【ネタバレあり】アニメ『君の膵臓をたべたい』感想・解説:原作ド直球だからこそ考えたいアニメ版の意味

アイキャッチ画像:(C)住野よる/双葉社 (C)君の膵臓をたべたい アニメフィルムパートナーズ

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですねアニメ映画版の『君の膵臓をたべたい』についてお話していこうと思います。

作品の感想や解説を書いていこうと思うのですが、記事の都合上作品のネタバレになるような要素を含みます。その点をご了承いただいた上で、読み進めていただきますようよろしくお願いいたします。未見の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。

アニメ『君の膵臓をたべたい』

あらすじ

主人公である「僕」は盲腸の抜糸のために訪れた病院で偶然1冊の「共病文庫」というタイトルの文庫本を拾います。それはクラスメイトである山内桜良の秘密の日記帳でした。そこには彼女が膵臓の病気に侵されていることや余命が残り僅かであることが記されていました。「僕」はその本の中身を覗いたことにより、彼女の家族以外で唯一桜良の病気を知る人物となります。

秘密を知った「僕」は「山内桜良の死ぬ前にやりたいこと」に付き合わされることとなります。桜良という正反対の性格の2人が、最初は波長が合わない様子でしたが、次第に心を通わせていき、かけがえのない時間を過ごします。

しかし、桜良に確かに迫ってくる命のタイムリミット。変化していく2人の関係。

2人の綴る物語の結末とは?

キャスト・スタッフ

本作で監督を務める牛嶋新一郎監督にとってアニメ『君の膵臓をたべたい』はどうやら初の監督作品になるようです。これまで『ワンパンマン』や『ALL OUT』といったテレビアニメの演出や絵コンテにクレジットされてはいたものの、今作での監督起用はまさに大抜擢ですよね。

キャラクターデザインを務めた岡勇一さんはテレビアニメを見ている人であれば、聞いたことがある名前ではないでしょうか。アニメ『ToLOVEる』シリーズのキャラクターデザインを務めたことで有名で、非常に艶めかしく色っぽい女の子を描く印象が強いです。

またアニメ『君の膵臓をたべたい』は劇伴音楽が非常に良かったですね。担当されたのは世武 裕子さんでシンガーソングライターとしても活躍されている方です。本当に素晴らしかったので、彼女のこれまでに担当された映画音楽を調べてみましたところ、なんと『羊と鋼の森』のタイトルが・・・。この作品の劇伴は公開当時に大絶賛したんですよね。

アニメーション製作はスタジオヴォルンでまだまだ新興の制作会社ですね。テレビアニメでは『うしおととら』を製作したことで知られているようです。アニメ『君の膵臓をたべたい』の映像は本当に素晴らしかったので、今後この制作会社は注目しておく必要がありそうですね。

さてキャストに話を移していきましょう。

主人公の「僕」を演じたのが高杉真宙さんですね。映画ですと『逆光の頃』や『虹色デイズ』などに出演していて、今注目の若手俳優の1人ですね。高杉さんはアニメのボイスアクトにかなり苦心されたということでしたが、映画を見てみますと素晴らしい演技だったと思います。これに関しては後ほどお話します。

メインヒロインの桜良を演じたのはLynnさんですね。『ハイスクールフリート』や『亜人ちゃんは語りたい』といったアニメ作品に出演していて、近年出演作品が増加している注目の女性声優です。無邪気で底抜けに明るいのに、その声色の奥底に17歳の等身大の不安や恐怖を孕ませた桜良の声を絶妙に演じておられて感動しましたね。

また桜良に執着するクラスの委員長、隆弘役をアイムエンタープライズ仕込みのネタ声優(ファンの人ごめんなさい)である内田雄馬さんが演じました。また桜良の母親を女優の和久井映見さんが演じておられました。

実はこのアニメ化企画って実写版が公開されるずっと前から動いていたようです。プロジェクトの始動自体は原作小説の出版よりも前だったんですね。ちなみに脚本製作の際には、原作者の住野も会議に参加していました。

そう考えると、実写版もすでに公開されてしまったりしていて、『君の膵臓をたべたい』という作品自体の旬が過ぎてしまった今の時期に公開するのはどうなんだろうか?と考えさせられたりもしますが、すごく作り手の誠実な姿勢が伺えるアニメ映画になっていました。

sumikaの主題歌が抜群に良い

お恥ずかしながら当ブログ管理人、音楽に関しては映画サントラが主食なのであまりこういう音楽をあまり聞かないんです。ただこのsumikaというアーティストは一度聞くだけでその音楽に惹きつけられるような魅力がありました。

