【ネタバレあり】『家族を想うとき』感想・解説:ケン・ローチが引退を撤回して描いた社会への怒り

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『家族を想うとき』についてお話していこうと思います。

ナガ
2019年最後の期待の新作です・・・。

先日、NHKでケン・ローチ監督と是枝裕和監督の対談が放送されていたんですが、彼が映画を通じて社会の片隅に生きる人たちにスポットを当て続けるその思いに感激しました。

この方は近年、イギリスの労働者階級にスポットを当てておられましたが、過去にはホームレスを取り上げたドキュメンタリーシリーズ『The Wednesday Play』で文字通りイギリス社会を変えた人でもあるんです。

だからこそ映画の力で社会に変化をもたらせると心から信じているのだと思いますし、彼の作品にはそれだけのパワーがあります。

ただ彼は前作でカンヌ国際映画祭でパルムドールを授賞した『わたしはダニエルブレイク』で映画監督からの引退を発表していました。

しかし、同作の撮影の中でフードバンクの取材をした際にケン・ローチ監督は、多くの労働者が不安定な条件の下で働いている姿を目撃したそうです。

そこから構想が膨らみ、1つの形になったのが今作『家族を想うとき』だったようですね。

引退を撤回してまで、今自分が作らなければならないと感じたそうですが、そうせざるを得ないほどに彼は社会や制度に対して激しい憤りを感じていたのだと思います。

ナガ
もはやこの映画は彼の怒りの咆哮そのものなんですよね・・・。

では、そんな映画『家族を想うとき』についてここからは語っていきたいと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となります。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『家族を想うとき』

あらすじ

イギリスのニューカッスルで家族と共に暮らすリッキーは、仕事を転々とし、効率よく稼げると言われているフランチャイズの宅配ドライバーとして働くこととなった。

借金を背負い生活も苦しい中で、妻の仕事用の車を手放し、大きなバンを購入すると、彼は早速仕事を始めた。

1日14時間の週6日勤務という過酷な環境の中で、真面目に勤務を続け、家族のためにお金を稼ぐリッキー

しかし、彼の給料だけでは2人の子どもを育てていくには届かず、妻のアビーはパートタイムの介護福祉士として働いていた。

両親の仕事が忙しくなるにつれて、家族が一緒に過ごす時間が減っていき、娘のライザは不眠症気味になり、息子のセブは不登校になり、街でグラフィックアートに没頭するようになる。

いつかマイホームを持ちたいという夢があるリッキーは、訪れるその日のために懸命に働き続けるが、少しずつ家族はすれ違い、そしてその関係が壊れていくのだった・・・。

 

スタッフ・キャスト

スタッフ
  • 監督:ケン・ローチ
  • 脚本:ポール・ラバーティ
  • 撮影:ロビー・ライアン
  • 美術:ファーガス・クレッグ
  • 衣装:ジョアンヌ・スレイター
  • 編集:ジョナサン・モリス
  • 音楽:ジョージ・フェントン
ナガ
ケン・ローチ×ポール・ラバーティはもう黄金コンビですよね!

『わたしはダニエルブレイク』でもコンビを組んだ監督ケン・ローチ、脚本ポール・ラバーティのコンビが帰ってきましたね。

彼らの作る映画は他の映画とはパワーが桁違いで、見ていてこれが映画だとはとても思えなくなってくるんですよ。

この映画の中で起きている出来事は、私たちの世界のどこかで今も繰り広げられている光景なのだということを強く実感させられます。

そういう唯一無二の作品を作れる2人のコンビでの作品を再び見られることが何よりも幸せです。

撮影には『マリッジストーリー』『女王陛下のお気に入り』など近年卓越したカメラワークで驚きをもたらし続けています。

その他、編集や音楽にも前作から続投のスタッフが起用されています。

キャスト
  • リッキー:クリス・ヒッチェン
  • アビー:デビー・ハニーウッド
  • セブ:リス・ストーン
  • ライザ・ジェーン:ケイティ・プロクター
ナガ
ケンローチ監督の映画は役者選びが凄すぎるんだよ・・・。

彼の映画を見ていて、半分ドキュメンタリーだと感じることは多いのですが、それは役者陣に秘密があります。

先日放送されたケンローチ監督×是枝裕和監督対談の中でも話題に挙がっていましたが、彼は本当に「労働者」として生きてきた人間の顔つきというものを見るんだそうです。

「労働者」として生きてきた苦労を知る人でなければ、自分の作品のキャラクターを演じることはできないと考えており、さらにそうしなければ観客には見透かされてしまうんだとも語っていました。

