【ネタバレあり】『HELLO WORLD』解説・考察:ボーイミーツガールがセカイを創造する!

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『HELLO WORLD』についてお話していこうと思います。

ナガ
今年のアニメ映画の中で最も楽しみにしていた作品の1つがようやく公開になりました!

しかもですね当ブログ管理人、ありがたいことに京都の東本願寺にて開催された京都プレミアの方に参加させていただく機会を頂きました。

レッドカーペットイベントでキャスト陣を間近で見たり、夜の東本願寺での野外試写会はとても新鮮で、貴重な経験だったと思います。

東本願寺での京都プレミアの様子

当ブログ管理人は浜辺美波さんと松坂桃李さんの大ファンなので、自分の大好きな俳優を間近で拝見できる今回のイベントは本当に夢のようでした。

ナガ
そして今回の試写会はいろいろな意味で伝説でした!

その日は、京都が雷雨の荒れ模様だったので、イベントそのものの開催が危ぶまれる状況だったんですが、何とか決行され、キャストの方々も大雨の中にも関わらず、ゆっくりとファンサービスをしてくださいました。

野外試写会はとんでもない大雨の中、1000人以上が雨着を着て、野外スクリーンを見つめているという異様な光景になっていたんです。

すると、そんな状況を知ったキャストの3人が、大変な中で映画を見てくれているということで、どうしてもお礼が言いたいと急遽東本願寺に戻って来ることになりました。

そして夜の東本願寺境内にて、急遽3人によるカムバック舞台挨拶がスタートしたのですが、この時の北村匠海さんがまた最高でした。

雨の中だったので、3人は傘をさして登場したのですが、雨ざらしの観客を見て、彼が「俺も濡れるわ・・・。」と言って、傘を閉じたんです。

ナガ
この一幕で、男の私も完全に北村さんに惚れてしまいました・・・(笑)

とまあこんな感じで、とにかく雨に濡れまくって体力的にはきついイベント&試写会ではあったんですが、大満足でした。

そしてここからは映画『HELLO WORLD』についてしっかりと解説・考察を書いていけたらと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となっております。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『HELLO WORLD』

あらすじ

舞台は2027年の京都。

内向的な性格の男子高校生・直実は、自分で物事を決めることができず、周りに流されるがままに毎日を過ごしていた。

そんなある日、京都の上空から3本足の烏が飛んできて、彼の読んでいた本を咥えて飛び去ってしまう。

直実はその烏を追いかけていき、気がつくと伏見稲荷大社へと辿り着いていた。

すると突然、目の前に白いフードを被った男性が現れた。

その人物はなんと10年後の自分であり、そしてナオミを名乗った。

ナオミは、直実が生きている2027年の世界は「京都クロニクル」プロジェクトで作り出された「記録世界」であるとし、彼は現実世界から記録を改ざんするためにやって来たのだ。

そして彼が変えようとしている記録とは、彼の恋人(直実にとっては恋人になる予定の女性)である一行瑠璃の身に起こる事故のことだった。

2人は恋人同士になるのだが、花火大会を訪れた際に起きる事故によって彼女は命を落としてしまうのだと言う。

こうして直実ナオミは何とかして彼女の命を救おうと、その日から共同戦線を展開した。

しかし、そこに不穏な影が迫っており、さらにはナオミは密かに何か別のことを企んでいた・・・。

 

スタッフ・キャスト

スタッフ
  • 監督:伊藤智彦
  • 脚本:野崎まど
  • アニメーションプロデューサー:森口博史
  • 音楽プロデューサー:成川沙世子
  • キャラクターデザイン:堀口悠紀子
  • アートディレクター:横川和政
  • CG監督:横川和政
  • 編集:西山茂
  • 音響監督:岩浪美和
ナガ
ついに伊藤智彦監督までもが劇場アニメーションに進出ですね!

