【ネタバレ考察】『攻殻機動隊 SAC_2045(シーズン2)』2つの名作の調べ、辿り着いた持続可能性とは?

みなさんこんにちは。ナガと申します。

ついに『攻殻機動隊 SAC_2045』のシーズン2が放送され、そのストーリーの全貌が明かされることとなりました。

シーズン1がいわゆる「クリフハンガー」的な幕切れになっており、私も含めて多くの人が「続きが気になる!」状態で待ちぼうけしていたものと思われます。

ただ、完結編を見たからと言って、そう簡単に霧が晴れたようにすっきりとすることがないのが、今作の特徴かもしれません。

というのも今作の全貌を掴むためにはジョージ・オーウェル氏の『1984年』村上春樹さんの『1Q84』に触れておくことが半ば必須となるからです。

シーズン1の記事でも既に指摘していますが、「サスティナブル・ウォー」や「郷愁」といった本作のキーワードは全て『1984年』からの引用となっています。

『攻殻機動隊 SAC_2045』ネタバレ感想・考察:続編ありきの導入だが、既視感とスローさが目立つ

2020年4月24日

他にも「ビッグブラザー」や「101号室」といったモチーフも同作からの引用であることが明白です。

そしてシーズン2を追いかけるにあたって、もう1つ重要なのが、村上春樹さんの『1Q84』です。

こちらはジョージ・オーウェル氏の『1984年』を土台に書かれた作品で、「ビッグブラザー」とは対照的に「リトルピープル=大衆が有する見えざる力」が描かれたり、パラレルワールドの概念が登場したりしています。

『攻殻機動隊 SAC_2045』はこの2つの名作を組み合わせることによって、『攻殻機動隊』シリーズの新しい地平を切り開こうと試みたわけですね。

今回はそんな本作が一体何を描こうとしていたのか、あるいは何を伝えようとしていたのかについて自分なりの見解を書いていこうと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含みますので、未鑑賞の方はお気をつけください。




『攻殻機動隊 SAC_2045』考察(ネタバレあり)

『1984年』に着想を得た「二重思考(ダブルシンク)」について

©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会 | ©Shirow Masamune, Production I.G/KODANSHA/GITS2045

本作の最終回のサブタイトルにもなっていたのが、「二重思考(ダブルシンク)」であるわけですが、これは『1984年』からの引用になっています。

そもそも『攻殻機動隊 SAC_2045』におけるシマムラタカシは中学生のころに『1984年』の小説に触れ、その影響を受けていることが明らかにされていました。

だからこそ、ポストヒューマンとしての彼の目的、最終的なゴールが同作に掲載されていた「二重思考(ダブルシンク)」の自分なりのアレンジであったことにも合点がいきます。

では、原著の方では、この概念をどう説明していたのかと言いますと、「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」となっていました。

また、それを実践するためのプロセスとしては次のことが必要となります。

まずは、対立が生み出す矛盾のことを完全に忘れなければなりません。

その次に、矛盾を忘れたことも忘れなければなりません。

さらに矛盾を忘れたことを忘れたことも忘れ…というループを繰り返すわけです。

『攻殻機動隊 SAC_2045』の劇中で、タチコマたちが命を落とした江崎プリンを、彼女の記憶のバックアップを用いて、完全義体として蘇らせていましたよね。

ただ、タチコマたちは、そのことを自分たちが覚えていることを問題視し、自分たちが彼女を蘇らせたという記憶を自分たちのメモリから削除しました。

これがまさしく「二重思考(ダブルシンク)」なんですよね。

「江崎プリンが命を落とした」という事実と「江崎プリンが生きた状態で目の前にいる」という事実は完全に相反し、矛盾するものです。

©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会 | ©Shirow Masamune, Production I.G/KODANSHA/GITS2045

しかし、タチコマたちはただ、後者の事実を作り出したのが自分たちであるということを忘却し、この2つの事実が抱える「矛盾」そのものを忘却しています。

つまり、彼らにとっては「江崎プリンが命を落とした」という事実と「江崎プリンが生きた状態で目の前にいる」という事実が併存可能な状況になっているわけです。

『1984年』において、なぜ「二重思考(ダブルシンク)」がキーワードとして挙がったのかと言うと、これが独裁やプロパガンダを正当化し、矛盾を解消するための鍵だったからです。