ナガ
出身地までこだわるんだそうですよ・・・。

そのため今回のリッキーアビーの役に選ばれた2人は特に異色の経歴の持ち主です。

前者を演じたクリス・ヒッチェンは20年間配管工として自営業で働いてきた人物で、40歳という節目の年になって家族と相談し、夢だった俳優業に転身した人物です。

後者を演じたデビー・ハニーウッドは教育現場で、LSA(アシスタント)として勤務している「労働者」で、たまたま友人の勧めでオーディションに参加して、抜擢されたそうです。

驚くべきことにクリス・ヒッチェンはマンチェスター出身で、デビー・ハニーウッドはニューカッスル出身です。(キャラクターと一致)

キャスト選びにもここまでこだわるケンローチ監督だからこそ、これほどまでにパワーに溢れた作品が生み出せるのでしょう。

より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!

ナガ
ぜひぜひ劇場でご覧ください!



『家族を想うとき』感想・解説(ネタバレあり)

善人がまともに生きられない社会

(C)Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2019

日本でも「貧しさ」は、自己責任なんだと突き放す論調が依然として社会に蔓延っています。

つまり貧しい人というのは、人並みの生活に見合った努力をしていないだけで、そうしない本人に責任があるのだという主張です。

しかし、現代の貧困層は、そう状況ではなくなってきていて、『家族を想うとき』におけるリッキーのように毎日長時間真面目に働いて働いて、必死に家族を支えようとして、それでも貧しいのです。

そのためケン・ローチ監督は、「労働者」たちにその責任を追及することはなく、むしろ社会制度に問題があり、善人がまともに生きられない社会を作り出してしまっているのだと伝えようとしています。

とりわけこの映画で描かれていることは、少なくとも日本では人ごとに思ってはいけませんし、今まさに私たちの生きている社会のどこかで起こっていることなんだと自覚しなければなりません。

私はこの映画を見ていて、日本に置き換えるなら「コンビニ」がこれにあたるように思いました。

当ブログ管理人は、コンビニでアルバイトをしていた経験がありますが、コンビニの店長(フランチャイズオーナー)って本当に毎日毎日働けど・・・なんですよ。

寝ている間以外はほとんど店に顔を出して仕事をしており、残業代もほとんどついていないのではないかという状態ですし、バイトに穴が開いたら24時間営業を維持するために、自分が埋めるしかなくなって、超過労働。

本部から無茶な要望を押しつけられたり、私の働いていた店舗では少なくともありませんでしたが、「ドミナント戦略」という本部の意向で、近くに同系列の店舗を作られてしまうことも多発しています。

その結果として、コンビニのフランチャイズオーナーが借金を背負って店を閉店せざるを得ない状況に陥るケースが近年増加傾向にあります。

これらは、『家族を想うとき』の中で描かれたイギリスの宅配ドライバーたちの現状に共通する点が多いように感じました。

企業側はフランチャイズ契約にすることで、自分たちのルールを押しつけることはできる一方で、彼らは個人事業主であるため責任をも押しつけることができるんですね。

企業において、備品の破損や商品の盗難といった事例の保証を、労働者側がするなんてことはまずあり得ません。

しかし、宅配業者は「個人事業主」「フランチャイズ契約」という形態をとることで、それらの責任を労働者側に押しつけるのです。

ただルールには縛られるので、個人事業主であるにも関わらず、欠勤すれば罰金を科されますし、代役を探す必要があります。

こういう、もはやまともな生活を送ることすらも許されない厳しい条件の中で、懸命に働き、それでも「貧しい」という状態が存在することを私たちは、この目できちんと見ておかなくてはなりません。

ケン・ローチ監督の作品では、苦しめられ、搾取された善人が犯罪に手を染める描写が頻繁に登場します。

『レイニングストーンズ』もそうですし、前作『わたしはダニエルブレイク』でも追い詰められたシングルマザーが万引きに走るシーンが描かれました。

労働者階級がこういった罪を犯せば、彼らがこういう人間性なんだから貧しいのは当然だろうという自己責任の論調が強まっていく傾向にあります。

しかし、善人が「犯罪」に手を出さなければ、もう生きていけないような状態を作り出した社会や制度に問題はないとでも言うのでしょうか。

日本でも近年、医療、年金、労働賃金、税制の面などで、明らかに弱者や貧しい人たちに厳しい制度が次々に打ち出され、社会の分断が進んでいるように感じられます。

ケン・ローチ監督は自身の作品の中で、善人が犯罪に手を染めざるを得ない状況に追い込まれることについてこう語っています。

それ(犯罪)は貧困から生まれる想像力だとは思いませんか。貧困者は生き残る手段を見つけます。富裕者はズルをして、税金逃れをします。彼らは合法的に盗みを働いていると言えるでしょう。だから、持たざる者が小さな犯罪を犯しても、その成功を祝うことができるのです。