マッドハウスで長年アニメーターとして活躍し、そして近年は『ソードアートオンライン』シリーズ『僕だけがいない街』の監督に抜擢され、注目を集めているのが伊藤智彦さんです。

『時をかける少女』『サマーウォーズ』の助監督として細田守監督作品に携わった経験を持ち、その影響が演出や作画にも多く見られます。

ちなみに今回の『HELLO WORLD』にも明らかに細田監督版『時をかける少女』を意識した演出や構図がありました。

そして今作は脚本に『[映] アムリタ』『know』などで知られるSF小説家の野崎まどさんが脚本を担当しました。

ナガ
ちなみに『know』は同じく京都を舞台にした作品です!

SF好きな人にはたまらない世界観を世に送り出し続けている方で、少し前に放送されたアニメ『正解する̚カド』の脚本を担当したことでも知られています。

その他にもキャラクターデザインに『けいおん!』などでおなじみの堀口悠紀子さん、『ガールズ&パンツァー』シリーズで知られる岩浪美和さんなど豪華スタッフ陣が集結しました。

キャスト
  • 堅書直実:北村匠海
  • カタガキナオミ:松坂桃李
  • 一行瑠璃:浜辺美波
  • 勘解由小路三鈴:福原遥
  • 徐依依:寿美菜子
  • カラス:釘宮理恵
  • 千古恒久:子安武人
ナガ
メインキャラクターの3人は全員俳優キャスト起用なんだね!

近年、本職の声優ではなく俳優を声優として起用する劇場版アニメーションは増えています。

伊藤監督は、今回の『HELLO WORLD』のキャスティングについて舞台挨拶にて、いわゆるアニメっぽい演技ではなく、自然体な演技を求めていたと語っておられました。

そういう意味でも、主演の北村匠海さんなんかは声優初挑戦だったようですが、非常に自然に耳に入って来る見事なボイスアクトを披露していて、これについては監督も絶賛しておられました。

10年後のナオミを演じたのは、松坂桃李さんですが、彼について伊藤監督は、彼が演じることで、ナオミがダーティーな行動を取っても、何か事情がありそうと思わせてくれるような雰囲気が出るんだと熱く語っておられました。

そしてヒロインを演じたのが、浜辺美波さんですが、もう彼女はただただ巧いですよね。

詳しくはネタバレになるので、ここでは言えないのですが、今作で彼女は3種類の声色を使い分けています。

これもまた非常に見事だと思いましたし、彼女は優しく透明な声を持っていますが、それでいて凛としていて芯のある女性の声を持っているので、今回の瑠璃役としては最適だったと思います。

より詳しい情報を知りたいという方は、映画comの方もチェックしてみてください!

映画情報サイト
ナガ
ぜひぜひ劇場でご覧ください!!



『HELLO WORLD』解説・考察(ネタバレあり)

音楽が告げるアニメ新時代

やはり近年は新海誠監督の『君の名は。』の大成功の影響を受けて、アニメ映画が増加傾向にあります。

そして同時に彼の作品の特徴でもあるミュージックビデオテイストの演出を踏襲するアニメ作品がも目立つようになってきました。

本作『HELLO WORLD』は2017年製作だったそうなので、完全にポスト『君の名は。』に位置づけられる作品なのですが、音楽の使い方はかなり寄せてきている印象を受けました。

今作の挿入歌、劇伴音楽には以下の3つのアーティストが起用されています。

  • OKAMOTO’S
  • Official髭男dism
  • Nulbarich

まず、劇伴音楽の大半を手掛け、主題歌である『新世界』作詞作曲したのがOKAMOTO’Sです。

当ブログ管理人は、基本的に映画のサントラばかり聞いているので、あまり普通の楽曲は聞かないんですが、OKAMOTO’Sは唯一ライブにも足を運ぶくらいに好きなバンドです。

彼らは日本においてはかなり異色の存在感を放っているバンドでして、90年代の音楽を現代に取り戻すかのようなスタイルで、少し懐かしくそして気だるげな音楽で多くの人の心を掴んでいます。

そういうある種の古きを温めてそれを取り戻し、進化させるというスタイルを取っているOKAMOTO’Sをこの『HELLO WORLD』という近未来SFの主題歌・劇伴音楽に抜擢したプロデューサーの感性は素晴らしいと思います。

