【ネタバレ】「彼らが本気で編むときは、」感想・解説:愛はコンビニおにぎりにも宿るのか?

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『彼らが本気で編むときは、』についてお話していきます。

良かったら最後までお付き合いください。

映画『彼らが本気で編むときは、』感想

本日2月25日から公開となりました映画「彼らが本気で編むときは、」を早速見てきました。荻上監督の新作ということである程度の期待値で見に行ったのですが、想像をはるかに上回る傑作でした 。いや大傑作でした。今回はこの映画を一人でも多くの方に見て欲しいということで、予告編以上のネタバレは無しで、その魅力について語っていきたいと思います。




概要

本作の監督を務めたのは、「かもめ食堂」や「めがね」と言った作品で有名な荻上直子さんです。そのため荻上監督と聞くと、小林聡美ともたいまさこのコンビが出演する癒し系映画を思い出されることが多いと思います。そんな荻上監督が今回自分自身の映画の、人生の第2章であると題して、満を持して世に送り出したのが今作「彼らが本気で編むときは、」という作品なのです。

今作は、荻上監督自身の経験と出会いから生まれた作品であることをパンフレットで述べています。20代のころに目の当たりにしたロサンゼルスで当たり前のように生活する性的マイノリティの人々と当時の日本の状況の間にあるギャップを彼女は「日本だからしょうがない」と諦めました。しかし、それから12年たって、さらに社会的に進出したアメリカのセクシャルマイノリティの人々の姿と日本で息を殺して生きるセクシャルマイノリティの人々の姿から彼女は目をそむけることができなかったのです。

そんなときに出会ったのが一つの新聞記事でした。それは「性は男と女だけじゃない」という見出しでとある親子の物語を綴ったものでした。そして監督はこの親子とコンタクトを取り、その想いを知ります。ここにこの映画の出発点がありました。

キャスト

メインキャストには、生田斗真さんと桐谷健太さんが参加しました。生田斗真さんの起用は荻上監督たっての希望であったということです。まさにばっちりとハマったキャスト選びだったといえると思います。彼が演じたリンコという人物は、体は女性になり、心も完全に女性ではあるわけですが、そこに見え隠れする少し男性性を感じさせる要素を加えるなどして、非常にリアリティのある役作りをされていて非常に見ごたえがありました。また桐谷健太さんはセクシュアルマイノリティのリンコを受け入れる懐の深い彼女のパートナー役を熱演。優しく落ち着いた性格でありながら、リンコのことになると熱くなる、一本芯の通った強い人物像を見事に表現していました。


©2017「彼らが本気で編むときは、」製作委員会 予告編映像より引用

では簡単にではありますが本作の概要を説明させていただきます。今作はセクシュアルマイノリティについて扱った映画ということを述べてきました。確かにそれは間違いではありません。しかし、それ以上に「家族」や「母親の愛」というものについて考え直させてくれる作品に他なりません。

この作品には、大きく分けると4つの家族が登場します。まずは、シングルマザーのヒロミ(ミムラ)とその娘トモ(柿原リンカ)ですね。そしてヒロミの弟であるマキオ(桐谷健太)とリンコ(生田斗真)の家族、リンコの母と義父のフミコ(田中美佐子)とヨシオ(柏原収史)の家族、そしてトモの友人カイ(込江海翔)とその母親のナオミ(小池栄子)の家族ですね。これに加えて、ヒロミとマキオの母親に当たるサユリ(りりィ)も重要な役割を果たす存在です。

本作のテーマは「家族」?

まずは、この作品が「家族」を描き出した作品であるということに触れていかなければなりません。それを語るにあたって注目していきたいのは、マキオとリンコとそしてトモの3人の関係性です。昨年、アカデミー賞でも話題になった「リリーのすべて」という映画作品を初めとしてこれまでには非常に多くの性的マイノリティを扱う作品が作られてきました。

そして今作「彼らが本気で編むときは、」もそのカテゴリの中に含まれる作品であることは間違いありません。しかし、今作は間違いなくそういった作品とは一線を画しています。というのも今作が描き出すのは、性的マイノリティであるリンコという女性の「母性」の目覚めであり、「家族」へのあこがれの発現にあるのです。単なる性的マイノリティの人物が登場する恋愛ものなんかとは完全に一線を画しているのです。

