【ネタバレあり】『GODZILLA キングオブモンスターズ』感想・解説・考察:ハリウッドゴジラが目指したのは?

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『GODZILLA キングオブモンスターズ』についてお話していこうと思います。

ナガ
ついにハリウッド版ゴジラの最新作が公開ですか!!

ハリウッド版と言えば、エメリッヒ版のようなマグロを食べるダメなやつもあったりはしますが、前作のギャレス版は良かったですよね。

核兵器観の観点から言うと、少し日本とアメリカの違いは出ていましたが、日本のゴジラへの愛が確かに感じられる内容でした。

今回はマイケル・ドハティ監督ということで、どんな内容になるのか、心躍らせながら見てきました!

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説・考察記事となっております。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『GODZILLA キングオブモンスターズ』

あらすじ

2014年にゴジラが地球に姿を現し、ムートーと壮絶な戦いを繰り広げていた頃、マーク・ラッセルは瓦礫と化していく街の中で息子の名を叫んでいた。

しかし、必死の叫びも虚しく息子を失った彼は、妻のエマ・ラッセルと距離を置き、娘のマディソンは妻の下で暮らすこととなった。

エマは怪獣の声を再現し、彼らとコミュニケーションをとる可能性を秘めたツールである「オルカ」を開発し、中国にて確認されていたモスラの幼虫を落ち着かせることに成功した。

その刹那、ジョナ・アレンという男が率いる軍事組織がモナークの施設に介入し、エママディソンを誘拐してしまう。

モナークは、何とかして「オルカ」ジョナの手から取り戻そうと画策するが、彼らは姿をくらませてしまう。

モナークは観測されたゴジラの目指す先に「オルカ」があると予測し、行動進路を予測する。

その先にあったのは、南極だった・・・。

ゴジラが南極に向かっていると知ったモナークの面々は戦慄の表情を浮かべる。

なぜなら南極には、「モンスターゼロ」と呼ばれる巨大な怪獣が氷漬けになっていたのだ。

 

スタッフ・キャスト

  • 監督:マイケル・ドハティ
  • 脚本:マイケル・ドハティ&ザック・シールズ
  • 撮影:ローレンス・シャー
  • 美術:スコット・チャンブリス
  • 編集:ロジャー・バートン
  • 音楽:ベアー・マクレアリー
ナガ
監督・脚本はマイケル・ドハティだね・・・不安だ・・・。

監督・脚本はマイケル・ドハティが担当しているようですが、これが正直に申し上げると不安ですね。

というのも彼が脚本や原案を担当してきた作品って『X-MEN2』『スーパーマンリターンズ』『X-MEN:アポカリプス』など・・・まあこれらがどれも微妙なんですよ(笑)

そして彼が監督・脚本を担当している『クランプス 魔物の儀式』という映画があるんですが、これもまあ面白くないというか、イマイチな映画でした。

個人的に彼のフィルモグラフィに名を連ねている作品がどれもハマらなかっただけに、今回の『GODZILLA キングオブモンスターズ』には不安が募るばかりでした。

ナガ
ただそんな心配事は杞憂だったというね・・・。

いやはやもうとんでもない「怪獣映画」を作ってくれましたよ、彼は。

もちろん手放しで絶賛というわけにはいきませんが、加点方式で評価していると途中でスカウターがぶっ壊れる内容です!!

一方で、撮影を担当したのは『ハングオーバー』シリーズなどのコメディ映画畑のクリエイターとして知られるローレンス・シャーです。

本編を見ていただけると一目瞭然なんですが、とんでもない「画」をたくさん映画に詰め込んでくれているので、必見です。

編集を担当したのは、『トランスフォーマー』シリーズで知られるロジャー・バートンですが、人智を超えたスピードとダイナミズムで展開される「神々の戦い」を見事にまとめ上げていました。

ナガ
映像がハチャメチャでとにかく理解の範疇を超えてたけどね(笑)

いや、むしろそれが良かったんですよね。

これはあくまでも「神々の戦い」なのですから、人間の理解を超えているのは当然のことです。

だからこそ撮影や編集は、今回スケールや情報量が見る人の理解のキャパシティーを超えるように意図的に設計していると思いますね。

  • カイル・チャンドラー:マーク・ラッセル
  • ベラ・ファーミガ:エマ・ラッセル
  • ミリー・ボビー・ブラウン:マディソン・ラッセル
  • ブラッドリー・ウィットフォード:リック・スタントン
  • サリー・ホーキンス:ヴィヴィアン・グラハム
  • チャールズ・ダンス:ジョナ・アレン
  • 渡辺謙:芹沢イシロウ
  • チャン・ツィイー:アイリーン・チェン
ナガ
前作とはキャストの大半が入れ替わりになってるね!!

ちなみにメインキャストの中では前作から引き続き参加しているのは、サリー・ホーキンス渡辺謙のみですね。

しかも、この2人・・・。

さて、今作の主人公となるマーク・ラッセルを演じているのは、カイル・チャンドラーですね。

彼は、『SUPER 8』『キャロル』『ファーストマン』などの話題作にも数多く出演してきた実力派俳優です。

彼の妻エマ・ラッセルを演じるのは、マイレージ、マイライフ』にてアカデミー賞助演女優賞にもノミネートされた過去を持つベラ・ファーミガです。

ナガ
この映画も非常に面白いので、ご覧になっていない方はぜひに!

