【ネタバレあり】『15時17分、パリ行き』感想と批評:イーストウッドとヴェンダース、2つの「パリ」について解説

はじめに

 みなさんこんにちは。ナガと申します。
 今回はですね、映画『15時17分、パリ行き』を絡めた映画批評なるものを書いてみようと思います。

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(C)2018 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited, RatPac-Dune Entertainment LLC 映画「15時17分、パリ行き」予告編より引用

ナガ:「ここのところ少しブログの更新頻度が落ちてしまっているんだよ。これはなぜかと言うと、今諸事情で自宅にWi-Fi環境が無くて、ブログを書いても投稿しづらい状況にあるからなんだ。」

 

ちん:「ちんちん?(訳:そういう時は1番車両に行けばいいじゃない?)」

 

ナガ:「1番車両?またなんで?」

 

ちん:「ちんちん!(訳:1番車両にはWi-Fiがあるでしょ?)」

 

ナガ:「なるほどね!そういう映画の小ネタを挟んでくるあたりさすがだよ。」

 

ちん:「ちんちん!!(訳:ドヤァ)」

 

ナガ:「でもね、ちんくん。僕の一番車両はさ・・・コメダ珈琲なんだ(笑)」

 

ちん:「じゃあ君は何か人生の大きな目的に導かれて、コメダ珈琲に行くわけだね(訳:ちんちん)」

 

ナガ:「なるほど。こうやってブログを投稿するためだけにコメダ珈琲を訪れることにも何か意味があるのかもしれない。」

 

 「15時17分、パリ行き」はこんな映画です。(嘘です)

 

 まあ出だしこそ少し脱線しましたが、批評に関しては大まじめに書いていくつもりです。良かったら最後までお付き合いください。

あらすじ・概要

 

「アメリカン・スナイパー」「ハドソン川の奇跡」の巨匠クリント・イーストウッドが、2015年にヨーロッパで起こった無差別テロ「タリス銃乱射事件」で現場に居合わせ、犯人を取り押さえた3人の若者を主役に、事件に至るまでの彼らの半生を、プロの俳優ではなく本人たちを主演に起用して描いたドラマ。2015年8月21日、オランダのアムステルダムからフランスのパリへ向かう高速列車タリスの中で、銃で武装したイスラム過激派の男が無差別殺傷を試みる。しかし、その列車にたまたま乗り合わせていた米空軍兵のスペンサー・ストーンとオレゴン州兵のアレク・スカラトス、そして2人の友人である青年アンソニー・サドラーが男を取り押さえ、未曾有の惨事を防ぐことに成功する。映画は、幼なじみで親友同士のスペンサー、アレク、アンソニーの3人が出会った少年時代や、事件に遭遇することになるヨーロッパ旅行の過程を描きながら、ごく普通の若者たちが、いかにしてテロリストに立ち向かうことができたのかを明らかにする。
映画comより引用)

予告編

イーストウッドとヴェンダース、2つの「パリ」

 

完璧な映画は存在するのか?

 

 映画とは何だろうか。

 

 質問を変えよう。

 

 完璧な映画とは何だろうか。

 

 かつて日常の何気ない光景を撮影し、シネマトグラフと呼ばれる機械の小さな画面で映画を通して人々が日常の追体験をしていた時代。映画とは日常の記録であった。

 

 そして初めて複数の人間が同時に1つのスクリーンで映像を見ることができるようになった頃。映像というものが映画館に集約され、ニュースもスポーツも何もかもが映画館で見られていた時代。映画が何たるかを考える人はいなかっただろう。

そこから徐々にテレビの登場によって映像たちが映画館から外部化されていくこととなる。すると必然的に映画館に残された映像が映画ということになる。しかし、テレビで映画やドラマが放送され、ビデオやDVDといったハードが映画そのものを外部化させ始めたことで「映画」の何たるかを定義づけることはもはや叶わなくなった。

現代の映画事情はどうだろうか。IMAXや4DXといった技術面の発達、アメコミヒーロー映画や大規模SF映画の興隆は人々が映画に「脱現実」を求めるようになったことの表れとも言えるだろう。かつて現実の記録であった映画は正反対の方向に向かって発展を続けてきたのだ。

 そんな時代にあっても尚、映画の原初的な在り方を飽くなく追求する2人の映画監督がいる。それがクリント・イーストウッドとヴィム・ヴェンダースだと私は考えている。

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(C)2016-Alfama Films Production-Neue Road Movies

2018年にヴェンダース監督の最新作「アランフエスの麗しき日々」を劇場で見た時に、私は映画というものの完成を見たような気がした。これが完璧な映画だ。これこそが映画だったんだ。そんな感動にエンドロールが終わった後、震えが止まらなかった。

 


 しかし、それからわずか2か月ほど。イーストウッド監督最新作「15時17分、パリ行き」を見た時にその確信は一瞬にして崩れ去った。上映が終わった後、座席から離れたくなかった。あの余韻に何時間でも浸っていたいと思った。