そして劇伴音楽の一部と挿入歌『イエスタディ』を担当したのが、Official髭男dismでした。

今年に入ってからとんでもない勢いを見せている彼らですが、2017年の製作スタート時点ではまだデビューすらしておらず、2018年の4月にメジャーデビューした彼らを抜擢していた先見性はすごいと思います。

今回の挿入歌となった『イェスタディ』は比較的王道の青春ロックチューンなのですが、歌詞が物語にぴったりとリンクしており、これについては『君の名は。』における『前前前世』の位置づけだと思います。

そして最後に物語の山場で流れる挿入歌、新海誠作品で言うところの『スパークル』『グランドエスケープ』を任されたのがNulbarichというグループです。

黒人音楽に影響を受けたとも語る独特の世界観で、近年急激に人気を集めているグループですが、近年はアニメ音楽にも進出してきました。

音楽アニメとしてとんでもないクオリティを世界へと発信した『キャロル&チューズデイ』という作品で、主題歌の『kiss me』の作詞作曲を担当したのです。

そして今回の挿入歌となった『Lost Game』という楽曲は、世界が崩壊し、新たな始まりへと向かって行く今作の最大の山場とも言える場面で流れ、観客のボルテージを引き上げます。

少し讃美歌のようなテイストを入れたことで、より映像とマッチし、世界の再編という神々の領域で起こっているかのような出来事を見事に彩りました。

今回はこの3つのグループを新海誠監督のRADWIMPS的に起用したわけですが、意識していたのは、やはりこれまでとは違う層をアニメーションの世界に取り込みたいという意図なのかな?と思いました。

『HELLO WORLD』という作品は、とにかく「新機軸の」「新時代に贈る」といった点をキャッチコピーなどでも強調していて、アニメというもののイメージを変えていこうという意欲が垣間見えます。

私がアニメにハマった頃(『けいおん!』が放送開始した頃)なんて、アニメオタクは日陰でひっそりと生きるしかないような状態でしたが、その状況は大きく変わりました。

そして今話題のOfficial髭男dismが挿入歌を担当したり、日本の音楽通をうならせるOKAMOTO’SNulbarichといった実力派バンドが主題歌・劇伴音楽を担当する時代になったのです。

そういう意味でも、アニメ音楽が新しい時代に突入したことを感じさせる起用だったと思いますし、アニメ文化を楽しむ層をもっと広げていくという視点で見ても意義のある作品になったと思います。

 

若い世代を意識したスピード感

(C)2019「HELLO WORLD」製作委員会

先ほどまでお話してきた音楽面に加えて、本作はジェットコースターのような怒涛の展開を見せるのが特徴的です。

面白いのは、1本の長編映画でありながら、細切れにした短編をリズムよく繋ぎ合わせているような構成になっていることでしょうか。

近年、アニメはテレビ放送の枠組みを超えて製作される機会も増え、YoutubeやNetflixなどで公開される作品も増えてきました。

ナガ
その中で1つトレンドとも言えるのが、ショートアニメでしょうね!

大人気スマホゲーム「モンスト」のアニメはテレビ放送ではなくYoutubeで公開されており、多いものだと500万回近く再生されています。

これは明らかに小学生・中学生が自分のないし保護者のスマホを使って、Youtubeを頻繁に利用しているからで、そういう意味でも敢えてテレビ放送を選ばなかったマーケティング戦略が大当たりしたと言って良いでしょう。

「モンスト」のアニメは基本的に10分~15分程度でして、この少し短めの尺が子供たちの心を鷲掴みにしていると言っても過言ではありません。

以前に教育系の授業動画を如何にして子供に見せるかというお話を聞いたことがあるんですが、動画で何かを見たり、聞いたりする上で集中力が続く時間を計算すると、12分程度あたりが1つの限界なんだそうです。

そういう意味でも10分付近の尺で動画として公開される「モンスト」のアニメが子供たちに受けたのも頷けます。

また、近年の若いティーン世代に向けた実写映画を見ていても、そういった短編を組み合わせたような構成の作品が目立ちます。

『青空エール』『PとJK』『未成年だけどコドモじゃない』『センセイ君主』と言った少女マンガの実写化作品は、もちろん連載漫画の形式を踏襲しているという意図もあるのですが、短編を繋ぎ合わせたような構成です。

