『万引き家族』ネタバレあり考察:「スイミー」が示唆するキリスト教的な愛のメッセージとは?

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね『万引き家族』の考察を書いていこうと思います。

この作品については他にもいくつか記事を書いていますが、この記事では作品に登場した『スイミー』という絵本に注目して、作品を読み解いていきます。

記事の都合上ネタバレを含みます。ご了承ください。

良かったら最後までお付き合いください。




考察:「スイミー」が示唆するキリスト教的な愛のメッセージとは?

さて当ブログ4つ目となる映画『万引き家族』の関連記事ですが、今回は作品の内容に深く踏み込んでの考察を書いていきます。

本記事のテーマは章題の通りで「スイミー」が示唆するキリスト教的な愛のメッセージとは?です。

ナガ
皆さんは「スイミー」という児童文学を知っていますか?

レオ・レオニが著した有名な絵本で、小学校の国語の教科書にしばしば掲載されています。そのため話は忘れてしまったが、タイトルは聞いたことがあるという方も多いのではないかと思います。

簡単にそのストーリーを解説しておきますね。

スイミーという兄弟の中で1匹だけ体色が黒く、そして泳ぎの得意な魚がいます。

ある日彼らは巨大なマグロに襲われて、みんな食べられてしまうんですが、スイミーだけは生き残ります。

スイミーは旅を始めるのですが、しばらくして自分の兄弟とそっくりの赤い魚の兄弟を発見します。彼らはマグロに怯えて暮らしています。

しかし、スイミーの提案で、1匹だけ黒い彼が眼になることで、みんなで大きな魚のふりをしてマグロを追い払おうと決意します。

結果的にこの作戦が成功し、彼らは海の中を自由に泳げるようになります。

『万引き家族』では、この「スイミー」は祥太が押し入れの中で見つけた幼い頃の治の国語の教科書に掲載されていました。

さてこの「スイミー」のあらすじを読んでいただいた時点でご理解いただけたと思いますが、本作におけるスイミーは間違いなく「りん」のことを指しています。

実の両親の家族の下から初枝たちの疑似家族の中に転がり込んできた存在という設定が似ているのはもちろんですが、それだけではありません。「りん」という少女は初枝たち家族を大きく変質させた存在でもあるからです。

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(C)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用

スイミーは他の魚たちに「勇気」を教えました。

では、「りん」は初枝たち家族に何を教えたのかというとそれは「愛」です。

彼女は犯罪や金、打算で繋がっていた「家族」に愛をもたらし彼らをひと時だけではありましたが本当の家族にしました。

「りん」が最初に部屋にやって来た時に来ていた服が「赤色」なのも実に示唆的です。

そしてそこに是枝監督の作品にしばしば登場するキリスト教的な視点が合わさることで、「りん」という存在がより一層高次なものへと変貌します。

映画『三度目の殺人』でもキリスト教的なモチーフが印象的に散りばめられていました。

キリスト教において誰かを愛することの前提に誰かに愛されることがあると言われています。

そしてキリスト教的世界観においては神が無償の愛つまり「アガペー」を我々人間に与えてくれるとしています。

このことに関してキルケゴールは著書の『愛の業』の中で以下のような言説を残しています。

「自分の隣人を愛することは、人を語の最も深く最も高貴で聖なる意味において盲目にする。それゆえ人は全ての者を盲目的に愛するのである。」

この1文において注目すべき点は「盲目的に愛する」という部分です。

キリスト教的には、神が人間に「無償の愛」を注いでくれるために、人間はそれに誘発される形で「盲目的に」隣人愛を実践することが出来るのであるということになります。

初枝も治も信代も亜紀も、あの家族の人たちは誰しもが(親からの)愛を受けずに育ってきた人間です。だからこそ誰も愛さない、誰も愛せない人間たちなのです。




しかしそこに「りん」という少女が入ってきたことで彼らはそれぞれに変質していきます。

治は祥太のことを我が息子のように愛するようになりましたし、信代との性愛を取り戻しました。信代は「りん」に対しての母性愛に目覚めました。

亜紀は男性と交際を始めましたし、祥太も「りん」を自分の妹のように愛し、同時に治を父親として愛してしまいました。

初枝にとっても失われた家族が戻って来て、愛する対象ができたわけです。

ノベライズ版の108ページを読んでいただけると本作の「りん」の本質を表すような治と信代のやり取りが掲載されています。

「あんな目にあってるのに・・・親に」

信代は玄関のゆりの背中を見た。治も信代が何を言おうとしているのかすぐに理解した。

「そうだよなぁ。他人の心配なんかしてる場合じゃねえよなぁ」

治は素直にゆりの優しさに感心している。

「生まなきゃよかったって言われて育つとさ、ああはならないよね」

(中略)

「うん・・・、普通はなぁ・・・」

「人に優しくなんかなれねえんだよ」

「そうだ・・・。そうだな」

つまり「りん」という少女は親から愛されていないにも関わらず、他人に愛を注ぐことが出来る、他人を愛することが出来る稀有な存在なのです。そう考えると、彼女はキリスト教的な世界観で言う「神」の存在に当たると考えられます。

彼女が「神」に近い存在だからこそ、あの家族は「りん」に触れることで、「りん」が無償で振りまく「アガペー」に感化されて、まさに「盲目的に」他人を、「家族」を愛するようになります。

そして本作には「りん」が人間を超越した高次の存在であることを示唆するシーンがあります。

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(C)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用

1つは彼女がビー玉を覗くシーンです。

祥太がビー玉を覗いていて「何が見える?」と尋ねられると彼は海と答えました。

一方の「りん」は同じ質問に対して宇宙と答えました。

この何気ないワンシーンは「りん」が世界を司る高次の存在であることを仄めかしているようにも感じられます。

もう1つは初枝が海で発した言葉についてです。

彼女は「家族」で海に行った時に自分の死期を悟ったのでしょう。そして彼女は小さな声で「ありがとうございました。」と告げました。

この言葉は、初枝が自分の死を境にまた彼らとは他人同士に戻るんだという意識を持っていて、それがゆえに敢えてよそよそしい言葉を選んだという風にも取れます。

一方で私はこのセリフは初枝が「りん」に向けて言った言葉だったのではないかとも思っています。

彼女は自分の死期を悟った時に「りん」が「神」に近い存在であることを悟った、ないし彼女は最初からそれが見えていたのではないでしょうか。

だからこそ「愛」と「家族」を自分にひと時だけでも与えてくれた「りん」に感謝を伝えたのではないかと思いました。「ありがとうございました。」という敬語口調なのは、まさに「神」に向けた言葉だったからではないでしょうか。

結局彼らは「家族」ではなくなってしまいます。しかし「りん」と過ごした短い季節で彼らは人を愛することを知りました。

終盤のシーン。祥太と別れた治。彼は子供のように声をあげて泣きました。彼が泣くのは、人生で初めて「愛するもの」を失ったからです。その喪失感こそが何よりの「愛」の存在の証明です。

彼らは確かに「愛」した。そして彼らは確かに「家族」だった。

 

おわりに

いやはや作品の魅力がとんでもないですね。

これでは何字書いても語り尽せない勢いでございます。また思うことがあれば、考察記事を書くかもしれません。

これだけ深く考えさせられる作品も他にないような気がしてきました。それくらいに『万引き家族』が自分の心の奥深くまで刺さったんだと実感しています。

皆さんもぜひぜひ自分なりの解釈を見つけてみてください。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

 

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