私たちが「1+1=2」という真実を知っていて、その一方で体制側が「1+1=5」だというプロパガンダを行ったとします。

普通に考えると、これらは矛盾を孕んでいますから、体制側の主張は受け入れられないものとなるわけですが、「二重思考(ダブルシンク)」を活用すれば、これが抱える「矛盾」が忘却され、両者が矛盾なく共存するのです。

「二重思考(ダブルシンク)」は体制側が市民たちを支配するうえで、あまりにも都合の良いツールだったわけですね。

『攻殻機動隊 SAC_2045』では、シマムラタカシが、この考え方を1人の人間が電脳世界と現実世界の両方を生きるという矛盾状態の解消に利用しました。

シマムラタカシが作り出した「郷愁(ノスタルジー)」が漂う幸せな電脳世界を維持しつつ、現実世界でこれまでと変わらず体制による支配を受けながら暮らしていくという形で、彼は新しい世界の構造を作り出したわけです。

『1984年』でも、『攻殻機動隊 SAC_2045』でも、私たちの「自由」というのもが課題として挙げられます。

前者においては、「戦争は平和である 自由は屈従である 無知は力である」と繰り返し述べられていました。

プロパガンダにより体制側に都合の良い支配構造を受け入れながらも、それと矛盾しない形で自由に思考することが認められていたのが『1984年』の世界観です。

『攻殻機動隊 SAC_2045』では、シマムラタカシによる体制側によって支配された現実世界から人々の思考を解き放つプロセスが描かれ、市民の「自由」の獲得へと導かれました。

現実世界では体制による支配を享受し、自由を制限されながらも、電脳世界で自分が望んだ世界を獲得し、その中で自由を謳歌することができるという「矛盾」が「矛盾」ではなくなった構造が創出されたわけです。

さらに言うなれば、それぞれの市民が有する電脳世界では、数々の矛盾が生じています。

例えば、現実世界において、江崎プリンは自分がもう公安9課に戻ることはできないだろうと言及していました。

しかし、バトーの作り出した電脳世界において、彼女は公安9課に「新人」として戻ることができています。

これらは明確に「矛盾」であるわけですが、バトーはそれが「矛盾」したものであることを忘却しており、それらが共存する世界を生きているわけです。

伊藤計劃氏の描いた『ハーモニー』の世界観をも思わせる、人間の支配と自由の描き方でしたが、これが『攻殻機動隊 SAC_2045』の描こうとしたものの核なのです。



「ビッグブラザー」と「リトルピープル」、そして「N」へ

©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会 | ©Shirow Masamune, Production I.G/KODANSHA/GITS2045

記事の冒頭で、本作は村上春樹さんの『1Q84』の影響も多分に受けていると指摘しました。

劇中に人工知能「1A84」というものが登場し、それらが人々の電脳世界に干渉することで、Nへと導いていく描写がありましたが、そのことからも明らかですよね。

さて、この『1Q84』においては「リトルピープル」という概念が登場します。

この「リトルピープル」が何かと問われて、言語化するのであれば、個人的には「弱い大衆の集合意識」となりますね。

ナガ
「ビッグブラザー」と「リトルピープル」の対比は、学校の教室ないしクラスを想像するのがいちばんミニマルで分かりやすいかと思います。

かつての学校現場においては担任の先生が絶対的な権力を持っており、時には実力行使で生徒たちを掌握し、教室の支配者として君臨していました。

インターネットやSNSがなかった時代ということもあり、生徒の一挙一動を把握し、認識することができていたというのも大きいでしょうね。

この状態は言うなれば、「ビッグブラザー=強い支配者」が君臨している状態です。

一方で現代の学校において、担任の先生はもはや絶対的な権力を持っておらず、それはクラスを構成する生徒たちの集合意識=「見えざる空気」へと移管されています。

『攻殻機動隊 SAC_2045』のシーズン1で、シマムラタカシが個人のヘイトの集合体で、特定の個人を攻撃できるシステムとして「シンクポル」を開発していましたが、これは、そうした状況を可視化したものです。

インターネットやSNSの普及により生徒たちの行動の足跡を追うことができなくなり、以前よりも生徒たちが作り出す空気や集合意識が力を持つようになり、先生もまたそれに準ずる存在になりました。

つまり、強い支配者が君臨していた時代から、SNSやインターネットの普及によってシンギュラリティが起こり、人々の無意識の集合体が強大な力を持つ時代へと転じたわけです。

