【ネタバレあり】『ミスターガラス』解説・考察:メタヒーローではなくメタシャマラン?

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はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『ミスターガラス』についてお話していこうと思います。

本記事は一部作品のネタバレになるような要素を含む解説・考察記事となっております。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。

『ミスターガラス』

あらすじ

本作を見る前に絶対に見ておかなければならないと言っても過言ではない作品が2つあります。

ナガ
1つ目は『アンブレイカブル』
ナガ
もう1つが『スプリット』だね!

『ミスターガラス』という映画は、この2作品を見たことが前提になって作られている映画なので、チェックせずに見に行くと、理解できない部分も多いのではないかと思います。

ですので、本作を見に行こうという方は、とりあえずこの2作品を押さえておいてください。

『ミスターガラス』の物語は『アンブレイカブル』から15年が経過、そして『スプリット』の直後という時期に設定されています。

『スプリット』のラストで、デイヴィッドが誘拐犯ケヴィンが脱走したというニュースを見ていました。

そして彼は今でも女子を誘拐する行為を繰り返しており、デイヴィッドはそんな彼を追っています。

女子が監禁されている場所を突き止め、2人は一騎打ちになるのですが、そこに精神科医ステイプルが現れ、彼らを精神矯正施設へと収容します。

なんと、その施設には、『アンブレイカブル』で大量殺人の罪に問われ、逮捕されていたイライジャ(ミスターガラス)も収容されていました。

3人の「超人」の運命が交錯し、物語は思いもよらぬ方向へと展開していきます・・・。

監督・キャスト

本作『ミスターガラス』の監督・脚本を担当しているのはM・ナイト・シャマラン監督です。

映画『シックスセンス』で世界中に衝撃を与えて以来、数多くの映画を世に送り出してきた名匠の1人です。

ナガ
彼にとってこの『ミスターガラス』という作品は自身のキャリアの中でも最も思い入れが強い1作になっているんじゃないかな?

というのも、『アンブレイカブル』の続編を作る、トリロジーの1作目にするという話そのものはずっと昔からあったんです。

ただ、『アンブレイカブル』はDVDセールスこそ良かったものの、興行収入的に大ヒットと呼べるような成績ではなく、配給側も続編を製作するというリスクを冒せなかったんです。

そういう経緯もあって、長らく製作されることなくシャマランの頭の中に「構想」としてずっと存在し続けてきた作品であったわけです。

そしてシャマランは私財を抵当に入れて、『スプリット』という作品を2016年に公開しました。

ナガ
北米でもスマッシュヒットを記録したよね!!

結果的に製作費を悠々と回収したシャマランは、その収益をつぎ込んで長年温め続けてきた『ミスターガラス』の映像化に踏み切りました。

ナガ
自宅を抵当に入れて、2000万ドルとも言われる製作費を捻出したとか?

ただ北米オープニング興行収入は5000万ドルを優に超えるだろうと言われていて、予算につぎ込んだお金は無事帰って来ることとなりそうですね。

ナガ
では、キャストについても紹介していくよ!

まずミスターガラスことイライジャを演じるのがサミュエル・L・ジャクソンですね。

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2000年代のヒーロー映画黎明期に本作に出演していた彼が、今やMCUには欠かせないキャラクターを演じているわけですから、時間が経つのは早いものです。

本作『ミスターガラス』では、前半ほとんどセリフがない(というよりも一言も発してない!?)んですが、それでも圧倒的な存在感を発揮する辺り、流石だなぁと感じた次第です。

そして、デヴィッドを演じたのが、ブルース・ウィリスですね。

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ナガ
飛ぶ鳥を落とす勢いだったブルース・ウィルス人気もかなり落ち着いちゃったね・・・。

『アンブレイカブル』が公開された当時と今とを比べて最も変化したのは何かと聞かれると、ブルース・ウィルスの人気と答えてしまいそうです。

彼を見ているだけで、何だか時の流れを感じてしまいますよね・・・。

そしてケヴィンを演じているのが、ジェームズ・マガボイですね。

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ナガ
『X-MEN』シリーズで一気に知名度を高めたよね!!