リンコがトモと関わっていくうちに、「この子を守りたい」という「母性」に目覚めていくこと。マキオと同棲するうちに、「この人と家族になりたい」という「家族意識」に目覚めていくこと。その目覚めが描かれている点が、非常に革新性が高い点なのです。

もう一点触れておきたいのが、「母親の愛」という点です。これはもう芸術の分野においては普遍的な題材ではあるわけですが、今作には実に様々な「母親の愛」が登場します。それぞれの女性が、母親が、自分なりの、自分が正しいと思うやり方で子供に愛を注ぎます。しかし、その愛を受け止める子供はどう思っているのでしょうか?愛を子供に押し付けることで、自分は子供を愛しているんだと錯覚していないだろうか?もはや愛がエゴへと変貌してしまっていることすらあるのです。

今作の母親にはそれぞれが自分の子供のことを思っています。それは間違いありません。しかしそれを子供がどう受け止めているのかという点が完全に抜け落ちてしまっているのです。

そんな母親たちがリンコという性的マイノリティの女性と出会うことで、どう子供を愛すればいいのかに気づいていく物語でもありますし、逆に子どもが「母親の愛」をどう受け止めればよいのかという部分にも言及していく非常に厚みのある作品となっています。

題名や予告を見ると「編み物」が本作の重要な要素であることは見て取れると思います。このアイデア自体は荻上監督がとある雑誌で北欧のゲイカップルがコテージで編み物をしている写真を目撃して、そのイメージを作品に取り入れたといいます。しかし、そこは荻上監督です。マフラーや手袋なんて普通なものは編ませませんよ(笑)劇中で登場する衝撃の編み物にこうご期待です!!

印象的な食事シーン

また、今作では食事も非常に重要な役割を果たしています。そんな、食事シーンを担当したのは、「かもめ食堂」でも荻上監督とタッグを組んだフードスタイリストの飯島奈美さんです。細田守監督の「サマーウォーズ」の食事シーンが個人的には大好きなんですが、食事というのはある種「家族」を象徴するものですよね。今作が「家族」を描く作品であるだけに、飯島さんに求められる部分も多かったと思います。彼女の仕事ぶりにも拍手を送りたいです。

©2017「彼らが本気で編むときは、」製作委員会 予告編映像より引用

荻上監督が贈る、現代日本の愛の物語を、彼女が描く、愛の形を、ぜび劇場で目の当たりにしていただきたいと思います。

ラストシーン。あなたは、そのあまりにも大きく深く温かい愛に何を思うでしょうか?

一人でも多くの方が、この作品を見て、感想を聞かせてくれると嬉しく思います。




映画『彼らが本気で編むときは、』詳細解説(ネタバレあり)

〇あらすじ①

ヒロミとトモ、母子家庭の住む手狭な1LDKのアパートの一室。散らかったリビングスペース。母ヒロミが使っていると思われる化粧台には、化粧道具が散乱している。 キッチンには洗われることなく、放置されたままの食器類。そしてとても家族が食事を取っているとは思えないダイニングテーブルの上には、コンビニおにぎりが2つとカップみそ汁が1つ。トモはおにぎりの1つを手に取り包装を破り捨てると、それを頬張る。そのわきに置かれたごみ箱には、コンビニおにぎりの包装がパンパンに詰め込まれている。そこに母親の姿はない。




〇解説①

映画「彼らが本気で編むときは、」はこのシーンから始まる。そして、このシーンにセリフは登場しない。ただ、アパートの一室で少女がコンビニおにぎりを頬張るだけのワンシーン。しかし、沈黙は雄弁である。そのディテールに目を凝らすと、このワンシーンがいかに多くのことを語っているかということが見えてくる。それはこの親子の関係性であり、生活であり、母親の性格であり、母親の仕事についてでもある。この部屋のワンシーンからは実に多くの情報を確証性があるとは言えないまでも推察することができるのだ。ゆえにこのワンシーンを描くことによって、ヒロミとトモの会話ややり取りを映像情報として見せる必要がなくなる。必要最低限を描くだけでよくなるのである。