完璧な映画はまだ存在していない。映画の可能性はまだまだ残されている。

映画は記録であるという原初的な存在意義を追求する87歳のクリントイーストウッドと72歳のヴィムヴェンダース。今回はそんな2人の監督を絡めた映画批評を展開してみようと思う。

偶然か?必然か?2つの「パリ」

クリントイーストウッド監督の最新作は「15時17分、パリ行き」というタイトルだが、ヴィムヴェンダース監督の作品の中にもパリという地名が含まれる作品が存在する。ご存知の方も多いだろうが「パリ、テキサス」という作品だ。

パリ、テキサス (字幕版)
ハリー・ディーン・スタントン
2015-01-22


確かにパリという地名がタイトルに含まれる映画なんてものはこの世に数多く存在している。しかしこの2作品は間違いなく深いかかわりを持っていると言える。断言できる。キャリアの晩年に差し掛かった2人の巨匠が「パリ」を作品に登場させたことには間違いなく何か大きな目的に導かれてのことだろうと信じてしまう。

その共通点というのは、パリに何があるのかということに大きく関係してくる。パリにあるのは他でもない「人生の目的」なのである。

「15時17分、パリ行き」。何者にもなれていない青年たちが偶然パリ行きの電車に乗り込み、そこで人生の転機を迎える。パリに辿りつき表彰される彼ら。そこには彼らの人生における大きな目的の1つがあったように見て取れる。

「パリ、テキサス」。仕事も家族も何もかもを捨て去り、テキサスの荒野を放浪する1人の男。人生を見失った男が目指すのはかつて自分の両親が愛を育んだというパリの土地。彼はそこに向かう。そこに人生の目的があると信じて。

パリに辿りつくことを人生の目的への到達の表象として捉えた時に、この2作品の構造が似ていることは間違いないだろう。一方で、そのディテールを読み解いていくと、映画の原点を目指すという同じ作家性を持ちながらも、微妙に異なる2人の映画に対する考え方が見えてくるように思える。




「パリ」

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パリと聞くと多くの人がフランスの首都を想像するのは自明である。しかし、ヴェンダース監督が撮った「パリ、テキサス」のパリというのは、フランスのパリのことでは無い。テキサス州にあるパリという荒れ果てた街の名前である。

世界のカルチャーの中心地とも言われる華の都パリとは似ても似つかない、まさに荒野としか形容できない土地である。

辿りつけないパリと辿りついてしまったパリ

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(C)2018 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited, RatPac-Dune Entertainment LLC 映画「15時17分、パリ行き」予告編より引用

ヴェンダース監督の「パリ、テキサス」において主人公の男はテキサス州のパリという場所を探し続けているものの、結局そこに辿りつくことは無い。パリは男が持っている写真としてのみ作品に登場し、実際にその地を踏むことは無いまま映画は終幕を迎える。

イーストウッド監督の「15時17分、パリ行き」において3人の青年たちは旅行の最中に観光目的でパリへと向かう。そしてそこでテロ事件に遭遇し、その有事に勇敢に立ち向かい、パリに辿りついた暁には表彰されることとなる。

偶然のパリと必然のパリ

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ヴェンダース監督の「パリ、テキサス」において男は長年放浪を続け、実在するのかもわからないテキサス州パリの小さな土地を追い求めている。まるでそれが必然たる自分の人生の目的であるかのようにだ。

イーストウッド監督の「15時17分、パリ行き」において青年たちは偶然あの日に3人で旅行し、偶然あの電車に乗り込み、テロ事件と遭遇し、図らずもパリで表彰され、人生の目的の1つを果たすこととなる。

イーストウッドとヴェンダース、2人が目指す「パリ」

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(C)2018 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited, RatPac-Dune Entertainment LLC 映画「15時17分、パリ行き」予告編より引用

2人が目指す映画が同じ方角にあることはもはや間違いないだろう。ヴェンダースはそのキャリアをスタートさせた頃から変わらないし、イーストウッドは近年の作品ではその方向性が特に顕著である。

映像の連続性が後天的に物語を付与していく。その点で2人の最新作はまさにキャリア最高傑作と言っても間違いない。映画というものの純度を極限まで高めた作品が「アランフエスの麗しき日々」であったし、「15時17分、パリ行き」であった。

前者は夏の陽光差し込むバルコニーで1組の男女が会話をしているだけという何とも映像的にはシンプルな映画である。しかし、これほど面白い映画も他にないだろう。2人が話している表情、身振り、声色、庭の草花、太陽、風それら全てが1つに調和し、無限のイメージを与えてくれると共に、無限に物語の可能性が開けている。ヴェンダース映画の1つの到達点と言って良いだろう。

後者はテロ事件に立ち向かった3人の青年の伝記を少年時代から綴り、詳細な旅行体験なども交えながら、最後にテロ事件へと帰結していくという巧みな手法で撮られている。単体では何の物語性も持たない映像たちの連続があの一瞬を境に物語の一部へと昇華していくという、まさに映画の原型を体現するかのような映画と言って差し支えない。

「パリ」には彼らの人生の目的、つまり2人それぞれにとっての映画のマスターピースがある。そこをどう目指すのか、そこにどんな映画があるのか。目指す方向性は同じと言えど、全く同じというわけではない。