そして娘のマディソン役を、ドラマシリーズ『ストレンジャーシングス』で大ブレイク中のミリー・ボビー・ブラウンが務めています。

また中国で絶大な人気を誇る女優チャン・ツィイーも参加し、非常に豪華な顔ぶれとなっていますね。



モンスターバースとしての位置づけ

今作『GODZILLA キングオブモンスターズ』もその中の1作に含まれるレジェンダリーピクチャーズ企画のモンスターバースについておさらいしておきましょう。

まず、2014年にギャレス・エドワーズが監督を務めた『GODZILLA』が公開されました。

日本のゴジラファンからは賛否ある内容ではありましたが、初代ゴジラへのオマージュに溢れ、ひたすらに暗い画面と煙の向こうにうっすらと発光するゴジラの背びれなどかなりクールな演出も多かった印象です。

そして『GODZILLA』は、レジェンダリーとワーナーのタッグで公開されたんですが、その後レジェンダリーがユニバーサルと手を組んだことで次の企画が実現します。(結果的にはワーナー配給で公開)

それが2017年に公開された『キングコング 髑髏島の巨神』です。

監督のヴォート=ロバーツがアニメやゲームの大ファンだということもあり、オマージュや小ネタが多く盛り込まれた作品に仕上がり、「怪獣映画」ファンも納得の出来だったと思います。

そして、2014年公開の『GODZILLA』から5年後を舞台に、『キングコング 髑髏島の巨神』から続く物語として公開されたのが、今作『GODZILLA キングオブモンスターズ』というわけです。

ちなみに、2020年には、モンスターバースの集大成となる『ゴジラVSキングコング』の公開が予定されています。

それ以降は、まだ噂のレベルではありますが、東宝主体でゴジラユニバースが展開されるのではないかとも言われております。

ナガ
何はともあれ非常に楽しみですよね!!

 

サントラは絶対に買うべし

ナガ
映画を見る前に聞こうという方は、トラック名が微妙に本編のネタバレになっているので、おきをつけて!

今作のサントラに、 伊福部昭が作曲したゴジラのテーマが含まれていることに感涙するファンも多いことでしょう。

また、それと同等に熱いのがギドラのテーマモスラのテーマです。

この2曲は、基本的に日本版のキングギドラのテーマモスラのテーマのメロディを意識しつつ、それをリミックスしたかのようなサウンドに仕上がっています。

本編を見ると、このサントラが聞きたくなることは間違いありません。

 

見ておきたいゴジラ関連過去作

当ブログ管理人の考える見ておくと『GODZILLA キングオブモンスターズ』がより楽しめる5作品を今回は現前してご紹介しておこうと思います。

『ゴジラ』(1954)

ナガ
やっぱりこれを見ないことには始まりませんよね!

今回の『GODZILLA キングオブモンスターズ』の鑑賞前に見ておく必要があるとすれば、間違いなくこれですね。

とにかく今作は初代ゴジラからの引用が多いんですよ。

またこれは、2014年公開の『GODZILLA』でもさんざん言われたことではありますが、日本とアメリカの核兵器に対する認識の違いを知る上でも、ぜひとも見ておきたい1作ですよね。

 

『三大怪獣 地球最大の決戦』

ナガ
これもかなり優先だは高めだね!!

というのも『三大怪獣 地球最大の決戦』はキングギドラが初登場したゴジラ映画なんですよ。

ただそれだけではなくて、今回の『GODZILLA キングオブモンスターズ』は、後ほど詳しくお話しますが、『三大怪獣 地球最大の決戦』とゴジラを「神」として捉えるという点で、1つ重要な共通点を持っています。

これもぜひぜひ見ておいて欲しい1本です。

 

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』

ナガ
優先度は少し下がりますが、見ておくと良いかも?

この映画はゴジラが人類の敵で、ギドラ、モスラ、バラゴンが人類を守る「聖獣」として登場するという『GODZILLA キングオブモンスターズ』とはあべこべな設定の映画になっています。

モスラって『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』では、機龍をかばったり、『モスラ対ゴジラ』では卵をかばって絶命したりと常に「守る」怪獣として描かれてきたんですね。

ただ、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』は少し毛色が違っていて、何とモスラがギドラと合体するという設定なんですよね。

これを見ておくと、今作で思わずニヤッとしてしまうシーンがあることでしょう。

 

『空の大怪獣ラドン』

ナガ
ラドンについてあんまり知らないなぁ~という方はとりあえずこれを見てください!

直接的に深く『GODZILLA キングオブモンスターズ』に関わってくるわけではないのですが、ラドンの基本的な設定等がおさらいできる映画になっているので、見ておくと良いと思います。

ラドンはこの映画にも描かれていますが、最初に現れるのは阿蘇山なんですよ。これが今回の映画でのラドンが火山に現れるという設定にも繋がっています。

 

『ゴジラVSキングギドラ』

キングギドラとゴジラの直接対決を描いた映画ではあるんですが、直接的な関係が深いとまでは言えない映画です。

ただこの作品の内容を知っておくと、『GODZILLA キングオブモンスターズ』を見終わった後にいろいろと妄想が膨らんで楽しくなると思います。

またキングギドラの首が1本千切れたりといった描写は、『ゴジラVSキングギドラ』からの引用です。



『GODZILLA キングオブモンスターズ』感想・解説・考察(ネタバレあり)

家族映画としてのスマートさ

『GODZILLA キングオブモンスターズ』は公開前から批評家層から「人間ドラマが希薄である」という指摘を受けていました。

確かに今作はとにかく怪獣プロレスに全振りしたような映画で、とにかく人間ドラマを描いている暇があったら、怪獣の描こうという気概に満ちていて、その姿勢は素晴らしいですよね。

確かに2014年に公開されたハリウッド版の『GODZILLA 』もかなり人間ドラマに長く尺を割いていましたし、日本でこれまでに公開されてきたゴジラ映画でも人間ドラマはかなり厚めに描かれていた印象です。

ナガ
『ゴジラ FINAL WARS』みたいなどうでも良すぎて眠たくなる人間ドラマもありましたけどね(笑)

しかし、今作が人間ドラマに割いている尺が短いからと言って、必ずしも希薄と言いきれるわけではありません。

むしろ家族映画として、かなりまとまっていましたし、主題性と「画」も絡めつつ上手く演出出来ていたと考えています。

この映画を家族映画として読み解くにあたって重要なのが、冒頭と終盤の2つのシーンの対比関係です。

ナガ
まず前半にこんな構図のシーンがあったよね!!