こういった、手法はサタジット・レイ監督やジャン・ルノワール監督といった名だたる巨匠が得意としていた手法である。あえて語らない。沈黙こそが語ってくれる。映像メディアにおける最大限のメリットは「見える」ことである。つまり「見せる」ことで、あえてセリフにする必要性は無くなるのだ。サイレント映画なるものが成立し得るのはこのためだ。

私は上映開始からまもないこのワンシーンですでにこの映画に心をつかまれていたといっても過言ではないだろう。この時点で、本作の監督である荻上監督の映画に対する理解の深さを十二分に感じることができたからである。傑作の香りが開始まもなく漂っているではないか。

そして続くシーンで、母ヒロミは遅くに酔っぱらって家に戻って来ると、食器が残されたままの台所の流しに嘔吐し、トモに語りかけることも無く布団にくるまって眠りにつく。トモはその様子に驚きもしない。

母親が登場する次のシーンでもやはりセリフは必要とされていない。しかし、ヒロミの沈黙が、トモの表情が言わんとすることすべてを物語っている。ヒロミの沈黙は子供への完全なる無関心を、トモの表情はもはやそんな母の行動を日常茶飯事だと諦め交じりの気持ちをほのめかしている。

セリフを発することはなかったが、もはや我々が必要なこの親子に関する情報は十分に提供されたのである。こういうシーンでは人物の仕草や表情を見るのはもちろん、どのような演出や舞台美術になっているのか?つまり背景のディテールの部分にまで注意を払っておかなければならない。そうしなければ、映画製作陣が伝えようとしている見落とすことになってしまうからだ。

〇あらすじ②

母親が出て行ってしまうと、トモはヒロミの弟、つまり叔父にあたるマキオの家に寝泊まりすることになる。そこでマキオと同居していたのはトランスジェンダーの女性リンコ。その夜リンコがふるまうあたたかな手料理が振る舞われる。マキオとヒロミ、トモ3人で囲む食卓は、冒頭の散らかったダイニングテーブルで一人コンビニおにぎりを食べるトモの姿とは対照的である。

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©2017「彼らが本気で編むときは、」製作委員会 予告編映像より引用

トモはトランスジェンダーであるリンコの存在が受け入れられない。リンコに対してもそうであるし、小学校の同じクラスの友人で男子に好意を持っている男子生徒カイに対してもそうである。拒絶的な反応を示す。

〇解説②

この部分をきちんと描くのは、非常に重要である。人間というものは無知なものに対して非寛容的なのである。だから自分の、一般的な価値観に属さないものというものは排除しようとする。また無知というものは恐ろしいもので、無意識に他人を傷つけてしまうことがある。私が中学生だったころ、私の友人が洋画に影響を受けたのか、学校のALTのネイティヴスピーカーに対して「ファック」と言い放ったことがある。その友人は軽い気持ちだったのだろう。しかし、そのALTの方はその言葉に激怒したのだ。文化や価値観の理解というものは本当に難しい。大人にも難しいのだから、子供ならなおさらである。そして、このクラスに流れる空気感というのは、日本の社会に流れているものと非常に共通している。トランスジェンダーというものは日本においては依然として異質で、異常な存在と捕らえられる傾向が強い。アメリカとは対照的である。

このように学校での性的マイノリティの排除の現状を社会の縮図的に描き出したのは、今作の荻上監督自身のアメリカでの経験が大きく関係していると考えられる。アメリカやヨーロッパ諸国で性的マイノリティに対する社会的な理解が進んでいく中で、後れを取っている日本の現状に疑問と問題意識を抱いたことがこの作品を製作するきっかけであったことを考えても、この何気ない学校のワンシーンは重要である。

〇あらすじ③

しかし、トモはリンコに対して少しずつ理解を深めていくこととなる。その雪解けの第1歩はリンコが作ってくれたキャラクター弁当。そこに入っていたタコさんウインナー、可愛らしいおにぎり。今まで母親が作ってくれたことも無かったお弁当。おなかを壊してまでその弁当を食べようとしたトモの姿は、リンコからの愛情を受け入れたいという彼女の思いが現れている。
そして、そんなトモの姿を見たリンコは、トモが「可愛くて、可愛くて、どうしよう」もなくなってしまうのである。