1つの短いエピソードの中に1つの山場があり、そしてそのエピソードを積み重ねることで大きな作品と言う枠組みを作り上げています。

先日鑑賞した『かぐや様は告らせたい』もその傾向が非常に顕著な作品でした。

とにかく1つ1つの日常の短いエピソードを矢継ぎ早に切り替えながら流していくという脚本の構成は、若い世代に向けだったのではないかと感じています。

大人向けアニメとしても先日Netflixで公開されている『リラックマとカオルさん』が大きな話題になりましたが、これも12分尺のショートアニメです。

このようにテレビ放送以外にも様々な媒体でアニメというものが放送されるようになったり、10分尺程度の動画を毎日更新するYoutuberと呼ばれる人たちが流行したりしたことで、若い世代の間で「12分=1本」という暗黙の基準ができつつあるように感じられます。

そして今回の映画『HELLO WORLD』はとにかくスピード感が速いです。

特に冒頭の直美が瑠璃と恋人関係になるまでのパートはとんでもないペース感で物語を展開させていきます。

本作では、日記をベースにして、それを辿りながら2人の直美とそして瑠璃を巡る物語が進行していくのですが、非常にリズムが良く、まさしく短編の1話完結アニメを連続で見ているような気分になります。

そこにOfficial髭男dismの挿入歌をインサートすることで、さらに物語は加速していきます。

原作本を読んでみると、直美が未来の世界へと続く穴へと飛び込むまでのパートに約330ページある小説の約260ページを割いているのですが、映画だとこれをほんの60分程度で消化します。

ナガ
260ページの小説を60分の映像で駆け抜けるってとんでもないペースだよね・・・。

ライトノベルのアニメ版なんかでは、しばしば24分尺で120ページ近く消化したりすることがありますが、これはある程度原作の描写をカットした上で実現することです。

映画『HELLO WORLD』については約60分で小説約260ページをほとんどノーカットに近い形で映像化しているわけですから驚きです。

しかし、このテンポ感だからこそ、今のいわゆる「Youtube動画世代」にも受け入れられやすい作りになっているのではないかと思います。

近年10代~20代ではネット配信による映画の鑑賞がどんどんと勢力を増し、映画館としては苦しい展開が予想されます。

そういう状況で、比較的若い世代も多く見に来ているアニメというジャンルで、これまでとは一線を画すテンポ感や音楽の使い方で新機軸の映画を試してみようという意欲が今作からは感じられます。

1つの大きな物語として伏線を多く張り巡らせたりといった構成ではなく、短編積み上げ方式でどんどんと新しい出来事を起こし、物語の針を進めていくという大胆な構成がどう受け入れられるのかも注目したいところです。



3本足の烏は何者だったのか?

(C)2019「HELLO WORLD」製作委員会

『HELLO WORLD』という作品に印象的登場するのが、やはり3本足の烏でしょう。

ただ、3本足の烏の設定が映画と小説版では、微妙に変わっているように感じるんですよね。

小説版を読んでみると、烏の声についてこんな描写があります。

カラスは平然と言った。事務的な声だった。女性のような声音だが、抑揚が少なく、どこかの会社の電話サポートの、自動音声案内のようだと思った。

(野崎まど『HELLO WORLD』253ページより引用)

まあここについては良いんですが、小説版のラストを読んでいると、こんな記述が登場します。

「『器』と『中身』の同調が必要だったんです。」

電話の自動音声案内のような、女性の声がした。聞き覚えがあった。それは直美の手袋の声だった。

(野崎まど『HELLO WORLD』331ページより引用)