エマが家族を助けるためにやって来たマークを前にして、自分の計画を優先し、ギドラの眠っている氷山を爆破するスイッチを押したシーンですね。

このシーンでエマには、ギドラを挟んで、2つの選択肢が示されていました。

  • 多くの人(人類)を犠牲にすることで地球を正常化するという大義
  • 今自分の目の前にいる家族や人々を救うという個人的な正義

この2つを示されたエマは前者を選択したわけですね。

マディソンはマークの下へと移行としていたにもかかわらず、彼女はそれを制止しました。

その後は、地球にとって人類は害悪であるという判断の下に行動し、世界中の怪獣たちを目覚めさせることとなりました。

しかし、終盤のシーンで登場した同様のシチュエーションで彼女は異なる決断を下します。

ナガ
終盤にエマが「オルカ」を持って逃亡しマークやマディソンを救うシーンですね!

このシーンの構図が実は冒頭の先ほど挙げたシーンと対比的に描かれていることに気がつかれましたでしょうか?

つまりエマは再び2つの選択肢を提示されています。

  • つかの間、家族の時間を取り戻せるも、結局キングギドラに家族共々駆逐されてしまう可能性がある未来
  • 自分の命を犠牲にすることで、目の前にいる家族を守る未来

この2つの選択肢を示されたエマは後者を選択しました。

冒頭のシーンでは彼女にとって「計画」は「家族」よりも上位にくる存在でしたし、「家族」を犠牲にしてでも「計画」を実行するんだというエゴがありました。

それでも、彼女は最後の最後に今目の前にいる人に、家族に、マディソンに向き合い、その人を救うために決断を下すんです。

このエマの2つの選択の場面の対比構造が、本作を短いながらもスマートな家族映画として確立させていたと思います。

ちなみにですが、今作のエマの終盤の決断って1954年版『ゴジラ』の芹沢博士からの引用ですよね。

芹沢博士はこの作品で、自らが開発したオキシジェンデストロイヤーと共に自死するという決断を下しました。

これはその危険な技術を開発した脳を持つ自分の存在を消すことで、オキシジェンデストロイヤーが再び生み出されることがないようにするためでしたね。

それ故に、エマが自身の開発した「オルカ」と共にキングギドラに命を奪われる決断をしたのも、そういう意味合いがあると言えるやもしれません。

 

日本とアメリカの核兵器観から読み解く

2014年にハリウッド版『GODZILLA』が公開された際も、核兵器に関する描写について日本のファンからはかなり厳しい意見が出ていたように思います。

おそらく今回の『GODZILLA キングオブモンスターズ』を見た人は、再びそんな核兵器の描かれ方について思いを馳せることになるでしょう。

 

アメリカ的核兵器観から捉えると・・・

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『GODZILLA キングオブモンスターズ』には、アメリカ的な核兵器観が如実に表れています。

  • アポカリプスをもたらすものとしての核兵器
  • 文明(アメリカという国)を守るために必要な盾としての核兵器
ナガ
この2つの意味合いとして核兵器が捉えられていることは多いんじゃないかな?

アポカリプスというのは、言わばノアの大洪水のような世界の終末のことを表しています。

それと同時に、アポカリプスとは神が、善なる者を生存させ、悪を世界から一掃することで、世界を再構築する行為でもあります。

キリスト教的ないし聖書的な考え方が強く根付いているアメリカではこのように、核兵器を「黙示」「啓示」のようにとらえる傾向があり、当然この中でもアメリカ人である自分たちは生き残ると考えています。

その一方で、アメリカは核兵器を抑止力として必要不可欠なものであるとして捉えているように思われます。

例えば、1964年に公開されたシドニールメット『未知への飛行』という作品は、多くの人に衝撃的な映画として語り継がれています。

様々な偶発的な要因が重なりソ連に核ミサイルを発射してしまったアメリカは、ニューヨークに核兵器を落とす判断をすることで全面戦争を回避しようとするのです。

もちろんここにも「アポカリプス」的な核兵器観が確認できますが、それと共にアメリカは、自国や世界を守るための「抑止力」として核をニューヨークに落とす決断をするんです。

また、スタンリー・キューブリック『博士の異常な愛情』にてアメリカ人の、「核兵器によって保たれている『恐怖』の均衡」を描きました。

核兵器を保有していることで、相手に恐怖を与え、それこそが今の世界の均衡を保っているのであるという考え方なのです。

だからこそアメリカ映画には、核兵器の正当性や是非について問うような映画が非常に少ないんですよ。

ただその一方で、『インディジョーンズ クリスタルスカルの王国』のように核兵器が爆発した際に冷蔵庫に隠れるというトンデモシーンがあったりします(笑)

つまり、アメリカ映画において核兵器は扱い方や誤作動等に気を付けるものはあれど、それを保有するべきではないとは考えられていません。

さて、ここから『GODZILLA キングオブモンスターズ』に話を戻していきますが、今回やはり再注目なのは、芹沢氏がゴジラに核兵器を渡すシーンですね。

このシーンを解釈するにあたって、先ほど挙げたアメリカにとっての2つの核兵器観は重要です。

芹沢博士はゴジラに、人類に「啓示」をもたらすものとしての、そして核兵器大国アメリカにとっての自国の最大の武器としての核兵器を持参し、献上したんです。

これって「王への謁見」と捉えられませんか?