〇解説③

この感情はまさしく母性に他ならない。この「彼らが本気で編むときは、」という作品が他のトランスジェンダーを扱った作品と一線を画しているのがまさしくこの部分だと思うのだ。トランスジェンダーの方は確かに血縁的につながった子供を望むのは難しいだろう。しかし、だからと言って母性に目覚めないか、母親になれないのかというとそれは否なのである。この点に踏み入った作品を私は初めて見た。昨年のアカデミー賞で「リリーのすべて」という映画作品が話題になったが、これは、トランスジェンダーの主人公とそれを支える妻の物語であった。この作品を初めとして、題材的には珍しいものではないのだが、やはり、トランスジェンダーの方の「母性」の目覚めという点を描いた作品というのはまだそれほどないように思う。

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〇あらすじ④

そして、トモはリンコの母親と食事に行くことになる。食事に行ったのは、少し落ち着いた雰囲気で高級そうな蕎麦屋さん。テーブルに並べられた食事はどれも美味しそうだが、そこにリンコが作ってくれた手料理のような温かみは感じられない。そこでリンコの母フミコは、リンコの子供の比のエピソードを語り始める。そこにいたのは、体の性と心の性の不一致に苦しむ中学時代のリンコの姿。そんなリンコは母フミコに「おっぱいが欲しい」と告げる。そんなリンコに対して母フミコは毛糸の偽チチとブラジャーをプレゼントする。フミコが毛糸で編んだ偽チチは「母親の愛」そのものだったのである。そして母フミコはトモに告げる。「たとえあなたが子供だとしても、リンコを傷つけるようなことをしたら許さない。」と。これがフミコの「母親の愛」なのである。何があっても自分だけは娘の味方である。どんなにつらいことがあっても私が娘を包み込んでやるんだ。そんな強い愛だ。

この偽チチのアイデアは監督自身が取材をしたある親子のエピソードがもとになっているそうだ。

〇あらすじ⑤

リンコは老人ホームで介護士として働いている。そしてそこにはマキオとヒロミの母親サユリが入居している。マキオとリンコはこの老人ホームで出会ったという。マキオはリンコについて、とても美しい女性で自分のひとめぼれだったと述べている。彼は、リンコがトランスジェンダーであることを知ったとき驚いたそうだが、そんなことはもう関係なかったという。マキオという男性の懐の深さがうかがえるエピソードだ。

老人ホームにある池のベンチでマキオとトモが会話をする場面は実に重要である。ここで、マキオは自分が母サユリの愛の重さに耐えられなかったこと、老人ホームに入居させてホッとした自分がいたことを告白する。そしてヒロミはそんな母親から厳しく当たられていたということも語った。

〇解説⑤

    これは、愛を与える側と受け取る側の間にその重さのギャップがあるということを示しているのだ。だから、母親は子供に自分なりのやり方でありったけの愛を注ごうとする。しかし受け取る側の子供からしたら、その愛は時に重すぎて窮屈に感じられてしまうんです。このギャップは今作を通底するテーマの一つだ。

〇あらすじ⑥

桜が舞い散る中自転車で漕ぎ出す3人。3人でそろって食べるお弁当。重箱の中には、トモの好物であるシジミのしょうゆ漬けと切り干し大根。

〇解説⑥

    このシーンも個人的に非常に重要だと捉えていて、トモが母親から受け取っていた愛情というのはコンビニおにぎりだったわけだ。でもトモが本当に欲していた愛情はシジミのしょうゆ漬けであり切り干し大根だったのだ。つまり、トモが欲していたけど、自分の母親からは与えてもらえなかった形での愛情をリンコが与えたということを、好物料理を作ってあげるという行為で代替したわけなのだ。

〇あらすじ⑦

ある日、トモがリンコとスーパーマーケットに買い物に行くと、そこには同級生でトランスジェンダーに悩むカイとその母親ナオミに遭遇する。ナオミはリンコの姿を見て、異常であると察知し、カイにもうトモとは関わらないようにと忠告する。そして、トモが洗剤コーナーで一人になっているときに、ナオミは彼女に話しかけ、リンコを異常であると指摘したうえで、自分がトモの味方であると告げる。それに対してトモは憤慨し、持っていた洗剤をナオミにぶちまける。当然警察沙汰になるが、ナオミの意向で和解。


