【ネタバレ】「RAW少女のめざめ」:感想・解説:本作において”血”が持つ3つの意味を考察!

アイキャッチ画像:(C)2016 Petit Film, Rouge International, FraKas Productions. ALL RIGHTS RESERVED.

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね2月2日より公開となりました映画「RAW(ロウ)少女のめざめ」についてお話していこうと思います 。

本記事は作品の考察記事になりますので、その都合上内容のネタバレを一部含みます。作品を鑑賞していない方はお気を付けください。

良かったら最後までお付き合いください。

スポンサードリンク




あらすじ・概要

 2016年・第69回カンヌ国際映画祭で批評家連盟賞を受賞した、フランス人女性監督ジュリア・デュクルノーの長編デビュー作品。厳格なベジタリアンの獣医一家に育った16歳のジュスティーヌは、両親と姉も通った獣医学校に進学する。見知らぬ土地での寮生活に不安な日々を送る中、ジュスティーヌは上級生からの新入生通過儀礼として、生肉を食べることを強要される。学校になじみたいという思いから家族のルールを破り、人生で初めて肉を口にしたジュスティーヌ。その行為により本性があらわになった彼女は次第に変貌を遂げていく。主人公ジュスティーヌ役をデュクルノー監督の短編「Junior」でデビューしたガランス・マリリエールが演じる。(映画com.より引用)

予告編

感想・解説:本作のカニバリズム描写はなぜ素晴らしいのか?

本作「RAW(ロウ)少女のめざめ」という映画においては、人肉を食べる描写が登場します。いわゆるカニバリズム描写ですね。カニバリズムというものは元来異常性を孕んだものとして扱われてきました。これを行う者は正常な人間ではないということです。

例えば、私の敬愛する貴志祐介さんの著した「クリムゾンの迷宮」にはカニバリズムが登場します。ここでは、極限状態の中で精神異常をきたし、人ならざるものとなった「人間」が人間を食するという形でカニバリズムが描かれます。つまり、その行動は非人間的であり、異常であるという認識の下で描かれているわけです。

クリムゾンの迷宮 (角川ホラー文庫)
貴志 祐介
角川書店(角川グループパブリッシング)
1999-04-09



他にカニバリズムが扱われる傾向にあるのが、戦争映画ですね。食糧難、極限の空腹、飢餓状態が生存のための食人を促すという状況が戦争の中で登場することがあります。余談ですが、イラク戦争ではアメリカ兵がイラクの人を食人したという話もあって、これは「復讐」のための食人とも言われているんですね。このように戦争とカニバリズムは切っても切り離せない関係にあります。最近ですと映画「野火」では鮮烈なカニバリズム描写が描かれましたね。

野火 [Blu-ray]
塚本晋也
松竹
2016-05-12



他にも特定の民族の民族的習慣としてカニバリズムが描かれることがあります。文明人から見た動物的、非文明的でかつ野蛮な習慣として描かれる傾向が強いですね。最近ですと「グリーンインフェルノ」なんかはこのタイプのカニバリズム映画でしたね。

グリーン・インフェルノ [Blu-ray]
ロレンツァ・イッツォ
ポニーキャニオン
2016-04-20



このように文学・映画においてカニバリズムというモチーフは非人間的であり、異常な行動であるとして描かれる傾向にありました。

では、本作「RAW(ロウ)少女のめざめ」はどうか?と言いますと、実は全く違った捉え方でカニバリズムを描こうとしているのです。

 というのも本作におけるカニバリズムは異常性を孕んでおらず、むしろ正常な思春期の少女の悩みという視座で描かれています。誰しもが思春期に直面する大きな壁の1つとして描かれているわけです。

今回の記事では「血」というモチーフに着目して、本作におけるカニバリズムがなぜ異常性を孕んでおらず、人として正常な行為として描かれたのかを考察していきたいと思います。

考察:「RAW(ロウ)少女のめざめ」における「血」が持つ3つの意味

イニシエーションとしての「血」

これは本作が女性を主人公に据えているという点にも大きく関係します。というのも女性のイニシエーションというものは元来、血を伴うものです。

最も分かりやすい例でいうなら生理血ですよね。女性は性的に成熟する過程で、生理というものを避けることはできません。これはある種の大人になるためのイニシエーションですし、この現象には血が伴います。