『X-MEN』シリーズでプロフェッサーXを演じたことで、知られています。

また前作の『スプリット』での怪演は、非常に高く評価されていて、その狂気じみた演技は『ミスターガラス』でも如何なく発揮されていました。

より詳しい作品情報を知りたい方は映画公式サイトもご参照ください!

ぜひぜひ劇場でご覧ください!!

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映画『ミスターガラス』解説

『アンブレイカブル』と『スプリット』との繋がり

冒頭にも書きましたが、本作『ミスターガラス』を理解しようと思うと、『アンブレイカブル』『スプリット』の2本はマストで鑑賞しておきたい作品です。

ナガ
当ブログでは、『アンブレイカブル』の解説・考察記事も書いてます!!

今回は、そんな予習案件である2作品と本作の繋がりをザッとにはなりますが、おさらいしておこうと思います。

デイヴィッド・ダンについて

まず、デイヴィッド・ダン『アンブレイカブル』の冒頭で、大規模な電車の事故に遭います。

乗客の全員が死亡したかに思われましたが、その際に唯一の生き残りだったのが彼です。

そうしてイライジャ(ミスターガラス)に目をつけられた彼は、自分には特別な力があるのではないかと考えるようになりました。

そして連続殺人犯を追う中で、彼は自分が並外れた肉体や能力を持っていることに気がついていき、自分が「ヒーロー」であることを受け入れていくのでした。

ちなみに『ミスターガラス』でも着用していた緑色のポンチョはそもそも彼がサッカースタジアムで働いていた際に着用していたものでした。

デイヴィッドの息子について

デイヴィッドの息子を演じているのは、スペンサー・トリート・クラークという俳優なんですが、実は彼は『アンブレイカブル』でもデイヴィッドの息子を演じていたんです。

ナガ
19年という月日の流れを感じさせられますね・・・。

ぜひぜひ『アンブレイカブル』で出演していた彼の姿と見比べてみてください!!

ウエイトリフティングのシーン

『ミスターガラス』の中でステイプルの発言にもありましたし、ジョセフが学校でコーチをしているシーンでも登場したのですが、「ウエイトリフティング」というキーワードが気になりませんでしたか?

これは、『アンブレイカブル』の中で、デイヴィッドが自分の力を図ろうとして息子の前でかなりの重さのものを持ち上げ、自分の中に秘められた力の存在に確信を得るシーンなんですよ。

映画『アンブレイカブル』より引用

このシーンを知っていると、ジョセフが父はヒーローであるということをステイプルに全否定された時の気持ちが痛いほどに伝わってきますし、バーベルを持ち上げる青年を見つめる彼の視線に涙がこぼれそうになります。

ケヴィンについて

ケヴィンは映画『スプリット』に登場した23+1の人格を持つ青年です。

  • パトリシア:女性の人格で、人格の中でもリーダー格である。
  • ヘドウィグ:子供の人格。自身のことを9歳の子供であると自覚している。
  • バリー:ケビンの身体の占有権(スポットライト)を管理している人格。
  • ケビン:女子高生やフレッチャー博士を昏睡させるなどした人格。
  • ケヴィン:本来の人格。母親からの虐待におびえていた。
  • ビースト:24番目の人格。バリーによるスポットライト管理に抵抗する人格が崇拝する最強の人格。
ナガ
代表的な人格は上記の通りでしょうか。

また、前作の終盤に「ケヴィン・ウェンデル・クラム」と呼びかけると、彼本来の人格が表出することをフレッチャー博士が発見していた。

ケイシーについて

今作にも登場し、ケヴィンの身を案じていた少女のケイシーは前作の『スプリット』では、ケヴィンによって監禁されていた側の人間です。

他の少女は殺されてしまった中で、彼女だけはビ―ストの人格に殺害されませんでした。

それは、彼女の置かれていた境遇がケヴィンがかつて置かれていた境遇と似ていたからです。

ケヴィンは母親からの虐待によって変調を来していったわけですが、一方のケイシーもまた叔父からの虐待を受けていました。

ビーストが「穢れのない」「穢れている」という評価にどのような差異を設けているのかが『ミスターガラス』だけでは分かりにくいのですが、これは「親から保護され、穏やかに育ってきたかどうか」によって分別されているように思います。

そういう点では、ケイシーは「穢れのない」少女だったんでしょうね。

ちなみに彼女が今作で精神矯正施設からの帰り道に羽織っていた「ペンシルベニア動物園」のジャケットは『スプリット』の終盤に逃げ出した彼女が動物園の職員からかけてもらったものでしょう。

ケヴィンの身体の傷

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ケヴィンがビーストの人格になると上半身に血管が浮き出てくると共に、2つの傷跡が浮かび上がってきます。

ナガ
これは一体何なんだろ?