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©2017「彼らが本気で編むときは、」製作委員会 予告編映像より引用

〇解説⑦

このシーンは初めて、明確な形でトモがリンコという存在を受け入れたことが示されたシーンである。受け入れられなかったトランスジェンダーという未知の存在であったリンコ。しかしそれを支える人の思いを知った今、彼女の注いでくれる愛情の温かみを知った今、彼女を非難するナオミを許すことができなかったのだ。この行動というのは、「この世界の片隅に」の終盤に、家に落ちてきた焼夷弾により生じた火を必死に消そうとするすずさんの行動に重なる。つまり、この行動というものは自分の居場所を守るという防衛本能の表出なのだ。

〇あらすじ⑧

その事件の後に、リンコは自分がいらいらした時には、編み物をして気持ちを落ち着かせているとトモに語る。リンコは「煩悩」の象徴として男性器を模した編み物を108個作り、それを燃やした暁には戸籍を女性に変えるという目標を立てている。その目標実現にトモも協力を申し出る。やがて、マキオもその編み物に協力する。


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©2017「彼らが本気で編むときは、」製作委員会 予告編映像より引用

リンコは同僚の女性の結婚式の日の夜、マキオにこう告げた。「戸籍を女に変えてマキオと結婚したらトモのママになれるのかな」と。同僚の女性の結婚に触発され、彼女は完全に「母性」に目覚めるのである。トランスジェンダーだからとあきらめていた自分の家族を持ち、子供を持つという夢をもう諦めることができなくなったのだ。そしてマキオは告げる。「受け入れます、全部。」と。


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©2017「彼らが本気で編むときは、」製作委員会 予告編映像より引用

〇あらすじ⑨

そんな時に、学校でリンコのことでいじめにあったトモは学校を抜け出し、家の近くに戻ってくる。するとそこには母ヒロミの姿が。追いかけて自宅に駆け込むも、そこに母の姿はありませんでした。相変わらず散らかった室内。トモはタンスから母親の服を片っ端から取り出すと、それをびりびりに破きながら、母親の服に顔をうずめて号泣する。


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©2017「彼らが本気で編むときは、」製作委員会 予告編映像より引用

〇解説⑧

このシーンは個人的にこの作品の落としどころを明確にしたシーンだと思っている。トモをリンコの下に落ち着かせるのか、それとも母ヒロミの下に戻すのか。そしてこのシーンでもってこの作品のゴールが後者にあることが明確になった。トモはリンコの愛情をしっかりと受け止めている。しかし、彼女が本当に欲しいのは、実の母親からの愛なのだ。いくらマキオとリンコとの3人での暮らしが楽しくても、どこか満たされないのは、ヒロミからの愛が欲しいゆえ。つまりトモはリンコに愛を教えられたことで、自分自身の中にあった「母親への愛」を自覚したのである。

そしてリンコとサユリ(ヒロミの母)の会話にヒロミに関する重要なエピソードが登場する。サユリは自分の娘に対して厳しく当たっていたこと。自分が編んでいた毛糸の編み物も受け取ってくれなかったこと。結局のところ、ヒロミは母親からの愛情をもらえなかったというよりは、その受け止め方がわからなかったのだ。

ここで毛糸の編み物というものがある種「愛情」のメタファーとして本作では扱われていることがわかる。サユリがヒロミに受け取ってもらえなかった毛糸の編み物=「愛情」。ヒロミがトモに絶対に着せなかった毛糸の服=「愛情」。フミコがリンコに作った毛糸の偽チチ=「愛情」。リンコがトモに教えた毛糸の編み物=「愛情」。毛糸という物質が今作中では「愛情」として扱われていることがこれで自明かと思う。