OP主題歌として採用されている『ファンファーレ』。勢いのあるサマーチューンなのですが歌詞は極めて『君の膵臓をたべたい』の「僕」の心情に寄り添ったものになっています。暗い自分の世界に閉じこもって、「生きる」ことを止めていた「僕」とそんな彼に「生きる」ことの喜びと尊さを教えてくれた桜良の関係性が投影されたように感じられる歌詞に、すごく感激しました。

一方でエンドロールで採用された『春夏秋冬』はそんな「生きる」ことを教えてくれた桜良への「僕」からの感謝が込められたような歌詞になっており、曲調もバラードに変化しています。桜良がくれた思いを胸に、これからの春夏秋冬を自分の選択で「生きていく」という「僕」の決意のような思いまで感じられて、本当に作品に寄り添った主題歌だなぁと涙が止まらなくなります。

この主題歌を映画館で聞くだけでも価値があるのではないでしょうか?

感想:実写版と比較して見て欲しい演技や演出の妙

マンガやアニメが実写化の運びになった時に、原作の再現度が低いやら、展開を変えないで欲しいという原作至上主義的な声はもう絶対に付随して聞こえてきます。そういった意見が悪いとは言いません。ただ制作側も何も原作に対してリスペクトを欠いているというわけではありません。むしろ鑑賞している我々よりも原作のことを深く知った上で作っているに決まっています。

ではなぜ2次元から3次元にコンバートされるときに、いろいろとキャラクターや物語にメスを入れなければならないのかというと、アニメ特有のキャラクターの動きや声、アニメ特有の物語や演出は実写映画にそのままコンバートすると作品から浮いて見えるんですよね。

この例を挙げる際に私は「悪い例」として『四月は君の嘘』という作品のアニメ版(原作のマンガ)と実写映画版を引き合いに出しています。『四月は君の嘘』の実写版ってすごく原作に忠実に作っているんですよ。キャラクターの動きやセリフなんかに至るまで、極めて誠実に原作の再現に努めています。ただそれがこの実写版の仇となっています。アニメっぱいセリフ回しや演技、演出が実写の映像に全く馴染んでいなんです。

この例からも分かる通りで、2次元の原作を忠実に3次元で再現しようとすると、絶対に不自然さが生じるんですよね。現在世界の映画市場を席巻しているMCU(マーベルシネマティックユニバース)の作品ってアメコミの再現を実写映画でするというアプローチは取っていません。如何にして映画の中のヒーローに説得力を持たせるか、我々の生きている世界と地続きの世界にいる存在であると錯覚させるかに力を注いでいるんです。

つまり実写版を見た際に「原作の再現ができてない!」と指摘するのは、個人的には不毛だと思いますし、そこは別に大切なところではないと思うんです。

『君の膵臓をたべたい』は月川監督と浜辺美波主演で実写版が既に制作されています。

この実写版は原作から多くの要素を改変して改変して作り出された映画です。そのため原作を既に読んでいる人からはいろいろと小言も言われたことでしょう。しかし、今回公開された極めて原作に忠実なアニメ版『君の膵臓をたべたい』を見た人はおそらく気がついたはずです。これをそのまま実写化していたらとんでもない映画になっていたであろうことにです。

だからこそ『君の膵臓をたべたい』の実写版ってすごく上手く作ってるんですよ。ライトノベル感のある住野さんの原作を違和感なく見れるように気を使って脚本を構築し、演出を施しています。キャストの演技もアニメのような過剰さはなく、実写映画のそれに仕上がっていました。

一方で今回のアニメ版は、原作をアニメ的な演出と共に極めて忠実に再現しています。おそらく原作の活字を映像化したならばこうなるだろうと多くの人が思ったイメージが具現化された形です。

だからこそアニメ版と実写版を比較して見ると非常に興味深いと思います。実写版がどこを改変しているのかというプロット的な部分でもそうです。実写版と比較することで、アニメ的な演出の正体も見えてくると思います。またキャストの演技が実写とアニメではどう違うのかといった部分にも注目して見ると面白いですよ。

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感想:高杉真宙とLynnという正反対のボイスアクトが演出する2人の関係性