他にも女性の初体験には血が伴う傾向にありますね。また、アフリカ等で行われていた、行われている風習に割礼というものがありました。これも一部の地域では女性のイニシエーションとして扱われていて、痛みと血が伴う行為でした。

 このように女性が成長していく過程で発生する通過儀礼には血が伴うのです。

だからこそ本作では、イニシエーションと血の関連を強調しているのです。劇中の学校で新入生が最初経験する通過儀礼は、馬の生き血を全身に浴びるというものでしたね。また主人公のジュスティーヌは学校の通過儀礼の際にうさぎの腎臓を食し、全身に発疹が出て、出血しました。

そしてこれは彼女の姉アレックスも、彼女の母も経験していることなんです。学校内にある過去の写真の中で母と姉がこの馬の生き血を浴びるというイニシエーションを経験したことが確認できます。またジュスティーヌが姉の部屋を訪れた際に、彼女の洗面台の鏡の裏にジュスティーヌが医務室でもらったものと同じ塗り薬が確認できました。

つまりジュスティーヌの家系の女性たちは全員、この学校の伝統である血を伴うイニシエーションを経験し、それをトリガーとしてカニバリズムへと傾倒し始めたことが伺えます。

さらに彼女の家系においては、カニバリズムすらも血を伴うイニシエーションなのです。カニバリズムへの本能と上手く付き合う方法を見出すことが出来なければ、大人になることができないのです。

母は夫が半ばサンドバッグ状態になってくれたことで、無事に大人になることができました。つまり、夫に自身の動物的本能をぶつけることで、その欲求を昇華させていたわけです。

一方の姉アレックスも母と同じように男にそれを押し付けてイニシエーションを通過しようとしたのでしょうか。最終的には、ジュスティーヌのルームメイトであるアドリアンを食い殺してしまいました。彼女はそのイニシエーションを通過できなかったのです。その末路が刑務所というわけです。

ジュスティーヌも同じようにカニバリズムという血を伴うイニシエーションを課されてしまったわけです。自身の内に秘められた動物的本能にどう折り合いをつけて、大人になるのかということがまさに映画のラストで父親の口から問いかけられたのです。

本作においてのカニバリズムは生理血や初体験に伴う血のような女性特有の血を伴うイニシエーションとして描かれています。そのため非常に普遍性を帯びているのです。女性であれば、誰しもが経験する通過儀礼の1つであり、痛みや苦しみを伴います。


カニバリズムに伴う血は女性が成熟していく上で伴うものであり、乗り越えなければならない壁として描かれているわけです。




思考を規定する血統としての「血」

本作では視覚的に多くの血が登場しますが、ここで扱う血は見えないものです。というのも身体の中を流れている血、つまり血統としての血だからです。これは視覚的に可視化されたものではありませんが、作品の中で重要な役割を果たしていることは間違いありません。

この話をする際に取り上げたいのが、当ブログではたびたびタイトルを挙げている伊藤計劃さんの短編「セカイ、蛮族、ぼく。」という作品です。

The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)
伊藤 計劃
早川書房
2012-03-09



この作品は、蛮族の息子として生まれた主人公が蛮族的な行為に対して並々ならない嫌悪感を抱いているにもかかわらず、自分も蛮族的に振る舞ってしまうことへのジレンマを描いています。ただ主人公は、蛮族的な行動をしたくない、するべきではないと考えているにもかかわらず、そのような行動を取らざるを得ないのです。これは、まさしく血統、つまり自分の中を流れる血のせいです。

どんなに自分が意識の上では拒もうとしても、自分の本能を変えることはできないのです。血統は、逆らいようのない人の行動指針というわけです。血統が決定づける行動指針は、自分の意識をもってしても対抗できません。どんなに嫌悪していても、そう行動するしかないのです。

本作「RAW(ロウ)少女のめざめ」におけるジュスティーヌの家族の女性は、間違いなくカニバリズムに傾倒しやすい血統を持っています。それは厳格なベジタリアンとして生きることで、抑圧しようとしても抑えることができません。どんなに逃れたくとも逃れられないのです。それがなぜかというと血統なのです。