中島みゆきの有名な歌曲に「糸」というものがあるが、織り成した毛糸はいつか誰かの心を温めるのかもしれません。いや温めるのです。毛糸には「愛」が宿っているのです。

昨年公開の「君の名は」という映画でも「組紐」が重要なモチーフとして登場した。やはり「糸」というものに何かを感じるのは、日本人の感性なのだろうか。

〇あらすじ⑩

マキオ、リンコ、そしてトモは無事108個の毛糸の偽チンを完成させ、海へと向かいます。夜になり、毛糸の偽チン108個に火をつけると、火の粉を上げながら、燃え上がる。幻想的な視覚的シークエンスに目と心を奪われるワンシーンだ。こういう描写は荻上監督らしい。その火にリンコはトモの母親としての決意を新たにする。


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©2017「彼らが本気で編むときは、」製作委員会 予告編映像より引用

〇あらすじ⑪

物語の終盤大きな事件が起こる。トモの同級生であるカイが、自分が書いた男子の先輩に対するラブレターを母ナオミに読まれてしまい、破り捨てられてしまったことに気が病んで、薬でもって自殺を図るのだ。

〇解説⑨
   このシーンで印象的なのが、カイが錠剤を並べるカット。錠剤を魚のように並べていき、目には赤い錠剤。そう、これ「スイミー」という絵本が元ネタなのである。周りはみんな赤い魚、自分1匹だけが黒い魚だったスイミー。スイミーはマグロを追い返すために仲間と協力して巨大な魚を模した魚群を作り、黒い自分がその目の役割を果たし、仲間に受け入れられる。そんなみんなに認められる存在になったスイミーと誰からも受け入れられない自分を比べて、絶望するカイ。そんな小学生の等身大の絶望がこのシーンに表れている。
〇あらすじ⑫
    一命をとりとめたカイの病室にトモが訪れる。あのまま死んでしまいたかったと告げるカイにトモは告げる。「あなたの母親は間違うこともある。」と。それは自分の母親のことそしてリンコから教えてもらった愛、その他トモがこれまで生きてきた人生が紡ぎだした彼女なりの言葉だったに違いない。このセリフにトモの自分自身の母親への許しの感情も見て取れる。

〇解説⑩

カイの母親ナオミは性的マイノリティが社会的に苦労することを知っているからこそ、自分の息子にそんないばらの道を歩ませたくないという思いから、彼の心の女性性を必死に否定してきたのだと思う。それも間違いなく「愛情」なのです。彼女は決して息子が憎くてそんなことをしているわけではないのだ。むしろ息子のことを思うがゆえにそんな行動をとるのである。カイはそんな母親の愛を受け止められない。だからその愛から逃げたくなって、結果的に自殺という方法を取ろうとしたのだ。

だから、トモがカイに告げたセリフは、自分がその愛情を受け止められないことをきちんと伝えないと、母親は間違った愛情を正しいと錯覚して息子に注ぎ続けるんだということを言いたいのである。愛情とエゴは表裏一体なのだ。

物語のラストを解説

物語のラスト。母親が何事もなかったかのように、ヒロミがマキオの家にトモを引き取りに来る。マキオとリンコはそんなヒロミにトモを養子として引き取りたいと告げる。リンコに「あなた母親にはなれない」と詰め寄るヒロミにトモは憤慨し、今まで自分が欲していた愛情を少しも注いでくれなかったことを責める。ヒロミは取り乱し、泣きながら、その場を去ろうとする。そんなヒロミに駆け寄り、一緒に暮らしたいと告げるトモ。結局翌日自宅に帰ることになる。

 去りゆくヒロミにマキオが告げるセリフが特に印象的であった。「トモはコンビニのおにぎりが嫌いなんだ。」そう、コンビニのおにぎりは紛れもなく母ヒロミの「愛情」だったのである。しかし、自分が母親と上手くいっていなかった、「愛情」をもらえなかったがために、自分も娘と上手く関係を築けなかったのだ。それゆえに、トモはコンビニのおにぎりが好きだから、自分が彼女にコンビニを与えることが愛情表現だと錯覚し続けていたのだ。マキオのセリフはまさしくこのことをヒロミに突き付けたのだ。

その夜1人、老人ホームを訪れるヒロミ。サユリの姿を見ると、母が昔歌ってくれたのであろう子守り唄を口ずさむ。

   このシーンは非常に印象的であって、まさにヒロミが初めてサユリの愛を受けとめた瞬間なのだと思うのだ。それは自分の娘であるトモに教えられたこと。愛は親から子へと注がれるが、その逆も然りなのである。要は受け取ることができた時点で初めて愛は「愛」たりうるということである。

