一方で、レッドは「希望」を持つことに懐疑的で、まだ自らの道を選択できずにいますよね。
だからこそ、彼はアンディを追いかけようとするのですが、ちょうど光と陰の境界線のところで立ち止まるように動線が計算されているのです。
彼は、まだ外の世界に行くのか、それとも刑務所の中でこのまま一生を終えるのか、希望を抱くのか、捨てるのかと言った問いに答えを出すことができていません。
そうした彼の揺れる立ち位置や心境をこうした光と陰の使い方で視覚的に表現してしまう技術には驚かされました。
また、そんなレッドが仮釈放されるシーンは、前述のブルックスのものと明らかに異なる描かれ方をしています。
(映画『ショーシャンクの空に』より引用)
こういった対比も非常に効いているのが分かります。
『ショーシャンクの空に』が傑作と呼ばれる背景には、こうした映像的な素晴らしさがあることも忘れてはいけません。
劇中に登場した小ネタ解説
ここからは映画に登場するちょっとした小ネタの解説をさせていただこうと思います。
映画を見る上で、知っておくと物語をより深く味わうことができる小ネタが多く散りばめられていますので、ぜひ知った上で映画の細部まで見てみてください。
映画『ギルダ』
アンディ達が刑務所内で映画を見ていたシーンがありました。
ここで、原作のタイトルにもその名前が含まれている女優のリタ・ヘイワースが登場しましたね。
ちなみにここで上映されていたのは『ギルダ』という作品です。
この『ギルダ』と『ショーシャンクの空に』にもいくつかリンクするポイントが隠されています。
『ギルダ』は、リタ・ヘイワースが演じているギルダがジョニーとマンスンという2人の男性に好意を寄せられ、その愛憎劇に巻き込まれるという内容になっています。
このギルダという女性は常に、無実のことで疑いの目を向けられており、そのポジションがアンディに通じていることは言うまでもないでしょう。
それ以外にも、この『ギルダ』においてジョニーとマンスンは、『ショーシャンクの空に』におけるアンディと所長の関係性にすごく似ています。
ジョニーは物語の最後に、警察にマンスンの不正を裏づける資料を提出するのですが、これはアンディが所長に対してする仕打ちと全く同じです。
このように、劇中の映画が本編の行く末の暗示になっているというのは、知っておくと面白いポイントではないでしょうか。
『フィガロの結婚』のレコード
(映画『ショーシャンクの空に』より引用)
『ショーシャンクの空に』において多くの人が気になるのは、アンディが『フィガロの結婚』のレコードを刑務所に放送するシーンではないでしょうか。
使われたのは、第3幕 第10場の第21番 手紙の二重唱「Sull’aria…che soave zeffiretto そよ風によせて…」でした。
ちなみに、ここは原作にはない描写で、当時オペラにハマったいたフランク・ダラボン監督のアイデアで取り入れられたと言います。
『フィガロの結婚』は中世のヨーロッパにおいて権力者が統治する地域の新婚夫婦の初夜に、新郎よりも先に新婦と性交することができる権利、つまり初夜権を巡るお話です。
アルマヴィーヴァ伯爵の部下のフィガロと同じく伯爵夫人に仕えているスザンナが結婚することになります。
しかし、このアルマヴィーヴァ伯爵は妻がいるにもかかわらず、スザンナに惚れており、初夜権を復活させて、何とか自分がフィガロよりも先にスザンナと性交してやろうと考えているのです。
ただ、そんな伯爵の目論見を知り、伯爵夫人のロジーナとスザンナが一計を案じ、彼の不貞を暴こうとするんですね。
とりわけ、手紙の二重唱「Sull’aria…che soave zeffiretto そよ風によせて…」は、その計画を完成させるために、スザンナが伯爵に今夜会う場所を知らせる手紙を書く場面で歌われる楽曲です。
この点が、後に「手紙」を1つの武器にして、アンディが所長を出し抜く展開の暗示になっていました。
アレン・グリーンとは?
今作『ショーシャンクの空に』のラストに「IN MEMORY OF ALLEN GREENE(アレン・グリーンを偲んで)」というテロップが表示されます。
突然なので、多くの人が困惑するテロップでもありますし、こういうのが表示されると「もしかして実話だったの?」と疑問に思う方まで出てきてしまいますよね。
ただ、このアレン・グリーンという人物は、フランク・ダラボン監督の本映画の製作途中に亡くなった古い友人なんだそうです。
本作『ショーシャンクの空に』がアンディとレッドの友情をテーマにした作品だったこともあり、そこにかけて監督が自分の大切な友人への思いを残したというのが妥当な見方ではないでしょうか。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ショーシャンクの空に』についてお話してきました。
本作が名作と呼ばれるのは、この記事でも触れた撮影や照明、脚本の素晴らしさと言った要素もあると思いますが、それ以上に「希望」を希求する人間という普遍性のあるテーマなのでしょう。
これは、どんなに時代が変わっても、変わらないテーマであり続けます。
だからこそ、『ショーシャンクの空に』という作品が描く物語は、これからも多くの人を惹きつけ続けるでしょう。
美しい浜辺の光景にトーマス・ニューマンの劇伴音楽が重なる、あの美しいラストシーンは一度見ると、忘れることはできません。
そして、そこからエンドロールに突入したときのあの余韻。エモーションが押し寄せてくる感覚。もう映画の醍醐味と言う他ないでしょう。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。