「魏の明帝に謁見する倭使、難升米と都市牛利」(http://angouyamanoue.sakura.ne.jp/130723.htmより)

まさに自分たちの最大の武器であり、そして「啓示」をもたらすある種の信仰の対象をゴジラに献上してしまうというシチュエーションなんですよ。

ナガ
芹沢があの長い階段を登っていくシーンもまさに王の下へと向かう様でしたよね!

前作の『GODZILLA』において人類の敵として登場したのは、ムートーという怪獣でしたが、この怪獣の設定を覚えていますか?

そうなんです。ムートーは人類が製造した核兵器を食べて、それをエネルギーにしていました。

そう考えると、ムートーが前作において人類、とりわけアメリカの敵として立ちはだかるにおいて、彼らの最強の兵器であり、彼らが最高の抑止力と考えている核兵器を無力化するという絶望感は計り知れません。

そして『GODZILLA キングオブモンスターズ』においては、人類ないしアメリカがゴジラに屈するという構図を示すために、核兵器を献上して、ゴジラを復活させました。

さらには、ゴジラという生物が地球の王として君臨し、「アポカリプス」をもたらしました。

確かに日本人の核兵器観から考えると、本作の核兵器の描き方は少し受け入れがたい部分も孕んではいるんですが、ハリウッド映画としては当然の描き方とも言えるでしょう。



あの行動を芹沢に取らせた意味とは?

先ほどハリウッド映画としては、極めてアメリカ的な核兵器観に基づいて描かれているので、違和感がないということをご説明してはみたんですが、そうなると次の疑問が生じませんか?

ナガ
あの行動を取るのはなぜ、芹沢でなくてはならなかったのか?

ハリウッド的な核兵器観の下に描かれた行動を、なぜ仮にも日本のゴジラシリーズと結びつきの強い「芹沢」と「猪四郎」の名前を背負ったキャラクターに取らせる必要があったんでしょうか。

ここは個人的にも気になりましたし、日本のゴジラファンの中には引っ掛かりを覚える人も多くいるのではないでしょうか。

このシーンの真意を考えるにあたって、日本が1954年に生み出した映画『ゴジラ』とその後の本多猪四郎の作り出したゴジラ映画について整理しておく必要もあるでしょう。

初代ゴジラの企画の発端は「ビキニ環礁海底に眠る恐竜が水爆実験の影響で目を覚まし、日本を襲う」というコンセプトにあり、そして原水爆の恐怖を司る怪獣であるということは長らく論じられてきました。

確かにゴジラという怪獣はその発想がきっかけで生まれた怪獣ですし、その精神は確かに継承されてきました。

2016年に公開された『シン・ゴジラ』が東日本大震災に伴って起きた福島第一原発の事故から着想を得ているのは、ほとんど間違いありません。

しかし、初代ゴジラから今に至るまで、ずっとゴジラが原水爆の恐怖を具現化した怪獣であり続けたのかというと決してそうではないんです。

これは私が『GODZILLA 星を喰う者』を鑑賞した際に記事に書いたことと重複するのですが、ゴジラはある種の「まれびと」的な描かれ方をしてきました。

マレビトとは何か。神である時を定めて来り、臨む大神である。(大空から)あるいは海のあなたから、ある村に限つて富みと齢とその他若干の幸福とを齋して来るものと、その村の人々が信じてゐた神の事なのである。

「まれびと」という概念を日本に持ち込んだ人物とも言える折口信夫氏は上記のように述べていました。

つまりゴジラとは、突然海からやって来て、人類に重大な損害を与え、そして去っていくという祝福ではなく、呪いをもたらす「まれびと」だったんです。

しかし、『三大怪獣 地球最大の決戦』という作品が1つの転換点となり、日本のゴジラの在り方を少しずつ変え始めました。

この作品においてキングギドラは富士山麓の浅間神社を攻撃するんですね。要は日本の土着の「神」に対して攻撃した行為と読み替えてください。

それに対してゴジラは激高し、ギドラを撃退すると、ラストシーンではラドンと共に日本の地に留まり、海を見つめていました。

さらにラストは非常に重要で、しばしば「ゴジラが初めて海に帰らなかったラスト」として論じられています。

ここから、ゴジラという怪獣のイメージが少しずつ変えられていくのですが、とりわけ今作でギドラが神社を攻撃するというシーンにインパクトを持たせたことが効いてきます。

つまり、ゴジラはこの映画を境にして「日本の土着の神」「日本の守護神」的な描かれ方に舵を切っていくことになるんですよ。

その後に本多猪四郎が監督を務めたゴジラ関連作品は「南海」「南アジア」を舞台にしたものが続き、そして1968年公開の『怪獣総進撃』では、「怪獣ランド」と呼ばれる施設を小笠原諸島に作りました。

1968年に小笠原諸島が日本に返還された歴史的事実があることからも、この立地条件が偶然の産物ではないことは自明です。

また、小笠原諸島は硫黄島といった太平洋戦争時代の有名な戦地であり、日本が要塞を築き要所として捉えていた重要な土地でもありました。

そういう歴史的な事情から考えると、日本に返還されたばかりの小笠原諸島に「怪獣ランド」を作り、ゴジラを住まわせたのは、日本を守る「神」としてのゴジラを描こうとしたからとも考えられます。

このように本多猪四郎が撮影したゴジラシリーズの中でも、ゴジラのイメージというのは少しずつ変容していっているんです。

ナガ
さて、ここでようやく『GODZILLA キングオブモンスターズ』に話を戻そう!