それはベジタリアンとしての厳格な規律を課して、肉食から遠ざけようとしてしまったことでより深刻化してしまったのかもしれません。抑圧されたことでその本能が自分の中で強く、濃くなってしまい、きっかけ1つで爆発的に表出してしまったわけです。

 だからこそ本作におけるカニバリズムは正常な行為として描かれているのです。ジュスティーヌやアレックスは狂っているわけではなく、自分の中に流れる血に、血統に誠実なだけです。逆らうことのできない自分の本能のまま行動しているわけです。だからこそ彼女たちのカニバリズムは異常性を帯びておらず、むしろ正常な行為として描かれているようにすら感じるのです。

浄化するものとしての「血」

FullSizeRender
(C)2016 Petit Film, Rouge International, FraKas Productions. ALL RIGHTS RESERVED.

本作の名で描かれたカニバリズムや「血」について語る上で一番重要で、稀有なのがこの3つ目の役割です。

というのも映画「RAW(ロウ)少女のめざめ」はラブストーリーとしての側面が非常に強いのです。主人公のジュスティーヌと姉のアレックス、そしてアドリアンをめぐる関係もそうですが、彼女の両親についても「血」とカニバリズムに関連する恋愛が見て取れます。

まず本作中で思い出していただきたいのが、学校の通過儀礼として描かれた新入生が馬の生き血を浴びせられるシーンです。この儀式のことを学生たちないしOB・OGは「洗礼」と呼んでいるんですね。つまり馬の生き血が清める作用を持っているとされているわけです。

つまり血を持って洗うことで、何らかの浄化作用があるという視座が本作に据えられていることが、このワンシーンで見て取れるわけです。そして本作においてはカニバリズムに関わりのある描写にもれなく「血」の描写がついて回るわけですが、これもまた浄化なんですよ。

 ここで本作がラブストーリーであるという側面が絡んできます。というのも本作におけるカニバリズムは恋愛感情に纏わる極めて強い所有欲求の表出という側面を強く持っています。

例えばジュスティーヌのアドリアンに対する恋愛感情を見てみましょう。彼はゲイであることから寮の部屋で普段から男性との関係を持っていました。それを彼女は目撃しているわけです。異性との関係を持ったことが無い彼女はそれを不浄の行為であると感じているわけです。これはアドリアンが彼女の姉とも関係を持ったことを示唆した際の怒りにも見て取れます。

FullSizeRender
(C)2016 Petit Film, Rouge International, FraKas Productions. ALL RIGHTS RESERVED.

 ジュスティーヌは自分の意中の男性が他の男性ないし女性と関係を持っていることを不浄の行為と捉え、自分が彼の身体を捕食し、血を流させることで彼の汚れた身体を浄化できると考えているのです。さらには、浄化することで彼を自分にとって固有の所有物とすることができるのです。

また彼女の姉に対する思いもカニバリズムとして表出していますよね。ジュスティーヌは非常に姉を慕っている様子でした。ただ彼女はこの学校に来て、人が変わってしまいました。通過儀礼としてうさぎの腎臓を食べることを迫られた際も助けてくれませんでしたし、彼女は自分の思うような姉ではもう無くなってしまったのです。

それも彼女が汚れてしまったからだと考えたのでしょうか。ジュスティーヌが姉の指を貪るのも、彼女が姉を浄化し、自分だけのものにしたいという所有欲求の表出と捉える事ができます。

ラストシーンで露わになった夫の身体についた無数の傷跡も母親の父親に対する愛情と所有願望の堆積でした。

このように映画「RAW(ロウ)少女のめざめ」では、「血」というモチーフを浄化するものとして描き、さらにはその血が介在するカニバリズムという行為を強すぎる所有欲求の充足行為という風に描いているんですね。だからこそそこには異常性が見出せないんです。

 カニバリズムはあまりにも無垢で、純粋な恋愛感情の1つの表現形態なんですよね。誰もが一度は抱いたことのある思春期特有の愛する人のすべてを自分のものにしたいというある種の独善的願望を可視化したに過ぎないわけです。

 カニバリズムに伴う血でもって自分の相手を清め、俗世間の不浄から解き放つことで、自分だけの所有物にしようという行為は愛でありセックスなのです。

解説:本作において犬が印象的に登場したのはなぜか?