この2つの描写を繋ぐことで、原作においては直実を助けるためにやって来た3本足の烏が未来の瑠璃から送られてきたものだったことが分かります。

ただ、映画版ではなぜか3本足の烏の声の担当が釘宮理恵さんになっており、未来の瑠璃のキャラクターボイスはそのまま浜辺美波さんが担当しています。

ナガ
まあ声が同じだったら最後のどんでん返しオチが読めてしまうので、同じ声優にはできないよね・・・。

物語の展開を追っていれば、分からないことはないのですが、幾分この3本足の烏の設定が映画版ではわかりにくくなっていた印象は受けました。

それはさておき、3本足の烏というモチーフそのものについて考えていきたいと思います。

日本では3本足の烏は「八咫烏」として知られていると思いますが、元々は中国で「金烏」と呼ばれていました。

「金烏」という名前はその烏が太陽の中に住んでいたことからつけられた名前だと言われています。

そして日本へと入ってきた「八咫烏」として知られている3本足の烏は、太陽の象徴として、また神の使いとしても信奉されていたとされています。

とりわけ日本の信仰においては、3本足の烏には予知能力があったり、他界や異界に通じる能力を持っていたとも言われています。

加えて面白いのが、太陽が昇っては沈むモチーフであることから「よみがえり」の象徴として知られるようになり、それに付随して「八咫烏」にも「よみがえり」の力があるとされていたのです。

こういう信仰や民俗の視点から見ると、『HELLO WORLD』における3本足の烏がグッドデザインと呼ばれる「神の手」に変形し、世界を想像したり、再構築できるという設定は実はそれらに裏打ちされていることが分かります。

時間や時空を超えてやって来る使いであり、さらには世界を「よみがえ」らせる力をも持っているのです。

こういう宗教や民俗、伝説に裏打ちされた設定が登場するのは面白いですよね。

 

デジタル世界で繰り広げられるアダムとイブの物語

(C)2019「HELLO WORLD」製作委員会

本作はまさに「新世界創造」をゴールに据えた物語です。

タイトルにもなっている『HELLO WORLD』というのは、プログラミング言語の入門編でよく使われるプログラムを動かすためのプログラミング言語の基本文法です。

プログラミング初心者がとにかくプログラムを組んでみて、画面に「HELLO WORLD」という印字が表示されれば、成功というものであり、まさに新しいデジタル世界を構築する第1歩ということですね。

今作は、タイトルロゴをまさに直実瑠璃が新世界を創造したタイミングで表示するように設計しています。

そして本作の新世界創造のシーンでもう1つ注目したいのが、直実瑠璃が初めてキスをするシーンでもあるということです。

それまで、2人は喜撰橋や病室の場面でキス寸前までいっているのですが、実はキスには至っていないのです。

2人をキスにまで頑なに至らせないこの作品ですが、その理由は明確で『HELLO WORLD』の世界において2人が結ばれることはタブーなのです。

物語の中で、直実(ナオミ)は必死に瑠璃を救おうと、セカイを捻じ曲げていくわけですが、その余波を受けて修復プログラムが活発に働くようになり、2人の繋がりを引き裂こうとします。

つまり、セカイが2人が結ばれることを認めようとしない、もっと言うなれば、アルタラという情報世界の神が彼らが結ばれることを許さないのです。

この設定は、実に旧約聖書のアダムとイヴのエピソードを想起させます。

アダムとイヴは、神から創造されましたが、善悪の知識の木の果実を食べることを許されていませんでした。

しかし、その規律を無視して2人は禁断の果実を食べてしまい、楽園を追放されて、限られた命という宿命を背負って生きることとなります。

本作『HELLO WORLD』のラストは、まさしくそんな旧約聖書の楽園追放の再現ですよね。

2人はタブーを犯し、キスをし、そして結ばれる「現在」を手に入れることに成功しました。

ノートというのが、聖書的に機能していたこともあり、世界の書き換えないし聖書を1から作り直すというようなラストを描いたようにも見受けられます。



タイムトラベルものというよりもVRMMOな世界観

本作はセカイ系SFであり、そしてタイムトラベルものとしての側面も孕んでいます。

まず、物語は2037年のナオミが2027年の京都へとやって来て、「過去」を変えようとするところから始まります。

ナガ
ただ単純に「過去」を変えて、「未来」を救うという話にはなっていないんだよね!