この映画において、芹沢猪四郎が自らの命を賭して核兵器をゴジラの下へ運んだシーンには3つの意図があったと個人的には解釈しています。

  1. 初代ゴジラの芹沢大助へのオマージュとして
  2. 本作の主題でもあった「憎しみを捨てて敵を受け入れる」を表現した
  3. 本多猪四郎のゴジラの描き方の変化へのコンテクストを意識した

まう1つめの「初代ゴジラの芹沢大助へのオマージュとして」ですが、これは端的に行動を重ねたということですね。

初代ゴジラ映画において、芹沢大助はゴジラによって苦しめられている人々を見かねて、使うまいと決めていたオキシジェン・デストロイヤーを使う決心をします。

そしてその技術が悪用され、多くの人が命を落とすことを避けるために自分自身の命を葬ることにし、それを実行してゴジラと共に息絶えました。

『GODZILLA キングオブモンスターズ』における芹沢猪四郎の行動は、強くこの芹沢大助に影響を受けているといえます。

そして2つ目の本作の主題でもあった「憎しみを捨てて敵を受け入れる」を表現したという点ですね。

この映画の大きなテーマの1つにこれがあったことは間違いありません。

初代ゴジラにおいて芹沢大助は、人類を守るためとはいえ、恐ろしい兵器の力を使いゴジラを打倒しました。

これが後にデストロイヤーという怪獣を生み出すこととなったわけですが、憎しみはやはり憎しみを生むばかりで解決にはならないのかもしれません。

芹沢大助は最後に「さよなら、さよなら。」というセリフを残していますが、『GODZILLA キングオブモンスターズ』では芹沢猪四郎が「さらば、友よ。」という言葉を遺しました。

恐怖の象徴であり、人類の脅威として1954年に生み出されたゴジラを、敵としてではなく友として受け入れようとした彼の行為は、まさしくこの作品のテーマを体現する者でした。

最後に3つ目の「本多猪四郎のゴジラの描き方の変化へのコンテクストを意識した」という点ですが、ここがこの章の冒頭で述べてきたこととも繋がっています。

つまり、ゴジラとは当初は日本に対して原水爆の恐怖を突きつける「まれびと」的な描かれ方をしていたわけですが、後に日本の「土着の神」的な描かれ方へとシフトしていきます。

この変遷のコンテクストを『GODZILLA キングオブモンスターズ』は反映させているんです。

だからこそ「猪四郎」という名前を関した芹沢猪四郎というキャラクターに、海底で眠っているゴジラを「神」として崇め、彼を地球の「王」として認めるかのような行動を取らせたのでしょう。

前作においてゴジラという存在は、確かにムートーと戦い、人類を救った形にはなっていましたが、「恐怖」として描かれていましたし、演出もその方向に機能していました。

ただブルーナイトな配色が印象的な本作は怪獣たちを「神」として描き、とりわけゴジラを地球の「王」として君臨させるような方向性で物語を展開しました。

2014年の前作のラストでは、ゴジラが海へと帰っていく様子が描かれましたが、本作のラストでは陸(ボストン)に留まり怪獣たちの王として君臨する様を描きました。

これは間違いなく『三大怪獣 地球最大の決戦』へのオマージュであり、そして今作がゴジラ映画史における『三大怪獣 地球最大の決戦』という作品の意義を深く理解しているからこそのラストです。

ゴジラファンからは賛否ある描写だと思いますが、個人的には納得ができるシーンだったと思っています。

ナガ
そしてもう1点だけ注目なのが、彼の懐中時計ですよね!

芹沢が所持している懐中時計は前作にも登場したもので、広島に投下された原爆の被害に遭った彼の父の遺品です。

そのため時刻が広島に原爆が投下された「8時15分」で止まっています。

今回ゴジラの下へと核兵器を運ぶ芹沢がその時計を持っていく演出が施されているわけですが、これも非常に意義のある演出です。

父を原爆に殺された彼は、当然原水爆に対して強い怒りを感じているはずですし、その化身とも言えるゴジラに対しても一抹の憎悪を抱いていると考えても不自然ではないでしょう。

それでも彼は、瀕死のゴジラを救うために核兵器を彼の下へと運びます。そしてゴジラに話しかけ彼に触れ、コミュニケーションを取ろうとします。

そして8時15分で止まった懐中時計と共に核爆弾が爆発します。

大勢の人を殺すために使われた核兵器。そんな人類の過ちを象徴する懐中時計を、人を救うために使われた核爆弾が粉々にするんです。

今作は極めてアメリカ的な価値観からの核兵器描写が目立ちますが、こういうところにゴジラ本来の核兵器観へのリスペクトが込められてもいるんですね。

 

個人的にどうしても気になったポイント

(C)2019 Legendary and Warner Bros. Pictures. All Rights Reserved.

