【ネタバレあり】「マジカル・ガール」感想と考察:魔法少女の願いとその罰とは?

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『マジカルガール』についてお話していこうと思います。

ナガ
この映画は謎も多くて、はっきりと理解はできないのですが、引き込まれる内容だよね!

監督が、日本の魔法少女ものの大ファンだということで、その文脈から今回は読み解いてみました。

記事の都合上、ネタバレを含む内容となりますので、ご了承ください。

良かったら最後までお付き合いください。




『マジカルガール』感想・考察(ネタバレあり)

この作品をご覧になった方は、父が娘のために奮闘する感動ストーリーだと思ったとか、もっと魔法少女がストーリーに絡んでくるんだと思ったと感じるかもしれません。

しかしこの作品は実に最近の日本における魔法少女アニメのトレンドを踏襲した魔法少女ものと言えるのではないでしょうか?

その観点から詳しく掘り下げていこうと思います。

 

日本における「魔法少女もの」の変遷

魔法少女ものというのは日本にはかなり古くから存在するジャンルです。

魔法少女ものは古くはひみつのアッコちゃんやクリィミーマミやセーラームーンといった大人も子供も楽しめるジャンルでした。

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©ぴえろ 「魔法の天使 クリィミーマミー」より引用

その後、プリキュアの登場により魔法少女ものの視聴層が低年齢化し、魔法少女ものは子供のものという印象が強くなっていきます。

そして魔法少女ものは『魔法少女まどかマギカ』という作品によって再び大人も楽しめるジャンルへと帰ってくることとなります。


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©Magica/Quarter/Aniplex [魔法少女まどか マギカ」より引用

ナガ
内容においても大きく変遷しているよね!

当初の魔法少女はかなりほのぼのとしたものでしたが、クリィミーマミーやセーラームーンではかなり魔法少女たちの内面に迫ったものとなりました。

これが大人も惹きつける魔法少女ものの一つの魅力でした。少女が抱えるヒーローである自分と普通の女の子である自分との間のギャップ。

そういった内面の葛藤を彼女らの闘いの間に織り交ぜていくところに新しい魔法少女像が見出されたのです。

しかし、プリキュアの登場以降、魔法少女は子供たちの憧れるヒーローになります。

極力彼女たちの暗い部分を描かずに、彼女らがヒーローとして勧善懲悪する姿にスポットをあてていくこととなります。この分かりやすさのために魔法少女ものは子供向けというイメージを印象が強まっていきます。

そんな中で「魔法少女まどかマギカ」は原点回帰的な手法で新たな道を切り開きました。

それは魔法少女は力の代償として罰を受けるというものです。これは非常に画期的だったといえます。

魔法少女ものと形容してよいのかは不明ですが、『結城友奈は勇者である』という作品がありますが、これも「魔法少女まどかマギカ」の影響を受けているといって良い作品です。

つまり今や魔法少女というのはただの憧れの対象からその存在意義を再び変貌させようとしているのです。

彼女らは大きすぎる力の代償を自分たちで払い、それを行使したことに対する罰を自分たちで受けるのです。


マジカルガールは紛れもなくアリシアではないか?

ここでこの『マジカルガール』という作品に話を戻しましょう。

この作品は最近の魔法少女もののトレンドを踏襲していると言ったがそれを踏まえて考えるとマジカルガールというのはアリシアではないでしょうか?

パンフレットに掲載されている映画評論家の町山さんによる批評ではマジカルガールはバルバラのことではないか?という意見が述べられていましたが、私はアリシアこそがマジカルガールだと思いました。

こう考えるに至った理由はシンプルで、代償を払って願いを叶え、そして自分自身も罰を受けたのがアリシアだったからです。

まず彼女の願いは魔法少女ユキコのコスプレをするということでした。しかし彼女はスペインの苦しい不景気の中、職を失った父親にそんなことを頼むことはできません。そのためそのささやかな願いをノートに書きました。

そのノートを見た父親は資金集めに奔走、娘の一緒にいたいという願いも届くことはなく結果恐喝という方法でコスプレ衣装と魔法の杖を揃えてしまいました。

そして父親がダミアンに殺されると、アリシア自身もダミアンに殺害される。これが一連の経緯です。

ここからアリシアが魔法少女だったという仮説をもとに少し偏った見方をしてみたいと思います。

まず、アリシアは不景気の中で魔法少女のコスプレをしたいという願いを叶えるために「魔法」を使います。

その代償は自身の余命を僅かとするものでした。

すると、物語の始めにアリシアは黒い牛の夢を見ています。

この黒い牛がダミアンだったと考えられないでしょうか。

劇中でも闘牛がしばしば話題に挙げられています。牛というのは普段は理性的で冷静ですが、一度タガが外れると獰猛になるというようなセリフがありました。これはまさにダミアンを指しているように思えてきます。