(C)住野よる/双葉社 (C)君の膵臓をたべたい アニメフィルムパートナーズ

今回メインキャラクターである「僕」と桜良に対照的なキャストを起用したのが面白かったと思いました。

高杉真宙さんって基本的には俳優として映画やドラマに出演されていて、今作がアニメ声優初挑戦なんだそうです。一方のLynnさんはこれまでもテレビアニメにたびたび出演しているアニメ声優です。その点で2人のボイスアクトって極めて対照的なんですよ。

特に序盤はそれが顕著です。高杉さんの実写ベースのボイスアクトとLynnさんのテレビアニメ仕込みのそれが驚くほどにかみ合っていなくて、「僕」と桜良の会話シーンなのにお互いのセリフが宙に浮いていて、会話として成立していないのではないかという印象すら与えます。

しかし、物語の後半になってくるにつれて、お互いの演技が互いに歩み寄り始めるんですよ。高杉さんのボイスアクトは次第にLynnさんに引き寄せられていき、逆にLynnさんの演技は高杉さんのそれに引き寄せされていきます。まさに2人の演技が化学反応を起こし始めるのです。

こういう瞬間を見た時って、本当に感動しますよね。1人の声優の素晴らしい演技を見るよりも、声優がお互いの関係性の中で少しずつ演技を変化させていき、1つの作品を作り上げていくプロセスに私は専ら心が惹かれます。

冒頭ではあまりにも演技の質が違いすぎて会話として成立しているのかすら怪しかった2人のやり取りは、物語の後半に差し掛かるにつれて徐々に「会話」へと変化していくんですよ。

さらにそんな2人の声優のボイスアクトの変化がまさに「僕」と「桜良」の関係性の変化にリンクしています。ここがまた憎いところです。

「僕」と「桜良」は互いに惑星の反対側で生まれ育ったように正反対の人間であるとお互いを評していました。しかし、物語が進行するにつれて、2人はそんな自分の正反対の世界に暮らす人間に互いに歩み寄ろうとし始めます。

そんな登場人物の関係性の変化に伴って、声優2人の演技が変化し、作品に説得力が生まれているのが素晴らしいです。

高杉さんは公開日の舞台挨拶で思わず涙してしまったようですが、そういったキャストの作品への思い入れの深さからもこのアニメ『君の膵臓をたべたい』の現場がとても充実したものであったことが伺えます。

ぜひ高杉さんとLynnさんの演技に注目しながら映画をご覧になってみてくださいね。

解説:『君の膵臓をたべたい』が描き出す生きることの有限性と尊さ

これはもう原作、実写版、アニメ版共通する解説になるんですが、当ブログではまだ『君の膵臓をたべたい』という作品そのものを扱ったことがなかったので、書いていこうと思います。

まず『君の膵臓をたべたい』のプロットの最大の肝って膵臓の病気に侵されている桜良が残り僅かな余命を全うすることすらできずに「死」を迎えてしまうことですよね。これがすごく衝撃的でした。こういう難病や余命が絡むお話ってどうしても「余命」というものは全う出来るものだと思い込んでしまいますからね。

この展開が物語っているのは、どんな人にとっても命は有限で、死というものは平等に、そして突然にかつ理不尽に訪れるものであるということです。しかし、普通に生きている人ってその事実に気がつきにくいんです。私自身もそうです。自分が朝目覚めることは当然のことだと思ってしまっていますし、「死」なんて自分にとってはまだまだ縁遠いものだって思い込んでいます。

しかし「死」は誰にとっても極めて平等に訪れるものです。自分が明日生きている保証何なんてものはどこにもないんですよ。だからこそ私たちは今を大切に生きなければなりません。「死」を知ることで、生きることの喜びをかみしめる必要があるのです。

桜良は「余命」というものを突き付けられて、良かったこととしてこんなことを言っています。

死に直面してよかったことといえば、それだね。毎日、生きてるって思って生きるようになった。

(『君の膵臓をたべたい』より引用)

このセリフに桜良が死ぬまで「普通の日常」を過ごしたいと願う気持ちが隠されています。我々は何気なく生活していると、今自分が当たり前のように享受している日常が如何に尊いものなのかということを考えなくなっていきます。