これは、前作『スプリット』にてケイシーが逃亡する際に、銃で発砲した時にできた傷跡です。

ビーストの人格の際は銃弾を受けても、肉体が強化されているため死には至らないようですね。

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シャマランのここが巧い!5つのポイント

ここからは本作『ミスターガラス』の巧いなぁと感じさせられたポイントを5つに絞って解説していこうと思います。

光る映像演出

『アンブレイカブル』の記事でも散々熱く語らせていただいたんですが、やはりシャマランの撮る映像は非常に趣向が凝らされているように感じます。

とにかく天才としか形容できないような映像が次々に飛び出していたわけですが、今作『ミスターガラス』でも素晴らしいシーンがいくつもありました。

まず、挙げたいのが『アンブレイカブル』にもあったカメラを回転させる演出ですね。

ジョセフが父を解放してもらうためにステイプルの下を訪れた帰り道のシーンで、カメラを回転させ、天地が逆転する映像が用いられています。

これはまさしくジョセフがこれまで信じてきた「父=ヒーロー」であるという世界観が文字通り「180度」ひっくり返ろうとしていることの暗示でもあります。

他にも『アンブレイカブル』にもあったように扉や独房といった四角いモチーフを「コミックスのコマ」のようにフレームとして用いることで、コミックスをそのまま映画にした様なシーンが多く登場します。

ナガ
まあここまでは『アンブレイカブル』で使った手法の焼き直しだよね・・・。

他にも今作では「ヒーロー=虚像」だとして排斥しようとするステイプルというキャラクターが登場したわけですが、自分の像を映し出す「鏡」「反射」が効果的に使われていました。

デイヴィッドが自分のヒーローとしての存在について独房で自問しているシーンでは、鏡に映し出された彼の像にクローズアップすることで、彼の虚ろな表情を映し出すとともに、彼のヒーロー観が鏡に映る像のように揺らいでいることを表現しています。

イライジャが脱走する際に備品質の棚のガラスに反射する自分の姿を見つめていました。その表情は自信に満ちており、彼が自分が「ヒーロー」であることに疑問を抱いていないことが伺えました。

反射させることで、自分から分離したアイデンティティの表出としての「像」を表出させ、そこにクローズアップすることで自我の揺らぎや心情の変化を描写しようとした辺りはさすがだと思いましたね。

3人のヒーローの物語として

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シャマランが『アンブレイカブル』にて打ち出したのは、誰もが自分の存在意義を知りたがっているという本質的な欲求でした。

自分という存在は一体何なのか?自分が今ここに存在している意義は何なのか?それを誰もが知ろうとしています。

イライジャ(ミスターガラス)という人物は、体の脆い自分の様な人間の存在意義は何なのかを突き詰めた時に、自分の対極に位置する人間を見つけ出すことで探れるのではないかと考えました。

ケヴィンは虐待にあったことで自分の人格を分離させることで、自らを守り、そして本当の自分を見失ってしまいました。

デイヴィッドは、突然自分が他の人間とは異なる存在である可能性を指摘されて、自分を見失いながらも自分が「ヒーロー」であるとの核心に辿り着いた人物です。ただその核心をステイプルによって揺さぶられます。

こういった風にシャマランが描いてきた3人のキャラクターは全員、自分のアイデンティティや存在意義に迷い、悩む人々なのです。

そんな彼らがステイプルという精神科学者によって自分の存在を否定され、アイデンティティを否定されるのが『ミスターガラス』の前半部分というわけです。

そしてシャマラン監督は、この作品の結末に3人のキャラクターそれぞれの物語の終幕をきちんと用意しています。

自分の存在の意味を確信し、自分は無意味ではなかったと言えたイライジャ(ミスターガラス)