ケン・ローチ監督と是枝裕和監督の対談より)

日本でも、税制の面であからさまな大企業優遇が進み、法人税が減税され、その代わりに消費増税で貧しい人にまで一律で課される税金の金額が上昇しています。

消費税の税率は富裕層~貧困層まで一律ですから、明らかにその負担の大きさは経済的に貧しくなればなるほど、大きくなります。

こうして富裕層が合法的に税金逃れをして、貧困層がその割を食うという状況が日本にも確かに存在しています。

そうして苦しんで、苦しんで飢えの極致に至った労働者が何とか生きようとしてほんの数百円の食べ物を「万引き」すると、これは軽犯罪に問われます。

是枝裕和監督の『万引き家族』が公開された際に、日本でも「万引きを賛美している」「犯罪を助長する映画だ」という論調がありましたが、そんなことを言っている人は彼らが映画で描こうとしているものの本質が見えていません。

彼らは富裕層が税制などの面で優遇されることで合法的にしている「万引き」のスケープゴートなのです。

もちろん小売業をしている人にも生活があり、彼らからすると「万引き」は天敵であり、許すことのできない行為でしょう。

それでも、社会全体として善良な人たちが「万引き」に走らざるを得なくなった現状にもっと思いを馳せる必要があります。

富裕層による合法的な「万引き」と貧困層の非合法の万引き。

資本主義社会においては当然貧富の格差が生まれるものなのですが、それを是正し、貧しい人でも人並みの生活を保証されるようにするために、社会制度や社会保障があるはずです。

しかし、それらの制度や保障が今や貧富の格差の拡大を助長する方向に働いている側面があります。

ナガ
『わたしはダニエルブレイク』はまさに国の制度に対する疑問をストレートに描いていたよね。

私たちは、この映画の中で起きている出来事を決して他人事と思ってはいけませんし、日本人にはもう他人事と思えるほどの余裕はありません。



ケンローチ監督が描くのは感動ではなく怒りである

(C)Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2019

ケン・ローチ監督と是枝裕和監督の対談で個人的に最も印象に残ったのは、彼の労働者や弱者の物語を描くときのポリシーです。

彼は、労働者や弱者の物語を美化して多くの人を感動させることを目的としているわけではなく、ただ彼らが秘めている「パワー」を描きたいんだと語っていました。

ナガ
この考え方が根底にあるからこそ、彼の作品は他の映画とは一線を画すパワーが秘められているんだね!

前作『わたしはダニエルブレイク』で、ケン・ローチ監督の映画人生を象徴するようなセリフがラストシーンで描かれました。

「地位の高い人には媚びないが、隣人には手を差し伸べる。」

(映画『わたしはダニエルブレイク』より引用)

彼の映画作りの姿勢が集約されたような人ことであり、彼が映画を作る理由は、美談として労働者や弱者の物語を描くためではなく、むしろ労働者や弱者にもパワーが持てるんだということを示そうとしているからなのだと思います。

つまり、彼は労働者や弱者たちに手を差し伸べる1つの手段として映画というものを捉えているのではないでしょうか。

そう考えた時に、本作『家族を想うとき』は、もはや1本の映画という枠組みを超えた強烈なパワーを持った映像作品として私たちの前に現前します。

確かに、「映画」としての凄みで言うなら『わたしはダニエルブレイク』に及ばないのは一目瞭然ですが、作品に込められた強烈な怒りがもたらすパワーは、彼のこれまでのどの作品よりも強いと感じました。

今作の主人公であるリッキーにはモデルがいるそうです。

英ドーセットのクライストチャーチに住むドン・レーンさん(53歳)は過去19年間、配送会社「DPD」で配達ドライバーとして勤務してきた。DPDはドライバーを業務委託扱いにし、収入は荷物1個を配達するごとに加算していくシステムを取っており、有給休暇などもない。

ドライバーはDPDが依頼する分の配達をその日にこなすことができなければ、収入が減るだけでなく損害賠償として1日150ポンド(約23,000円)、半日であれば75ポンドの罰金が科せられるという厳しい規約が敷かれている。

糖尿病を患い2014年から体調を崩していたレーンさんは医師の診察を必要としていたが、罰金制度が経済的なしわ寄せになることを気にして診察予約を何度もキャンセルして勤務に出ていたという。