この映画において個人的にどうしても気になってしまった描写が4つあるんですよ。

ということで絶賛という評価に変わりないのですが少しだけお話させていただこうと思います。

 

オキシジェンデストロイヤーの使い方

オキシジェンデストロイヤーという兵器は1954年版のゴジラに登場したものですが、これってすごく重みのある兵器なんです。

これは原爆を超える大量破壊兵器と化す危険性を秘めた平気であり、開発した芹沢博士でさえもが使用することを躊躇っていました。

だからこそ、芹沢博士はこれを使用した後に自ら命を絶つことで、この兵器をこの世界から抹消しようとしました。

また、オキシジェンデストロイヤーが後のゴジラシリーズにも絡んできますし、この兵器の仕様がある種の「カルマ」の始まりでもありました。

とにかく日本のゴジラシリーズにおいてオキシジェンデストロイヤーという兵器はすごく「重み」を持っているですね。

それ故に『GODZILLA キングオブモンスターズ』にてファンサービスとしてとりあえず名前を出しましたみたいなノリで、あんなただの兵器的な扱いで登場させられると違和感がありましたね。。

何となくですが、オキシジェンデストロイヤーを使ってゴジラを殺した「芹沢」が、オキシジェンデストロイヤーで瀕死のゴジラを救うという展開を描きたかったのかもしれません。

ただ、そうなのであればゴジラがオキシジェンデストロイヤーに被弾したのがキングギドラを対象にして撃った流れ弾的なものであるという点が気になりますかね・・・。

 

前作からのキャラクターが一掃

2014年に公開された『GODZILLA』から主に渡辺謙とサリー・ホーキンスが『GODZILLA キングオブモンスターズ』にも続投という形になりました。

しかし、何とそんな2人が今作でモンスターバースより姿を消してしまいました・・・。

これを見た時に、真っ先に思い出したのが昨年公開された映画『パシフィックリム アップライジング』でした(笑)

この作品も第1作からのキャラクターを第2作で散々な扱い方をして、ファンから顰蹙を買っていました。

ここまで一気に第1作からのキャラクターを一掃されてしまうと、少し寂しい気持ちになってしまうのは致し方なしですよね。

 

ラストシーンでムートーがいる?

本作のラストシーンでゴジラが地球の「王」として君臨する様が描かれるのですが、この時に個人的に気になったのが、ムートーが取り巻きの中にいるという点です。

前作『GODZILLA』にてゴジラと死闘を繰り広げたムートーですが、前作でメスとオスが1匹ずつと彼らの卵が焼き尽くされているんですよ。

そのため急に再登場されるといささか不可解に感じてしまいます。

また、前作であれだけゴジラに対して反抗していたムートーが、『GODZILLA キングオブモンスターズ』のラストではあっさりゴジラに従っているという描写も前作からの繋がりで捉えると不自然に思えます。

 

バーニングゴジラの使い方

個人的にすごく気になってしまったのがバーニングゴジラの使い方ですね。

バーニングゴジラが何なのか気になる方は『ゴジラVSデストロイア』をご覧ください。

デストロイアと戦うバーニングゴジラって覚醒したというわけではなくて、あくまでも体内の炉心の核エネルギーが不安定になり、メルトダウンしかかっている状態なんです。

つまりパワーアップした形態というわけではなくて、体内のエネルギーが暴走して死にかかっている状態なんです。

今回の『GODZILLA キングオブモンスターズ』は口だけではゴジラが爆発する寸前だなんてことを言ってはいますが、その描写の仕方を見るにバーニングゴジラをただの「パワーアップ」としか見なしていないですよね。

個人的には、バーニングゴジラが大好きなのですが、何が好きかというと、その寿命が燃え尽きる寸前の最後の輝きを放つ姿が儚くも神々しいんです。

今回の『GODZILLA キングオブモンスターズ』はあの形態のゴジラを『ドラゴンボール』のスーパーサイヤ人か何かと勘違いしているように見受けられて悲しかったです。



エンドロールとポストクレジットの小ネタ

『GODZILLA キングオブモンスターズ』のエンドロールとポストクレジットにはかなりの小ネタが含まれていました。

とりわけエンドロールでは、とんでもない情報量が襲い掛かってくるため一度見ただけでは情報を追いきれませんでした。

劇中で怪獣が全部で17体いるという情報が提示されていて、クモンガ風の怪獣やアンギラス風の怪獣が登場したりもしましたが、エンドロールでもいろいろと怪獣情報が提示されていました。

また、2020年公開予定の『ゴジラVSキングコング』に向けての布石としては、また古代の壁画が発見されるという形になっていました。

その他にも髑髏島の地下で新種の怪獣が発見されていたり、怪獣が髑髏島に集結していたりと、まさにゴジラVSキングコング=王VS王にふさわしい舞台が整えられようとしています。

そしてポストクレジットで示されたのが、キングギドラ復活の可能性ですよね。

日本のゴジラシリーズでも『ゴジラVSキングギドラ』にて、真ん中の首を機械に改造されたメカキングギドラが登場しました。

そういう事情もありますから、モンスターバースの今後の展開にも注目が集まりますね。

 

今作に登場した怪獣について

作中でゴジラを含めて世界中に17体の怪獣がいるという情報が出てきましたよね。

そして作品の中盤で世界中で怪獣たちが目覚めていく様子が描かれました。

ここではそんな怪獣たちについて軽くではありますが触れておこうと思います・

 

スキュラ(SCYLLA)

(C)2019 Legendary and Warner Bros. Pictures. All Rights Reserved.