というよりも「過去」を書き換え、その書き換わった「過去」と「現在」を同調させることで、「過去」を葬り去り、そして「現在」を書き換えるというアプローチを取りましたね。

そのため、これはむしろ『クリス・クロス』『ソードアートオンライン』のようなVRMMOの世界観に近いのではないかと私は思っています。

とりわけこの2つの作品では、バーチャル世界での死が現実世界の死へと直結します。

2037年のナオミは自分の「現在」は現実世界のものだと思っていたわけで、彼はアルタラの中の世界へとダイブして、電子世界の中で起きる瑠璃の死を食い止め、食い止めた段階の彼女を現実世界の彼女とリンクさせて、現実世界の彼女の意識を取り戻させるわけです。

これって言わば、VRMMOの世界の中でアバターとして死んだ誰かが、現実世界でも死んでしまったという事実を覆すために、VRMMOの世界でタイムトラベルをして、そのアバターの死をなかったことにするという行動と同じですよね。

ただ、今作の世界観はダニエル・F・ガロイ『模造世界』を思わせる構造になっていて、ナオミが「現在」だと思っていた現在が実はそうではなかったという事実が明かされます。

つまり、VRMMOの世界をVRMMOの世界が内包しているという2重構造になっていたというわけです。

そしてそこから2037年のナオミが起こした時空のゆがみを修正するという作業が始まるわけですが、自動修復プログラムが暴走してしまい、世界が崩壊へと向かっていってしまいます。

その中で、直実ナオミを「神の手(グッドデザイン)」を使い、世界から消失させます。

しかし、面白いのは、小説版ではより分かりやすく描かれているのですが、2037年に現れる喋る3本足の烏の正体は未来の瑠璃なのです。

つまり、このシーンで手を握ったときに、未来の瑠璃が介入して、「大切な人のために動き器と中身が同調した」ナオミをVRMMOの世界から救出したと考えられるのではないでしょうか。

その後、世界が書き換えられていき、直実瑠璃は新世界へと辿り着きます。

そしてVRMMOの世界の外では、救出されたナオミが目を覚ましています。

本作の構造的に考えると、ラストシーンで描かれた月の世界もVRMMOの世界の範疇に含まれる可能性は十分に考えられます。

その真偽は分かりませんが、未来の瑠璃はVRMMOの世界(アルタラ内)からナオミを救い出すために、彼が2027年の世界で行った行動と似たようなことをしながらも、最後に世界の自動修復を止めるために、新世界創造という手法を取りました。

これによりどんな影響が出たのかは本作中では描かれていません。

しかし、2つの世界で直実ナオミ瑠璃と共に生きることができる世界へと辿り着いたことこそがアンサーなのです。

 

セカイ系への言及

(C)2019「HELLO WORLD」製作委員会

本作『HELLO WORLD』を読み解く上で、曖昧な概念ではあるのですが「セカイ系」という言葉を使わざるを得ない部分はあります。

ナガ
「セカイ系」の代表作としてしばしば挙げられるのが以下の3作品だね!
  • 『ほしのこえ』
  • 『最終兵器彼女』
  • 『イリヤの空、UFOの夏』

この3作品の共通点として挙げられるのが、世界の運命を背負い込むことになるのが「女性」の側であるという点でしょうか。

新海誠作品もそうですし、key系の作品もそうですが、一般的に「セカイ系」ではないかと言われている作品において、女性が世界の運命を背負い込んでいることは非常に多いのです。

もちろん『少女革命ウテナ』のような女性同士で構成されるセカイ系もありますが、やはり多いのは男性主人公が世界の運命とその命運を背負った女性ヒロインとの間で揺れる物語でしょうか。

今年の夏に公開された『天気の子』は、新海誠監督自身が描き続けてきた「セカイ系」ジャンルに1つの答えを出す作品でもありました。

世界を救って大好きな「きみ」を諦めるのではなく、世界を諦めて「きみ」を選んでみせたのです。

一方で、『HELLO WORLD』はこれまでとは全く違う解答を示してみせます。

本作の1番最初のシーンが実に意味深なのですが、注目したいのは、直実が背負っているリュックです。

そこに書かれている文字は「THE ONE」だったことにみなさんはお気づきでしょうか。

(C)2019「HELLO WORLD」製作委員会

この「THE ONE」という言葉には「神」「救世主」「唯一神」といった意味があり、それ故に、私たちは直実こそが本作における「救世主」たる存在なのだとうっすらと刷り込まれます。