だからこそその日常に明確な終わり、つまり「死」というピリオドが目に見える形で自分の人生に見えてきた時、初めて人は自分の何気ない毎日の幸せに気がつくのです。人は「死」を知ることで初めて「生」きることができるんです。

本作において「生きる」ということを桜良が次のように定義していました。

「生きるってのはね、きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ。誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。それが、生きる。自分たった一人じゃ、自分がいるってわからない。誰かを好きなのに、誰かを嫌いな私、誰かと一緒にいて楽しいのに誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、そういう人と私の関係が、他の人じゃない、私が生きてるってことだと思う。私の心があるのは、皆がいるから、私の体があるのは、皆が触ってくれるから。そうして形成された私は、今、生きてる。まだ、ここに生きてる。だから人が生きてることには意味があるんだよ。自分で選んで、君も私も、今ここで生きてるみたいに。」

(『君の膵臓をたべたい』より引用)

つまり桜良によると「生きる」というのは、他人と心を通わせることなんです。自分の人生において選択を積み重ねていくこと。そして周囲の人と支え合い、関わり合うことで自分という存在の「生」があるんだというストレートなメッセージに原作、実写、アニメの全てで泣かされました。

「僕」という存在は、桜良と関わり合ったことで、彼女の「死」に直面したことで初めて桜良の言う「生きる」を始めることができたんですよね。その姿はまるで「僕」の中に桜良の魂が宿っているかのようにすら思えます。

そういう意味で『君の膵臓をたべたい』という作品は、哀しくも切ない終盤が待ち受けていながらも、「僕」の人生の「始まり」が印象的で、まさしく「生」と「死」の物語でした。

エンドロール後の映像として採用された、原作にも存在している「僕」と恭子が桜良のお墓参りに行くシーンですが、このシーンが本当に大好きなんですよね。

「幸せになろう。」

その一言の深みを噛みしめた時、涙が止まらなくなります。

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解説:『星の王子さま』と『君の膵臓をたべたい』

原作でも、実写版でも登場したサンテグジュペリの『星の王子さま』ですが、アニメ映画版では一層重要度が増しています。終盤の桜良の遺書の独白シーンが『星の王子さま』の物語になぞらえて語られるという演出が用意されているんです。

『星の王子さま』って王子がパイロットの男の子に自分の話を聞かせるという描写を中心にして作られています。これがまず、桜良が自分が余命を告げられてから体験した短い時間の出来事を「僕」に語り聞かせるというプロセスに重ねられています。

また『星の王子さま』で印象的なのが王子さまの故郷の惑星の1本だけ生えたバラの花ですよ。アニメ『君の膵臓をたべたい』の桜良の独白シーンでもバラのモチーフは印象的に登場していました。このバラの花は一般に「愛」のことなんじゃないかという解釈をされています。

王子さまは地球で何千本ものバラを見ても、故郷の星に在ったあのバラとは全然似て非なるものなんだということに気がついて、蛇に自分を噛ませて故郷の惑星へと還ります。

「僕」と桜良の間に在った感情は「友情」や「恋」なんていう言語化可能なものではなかったと劇中で何度も言及されていましたが、桜良にとってあのバラはまさしく「僕」のことだったんだと思います。

そう考えると、桜良は通り魔に刺されてしまったけれども、死して「僕」のところに行くことができたんじゃないかと思えますし、希望が持てます。

星の王子さまが倒れる時の体勢まで、桜良に重ねているという徹底っぷりに衝撃を受けました。おそらく原作よりも、実写よりも『星の王子さま』を読んでおくことで内容が深まるのがアニメ版だったように思います。

ぜひぜひ読んだことがない方は読んでみて欲しいです。

おわりに

いかがだったでしょうか。

今回アニメ『君の膵臓をたべたい』がこのタイミングでようやく漕ぎつけたのは、やはり原作がそもそもアニメ向きな内容だったことと、そしてアニメだからこそ物語をより視覚的に訴える形で作ることができると考えたからなのでしょう。

それが特に表れていたのが、先ほど解説しました『星の王子さま』になぞらえた桜良の独白のシーンですし、あとは2人が最後に一緒に見たあの花火だったんだと思います。これらのシーンはもうアニメ版が飛び抜けて優れていました。

美しいアニメ映像と共に、再び語られる『君の膵臓をたべたい』の物語。

もう話のあらすじは知っているという方にも、原作や実写版を鑑賞済みという方にも見て欲しい内容だったと思います。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

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