FullSizeRender
(C)2016 Petit Film, Rouge International, FraKas Productions. ALL RIGHTS RESERVED.

本作において最も印象的に登場した動物は間違いなく犬だったと言えます。序盤のパーティーで姉のアレックスがジュスティーヌを連れ出した際にホルマリン漬けにされた犬が暗闇に浮かび上がったのが1つ。彼女たちの家の飼い犬でアレックスの部屋で飼われていたが、後に安楽死させられた愛犬が1つ。ジュスティーヌたちが授業で解剖したのが犬だったのが1つ。

本作を読み解く上で犬が持つ意味を考えないということは不可能に近いと思います。では、本作において犬がどんな意味を持つのかということを個人的な見地から推測していこうと思います。

実はかつて犬に纏わるこんな研究がなされたことがあるんです。ポメラニアンにパソコンの音声でオオカミの鳴き声を聞かせ続けたところ、犬がその鳴き声を真似して吠えるようになったのだそうです。これは犬の先祖がオオカミであることに起因するのではないかと言われています。

 つまり犬の中には、オオカミの本能が眠っていて何らかのトリガーがあれば、それが目覚めてある種の「先祖返り」が起こるとということです。

食堂でジュスティーヌはアドリアン達との会話で人間の先祖であるサルについて話していましたよね。ジュスティーヌは人間とサルが未だ本質的にさほど違いが無く、この2つの種族を同等のものとして考えていることを表明していました。実は人間の先祖と言われているチンパンジーは「共喰い」をすると言われているんですね。

つまりは人間も何らかのきっかけがあれば、自分の中に眠っている先祖のチンパンジーが持っていたであろう「共喰い」の本能を目覚めさせるのではないかということが言えるわけです。

ジュスティーヌの父が愛犬の安楽死に関して、「人の血の味を覚えた犬はもうダメだ。」と発言していましたが、これは人の血の味を知ることで犬の中に眠っている先祖オオカミの本能が目覚めてしまうことを危惧していたように感じられます。

 よって本作「RAW(ロウ)少女のめざめ」における犬というのは、眠っているはずの先祖の本能が何らかのきっかけで目覚めること、いわゆる「先祖返り」の象徴的存在として登場したのだと思います。

犬がそうであったように人間も、チンパンジーが持っていた「共喰い」の本能を目覚めさせてしまう可能性が考えられるということですよ。

おわりに

FullSizeRender
(C)2016 Petit Film, Rouge International, FraKas Productions. ALL RIGHTS RESERVED.

本作は純粋な所有欲求としての恋愛感情の表出として、女性のイニシエーションとして、さらには血統に誠実な振る舞いとしてカニバリズムが描かれました。

だからこそ本作におけるカニバリズム何ら異常性を秘めていないんですよね。そもそもジュスティーヌを肉食に走らせたきっかけが、学校でのストレスだったりするわけですから、これは誰しもが青春時代に直面する問題や壁の1つとして描かれているわけです。

ティーンエイジャーの女性が自身の身体的、精神的な変化、そして環境の変化に戸惑うことは至極当たり前で普遍的なことなのです。カニバリズムもそういう類の問題の1つとして描かれています。

カニバリズムはジュスティーヌにとって正常な発達の中で直面する1つの壁なのです。彼女はそれを上手く乗り越えなければならないのです。パートナーに重荷を背負わせることで、欲求を昇華させてきた母親。上手くコントロールしきれずに人を殺めてしまった姉。

ジュスティーヌはその2人の失敗例を回避して、正しい道を模索しなければなりません。それこそが彼女に課された真のイニシエーションなのです。

 「あなたならどうする?」という問題提起型の終わり方を選択したことで、本作の余韻は一層高まったように思います。敢えて答えを明確に提示せずに、その思考を観客に委ねた点は正解だったと思います。

この映画を見終えて、ジュスティーヌならこの後どんな人生を選択するだろうか?自分が彼女の立場ならどんな選択をするだろうか?と考えてみるのも面白いと思います。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です