先ほど示した「パリ、テキサス」と「15時17分、パリ行き」のディテールの違いに2人の映画監督としての微妙な違いが見て取れる。

ヴェンダースはそのキャリアをスタートさせた時から目指す方向性も、そのアプローチも一貫していると言える。彼が最初に撮影した「都市の夏」という映画に登場する2分近くあるのではないかというトンネルの中を歩くだけのシーンがどうしても忘れられない。なぜこんな映像垂れ流すのか。カットすればよいのに。しかし、そこにこそヴェンダースの真髄が潜んでいる。

線路に向かってカメラを回していた、映画監督を志す前、画家だったころのヴェンダース。そこに1人の男が走りこんできて、その直後に電車が通過した。その瞬間が彼にとっての映画の始まりであり、物語の始まりであり、映画の可能性だった。

ヴェンダースは必然こそが自分を「パリ」に導いてくれると信じて止まないのだと思う。彼が思い描く荒野の原風景のような「パリ」はまさにあらゆる要素を削ぎ落したリュミエール兄弟の頃の純粋な映画だ。そしてそのために常に変わらない映画へのアプローチを続けることが必然的に彼にとってのマスターピースを完成させるのだと考えているのではないだろうか。

しかし、そんな原初的な映画が現代に通用するはずもない。だから彼は「パリ」に辿りつくことはできないのだ。それでも「パリ」に近づこうともがくところに彼の映画監督としてのキャリアがあると思う。

一方のクリントイーストウッド監督は男性映画を基調としながら、常に手法やテーマ性を変化させながら実験的に映画を撮り続けてきた監督と言えよう。1つの手法やテーマ性に固執することを良しとせず、自分の作品の色は残しながらも常にアプローチを変え、そのたびに評価を高めてきた人物だ。

イーストウッドは偶然が自分を「パリ」に導いてくれると考えているように思う。それこそが彼の実験的で、野心的な映画の撮り方にも顕著に表れている。映画のマスターピースに辿りつく瞬間は必然ではなく偶然訪れるものなのだと。

そして彼が目指すのは、現代的にも受け入れられてかつオリジナル映画の流れも汲んだ映画の新機軸ではないだろうか。リュミエール兄弟が掲げた原初的な映画の存在意義をアップデートし、映画の新たなるスタンダードを作り出すことに彼の「パリ」があると思う。世界のカルチャーの中心たる「パリ」に通ずるものだ。

さらにイーストウッドは「パリ」に自分はいつか辿りつけると考えているように思う。「15時17分、パリ行き」のような神的運命論の映画をキャリアの晩年に送り出す彼の姿勢を見ると、彼自身がいつか(もう生み出しているのかもしれないが)自分にとっての完璧な映画を撮ることができると信じていることは推測できる。

「パリ」には人生の目的がある。とするならば映画監督にとってのそれは映画のマスターピースということになるだろう。2人の監督がそれぞれ「パリ、テキサス」「15時17分、パリ行き」という作品で主人公に据えたのは、まさしく自分自身だったのだろう。

偶然の一致なのかはたまた必然なのか。2つの「パリ」が示した2人の映画監督の終着点。彼らが最新作として世に送り出した「アランフエスの麗しき日々」「15時17分、パリ行き」という2つの衝撃的な作品。

映画はまだ完成していない。無限の可能性に満ちている。2人の巨匠が目指す「パリ」への道のりはまだまだ遠いものなのかもしれない。

おわりに

あの時、校長室に行かなかったら・・・。

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(C)2018 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited, RatPac-Dune Entertainment LLC 映画「15時17分、パリ行き」予告編より引用

あの時、パラレスキューに志願していなかったら・・・。

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(C)2018 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited, RatPac-Dune Entertainment LLC 映画「15時17分、パリ行き」予告編より引用

あの時、サバイバルゲームをしていなかったら・・・。

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(C)2018 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited, RatPac-Dune Entertainment LLC 映画「15時17分、パリ行き」予告編より引用

あの時、救命の術を学んでいなかったら・・・。

あの時、柔術をやっていなかったら・・・。

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(C)2018 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited, RatPac-Dune Entertainment LLC 映画「15時17分、パリ行き」予告編より引用

あの時、あの時、あの時・・・。

あの時、15時17分発パリ行きの電車の乗り込んでいなかったら・・・。

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(C)2018 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited, RatPac-Dune Entertainment LLC 映画「15時17分、パリ行き」予告編より引用

「あの時」はそれ単体では物語性を持たない。それを映像に収めたところで映画にはならない。

しかし、あの時の連続性が、その映像の連続性がいつしか物語へと昇華していく。そしてテロ事件との邂逅。全ての「あの時」が意味を持ち、映画が生まれる。

こんなに面白くてかつこんなにも映画な映画を私は初めて見たのかもしれない。全ての瞬間瞬間が意味を持ち、瞬きすらも許されない。約90分間の映像はあまりにも濃い。見終わった後の余韻は座席から立つ気力すら奪ってしまう。

クリントイーストウッドが示した映画の可能性に震えた。

映画の可能性はまだまだ開けていた。




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