ケイシーに愛され、自分の人生のスポットライトを自分で持つ決心が出来たケヴィン

息子からも認められ、ヒーローとして自らの人生を全うしたデイヴィッド

壮大な三部作でありながら、きちんと3人のキャラクターのアイデンティティを問う物語としても完結している点は素晴らしいと言えるのではないでしょうか。

イーストレイル177三部作として

『アンブレイカブル』『スプリット』『ミスターガラス』の3作品は総称してイーストレイル177三部作なんて呼ばれています。

これは『アンブレイカブル』にて、冒頭に脱線事故を起こした電車が「イーストレイル177号」出会ったことにちなんでつけられたものです。

実はこの三部作は、電車のシーンに始まり、駅のシーンにて終わっているんですよ。

『アンブレイカブル』はデイヴィッドが電車に乗っていて、そして脱線事故を起こしてしまうところから物語がスタートします。

一方で『ミスターガラス』は駅にて、「ヒーロー」たちの映像が拡散されていく様が映し出されて、幕切れを迎えます。

このように電車と駅というモチーフを作品に反映させつつ、19年にもわたる長い長い電車旅の終着駅を描いた点は本当に素晴らしかったと思います。

もっと言うなれば、『アンブレイカブル』イライジャの誕生シーンから始まっていて、『ミスターガラス』イライジャが死ぬシーンが終盤に訪れるんですね。

こういう3部作で1つの円環を閉じるという構成を視覚的に示しているところもシャマラン監督の巧さかなと思いました。

ヒーローの意味を拡張する物語

シャマラン監督が2000年に作り出したヒーロー映画の金字塔『アンブレイカブル』は、まさしくヒーローは実在を問う物語でした。

そして2019年に公開された『ミスターガラス』もまたヒーローの実在を問う映画であったことに間違いはありません。

前者の中では、イライジャによってデイヴィッドという「ヒーロー」が探し当てられるわけですが、その時点では彼が特異な存在だったというだけに過ぎません。

ただ、『ミスターガラス』はそんなヒーローの意義を拡張しています。

つまりこの世界には、ヒーローは実在するし、そしてあなた自身の中にヒーローになる素質が眠っているかもしれないというメッセージを全世界に打ち出したのです。

『アンブレイカブル』が公開された当時、ヒーロー映画はまだほとんど製作されていませんでした。

しかし、それから20年近くが経過し、今や映画興行の中心にヒーロー映画が君臨しています。

それほどまでに「ヒーロー」という存在が我々の身近なものとなった今、そんな「ヒーロー」コンテンツを愛する全ての人を肯定せんとばかりに打ち出されたシャマラン監督の熱い思いに熱くなりました。

ナガ
最近はこういう「解釈」の拡張がトレンドだよね。

『スターウォーズ 最後のジェダイ』が打ち出した「ジェダイ」の拡張、『シュガーラッシュオンライン』が打ち出した「プリンセス」の拡張など、確かにそういった構造の作品は最近目立ちますね。

メタヒーロー映画としてもやはり『ミスターガラス』は優れていると感じます。

ミスターガラスという神話として

先ほども少し書きましたが、シャマラン監督が製作したこの3部作はミスターガラスの誕生に始まり、死が描かれ、そしてその復活が描かれています。

つまり、ミスターガラスという新世界の「イエス」の誕生を描いたのが、『アンブレイカブル』に端を発する3部作の正体なんですよ。

イライジャの父親の姿がほとんど登場しない点も何とも聖書を思わせますし、ヒーローを信じる彼とそれを異常扱いして排斥しようとするステイプルの関係は「イエス」と律法学者の関係のようです。

そして彼は最後に最後にヒーローが溢れる世界の到来を願いつつ、自らの命を犠牲にし、そしてその姿を動画として復活させ、その中に生き続けることで永遠の影響力を手にしました。

だからこそミスターガラスはシャマラン監督によって「イエス・キリスト」として描かれているんだと思います。

ナガ
では、シャマランが作り上げた神話はどういう意義を持つのでしょうか?

イライジャは本作の中で、これは「LIMITED EDITION」ではなく「オリジン」であったと発言しています。

そう考えると、この『ミスターガラス』という映画は、今世界中に多く送り出されたあらゆるヒーローコンテンツの「前日譚」として君臨し続けると言っても過言ではありません。

ヒーローが生まれるきっかけを、その全ての始まりの神話をシャマランは映画化して見せたのです。

その点で『ミスターガラス』という作品はとんでもないスケールで作られた映画なんだと思いますね。

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考察:メタヒーローではなくメタシャマラン?