アリゾナのモナーク基地に出現したのが、クモのような形状をしている怪獣でしたね。

ナガ
初見では、クモンガだと思ったんだけど、違うんだ・・・。

日本のゴジラシリーズにもクモンガという蜘蛛型の怪獣が登場するので、てっきりそうだと思ったんですが、スキュラ(SCYLLA)というモンスターバースオリジナルの怪獣のようです。

スキュラとは、上半身は女性で、下半身は魚、そして腹部からは6つの犬の前半身が生えた怪物のことをしばしば表しています。

一方でヤマシロオニグモという蜘蛛の学名にScyllaという言葉が含まれていて、本作に登場する怪獣はどちらかというと、この意味合いでインスピレーションを受けたのだと思われます。

 

ベヒモス(BEHEMOTH)

こちらはマンモスのような出で立ちをした怪獣でしたね。

ベヒモス(BEHEMOTH)はそもそもは『旧約聖書』に登場するゾウ(カバという説もある)のカタチをした巨大生物です。

ゾウの頭で、人間の身体という悪魔として描かれることもしばしばのようですね。

 

メトシェラ(METHUSELAH)

(C)2019 Legendary and Warner Bros. Pictures. All Rights Reserved.

ナガ
このシーンを見た時、誰もがアンギラスの登場を喜んだよね!(笑)

日本版ゴジラシリーズでアンギラスの登場シーンと言えば地面が山のように浮き上がって・・・ですからメトシェラの登場シーンを見ると、どうしても想像してしまいます。

この怪獣の名前は、旧約聖書の『創世記』に登場す聖人メトシェラからの引用やもしれません。

 

ここまでご紹介してきた3つの怪獣のネーミングからもわかる通り、今回の『GODZILLA キングオブモンスターズ』は非常に聖書志向、神話志向が強い作品なのです。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『GODZILLA キングオブモンスターズ』についてお話してきました。

何と言っても大迫力の映画でしたし、これが見たかった!を立て続けに見せてくれる最高の「怪獣映画」だったと思います。

ナガ
本気の怪獣プロレスをおなか一杯になるまで見せてくれたよね!!

日本のアニメゴジラシリーズが「怪獣プロレス」からの脱却を明文化していたり、ポリティカルムービーの側面が強かった『シンゴジラ』であったり、怪獣プロレスが不完全燃焼だった2014年版『GODZILLA』があっただけに、これだけ怪獣プロレスに振り切ってくれたのは熱いですね。

間違いなく劇場で必見の映画だと思いました。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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ナガ
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いろいろと賛否両論だったアニメゴジラシリーズですが、良かったら一度ご覧になってみてください。

15件のコメント

オキシジェンデストロイヤーの使い方、サプライズとして思わず「おおっ!」と声が出てしまったのですが、確かに使い方に重みが足りないなーと思ってしまいました。
ただ、あれがどれだけヤバイ兵器なのかなんとなくイメージできるファンして「おいオキシジェンデストロイヤーが迫ってきてんぞ!」という緊迫をすごく感じることができたし、
酸素を破壊する兵器であることを知っているからこそ、「ゴジラは死にかけたのにギドラは首もげただけでピンピンしてるぞ!」「なんでだよ! はっ! あいつは宇宙から来たんじゃねえか!?」という登場人物たちの一見突拍子のない考察にも「ギドラは酸素を必要としない環境で誕生したのではないか?」という理屈で納得ができたし、ギドラは地球外から来た侵略者であることを自然な流れで説明するには意味のある登場だったのかなと思っています

バーニングゴジラは…きっとモスラの鱗粉とギドラに余剰エネルギーを吸い取られまくったお陰でメルトダウンしない絶妙なバランスを奇跡的に保つことができたんですよ…きっと…

ゴジラすごく売れてほしいさんコメントありがとうございます。
ギドラが地球外の生き物であるという点とオキシジェンデストロイヤーの酸素を奪うという特性を関連付けた考察興味深い拝見しました。
その発想はなかったので、非常に参考になりました。
バーニングゴジラはそう納得するしかないですよね・・・(笑)

あくまで個人的な予想ですが、バーニングゴジラは確かにメルトダウン寸前のゴジラですが、メルトダウンする前に何かを放出してたじゃないですか?自分はあれで爆発しても生き残るように調整したのではと思います。

名も無きゴジラ好きさんコメントありがとうございます。
とりあえずはその線で納得せざるを得ないですよね・・・。
あれだけゴジラを研究しているドハティ監督ですし、何らかの意図や設定はあると思いますが。

一度は仕留めたゴジラを再度核兵器で復活させようとする展開は、VSキングギドラを彷彿とさせますね。ひょっとしたら参考にしたのかもしれませんが。
いつの日か、地球環境保護のため人類根絶に動き出したゴジラに対抗するため、人類が敗れたギドラをメカキングギドラとして復活させるかもしれません。

samonさんコメントありがとうございます。
メカキングギドラ来たら熱いですよねポストクレジットの映像でその布石もありましたし、期待したいところです。

はじめまして。
とても興味深く、素晴らしい考察だと感動いたしました。
引っかかるポイントとして挙げておられる、ラストの取り巻き怪獣の中にムートー(ニュー・ムートー)がいる、という点ですが…。
ドハティ監督は、本作にさまざまなゴジラシリーズのエッセンスを入れていると言っていましたが、改めて見ると『怪獣総進撃』の影響が強いかもしれない、というようなことをおっしゃっておられました。
このことから推察するに…、『怪獣総進撃』では死んだはずの怪獣たち、アンギラスをはじめとしてバラン、ゴロザウルス、クモンガ、バラゴン、マンダなどが小笠原の怪獣ランドに集められており、“基本的に”ゴジラの仲間になっています。それまでの“経緯”を一切捨てて(笑)。
特にクモンガなんかは前作でやりあったばかりなのに、共闘する関係になっていました。
もちろんこれは「怪獣操縦機でコントロールされた状態」だったからに他なりませんが、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』のラストの取り巻きたちはこれに倣ったものなのではないでしょうか?
だからムートーも「2代目」がどこからかいつのまにか現れ、普通に存在している。こう考えるのが一番「ゴジラシリーズ的」にはしっくりくるのではないでしょうかね?
ど素人の妄想で申し訳ありませんが、とても気になりましたもので…。
長文失礼いたしました。