ちなみにこれは映画『マトリックス』へのオマージュですよ。

リュックをよく見て見ると、映画『マトリックス』の有名なセリフである「There’s a difference between knowing the path and walking the path.」が印字されています。

日本語に訳すと、「ただ道を知っていることと、道を歩いていることとでは異なる。」という意味になるかと思います。

これって要は、未来を知っていることと未来を実際に作っていくことでは決定的に異なるんだということを仄めかした言葉でもあります。

つまり、『マトリックス』においては主人公のネオのことを指しているのであり、彼はマトリックスを破壊し、機械の支配から人類を解放する救世主(=The One)だったわけです。

こういうオマージュを見ると、余計に本作における救世主的存在があくまでも直実であるのだということを無意識に刷り込まれていきますよね。

さらには、これまで多くの作品が男性主人公が、世界の運命を背負っている女性主人公を救おうとするという構図を用いてきたがために、無意識的に私たちは『HELLO WORLD』をそういう型にはめて見てしまうのです。

ナガ
それが本作の大きなミスリードになってるんだね!

直実が世界を崩壊させてでも瑠璃の命を救おうと試みるわけですが、当然それはセカイによって妨害されてしまいます。

その結果、直実瑠璃をもとの時間軸へと戻し、すべてを元通りにする道を選ぶ他なくなってしまいます。

しかし本作はラスト1分でその構造を綺麗に反転させてしまいます。

実は世界の運命を背負っていたのは、瑠璃ではなく直実(ナオミ)の方だったのだということを明かし、セカイを改変するという行為を通じて直実(ナオミ)を救出するのです。

これは言わばセカイ系とこれまで呼ばれてきた作品に対するイメージを逆手に取った逆転劇とも言えますし、セカイを変えることで「ぼく」と「きみ」が同時に存在する時空を作るというこれまでのセカイ系への1つのアンサーでもあります。

『天気の子』とは違う形で『HELLO WORLD』は新時代のアニメーションとしてセカイ系への1つの回答と転回を見せてくれたのではないでしょうか。



スピンオフ『勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をする』ですべてが明かされる

映画公開と同時に発売された『HELLO WORLD』のスピンオフ小説があります。

映画本編に疑問を感じている点が多い方は、基本的にはこちらを読めば本編の世界観も全て理解できると思います。

一応本編の世界線とは異なる世界線の物語ということにはなっているんですが、基本的に世界観を共有していますし、大筋は同じなので本編の謎も解けます。

このスピンオフから読み取れるいくつかの本編の謎について解説を加えておこうと思います。

 

本作の世界観と時間軸

映画本編の中で明かされている時間軸は基本的に2027年と2037年だけで、ラストシーンで描かれる月のシーンの時間軸は不明です。

スピンオフ小説の中でここが明らかにされていて、ラストシーンは2037年からさらに10年後の2047年だということです。

そして映画のラストで月面のシーンが現実なのか情報世界なのかが明かされていませんでした。

これについても2047年の世界が現実であるということがはっきりと示されています。

更に、2047年の世界ではアルタラ内にダイブする安全なシステムが出来上がっているということ、さらには今回の本編で扱われている世界が「脳死状態にある堅書直実を治療するための蘇生プログラムの世界」であることも分かりました。

つまり2047年の世界から瑠璃や三鈴がアルタラ内のデータに干渉することで、脳死状態のナオミと同調させるための彼の意識を作ろうとしているのです。

 

なぜ2037年の世界の瑠璃は「堅書さんじゃない。」と告げたのか?