つまりアリシアは魔法を使った時点でこの物語の暗い結末を知ってしまったのです。

アリシアがラジオにメッセージを送り、父親に一緒にいてほしいと伝えようとするのはアリシアがこの結末を恐れたからではないだろうでしょうか。

しかしこのメッセージは届きません。

アリシアが父親からコスプレ衣装をプレゼントされた時に直接言わないが、杖がないというのを父親に露骨にアピールしますよね。

このシーンは実に印象的です。個人的にはここがアリシアがこの物語の暗い結末を迎えるのを防ぐラストチャンスだったのではないだろうか?と考えています。

ここで父親に感謝を伝え、これからは一緒にいてほしいと言えば、この映画が悲劇的結末を迎えることはなかったのです。

しかしアリシアが選んだのは自身の欲望であったわけです。

こう考えるとアリシアは実に狡猾な人物です。彼女は自身が白血病になり、父親を犯罪に走らせるという代償を払い、ついに魔法少女ユキコの衣装、杖の両方を手に入れるのですからね。

物語の最後、魔法少女ユキコのコスプレをしたアリシアの前にダミアンが銃を構えて立つシーン。このシーンのインパクトがあまりにも強かったように思います。

銃を向けられてアリシアが全く動じないのは自身の余命が僅かだからではありません。自分が受ける罰を悟っていたからです。つまり彼女はこうなることがわかっていたのです。だからこそのあの表情と立ち振る舞いなのですよ。

仮説を元に自分の考えを書いてみたが、やはりバルバラが魔法少女であったという見方もできると思うし、そういう視点も実に面白いと思います。

いろいろな視点で見られることがこの作品の魅力だと感じました。

 

テーマ批評:左から右と右から左

個人的にこの映画を見る上で注文したのは人物の移動方向です。

人間の目というのは物体が左から右に動くことを自然と感知する傾向にあります。右から左に動くものには少し違和感を感じるのです。

この物語においても基本的には人物の移動は左から右でした。いくつかのシーンを除いてはですが。

右から左へ人物が移動したシーンは自分が覚えているだけであれば3つです。

  1. バルバラがトカゲの部屋に入るために屋敷に入ってくるシーン。
  2. 父親ルイスとダミアンが酒場に向かっていくシーン。
  3. ダミアンがケータイを回収するためにアリシアのいるルイスの家へと向かうシーン
ナガ
右から左へ人物が移動する違和感がそのまま物語の不穏さを示唆しているように思えませんか?

少なくとも自分にはこの演出がすごく意図的になされたものに思えました。

左から右は安全、右から左は危険という見方です。このようなテーマ批評はさまざまな作品でなされています。

文学であれば『シャーロックホームズ』では見上げる、見下ろすのテーマ批評が存在しています。

このようにちょっとした動作や事物にスポットを当ててみるのも面白いかもしれませんね。




映画にメッセージ性や生きるうえでの教訓が必要か?

映画レビューにおいてしばしば作品にメッセージ性がないことを批判する人がいます。

そういう人からするとこの作品もメッセージ性がないゆえに批判されうる作品でしょう。なぜなら、何のメッセージもないのだから。

では、メッセージ性のない作品は必要ないかという問いが生まれます。しかし、本当にこういう作品もすべて必要ないのでしょうか?これはいささか視野が狭くないでしょうか?

映画作品の鑑賞や批評における有用性を重視し、そうでない作品を切り捨てるなら実に映画という芸術作品はつまらないものになるでしょう。

なぜなら、映画はその時点で映画は芸術という分野から学問という分野のものになってしまうからです。

『マジカルガール』のようなこれを見ても生きるうえで何のためにならないような作品は、あなたが生きるうえで有用でなくとも、映画という芸術分野が多様性を維持していくために重要であると考えます。

こういう作品を作り出し、高く評価を受けることは難しいと思います。しかし、こういう作品で高い評価を受ける本作の監督カルロス・ベルムトは本当に傑出した才能の持ち主です。

映画は学問ではなく芸術なのだから、こういう映画を鑑賞し、純粋に楽しむことが大切なのだと私は思います。

映画はどこまでも自由であって良いのです。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『マジカルガール』についてお話してきました。

ナガ
いやはや見ていると体温が3度くらい下がったようにすら感じる恐ろしい映画でしたね!

私が見てきた中でもっとも衝撃を受けた映画の1本に間違いないでしょう。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

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