翌日、マキオのアパートから去るトモ。リンコは去り際にトモに赤い包み紙にくるまれたプレゼントを手渡す。そして、部屋に戻ると、リンコはトモが愛用していたハンカチが部屋の片隅に落ちていることに気がつく。それを手に取り、泣きじゃくるリンコ。

このシーンでリンコが涙するのは、もちろんトモが去って行ってしまったことに対する悲しみゆえだと思うのですが、私はそれだけではなくて、リンコ自身もトモから「愛」をもらっていたということを彼女がいなくなった空間に残されたハンカチに感じたのではないだろうかと思うのだ。つまり、リンコは自分をひと時とはいえ母親にしてくれたトモの存在に感謝しているのである。ゆえに彼女が最後に流したのは、リンコの「母としての涙」なのである。

自宅に戻って来たトモ。1LDKの手狭なアパートの一室。しかし、部屋はすっかり片付いている。化粧棚に散乱していた化粧品は整頓され、洗い物は済まされている。散乱していたダイニングテーブルの上は綺麗になり、コンビニのおにぎりの包装が詰まったゴミ箱も見当たらない。

映画の最初と最後を同じ空間、同じシーンで統一することで、この物語が登場人物に与えた影響とその結論を明確にしている。またこのシーンでは、最初のシーンと同じようにセリフはない。しかし、言葉にせずとも、この物語が示した希望的なメッセージと、将来への明るい展望がこの部屋の微細な変化に宿っている。

そしてラストシーン。トモはリンコからもらった赤い包み紙を開封する。そこに入っていたのは毛糸の偽チチだった。

このラストシーンはまさしくリンコの「母親」としての愛にあふれたものになっているのだ。偽チチというのは元はというと、リンコが自分の母親からもらったものであった。つまるところ、リンコにとって偽チチというものは、「母親の愛」の象徴だったわけである。それをトモにプレゼントするリンコの想いというのは、トモをいつまでも娘のように想い続けているということなのだと推察できる。

おわりに

この作品の総括として私が考えているのは、「彼らが本気で編むときは、」という作品はトランスジェンダーの女性を扱っているが、その中心にあるのはそこではないということである。

この作品には次のようなキャッチフレーズがついている。

「カタチなんて、あとから合わせればいい」

これはどういう意味なんだろうかと考えてみた。家族の「カタチ」ともとれるし、トランスジェンダーのことに言及するなら、性の「カタチ」とも考えられる。しかし私の結論は、愛の「カタチ」である。

この作品が描き出したものが結局何だったのかというと、それは愛情というものは一方的に与えるものではなくて、与える側と受け取る側双方向の矢印があって初めて生まれるものなんじゃないかということなのだと考えている。恋愛関係においてこのことは自明だが、家族や親子の愛において、このこのが当てはまるのではないかという指摘は非常に斬新であったように思う。

子供は親の愛を注がれて育つというが、その愛は、子供が受け入れた時に初めて「愛」になるんじゃないかということである。そして、その親から注がれる愛が受け入れられるようになるには、経験と時間と人との出会いといろんな要因が絡んでくる。しばしば、私自身も今になって親の愛がわかったような気がするという経験をするのだが、この映画が言いたいのはまさしくそのことなんだと思う。だから親からの矢印にこうじゃないということもあると思うが、いろんな要因が重なって、子供からの矢印が生まれれば、その均衡点に「愛」は見つかるのである。

ゆえに、このキャッチコピーがないしこの作品が言いたいのは、「愛」のカタチというものは、ゆっくりと時間をかけて見つけていけば良い、ということだと思うのである。もっと言うなれば、「愛」はゆっくり編んでいくものだということだ。

最後に、この作品で、ヒロミの母親役を演じた女優りりィさんのご冥福をお祈りいたします。

関連作品として、「チョコレートドーナツ」「ディーパンの闘い」という作品もおすすめです。

・『チョコレートドーナツ』

・『ディーパンの戦い』

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