体調が悪いにもかかわらず、タイトなスケジュールの中で配達業務を繰り返していたレーンさんが最初に倒れたのは、2016年12月27日のことだった。この時に妻のルースさんは会社に連絡したが、上司から「罰金のことは心配しなくてよい」という返事を受け取っていた。レーンさんは2017年1月にも仕事中に再び倒れ、糖尿病性昏睡に陥った。

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ナガ
この一件は、イギリス国内だけではなく世界中に波紋を広げたよね・・・。

苦しい条件の中で、家族を想えば、働くしかありません。

しかし、働けば働くほどに、自分の家族はどんどんと壊れていきます。

そんな状況でしか生きられない人たちの悲哀がこの『家族を想うとき』には、詰め込まれており、そしてケン・ローチ監督が引退を撤回してまで発信しようとした怒りに溢れています。

おそらくあのラストシーンの後に待ち受けているのは、リッキーとその家族の悲しい未来でしょう。

ただ、この映画はその哀しい結末を明確に描くことはしていませんし、そこに向かって行くことが予見される場面で映画を幕切れにしています。

ナガ
なぜ、こんなラストにしたんだろう?

それは、彼の運命を決めるのは、この映画ではなく、他ならぬ今の社会に生きている私たち自身だからですよ。

私たちは、劇中のリッキーがドン・レーンさんのような悲しい運命を辿らなくてはならない状況を防ぐために隣人に手を差し伸べなければなりません。

社会や制度を変えることができれば、そして1人1人が自己責任などとは言わずに隣人に手を差し伸べる心を持てば、きっとリッキーをそして今まさに彼と同じように苦しみながら生きている人たちを救うことができるはずです。

ケン・ローチ監督は物語を映画の中で完結させることはせず、その結末を私たちに投げかけています。

『家族を想うとき』は苦しい生活の中でも、確かに息づく温かな家族の時間を描きました。

娘と一緒にバンで配達に行ったこと、家族で母の仕事の送迎についていきバンの中でノリノリで音楽を聴いていたこと、少し奮発してインド料理で食卓を囲んだこと。

誰にだって「家族を想う」時間はあるべきであり、それすら許されない社会は変えていかなければならないのです。

満身創痍のリッキーが向かう先は、病院なのかそれとも職場なのか。それとも家族なのか。

それを決定づける小さな力は私たちの中にあります。

他人事としてではなく確かに自分の生きる社会の片隅で起きている出来事として考えさせられました。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『家族を想うとき』についてお話してきました。

前作の『わたしはダニエルブレイク』は、ケン・ローチ監督の映画人生の集大成だと思いましたが、今作はむしろ映画としてというよりは社会に対する強い怒りが先行して生まれた作品のように感じました。

彼の作品には、グラフィティアートというモチーフが何度か登場しました。

『わたしはダニエルブレイク』でも主人公が、役所の壁にグラフィティアート(文字だけだが)を描いて警察に連行される一幕がありました。

ナガ
ただ、群衆からは彼の行動は称賛されていたんだよね!

グラフィティはただの落書きではありません。

むしろ社会の下層に位置する権力の無いマイノリティの人々の抵抗と主張の手段なのです。

公共物を破壊すること(グラフィティを書く事)で社会制度や政府に不平等の存在を訴えかけているということもできるのではないでしょうか。また、マイノリティたちの自己存在証明の手段であるという側面もあるでしょう。

そう考えると、ケン・ローチ監督の映画ってまさにグラフィティアートのようなものだと思うんです。

労働者や弱者の物語を美化するのではなく、彼らの存在とその力を証明するために映画を撮り続けています。

自身の最後の映画だと謳い製作された『わたしはダニエルブレイク』において、主人公にグラフィティアートを描かせたのだと思いますし、あれは自分自身の映画観の投影だったのだと解釈できます。

そうであれば、今作『家族を想うとき』でセブという青年がグラフィックアートに没頭している様には、ケン・ローチ監督が自分の意志を継いでくれる人の存在の登場への切なる願いが表れているようにも思いました。

彼がまだ映画を撮るのかどうかは定かではありませんが、日本の是枝裕和監督のように彼の意志に感銘を受けて、映画を撮り続ける映画人が世界には数多く存在しています。

そういった人たちの「グラフィティ」的な映画が、これからも生まれていき、社会に大きなムーブメントを起こすことこそが、ケンローチ監督の描くビジョンであるはずです。

だからこそ、彼は未来の象徴でもあるセブという青年に、「グラフィティ」を託したのではないでしょうか。

見終わってからも思いを巡らせ、自分なりに何ができるのかを考えてみようと強く感じた1作でした。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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