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本作をメタ的な視点から読み解くとすると、先ほども書いたように「ヒーロー」という存在の意味を拡張した作品であるというメタヒーロー譚の視点に立つことになるでしょう。

ポスト00年代ヒーロー映画としてシャマランはヒーローコンテンツがあまねく行き渡った世界で、誰もがヒーローになれるという「可能性」の物語を描いて見せたわけです。

ただ本作『ミスターガラス』を見ていて、『アンブレイカブル』を作っていた時のようなシャマラン監督の慧眼はすっかり見る影もなくなってしまったと少し残念に思うところもありました。

というのもシャマラン監督が製作した『アンブレイカブル』は10年先、20年先にようやく真の価値が認められるような時代を先行した映画だったわけです。

ただ『ミスターガラス』はどうかというと、極めて近年のメタ映画のトレンドを取り入れたヒーロー映画であって、そしてそのメッセージも非常に今向けの内容です。

つまり10年先、20年先のスタンダードを作れるだけの才能を有していたシャマラン監督が、どういうわけか『ミスターガラス』では今現時点のスタンダードに迎合した映画を作ってしまったんですよ・・・。

ナガ
要はもっと理解を超えた作品を作って欲しかったってこと?

つまりはそういうことですね。5年後、10年後に再評価の流れが来るような、ぶっ飛んだヒーロー映画を期待していたんです。

ただ『ミスターガラス』が映画として出来が悪いわけでは決してなくて、悪くはないんですが、時代に迎合した優等生という印象が強くて、『アンブレイカブル』を作れていた頃のシャマランの不在を嫌でも痛感させられてしまいました。

そしてここからが本題なんですがこの作品って個人的にはシャマラン自身のメタ映画なのではないかと思うんです。

ヒーローを映し出した映像が撮られ、そしてそれが世界中に拡散されて、各地で自分がヒーローなんだと名乗りを上げていくという構図は、まさしく今のヒーロー映画の状況を表しています。

シャマラン監督が2000年に作り出した『アンブレイカブル』はその後のヒーロー映画に大きな影響を与えていますし、あらゆる点でヒーロー映画の常識を塗り替えた映画でもあります。

そしてその作品に感化され、ヒーロー映画がどんどんと撮影されるようになり、今のヒーロー映画が興行の中心に君臨するという状況が出来上がったわけです。

つまり『ミスターガラス』という映画は、メタ的に読むと『アンブレイカブル』が世に広がって、ヒーロー映画全盛の時代へと動き出していくという意味での「オリジン」なのではないでしょうか?

ナガ
シャマラン監督は昨今の映画市場を見ながら、この状況の発端は俺の映画だぜ!?って言ってるってこと?(笑)

まあこれは当ブログ管理人の妄想の範疇ではあるんですが、私にはそう言っているように聞こえましたね(笑)

そしてシャマラン監督自身はもうヒーロー映画からは手を引くんだという姿勢が「ミスターガラスの死」という形で表現されているようにも感じられます。

『ミスターガラス』を見ていても、『アンブレイカブル』以上のものは撮れないんだろうなという苦心の跡も垣間見えましたし、だからこそ自分はもう「神話」となって、ヒーロー映画の第一線からは身を引くという思いの表れなのかもしれません。

「ミスターガラス=シャマラン」だと捉えるのであれば、やはり『ミスターガラス』という作品は『アンブレイカブル』を世に送り出したシャマラン自身のメタ映画なのではないでしょうか。

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おわりに

いかがだったでしょうか?

今回はシャマラン監督の新作『ミスターガラス』についてお話してきました。

やはりどうしても『アンブレイカブル』という先見の明に満ちた作品を知っているだけに、それが明らかに感じられなくなっている本作には残念な思いもあります。

ただ1つの映画として完成度が高いことは明白で、19年越しのカタルシスには思わず涙がこぼれました。

これで、シャマラン監督には、一区切りつけていただいて、次回作には度肝を抜くような斬新な映画をお願いしたいところです。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

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