これが言わば「ビッグブラザー」から「リトルピープル」への移行でした。

そして、次のシンギュラリティがAIによってもたらされると言われている「2045年」をタイトルに冠した本作は、その次のシンギュラリティとして「N」の台頭を描きました。

この「N」がどういう状態なのかと言うと、「リトルピープル」がそれぞれの支配する領域を獲得し、その世界における「ビッグブラザー」になるようなイメージです。

例えば、本作の最終回で、江崎プリンがこんなことを言っていました。

「(核ミサイルは)ある人にとっては発射され、ある人にとっては発射されていない」

これが何を示唆しているのかと言うと、本シリーズの中で描かれた「核ミサイルの発射」「BCガスの散布」「草薙によるシマムラタカシの銃殺」は誰かの見た「現実」でしかなく、それは現実には起きていないということです。

つまり、現実ではこれらがどれも起きていない一方で、人々の中には「核ミサイルの発射」「BCガスの散布」「草薙によるシマムラタカシの銃殺」が起きた世界があって、この両方が矛盾せずに共存しています。

「ビッグブラザー」が支配する管理社会、「リトルピープル」の意識が大きな力を有するネット社会、そして「リトルブラザー」がそれぞれの現実を構築する新しい社会へ。

『攻殻機動隊 SAC_2045』が描いたのは、まさしくこのパラダイムシフトであり、人々の意識を上位へと導くプロセスなのです。

シーズン1の記事でも、シマムラタカシが「郷愁」によって人々を導こうとしている描写があることから、『1984年』における「ビッグブラザー」と対立する存在であることを指摘しました。

『攻殻機動隊 SAC_2045』ネタバレ感想・考察:続編ありきの導入だが、既視感とスローさが目立つ

2020年4月24日

その見立て通りで、彼は「ビッグブラザー」や「リトルピープル」による支配から人々を解放し、新しい地平と導いたのです。

本作のラストシーンでは、素子がバトーのN世界へとアクセスし、彼の意識と対話をし、再会を約束したのちに、彼の世界から去っていく様が描かれました。(バトーの望む世界では、江崎プリンは公安9課に再び迎えられている)

一方で、草薙素子が、シマムラタカシの首筋のコードを引き抜いたのかどうか、それは分かりません。

この答えについて、江崎プリンの言葉を借りるのであれば、「(コードは)ある人にとっては引き抜かれ、ある人にとっては引き抜かれなかった」となるのでしょう。

私たちは、違う現実を見て生きる。つまり、違う解釈を信じ、そのどれもが矛盾なく共存する世界を生きるということです。

だからこそ、『攻殻機動隊 SAC_2045』のラストにおいては、コードは引き抜かれたし、引き抜かれなかったと解釈するのが最も適切だと私は感じています。

「ビッグブラザー」が「引き抜いた」というプロパガンダをするのでも、「リトルピープル」が「引き抜かれなかった」という思想を持つ人間を叩き潰す時代でもない。

「リトルブラザー」が「引き抜かれた世界」と「引き抜かれなかった世界」をそれぞれに有し、それが「現実=作り手の意志」と矛盾していても、矛盾なく存在する。

『攻殻機動隊 SAC_2045』は、そんな世界へと到達するシンギュラリティを描き、結末においてそれを自ら体現して見せたのです。



おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は『攻殻機動隊 SAC_2045(シーズン2)』についてお話してきました。

すごく概念的な話であり、中盤以降の話の不可解さが最終回を見るまで腑に落ちないという独特の構成だったため、難解だと感じた方も多いことと思います。

トグサが中盤から「N」になっていたこともあり、そこから現実世界の描写とN世界の描写が混在する形で物語が進行していたのも、話をややこしくしていましたね。

結末で明かされた設定を頭に入れた上で、トグサに注目しながら、物語を改めて追っていくと、新しい発見が多いので、ぜひ見返してみてください。

また、どうしても元ネタとなった『1984年』『1Q84』を知っているか知っていないかによる解像度の差は出てきてしまいます。

ナガ
より楽しむためには、この2つの作品に触れておくのがおすすめです。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

関連記事

『攻殻機動隊 SAC_2045』ネタバレ感想・考察:続編ありきの導入だが、既視感とスローさが目立つ

2020年4月24日

【ネタバレあり】『HUMAN LOST』解説・考察:現代日本を反映させたSFとして蘇った人間失格

2019年11月28日