海豹屋・Kさんコメントありがとうございます。
ムートーの指摘については、何というか前作であれだけ反抗したのに、手のひら返し早いな!(笑)くらいの軽い気持ちで書いているものなので、あまり深く考えていなかったんですが、頂いたコメントを見ながら確かに怪獣ランドありましたね!とかいろいろと考えさせられました。
非常に参考になるご意見ありがとうございます。

ムートーは外伝のアフターショックの内容知ってるとラストは違和感ない

ムートプライムさんコメントありがとうございます。
勉強不足ですみません。外伝の方読んでみますね!

ナガさんの考察力が半端ないことに感動しました そして 昭和時代のゴジラを知りつくしていることに敬意を表します 自分は平成ゴジラシリーズはほとんど映画館で見ていたので、今回の映画を見て童心に帰ることのできる素晴らしい映画だったと思います(特にゴジラとモスラのBGM) この映画をきっかけにして嫁にプロジェクター買う交渉をしたいと思います(笑) 2020年のゴジラ対キングコングが期待外れにならない事を祈ります(笑)

はじめまして。
とても面白い記事でした^^
個人的に解釈の異なる部分が2点あったので、ここに書かせていただきます。
長文になってしまいますが、よろしければご一読いただければ幸いですm(__)m

1.オキシジェン・デストロイヤーの使い方
記事でも仰っているとおりオキシジェン・デストロイヤーはゴジラファンにとって特別な意味を持つアイテムです。
芹沢博士の悲壮かつ英雄的な自己犠牲なくして語ることはできず、今作キングオブモンスターズでの扱いに違和感を覚えるのはじゅうぶん理解できます。
しかし、今回の演出はオキシジェン・デストロイヤーを軽く扱ったのではなく、そうした往年ファンの心理を逆手に取った手法なのではないでしょうか。
初代・芹沢博士は自身の発明が軍事利用されることを懸念していましたが、今作で描かれた「長距離ミサイルの弾頭に搭載して遠隔起爆」などは博士が最も恐れた使用方法でしょう。
オキシジェン・デストロイヤーというアイテムの重さを知っていればこそあの場面の狂気を理解でき、「人間こそ怪物」というワードが印象的になってくるのだと思いました。

2.バーニングゴジラの使い方
ドゥハディ監督は、単にパワーアップの象徴としてバーニングゴジラを使ったわけではないと思います。
たしかにビジュアルこそバーニングゴジラのイメージと重なりますが、そこに至る経緯を見るとルーツは別に存在するのではないでしょうか。
自分が連想したのはVSメカゴジラとGMKです。
VSメカゴジラではファイヤーラドンの役目だったゴジラ復活のための自己犠牲をモスラが担っており、今作でゴジラが立っているだけで周囲の建物が溶けていく描写も、降り注ぐ光の粒子でメカゴジラの装甲が勝手にダメージを負う場面と重なるように感じます。
GMKではモスラの献身によりギドラが千年竜王に覚醒しますが、ここでのゴジラとギドラの立場がKOMではそっくり入れ替わっているように感じました。
モスラを中心とした場面の構図もそっくりです。

そしてもう一つ、これは上手く言い表せるか自信がないのですが、あの時ゴジラは、ある意味で死の縁にいたと思います。
人間のタイミングで復活させるために終の棲家を吹き飛ばされ、自分を救うために目の前で伴侶が爆散したのです。
どんな気持ちで戦っていたのでしょうか。
全てを終えて、どこに帰るのでしょうか。
怪獣王の座を奪還した時、それまでのゴジラは一度死んだと思うのです。

tsumarasetaさんコメントありがとうございます。
先のコメントにも書きましたが、疑問に思った点というのはあまり深く考えず、ここどうなってんの?くらいのテンションで書いているものです。
ということもあるので、みなさんの詳しい考察は非常に参考になります。
1のオキシジェンデストロイヤーの解釈頷きながら読ませていただきました。
2のバーニングゴジラについては、たしかにGMKに重なるという指摘は分かるんですが、直前にゴジラがメルトダウンしかかっているという類のセリフがあっただけにその設定はどこへ?という疑問がぬぐい切れなかったんですよ・・・。

考察お疲れ様です
気づかなかった事をこの記事で気付かされました
オキシジェンデストロイヤーについては爆発後の描写が一番引っかかりました
魚の死骸が浮かび上がってくるだけではただの爆弾です
分解されて初めてオキシジェンデストロイヤーなのに。。。
VSギドラはラストだけでなく海底神殿の所もオマージュ?してそうに思えました
原子力潜水艦の核でゴジラを復活
ゴジラザウルスに敬礼して別れ復活したゴジラには焼かれてしまった新堂総帥

VS世代さんコメントありがとうございます。
オキシジェンデストロイヤーまさにそうで、本当にただの爆弾になっていたのでちゃんと理解して登場させてるのか?とは思ってしまいましたね。
あれだけ日本のゴジラへの愛に溢れた作品なので、決して軽んじたわけではないと思うのですが。
VSギドラは確かにそこもオマージュですよね!ありがとうございます。

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