(C)2019「HELLO WORLD」製作委員会

意外と本編中で謎なのが、病室のシーンでナオミに対して目覚めた瑠璃が「堅書さんじゃない。」と告げたシーンです。

これについて大きなヒントになる記述がスピンオフ小説の中で描かれています。

「堅書ナオミの心は今、壊れている。執念に憑りつかれ、狂気の瀬戸際にあるの。このままではガイドとして正常に機能しない。自分を守ろうとする、生物としてごく当たり前の意識さえろくに持っていないの。そんな心のままではとても使えない。」

(『勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をする』より引用)

思えば、本編中で直実ナオミが行動を巡って少し対立したことがありましたよね。

それは古本市の時に、焼けた本を直実が修復しようとした時です。

ナオミはあくまでも時系列通りに事を辿るだけだからと、古本市がボヤ騒ぎで中止になってしまうことを直実に告げません。

それに対して直実瑠璃を悲しませるようなことを見過ごさせたことに対して激高し、深夜に1人学校に忍び込み本の修復を試みます。

この時にナオミは手を差し伸べるんですよね。

『勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をする』を読んでいると、このシーンはナオミにとって大きな葛藤であったことが伺えますし、同時に彼自身を取り戻すチャンスだったのかもしれません。

しかし、結果的に彼はデータの中の2027年から瑠璃を2037年へと連れていくという非情な行動を取ります。

これにより彼の心の崩壊は決定的となり、2047年の世界へと救い出すことが難しくなってしまいます。

2027年の優しい「直実」を見てきた彼は、その優しさとそして人間らしさと・・・とにかくナオミナオミたる所以を喪失した姿に思わず「あなたは堅書さんじゃない。」と言ってしまったのでしょう。

そして本編の終盤にナオミ直実を救うために行動を起こします。

この時、彼はようやくどんな時にでも他人に手を差し伸べようとする優しいナオミの心を取り戻し、無事に2047年の世界とリンクすることができたのでしょう。

 

直美と瑠璃が立った新世界の意味

これについては映画版を見て何となく納得していたところなんですが、スピンオフ小説を読んで「そんなの分かるわけないだろ!(笑)」となりました。

スピンオフ小説のそれについて言及している箇所を引用します。

「つまり、あなたの世界は、新しい世界になったの。」

「新しい、世界・・・?」

「そう。機械の中の限定された情報としてではなく、現実と同等の規模と宇宙の運動を持った、正真正銘の新世界」

(『勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をする』より引用)

ナガ
いやいや、映画版を見て、ここまで読み取れる人って多分いないでしょうに・・・。

つまり、アルタラは2047年の現実世界にいる人間たちの手を離れて、新しい宇宙を構築したということです。

よってもはや現実世界の人間がその内部に干渉することはできなくなりました。

この世界構造のイメージが湧きにくい方もいらっしゃるかと思いますが、要は現実世界の他にもう1つ同等の世界が生まれたということです。

スピンオフ小説の方は基本的に丁寧に解説されていて分かりやすいのですが、本編の方がこの上なく省略気味で分かりにくいので、かなりこちらで補完されたのではないかと思います。

 

本作が既視感のパッチワークになっていたわけとは?

映画『HELLO WORLD』はこれまでの映画、アニメ、小説など、様々な物語の影響を受けています。

そのためどこかで見たことがあるような展開や設定が作品の至るところに散りばめられているのです。

しかし、本作はそもそも「新機軸のアニメーション映画」を謳っていたはずですよね。

ナガ
では、一体なぜこのように既視感に満ちた作品に仕上げたのでしょうか?

その理由をファンタジー情報サイトの「パンタポルタ」の方に寄稿した記事の中で自分なりに考えてみました。

ぜひご一読ください。

 

 

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『HELLO WORLD』についてお話してきました。

ナガ
非常に期待していた作品だったのですが、それに十分応えてくれる作品でした!

アニメーション的な部分で、少し3DCGがぎこちなく、物足りない部分はあったのですが、それを差し引いても魅力的な物語がそこにありました。

本作はとにかく「新時代の」「新機軸の」アニメーションなんだということを強調しておりますが、その言葉に違わぬ、新しい世代や層に向けたアニメ映画になっていたと思います。

また、『天気の子』が公開された直後に、また別の新しい形で「セカイ系」へのアンサーを見ることができたのも良かったです。

恋愛譚がメインかな?と思わせつつも、かなり硬派なSF的側面が目立っていたので、1度の鑑賞では完全に理解しきれていない部分もあるんですが、見終わった後にいろいろと考察のしがいのある作品でした。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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